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挙証責任の議論で見る、朝日新聞の「報道テロ」

朝日新聞社の社是は倒閣であり、朝日新聞の現在の行動も、本質的には倒閣のための報道テロである――。私は最近、こんな仮説を持っています。こうした中で、本日は「挙証責任」という概念と絡めて、朝日新聞の行動について考えてみたいと思います。

挙証責任とは?

先月の朝日新聞の報道

最近、マス・メディアの報道を眺めていると、どうも納得が行かないことがたくさんあります。そのうちの1つが、「疑惑を持たれた方が無実であることを証明すべきである」、というものです。その典型例は、先月朝日新聞に掲載された次の記事です。

「安倍首相が『獣医大学はいいね』」愛媛県新文書に記録(2018年5月21日18時28分付 朝日新聞デジタル日本語版より)

愛媛県が先月21日に国会に提出した資料の中に、「加計学園による獣医学部新設をめぐって、2015年2月に加計孝太郎理事長が安倍晋三総理と面会した」という内容のものが含まれていたとされるもので、これについて朝日新聞は次のように報じています。

これまで安倍首相は、加計氏について「私の地位を利用して何かをなし遂げようとしたことは一度もなく、獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ない」と答弁している。また、学園の学部新設計画を知ったのは、国家戦略特区諮問会議で学園が学部設置の事業者に決まった17年1月20日、とも説明していた。15年2月の段階で加計氏が話をしたとする文書の内容と、安倍首相の説明は矛盾しており、あらためて説明を求められそうだ。」(下線部は引用者による加工)

下線部で示した、この「説明を求められそうだ」という下りは、典型的な「朝日ロジック」です。現実には、朝日新聞の記者が勝手に「本件については首相(※安倍総理のこと)があらためて説明すべきだ」と思っているのを、一般的に「説明を求められそうだ」と言い張っているだけだからです。

それはさておき、ここでもっとも違和感を抱くのは、「挙証責任」の所在について、です。朝日新聞のロジックが破綻しているのは、「誰が挙証責任を負っているのか」という点について、社会常識とあまりにもかけ離れているからです。

「挙証責任」とは何か?

この「挙証責任」、もともとは法律や会計などの専門用語です。いきなり漢字で書かれると難しいと思う方も多いかもしれませんが、これは、わかりやすくいえば、「証拠を出す責任」のことです。

この概念は裁判で問題になることも多いのですが、たとえばAさんがBさんを殴って怪我をさせた場合に、BさんがAさんに損害賠償を求めるときに、「Bさんの怪我はAさんが殴ったためにできたものだ」と証明する責任は、原則として、被害者であるBさんの側にあります。

もちろん、Aさんが理由もなくBさんを殴ったのだとしたら、世間の多くの人はBさんに同情し、Aさんを咎めると思います。しかし、一般的な民事裁判では、Bさんが「この怪我はAさんに負わされた」と証明できなければ、Bさんは負けてしまいます。

また、刑事裁判の場合、「C容疑者が犯罪をしたから刑事罰を課したい」と思った場合、裁判所に対し、「C被告はこういう犯罪をした」という証拠を出す義務は、検察側にあります。Cさん(やその弁護人)としては、検察側が出してきた証拠が間違いだと主張すれば良いはずです。

たとえば、C容疑者の行動がとても疑わしかったとしても、検察側のミスできちんと証拠を提出することが出来なかったとすれば、裁判所はC被告に有罪を宣告することができません。それは検察側の負け、つまりCさん側の勝利です。

これが「法治主義」の考え方の1つです。

法治主義国においては、感情だけで、正しいだの間違っているだのを議論しても意味がありません。法律を破っていれば咎められるべきですが、法律を守っている限り、罰せられることはないはずです。

三割司法の問題点

ここで、少しだけ本論から脱線します。実は、「日本が法治主義国である」とする議論については、私はなかば、懐疑的です。

たとえば、先ほど、AさんがBさんを殴って怪我をさせた事例を紹介しましたが、日本の裁判官は判決文を書くことを極端に嫌がります。このため、BさんがAさんを訴えたとしても、裁判所は「和解勧告」を出して、AさんがBさんに解決金を支払うことを提案します。

また、刑事裁判の場合、裁判所は検察側が出してきた証拠を吟味せずに、そのまま有罪判決を出すこともあります。私自身、公認会計士であり、会計監査のキャリアは長いのですが、監査人の立場として裁判官の仕事を見ると、非常にクオリティが低いと感じることがたびたびありました。

このように、判決を書くのを嫌がる裁判官、証拠吟味能力が低い裁判官をのさばらせている以上、「三割司法」と揶揄されるのも、いたしかたがない面があるでしょう。ただ、司法が機能するか、機能しないかについては、ある意味では法治主義の歴史の長さや国民の意識も影響して来ます。

私は、裁判官の任免にもっと国民が関わるべきだと考えています。裁判所自身が個々の裁判官についての評価基準を明らかにしていないことや、裁判官についての適否が判断できないのであれば、日本国民は、最高裁判官の国民審査のたびに、すべての最高裁判官を辞めさせるべきでしょう。

この「日本の司法の問題点」という論点については、論じたい点が山ほどありますので、機会があればどこかで取り上げたいと思います。

法治主義を理解しない人たち

法律の適用はとても厳格である

本論に戻りましょう。

私が見たところ、日本では、法律はだいたい守られています。

市役所、県庁レベルでは、目立った不正もなく(皆無とは言いませんが)、また、いったん法律が決まれば、粛々と法律どおりに役所の行政も進んでいきます(※といっても、文部科学省のように、法律に違反している不届きな役所もありますが…)。

なぜ法律を絶対に守らねばならないのかといえば、それが「国民が直接選んだ国会議員が作ったもの」だからです。法律は、衆参両院で過半数の決議があったときに成立します(なお、参議院が同意しなかった場合も、衆議院が3分の2以上の多数で再可決すれば成立します)。

この場合、たとえ内閣総理大臣であっても、いったん成立した法律に逆らうことは許されません。国民の多くが納得できない法律があったとしても、国会議員が過半数で可決しない限り、これを変えることはできません。これが「法治主義」、つまり法による支配の考え方です。

そして、「法治主義」の下にぶら下がる重要なルールが、他にもあります。たとえば、「租税立法主義」、「罪刑法定主義」、「法の不遡及」です。

租税立法主義

租税立法主義は、「国が税金を取り立てるためには、法律に基づかねばならない」とする考え方です。どこかの独裁国家だと、独裁者や役人の一存で勝手に税金が取り立てられたり、業者と癒着して賄賂がまかりとおったりしているようです。

しかし、日本の場合は法律を作らないと国が税金を取ることはできません。当然、公務員に賄賂を渡したりしたら犯罪ですし、それを要求してもいけません。さらに、国会議員におカネを渡して、自分のために利益誘導することも許されません。

罪刑法定主義

罪刑法定主義は、「刑事罰を課すためには、法律に基づかねばならない」とする考え方です。日本では、刑事罰は法律に書いておかなければなりません。たとえば、「安倍晋三のバーカ」と悪口を言っても、日本では政治家を批判して罪になるという法律はありませんから、逮捕されることはありません。

これが独裁国家だと、中国共産党や朝鮮労働党、習近平(しゅう・きんぺい)中国国家主席や金正恩(きん・しょうおん)悪口を言っただけで摘発され、秘密警察に連行され、強制収容所送りにされるようなケースもあるようですが、日本ではそのようなこと、絶対に発生しません。

法の不遡及

そして、非常に重要な考え方は、法の不遡及、つまり「その行為を行った時点で法律が存在しなければ、さかのぼって適用する(遡及する)ことはできない」、という考え方です。

韓国の場合、ある日いきなり「親日派からの財産没収法」という法律ができ、「親日派」認定されて財産を没収された事例もあるようですが、このような法律を作ること自体、すでに韓国が法治国家を名乗る資格はありません。

刑事裁判とは「検事が裁かれる裁判」

以上の「租税立法主義」、「罪刑法定主義」、「法の不遡及」は、いずれも法治主義国家としては「基本のキ」です。法律はそれだけ尊いものであり、絶対に無視できないものです。

とくに、税金とは、個人の私有財産から国が強制的におカネを徴収する仕組みですし、刑罰とは、本人の意思を無視して、国家が何らかの罰を課す行為です。いずれも現場の担当官が好きにできるものではなく、法律できちんと定めておかなければ無効です。

さらに、刑事裁判についても重要な原則があります。これは、「推定無罪」という考え方です。要するに、「裁判で刑が確定するまでは、被告人は犯罪者ではない」、という原則であり、被告人(や弁護人)は、自分が無罪だと思うのならば、検察側が出してきた証拠を否定すれば済む、という仕組みです。

逆に言えば、刑事訴訟は「検察官が裁かれる裁判」のことです。つまり、検察官が裁判官に対し、証拠を挙げて、「この被告人は有罪だ」と主張し、その証拠の「証拠力」が問われるのです。そして、いくら世間的が「被告人は有罪だ」と言っていても、「証拠不十分」ならば、裁判所は無罪判決を下さねばなりません。

ここで冒頭に挙げた「挙証責任」という言葉が出て来ます。これは、刑事裁判の鉄則で、「この人物が何か犯罪をしていた」と主張するのであれば、「この人物が犯罪をしていたという具体的な証拠を出す責任」は、「この人物が疑わしい!」と主張する側にある、ということです。

(※余談ですが、マス・メディアの報道だと、「容疑者」の段階であたかも犯罪者であるかのごとき報道をするケースもありますが、こうした報道も、マス・メディアが「挙証責任」「推定無罪」の議論を理解していない証拠でしょう。)

「安倍は疑わしい」と主張するならば

ただ、この「挙証責任」の議論は、なにも刑事裁判にだけ当てはまるものではありません。日常の世界でも、「何か疑わしいことがある」と思うのならば、「疑われている側が無実である証拠を出す」というものではありません。「疑っている側が有罪の証拠を出す」のが原則です。

なぜなら、「やっていない証拠」を出すのは「悪魔の証明」と呼ばれていて、非常に難しいからです。「疑われている側が無実である証拠を出せ」と言い出すと、それは中国の人民裁判とやっていることはほとんど変わりません。

ここで安倍総理の関与が疑われている「もりかけ問題」とは、

安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、友人が経営する学校法人に対して何らかの違法な便宜を図っていた疑惑

のことです(これに加えて森友学園の件では、安倍総理だけでなく、安倍総理の夫人にも、マス・メディアと野党議員があらぬ疑いをかけています)。

もちろん、安倍総理自身が総理大臣としての地位を悪用して、法律に違反して何らかの不正行為を図ったのであれば、安倍氏には総理大臣として国政を預かる資格もなければ、国会議員である資格すらありません。今すぐ安倍総理は総理・議員を辞職し、司直の捜査を受けるべきでしょう。

しかし、「安倍は疑わしい」と主張するのならば、安倍総理が何という名前の法律の何条に違反しているのかを、まずは特定すべきでしょう。そして、「動かぬ証拠」を突きつけるのが筋です。

ところが、森友学園問題については、国有地の売却手続に瑕疵があったのは近畿財務局であって、安倍総理が本件に関わっていた「決定的証拠」は、いまだに誰からも提示されていません。

また、加計学園「問題」については、国家戦略特区制度を使った加計学園による獣医学部新設プロセスにはただの1点も違法性がなく、それどころか文部科学省が獣医学部の新設申請を受け付けなかったこと自体が、文部科学省という組織による違法行為である可能性が高いのです。

(※余談ですが、玉木雄一郎議員を筆頭に、獣医師の関連団体から巨額献金を受け取り、国会で獣医学部の新設を妨害するような質問を行った疑いがある議員こそ、むしろ問題でしょう。)

ナンセンス極まりない朝日新聞記事

ここで冒頭の朝日新聞の記事を、もう一度、眺めてみましょう。

これまで安倍首相は、加計氏について「私の地位を利用して何かをなし遂げようとしたことは一度もなく、獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ない」と答弁している。また、学園の学部新設計画を知ったのは、国家戦略特区諮問会議で学園が学部設置の事業者に決まった17年1月20日、とも説明していた。15年2月の段階で加計氏が話をしたとする文書の内容と、安倍首相の説明は矛盾しており、あらためて説明を求められそうだ。

ここで、朝日新聞の論調は、愛媛県が出してきた怪文書と安倍総理のこれまでの説明が矛盾している、すなわち「安倍総理は疑わしい」から、自身の身の潔白について「改めて説明せよ」、という要求です。しかし、これは「疑われた方が身の潔白を証明せよ」と主張しているのとまったく同じです。

法治国家においては、「動かぬ証拠」を突きつける責任は、疑っている方にあるからです。もっと端的に言えば、1年以上も大騒ぎして来て、この「動かぬ証拠」を突きつけることすらできない以上、この問題は朝日新聞側の完敗です。

なお、ついでに申し上げるならば、朝日新聞が「首相(安倍総理)の説明が矛盾している」と述べている下りについては、事実誤認、もしくは捏造です。

安倍総理が「2017年1月20日に知った」と述べているのは「国家戦略特区の枠組みを使って」加計学園が獣医学部を新設しようとしている、という事実のことであり、加計学園による獣医学部新設計画そのもののことではありません。

いつまでも報道テロは続かない

朝日新聞の真の狙いは「報道テロ」

ところで、朝日新聞のロジックだと、「何か疑いが出て来たときには、疑われた側に無実を証明する責任がある」、ということです。

このロジックがまかりとおるのであれば、私はむしろ、玉木雄一郎衆議院議員に対し、「斡旋収賄の疑いがある」と主張したいと思います。というのも、玉木雄一郎氏は獣医師の関連団体から巨額の献金を受け取り、獣医師業界の利権を守る行動を取った疑いがあるからです。

また、同様に朝日新聞に対しても、「現在の朝日新聞の報道は、社を挙げた倒閣運動である」という疑いを指摘したいと思います。この場合、「当社の報道姿勢は報道テロではない」と証明する義務があるのは、「疑われた方」である朝日新聞社です。

ただ、私はわりと真剣に、朝日新聞の行動は「報道テロ」ではないかと考えています。その理由は、決定的な証拠を何一つとして出さず、ひたすら1年以上、「もりかけ」問題をはじめとする、あらぬ疑いを安倍政権に対して掛け続けているからです。

その目的は、ずばり、改憲の阻止にあります。日本が改憲に成功すれば、日米関係が変わりますし、日中関係も変わります。さらには日露関係、日韓関係、日朝関係なども大きく変わります。戦後秩序が大きく動く可能性があるのです。

朝日新聞社が、かつてはコミンテルン、現在は中国共産党や朝鮮労働党などと密接につながっているのかどうかは知りません。しかし、朝日新聞の報道によって、マス・メディア全体が朝日新聞の捏造した事件に乗っかり、それにさらに反日野党が乗っかって、国政の足を引っ張ってきたことは事実です。

結果的に改憲を阻止することに、今のところは成功している以上、朝日新聞による「もりかけ報道テロ」は成功している、という言い方をしても良いかもしれません。

若年層の新聞離れ、テレビ離れ

ただ、いつまでもいつまでも、朝日新聞が虚報を続けられるとは、私は考えていません。

まず、朝日新聞をはじめとする、マス・メディアの報道を盲信する人の数が、間違いなく減少しているからです。その根拠の1つは、当ウェブサイトにアクセスする人の数が、確実に増えていることにあります。これも、インターネット上に無数に開設されているウェブメディアを参考にする人が増えている、という証拠です。

しかも、これらの無数のウェブメディア(ブログ、評論サイト等)を執筆しているのは、多くの場合、ジャーナリストではなく、普通のビジネスマン、会社員などです(かくいう私自身も公認会計士資格を持っていますが、単なるビジネスマンであって、ジャーナリストではありません)。

つまり、誰もが気軽に情報発信できるというインターネットの特性を生かし、「プロフェッショナルのジャーナリスト」ではない普通の社会人が文章を執筆する機会が増え、また、それらの文章を読む人も増えている、ということです。

また、そうなってくると、結果的にマス・メディア(とくに新聞、テレビ)の影響力は落ちていきます。なぜなら、マス・メディアが今までのような虚報を行っても、その瞬間、インターネットで速攻論破されてしまうという事象が発生しているからです。

その結果、何が生じるか。

それは、インターネットに慣れ親しんだ若者に相手にされなくなることで、マス・メディアの報道がますます先鋭化し、低レベル化することです。以前、地方に住む私の高齢の縁戚と話をしても、「最近の新聞はおかしな記事が増えた」などとぼやいていましたが、あながち彼女の勘違いとも言い切れないでしょう。

高齢者もインターネット化する時代?

ところで、若年層の新聞・テレビ離れが進んでいることについては、いまさら指摘する必要はないでしょう。そして、新聞やテレビを日常的に見る人は、高齢者層に偏ってきていることは間違いありません。

ただ、このことは「高齢者が情報弱者である」、ということを意味するものではありません。むしろ話は逆で、高齢者のなかにも、PCやタブレット、スマートフォンなどの形で、インターネットに接続し、快適なネットライフを送る人が増えて来ているからです。

私の知り合いの事例ですが、高齢の親御さんがテレビを買い替えた際にアドバイスをし、インターネットに接続できるタイプのテレビを購入し、人気のインターネット番組(チャンネル桜や虎ノ門ニュースなど)をお気に入り登録するなどの設定をしてあげたのだそうです。

まさに、「高齢者もインターネット化する時代」が到来しつつあるのかもしれません。そうなると、新聞、テレビに待っている末路はただ1つ――「倒産」――です。若者から見放され、主要顧客層である高齢者層からもそっぽを向かれ始めれば、マス・メディアにとっての「製品」であるコンテンツが売れなくなるからです。

つまり、朝日新聞を筆頭とするマス・メディアが、一般国民の社会通念からかけ離れた報道テロばかり続けていれば、そのうち、朝日新聞自身が社会から見放され、誰も朝日新聞を買わなくなるのです。その意味で、私は朝日新聞さんに、こう申し上げたいと思います。

いつまでも報道テロは続きませんよ

――と。

新宿会計士:

View Comments (2)

  • チャンネル桜と虎ノ門ニュース早速ブックマークして視聴しました。いいですね!!暇と時間はあるのテレビの視聴の代わりに見ていこうと思います。知り合いのお年寄りにも伝えて見ます。

  • お金がないんですよ、若者は。だから新聞をとらない。。。「ニュースはネットで見れるから」ではなく政治も経済も興味がない。
    若者のネットは、音楽でありクーポンでありチケットだ。政治経済はテレビ新聞どころかネットで上も全く見てませんよ若者は。まあ、周辺のごく一部の若者ですけどね。