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イラン出身者、「日本のテレビは幼稚」と容赦なく批判

「スイッチを入れれば、食べ歩き番組、たくさんの芸能人が大騒ぎするバラエティー、若いタレントが演じる能天気なドラマ、専門家でもない芸能人や元スポーツ選手が時事問題にコメントするワイドショー」…。イラン出身で2015年に日本国籍を取得した異文化コミュニケーションアドバイザーの石野シャハラン氏によると、日本のテレビは総じて「幼稚で見るに堪えない」のだそうです。ただ、もしそうだとしても、それは必ずしも日本人全体の知的水準が幼稚であることを意味しないはずです。

オールドメディアの苦境

以下の記述は、これまでに当ウェブサイトで繰り返してきた内容をざっと振り返るものです。

その①広告費

広告代理店大手として知られる株式会社電通は毎年、『日本の広告費』と題したレポートを公表している。これは、日本全体の広告費を①マスコミ4媒体(新聞、テレビ、ラジオ、雑誌)、②インターネット、③その他(屋外、交通、折込、DMなど)に分類して集計した統計だ。

株式会社電通が何をもとにこの資料を作成しているかについては、いまひとつ定かではない。

しかし、同レポートのデータを2000年から遡ってみると、この2000年に4兆円近くに達していたマスコミ4媒体広告費は、2022年には約2.4兆円に減少する一方、同じく2000年には590お億円に過ぎなかったネット広告費は、2022年には3兆円を超えたことが明らかになっている(図表1)。

図表1 媒体別広告費の推移(マスコミ4媒体vsネット)

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』データをもとに著者作成)

その②利用時間

総務省『情報通信白書』によると、近年、インターネットの利用時間が急伸する一方、テレビ(リアルタイム/録画)の視聴時間、新聞の購読時間、ラジオの聴取時間が急減していることが判明している(※ただし平日ベース)。この傾向はまた、若年層になればなるほど露骨だ。

たとえば60代に限定すると、テレビ、新聞、ラジオの利用時間は依然としてネットのそれを大きく上回っているが、それでもネット利用時間はこの10年弱の間に、じつに3倍近くに増えていることがわかる(図表2)。

図表2 60代・メディアの平均利用時間(平日、単位:分)

(【出所】総務省『情報通信白書』データをもとに著者作成)

そして、ネット利用時間は、若年層になればなるほど増えている。

40代では2021年にネット利用時間がオールドメディア合計利用時間を追い抜いている(図表3)ほか、それ以下の若年層では、ネットがオールドメディアに対し、ダブルスコア、トリプルスコア、さらにはクアドラプルスコアという大差をつけている(たとえば10代については図表4)。

図表3 40代・メディアの平均利用時間(平日、単位:分)

(【出所】総務省『情報通信白書』データをもとに著者作成)

図表4 10代・メディアの平均利用時間(平日、単位:分)

(【出所】総務省『情報通信白書』データをもとに著者作成)

その③新聞部数

新聞といえば、ひと昔前ならば、テレビと並ぶ「メディアの王様」だった。

しかし、近年、その部数は急速に減ってきており、このままで推移すれば、理論上、夕刊に関してはあと6~7年のうち、朝刊に関しても10年前後のうちに、この世から完全に消滅してしまうことになる。

一般社団法人日本新聞協会のデータをもとに、新聞の部数を朝刊、夕刊の別に集計したうえで、仮に2022年までの過去5年分の部数減少ペースが今後も続いたならば新聞がどうなるかをグラフ化してみたものが、図表5だ。

図表5 新聞部数とその予測値

(【出所】一般社団法人日本新聞協会のデータをもとに著者作成。「予測値」は2017年から22年までの部数変化が今後も続くと仮定した場合のもの)

むろん、新聞社によっては依然として比較的経営体力があるケースもあるが、地方紙、あるいは最近だと一部の全国紙を中心に、これまでの収益の柱だった紙媒体の新聞部数の急減に悩んでいるケースも増えているものと考えられる。

その④オールドメディア

さて、新聞やテレビのことを「オールドメディア」と呼ぶことがある。

その理由はいくつかあるが、その最たるものは、このインターネット時代において、見え透いたウソを垂れ流すこともある、という点に求められるだろう。

あるいは「ゴミのような情報を垂れながす」「ゴミのような取材手法を好む」という意味で、「マスゴミ」という用語を使う人も、ずいぶんと増えて来たのではないだろうか。

新聞、テレビの曲がり角

(紙の)新聞発行にはコストがかかる

…。

以上、これまでに当ウェブサイトで何度となく触れてきた、新聞業界、テレビ業界の実情について、ざっと振り返ってみました。

新聞業界に関していえば、まずは経営体力が乏しい地域紙あたりで、ごく近い将来に新聞社の倒産ないし経営再編が相次いで発生する可能性が濃厚です(地域紙だけでなく、意外と地方紙や全国紙でも、そのような事例を見ることができるかもしれませんが…)。

なにせ紙媒体の新聞を作るというのは、大変にコストがかかります。

朝日新聞1部の月間製造原価は1年で400円以上上昇』などでも取り上げましたが、株式会社朝日新聞社の単体財務諸表のケースでいえば、2023年3月期における製造コストは1部あたり2,894円でした(内訳は材料費406円、労務費812円、経費1,675円)。

もしも朝日新聞が完全に紙媒体の発行を取り止めてしまえば、少なくとも材料費と労務費は浮くはずですし、設備などの減価償却費が含まれていると考えられる経費部分についても、かなりの程度は節約できるのではないでしょうか。

そもそも「コンテンツ自体のレベルが低い」?

もっとも、新聞社の場合だと、経営の苦境の理由は、必ずしも「紙の印刷コストが高いこと」だけに求められるのではなさそうです。

とりわけ多くの新聞社にとっては、今すぐ紙媒体の発行を取りやめたとしても、デジタル版に移行できるかといえば、それも難しいでしょう。『部数減の朝日新聞、デジタル有料会員数も減少に転じる』でも触れたとおり、株式会社朝日新聞社の場合だと、現実にはデジタル版の有料会員数も伸びていないようだからです。

最大手の一角を占めている朝日新聞ですらそうなのですから、経営体力に乏しいであろう社に関しては、なおさら状況は厳しそうです。

正直、一般の新聞が報じている程度の内容であれば、いまやネット上で新聞社以外の業者が運営しているウェブサイトなどでも簡単に知ることができてしまいます。

たとえば役所が発表した内容やデータなどについては、わざわざ新聞社のウェブサイトを紹介するまでもなく、その役所のリンクを直接示したり、入手した一次データを加工したりして、ニューズ・バリューのある記事を作ることはいくらでも可能です。

もちろん、新聞記事、あるいは新聞記者が執筆した記事のなかにも、極めて秀逸な分析を目にすることはあります。新聞社関係者のケースでいえば、日本経済新聞社編集委員だった鈴置高史氏や朝日新聞編集委員だった峯村健司氏のような事例があります(2人ともすでに新聞社を退社されています)。

しかし、鈴置氏や峯村氏などのような事例は、残念ながら、非常に例外的でしょう。

あまり厳しいことを言いたくはないのですが、新聞記者のなかには、記者会見場でダラダラと自説を述べ、要領の得ない質問を繰り返すような人もいるようですし、控え目に申し上げて支離滅裂な記事や主張を書く方も、少なからずいらっしゃいます。

新聞社の経営が傾いていく背景には、単に「紙媒体だとコストがかかるから」、というだけではなく、それ以外のもっと根源的な部分、たとえば「コンテンツ自体のレベルが低い」、といった理由もあるのではないでしょうか。

官僚機構に忖度するオールドメディア

その一方で、「コンテンツのレベルが低い」という意味では、新聞よりももっと深刻なのはテレビではないでしょうか。

先ほどもデータで示した通り、新聞と同様、テレビも視聴者離れに苦しんでいるようなのですが、ただ、広告収入のボリューム、視聴時間数などに関していえば、読者離れが急速に進み、部数減が続いている新聞業界と比べれば、ずいぶんとマシです。

おそらく新聞社に関しては、ごく近い将来、倒産ないし経営再編ラッシュが到来することは間違いないと思われる反面、テレビ業界に関しては、ここ数年の間に今すぐ経営問題に直結するとは考え辛いです。とりわけ在京キー局と呼ばれる大手などを中心に、(現在のところは)そこそこの収益も叩き出しているからです。

ただ、「コンテンツが偏っている」、「面白くない」、といった指摘は、ずいぶんと以前から耳にしてきたものですし、最近だと公共放送を自称する局が、不法滞在という明らかな違法行為を美談に仕立てるドラマを放送する(『違法行為に手を染めるNHKを冷ややかに見る一般国民』等参照)などの問題も発生しています。

それに、テレビ業界は長らく、新聞業界とのクロスオーナーシップなどを通じ、少数資本によるメディア独占体制が続いてきましたし、少数のテレビ局が総務省から電波利用権を割り当てられ、格安で電波を独占使用するなど、事実上の「利権業界」と化しています。

さらには、新聞業界とともにテレビ業界は、役所内に設けられた記者クラブを通じ、一般人に先駆けて役所の内部情報を特権的に入手し得る立場にありますが、これは裏を返せば、新聞・テレビが官僚組織にとって都合の悪い情報を流すことができない、ということを意味します。

新聞、テレビがやたらと偉そうに、自民党の政治家らを舌鋒鋭く批判しているわりに、官僚(たとえば増税原理主義に染まったザイム真理教など)を絶対に叩かないのも、自民党と対立する特定野党のことをやたらと擁護するのも、「強すぎる与党」が不都合な官僚機構に忖度しているだけなのかもしれません。

テレビ局の問題は「三重苦」

そんなテレビ業界では、しかし、視聴者離れ、スポンサー離れ、そしてクリエイター離れという「三重苦」が発生し始めていることも事実でしょう。

視聴者や広告に続きクリエイターもTVを見捨て始めた』などでも取り上げたとおり、若くて優秀なクリエイターほどテレビ業界から真っ先に逃げ出し、外資系のVOD(ビデオ・オンデマンド)業者などのコンテンツ・ビジネスの門を叩いているのです。

このあたり、「コンテンツが面白いかどうか」を数値化することはなかなかに困難ですが、冒頭にも挙げた視聴時間数のデータなどを踏まえると、視聴者も広告主も、年を追うごとにテレビから離れていることに関しては間違いありません。

そして、ここで考えられる「仮説」があるとしたら、それはこんなものでしょう。

テレビの負のスパイラル仮説
  • ①むかしはリアルタイムに情報を入手する手段がテレビくらいしかなかったため、国民はあまねくテレビを視聴していた
  • ②それがいつしか、知的レベルが高い人たちがあまりテレビを見なくなり始め、視聴者の母集団の平均知的レベルが下がり始めた
  • ③テレビ視聴者層の平均知的レベルが下がったことで、テレビ局はよりレベルを落とした番組を作り始めた
  • ④テレビ番組の知的レベルが下がったことを嫌気して、知的レベルが高い人はますますテレビを見なくなり始めた
  • ⑤以下、③→④、の繰り返し

テレビを見るからレベルが下がるのか、レベルが低いからテレビを見るのか

もちろん、この①~⑤のサイクルは、やや単純化し過ぎているといえるかもしれませんが、さまざまなデータに照らし、さほど見当違いなものではないことも間違いないでしょう。

というよりも、日本のテレビ番組は、正直、幼稚だ、という言い方をしても良いかもしれません。

世の中を単純に「正義と悪」に分け、「悪」は徹底的に糾弾する一方、「正義」を徹底的に持ち上げる――。

著者自身の主観で恐縮ですが、テレビには、ものごとを単純化し、わかりやすい図式に置き換えたコンテンツが多いように思えますし、また、「テレビが好きだ」と公言する人ほど、ものごとを単純化して見る傾向があるように思えてなりません。

この点、もしも「テレビ視聴者の知的レベルは低い」という命題が新だったと仮定した場合、「テレビを見るからその人の知的レベルが下がる」のか、それとも「知的レベルが低い人がテレビを好んで見ている」のかについては、正直、よくわかりません。

鶏と卵のような関係でしょうか?

イラン出身者が「日本のテレビは幼稚」と批判

さて、ウェブ評論サイト『ニューズウィーク』が26日、「日本のテレビは幼稚だ」とする趣旨の記事を配信しました。

日本のテレビは幼稚なのに、専制国家イランは政府批判を堂々放送…違いはどこから?

―――10/26(木) 17:41付 Yahoo!ニュースより【ニューズウィーク日本版配信】

記事を執筆したのは、イラン・テヘラン生まれで2015年に日本国籍を取得した、石野シャハラン氏です。

記事のサブタイトルに、石野氏の主張がこう要約されています。

低俗なバラエティーやドラマ、素人起用のワイドショー…日本には見るに堪えないテレビ番組が多い一方、イランでは弾圧されつつも政府批判を放送し、硬派な社会派ドラマも人気だ」。

要するに、「専制国家であるはずのイランでは政府批判も放送されているが、日本ではテレビ番組がどうしようもなく幼稚だ」、というものでしょう。

石野氏は、こう指摘します。

スイッチを入れれば、食べ歩き番組、たくさんの芸能人が大騒ぎするバラエティー、若いタレントが演じる能天気なドラマ、専門家でもない芸能人や元スポーツ選手が時事問題にコメントするワイドショー。<中略>いかんせん幼稚で見るに堪えない番組が多すぎる」。

ずいぶんと容赦ない、しかし端的に日本のテレビの問題点を指摘した文章と言わざるを得ません。とりわけ「専門家でもない芸能人らが時事問題にコメントするワイドショー」は、間違った見解をテレビという社会的影響力の大きな媒体で拡散するわけですから、低レベルであるだけでなく、有害ですらあります。

この点、記事の中で石野氏は、専制国家であるはずのイランでは、政府や社会を批判する番組なども放送されている、などと指摘するのですが、このあたりについては正直、検証のしようがないので、その内容の妥当性について本稿で議論することは控えます。

日本人全体のレベルが低いわけではない

それはさておき石野氏は、日本のテレビ番組のレベルが低い理由について、「日本人が物を考えなくなったからテレビが幼稚になったのか、テレビが幼稚だから日本人が物を考えなくなったのか、どちらだろう」、と問題提起して文章を締めくくっています。

これに対して当ウェブサイトとしては、どちらが鶏でどちらが卵かはわからないにせよ、次の点だけは指摘しておきたいと思います。

日本人全体の知的レベルが低いわけではない」。

石野氏が指摘する通り、日本のテレビのレベルが低かったとしても、それは必ずしも日本人全体の知的レベルが下がっていることを意味するものではありません。知的レベルが高い人ほどテレビを見なくなっている、といった仮説も成り立つからです。

もちろん、地上波テレビや一部新聞のように、社会的影響力が大きい媒体で低レベルな主張が繰り広げられてきたこと自体は大きな問題ではありますが、ここに救いがあるとしたら、インターネット環境の普及により、知的レベルが高い層のためのコンテンツも、日本には多数、出現していることでしょう。

むしろ新聞、テレビ業界のコンテンツが硬直的かつ低レベルであるのだとしても、ネット空間の言論が多様化していくことにより、日本全体として見れば、世論は多様化・高度化していく傾向にあるのではないでしょうか。

最近だと、多くの新聞、テレビが報じているわけではないにも関わらず、「国の借金論はウソである」、「日韓諸懸案はまったく解決していない」、といった事実が、とくにネットを使いこなす若い世代の人々の間に広まって来ています(『聡明な高校生も国の借金論のウソを見抜けるネット時代』等参照)。

そういえば、近頃の若者は本を読まなくなったと指摘されますが、『「多くの若者は書籍を全く読まなくなった」と嘆く前に』でも触れたとおり、それが由々しき話なのか、それとも新時代の変化の特徴なのかについては、判断を留保すべきであることは間違いないでしょう。

余談ですが、著者などは「最近の若者はケシカラン!」というスタンスではなく、むしろ、「若年層ほど自力での情報収集に長けており、プロパガンダに騙されなくなっている」という仮説を持っている次第です。

新宿会計士:

View Comments (36)

  • 余計なことですが、新聞部数推移(朝刊)のグラフの2022年以降の予測値が直線になっていますが、2005年以降の実績値が二次曲線で推移していることを考えると、ゼロになるのは2030年頃になるのではないでしょうか。

    •  私も直感的にそのように感じました。2010年から2020年までの曲率で推定すれば2030年くらいになりそうです。しかし、私の年齢ではそこまで寿命が持たないのでインチキ新聞の終焉を自分の目で見られないのが残念です。情報をあまり隠蔽する必要が無い日本経済新聞でさえ、「日経の記事は報道が遅すぎるので日経を信用したら大損する」と言われるくらいお粗末なようなので、新聞の終焉はもっと早いのでしょうね。それからすると朝(鮮)日(報)新聞などもっと早い終焉かも知れないから、それなら私の目の黒いうちに体験することができるかも。

    • コメント主様

      とりあえず過去5年の平均値が今後も続くと置いた場合には本稿にてお示ししたとおりの結果ですが、試算の置き方で新聞滅亡時期は変わってきます。

      >2005年以降の実績値が二次曲線で推移していることを考えると、ゼロになるのは2030年頃になるのではないでしょうか。

      この点は以前の当ウェブサイトで少し触れたとおり、そもそも2005年から2022年までの部数減少速度は不自然であり、「二次曲線」的に減っているのか、それともいわゆる「押し紙」が隠し切れなくなって、その分がすごい勢いで剥落していったのか、判断に苦しむところです。

      これについてはもう少し見極めが必要かもしれません(見極めようと思ったら新聞業界が滅亡していた、という可能性もありそうですが…)。

      引き続きご愛読とお気軽なコメントのほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

    • 二次曲線的に見える最後の接線角度で直線的に見れば、最長で2035年という見方が出来ます。
      最長値?で、2035年ですか?
      2035年と言えば、ガソリン車の新規販売禁止の年でもあります。

      今から遡っての12年間、すっぽり安倍政権が入ります。
      民主党政権の意思なき愚かな首相達の所為(せい)で、混乱の極みに陥っていた日本も安倍政権のお陰で希望が少し持てるようになりました。
      今は又、別の意思なき愚かしい首相の所為で混乱が生まれつつあります。

      12年後の、2035年はどんな世界になっているのでしょうか?

  • >日本のテレビ番組のレベルが低い理由

    広告費収入の減少を番組制作費の削減で穴埋めしてるせいではないのでしょうか?
    自局アナや素人を多用した番組制作。内輪バカりでの尺埋めにも限界があります。

    • 製作費をケチっているのはスポンサーではないかと思う。
      番組の最初と最後に「この番組はxxx(スポンサーの名前)の提供で御送りします(しました)」
      あれは、「この番組の製作費はxxxが負担してます」と言っていること。
      30分番組で1本50万円の予算なら「ぶらり旅」「グルメもの」くらいしかできない。もちろん1日に3~4本分収録する。グルメ物の取材にやってきたタレントがラーメンを一口だけ食べて帰ってしまった。なんて失礼な奴らだという投稿が以前あったが、1日に3-4回ラーメンを完食していたらそのタレントは高血圧で死んでしまうだろう。
      ではなぜスポンサーは番組制作費をケチるのか。テレビの広告効果がなくなってきているからだ。
      「世界ふしぎ発見」が来年の3月で終了するそうだ。38年続いたらしい。38年といえば新入社員が定年をむかえるような年数。野々村真などはこの番組に就職してこの番組で定年退職をむかえたようなものではないか。
      終了する理由は、もちろん公表はされていないが、負担している製作費の割に視聴率がとれない(とれなくなった)からだろう。38年前とくらべて海外旅行など珍しくもなんともない時代、番組を見る人は少なくなったということだろう。この番組は日立グループの提供。こういうのを「一社提供番組」と呼ぶらしい。昔は一社提供が多かったが今は少ない。思い浮かぶのは「題名のない音楽会」「シオノギミュージックフェア」かな。これらも先が短いのではないか。

      個人的な感想では広告費の推移でテレビの広告費の減り方がゆるやかな気がする。
      考えてみれば民放はほぼ24時間何かの番組を流していて、番組を流すという事はテレビ局に広告費が入ってきているということだろう。
      民放は製作費が安い番組を考えている。もうそろそろ「ぶらり旅」「グルメ」では誰も観なくなる(つまりスポンサーが製作費を提供しなくなる)最近の傾向は、「釣り」「キャンプ」「ゴルフ」。
      それでも埋まらなければ「ショップチャンネル」を増やすしかない。

      • 「素晴らしい世界旅行」とか、懐かしいですね。
        ・・・・・
        *広告費収入と番組の質

        一見、タマゴとニワトリの循環論のように見えなくもない相関も、初動で発した「自身の身を切らない経費削減(給与ではなく製作費の削減)」がスパイラルに拍車をかけたのだと思っています。

  • (別にテレビ番組だけとは限りませんが)比較対象がなければ、(テレビ局側は)テレビ番組のレベルの低さに、気づかないふりをするのではないでしょうか。なにしろ、番組制作するのに、そちらが楽ですから。(もっとも、制作の下請けは、「これ以上は体がもたない」と怒り出すかもしれません)

  • ゴミ人材が集まった老醜産業、それが日本のTV局と当方はそう信じて疑いません。

  • 日本もNHKは結構硬派な放送をしていたと思うのですが、どうも最近は民放と同レベルな内容に走りがちな気はしますね。

    民放が低レベルなのは、ある程度ネタが尽きて下ネタで場をわかせようとするような安易さが蔓延しているからではと。

    テレ東の池の水〜みたいな良い番組もあるんですけどね。

    ちなみに、イランの放送局は日本より数が少ないですね。
    https://ikaten.squidtv.net/worldtv/middle-east/iran/

    • クロワッサンさま
      >ちなみに、イランの放送局は日本より数が少ないですね。
      イランも放送局が増えて、番組数が増えれば番組のレベルが下がる、ということでしょうか。もっとも、今のイランなら、神の名のもとに管理監督が入るかもしれませんが。

      • 数が増えれば粗製乱造って事でレベルの低い番組も出て来ると思います。

        で、それがそれなりに視聴者に受ければ、それが番組内容のひとつの目安となって、同レベルの番組が出て来たり、それより低いレベルで勝負する番組も出て来ると思います。

    • NHKの情報番組も少ない情報量で、クイズを入れたり変なコメントを入れて尺を伸ばすようになったよ。
      全然、見る気にならない。

  • 1億総バラエティーといった感があります。シリアスなドラマでもコミカルなシーンを入れてくる。良い例が最近のNHK大河ドラマです。報道もそう。喜んでボケる森永某氏とか岸某氏のような太鼓持ち評論家しかテレビに出てこない。とても見ていられません。
    悪貨は良貨を駆逐するといいます。もはや軌道修正は不可能でしょう。一時の日本映画のように、落ちるところまで落ちて、そこから再生する、かもしれませんね。

    • 今の NHK はブランドバリューを簒奪したパロディだと考えます。公共放送トートロジー(循環論法)などその典型です。

  • TVが地上波デジタルに移行する際にBCAS
    が導入されました。この仕組みはNHKを筆頭とする放送業界、セット装置業界、そして総務省の所謂利権3業界を強く強く結び付けるフレームワーク、そして闇の象徴になったと思います。
    この先もしぶとく官民一体で生き残りを図る予感がします。

  • テレビや新聞はよく日本の経済は落ち目や給料を増やせと簡単に言いますが、自分たちは素晴らしい経営をしてさぞ儲かって気前よく給料を出してらっしゃるんでしょうね(笑)。

  •  好意的に解釈すれば「小さい子でも理解できて、家族で一番小さな子に合わせて時間を共有する」というような、昭和からのお茶の間に適合した番組作りを基礎としたいのだろうとは思います。実際に、個人的には受け入れがたいほどにつまらないわ不快だわの芸人が、幼児は真剣に大喜びしていたりもします。自然と番組が幼稚にもなるかもしれません。内容や字幕など小学生に合わせて作っているという話も聞いたことがありますし。その基準から外れる一昔前の深夜番組などは、尖った番組が多かったように思います。
     ただこの解釈であっても擁護できないのは、殆どの番組が画一的にレベルを下げて幼稚にしなくともよいものまで幼稚にし、局ごとのコンセプトや個性もなく、加えて規制だけはええかっこしいで推し進め、進歩も多様化もしなかったことです。
     昭和の一家像をターゲットにしたまま、平成→令和の核家族やまして増加する単身者にうけるわけがない。そんなことをし続けている業界など他に知りません。オモチャや家族向けシャンプー、各種おむつなどのCMであればそんな番組でも効果的かもしれませんが、今の企業が広告を見せたい対象は、どんどんそれらと離れていっているのは、人口動態の時点で明らかでしょう。
     「それでも3世代家族を対象にするのが一番手広く広告効果が高いんだ」などといって変われないのであれば、番組を放送しその合間に広告を見せる事業としては、既に破綻し始めているということでは。
     TV局は巨大になりすぎたのでしょう。変化はしづらく今更小さくなることもできない。根よりも樹上を大きくしすぎた枯木のようですね。ついでに燃えやすいし。

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