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現在進行形でいままさにネットに駆逐されつつある新聞

ネットという新たなテクノロジーでさまざまなトラブルも発生していますが、だからといって「ネットをなくせ」という議論にはなりません。便利だからです。そして、自動車が普及して馬車が駆逐されたのと同じく、ネットが普及してまっさきに駆逐されるのは、おそらく新聞です。こうした視点から例の「琉球新報vs西村博之氏」という論点を眺めなおしてみると、これなど、いままさに新聞がネットに駆逐されつつある証拠なのです。

一般人が痛感するネットの威力

ネットの出現が私たちの生活を根底から変える

インターネットの出現は、本当に私たちの生活を根底から変えつつあるようです。

普段から当ウェブサイトで取り上げている話題のひとつが、インターネットというツールの利便性です。

当ウェブサイトは「独立系ウェブ評論サイト」などと名乗っているのですが、じつは、当ウェブサイトは宣伝活動をまったく行っておらず、著者「新宿会計士」自身、実名もいっさい出していません。当ウェブサイトをご訪問いただいている方はおそらく、検索エンジンやどこかのリンクから偶然辿り着いた、という方が多いのではないでしょうか。

冷静に考えたら、こんな「素性もわからない、どこの誰とも知れない怪しい者」が執筆しているサイトに、毎月100万を超えるページビュー(PV)があるというのも不思議な話です。べつに当ウェブサイトには社会的な権威もなにもないからです。

ただ、著者自身は当ウェブサイトについて、一種の「社会実験」の場だと考えています。当ウェブサイトのような無名なウェブ評論サイトが読者の皆さまに支持していただけるためには、結局のところ、「そこに書かれている内容」だけで勝負をしなければならないからです。

これが「●●新聞」、「●●テレビ」、「週刊●●」などのように、社会的に「箔」があるブランドであれば、その新聞に掲載されているから、あるいはそのテレビで紹介されたから、というだけの理由で、人々に信頼されるという側面があります。

少なくとも著者自身は、基本的にはテレビに出演したことはありませんし、新聞についても(一部業界紙を除いて)寄稿したことはありませんし、雑誌も『月刊正論』『月刊WiLL』『月刊Hanada』の3誌を除いて寄稿したことはありません。

しかも、著者自身が上記3誌に寄稿するきっかけは、当ウェブサイトでの記事が各誌の編集者の方の目に留まったから、というものであり、べつに著者自身がどこかの新聞社、雑誌社に「寄稿させてくれ」と持ち込んだわけではありません(その意味で、貴重な寄稿の場をくださった各誌の皆さまには深く感謝申し上げたいと思います)。

このように考えていくと、やはり当ウェブサイトのような事例は、これまでだと珍しかったのではないでしょうか。

物品売買サイトでみるネットの威力

さて、どうしてこんなことを改めて申し上げたのかといえば、インターネット空間の場合、各ユーザーが何らかの「必要性」に迫られ、自分自身でウェブサイトを検索して必要な情報を入手するところから始まる、という側面があると思ったからです。

そして、私たち一般人が情報の「受け手」になることもあれば、それと逆に情報の「出し手」になることもあります。すると、思わぬトラブルに直面することもあるのです。その一例が、「物品売買サイト」でしょう。

著者自身も現在、とある事情があって、一般人同士で不用品を売買するアプリを自身の携帯電話にインストールし、使用していますが、これが非常に興味深いのです。

おそらく読者の皆さまのなかにも、この手のサイトを利用したことがあるという方はいらっしゃると思うのですが、わかりやすくいえば、「不用品を売りたい/譲りたい」という人と、「安値で買いたい/ただでもらいたい」という人同士で、お互いに需要がマッチさせましょう、という試みです。

この手のサイトはいくつかあり、それぞれのサイトでルールがあるようですが、共通しているのは「一般人」が「不特定多数に向けて情報発信をしている」、という点でしょう。

たとえば著者自身が最近使用したサイトのケースだと、出品する側はその品物の写真を5枚までアップロードすることができ、その商品のカテゴリー(家具、家電、自転車、車のパーツ、バイク、楽器、チケット、生活雑貨、子供用品、おもちゃなど)を選んだら、投稿タイトルと本文、金額などを入力して完了、というわけです。

この「投稿タイトル」と「本文」には、たとえばこんなアピール点を入力します。

薄い木製の本棚
  • 10年ほど前に約12,000円で購入した本棚です。
  • サイズは高さ約170㎝、幅約60㎝、奥行き約20㎝です。
  • 都心の狭い一人暮らし用マンションのために特注しました。
  • 奥行きが非常に薄いのですが、たいていの書籍はこの奥行きで十分に収納可能です。
  • 古いため傷はありますが、しっかりした作りですのでまだまだ使えます。
  • 発送は承っていません。引き取りに来てくださる方にお譲りします。

すると、この投稿に対して興味を持った人が、アプリのメッセージ機能を使って連絡してくるので、あとは値段と受渡場所などについて合意できたら取引成立です。本当に便利な時代になったものです。

ネットにトラブルはつきもの

ただし、だれでも登録できるサイトでもあるため、とても非常識なユーザーも多数棲息しています。

こちらが出品した品物に対し、「是非とも譲ってください」とメッセージを送りつけてくるわりに、「はい、それではお譲りします」と返信しても、それっきりまったくコンタクトがないユーザーもいますし、取引が成立したあとで「値段を変更してくれ」、などと要求してくるような者もいます。

酷い場合には、「それでは何月何日、この場所で取引しましょう」、と合意しているにも関わらず、ドタキャンされる、というケースもあります。このあたりは本当に腹が立つ話かもしれませんが、結局、半分匿名でオークションを行っているため、こうしたトラブルは枚挙に暇がありません。

また、著者自身は経験したことはありませんが、いわゆる「すり替え詐欺」のようなものも頻発しているようです。

これは、ブランド品を売買する際に、いったんその品物を引き取り、後日、「あなたから引き取った品物は偽物だったから売買をキャンセルしたい」などと申し立てる、というものだそうです。

もちろん、出品者としては、本当にそのブランド品を出品したにも関わらず、相手からは偽物が返送されてきて、返金に応じざるを得ない、というものです。ケースによっては明らかな詐欺に該当することもあるようですが、脇が甘い出品者だと「泣き寝入り」となるケースもあるそうです。

余談ですが、著者自身に「自衛策」があるとしたら、「相手の評価の数をチェックする」、「無料で出品するのではなく、わざと数百円など値段をつける」、といったことだと思います。また、素人はこの手のサイトであまり高額な品物(たとえばブランド品や貴金属など)の売買は行わず、きちんとした業者を通すべきでしょう。

違法性の疑いが極めて濃厚な行動に関する求人

また、この手のサイトで思わず苦笑してしまったのが、反社会的な、あるいは違法性の疑いが極めて高い求人広告が出ていることです。

ある日、商品を出品し終えた直後に、自身の出品を確認するために一般向けの掲示板を開いたところ、そこに偶然表示されていたのが、運送業を営んでいるらしい会社による、こんな趣旨の求人です

短期アルバイト募集!駐禁の見張り

東京都心部でトラックを路駐する際、駐禁の見張りとして助手席に座っていただきます。責任感を持って仕事をしてくれる人を募集します。日給は2000円です。

「日給2000円」というのにも驚きますが、いちおう1日の勤務時間は1時間半なのだそうです(交通費はちゃんと負担しているのでしょうか?)。

ただ、この手の求人、「当社は運送トラックを駐車禁止の場所に停めることがあります」と宣言しているようなものではないでしょうか。

もちろん、「駐停車禁止場所」で「見張りをつける」というのは、警察の交通違反取締を避ける手段としては一般に行われていることではあるため、この求人自体が直ちに違法行為であるとまでは言い切れないのかもしれません。

ただ、同社のことを少し調べてみたら、働き手からもユーザーからもずいぶんと悪評が高いようであり、「口コミサイト」によると「仕事が乱雑」「受付も態度が悪い」「もうあの会社には絶対に依頼しない」といった評価が上位に表示されていました。

運送業を営むのであれば、「駐禁場所に駐車する」のを当然の前提にするのではなく、きちんと駐車料金を支払うなりして、然るべき場所に駐車すべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

ニューテクノロジーにトラブルはつきもの

自動車普及で交通戦争

さて、やはりインターネット空間では、誰でも気軽に参入できるという事情もあってか、トラブルもまた後を絶ちませんが、これも文明が進歩するときには人類が必ず直面する課題です。

たとえば、自動車が出現したら生活はたしかに便利になりましたが、それと同時に交通事故が社会問題化し、日本でもとくに高度経済成長期には「交通戦争」などと呼ばれたこともあるほどです。

しかし、運転免許制度を通じて当局による規制、啓蒙活動などの努力も続けられ、社会環境の変化に応じて規制も変化するなどしたためか、日本では毎年少しずつではあるにせよ、交通事故の犠牲者数は減少傾向にあることは間違いありません(図表1)。

図表1 人口10万人あたりの高齢者及び高齢者以外の交通事故死者数の推移

(【出所】内閣府『令和元年交通安全白書』)

結局、インターネットの世界もこれと同じではないでしょうか。

交通の世界に自動車という新たなテクノロジーが出現したのと同じく、通信の世界にインターネットという新たなテクノロジーが出現したことで、私たちの生活は飛躍的に便利になりましたが、その反面、いままでだとありえなかったような「事故」が多発する、というわけです。

自動車事故が発生しても「馬車に戻せ」という主張は出てこない

さて、新たなテクノロジーの話に論点を戻しましょう。

自動車が普及したことによって、たしかに交通事故などのあらたな社会問題が引き起こされたのですが、ただ、これらの問題にもかかわらず、「自動車を禁止して馬車に戻そう」、といった議論は、どの国でもほとんど発生していないようです。

なぜか。

理由はとても簡単で、自動車がやはり便利だからです。

自動車と似たような事例としては、飛行機があります。飛行機もときどき悲惨な事故が発生しますが、それでも「飛行機事故をどうやってなくすべきか」という議論が出てくることはあっても、「飛行機そのものをなくすべきだ」、という主張はほとんど出てきません。

(※なぜか原発に関しては、原発事故が発生すると「原発事故をどうやってなくすべきか」という議論ではなく、「原発そのものをなくすべきだ」という主張が出てくるのは不思議と言わざるを得ません。)

つまり、自動車にしても飛行機にしても、事故が発生すると悲惨なことになるという点を人々は理解したうえで、それでも「便利だから」使い続けているのであり、悲惨な事故が発生したときには「どうやってその事故が発生しないようにするか」を考えるのが当たり前なのです。

真っ先に駆除される媒体は「新聞」

そして、自動車の普及により馬車が駆逐されたのと同じ現象が、おそらく情報の世界でも発生するでしょう。

いや、すでに発生し始めている、というべきでしょうか。

インターネットの普及に伴い真っ先に「駆除」される媒体は、紙でしょう。

すでに紙媒体の新聞、雑誌は、程度の差こそあれ、部数が激減するという現象に直面し始めていますし、収入源である広告費の世界でも、大きな地殻変動が生じています。

たとえば一般社団法人日本新聞協会が発表している新聞の発行部数に関するデータを加工すると、2021年における新聞の発行部数は朝刊部数が3240万部、夕刊部数が711万部だったそうです(※元データは「セット部数」「朝刊単独」「夕刊単独」という集計区分です)。

しかし、これが2000年時点だと、朝刊は5189万部、夕刊は2001万部でしたので、この20年あまりで朝刊は1949万部、夕刊に至っては1289万部も減少した計算です。減少率に換算すれば朝刊が37.56%、夕刊が64.45%です。

朝刊の減少率が夕刊のそれと比べて緩やかな理由はさだかではありませんが、これについて著者自身は次の4つの仮説を抱いています。

  • ①折込チラシ…朝刊に折り込まれる近所のスーパーの特売情報などのチラシを目当てに朝刊を取り続けている世帯がいる
  • ②訃報欄需要…地元紙に掲載される訃報欄などには根強い需要がある
  • ③夕刊の廃刊…夕刊自体の発行を取りやめるという事例があるため夕刊が朝刊より激減している
  • ④「押し紙」…消費者に販売されていない虚偽の部数が水増しされている

上記①~④についてはいずれもそれなりに有力な仮説ではないかと思うのですが、これについては現時点でどれが正解なのか、あるいはほかにも要因があるのか、確たることはなかなかいえない状況ではあります。

ただ、チラシに関してはスマートフォンのチラシアプリに配信されますし、「押し紙」についてもいつまでも続けられるものではありません。結果的に、新聞は「訃報欄」需要だけで生き延びていかざるを得ないのかもしれませんね。

広告費は20年で新聞が3分の1、ネットが50倍に!

また、ネットの隆盛、オールドメディアの退勢の証拠が、広告費です。

ついにネット広告費がマスコミ4媒体広告費を追い抜く』でも取り上げたとおり、株式会社電通が発表するレポートによると、ついに2021年にはマスコミ4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)を合計した広告費がネット広告費に追い抜かれました。

ついに、ネット広告費がマスコミ4媒体広告費を追い抜きました。株式会社電通が先月公表した2021年版の『日本の広告費』によれば、マスコミ4媒体(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の広告費はコロナ禍で急減した2020年と比べてやや持ち直したものの、成長著しいインターネット広告費に、あっけなく追い抜かれた格好です。本稿ではまず、その事実確認をしておきたいと思います。株式会社電通『日本の広告費』の最新版当ウェブサイトでは例年、株式会社電通が公表している『日本の広告費』というレポートをもとに、インターネット広告費と...
ついにネット広告費がマスコミ4媒体広告費を追い抜く - 新宿会計士の政治経済評論

具体的には、2021年の広告費についてはマスコミ4媒体の合計が2.45兆円だったのに対し、ネット広告は2.7兆円と、史上初めてネットがマスコミ4媒体を上回ったのです(図表2)。

図表2 広告費(インターネットvsマスコミ4媒体)

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』および「埼玉県民」様提供データより著者作成)

ちなみにマスコミ4媒体のなかでも新聞広告費の落ち込みは激しく、2000年に1.2兆円を超えていた新聞広告費は、2021年には3815億円と、じつに3分の1以下に落ち込んでいることが確認できます。

これに対してネット広告費は、2000年においてはわずか590億円でした。20年あまりで一気に46倍にまで拡大した計算です。このペースで伸び続ければ、下手をすると数年のうちに、マスコミ4媒体の広告費の倍以上に達するかもしれません。

これについては、紙媒体、電波媒体の広告媒体としての魅力が下がっているからなのか、ネットの広告媒体としての魅力が上がっているからなのかはわかりません(もしかしたらその両方でしょうか)。しかし、この傾向が不可逆的なものであることだけは間違いないでしょう。

駆逐されつつある新聞

西村氏vs琉球新報は西村氏の圧勝

そうなると、結局は自動車が馬車を駆逐したのと同じ現象が、新聞の世界でも生じるのかもしれません。

いや、すでに新聞とネットで情報発信力、人々を説得する能力の格差が生じ始めているのです。

昨日の『琉球新報が西村氏への取材を取りやめた経緯の不可解さ』では、琉球新報が西村博之(ひろゆき)氏に取材を申し込んだものの、西村氏側がウェブ配信などを条件としたためか、琉球新報が取材をドタキャンした、という話題を取り上げました。

琉球新報はどうして西村博之氏に対する取材を中止にしたのでしょうか。調べていくと、いろいろと不可解です。琉球新報側の言い分だと西村氏側が「他メディアのチャンネルでの配信を必須とする条件を突然出してきたからだ」としているのですが、それが事実だったとして、なにか問題でもあるのでしょうか?昨日の『琉球新報の西村博之氏に対する取材が前日に取りやめに』では、「2ちゃんねる」創始者としても知られる西村博之(ひろゆき)氏に対し、琉球新報が取材を申し込んだところ、その取材が中止になった、という話題を取り上げま...
琉球新報が西村氏への取材を取りやめた経緯の不可解さ - 新宿会計士の政治経済評論

琉球新報側が取材をドタキャンした言い分は、こんな具合です。

調整を進める中、ひろゆきさん側から19日、他メディアのチャンネルでの配信を必須とする新たな条件を提示された。本紙は他メディアで本紙記者のインタビューが配信されることを検討したが、取材予定日までに結論を出せないため、21日のインタビューは見合わせたいとひろゆきさん側に伝えた」。

正直、琉球新報側の言い分は、「他メディアが入ると何らかの困る事情がある」と述べているのとほぼ同じです。琉球新報が西村氏に取材する様子を生配信されると、後日、琉球新報の記事がネット上で検証されるのが困るのではないでしょうか。

著者自身は西村氏の普段の主張に100%賛同することはありませんし、西村氏を「ネットの象徴」とみるのは適切ではないとも考えていますが、本件のみに関していえば、この騒動を巡っては西村氏の完勝だったと断言して良いと思います。

実際、ネット上でも、琉球新報の側を擁護するコメントがないわけではないのですが、ツイッター上の「いいね」の数だけで判断するならば、圧倒的多数は西村氏に軍配を上げています。

昨晩10時の時点で琉球新報側ツイートについた「いいね」が7300件少々、西村氏側ツイートについた「いいね」が7.3万件でしたので、ちょうど10倍です。

もっとも、フォロワー数は西村氏が215万人、琉球新報が11万人弱ですので、そもそもネット上で琉球新報が西村氏に勝負を挑むこと自体がやや無謀といえるのかもしれませんが…。

情報のタテヨコ検証

いずれにせよ、インターネットの普及は、私たち一般人にとっても、非常に大きな恩恵をもたらし始めています。そのひとつが、以前の『ネット「タテヨコの広がり」議論を深める読者コメント』でも触れた、「情報のタテヨコ検証」という論点です。

ネット時代における「タテヨコの広がり」という論点があります。これは、インターネットの普及で人々が多くのより情報源から情報を得ることができるようになったこと、同一メディアの過去の情報発信を追いかけることができるようになったこと、という2つの特徴を意味する当ウェブサイトの造語です。これを巡って本稿ではとある読者コメントを2つほど取り上げたうえで、その議論の広がりを確認してみたいと思います。ネット時代における「タテヨコの広がり」当ウェブサイトでこれまで取り上げてきた話題のなかには、「インターネット...
ネット「タテヨコの広がり」議論を深める読者コメント - 新宿会計士の政治経済評論

当ウェブサイトでいう「情報のタテ検証」とは、「ある話題を同じメディア・同じ人物などが時系列でどう報じてきたか」を検証するというものであり、また、「ヨコ検証」とは「ある話題を同じ時点において異なるメディアがどう報じているか」を検証するというものです。

この検証をすることで、あるメディアが誤った報道、偏った報道をしてしまった場合、あっという間にバレてしまうようになったのです。

それだけではありません。

最近だとツイッターなどのSNSが発達し、だれでも気軽にスマートフォンで写真や動画を撮影し、それをその場で投稿することができるようになるなどしたため、下手をするとメディアの報道よりもはるかに早いタイミングで、現地の状況を知ることができてしまうこともあります。

もちろん、ネット上に「フェイク・ニューズ」が皆無だと申し上げるつもりはありませんが、だからといって、「信頼性という意味では既存の新聞、テレビの情報のほうが高い」、「ネット上の情報は信頼できない」という話にはなりません。そもそも「フェイク・ニューズ」は既存の新聞、テレビといったメディアでも普通に観測されるものだからです。

したがって、このインターネット時代に重要なことは、私たち一般人であっても、手にする情報の妥当性については自分自身で判断しなければならない、ということですが、それと同時に、これらの情報については可能な限り検証する癖をつけるべきである、という点に尽きるのではないかと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (50)

  • そういえば、ABC新聞発行部数レポートベースによると朝日新聞の発行部数が400万部割れしたというニュースが出ていましたね。

    朝日に限らず新聞などオールドメディアの取材スキルは決して低くないと思うのですが、余計な編集操作や偏った論調のために自傷行為になっている。

    かつてイギリス自由党は第一次大戦後の内紛で崩壊して泡沫政党に成り下がり、「歴史的存在としては自殺した政党」と評されましたが、朝日のようなメディアもまた「マスメディアとしては自殺した」と言われることになるのでしょうか。

  • 「沖縄メディアvs西村博之氏」はどうも、前者が”損切り”や”撤退”をしたがっているのに
    出来ないジレンマに苦しまされている、と言う印象を受けますね。

    紙面で博之氏の主張には一切反論しないまま勝手に批判を繰り広げたり、
    ネトウヨ呼ばわりしたり、挙句の果てにはこの取材のドタキャン。

    私は当初、沖縄メディアは一通り博之氏を「論破する価値もない、残念な人」扱いした後は
    居ない者として扱い、今回の騒動を無かった事にするだろう……と予想していました。
    しかし予想外に騒動が長引いています。意外にも博之氏の主張が”お仲間”や”スポンサー”に
    不安視されているのでしょうか?

    黙りたいけど黙れない、黙らせる事も出来ない……オールドメディアにとっては
    最悪の相性の敵かも知れませんね、博之氏は。

    • 雪だんごさま
      >オールドメディアにとっては、最悪の相性の敵かも知れませんね、博之氏は。
       さすがに極論ですが、会社のためとして、博之氏を殺害しようと、考えるかもしれません。

      • すみません。追加です。
        どこかが、「新聞社の契約社員が、会社にとって不都合な情報をネット配信しようとした男を、会社のためとして、殺害した」という映画を作ったら、面白いと思いませんか。

        • >>「新聞社の契約社員が、会社にとって不都合な情報を
          >>ネット配信しようとした男を、会社のためとして、殺害した」
          >>という映画

          題材としては面白そうですが、”映画”として作れるとしたら
          非公式の物になりそうですね。既存のマスコミが
          こんなテーマの映画は存在自体認めないでしょうから。

    • >私は当初、沖縄メディアは一通り博之氏を「論破する価値もない、残念な人」扱いした後は居ない者として扱い、今回の騒動を無かった事にするだろう……と予想していました。

      Twitterの「#ひろゆき離れ」を無理矢理トレンド入りさせてそれを実行しようとしたフシがありますが、そもそも「ひろゆき離れ」を起こすほど彼を盲信してるような人間はほとんどいないことの指摘であったり、ひろゆき自身が「”ひろゆき離れ”の結果をお知らせします」などとむしろフォロワー数が爆増した事を報告してきたりと、彼らの目論見は失敗に終わりましたねw

      ネットを敵視し、ネットを軽視してきたオールドメディアが、ひろゆきをオールドメディアの土俵に誘い出そうとしても、「ネットで実況放送する」ことを条件にされることでそれはひろゆきのホームグラウンドでの戦いを余儀なくされており、あえなく撃沈という滑稽な結果となりましたw

  • おはようございます。
    朝早くからの投稿、ありがとうございます。

    本記事に対しては、新宿会計士様に同意です。
    ただ、ネットメディアは新聞に敵わない部分もあると思います。
    焼き芋や野菜を包む、少し濡らして窓ガラスを拭く、濡れたゴミを包んで捨てるなどは新聞が優れてます。

    • >焼き芋や野菜を包む、少し濡らして窓ガラスを拭く、濡れたゴミを包んで捨てるなど

      自分も新聞購読をやめて不便でしたが、今はネットで購入した宅配に詰められている紙の梱包材を重宝しています。更に新聞紙だと印刷されたインクで包んだ物が汚れますが、梱包材だと汚れません。

      • 攻撃型原潜#$%&〇X 様

        返信ありがとうございます。
        当方は業務で農家の御客様の測量をすると、新聞紙に包まれた新鮮な野菜を頂くことがあります。とても美味なので、遠慮せずに頂いてしまいます。

    • 土地家屋調査士様、皆様、お早う御座います。

      > ただ、ネットメディアは新聞に敵わない部分もあると思います。
      > 焼き芋や野菜を包む、少し濡らして窓ガラスを拭く、濡れたゴミを包んで捨て
      > るなどは新聞が優れてます。

      仰る通りです。私は長葱やキャベツを冷蔵庫で保存する際に、新聞紙に包む方法が効果的なのをWebで知りました。ですから宅急便の緩衝材に使われ私の手元に届いた新聞紙は捨てずに、長葱やキャベツを保存する際に備えて保存しています。

      ところで後暫くで師走で大掃除の時期を迎えます。手持ちの新聞紙で窓ふきに足りない場合に備えて、新聞紙の調達方法を調べました。何とAmazonで¥2,498で売っていました。

      ご参考迄にAmazonの新聞紙販売画面の説明文を転載致します。新聞紙には色々な利用方法があるのですね。確かにこれらはネットメディアでは太刀打ちが出来ません。

      Catsobat 新聞紙 古新聞 軍手1組セット 荷造り ペット飼育 トイレシート 引っ越し 梱包 中敷 BBQ アウトドア 包装材 緩衝材 機械油 掃除用品《予備紙梱包でボロボロな新聞一切なし!》 (90日分(約15kg))

      • 駝鳥様

        御教授ありがとうございます。
        当方の父親が認知症になり、施設の御世話になって以来、新聞購読を止めましたが新聞紙の入手が難しくなるのを感じてました。
        知人から頂いてましたが、知人も新聞購読を止めてしまったり。ゴミ捨場に置いてあっても、無断で持ち去ると窃盗罪が成立したり。

        余談ですが、個人的に新聞を購読する方は、ヨコ書きの日本語に馴染めないのではないでしょうか?。
        ネットメディアはほぼヨコ書きです。
        新聞、雑誌等のオールドメディアはタテ書きです(専門雑誌は例外アリ)。
        書籍は文庫本、マンガの吹出しまでタテ書き。昔、「ケータイ小説」というジャンルがヨコ書きでしたが、何となく読み難かった。
        単なる思い付きですが、日本語のタテ書きとヨコ書きの読解力、伝達力の違いなどはあるのでしょうか?。

        • > 個人的に新聞を購読する方は、ヨコ書きの日本語に馴染めないのではないでしょうか?

          特に何ら支障は感じませんが?
          経験的に言えば、学生の頃(日本語ワープロなるものが出始めた頃)、試しにワープロを使ってみたら、それまでの手書きで書いていた文章とワープロで書いたものとでは、自分でも驚くほど文体も文章そのものも違ってました。また、恥ずかしながらその頃ちょっとだけ現代詩に関わっていたのですが、手書き縦書きとワープロ横書きとでは感覚が全く異なります。そして横書きではロクに書けなかったことを記憶しています。
          結局のところ慣れの問題ではあるかもしれませんが、執筆する側からすると、結構な感覚的差異があるかもしれません。

          • 龍様

            返信ありがとうございます。

            業務で法務省のネット六法を閲覧することがありますが、ヨコ書のせいか理解に苦しむことがありますが、単なる慣れの問題ということですね。

    • わたしは紙の新聞を取らなってから、「畳の下には何を敷こうかしら」と悩んでおります。
      畳干しの時に古新聞を読む楽しみはなくなってしまいますが、防虫・防カビシートでも敷こうかしら。

      あれだけ潤沢な人、設備、金があるにもかかわらず、昨今の程度の品質の記事しか書けないということは、もはや何をやってもダメな組織なのでしょうね。

      • 同業者 様

        返信ありがとうございます。
        当方も土地家屋調査士登録証の額の中に、合格者の名前の入った官報と親父殿から頂いた開業の祝儀を入れてます。
        廃業する時、祝儀を何に遣うかを楽しみにしてます。

  • 良質の情報源を捜すことは永遠のテーマなんですが、それはある種の「娯楽」です。
    新聞記者は分かっていない。選別のふるいから落伍しかけていることを。彼らが生き残るには自分たちがネットの一部になるほかない。だが、スキル不足でどうこうなるような状況でないですね。

    • >良質の情報源を捜すことは永遠のテーマなんですが、それはある種の「娯楽」です。

      いい表現ですね。人と話すときに使わせていただきます。(ブログはやってませんけど)
      娯楽と捉えれば楽になれます。良質の情報源といっても所詮は人なので、永続しないし相対的なものですね。
      「かつては安住安息の地があった」というのは幻想だと思います。昔から何も変わってない。
      「確固たる良質な情報源がある」と信じる人が一定数いるのも、昔から何も変わっていないと思います。
      そうあってほしい願望はわかりますけど。

  •  素性の分からない個人評論が信用されるのもすごいのですが、箔のある大メディアが信用されないどころか疑われるというのも、逆にすごい話です。真逆の結果にありながら両者に共通するのは「日々の積み重ねによって結実した評価」ということでしょう。
     琉球新報の今回の言動も、確実に社と業界の信用に傷をつけているはずです。そして傷は適切に処置しなければそこから腐るものです。どうも自らのことを「傷もつかないし、ついても傷などすぐに消しされる」と思い込んでいるようですが。

     そういえば自分も、力仕事が辛くても翌日には体力は戻りどうにでもなると思っていましたが、年々そうでもないと感じるようになりました。メディアも、以前は実際に信用に傷などほとんどつかなかったし、多少のものは隠している間にきれいに癒えていたのかもしれません。しかし"オールド"メディア扱いされる今日、すっかりエグイ傷が簡単についてそこから腐敗が始まっているのに、気付けないでいるのかもしれません。単に取って替わられたからオールドというだけではなく、質も"老化"してしまっている。
     彼らが「おっかしいな前はこんなんじゃなかったのに……歳取ったなぁ、もうあかんかな。」と気づき認めるのには、時間がかかるかもしれません。どっかで一気にキますけどね。

  • >琉球新報側ツイートについた「いいね」が7300件少々
    >フォロワー数は(中略)、琉球新報が11万人弱

    何気に、これもすごい。こんな新聞にこれだけ賛同する人間がいるとは。

    • 「あなたはクリックするだけ
      「リモートワーク、ワークフロムホームの時代、誰にできる簡単なアルバイトです
      「ネット副業収入で生活レベルアッープ」

  • 朝日の記者は新聞記者というよりも活動家というのを読んだことがある。

    新聞記者にはそういうタイプ多いんじゃない?

    • 私感ですが、新聞記者を始めとするマスメディアの一部の先鋭化した人たちは彼らの中にある「正義」という名の神を信仰する宗教信者のようなものと思っています。
      「正義」の名はある時は、反権力であったり反安倍であったり、反原発・環境Co2・SDGsとか、ポリコレ・ジェンダーetcと変わりますが、
      その「正義」を無知な大衆に伝播する伝道師であると思っているのでしょう。

      宗教であるがゆえに、その「正義」に反対する者は「異教徒」であり排斥されるべきであると考え、その「教義」は絶対的に正しいので論理をもって疑義を挟んでも聞く耳持たず、自分以外の「正義」との比較やバランスを持って俯瞰する事もできないので、誤謬を認めることもできないのかと思っています。

      先鋭化した左翼・右翼等の政治集団や、欧米での環境活動家・BLM運動やジェンダーその他、極論に先鋭化した組織はだいたい全体が俯瞰できなくなりカルト化するものと思っています。

  • >(※なぜか原発に関しては、原発事故が発生すると…

    相変わらず本題と無関係な駄コメですが
    原発反対派の立場からひとこと書かせていただきたいと思います。

    自分が原発に反対している(あるいは原発を疑問視している)のは
    「事故」ではなく核燃サイクルの非現実性と廃棄物処理の見地からです。

    かつては(今も?)使用済み燃料は再処理によってPu239を抽出し
    「ガラス固化体」等と呼ばれる状態に加工された上で数十年の冷却の後地中で管理されるとされており
    Puを燃料とする原子炉と増殖炉が実用化されれば「原発を運転すると燃料が増える」という
    核燃サイクルによる薔薇色の未来が喧伝されていました。
    しかし、再処理施設および「もんじゅ」の現状からして核燃サイクルが絶望的なのは明らかです。
    また、あまり知られていないことですが現在の技術でPuを燃料として使う場合かなりのコスト高となり
    安全性も疑問視されています。

    つづく

    • エネルギー政策ではコストの問題は大きいとは思いますが、原発の場合は万が一の事故が起こった場合(レベルにもよりますが)対策費が比較にならぬほど膨大になるという問題は抱えていると思います。
      福島の場合でも事故後に税金より多大の復興費が流されてきたわけで、通常時のコストにプラスして事故を想定した事故引当金積立のようなコスト・それに加えやまいぬ様の仰るような所謂核のゴミの保管費用も加えた形でのコストを発電会社に負担させることにより、より事故の起きにくい体質や技術革新・保管や再利用への研究も進むのでは無いでしょうか
      被害が甚大なだけに一企業に背負わすのは厳しい事案かもですが、事故が起きても国や税金が後始末をしてくれる。それよりも運用コスト下げて利益率をという方向に行ってしまうと、かつての銀行や住専といった「利益は自分のものリスクは税金で後始末」というような方向に行ってしまいそうで心配ではあります。

      •  放射性廃棄物の処理技術も日進月歩なのに、反対派はこう言った面からは目を背けて「廃棄物ガー!」とドヤ顔で喚きまくっているのですね。

         https://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/

         「放射性物質の無害化まで10万年かかる」って化石化した過去に未だしがみ付いてるんですか?

        • すばらしい技術ですね。
          「一時期喧伝された薔薇色の未来だが今では絶望的」にならないように祈ります(皮肉ではなく本気で言ってます)
          この技術でイチエフのデブリを無害化できたら自分を含めた反対派も考えを変えると思いますよ。

          でもやまいぬ個人が夢見る未来は原子力よりメタンハイドレート。

          つづく

    • 日本海溝に沈めたらよいかと。

      マリンスノーが何十メートルも堆積してる安定した環境で、長期的に考えてもマントルの中に飲み込まれてゆくだけ。

      ロンドン条約で海洋投棄できないという「人間世界の約束事」
      で選択肢に上がってこないだけで、物理的には明日からでも安価に実施可能です。

      • 使用済み燃料がウランのような重金属の塊だと思っていませんか?
        核分裂生成物にはさまざまな物質が含まれており
        水より軽いものや水溶性のものもあるのですよ。

        つづく

    • 「核燃サイクルが絶望的である」という主張に反論がありませんのでこれを前提に廃棄物について語ろうと考えていましたが
      既に書かれている反論が「薔薇色の未来を夢見れば解決」とか「他国との約束を無視すれば解決」という
      お前らいったいどこの国の人ですかと問い詰めたくなるような情けないものばかりなので
      (もう一件「原発は危険だよ」と開き直る書き込みもありますがやまいぬが問題視しているのは「発電所の危険性」ではなく「廃棄物処理のコスト」です。)
      やる気がなくなりました。
      いったんキリにします。

  • そういえば、と今日気づいたのですが、図表2広告費のオールド+ネットの合計値はずっと伸びてるんですね。
    ネットが広告市場そのものを拡大してきたんですね。パイを食い合ってるだけじゃなくパイを大きくもしていた。価格設定の柔軟さとか、広告を見る人はグローバルだからとか、そういう理由でしょうかね。

    ひろゆき氏のその後の活動を見ると、やはり「左いじり」の新市場を開拓しにかかってるように見えます。
    あるいは、左いじりじゃなく「政治」分野参入かもしれませんが、もし目的が後者だとすると、彼は勉強が足りないので厳しいと思います。
    ある時、その道の専門家に対してwikipediaで対抗しようとしたときには仰け反りました。ネットで食うところから外には出られない人なんじゃないかな。

    • 是々非々が大事ですよね
      誰が言ったかで判断ではなく、何を言っているかで判断するのがネットリテラシーだと思います

  • 日本の対韓問題にしろ、ウクライナ戦争にしろ、情報源は全てネットです。テレビはほとんど見ません。報道番組を見てても、親露中韓北・反日反米を感じてしまい、5分と見ていられない。新聞もスポーツ欄しか読まない。若い頃は筑紫哲也だ、朝生だ、と熱心に見てたし、会社で取っていた日経新聞を熱心に読んでいたのに、いつからこうなったのか。ガラケーからスマホに変えた時期だったかもしれません。スマホは革命ですね。

    しかしながら今後問われるのは、新宿会計士さんもおっしゃる読み手の能力。特に外交の問題は感情論になりそうで、心地よい言葉はまさに夜郎自大になる恐れありです。その読み手の能力を鍛える為、これからも新宿会計士さんのこのブログを読ませていただきますし、たまには投稿させていただき、自分の位置を確認したいと思います。

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