本稿は、当ウェブサイトにしてはかなり専門的な話題です。銀行や保険会社、証券会社などが発行している「劣後債」に関する「コールのスキップ」と呼ばれる論点です。銀行等の金融機関にはどの国でも「自己資本比率規制」が導入されているのですが、これらの金融機関が発行している期限付劣後債などの「コール」、つまり「期限前償還」を「実施しないこと」は、金融市場にどんな影響を与えるのでしょうか?
目次
自己資本比率規制の概要
著者自身の専門分野のなかで、あまり当ウェブサイトでは詳しく説明していない論点のひとつが、銀行等の金融機関に対する「自己資本比率規制」です。
これは、わかりやすくいえば、金融機関などが巨額の貸倒損失などを計上したときに備え、あらかじめ潤沢に資本を備えておかねばならないとする万国共通のルールのことであり、多くの場合、「自己資本比率」は「自己資本÷リスクアセット」で定義されます。
自己資本比率=自己資本÷リスクアセット
そもそも銀行等の金融機関は、通常、一般の人々から広くおカネを預かり(=受信業務)、集めたおカネを経済社会全体に貸し出す(=与信業務)、という業務に加え、おカネの振り込みなどの「決済業務」を担っています。これが商業銀行の伝統的な3大業務です。
ということは、銀行等金融機関は、もともとはたんなる民間企業ではあるものの、倒産したら多数の預金者が損害を受けるなど、社会的な影響は甚大です。だからこそ、そう簡単に潰れてもらっては困る、というわけですね。
したがって、金融規制当局(日本の場合は金融庁)は各金融機関が滅多なことでは倒産しないよう、個別金融機関の経営の健全性を維持させるべく、経営内容にクチを挟んでくるのです(ちなみに金融庁があまりにも無能すぎるという論点については、本稿ではとりあえず割愛します)。
銀行等に対する自己資本比率規制の目的は、こうしたまさにこの「経営の健全性確保」にあるのであり、自己資本比率規制はその重要な柱のひとつなのです(ほかにも流動性規制やレバレッジ規制などの論点もあるのですが、これらについて深く知りたい方は、別途、セミナーを受講してください)。
「自己資本」の定義は会計上の「純資産」よりも広い
さて、個別金融機関がこの自己資本比率を高めるための方法は、2つあります。ひとつめは自己資本を増やすこと、ふたつめはリスクアセットを減らすことです。
ただし、本稿ではこのふたつめの論点については敢えて触れません。リスクアセットを具体的にどうやって計算するのか、あるいはその計算上の留意点などについて、詳しく知りたい方は当ウェブサイトのコンタクト先メールアドレス info@shinjukuacc.com までご連絡ください。
本稿で取り上げておきたいのは、自己資本の方の話です。ここで重要なポイントを紹介しておくと、「自己資本」と呼ばれる概念は、会計上の「株主資本」ないし「純資産」の概念とは異なります。会計上の「純資産の部」の概念よりも、少し広いのです。
俗に「自己資本」と聞くと、企業会計に詳しい方(とくに監査業界の方や経理畑の方)であれば、「資本金、資本剰余金、利益剰余金、評価差額、…」といった項目を思い浮かべることが多いと思いますが、銀行自己資本比率規制にいう「自己資本」にはこれらの項目だけでなく、「社債」もカウントされるのです。
「社債が自己資本を構成する」、などと主張すると、企業会計に詳しい方々から、「何をバカなことを?」、「お前は本当に会計士か?」などとお叱りを受けそうですが(※実際にそういうお叱りを受けたことがあります)、これは残念ながら事実です。
銀行等の「ペイオフ」という制度
ここで、自己資本にカウントされる社債について議論する前に、まずは金融機関の資金調達構造の特徴を確認しておく必要があります。
銀行等の金融機関にとっては、最も守られるべき「負債」は預金(とくに当座預金や普通預金などの「決済性預金」)です。もしも金融機関が経営破綻した際に、預金者から預かったおカネを払い戻すことができなければ、経済全体に深刻な影響が生じることになるからです。
このため、日本では預金保険機構(預保)が決済性預金については全額保護しているほか、「一般預金」と呼ばれる預金(利息が付く普通預金や定期預金など)についても1人あたり1000万円(プラスその利息部分)までは保護される、という仕組みが採用されています。
ただし、「一般預金」のうち1000万円を超える部分については保護されないほか、外貨預金、譲渡性預金などについては最初から保護の対象外とされており、したがって、金融機関が破綻したときにはその金融機関の財産状況に応じて払い戻される金額が決まります。
こうした金融機関の破綻処理方式が、いわゆる「ペイオフ」です。そして、やはり一般の預金者の預金が「ペイオフ」方式により切り捨てられると、社会的な影響は甚大です。
日本におけるペイオフの事例としては、民主党政権時代の2010年9月に当時の日本振興銀行が経営破綻したときのものがありますが、当時の報道等によれば、金融規制当局が「日本振興銀行のペイオフにより日本の金融システム全体に与える影響は大きくない」と判断した、といったものがありました。
しかし、それ以前の金融機関の破綻処理(たとえば日本振興銀行の経営破綻の7年前の2003年11月に経営破綻した足利銀行のケースなど)では、このペイオフ方式は用いられず、基本的には預金は全額保護されてきました。
金融機関の預金を全額保護するためには、ケースによっては公的資金を注入しなければならないこともありますし(いわゆる「納税者の負担」)、そうなると、ときの政権に対しても有権者からの厳しい目が注がれることもあるのです。
だからこそ、金融規制当局としては、金融機関経営の自主性をできるだけ重んじながらも、やはり最低限のルールとして、自己資本比率規制は守らなければならない、というスタンスを取っているのです。
銀行以外の業態にも自己資本比率規制がある
また、自己資本比率規制が適用されているのは、銀行等金融機関だけに限られません。
日本の場合だと、証券会社に対しては俗にいう「証券BIS規制」が適用されていますし、保険会社に対しても「ソルベンシー・マージン比率規制」が適用されています。これらの規制も広い意味では「(準)金融機関に対する自己資本比率規制」のようなものです。
保険会社の場合、保険契約者に対して保険事故が発生した場合には保険金を支払わなければなりませんが、会社経営の健全性が損なわれれば、肝心の保険金を支払うことができなくなってしまうケースもあるかもしれません。
これに対し、証券会社の場合は、顧客からの預かり資産そのものは基本的に自分の資産と分けて管理すること(いわゆる分別管理)が義務付けられているため、証券会社が倒産しても直接に顧客に迷惑がかかることはあまり多くありません。
ただ、それでも証券会社も金融機関に準じた業態ですので、やはり滅多なことでは経営破綻しないよう、「固定化された資産」以上の自己資本を持つことが義務付けられているのです(※計算ロジックについては銀行や保険会社などとは大きく異なりますが、その詳細については割愛します)。
劣後債や優先出資証券
以上を踏まえたうえで、「自己資本にカウントされる社債」という、世の中の公認会計士が聞くと卒倒しそうな論点について確認してみましょう。
あらかじめお断りしておくと、「社債が自己資本にカウントされる」というのは、あくまでも自己資本比率規制の世界の話であり、それらの社債が会計上も「自己資本」(?)にカウントされる、という意味ではありません。
そして、ここでいう「自己資本にカウントされる社債」とは、基本的には「劣後債」と呼ばれるものです(※厳密には「社債」だけでなく「優先株式」「優先出資証券」、あるいは広い意味では「TLAC債」なども含まれるのですが、このあたりの説明も細かくなりすぎるので割愛します)。
劣後債とは、その名の通り、「弁済順位がほかの負債から劣後する債券」のことです。
「バーゼルⅡ」と呼ばれる規制では、この劣後債とは「期限付劣後債」(いわゆる “Lower Tier 2” )と「永久劣後債」(いわゆる “Upper Tier 2” )などから構成されていました。
ただ、2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した金融危機に際してこれらの「資本」が役に立たないことが判明。その後の「バーゼルⅢ」と呼ばれる現行の規制では、「期限付劣後債」や「永久劣後債」についても改革されました。
具体的には、現在の規制では基本的には「損失吸収条項」(いわゆる “Loss Absorbency” )が付された債券(俗にいう “Contingent Convertible Bond” 、すなわち「CoCo債」)でなければ自己資本にカウントできないこととなったのです。
期限付劣後債や永久債のコール条項
この「CoCo債」のなかにも、かつての “Upper Tier2” や “Lower Tier2” よりも条件を厳格された「T2証券」に加え、この「T2証券」よりもさらにリスクが高いとされる「AT1証券」という違いもあるのですが、ここではとりあえず「T2証券」について注目してみましょう。
ここでいう「劣後債」は、通常の預金などの負債と比べて弁済順序が落ちるものを指し、たとえば「10年債」などとして発行されるものの、多くの場合は発行から5年が経過して残存期間が5年となった時点で発行体が償還できるという条項(いわゆるコール条項)が付されているケースが多いです。
その理由は、バーゼル規制では自己資本にカウントできるためには、当初から5年以上の債券として発行しなければならないのに加え、社債の残存期間が5年を割り込んだら、自己資本にカウントできる部分が段階的に減ってしまうからです。
したがって、「当初は10年債のつもりで発行するけれども、5年後に償還することができる債券」のことを、俗に「10NC5」(テン・ノンコール・ファイブ)などと呼ぶことが多いです(※最近ではこの「10NC5」という用語はあまり用いられないようですが…)。
これを買う投資家の側は、「どうせこの債券は5年後に償還されるに違いない」と目論んで、「10年債」ではなく「5年債」として購入します。というよりも、債券市場では、「5年債」の方が「10年債」よりも低い金利で調達できることが多く、発行体にとっても、投資家が「5年債」とみてくれる方が、都合が良いのです。
したがって、マーケットの暗黙の前提として、この「10NC5」と呼ばれる債券は、法定償還期限は10年であるものの、事実上、「5年で償還される債券」とみなされます。発行体の側も、劣後債の発行から5年後に償還(コール)し、新たな劣後債を発行する、という流れが一般的です。
また、「永久債」として発行されるものの、発行してから数年でコールがかかる、というケースが多いのも、同様の事情に基づきます。
「コールのスキップ」とはなにか
ところが、発行体が何らかの事情で、この「10NC5」を「5年目なのに償還しない」という事態が生じることがあります。
これが、俗に「コールのスキップ」と呼ばれる現象です。
そして、この「コールのスキップ」が発生すると、マーケット的にはわりと大変なことが発生します。なぜなら、市場参加者にとっては、この発行体が資本調達手段の借り換え(ロール)に苦慮している、というメッセージにもつながりかねないからです。
そもそも論ですが、残存期間が5年を割り込んでいるにも関わらず「コールがスキップされる」というのは、発行体にとっては異例の事態です。残存期間が5年を割り込んでしまうと、せっかく劣後債を発行しているのに、その全額を資本に算入することができなくなるからです。
それなのにコールをスキップしたという事実自体、「発行体があらたな資本調達手段(社債など)を発行することができない状況が生じている」、「発行体が資金調達に苦慮している」、といった憶測を、金融市場参加者に生じさせる可能性があるのです。
実際、この「コールのスキップ」は極めて異例です。著者が知る限り、日本でも2008年前後に数例しか見られませんでしたし、世界的に見ても、そう何件も発生しているものではないからです。
コールのスキップの深刻さ
ちなみに著者の私見で恐縮ですが、コールをスキップする場合には、基本的には2つの理由が考えられます。
ひとつは「市場金利が上がり過ぎ、資金調達手段として既存の劣後債の金利が有利だから、わざとコールをスキップする」というケースであり、もうひとつは「経営不安のために資本調達ができなくなってしまい、コールをかけると資本不足に陥る」、というケースです。
このどちらのケースであるかによって深刻さは異なります。とくに後者のケースだと、コールをスキップした金融機関の規模が大きければ大きいほど、まさに金融危機に直結しかねない話でもありますが、前者のケースであっても、それだけ資金調達環境が厳しい、という証拠でもあるのです。
いずれにせよ、現実の金融市場で銀行等金融機関や保険会社、証券会社などが発行する劣後債で「コールのスキップ」が発生するという現象が生じたときには、その状況に応じて金融規制当局としても市場に何らかのメッセージを出すなどの対応を迫られる可能性もあるでしょう。
そうした事態がおいそれと発生しないことを祈るのみ、です。
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この手の債券に仕事で投資したことがありますが(隣国ではありません)、コールされるのを前提で買っていますので、今回の事態はインパクト大きいですよね。しかも、金融機関だなんて。終わってますね。あるいは、借金は返さなくてもいいという隣国の気質なんでしょうかね(知らんけど)。
総論の提示に次いで各論が展開される流れと読みました。借りた金は今は返せんと延期を宣言した金融機関はどこなのでしょう。そして今後至近にあるいは中長期に起き得る事態にはどんなものがあるのでしょう。わくわくします。
>お前は本当に会計士か?
ここはやはり寒いおやじギャグ、なーんちゃって、で即時反撃するほかない ...
韓国債券、世界市場からそっぽ? 興国生命5億ドルのコールオプション行使見合わせ(中央日報)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7573de0f7a541c887608df1150ba8356ca07cf41
↑こちらの件をご解説いただいたのだと思うのですが、解りやすくスッキリしました。ありがとうございました。
目先の”得”につられてスキップしちゃうと、次回からの資金調達が厳しくなるはずなんですけどね。
>生保:早期中途償還コールオプションを行使しないことにした。
投資家:それって、「凍るオプションの行使」やないかい!(怒)
有難うございます。昨日から「この話題、早くやってくれないかな?」とずっと待っていました。
>「市場金利が上がり過ぎ、資金調達手段として既存の劣後債の金利が有利だから、わざとコールをスキップする」
韓国では新規社債の利息がトンデモなく上昇しているから
こっちがコールスキップの理由だと思います。
後頭部を殴られた一部の投資家が騒いでいるだけの案件な気がします
oinkoさま
韓電により、「新規社債の利息がトンデモなく上昇」が理由に賛成しますが、
「後頭部を殴られた一部の投資家が騒いでいるだけ」ではなく、
その他の企業が、新規社債をスムーズに発行できないから、騒ぎになるのでは?
自己資本にカウントされるのが負債としての社債なのか、債権としての社債なのかもわからない程度の素人さ加減でしたが、最後まで読み進めてようやく例のニュースがピンと来ました。勉強になります。
社債を買う側が5年償還を前提にするのだから、発行側も単に金利や為替の前後比較の判断だけでスキップするわけではないんでしょう。
一部の信用を失うので次の発行では金利を更に上乗せしないと買ってくれなくなりますよね。
しかし、実質5年で償還される10年債なんて、妙な習慣ですね。デフォルトリスクを時間で分散する意味かな?
興国生命の件は、金が無い(人は居る)のであり
想定される状況は
1)保険請求されても支払いできない
2)倒産するかも
3)会社、誰か買ってくれないかな~
の3点のどれでしょうか?
そういえば、入社してすぐ「総論」「会計」「資産」「運用」など勉強させられました。
金融機関に入社したんだなと実感した記憶があります。
それはともかく、
大衆迎合の政治を好んで選んだ結果なので、隣国は甘んじて受けるんでしょうね。