「玉川問題」がネット上で沈静化しないのも、大手ポータルサイト『Yahoo!ニュース』に読者コメントが殺到するのも、リンクを簡単に共有でき、記事などの感想を多くの人に効率よく伝えられるというネット空間の特性の証拠かもしれません。こうしたなか、著者自身は先日、とあるサイトに記事を投稿されている方と食事をしたときに、興味深いお話をお伺いしました。「紙媒体とウェブ媒体、どちらの方が気を遣うか」、という論点です。
目次
玉川問題とネット
玉川問題の特徴は「社会的反響の大きさ」
「玉川問題」とは、テレビ朝日の玉川徹氏が同局の番組に出演し、事実でない内容を述べた問題のことであり、玉川氏は発言の責任を問われて出勤停止10日間の謹慎処分を受けたほか、関係者が譴責処分を受けています。
この事件の異例な点はたくさんあります。
まず、玉川氏自身に対する処分が「軽過ぎ、遅すぎ」だ、という点です。たかだか10日間の出勤停止処分という軽さも問題ですが、問題発言自体が故・安倍晋三総理の国葬儀(9月27日)の翌・28日の放送回だったにもかかわらず、処分自体が10月4日と、1週間近くの時間が経過しています。
次に、玉川氏は28日の問題発言の翌・29日には番組内でいちおう謝罪しているのですが、玉川氏が最も傷つけたはずの相手である菅義偉総理に対しては、まだ玉川氏からも、テレビ朝日本体からも、謝罪話されていません。
ただ、個人的に痛感するのは、その社会的な反響の大きさです。
たとえば、自分自身で当ウェブサイトの記事を読み返してみると、昨日だけで2回も「玉川問題」を取り上げていました。当ウェブサイトの場合、同一の話題を連続して同じ日に取り上げることは控えたいと考えているのですが、昨日はさすがに話題を連続して取り上げてしまった次第です。
和田政宗氏「テレ朝社長は辞任すべき事態」=玉川問題
自民党の和田政宗参議院議員は夕刊フジの取材に対し、「玉川問題」を巡って「社長が辞任すべき事態だ」としたうえで、「玉川問題は、日本のジャーナリズムの危機だ」と述べたのだそうです。この点、玉川徹氏の発言については、玉川氏(や関係者)などの「個人」を処分すれば済む話ではないことは間違いありませんが、そもそも素人コメンテーターが専門外の内容にコメントする日本のテレビ局に「ジャーナリズム」があるといえるのかは微妙でしょう。玉川問題のインパクト当ウェブサイトでも連日話題に取り上げている「玉川問題」とは、... 和田政宗氏「テレ朝社長は辞任すべき事態」=玉川問題 - 新宿会計士の政治経済評論 |
辛坊治郎氏「玉川氏が発言する自由は命を懸けて守る」
連日ネットを騒がせている「玉川問題」を巡る論戦に、辛坊治郎氏が参入したようです。辛坊氏はこの問題を巡り、ラジオ番組で玉川氏について「1回も見たことも聞いたこともない」としつつも、「玉川徹さんがテレビで発言する権利は命を懸けても守ります」と発言したのだとか。ただ、辛坊氏の主張に実態とのズレがあるとしたら、この問題は「言論の自由」の話ではなく、「テレビ局の偏向報道」の話だ、という点ではないでしょうか。辛坊氏「玉川氏が発言する権利は命を懸けても守ります」テレビ朝日の「玉川問題」――、すなわち、テレビ... 辛坊治郎氏「玉川氏が発言する自由は命を懸けて守る」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
冷静に考えたら、なぜここまで反響が続くのか?
このあたり、非常に不思議な気がします。
かつて、テレビ局は新聞社と並んで、「情報発信の王様」のような存在でした。新聞社やテレビ局の報道が社会的な問題となったことが、いままでまったくなかったというわけではありません(たとえば『椿事件から玉川事件へと連綿と続くテレビ業界の問題点』でも取り上げた「椿事件」がその典型例でしょう)。
とある参議院議員が1993年に発生した「椿事件」を「テレビ局に対する政治介入を許した痛恨事」、などと述べたそうですが、この「玉川事件」は歪んだ事実関係が大々的に報じられたという意味で、椿事件と本質的にはまったく同じです。「椿事件」と比べると、今回の「玉川事件」、正直、大したインパクトがあるとも思えませんが、この問題が連日のように炎上しているという事実は、インターネットとテレビ業界の力関係が完全に逆転しつつあるという状況を示すものでもあるのです。玉川事件と放送法玉川事件のインパクト:テレ朝の処分に... 椿事件から玉川事件へと連綿と続くテレビ業界の問題点 - 新宿会計士の政治経済評論 |
こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、正直、今回の玉川氏の発言自体はたしかに一般社会通念に照らして明らかに非常識なものではありますが、それと同時に、かつてのテレビ局ならばまったく問題にならなかったレベルの発言だといえるかもしれません。
いや、正確には、「問題にすることができなかった」、とでもいえば良いでしょうか。
冷静に考えてみると、インターネットが出現する以前であれば、私たち一般人が新聞、テレビの報道に対して違和感を抱いたとしても、それを「問題にする」ことは難しかったのではないでしょうか。
残念ながら、私たち一般人はそれほど暇ではありませんので、自分自身の仕事ないし学業を抱えながら、新聞社やテレビ局の問題報道を誰かに訴えるというのも非現実的であり、そのような社会運動を起こせるほどの時間的余裕などないのが通常です。
したがって、玉川氏の今回のレベルの発言であれば、視聴者は思わずカチンと来たとしても、テレビを消せばその不快感は時とともに薄らぎますし、2~3日も経てば、すっかり忘れ去られてしまっていたに違いありません。
ネット上で続く「炎上」
ところが、今回の玉川事件に関しては、そうはなりませんでした。
発言からすでに数週間が経過するにも関わらず、政治家の間では、国会でこれを問題視しようとする動きもありますし、経済評論家の上念司氏が事務局長を務める「放送法遵守を求める新・視聴者の会」も動き始めました(『「玉川問題」で「視聴者の会」が放送法違反追及申入へ』等参照)。
テレビ朝日の「玉川発言」問題を巡り、「放送法遵守を求める新・視聴者の会」が放送法違反の疑いで玉川徹氏とテレビ朝日の責任追及を求める申入書を総務省やBPOに対して提出するそうです。同事務局長の上念司氏は「テレビ局が『公共の電波』を使用して放送している以上、玉川氏とテレビ朝日は、放送法を守る必要がある」と指摘したそうですが、まったくの正論でしょう。ただ、それ以上に重要なことがあるとしたら、ネット上では名もなき一般人の鋭い追及の声があふれている、という事実ではないでしょうか。玉川問題の本質は「テレ... 「玉川問題」で「視聴者の会」が放送法違反追及申入へ - 新宿会計士の政治経済評論 |
こうした玉川氏、あるいはテレビ朝日そのものを糾弾する動きを主導しているのは、明らかにネット空間です。
ネット上に山ほど存在する大手・中小どころのウェブ評論サイトなどでは、連日のように、この玉川問題に関する最新論考を見かけることができます(当ウェブサイトもその「ウェブサイト群」の一角を占めているのかもしれません)。
また、ツイッターなどのSNS上では、連日のように「炎上」が続いているのです。
したがって、ここで生じてくる疑問が、「なぜこんな現象が生じるのか」、です。
半永久的に残るウェブ媒体記事
紙媒体とウェブ媒体、執筆者から見てどっちが楽ですか?
これについて、先日、とあるウェブサイトに記事を寄稿されているという方と食事をする機会があったのですが、この方が大変興味深い質問を投げてくださったのです。
「新聞・雑誌などの紙媒体に寄稿するのと、ネット空間に寄稿するのを比べると、執筆者にとってはどっちが楽で、どっちが大変だと思う?」
この点、私たち一般人にとって、自分が書いた文章が新聞、雑誌などの紙媒体に掲載されるなど、人生のなかでさほど経験するものではないはずです。これに対し、ブログであってもSNSであっても良いのですが、ウェブ上の記事というものは、だれであっても非常に気軽に投稿することが可能です。
したがって、素人的には、「そりゃ新聞・雑誌などの紙媒体に投稿する方が気を遣うはずでしょ?」、「ネット空間に寄稿するのなんて、気軽にやれば良いのでは?」と思ってしまいがちでしょう。
しかし、この方は、こんなことを述べました。
「新聞・雑誌などの紙媒体だと、自分が書いた文章が残らない。これに対し、ネット空間に寄稿した文章は、半永久的に残る。だからネット空間の方が、遥かに気を遣う」。
…。
紙媒体は物理的に保存できない
この見解は、なかなかに斬新ではあります。が、冷静に考えてみたら、たしかにその通りでしょう。
かつて、私たち一般人の多くは、家庭で新聞を購読していました。ただ、新聞というものは意外と嵩張るものであり、例えば40ページの一般紙の場合だと、新聞紙を10枚使用していますが、半分に折り畳んだら20枚分、4分の1に折りたたんだら40枚分の厚さになります。
1日の新聞のページ数が40ページ、新聞紙1枚の厚さが0.1ミリだったとすれば、半分に折り畳んだ新聞の厚さは2センチ前後であり、これが30日分も溜まれば60センチの厚さにも達する計算です。こんなものを何ヵ月分も自宅に溜められるわけがありません。
したがって、一般家庭だと、新聞、雑誌などについては、読み終わったら片っ端から捨てていくのが通常でしょうし、ある記者が2ヵ月前、3ヵ月前に執筆した内容など、多くの読者にとっては頭に残っていないのではないかと思います。
ネット空間では半永久的に記事が残る
これに対し、ネット空間だと、そういうわけにはいきません。半永久的に記事が残るとともに、検索すれば、簡単にそれらの記事にたどり着くことができるのです。
試しに当ウェブサイトでも頻繁に引用する『デイリー新潮』の『鈴置高史 半島を読む』シリーズについて検索をかけてみると、韓国観察者である鈴置高史氏が執筆した過去論考については、日経ビジネスオンラインから移籍した直後の2019年2月1日付の論考まで遡ることが可能です。
ちなみに当ウェブサイトの場合も、過去論考についても基本的にはすべて削除せずにそのまま残しておりますので、その気になれば、『時系列記事一覧』のページから簡単に過去記事にごアクセスいただくことも可能です。
これが何を意味するのかといえば、過去に自分自身が執筆した記事についてもネット上に半永久的に残ってしまうため、迂闊なことが書けない、ということです。
いや、もちろん、新聞・雑誌などの場合も、図書館にいけばバックナンバーを見ることができますが(たとえば新聞の場合は縮刷版が出版されることが一般的です)、正直、一般人がこうした努力をしてまで、特定の論客の主張を検証しようとは思わないでしょう。
記事の共有も簡単!
しかも、現在だとツイッターなどのツールが存在しています。
ツイッターの場合は記事のURLを張ると、すぐにその記事のリンクやサムネイルが表示されるという仕様であり、とあるツイッター・ユーザーがAさんというジャーナリストの異なる2時点の記事を比較し、「この人は昨年はこう主張していたのに、今年になると主張をガラッと変えている!」などと指摘することができるのです。
このように考えてみれば、「もし執筆をするならば新聞・雑誌よりもネットに寄稿する方が緊張する」、というのは、たしかにそのとおりなのかもしれません。
また、この方は、こんなことも指摘していました。
「新聞・雑誌と比べて、ネットの場合は根拠を示すのがとても簡単。紙媒体の場合は刊行年月日とページ数などを示さないといけないが、ネットの場合は記事URLのリンクを張ればそれで済む」。
この点についても、たしかにそのとおりでしょう。
当ウェブサイトの場合も、「首相官邸ウェブサイトの記事によると~」、「外務省ウェブサイトの記事によると~」、といった具合に、情報源を示すことがよくあるのですが、この場合も多くの場合、わざわざ全文を転載する必要がなく、自分自身の議論において必要な箇所だけを抜粋すれば済むことが多いです。
また、たとえば当ウェブサイトの議論を読んだ方が、「本当に一次ソースからそう判断できるのか?」と疑問に感じたとしても、読者の皆さまも必要に応じて情報ソースの原文を実際に読み、場合によっては当ウェブサイトで引用していない箇所に注目することもできるかもしれません。
読者コメントの傾向
読者コメントの威力
さらには、当ウェブサイトも含め、いくつかのサイトでは、読者コメントを入力することができます。
当ウェブサイトの場合だと、読者コメント基準を守っていただければ、基本的にコメントは自由です(※ただし、偽名を多用する、同一内容のコメントを何度も書き込む、下品な罵詈雑言を用いるなどのケースだと、最近は警告なしにコメントを排除する措置を取ることもあります)。
このため、読者コメント欄を読めば、ほかの読者が該当する記事を読んでどう感じたか、何を考えたか、といった点を知ることができますし、自身の考え方をウェブサイトの執筆者やほかの読者に伝えることも可能です。
この機能は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオにはなかなかありません。
もちろん、新聞、雑誌には読者投稿欄が設けられていることがありますし、テレビ、雑誌でも視聴者の声・リスナーの声が紹介されることもあるのですが、紙面・時間の都合上、それらの読者、視聴者、リスナーの意見についてはすべてが取り上げられるわけではありません。
正直、オールドメディアの限界は、ここにあるのです。
このあたり、読者コメント欄が設けられていないウェブサイトもあります。個人的には、せっかくウェブサイトを運営するのであれば、読者コメント欄を設けるべきではないか、などと思うこともあるのですが、それはそのウェブサイトの運営者の判断ですので、なんとも申し上げることはできません。
ツイッター上で他の読者の反応を見ることも可能
ただ、読者コメント欄がなくても、ツイッターなどのSNSへの記事投稿ボタンを設けているサイトは多く、そのようなサイトの場合は、SNSを通じてほかの読者の反応を知ることができる場合もあります。
やり方は簡単で、ツイッターの検索ボックスに検索したい記事のURLを入力すれば(図表1)、その記事に関するツイートを発見することができます(図表2)。
図表1 ツイッターの検索ボックスに検索したい記事のURLを入力
(【出所】著者作成)
図表2 「話題のツイート」の検索結果(例)
(【出所】著者作成)
このため、大手新聞・テレビ局のウェブサイトのように読者コメントを設置していない場合であっても、ツイッターの「検索機能」を使えば、その記事を読んだほかの読者がその記事についてどう考えているかを知ることができます。
つまり、事実上、インターネット上のサイトは、読者コメント機能がなくても、他の読者の反応を知ることができるようになってしまった、というわけです。
Yahoo!コメントは電話番号登録を必須化へ?
さて、こうしたなか、昨日はこんな記事もありました。
Yahoo!ニュース、コメント投稿で携帯電話番号を必須化
―――2022年10月18日 14:19付 Impress Watchより
記事によると、『Yahoo!ニュース』の読者コメント欄では11月中旬以降、コメント欄の健全化を目指す一環として、携帯電話番号の設定を必須化するのだそうです。
「Yahoo!ニュースでは、2018年6月から、不適切なコメントを繰り返し投稿したアカウントについては『投稿停止措置』を行なっているほか、2020年10月からは、過去に『投稿停止措置』を受けた携帯電話番号の所有者がIDを再取得した場合でもコメント投稿を制限するよう、対策を強化してている」。
このあたりは、大手ポータルサイトに特有の悩みでもあるのでしょう。日々、多くの人々が訪問し、コメントを残すなかで、著しく不適切なコメントも出てくることもあるでしょうし、それらを運営サイドが手作業で排除するにも限界はあるのだと思います。
当ウェブサイトの場合、今のところ「携帯電話番号を設定しなければコメントを打ち込むことができない」という仕組みを採用するつもりはありません。
かつては当ウェブサイトに読者登録をするという仕組みを実装しようとしたこともあるのですが(『【お知らせ】ついにユーザー登録ができるようになりました!』参照)、結局、読者登録機能についてのセキュリティ面での問題を発見したため、この機能については無期限停止中です。
ただ、読者の皆様の自由闊達な意見交換の場として、当ウェブサイトが少しでもお役に立てるようにしたいとは考えています(※これについてはアイデアなどがありましたら、読者の皆さまからも書き込みをいただけると幸いです)。
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過去、韓国のホワイト国除外に関する経産省のパブコメに参加しました。住所だか名前だか電話番号だかの個人情報を記入して、勿論賛成コメントを提出しました。パブコメとしては記録的な参加者数で、かつ記録的な賛成率であったと記憶しています。
オールドメディアはノイジーマイノリティーや利権団体や活動家に影響され過ぎ、というか、オールドメディアがむしろあちら系の活動の場になっていると個人的に思っていますので、電話番号登録を求めるヤフーの試み、個人的には反対ではありません。さそがしあちら系から攻撃されるでしょうが、うさんくさいのを排除して日本のサイレントマジョリティをより大事にしてくれる方向に進むなら賛成です。少なくとも、googleが考えているメディアを対象としないファクトチェックやBPOなどというクズ策に比べれば良い試みかと。
理系初老さま
>オールドメディアがむしろあちら系の活動の場になっていると個人的に思っていますので、
私の見解ですが、あちら系の活動をしていた人物が、オールドメディアに就職して「偽りの正義」を振り翳しているだけだと思います。
事実より自分たちの主観ばかりを押しつけてばかりでは何れは誰も相手にしなくなります。
あと、googleが考えているメディアを対象としないファクトチェックについてですがヤフーもちゃっかりと出資しています。
メンバーにBuzzFeed Japanの元編集長(朝日新聞社OB)がいますが、BuzzFeed Japanはヤフーと繋がりがありましたし、現在は朝日新聞社と朝日放送グループホールディングスと繋がりを持っています。
ヤフーはご存じの通りソフトバンクグループの一員で、日本の様々なインフラ系にこのグループが必ず絡んでいます。
(定期的に発行している)紙媒体は、一回あたりの分量がほぼ決まっているので、伝えるべきに内容が多い日でも、すべてを載せることは出来ず、伝えるべき内容が少ない日でも、(例え中身を膨らませても)ある程度の記事を書く必要があるのではないでしょうか。
紙媒体は個人で保存するのは難しいですが、一定基準を満たした新聞雑誌書籍は図書館に残ります。一方Web上の情報は本人の都合で消したり(ブログ炎上でブログ自体削除して逃走とか)、運営者の基準で削除されたり(Yahooのやまもといちろう氏の記事など)、サービス終了で消えたり(ジオシティーズってまだ有るかな)、その一方「正本」は無くなってもコピーがWeb上の各地に散らばっていて誤情報は独り歩きするなど....決してWebが一方的に有利とは思いません。
マスメディアの行状については十数年前「医療崩壊」「産科"たらい回し"」がマスメディアを賑わせていた頃、幾つもの医療系ブログで相当に問題提起されていたと記憶していますが『前も同じような議論があったなあ』と思って検索しても、当時の記事にたどり着けません。
電波とともに消えて無くなるTVは置いておいても、紙媒体は侮れないと思います。
紙・webそれぞれメリット・デメリットがあります
用途等において使い分けまたはメディアミックスする必要があります
webの場合 必要情報の取得に困難を感じますね
参考
紙媒体は有効?紙媒体のメリット・デメリットや、種類、Webとの違いまで詳しく解説します! |https://www.kenbunsya.jp/commusapu/marketing/464/
ネットに上げるという事は、忘れられる権利を放棄するという事と等しいと思うので、それはそれは、普通なら慎重になりますね。会計士様の仰る通りです。
一時の遊びでカップルのプライベートな写真をアップしたり、バイト君が飲食店の冷凍庫に寝そべったりした動画をアップしたりして、一生検索できる(される)状況を自ら作り出している人を見ると(今後のお付き合いや、就職活動などを考えると)ちょっと可哀そうにもなります。
さて、記事中にあるYAHOO!コメントの電話番号登録必須の件ですが、自称知識人の左巻きの人たちが「表現の自由がー」と五月蠅く言わないので、これもファクトチェック機関と同様、ネット規制(左巻きの人に有利な)の一環かな、と勘ぐってます。要チェックですね。
携帯電話番号は事実上の総背番号です。
投稿コメント欄に携帯電話番号入力必須とすると、言い逃れ言い捨てに対する心理的ハードルは相当なものではないでしょうか。6桁認証番号を機械が SMS 送信して、それを追加入力させる仕掛けを作り込めば、デタラメ番号排除は簡単ですw
はにわファクトリー様、どもです。
> 携帯電話番号入力必須とすると、言い逃れ言い捨てに対する心理的ハードルは相当なものではないでしょうか
ですね。そう思います。
かくいう私もYahoo!コメにはたまに書き込みしますが(だいたい消されるT-T)個人情報を入れなきゃならなくなれば、やましいことが無くてもためらいます。
あとは、恣意的な運用がなされなければいいな、と思います。
中国版ツィッターの微博(ウェイボー)は政府に不都合な投稿は即座に消去され「なかったこと」にされます。すべてをAIが行っているとは思えず、多分膨大な数の監視者と予算を配しているから可能なのでしょう。
玉川発言も中国であれば一瞬にして消え去り問題にならなかったでしょう。ただし、玉川氏本人は発言の翌日には行方不明になっているでしょうが。玉川氏もたとえネットで炎上したとしても、日本で生きていることにもっと感謝すべきでしょうね。
電話番号による発信者規制は罵詈雑言、ヘイトスピーチを減らす効果はあると思いますが、デモを金銭で人員動員してまで行っているような勢力による世論誘導にはあまり効果は無いでしょうね。
今や月額290円でSMSを受信できる回線持てるので活動家が安価に発言権を得られます。
昨今のツイデモやハッシュタグトレンド工作なんかはこうした薄暗い熱意で行われているのではないかと思っています。
むしろsms受信する手間をかけてまでコメる人って工作員のほうが多そうですよね。
辛坊氏は玉川氏の件でTVアサヒ等に抗議でもしたんでしょうか。辛坊氏の論によれば玉川氏は言論の自由を制限されたことになるでしょうから。(この前のは言論の自由を守ると言う表明だけで、まだ守っていません。)
命をかけても」ということですから、抗議くらい何ということはないでしょう。 また氏の知名度からすればTVアサヒや世間は無視しないでしょうし、ラジオ番組も持っているのですから我々一般人ち違い広く世間への発信は容易いと思います。月〜木の2時間の番組ですから、期待してます。
この前は「玉川氏の言ったことは聞いてないし番組も見ていないのだが」と言うことわりが入っていましたが、旗色が悪くなったら、そういうことを言ったのなら抗議されてもしょうがないと言う逃げを作るためだったのでしょうか?
もしそうなら、さすがプロの言論人は違う!と尊敬します。辛坊さん頑張って下さい。
珊瑚は大切に
故安倍元総理が朝日新聞のフェイク記事をツィッターで揶揄した一言ですが、この一言をネットに残したことで、朝日新聞のフェイク記事は永久にネットに残るはずです。