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日経ですら苦戦か…新聞の「電子媒体化」が難しい現状

経済ジャーナリストの磯山友幸氏によると、デジタル版が「成功している」といわれている日経新聞でさえ、電子版は100万契約に過ぎないのだそうです。そういえば、株式会社朝日新聞社が公表している『朝日新聞メディア指標』でも、朝デジ有料会員数は30万人少々で、最近微減傾向にあります。新聞部数がこれからどうなるかはわかりませんが、直線シナリオでも2034年前後に、下手をしたらそれよりももっと前に、紙の新聞が滅亡してしまう可能性が濃厚になってきました。

「エビデンスで殴るな」

新聞、テレビなど、オールドメディア側から最近、上がっている悲鳴がある。

それは、「エビデンスで殴るな」、だ。

エビデンスとは、わかりやすくいえば、「証拠」、転じて「その記事が正しいといえる根拠」のことだ。新聞記事を書く、あるいはテレビで報道をする際に、それが事実である根拠が必要なのだが、インターネットが発達してきたことにより、新聞やテレビがろくにエビデンスもなしに報じていることがバレてしまったのだ。

最近だとむしろ逆に、一部のオールドメディアの報道に「エビデンスがない」ことが、エビデンス付きで拡散される始末だ。

だからこそ、一部のメディアからは、「エビデンス?ねーよ、そんなもん」、「エビデンスで殴るな!」といった声が聞こえてくるのだろう。

新聞部数とそのからくり

新聞発行部数データをどう見るのが正しいのか

年初の『「新聞がなくなったら社会に莫大な利益」とする考え方』を含め、当ウェブサイトで頻繁に取り上げる話題のひとつが、「新聞部数の推移」です(元データは一般社団法人日本新聞協会が毎年・年末ごろに発表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』というページで入手可能です)。

これによると新聞の「合計部数」は2023年10月時点で2859万部であり、データが存在する最も古い2000年の5371万部と比べ、2512万部も減りました。つまり、この24年間で、46.77%に相当する部数が失われた計算です。

ただし、以前から当ウェブサイトでしばしば指摘してきたとおり、この減少率は「統計のマジック」に基づき、過少計上されている可能性があります。

そのカギは、「朝夕刊セット」というカウント方法にあります。

セット部数を1部とカウントする方法だと減少率は30%程度

新聞協会の元データだと、「セット部数」は1部とカウントされ、「合計」はこの「セット部数」に「朝刊単独部数」と「夕刊単独部数」を足して求められています(図表1。なお図表では便宜上、これらの合計を「合計①」と表現します)。

図表1 新聞協会が公表する「合計」とその内訳
区分 2023年 2000年との比較
合計① 2859万部 ▲2512万部(▲46.77%)
セット部数 446万部 ▲1373万部(▲75.50%)
朝刊単独部数 2368万部 ▲1002万部(▲29.73%)
夕刊単独部数 45万部 ▲137万部(▲75.11%)

(【出所】日本新聞協会データをもとに作成)

これで見ると、「合計①」を2000年と比べると、たしかに減り方は46.77%であり、大きく減ってはいるものの、「半減」というほどのレベルではありません(そうなるのも時間の問題ですが)。

また、「セット部数」や「夕刊単独部数」については75%以上減っていることが確認できるものの、「朝刊単独部数」に関しては減り方は30%未満となっています。

このことから、「新聞部数の減少はおもに夕刊とセット部数が減ったことによるものであり、朝刊は意外と減っていない」、といった結論を導いてしまうかもしれません

しかし、この「合計①」の考え方には、なんだか違和感もあります。日本全体として発行されているのは「朝刊」と「夕刊」であり、「セット部数」は朝夕刊をセットで購読するという「契約形態の違い」を述べているにすぎないからです。

実態に即しているのは「セット部数」を2部に分解する方法

そして、結論的にいえば、「朝刊部数は意外と減っていない」とする考察は、正しくありません。

その判断基準のひとつが、当ウェブサイトで積極的に使用している考え方――セット部数を朝刊と夕刊に分解し、それぞれ単独部数と合算することで求めた「朝刊部数」と「夕刊部数」の概念です(図表2。なお、図表では便宜上、これらの合計を「合計②」と表現します)。

図表2 「セット部数」を朝刊と夕刊に分解した場合の部数
区分 2023年 2000年との比較
合計② 3305万部 ▲3885万部(▲54.04%)
朝刊部数 2814万部 ▲2375万部(▲45.77%)
夕刊部数 491万部 ▲1510万部(▲75.46%)

(【出所】日本新聞協会データをもとに作成)

図表1と図表2を見比べて気付くのは、2000年と比較したときの部数の減り方です。

「合計②」は、2000年と比べて3885万部減って3305万部となっていることが確認できます。つまり、部数は「半分以下に減った」、ということです(実際、減少率も54.04%と半分を超えています)。

また、夕刊部数の減少率に関しては、図表1も図表2も大差ないのですが、朝刊部数に関しては、図表2だと減少率が45.77%と、半分近く減ったことがわかります。

このことから、図表1に示した「朝刊単独部数」の減少が緩やかだった理由は、「夕刊を取る人が減った」、「夕刊の発行を取りやめる新聞社が増えた」などの事情で夕刊部数が減少し、とくにセット契約に関しては「朝刊単独」の契約に振り替える人が増えただけのことだ、といった仮説が成り立ちます。

部数減少ペースは徐々に加速している:遅くとも2034年~36年頃に消滅へ

そうなると、やはり新聞業界が危機的状況にあることは間違いありません。

しかも、部数の減少速度は、近年、加速傾向にあります。

図表3は、新聞の合計部数(図表2でいうところの「合計②」)を2002年以降、3年刻みにして、その部数がどう推移して来たかを示したものです。

図表3 合計部数の増減

(【出所】日本新聞協会データをもとに作成。なお、「合計部数」はセット部数を朝刊1部、夕刊1部の合計2部とカウントし直して集計したもの)

これによると、2020年から23年にかけての部数の減少は930万部(年間平均310万部)で、コロナ禍で新聞部数が大きく減った2020年のデータが含まれている2017年から30年にかけての減少(948万部、年平均316万部)と比べれば、ややマシになりましたが、それでも年間300万部前後のペースで部数が減っていることは間違いありません。

このペースで部数が減り続ければ、遅くとも11~12年で新聞部数がゼロになってしまうという計算です。

ちなみに『日本新聞年鑑』という冊子を参考に、新聞協会ホームページには掲載されていない2000年以前のデータを手入力し、そのうえで2023年から遡って3年分のトレンドをもとに、部数が直線的に減っていくとする仮定を置いて部数がゼロになるまでの年数を求めてみると、興味深いことがわかります。

図表1に示した「合計①」の場合だと部数がゼロになるのは2036年ごろですが、図表2に示した「合計②」の場合だと、それより2年前倒しで、2034年には部数がゼロになってしまいます(図表4)。

図表4 新聞合計部数の推移と予測(直線シナリオ)

(【出所】日本新聞協会データおよび『日本新聞年鑑2023』をもとに作成。なお、「合計①」は日本新聞協会データ通り、「部数②」はセット部数を朝刊1部、夕刊1部の合計2部とカウントし直して集計したもの)

新聞社の経営問題を考える

現実には損益分岐点の問題が!

ただ、この「部数がゼロになるのは2034年か、2036年か」を議論しても、正直、あまり意味はありません。通常、部数がゼロになる前に、新聞社の多くは新聞発行を断念せざるを得なくなるからです。

このことを考える上では、まず、「新聞自体が装置産業」である、という点を踏まえる必要があります。というのも、大変に高価な輪転機を含め、新聞印刷工場には巨額の設備投資が必要だからです。

また、必要なのは輪転機だけではありません。刷り上がった新聞を各地の新聞販売店に配送するためのトラックも必要ですし、日々、新聞を印刷するための紙代やインク代といった変動費もバカになりません。さらには新聞を人海戦術で届けるための各販売店の配達員に払う給料も大変です。

(余談ですが、もしも新聞が「紙媒体」でなく、すべてウェブ上で完結するなどしていれば、輪転機もトラックも販売店も不要、というわけです。)

ということは、一般に新聞社の損益構造上、新聞の売上や広告収入といった収入に対し、設備投資に伴う減価償却費などの固定費の割合が高く、これに加えて紙代や印刷代、配達員などの人件費といった変動費・純変動費も重くのしかかってくるのです。

固定費すら賄えなくなったらその時点で終了

これを、もう少し具体的に見ていきましょう。

ある新聞の年間売上高(購読料や広告収入など)が1部a円、年間製造コストが1部b円、年間の固定費がC円だったと仮定し、新聞部数がX部だったとしたら、この企業の利益Yは次の計算式で求められます。

Y=(a-b)X-C…①

①式において、利益Yがゼロになる部数のことを、一般に損益分岐点と呼びます。

この場合、損益分岐点部数は、次の②式で求められます。

X=C/(a-b)…②

仮にある新聞社の年間の固定費Cが1000億円、新聞1部あたりの年間売上高がaが8万円、年間製造コストbが3万円だったとすれば、この新聞社の損益分岐点部数は200万部です(ちょうど某大手新聞社の場合がこのくらいの水準です)。

つまり、この「損益分岐点」とは「新聞事業を赤字に転落させないために最低限必要な売上高」のことであり、この損益分岐点を割り込んだら、その社はもう「新聞を発行しない方が儲かる」という状態に転落することを意味します。

つまり、収益構造として、巨額の固定費が賄えなくなってきたら「ジ・エンド」、です。

もちろん、この損益分岐点は、「固定費を圧縮する」、「利益率を改善する」などの手法で改善を図ることが可能ですが、それだけで売上の低迷に対抗することはできません。

ということは、このまま新聞の売上低迷が続けば、そもそも新聞事業を継続できなくなる社が続出することは確実です。ですので、新聞業界が滅亡から逃れるためには、技術的には「紙媒体からの脱却」、本質的には「読者が求めているものを愚直に提供すること」が必要なのではないでしょうか。

新聞社が倒産を回避方法①脱紙媒体

さて、新聞社が倒産を回避する方法はいくつかあります。

たとえば某新聞社のように不動産業や投資業を本業とし、新聞発行は「副業」のように位置付けてしまう、というのがわかりやすいやり方ですが、残念ながらこの方法は、優良資産の蓄積がなければ採用することができません。

そうなると、新聞社が生き残りを賭けるならば、結局のところは「脱・紙媒体」が最も手っ取り早いはずです。

数年前であれば、「新聞」社と名乗りながら紙の新聞を発行しないというのも一見すると奇妙でしたが、最近だとむしろ、世界的には紙を印刷しない「新聞」社が増えているのが実情ではないでしょうか。

米メディア『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)や英メディア『フィナンシャル・タイムズ』(FT)などがその典型例ですが、経済・金融紙を中心に、こうした「紙を発行しない新聞社」が増えていることは間違いありません。

考えてみれば、「紙に印刷しない」、あるいは「新聞工場を他社と共通化する」などの対策を取れば、そもそも論として輪転機などの設備投資をする必要がなくなるなど、固定費を大幅に圧縮することができますし、また、用紙代、インク代といった変動経費も大きく抑えることができます。

また、それをやることで配送トラック、新聞販売店の配達員といった労働力は開放されます。

この労働力不足の折、また、ネット通販などの需要が伸びていて、ただでさえ配達員不足が指摘される折、新聞配達という「非効率な」(失礼!)産業から労働力が開放されれば、そのこと自体が社会全体のためにもなるでしょう。

新聞社が倒産を回避方法②水に着色することをやめる

ただ、「新聞産業では新聞紙の印刷に異常にカネがかかる」ということは、誰でも知っているはずの事ですが、なぜ新聞社はそれをわかっていて、新聞をウェブ化しようとしないのでしょうか?

想像するに、その理由は、新聞をウェブ化した場合、「惰性で新聞を取っている人たち」が逃げてしまうことを新聞社が恐れているからではないでしょうか?

この「惰性で新聞を取っている人が多い」というのは、意外と正確な仮説ではないかと個人的には考えています。

つまり、「紙媒体の新聞発行を取り止めて、すべてウェブに移行する」、などと宣言した場合には、そのことによって、少なくともインターネットになじみがない人たちがその新聞の購読を止めてしまう恐れがあるのに加え、インターネットになじみがある人たちも、有料契約に移行してくれるという保証がないのでしょう。

結局のところ、これも新聞社が今まで「色水」を垂れ流し続けて来たツケを払わされているようなものではないでしょうか。

一般に、私たち読者が新聞に求めているのは、まず第一に「正確な情報」であるはずです。私たちが水道の蛇口をひねったときに色着きの水が出て来ると、私たちは困惑するはずです。なぜなら、私たちが水道に期待するのは、無味・無色で透明な水であって、色水ではないからです。

新聞もこれとまったく同じであり、新聞社が配信する記事に、その新聞社としての「色」がついているのは、ときとして読者を困惑させます。

もちろん、社説のように「その新聞社のカラー」を思う存分に出した記事・コーナー・コラムなどがあっても良いとは思いますが、通常の記事にまでこうした色がついてしまうと、私たち読者としては、その新聞の情報を信頼することができません。

新聞の報道は、得てして、この「新聞社側が勝手に色を付ける」というものが多いように見受けられます。これを、新聞業界の用語では「角度を付ける」、などと表現するようですが、正直、報道で勝手に角度を付けられると、私たち一般国民としては困惑せざるを得ません。

事件、事故、あるいは政治家の言動などに関し、それらがどういう意味を持つかを判断するのは私たち一般国民の役割であって、新聞社の役割ではないからです。

このあたりを誤解している新聞社は、かなり多いのが実情です。

電子化への厳しい道のり

新聞社は実際のところどうなのか

こうしたなか、経済ジャーナリストで千葉商科大教授・元日経新聞記者の磯山友幸氏が執筆した記事を、ウェブ評論サイト『プレジデントオンライン』が2日、配信しています。

このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも”質が落ちた”と苦言を呈される残念な理由

―――2024/02/02 11:17付 Yahoo!ニュースより【プレジデントオンライン配信】

磯山氏は新聞協会のデータをもとに、新聞発行部数は全盛期だった1997年の5376万部から2023年には2859万部にまで減ったことで、「四半世紀で2500万部が消えたことになる」、「全盛期の読売、朝日、毎日の各紙の発行部数が「すべてごっそり無くなったのと同じである」、などと指摘。

このまま毎年225万部ずつ減り続けたとしたら「紙の新聞は2036年に姿を消す計算」となる、と予測しています。

この予測自体、本稿冒頭で指摘したとおり、新聞協会の「セット部数」という数値をベースにしたものであり、若干不正確ではありますが(当ウェブサイトの「予測直線シナリオ」では、新聞部数がゼロになるのは2036年ではなく2034年です)、この点はとりあえず脇に置きます。

磯山氏の論考では、興味深いデータがいくつか出てくるのです。

たとえば、磯山氏は現在教鞭をとっている大学で、学生に対し「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いているのだそうですが、2023年度は延べ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達したそうです。

これに対し、新聞を「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%に過ぎず、この数には自宅通学製で親御さんが新聞を定期購読しているというケースも含まれているはずですので、紙の新聞を毎日読んでいるという学生は「ごくわずか」、という計算です。

平成時代初期に大学生だったという人にとっては、この1.3%という数値は衝撃的なものかもしれません。当時は大学生も新聞で情報を得ていたからです。

デジタル移行が簡単ではない事情

ただ、磯山氏の論考で興味深いのは、紙の新聞が廃れたからといって、デジタル版にスムーズに移行できるというものではない、という事情でしょう。

磯山氏は「学生の情報源はタダのSNSが主体」、「ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない」とし、こう所見を述べます。

つまり、情報を得るために『新聞』を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える」。

この点は、まったくそのとおりでしょう。

言い換えれば、新聞ごときにカネを払う価値はないと多くの人が考え始めている、ということです。

そうなると、「新聞社が儲からなくなり」、「人材も育たなくなっている」、というのが磯山氏の危機意識です(※といっても正直、記者クラブに所属しているだけで仕事をした気になっていた人たちが多い新聞社に、これまで「人材」がいたのかは、個人的には疑問ですが…)。

そのうえ、磯山氏は衝撃的な情報を述べます。

それが、「『成功している』日経ですら電子版は100万契約にすぎない」、とする記述です。

  • デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるだろう。確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける」。
  • デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。<中略>1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少している」。

これは、事実だとしたら、衝撃的な話です。

朝日新聞メディア指標

正直、この「日経電子版の有料契約数は100万人」とする情報には、驚きます。

日本にはかつて、紙媒体の日経新聞を読んでいた人たちが300万人はいたはずなのに、それがちょうど3分の1に減ってしまったというわけですし、また、一部報道ではこの購読者数も頭打ちで、最近だと現象が始まっている、などとする情報もあるからです。

こうしたなかで、もうひとつ衝撃的な話題があるとすれば、株式会社朝日新聞社が2022年12月以降、公表を始めた『朝日新聞メディア指標』でしょう(図表5)。

図表5 朝日新聞メディア指標の一部
時点 朝刊部数 朝デジ有料会員 合計
2022年12月 383.8万 30.5万 414.3万
2023年3月 376.1万 30.5万 406.6万
2023年9月 357.3万 30.3万 387.6万

(【出所】株式会社朝日新聞社・コーポレートサイトの報道発表をもとに作成。なお、「朝刊部数」はABC部数を意味する)

株式会社朝日新聞社によると、朝刊部数(※ABC部数)は減少の一途を辿っていますが、そのわりに、朝日新聞デジタル有料会員数は30万人少々という状況からほとんど増えておらず、直近の2023年9月時点ではむしろ減少に転じていることが確認できます。

最大手の一角を占める朝日新聞ですらこのような状況なのですから、他紙の状況も推して知るべしでしょう。

(※なお、磯山氏の記事にも出て来た読売新聞の場合だと、そもそもデジタル版契約が存在しないようですが、それは読売新聞の戦略なのでしょうか?)

エビデンス付きで報じれば良いだけでは?

ただ、同じことを何度も繰り返すようで恐縮ですが、新聞社が倒産を回避しようと思うならば、結局のところ、「報道のプロフェッショナル」として、エビデンス付きで記事を報じるようにすれば済むのではないでしょうか?

日本でも最も優れた韓国観察者のひとりとして知られる鈴置高史氏も新聞記者の出身ですが、その鈴置氏の記事にファンが多いのは、鈴置氏が豊富なエビデンス付きで、かつ、一貫した視点で「韓国・朝鮮半島観察」にライフワークとして取り組んでいるからでしょう。

残念ながら、鈴置氏のこうしたエビデンスに立脚した論じ方は、新聞業界では決してスタンダードとはいえないようですが、それでも新聞業界が生き残りを賭けるならば、(鈴置氏ほど徹底するのは難しいかもしれないとはいえ)エビデンス主義に立ち返るより方法はないように思えます。

あるいはいっそのこと、「当社はウソの新聞だ」、などと開き直り、フィクションとプロパガンダ専門のメディアに衣替えして、「その手の人たち」からの熱狂的支持を受けることを目指すか、でしょう。

(※なお、余談ですが、くれぐれも検索エンジンで「うそのしんぶん」などと検索したりしないでください。そう、心よりお願い申し上げます。)

新宿会計士:

View Comments (33)

  • つい、誘惑に負けて検索してしまいましたw
    PCの画面が一面某新聞社で埋められてしまい、爆笑してしまいました。

  • 「タダ読み上等、新聞記事」
    目っきり存在感を薄めてしまった新聞紙。人がそれを手にとり読んでいる光景は電車の中ではかつて普通にありました。今誰が読んでいますか。読了後の新聞がゴミ箱に投じられているの最後に目にしたのがいつかもう思い出せません。
    今般新聞記者たちのやっているのは賽の河原の石積み行為と同じです。24時間後には自分たちの積み上げた石山を崩してやり直しているのですから。なんと哀れな職業集団なのでしょうか。

    • >賽の河原の石積み行為と同じ

      24時間でリセットせずに、取材報道のたびに自らが成長する新聞社であったなら随分違う未来があったのでしょうけどね。
      コンテンツ商売と装置産業の相性の悪さでしょうかね。

    • 今朝のパワーワード検索はこれだ
       「白いワニ 原稿用紙」

  • 役所のお知らせも、欠陥商品のリコール情報も、無料で入手できる時代に、メディアが報じないと知ることができない情報には何があって、読者や視聴者はそれに対して、いくらまでならお金を払ってもいいと考えるか・・・それが均衡するところまで、メディアの縮小は続くでしょう。ただ、着色されていない情報は、それこそ役所や企業が直接発信できる時代なわけですが。

    • >メディアが報じないと知ることができない情報
      有名人のスキャンダル、捜査情報、・・・どれも大半の人にとっては、逐一知る必要もないものばかりですね。

      報じない記事に重要な情報が隠されているから、余計に不信感が増す。

    • >メディアが報じないと知ることができない情報

      有名人のスキャンダル、捜査情報、・・・大半の人にとっては逐一知る必要のないものですね。憶測が飛び交う分、むしろ害悪と思えます。メディアはそれが狙いなのでしょうが。

      メディアは、自分たちが「悪」と認定した者に対しては、徹底的に追及し、その相手を社会的に抹殺することが可能な、巨大な権力者である。しかも、一方の主張だけで記事を起こし、信憑性が疑わしいものも多い。
      また、当事者間で民事で解決すべき問題を、わざわざメディアが取り上げて問題化し、いかにも社会正義を実現しているかのように装う風潮も気持ち悪い。

  •  磯山氏の指摘通りならば、新聞業界のどこの社も、どの経営者も、どの責任者も、漏れなく"自分が作っている製品の本質と顧客に期待されている事"を全く理解していなかったということになります。特に「ベタ記事に貴重な情報が隠されている」という下りですが……

     隠 し て ど う す る 。

     そのくせ、何段抜きの大見出しとかいう記事の方に、各社で一刻を争いあい金をかけ時に関係者の命を奪いすらしながら、そのくせ大抵は横並びで同じ記事を書いているわけで。わけがわかりません。

     ただ、"価値がある商品"と"売れる商品"には、時として乖離があるという事はあります。私が生産している製品にしても、[価値がある=消費者(二次顧客)に望まれる商品]は[美味しくて安全な野菜]かと思いますが、[売れる=市場、卸(一次顧客)に望まれ実際に注力する商品]は[安定供給できて見た目の良い野菜]になってしまいますし。幸運なことに、或いは先達の努力か、それらは両立しますが。
     「コストを下げて見た目は良いがマズイ野菜を作ってやるぜ!」とか思ったとしても、そんなことやりようがありません。新聞業界にしてもそんなことをしようとしたわけではないでしょうか、結果的にそんな状態になってしまっているのでは。

    • 農民さま

      >コストを下げて見た目は良いがマズイ野菜を作ってやるぜ

      ナイスです。
      ページビューカウント増を必達目標にしてずぶずぶ水増しページの粗製濫造に熱を入れている NHK や新聞社に聞かせてやってください。

      • >ページビューカウント増を必達目標にしてずぶずぶ水増しページの粗製濫造に熱を入れている

        ほとんどの雑誌やスポーツ紙もそうでしょうね。

      • 文字の書かれていない原稿用紙のなんと見目麗しいことでしょう。

  • 磯山氏の元記事、ベタ記事の行などはちょっと面白かったです。

    >新聞社は取材を通じて勉強していくOJTが伝統で
    >OJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっている
    >紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としている。

    バブル崩壊後に極端に採用を絞った日本企業の事例をいくらでも報じてきた新聞ですから、その処方箋のひとつくらい持ってそうに思うんですがね。(棒)

    また元記事では、紙媒体を維持するためのデジタル会員の建付けなので、日経デジタル会員が100万部でも足りないとなってるんですよね。
    良し悪しは別として、紙はなくなる運命と数十年前から気楽に思う私なんぞと違い、新聞記者さんは紙媒体へのこだわりがあるんだなぁと改めて思った次第。

    • 「昭和99年型伝統的日本型産業の鑑、それが新聞社」
      社会に模範を見せて回っているのです。言論指の指弾先が新聞記者に向かっていることに気がつかないでいるでしょう。

  • 私の二男が親元を離れ大学生活をスタートさせたのは、2011年、そうあの東日本大震災の年でした。入学した学部が学部(政策系)でしたので、とりあえず学生限定の4年間契約という触れ込みで相当安いコースがある新聞の購入の契約を結んでやったのですが、これは見事なまでに大失敗に終わりました。

    二男は受験の前には新聞のコラム等を書き写したりして文章力アップをはかっていたくせに、入学した途端すっかり新聞を読まなくなってしまったのです。たまにアパートを尋ねると、いつも部屋の片隅には全然読んだ形跡のない新聞の束が山積みになっおりました。

    模擬国連とか云う意識高い系のサークルに一時期とはいえ入っていたくせに、新聞も読まんのかーい!?と何度も叱ったのですが、全然駄目でしたね。
    まっ、それでも時々は目を通していたようでしたが・・・。

    しかし私の友人の中にもインターネットが普及し始めて以後、新聞の購入をやめたのが何人もいますから、倅のことだけを詰るわけにはいかないご時世になってしまったのかもしれません。

    そういえばあのジャーナリストの長谷川幸洋氏も、ご自身が勤務しておられた東京新聞の購入を現役時代に止めてしまい、上司に呼び出されて嫌みを言われたことがあったそうです。(笑)

    無論長谷川氏が東京新聞の購読を止めたワケは、私の倅が新聞を殆ど読まなかったそれとは、全く次元の違う事情がおありだったのでしょうが・・・。

  • サイト主どの

    >余談ですが、もしも新聞が「紙媒体」でなく、すべてウェブ上で完結するなどしていれば、輪転機もトラックも販売店も不要、というわけです。

    しかも電子媒体を読む通信代は(たいていの場合)読者の自腹です。
    こんぱん著名報道機関ニュースサイトのトップページを開いたとします。全情報のロードが終了するまでとてつもない通信量を費やしてしまう。ネットの利便性にただ乗りしているは新聞記者のほうではありませんか。旧ツイッターで誤謬を正されるのが嫌ならポストを止めばいいだけのこと。刺されたくないならネットを使うな、ということになりませんかね。人目に触れない文章はこの世に存在しないのと同じです。

  • >惰性で新聞を取っている人が多い

    この惰性の中身はどうなのだろう?

    以前は、苛烈な新聞勧誘合戦があり、景品で購読者を獲得していたが、それが禁止され、今はどのように新規購読者を獲得しているのだろう?
    景品で獲得するのは、中身が無いからか?

    昔から、
    1.中身で勝負の顧客開拓は考えもしなかったか、
    2.中身を充実させる気なんて考えることも無かったか(新聞は売れるものという先入主があったから)
    3.そんな事は元々無理と思っていたか、
    4.そんな事はしなくても客は離れないと高を括る何かがあると確信があったか?
    (これは、自分達が情報独占しているという自覚があったことは間違いない)

    ここには、何にせよ、新聞は刷れば売れるもの、という「惰性的な考え」があったように見える。
    今もその昔の傲慢な夢の余韻に縋っている節がある。

    次に、購読者。
    「新聞は取るもの、読んでも読まなくても、一家に一紙は当たり前」みたいな「惰性的な考え」があったかもしれない。
    その惰性を止めたくないものだから、チラシが欲しいという代替的な言い訳を使って自分を誤魔化しているのかもしれない。人間、惰性的な習慣を変えることは難しい。

    惰性で、毎日中身のない新聞「紙」をめくる夫、惰性でチラシを見て買い物に行く妻、この世代が要介護世代に移行すれば、新聞紙の「破断点」が訪れるのかもしれない(という一つの観察)。

    何事も、表面的変化は緩やかに見えても、内部応力の臨界値に達すれば、一瞬に破断が訪れる。
    損益分岐点=臨界値だが、内部留保を使い尽くすまで続けるつもりなら、時間は延びる。
    果たして、新聞各社の内情は如何に?

    • 尚、新聞各社が、ネットの電子版に移行して事業が成り立つことは、上記の内容からも無理である事は、明白。
      何故なら、日本の新聞社のビジネスモデルの根底は、新聞社が情報独占出来るという特権の上に構築されたもので、購読者に本当の良質な情報を真摯に届けるという根底から構築されたものではないから。
      情報の中身がどんなものかが直ぐにバレてしまうネット社会では、新聞やTVの、自分達だけが情報独占出来るという前提のビジネスモデルは、決して成り立たない。
      が、これに今も気が付かない、情報白痴のオールドメディア。昔の夢の土台はもうとっくに無いのに!

      アメリカの新聞メディアが、ネットで客数を増やせる理由は。
      元から、国土の広い米国では全国紙というものが成り立たない。だから、有名新聞社でも、日本のローカル紙並みの部数しか発行出来ない。その中での競争だから、情報の中身は本物でなければ、読者は獲得出来なかった。
      中身が本物だから、ネット社会で、物理的リーチの壁という問題がなくなれば、読者が増えるのは、当然。
      こんな事は、本物の情報を見分ける力があれば直ぐに分かること。
      まあ、読売新聞が、今の所、ネットの電子版に乗り出さないのは、これが分かっているからかもしれない。

    • >ビジネスモデルの根底は、新聞社が情報独占出来るという特権の上に構築されたもの

      見事な喝破感服いたします。
      ライバル攻撃に対する異常な執着性もそれで説明が付きます。

    • 「新聞代の値上げのたびに、再契約を結ばないとならない」となったら、惰性で新聞を宅配してもらっている読者は、(再契約するのが面倒で)離れていくのかな。(電子新聞になったら、ネットで簡単に契約終了を通知できるようになることを恐れて、新聞社は電子新聞に力を入れていないのでは)

    • 一度申し込みをすると契約解除しようにも簡単にはできないようになっている。
      はて、どこかで聞いた話ですね。

  • 毎度、ばかばかしいお話を。
    新聞社社長:「どうして、我が社の電子新聞は伸びないのだ。○○部長、何とかしろ」
    ありそうだな。

    • 編集「社長、お言葉ですが、記事のばら売りが進んでおり、親指スワイプで記事が選ばれてしまう時代になっているのです。弊社のウェブトップサイトは読まれない情報が多過ぎてスマホ利用者には嫌われ避けられるようになっています。ページが重いって。ですからわれわれ編集部は記事をニュースポータルサイトに卸して読者を呼び込む戦略を取らざるを得ない。なぜなら読まれない文章はこの世に存在しないのと同じだからです」
      社長「売り上げはどうやって確保しろというのか、paywall があるだろう」
      編集「社長、お言葉ですが、見えないものには注意を払ってもらえません。袋とじページ目当てにお金を払ってもらえる時代ではないのです」
      社長「えーぃ、こんな商売は止めだ」
      編集「その言葉を待っておりました。割り増し退職金を弾んでいただければ、いつでも退職勧告を請けます」

      • 食卓にて
        母「お父さん、会社辞めるって」
        娘「失業保険たくさん払って来たからダイジョウブよね」
        母「これを機会に筆を折って、別業界に転進しようかと弱気なの」
        娘「いいんじゃない。そうだ。
          パパ、ギャグの才能があるから、Youtuber になってチャネルホスト役を演じてたら評判になるかも」
        母「何をネタにするのよ」
        娘「新聞社に決まってるじゃないの」

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