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日本のメディアに真似できない「外国メディアの映像」

BBC、アルジャジーラといった外国メディアが被災地の様子などを淡々と映像にまとめているのを見ると、レポーターがはしゃぐ日本のメディアとのレベル差には驚かざるを得ません。本稿では年初の新聞部数に関する話題の「続編」として、新聞・テレビを中心とする日本のメディアの最近の急速な劣化について、考えてみたいと思います。

どうして当ウェブサイトでは新春にマスコミネタを取り上げるのか

当ウェブサイトでは近年、正月といえばマスメディアの話題を取り上げることが多く、今年の正月に関しても『「新聞がなくなったら社会に莫大な利益」とする考え方』や『NHK・紅白歌合戦の世帯視聴率が「過去最低」を更新』で、やはりマスメディア関連の話題を取り上げています。

その理由は、著者自身がかつて、正月には決まって主要紙(日経、読売、朝日、毎日、産経の5つの全国紙と東京新聞)を買い求め、各紙の社説を読み比べていたことに由来します。

新聞の社説といえば、その新聞の「顔」のようなものであり、日本を代表する各紙が年頭に示す社説を読めば、自分なりに、自分自身の今年の目標であったり、この社会の行方であったり、あるいは道しるべのようなものが見えて来るのではないか、などと考えていたのです。

結論からいえば、この習慣は、2012年頃には止めてしまいました。新聞の社説というものを読んでも、「なるほど」、と思えるようなものに、ほとんど出会わないと気付いてしまったからです。敢えて言葉を選ばずにいえば、「新聞社説のレベルが低すぎる」のです。

ネット出現で新聞社・テレビ局の特権は消えた

考えてみれば、それも当然かもしれません。これまでに競争がなかったものが、ネットの出現によっていきなり過酷な競争にさらされ始めたのですから。

ネットが出現する以前であれば、私たちような一般人が不特定多数の人に向け、日々、自分の考えや専門知識に基づく論考などを発信する手段は極めて限られていました。敢えてそれをやるとしたら、とにかく文章を書きまくって、新聞社や雑誌社などに片っ端から読者意見を投稿するくらいだったのではないでしょうか。

したがって、「不特定多数(=マス)に向け、日々、情報や意見を発信する」、「マスに向けたコミュニケーション(=マスコミ)」という行為は、まさに新聞社や雑誌社、テレビ局、ラジオ局などを中心とするマスメディア業界の特権だったのです。

こうした状況も、ネットの登場によって一変しました。「マスに向けたコミュニケーション手段」は新聞社、テレビ局などオールドメディアの特権ではなくなったのです。

それも、ネット環境が爆発的に普及し始めた最初の頃(ネット黎明期)は、一般人が執筆したブログ・コンテンツ、匿名掲示板やSNSなどの投稿については、まだまだ新聞にはかなわないと思われていました。

「新聞記事のブログ化」はむしろブログに対し失礼

しかし、いつしかブログ、ウェブ評論サイトなどのコンテンツのレベルが飛躍的に上昇し、そのうち「新聞社説のブログ化」が発生したのです。

著者の記憶が正しければ、この「新聞社説のブログ化」とは、とあるブロガーの方が提唱した概念です。

要するに、「新聞社説のレベルは下がって来て、もうそこらへんのブログと大差ない」、という意味で揶揄したのだと思いますが、この「新聞社説のブログ化」という表現自体、最近だとむしろ「そこらへんのブログ」に対して失礼です。「そこらへんのブログ」の方が、新聞社説よりも多くの人を魅了しているというケースもあるからです。

その意味では、「プロフェッショナル」であるはずの新聞記者が発信する情報が、「素人(?)」であるはずのブロガーやウェブ評論家らが発信する情報に負けるという時代がやってきたのかもしれません。

このあたりは「素人(?)」であるはずのYouTuberの台頭により、テレビの社会的地位がすっかり低下してしまったというのと事情はよく似ているのかもしれません。

「責任あるマスコミ」の権威

て、こうしたなかで改めて振り返っておきたいのが、新聞記者が「情報発信のプロフェッショナル」と呼べるのかどうか、という論点でしょう。

これについて参考になる考え方があるとしたら、昨年の『NHKにまたコミュノート…失墜する「マスコミ権威」』などでも取り上げた、「責任あるマスコミが権威を持つ社会を作り上げなければならない」などとする言説ではないでしょうか。

この「責任あるマスコミの権威」云々は、いまからちょうど13年前の2011年1月10日付の読売新聞朝刊1~2面に掲載された、劇作家・山崎正和氏(2020年8月没)に対するインタビュー記事『日本の改新/識者に聞く』に出てくるものです。

原文の一部は次の通りです。

もうひとつ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、『責任を持って情報を選択する編集』が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」。

なんだか、まるで「知的訓練を受けていない素人は情報発信をするな」、とでも言いたいかの主張に見えてしまいます。

アイスケースから寿司ペロに至る不祥事の系譜

もちろん、「知的訓練を受けていない者の迂闊な情報発信」が社会的混乱を招いたケースは多く、古くは2013年夏に発生した、コンビニエンスストアのアイスケースに店員が面白半分で入り込み、その様子をSNSにアップロードした事件(いわゆる「コンビニアイスケース事件」)などはその典型例でしょう。

また、この「コンビニアイス事件」からちょうど10年後にあたる昨年は、大手回転寿司チェーン店で醤油差しを舐めたり、湯呑を舐めまわして戻したり、廻っている寿司に唾液を付着させたりするシーンを動画撮影し、SNSに投稿するという「寿司ペロ事件」が発生しています。

テクノロジーが進化し、世の中のほとんどの人がスマートフォンを持ち、気軽に動画撮影ができ、それを簡単な操作でSNSにアップロードすることができてしまうようになったのですから、10年周期でこの手の行為に及ぶものが出現するのも無理はない話でしょう。

ただ、ここで重要なことは、一部ではそのような行為に及ぶ者がいるからといって、ネット規制などをしてはならない、ということです。

著者自身は、とくに若い人たちに対しては、ネットを通じた情報発信は気軽にできる反面、ちょっとした表現の行き違いでトラブルになったり、はたまた「炎上」してしまったりすることがあるという点を、きちんと教育することは大事だと思っています。

しかし、ネットの利用はあくまでも自由であるべきですし、情報発信することができるのが新聞記者、テレビ局員など、ごく一握りの「特権階級」に限られていたかつてのような時代に戻るべきでもありません。

記者の質問や行動のレベルが低すぎる

さて、冷静に考えていくと、ここでもうひとつ、ちょっとした論点に突き当たります。その「ちょっとした論点」とは、そもそも新聞記者を含めたメディア産業従事者が、「知的訓練」とやらを十分に受けているのか、という疑問のことを指します。

たとえば内閣官房長官記者会見で貴重な質問時間を浪費し、「物資が足りないならばパラシュート投下すれば良い」などと間違った自説を長々とご開陳になる某新聞の「名物記者」の方あたりが、果たして「知的訓練」を受けた人物といえるのかどうかは疑問です。

それだけではありません。

たとえば昨年の事例だと、「桜ういろう」なる事件があります。これは共同通信社の記者がX(旧ツイッター)などで特定の人に粘着し、誹謗中傷を続けたという、なんとも非常識なものです(この「桜ういろう」を巡っては、その後、誹謗中傷の被害を受けた人たちから複数の訴訟が提起されています)。

また、マスメディア業界には、知的訓練のみならず、初歩的な倫理観すら怪しいという事例もあるようです。

たとえばテレビ局に目を転じてみると、日テレ系の人気番組『24時間テレビ』に寄せられた募金を、系列局「日本海テレビ」の幹部職員が横領し、使い込んでいたという問題もありましたし、NHK職員が取材と称し、経費を不正請求していた事件なども発覚しています。

信用が失墜した会社がJALに「御社の信用」と迫るが…

このように考えていくと、「マスコミの権威」とやらが失墜している直接的なきっかけはネットの台頭ですが、その本質的な要因は、新聞、テレビを中心とするマスコミ自身にあります。

自分たちはやたら舌鋒鋭く、偉そうに他者の不祥事を追及するくせに、自分たちの業界内で発生した不祥事になると、お互いに徹底的にかばい立て、実名報道を避け、「報道しない自由」で問題が過ぎ去るまで待つというのが、マスメディア業界の黄金パターンのようなものとなっているのです。

今週の『新聞記者、JALに対し「御社の信頼に関わる」と糾弾』でも触れたとおり、年初の2日に発生したJAL機と海保機の衝突事故では、JALの記者会見で事故原因を執拗に尋ねる新聞記者が、「御社の信用にも関わる」などと語気を荒げました。

しかし、この質問をした記者が所属する会社は、シャレにならないレベルの誤報ないし捏造報道事件を頻発させていますし、しかもこの新聞社の謝罪の態度についても、決して誠意あるものとはいえません。

「信頼が失墜している」のはこの場合、燃え盛る機体から幼児8人を含む乗員乗客379人を、短時間のうちにだれひとり死なせることなく生還させたJALの方ではなく、シャレにならないレベルの誤報・捏造を乱発し、最近だと部数低迷が深刻化している新聞社の側でしょう。

日本のテレビ局にはできない?優れた動画コンテンツ

こうしたなかで、X上でちょっと話題となっていたのが、英メディア『BBC』や中東メディア『アルジャジーラ』がアップロードした映像です。

どちらも大変にわかりやすい映像です。

BBCの動画は、レポーターが淡々と現地から街の様子を紹介するというものです。どこかの国のテレビ局との大きな違いは、街中でレポーターが嬉しそうにはしゃいだりせず、とにかく抑制的かつ冷静に、現在の様子をカメラに収めていることにあります。

また、アルジャジーラの方の動画は1月2日時点ですでにアップロードされたもので、街の様子や自身のときの様子、岸田首相の発言などがコンパクトにまとめられ、非常にメッセージ性が高い動画だといえます。

どうして日本のメディアにはこれができないのか――。

正直、これこそが、記者クラブなどの日本独自の特権に守られ、劣化するだけ劣化した日本のメディアの正体ではないか、などと思ってしまう次第です。

新宿会計士:

View Comments (23)

  • アルジャジーラですか。
    カタール政府のプロパガンダ機関ですからね。
    メッセージ性の強い情報発信はお手のものでしょう。
    カタールはハマスに強い影響力をもっていますから、パレスチナ関連の報道には注意が必要です。

  • >非常にメッセージ性が高い動画だといえます。

    ここに紹介された2つの動画が、メッセージ性が高いことは見てよく分かります。
    そして、本論稿そのものも、極めてメッセージ性が高い論稿だと感じました。
    つまり、これらの動画を紹介することによって、如何に、本邦のマスゴミの報道と称するものにメッセージ性が無いかを示し、その事実によって、本来の報道とは如何なるものであるべきかという、報道の本質を思い起こさせてくれているからです。
    本論稿は極めて優れた構成であり、また、ここ数日の、マスゴミの有り様に関する一連の論稿は、本邦のマスゴミの有様を如実に抉り出したように思います。
    芸能界の監督官庁、御社の信用、パラシュート。
    これらの一連の論稿によって、本邦のマスゴミ人は、ニュース対象に関して全く関心が無いので、自身で深く調査や勉強をすることなく、記者の特権を利用して思い付きを記者会見の場で、発言しているだけだという姿が浮き彫りになりました。
    情けないので、これ以上のコメントは省略します。

  •  韓国メディアが、韓国の救助隊が国外の台風被害救援に出遅れたことを「脚光を浴びる機会を逸した」として批難していたのは実に醜悪でしたが、日本のマスコミはむしろ、こういう時に見直される事を目的に行動してほしいとすら思います。その方がまだ実質的に皆が得ですから。

     さて"新聞記事のブログ化"という表現は知りませんでしたので、項目を見ての第一印象は「あれ、新聞が何か進歩しているのかな?」と逆に捉えてしまいました。てっきり、新聞がブログのように速報性が上がったり、双方向性が生じたり、内容の向上が起きたのかと。
     例えるなら"残飯のコンビニ飯化"といった感じに。ファストフード化でも。現在ではどちらの業態も、手軽さに反してとても質が良いですから。しかもこの残飯、何か偉そうに高級ぶってる上に既に腐敗しきっていて堆肥にもなりゃしないという。

    • まことに失礼します。マスゴミは、コンビニの残飯ほどの価値もないのではないでしょうか。
      ブログ主様の技の一つに「幼稚園児でも分かる」の後に「幼稚園児の皆様にまことに失礼いたしました」と必ず謝罪するというものがあります。
      このコメントは、まことに僭越ながら、日本が世界に誇るコンビニに対していかがなものかと思いました。

      •  マスコミを残飯に、ブログをコンビニ飯に例え、コンビニ飯を褒めている立場ですが……何か失礼ありましたでしょうか?
         "残飯のコンビニ飯化"だけ読みそういう物理現象と捉えてしまうと、コンビニ飯が残飯から出来ているかのように取れなくはないですが、全くそうは申しておりません。具体的にご指摘いただければ幸いです。

  • 私見ですが BBC は近年は劣化が著しく、SkyNews のほうがずっといい仕事をしています。BBC は、ときどきホンキを出してかつての輝きを示してくれますが、人材流出がひどくて?日常報道はもうダメポのレベルと感じています。

  • 外国メディアでも、ピンキリで、一流(?)と三流(?)とでは違うのではないでしょうか。

  • 私見ですが
    海外メディアが絵作りが上手なのは、見れば理解出来る様に作ってるからです、其れには識字率が関係してるかもしれないですね。
    日本のメディアはとりあえずの現場絵を流し、レポーターやスタジオ解説者が説明する事にウェイトが置かれてます
    まったく伝え方の基本姿勢が違ってますので、絵を見て違いを感じるのは当然です。

    • 日本の報道機関がダメなのは、ぼーやとかおじょうちゃんを現場に送ってべらべらしゃべらせて、スタジオから彼らに言って欲しいことを誘導するつくりになっているからです。

      • はにわファクトリー さま
        >ぼーやとかおじょうちゃんを現場に送ってべらべらしゃべらせて、スタジオから彼らに言って欲しいことを誘導する
        日本のメディアは、そうしないと視聴率がとれないと思っているのでしょう。

      • それにしても、面白いのが、即出ですけどもアルジャジーラの映像の出処がNHKですからね、NHKもNスぺ班にダイジェスト版を作らせてアルジャジーラと競ってみて欲しいですww

        • 英国のジャーナリスト ヒュー・マイルズ氏は、アルジャジーラの収益の大半は海外メディアが支払う映像使用料であり、NHKが支払うお金はアルジャジーラの赤字を埋め合わせるのに役立っているようだと指摘しています。
          お金の流れが、NHK→アルジャジーラ→カタール政府→ムスリム同胞団→ハマスとなっていなければよいのですが。

      • 職業ライターさんがオンライン記事で書いていたのですが、今では現場取材とは映像記録を徹底的に採取することに重きが置かれている、カメラマンにレポーターが同行し、編集段階でレポーターが同行メモを元に映像に解説をつける。そんなスタイルになっているというのです。特A級記者を送り込む BBC はりっぱですが、世代交代に失敗しており、報道スタイルも 2000 年代ごろからあまり進化できていません。

  •  メディアはテロやクーデター時に標的とされるようにプロパガンダ性が高い
    かつて 日清戦争に勝利し多額の賠償金を得たことにより日露戦争を煽った
    日露戦争の賠償金が得られないことを報道した結果が日比谷事件
    プロパガンダ性を批難された結果ある程度「反政府」的傾向になるのは理解できないでもない

     メディアは様々な問題を抱えるが
    問題の一つが日本国内における海外報道(事件・災害等)定期的な報道はNHK BSのみで続報も乏しい

  • れいわ新選組の代表が能登半島に行ったらしい。これまで被災地に行ったのは共産党と炎上系ユーチューバーだったと言う。他にも日本保守党の党首が台湾に関して悪質なデマを振りまいているとか、災害になるとその人の本質が出ますね。

  • テレビ局にとって「ネットは「いいね」が命、テレビは視聴率が命。視聴率があがれば、何でもいい」ということでしょうか。

  • 自縄自縛を繰り返してきたメディアに、いい作品なんか作れるわけない。

    あれはダメ、これもダメ、ダメダメな中でみんな委縮して自由に作品を作れない。やりたいことがある優秀な人は、新天地を求めて出ていくし、残った人は事なかれ主義の普通の人ばかりじゃないかな。

    自業自得。益々テレビメディアは廃れていくだけだと思います。

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