「自宅が負債になる」。昭和時代だと考えられなかった話かもしれませんが、令和時代だとこれは徐々に常識になりつつあるのかもしれません。とくに昭和時代などに大きな家に住んでいた三世代の家族も、子供が成長して就職・結婚などで自宅を出てしまうなどすると、夫婦で大きな家に住むことになってしまう、という事例もあります。
家は資産?負債?
「家は資産」。
昭和時代、とりわけバブル期には「土地神話」のようなものがあり、「土地さえあればいざというときの資産になる」という発想が一般的だったような気がします。
ただ、最近になって、じつは家や土地は資産ではなく負債ではないか、といった点が、少しずつ認識され始めたのではないでしょうか。不動産を巡っては最近、「不動産」ではなく、「負動産」といった用語も出ていますが、これは処分をするのに費用が掛かることもある、という意味合いも込められているようです。
この「負動産」は、じつは令和時代の常識となりつつあります。
実家じまいに関する興味深い動画
とくに、たとえば▼昭和時代に郊外に自宅を買い、子供部屋を設けていたようなケース、▼二世帯・三世帯住宅だったケース――など、なかなかに大変です。著者自身や親戚・知り合いの事例、あるいはYouTubeなどでアップロードされている事例などを集めていくと、さまざまな苦悩があります。
たとえば、こんな具合です。
「実家は祖父母、両親、姉妹の3代にわたって同居していた6LDKの大所帯だ。姉妹は2人とも実家を出ており、祖父母も十数年前、相次いで他界したため、両親だけでこの大所帯に暮らしていた。ところが父が亡くなり、母が1人でこの家に住むのが大変になってしまった」。
ほかにも、たとえば「実家で独り暮らしをしていた親が亡くなった」、「親が他界後も実家で兄弟で暮らしていたが、片方が結婚して家を出ることになり、もう片方も家が広すぎるので、もう少し小さな物件で独り暮らしをしようと思った」、など、動機は様々です。
震災でミニマリストに転向してしまった人も!
家族が数十年にわたって暮らしてきた自宅を「片づける」のは、じつは容易ではありません。
たとえば、とある人の事例では、父親が他界して母親が老人ホームに入ることになり、実家を売らなければならなくなったという事例では、「そもそも狭い家にどうやってこんなにモノが入ったのか」、というくらいに大量の荷物が出て来て困ったのだそうです。
お父様の趣味だったレコードや大量の書籍、お母様の趣味だった着物などは、多くの場合、業者に買い取ってもらおうと思っても二束三文の値段しかつかなかったりしますし、贈答用のタオルだ、食器だといった小物も、なかなか引き取り手がいません。
某ファミリーレストランでお子様セットを何回か頼むと貰えるキャラクターものの食器(もちろん不揃い)も問題ですし、際限なく出て来る衣類の処分も困りものです。最近だと個人情報の塊である古いPC・携帯電話・スマートフォンなどの処分も、大きな課題でしょう。
こうしたなかで、著者自身の知り合いのなかには大震災を経験し、「ミニマリスト」に転向してしまった、という事例があります。
なんでもこの方は、大震災の発生直後に近所の家が倒壊し(※幸いながら住人の方は全員無事だったそうです)、倒壊した家からヒラヒラと家族写真などが飛散しているのを目撃して、「モノを溜め込んでも地震などの災害ですべて壊れる」と「悟った」のだそうです。
それ以来、この人は▼衣類も最低限しか買わず、礼服はレンタルで済ます、▼書籍は図書館で借りるか、買ってきても読み終わったらブックオフに売却する、▼テレビは買わない――などを実践しているのだそうです。
ちなみにこの人の実家は「震災でなくなってしまった」のだそうであり(といっても物理的に消滅したのではなく、あくまでも震災をきっかけに片づけた、ということです)、実際、この人の自宅にはほとんどものがありません。
え?たった3畳で暮らせるんですか?
ちなみに余談ですが、「荷物をほとんど持たない人」は一般に「ミニマリスト」などと呼ばれ、YouTubeを調べていくとこうした「ミニマリスト」の事例は多く見られ、たとえば「3畳ワンルームで暮らす人」の動画なども人気を博しているようです。
やたらと狭い部屋に、机、ベッドと並んで約24万円で購入したという全自動洗濯乾燥機が鎮座しているのはなかなかにシュールです(※ちなみになぜこんな大きな洗濯機があるのかという理由については動画内で触れられています)。
著者自身は仮に独り暮らしになったとして、さすがにここまで狭い部屋で暮らしていける自信はありませんが、ひとつの事例としては興味深いところでしょう。
書籍をデータ化すれば…!?
こうしたなかで、著者自身が密かに、当面の目標としていることがひとつあります。
それは、自宅にも事務所にも大量にある紙媒体の資料を、可能な限り電子化することです。
先日、ためしに日本公認会計士協会が刊行している機関紙『会計・監査ジャーナル』を裁断機で分解し、スキャナーで取り込んでみました。
オートシートフィーダー付き・両面読み込み対応のスキャナーを使えば、1号当たりに必要な時間は数分で、フルカラーで高画質にしたとすれば、必要なメモリは1号当たり500メガバイト前後、といったところです。
500メガバイトといえば、かつて1980年代後半から90年代前半にかけて大流行したCDロムのゲーム1本とほぼ同じ容量です。
ただ、最近だと2テラバイト(2,097,152メガバイト)のSSDの価格が1万円前後で手に入りますので、『会計・監査ジャーナル』はこのSSDに4,194冊保存できる計算です。1冊あたりの保管コストは2.5円、といったところでしょうか。
このように考えていくと、少し時間ができれば、著者自身は保有している書籍のなかでいつまでも保管したいと思うようなものについては裁断してデータ化し、少しずつ本棚を減らしていっても良いのではないか、などと考えている次第です。
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(別に不動産に限りませんが)土地神話で頭が頃固まった世代の人にとって、負動産の時代に変わることを容認できるのでしょうか。
毎度、ばかばかしいお話を。
高齢者:「ミニマリスト? 最近の若い者は理解できない。いざという時のために、モノを貯めておく重要性が理解できないのか」
某会計士を、理解できないそうです。
レンタル◯◯の隆盛から始まり、サブスク、クラウドといったサービス形態に移行が進み、「所有ではなく利用する時代」とどこぞで読んであぁと思ったものです。書籍等の電子化も同様でしょうか。
所有していないとサービスが停止した瞬間に利用権も消滅してしまうものもあるので、そこは決定的な差ですが。とはいえ利用時の"体験"は消えませんし、ある程度頭に残っていれば十分というものもあるか。映画DVDなど「あってももう見ないわ」といって押し付けられることも多々ですし。
ところで"新聞の所有"って圧倒的無駄ですね。スクラップなどは記念や作品的な趣がありますが、もはや別物に加工されたようなものですし。
例えば「配偶者」なんかも、レンタルやシェアリングに移行できる分野なのかも。
「絶対必要!」
なのかどうかは読者各自が自分の胸に訊くしかありませんが、実態として95%の夫婦が互いに顧客満足度を満たしてるか?といえば、それは無い無い。(笑)
※標準偏差的に常に存在する異端をここでは5%と仮定しました。
小耳情報では、女子17人に対して男子1人で構わないらしいですから。
役所も同性婚にかなり前向き。
(たぶんLGBTとはまた違う動機だと思いますけどね)
「そうあるべし」
と僕が言いたい訳ではなくて、極端な例も未来のバリエーションとして想定した上で、個別最適と全体最適とのベターな着地点を探りたいものです。
身の丈にあった生活をするようになったってことてすかね。負動産で飯を食ってる連中の中には子供部屋おじさんとか言って侮辱したり、あるいはパワーカップルとか言ってタワマン買わせたりと忙しいようです。もう時代が違っていると思いますが古いビジモデルから脱却出来ないようで…
う◯こと物はためすぎると良くないよ
負動産になる前に有効活用すべき不動産があります。新聞社の不動産。コロナ前であれば、MBO的な手法で、キャシュ化して、リストラ原資にできたのに、ボヤボヤしているうちに、コロナになって、オフィスの意味が変わってきてしまいました。さてどう決断するか。本当に負動産になってしまっては、リストラ用のお金も調達できなくなります。
日本の人口が減っていますので、必然的に住宅は余ってきます。余った住宅は売りに出されることになりますので、供給が需要を上回ることになります。
また、不動産は場所によってその価値が大きく変わります。
需要が乏しい地域の不動産は買い手がいないという事になりますので、不動産では無く負動産になってしまいます。このような負動産が日本の至る所で発生していますので、今後ゴーストタウンやスラム街への対応が都市計画の課題ですね。
少子高齢化の東アジアの国々は、負動産どう対応するのでしょうか。
圧巻の鬼城(廃棄された街)の中国は、高齢者施設への転換でOKかな・・・
これからの日本では空家の固定資産税は優遇がなくなり、6倍になるとのこと。
解体するのか、地震が来るまで待つのか、厳しくなりそうですね・・・。
昭和はインフレで資産価値が上がった時代がある、借金して購入しようかな。
住宅問題はさておき、最近読んでいる書籍の奥書に次のような文言を発見しました。
「本書のコピー・スキャン化等の無断複製は、著作権法上での例外である私的利用を除き禁じられています。本書を代行業者等の第三者に依頼してコピー・スキャンやデジタル化することは、たとえ個人や家庭内での利用であっても一切認められておりません」
くれぐれもご利用は合法的、且つ計画的に。(笑)
それに加えてSSD等のデジタル機材には、ある日突然お亡くなりになるという可能性がつきまといます。せっかく苦労して取り込んだデータが、いつかある日元も子もなくなるという悲劇を回避するには、紙ベースでの保管も致し方ないのかもしれないかと、次第に膨れ上がる書籍の保管スペースを前に、嘆息するばかりの今日このごろです。