例の「ドラマ改変」事件を巡って、日本テレビは15日、第三者委員会「社内特別調査チーム」を設置して調査すると発表しました。遅すぎます。原作者の方が遺体で発見されてから2週間以上が経過しています。普段、自民党や企業の不祥事は針小棒大に舌鋒鋭く追及するテレビ局が、自社の不祥事に真剣に向き合おうとしないのは、滑稽と言わざるを得ないでしょう。
2024/02/16 10:20追記
リード文部分で「日テレは第三者委員会を設置し」、と記載してしまいましたが、これは「社内特別調査チーム」の誤りです。訂正いたします。申し訳ございませんでした。
日本テレビが漫画をドラマ化した件で、原作者が自ら命を絶ったとみられるとする件については、以前の『今度はドラマで原作改変…不祥事は日テレの体質問題か』などでも取り上げたとおりです。
これについては当ウェブサイトでは原作者の方や漫画名を伏せているうえ、脚本家とのトラブルなどについては敢えて言及していませんが、Xでも連日話題となるなど、すでにネット上などで「大炎上」しているため、当ウェブサイトの読者の皆さまのなかでも、よくご存じの方が多いと思います。
これに関し、事実関係を整理したいという方は、まずは亡くなったご本人のブログ(※削除済み)のアーカイブを読むのが早いかもしれません。
これによると、彼女の作品を日本テレビが木南晴夏さん主演で実写ドラマ化し、全10話が放送されたのだそうですが、このうちの第9話と第10話については原作者自らが脚本を書いたこと、そこに至るまでの経緯などが明らかにされています。
この点、ネット上ではもう一方の当事者である脚本家の方が「大炎上」しているフシもありますが、当ウェブサイトとしては個人攻撃をするのは本意ではないため、この脚本家の方の件については、あえて取り上げないようにしてきましたし、今後もそうするつもりです(調べたらすぐにわかることかもしれませんが…)。
それよりも、当ウェブサイトで注目したいのは、日本テレビという会社組織の行動です。
日本テレビは15日、この件に関連して短いプレスリリースを発表しています(作品名と漫画家の実名部分についてはそれぞれ伏せています)。
ドラマ「●●●●●●●●」について【※PDF】
●●●●●さんに哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
「●●●●●●●●」の漫画・ドラマを愛していただいている読者・視聴者の皆様、ドラマの出演者、関係者の皆様に、多大なるご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。
日本テレビは今回の事態を極めて厳粛に受け止め、これまで独自に社内調査を行っておりましたが、原作漫画「●●●●●●●●」の出版社であり、ドラマ化にあたって窓口となっていただいた小学館にもご協力いただき、新たに外部有識者の方々にも協力を依頼した上、ドラマ制作部門から独立した社内特別調査チームを設置することにいたしました。
早急に調査を進め、真摯に検証し、全ての原作者、脚本家、番組制作者等の皆様が、より一層安心して制作に臨める体制の構築に努めてまいります。
―――2024/02/15付 日本テレビ放送網株式会社ウェブサイトより
今回の日本テレビの今回の動き、正直、遅すぎます。
原作者の方が遺体で発見されたのが1月29日のことですので、そこから2週間以上の期間が経過してしまっているからです。
企業不祥事が発覚したときには、その企業に押し掛けて「第三者委員会の設置をしないのか」、などと批判し、対応が遅ければ容赦なく叩いてきたのがテレビ局ですが、自分たちの不祥事には沈黙を続けたこと、テレビ業界も本件の報道に及び腰だったことには、本当に驚きます。
【2024/02/16 10:20追記部分】しかも、設置するのは「第三者委員会」ではなく、「社内特別調査チーム」です。
日本テレビといえばほかにも、『24時間テレビ』の募金を巡り、系列局である日本海テレビの幹部職員が長年にわたって横領していた事件(『日テレだけが募金活動見送り…その背景を東スポが取材』等参照)を巡ってダンマリを続けています。
こうした日本テレビの体質の問題もさることながら、普段、自民党や企業の不祥事を舌鋒鋭く針小棒大に追及しているメディア(民放、NHK、新聞社、通信社など)が本件で日本テレビを叩かないのは、謎と言わざるを得ません。
このインターネット時代、いつまでも「報道しない自由」が通用すると思っているのだとしたら、それは意識が古すぎます。検索エンジンの「サジェスト汚染」が進んでいることなどは、その証拠でしょう。
日本テレビが自社の不祥事に真剣に向き合おうとしないのは、滑稽と言わざるを得ないでしょう。
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日本テレビの発表では、「社内特別調査チーム」であり、
第三者委員会ではありません。論外です。
すみません。上記発信者はコメント55号です
ご指摘の通りです。大変ありがとうございました、早速修正いたしました。
原作を実写ドラマ化するときの契約ってどうなってるんだろう。
かなり昔の話で記憶が定かでないのだが確か司馬遼太郎が二度とNHKの大河ドラマには自分の作品を出さないと言っていたような。そうとう改変されたのだろう。頭に来ても契約上どうにもならないのかもしれない。
逆に松本清張が「砂の器」の映画を見て「映画監督ってすごいね」と言っていた。小説よりも映画の方が格段に面白い。
こういうのってハリウッドではどうなってるのかな。リメイクとか原作の映画化権購入とかあるよね。
「原作より面白くできる」というテレビ局、監督、脚本家だけに、原作を実写ドラマ化できる資格(?)を与えて、彼らにだけドラマ化させるほうがよいのではないでしょうか。
sqsq 様
>松本清張が「砂の器」の映画を見て「映画監督ってすごいね」と言っていた。小説よりも映画の方が格段に面白い。
この評価については、わたしも同意。ただし、原作が、戸籍という本来変え得ない個人の属性が戦時中の空襲で都合良く改竄することが可能になったという、社会的状況を主な題材にしているのに対して、映画の方は、丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子、笠智衆といった魅力的なキャストを配し、美しい風景をバックに繰り広げられるヒューマンドラマといった態の、全く違った訴求力を狙ったものという点は見逃せないと思います。
これと正反対の例として、「ダ・ヴィンチ・コード」の映画化をあげたくなります。原作の日本語訳は上下二巻の大部なものである上、着いていくのが大変なほど複雑なストーリー展開。それでも一気に読んでしまうほど面白い作品でした。ところが映画化されたというので、期待して観に行ったところ、何これ! 筋書きは忠実に原作を辿っているが、ただそれだけ。まさに骨と皮。観るんじゃなかったレベルの駄作でした。
結局、小説、コミックスの面白さは、映像化された映画、テレビドラマの魅力とは別物。「それが常識でしょ」が、「セクシー田中さん」のドラマ化に当たっての日テレ側の認識だったんでしょう。況してや、連載中の未完の作品をワンクールの放送回数で、とにもかくにも大団円にまでもっていかなきゃならない。テレビドラマなんだから。だけど、原作者の意図も考慮せずに、勝手に筋書きいじったりするのは、どう考えたってルール違反。
そもそも、ドラマ制作者側のアイデアが枯渇してきたのか、安易に人気コミックスを実写化して放映する番組が横行していますが、これ単独の「原作者と脚本家の意思疎通の不備」なんかが理由だとして、制作者側の「配慮不足」のお詫びくらいでお茶を濁そうなんてことになるのなら、第三者委員会ならぬ、「社内特別調査チーム」の本気度が疑われることになると思います。
「砂の器」(1974 映画)のメインテーマは
※Google AI 生成による引用
>『砂の器』は、ハンセン病という病が殺人の動機として焦点化されています。長きに渡り法によって隔離の対象とされ、偏見と差別に晒された歴史を持つハンセン病という病を背景に、差別や偏見を助長した隔離政策という「国家犯罪」をも告発しています。
です
参考
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n278/n278015.html
やっちまった
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n278/n278015.html
原作を実写化したものは、多分、殆どが程度の差こそあれ改変されていて、何で?と思います。
こんなに変えるのならば、何も「原作」の名前を使わないで、オリジナルな名前でオリジナルなストーリーでやれば良いように思いますが、何故なんでしょうか?
「海猿」は、原作の漫画は読んでおらず、伊藤英明、加藤あい、のペアの主演のものを鑑ましたが、かなりお金をかけたような撮影でした。が、結局、恋愛映画のようなテーマになっていたので、個人的には、興醒めでした。多分、原作者は、海猿という職業にかける男達の使命感や生き様(いきよう)を描きたい作品なのだろうと推測していましたので、終盤、しつこいくらいに出て来る恋愛感情表現には、本当にウンザリだった記憶があります。
映画やドラマにすると、何でも、恋愛ものや、家族愛ものに、テーマを持って行きたくなるのは、映画やドラマは、そのテーマじゃなきゃ売れないという貧困な発想と表現力しかないからではないか?と推測したくなります。
尚、砂の器、は役者の演技力・表現力が堪能できる映画でしたね。そして、恋愛ものではなかったですね。松本清張の作品は、恋愛ものにはし難いのでしょうね。人間の業を描いているから、見ちゃうのかな?
司馬遼太郎作品では原田眞人監督の関ヶ原と燃えよ剣が気になっています。
壮大な関ヶ原の合戦を期待したいところですが映画レビューでは武将が滑舌が悪く聞き取れないセリフが多く字幕必須と書かれているので悩ましい限りです。
素朴な疑問ですけど、社内特別調査チームは、ドラマのプロデューサーより立場が上なのでしょうか。(もちろん、どんな報告書ができるかにもよるでしょうが)この後、日テレを忖度してくれない第三者委員会を設置しなければならなくなるのではないでしょうか。
蛇足ですが、自民党が「社内特別調査チームをもうける」と言えば、日テレは自身が批判されることを覚悟しなければ、これを批判することが出来なくなります。
日テレは、「社内特別調査チームは、実質、第三者委員会と同じだ」と宣伝するのでしょうか。
毎度、ばかばかしいお話を。
日テレ:「スポンサー企業が、口を出さずに金だけ出さなかったのが悪い」
もしかして。
他人に厳しく自身の業界には甘い
言いたくないですがマスゴミお得意のダブルスタンダードムーブしている光景です。
脚本が揉め事はよくある事ですが
①原作者とどのように約束していたのか明確化されているのか?
プロデューサーは都合よく丸め込んだんじゃないか?
②脚本家がマイナス方向の制作情報をSNSに上げて炎上するのは流行りのバイトテロと何が違うのだろうか?
コンプライアンス教育されてます?
本来であれば早々に第三者機関の設置
現在進行中の番組制作の検証
再発防止策の提言
スタッフへのSNS使用時の教育
こうした物実施する必要があったのでは無いかと考えます。
テレビ局の根にあるのは
っうっせーな反省してまーす
こうした考えなのだろうと思います。
駅田さま
>他人に厳しく自身の業界には甘い
「他人に厳しくしても、局内の空気に影響しないが、身内に厳しくすると局内の空気に影響する」からではないでしょうか。
「社内特別調査チーム」設置はよいが
(テレビ)業界体質(原作軽視)が問題となるのでNHKを含むキー局の第三者委員会を設置しなければ問題解決にはならない
故人にはちょっと酷だが
テレビや出版社を「話せばわかる」と思い込んでしまった「ひとのよさ」があると思う
出版社の圧力と「砂時計」のヒットが今回の映像化に繋がったと推測します
結果論になりますが
出版社からの圧力があったとしても「気がのらない」映像化は拒否すべきだったと思います
この件を放置してたプロデューサーが早速4月から小学館漫画原作のドラマを続けてやるとか、ATMを笑えないくらい日テレの腐敗は末期ですね・・・。
今回の「社内特別調査チーム」とやらの設置はどういう意図なのでしょうかね?
①責任を押し付け合うのに失敗したので止む無く設置、生贄を選ぶ為
②漫画家たちと株主たちの怒りを恐れて嫌々設置した、でも対策は打ちたくない
③嵐が過ぎ去るのを待つ方針は変わらなく、時間稼ぎの為にやっているフリなだけ
④上手くネットユーザーのせいに出来ていないのでどうすべきか、と言う会議
思いつく限りはこんな所ですが……今までの印象からすると③と④の組み合わせかな?
そのうち、ネットに日テレの内部告発者が現れるのではないでしょうか。ただし、これが本当に日テレ内部の人間によるものか、下請けの人間によるものか、彼の言っていることが正しいかは分かりませんが。
もしそうなったら、日テレは必死になって、内部告発者探しを始めるでしょう。
「原作者と脚本家とのあるべきスタンスとは?」
みたいな方向にミスリードされていますが、笑止千万。
あちこちで書かれていますが、その命題だと
①原作者○
②原作者×
③脚本家○
④脚本家×
の4象限のマトリクスに整理されます。
どの象限でも名作もあれば駄作もあるので、
「その命題の立て方は間違ってる」
「なんの差異も示せていない」
Sキングとスタンリーキューブリックが互いにどれほど激怒しようが、
『シャイニング』
は原作小説も映画も名作ですから。
そんなことはどーでもいいのですよ。
旭川のイジメ自殺みたいに、死人が出てるのに犯人どころか容疑者も居ない。
監督責任なんかないし、結果責任を負う部署も人も居ない。
(ならば黙っていればいいはずなのにネ)
黙ってたらいいはずの、日テレと小学館は、当時も今も
「黙ってない」
ですよね。
監督責任も結果責任も、負うべき立場の人たちですわ。
なにもいつまでも白々しくトボけているのやら。
内部証言は、個人的には期待薄だと思います。
ネズミ講のピラミッドがあまりにも広くて高いので、ちょっとやそっとでは致命傷にならんので、誰もゲロしないんじゃあなかろか。
知らんけど。
もう食うに困らない大先生の漫画家先輩たちが、後輩たちのために頑張ってあげてもらえたらなぁーと、思います。