「勝手読者投稿」第一弾は「90年代ウルムチへの旅」
当ウェブサイトでは読者投稿を歓迎しており、投稿要領等につきましては『【お知らせ】読者投稿の常設化』、過去の読者投稿については『読者投稿一覧』にまとめています。さて、ちょうど先週の『「うんと短い読者投稿」ジャンルを設けるのはいかが?』では、「もう少し短めの読者投稿」というものがあっても良いのではないかと提案した次第ですが、本稿では少し新しい試みをしてみたいと思います。
目次
読者投稿・短縮版
やはり読者コメント欄を使うには少し無理がある…?
いつもお伝えしているとおり、当ウェブサイトでは読者投稿を歓迎しています。読者投稿要領等につきましては『【お知らせ】読者投稿の常設化/読者投稿一覧』にまとめているとおりです。
ただし、一部の読者の方からは、「自分も記事を書いてみたいが、最低でも2000文字以上、できれば5000文字前後という条件が厳しい」、といったご指摘もいただきます。
こうしたなか、先般より『読者の皆さま、「読者投稿専用記事」はいかがですか?』、『「うんと短い読者投稿」ジャンルを設けるのはいかが?』などでも述べているとおり、読者コメント欄などを使い、当ウェブサイトにショートメモ形式で読者投稿を寄せていただく、などのアイデアを提案させていただいた次第です。
結論的には、現時点においてこの構想については、あまりうまくいかないと考えています。
たとえば、読者投稿であろうが、ウェブ主による文章であろうが、「起承転結」を意識し、「読んでいただく方々の知的好奇心を刺激すること」に重きを置くのであれば、やはり投稿は読者コメント欄よりも、テキストエディタなどで作成していただいた文章をメールで送付していただく方がやりやすいでしょう。
また、読者コメント欄の場合はウェブ主の目を通らないため、それこそさまざまな投稿が掲載されるということにつながりますし、画像などの投稿が難しいなどの事情もあります。
個人的には、「読者コメント欄で気軽に読者投稿を」、と思ったのですが、やはりなかなかうまくいかないものです。
名付けて「勝手読者投稿」!
ただし、これについては少しアプローチを変えてみるのも面白いのではないか、思うようになりました。
たとえば、これまでに読者コメント欄に寄せていただいたコメントの中から、勝手にあるコメントを選び、文章の体裁を整えたうえで「ショートメモ」形式に再編してしまう、というやり方です。
名付けて、「勝手読者投稿」、というわけです。
その第1号として、大変申し訳ないのですが、「名古屋の住人」様というコメント主の方から寄せていただいたコメントを、勝手に「読者投稿」風にアレンジして、試験的に掲載してみたいと思います(「名古屋の住人」様、連絡もなしに勝手に文章を修正のうえ転載させていただいたことをお許しください)。
ちなみにコメント投稿をしてくださった記事は、2月22日付の『一帯一路・日韓トンネル・鉄道共同体構想は「与太話」』です。ここからが「読者投稿風記事」です。
当時の中国・鉄道の旅
北京発広州行き、2泊3日の鉄道旅
20年以上前の話ですが、当時の中国では、現代の高速鉄道に相当するものが存在しませんでした。
当時の北京発広州行の長距離列車の所要時間は、2泊3日でした(ちなみにWikipediaの記載によると、1995年の北京駅~広州駅間所要時間は33時間31分で、始発駅を夜間に出発し、3日目の朝に目的地に到着)。
2泊3日といっても事実上1日+αの寝台列車での旅でしたが、私は基本的に一人旅が多かったので、長距離列車での移動はとにかく暇で退屈です。
内陸部を延々と走る列車の車窓から次々と流れていく景色も、数時間たったら「ただの景色」でした。当時はスマホなどの「文明の利器」もなかったため、日本から買ってきた単行本を次々と読破してしまい、文字通り一人旅の「お荷物」になっていました。
サスペンションが機能しないホッピングバスで虫歯を損壊!
さて、1993年にウルムチ方面に旅行した際、ウルムチ(烏魯木斉)⇒カシュガル(喀什)は飛行機、カシュガル⇒ホータン(和田)は12時間かけて長距離バスを利用しました。
ホータンからウルムチへの帰途に就こうとした時のことです。
当時、ホータン⇔ウルムチ間は、サスペンションがほぼ機能していないホッピング長距離バスでタクラマカン砂漠を2泊3日かけて横断するか、1往復週3便しかない中国民航(旧ソ連製プロペラ機)のチケットを取るかの二者択一でした。
半年前に雲南省昆明⇔大理間の山道(定刻10時間⇒実際12時間)をホッピング長距離バスで往復した際、あまりの衝撃で虫歯治療中の奥歯1本を破壊した経験(今でも銀歯です)を持つ私は迷うことなく中国民航を選択しました。
トランプに興じる職員が「没有!」と即答
しかし、中国民航ホータン営業所に切符の予約をしに行ったのですが、カウンターの向こうの職員数人は暇を持て余してトランプの賭け事(?)に大盛り上がりの最中で、一言「没有」(チケットは売り切れだよ)と言ったのち、まったく相手にもしてくれませんでした。
それからカクカクシカジカの後、中国民航職員相手に大立ち回りをして、それから1週間後にようやく次のウルムチ定期便の片道切符1枚を買うことができました。
しかし、このトランプに興じていた民航職員からやっとのことで購入したアクス経由ウルムチ行きの片道切符を握りしめ、空港バスが出発する中国民航営業所前に行ったところ、民航職員が私を一瞥するなり「今日のフライトはキャンセルだよ」と無慈悲な一言。
次の便はいつ出るのか?と聞いたところ、当初は「没有」の一点張りでしたが、しばらく食い下がっていたら「3日後にウルムチ行きの定期便があるが、ウルムチ行きは満席。アクス行き迄なら1席とれるよ」と少し折れてきました。
民航職員の話が二転三転するだけでなく、営業所の壁にだらしなく貼ってあったウルムチ便フライトスケジュールを見て、私は初めて気が付きました。「フライトキャンセル」なんて真っ赤なウソで、その当日は定期便の発着がない曜日であり、単純に騙された(バカにされた)のです。
私は烈火のごとく怒り、中国語と日本語が入り乱れ鬼気迫る形相で民航職員を相手に大立ち回り。
「私が買いたいのはアクス行きではない!ウルムチ行きだ!!正規価格で購入したこの偽物チケットをどうしてくれるんだ!!!」と一歩も引かない覚悟で迫り続けたところ、ついに根負けした民航職員が出してきたのがウルムチ行き片道切符だった、というわけです。
中国人客の方、ごめんなさい、JALに乗り遅れるんです!
私は当時の拙い中国語で中国民航職員相手に(口頭で)大喧嘩し、結果としてとある中国人客を押しのけて獲得したウルムチ行きの片道切符。
若気の至りと言えばそれまでですが、「タクラマカン砂漠大横断!2泊3日ホッピング長距離バスの旅!!」なんて、テレビ東京のツアー番組であっても絶対引き受けられません。
となると、何が何でも一刻も早くホータンからウルムチに移動しないと、親の仕送りで既に購入済みで、数日後に迫っていた北京⇒名古屋のJAL帰国便が無効になってしまうため、それはそれは必死でした。
搭乗当日、ホータン空港で「いの一番」でチェックイン手続きをした私の背中越しに、とある中国人客が血相を変えて怒鳴っている声が響き渡ってきました。
「なぜ正規の金額でチケットを購入した私が搭乗できないのか?!その理由を私が納得できるように説明して見ろ!!」
…。「没有」は本当に「没有」だったのか…。
3日後に中国留学を終えて帰国する予定だった当時の私は、心の中でその中国人客に「ごめんなさい」と謝りつつ、そそくさとウルムチ行きプロペラ機に搭乗しました。
そしてホータン空港を出発してウルムチ空港に到着するまでの数時間、タクラマカン砂漠の上空を低空飛行する旧ソ連製プロペラ機。窓から見えるのは辺り一面砂漠、砂漠、砂漠・・・。あ~、万が一墜落したらタクラマカン砂漠のモズクと消えるんだろうな・・・。
知る人ぞ知るネタですが、当時流行っていた董安格という男性歌手のアルバム「一世情縁」に収録されていた「沙漠之足」。孤独な男性の心中を表現した「沙漠中(砂漠の中)、我走在沙漠中(私はただ一人砂漠を歩いている)…」という歌詞がずっと頭の中をこだまして離れませんでした。
ウルムチの安宿で廊下に泊まる
やっとの思いで新疆ウイグル自治区の大都市・ウルムチに戻ったその日の晩、翌朝午前便のウルムチ発北京行の国内線に搭乗するため、ウルムチ空港行き空港バスのバスステーション付近にあった安宿を訪ねました。
当初は「今日は満室だ」と断られましたが、しばらく食い下がって交渉していたところ、1泊10元で宿泊できることになりました(ウルムチ発北京行きのチケットは、ホータンの中国民航営業所で購入済み)。
その安宿はせんべい布団1組と枕一つを貸し出してくれて、「お前の部屋はここだよ」とスタッフが示した場所は、なんと「階段の踊り場」!
ホータンの大立ち回りに続くタクラマカン砂漠大横断で生きた心地がしなかった私は、とりあえず布団を引いて横になり体を休めていました。でもそこはそのホテルの階段です。時折見ず知らずの人がトコトコと布団の隣を歩いていくではありませんか。
そうこうしているうちに、その階段の踊り場に1組のオランダ人老夫婦が布団一式をもってやってきました。そのオランダ人の御主人と中国語で雑談をしていた時、オランダ人の奥様に向かってなぜか中国語で声をかけた一言が今でも忘れることができません。
「Oh!一泊10元で宿泊できるなんて、なんてラッキーなんだ。うん、ここも悪くないね!!」
以上は全て1993年7月に私が体験した実話です。こんなこと、若かりし時の一人旅でなければとてもできません。
後日談:奥歯の修復
また、1993年2月(春節休み)の四川・雲南一人旅(バッグパッカー)で破壊してしまった奥歯(1本)のことです。
留学先の学校の勧めで当時北京市内にあった北京協和医院(アメリカ資本との合弁病院)の歯科を受診したところ、その奥歯の割れた(ひびが入った?)部分を豪快に削って詰め物をしてくれましたが、確か半年も持たずに取れてしまいました。
夏場に留学生仲間とスイカを食べていた時、真っ黒な種が奥歯の大穴にすっぽりハマってしばらく取れなかったことを覚えています(そのまま帰国し、地元で歯科を受診しました)。<了>
圧倒的に面白い!
…。
いかがでしょうか。
上記は「名古屋の住人」様からいただいた複数のコメントを切り張りし、前後関係をつなげて読者投稿風に再現したものであるため、もしかするとコメント主様ご本人が読むと間違っている箇所があるかもしれませんが、そのような箇所があった場合は、当ウェブサイト側の責任です。
ちなみにこの「名古屋の住人」様のコメント、ほかのコメント主様との前後の対話部分も非常に面白いのですが、ここでは「匿名29号」様というコメント主様から頂いた、こんなコメントを紹介しておきましょう。
「1980年代に仕事の都合で一等が取れなくて中国の鉄道の硬席(木製の座席)に半日乗ったことがあります。鶏籠を抱えたおばさんやら、そんなものを持ってどこへ?というような家財道具を持ち込んで通路を占領しているおじさんやらでいっぱいでトイレにも行けませんでした。こういう列車に乗ると飽きませんよ」。
たしかに!(笑)
しかも、このコメントも、なんだかとても臨場感がありますね。その場にいないはずなのに、鶏の鳴く声が響いてくるような気がします。
いずれにせよ、名古屋の住人様をはじめとするコメント主の皆さまには大変に感謝申し上げる次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
>タクラマカン砂漠のモズク
土佐酢でつるっと食べたいw
1993年というとまだ兌換元があった時ですね。
買い物等すると、まず「兌換元で寄こせ」って言って来て
こっちもまず人民幣を使いたいから「兌換元ない」って
言うと・・・「じゃ没有」って・・・
とりあえず謝謝の次に没有を覚えましたわw
名古屋の住人さま
>没有は本当に没有だったのか(反省)
萌えました、いえ胸暑に燃えました。海外ぽんこつ旅こそ楽しけれ、の実例ですね。
没有(あるゕい)排隊(ならばんかぃ)当方が唯一理解可能な日常華語です。
はにわファクトリー様
「没有」はとても便利な言葉で、色々な場面で使われます。
一般的な用法としては否定形(英語でいうNoまたはNot)で使いますが、時折その派生形でしようされることあるのが厄介です。
派生形の典型例が、例のホータン中国民航事務所の職員ですね。
私:ホータン発アクス経由ウルムチ行きの切符が買いたいのですが。
中:没有。
私:次のフライトはいつですか?
中:没有。
私:いつのフライトなら予約ができますか?
中:没有。
ホータンの中国民航職員の回答はすべて「没有」の一言です。
これを当時のやり取りから想定されるコメントを付けるとこうなります。
私:ホータン発アクス経由ウルムチ行きの切符が買いたいのですが。
中:没有(次のフライトは満席だよ)。
私:次のフライトはいつですか?
中:没有(あのさぁ、いま(トランプのかけ事で)取り込み中なんだよ。壁にフライトスケジュールが貼ってあるだろ?ちゃんと見てから聞けよ、まったく。)。
私:いつのフライトなら予約ができますか?
中:没有(しつこい奴だな、シッシッ!!)。
本来の意味での「没有」は最初の一言だけでした。。。
何気なくいつものサイトを開いたら、とてもびっくりしました!
まさかあの与太話が「勝手読者投稿」第一弾として採用されていようとは・・・。
この与太話は合計2年ちょっとの中国語学留学時代において、今でも1、2を争う格好のネタとしているものです。
いまでこそ中国の主要都市は東西南北いずれもほぼ高速道路でつながっていますが、1993年7月当時といえば上海・浦東新区の開発が始まって間もないころであり、「上海八佰伴」(ヤオハン)建設予定地も「ただいま土地の整備中!(泥だらけ)」といったありさまで、完成後の立派な商業ビルのイメージ図が書かれた看板一つがカカシのようにひっそり立っていたのみでした。
雲南省の昆明⇔大理間もその道のりの多くが舗装すらされておらず、バス一台ギリギリの幅しかない山の一本道をひたすら(のんびり)駆け抜けるありさまでした。
車窓から見えるのは、一つ間違えば奈落の底へ一直線の崖っプチ。日本ではあまり見たことのない種類の樹木が立ち並ぶだけ、前方から走ってくる乗用車に対し、「そこのけそこのけ長距離バス様が通る!」とばかりに、甲高いクラクションを鳴らしまくり、乗用車の運転手も負けじとクラクションで応酬し、とにかくやかましいことこの上なし!
クラクション大合戦だけでも疲弊している私に追い打ちをかけるように押し寄せてきたのが、件の12時間耐久ホッピングレースです。
サスペンションのサの字もない今にも壊れそうな貧相な長距離バス。舗装していない山道の凸凹を余すところなく乗客に伝えてくれて、私のおしりは落ち着く間もなくとにかく跳ね上がりつづけ、ひどい時は椅子とおしりの間に40~50cmほどの間ができていました。
「トムとジェリー」のトムさんがブルドックのブッチさんを目の当たりにした時に「強烈に驚いて跳ね上がる」、まさにあの姿を自ら体を張って再現したその時でした。
口の中で「ガチンっ!!」と短く曇った重低音が鳴り響きます。
・・・。当時虫歯治療中だった奥歯1本がものの見事に破壊されてしまいました。
しかし、ホッピング長距離バスはそんな私の惨状にはどこ吹く風。私のおしりは10cm、また30cmとひたすら跳ね続け、破壊された奥歯をこれでもか、これでもか!!痛め続けました。
その時の私の心情を歌った名曲と軍記物語の一節がこちら。
♪時の流れに身を任せ~♬
諸行無常の響きあり・・・。(たのむからはやく着いてくれ・・・)
大理石の産地として知られる大理。確か2泊3日ぐらい滞在しましたが、破壊された奥歯がひたすら痛み続けてまともに食事もできず、どこを観光したのかもあまり覚えていません。
ただ一つ鮮明に覚えていることは、帰途も約12時間の‟ホッピング長距離バスの旅”を堪能し、やっとのことで雲南省の省都・昆明に無事たどり着いたとき、心の底から湧き上がってきた何とも言えない安心感と開放感のみです。
名古屋の住人 様
今回は勝手に読者投稿形式にて掲載させていただきました。無断転載、申し訳ございませんでした。また、大変に面白い話をありがとうございました。
今後とも当ウェブサイトのご愛読とお気軽なコメントを賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
新宿会計士様
必ずしも読者の皆様の興味を引く内容ではないかもしれませんが、かつての与太話を取り上げていただき誠にありがとうございます。
思い返せば合計2年ちょっとの語学留学時代に個人的な趣味で中国の古都巡りをしました。虫歯治療中の奥歯を破壊してしまった雲南省の大理、中国民航職員と大立ち回りをした新疆のホータンを訪れたのもその一環です。
中国を代表する珍味(?)の「腐豆腐」に鼻が曲がりそうになった紹興、初めての一人旅でドキドキの連続だった大同、れっきとした古都なのに今一つ知名度がない開封など、「かつて中国の古都であった」という理由だけで、色々な都市に出かけました。
また、その古都巡りからは外れますが、「においがおかしいヨーグルトは食べてはいけない」と身に染みて感じた天津、IOCサマランチ会長(当時)が北京を訪問した時の「真冬の水シャワー事件」、かつての知己を訪ねて鉄砲玉のように出かけてしまった「寧波大学珍道中」等々、これらは90年代の留学生活を紹介できる一例にもなりそうです。
中国との腐れ縁はその当時から続いています。知的好奇心をくすぐる話題とは無縁の与太話ばかりですが、時々雑談掲示板の方に投稿させていただきます。
名古屋の住人 様
もし差し支えなければ、それらのエピソードをご教示下さると大変嬉しいです。
なにせ、学生時代は年がら年中旅行に出ていた人間ですので、昔の旅行話、興味は尽きません。
ぜひ、ご検討くださいますと幸いです。
今後ともご愛読ならびにお気軽なコメントを賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
名古屋の住人様
早速地球儀を見て見ました(笑)。
「ウルムチ→カシュガル→和田」は途方もなく遠いんですね。親指程度の幅ですが、鉄道+飛行機なら1,300km?(大雑把な数え方です)。中国は侮れない(笑)。今は高速道路や高速鉄道もあるようです。
無性に海外旅行に行きたくなりました!(体力のあるうちに)ありがとうございます。
名古屋の住人さま
胸暑に燃える逸話#2の投稿、ありがとうございます。自分もやってみたいです。いい歳をして? いつ死んでも悔いはないつもりでいないと、海外旅行なんて楽しめないではありませんか。
天竺亜大陸を夜行列車で縦横無人に駆け巡る。一回の埴輪工人ながら、いつか挑戦してみたくてしかたありません。まずはアーリーリタイヤを達成してから。そして、ドバイへ高飛び(結構アテあったりします)
「文明の重心」はこの瞬間に南シナ海のどこかにあり、世界人口の2/3を占めるアジアの一角に居を構える本朝こそは、矜持と自負を示すべきタイミングのように思えてなりません。面白い時代にゆきあわせたものです。
(あぁっと、推敲漏れは脳内変換して視覚的な自動修正していただけるよう、平にご容赦あれとも)
名古屋の住人 様
なんというか諧謔味なのか、リズムなのか、とにかく独特の感性が好みです。
乾燥した空気感とカラカラの熱砂、中国語の喧騒と激辛に蔓延るオランダ人。カオスというか、現地のエネルギッシュないい加減さがありありと迫ります。
かつて男の子だった者なら誰でも、青年期の無謀な放浪ほど感傷をそそるものはありません。
改めてご投稿にお礼申し上げます。
名古屋の住人様の1年後にウルムチ・トルファン方面に行きました。中国政府が日本からの観光客誘致に乗り出したころで、ホテルも整備され始めていました。ただトイレは大変で、観光地の南山牧場などトイレの周囲にビックリするような量のブツが積み重なっていて近寄るのが怖い感じでした。もっと驚いたのは16時ころ発の夜行列車が予定時間より20分ほど早く出発したことで、聞いてみたら「長距離客は全て登録してあり全員が乗ったことを確認したから問題ない」とのこと。ただあの頃はまだウイグル人への弾圧がそれほどひどくなく、夜、屋台で辛い水餃子食べても治安の心配はなかったと思います。あのころ会ったウイグルの人々やその家族がジェノサイドのような目に遭っているかと思うと怒りが込みあげてきます。
こちらのご常連様は猛者が多そうなので、ジャンル別の「うんと短い読者投稿」ができるなら楽しみです。
匿名29号 様
いつもコメントありがとうございます。また、今般は勝手にコメントを流用させていただきました。無断転載をお許しください。
引き続き当ウェブサイトのご愛読とお気軽なコメントを賜りますようよろしくおねがい申し上げます。
1972年の日中共同声明から始まった「日中国交正常化」。
「NHK特集 シルクロード」の中国西域の映像に興奮したことを覚えております。そのころは、中国が今のような戦狼国家になるとは考えませんでした。(大甘だったですね)
幻想の未来には消えてもらって、ついでにC国にも衰亡していただきたい、今日この頃です。
旅の失敗話は、聞くのも話すのも大好きです
洋の東西を問わずこうの傾向にあるので、貧乏旅行はこれからもメジャーでありつづけるのでしょうね
私も10年前、バックパッカーとして足かけ2年半ほど、アジアとオセアニアをブラブラしていたのを思い出して日記を開きました
10年前の今日、明日に控えたムンバイ行きのLLCスパイスジェットに乗るため、コルカタの安宿にいたようです…あのころの責任にいたるまで自由だった身が懐かしく感じられました
ふと思い出したお話
カンボジアのアンコールワット観光していたときの話
現地女性が興味のそそられない土産を持って「オニイサンーコレー1ドル-」と近づいてきました
心の底から不必要で、限りあるバックパックの荷物にしたくないため「不要(ブヤオ)」(中国語でいらない)と答えました
すると女性、少し考えたあと、中国語でまくし立てるまくし立てる…そっちが得意だったんかい…
しかし最後に「両塊」と一言 え…中国語価格では2ドルになるの…?
なんというか、海外での日本人、中国人の見られ方を考えた日でした
感傷にひたった酔っ払いの乱文失礼しました
20年前に南京から青島にバスで行ったときは高速道路の混雑している場所でスピードみたいに反対車線を走ったり勝手に寄り道して友達の荷物運んだり運転手のお友達がやってるドライブインで飯食って腸内細菌叢が変化して日本に帰ってからもしばらく便がバフバフになったり帰りは鉄道使ったんだけど沿線の住居がスラムというかあばら家というかとにかくワイルドだった。
初コメントです
記事を読み30年前の中国旅行を思い起こしました
上海から杭州まで列車旅で見た車窓からの景色。広大な畑がずっと広がる中、時折見える小さくカラフルな畑。
まだ現役で走っていた蒸気機関車。日本のD51よりずっと大きくてさすが大陸用だなと感心したものです。
また町の食堂にトイレがなく、どこでと聞いたら道端を指差され、その一角だけが臭い!
体育館のようなところにあったトイレは扉は有るが高さ1m程で近付くと丸見え。中に便器はなく、側溝があるだけ。前の人のブツが流れてくるというシロモノだった。
信号無視上等のバスとか、夜なぜかライトをつけずに走っている車。どの車もつけないので意外と見える。烏龍茶を探したらなかったこととかドンドン思い出しました。
まだネットなど無く情報は本からしか得られなく、地球の歩き方なども出始めたばかり、あの頃は海外旅行は冒険の気分でした。
あまりにも懐かしく、ついコメントさせて頂きます。
満州浪人を夢見たこともある老人様と同時期の95年頃に、ウルムチートルファンー南山牧場のあたりに、仕事で疲弊した心を癒すべくバックパッカーのような旅行に行きました。共産圏は何があるか分からないと聞いていた諸事情の一つに、交通事故は通報した人が逮捕されるという話がありました。ウルムチートルファン間のバスに乗っていると、カラカラに乾いた真っすぐの見通しの良い道路上に、倒れて動かない地元の農民らしき人の姿が。おお、と心の中で驚愕の声を上げましたが、前方の数台の車も含め、自分達のバスも一切スピードを落とさず、当然のように華麗にスルー!共産圏の怖さを身に染みて感じた瞬間でした。
たぬたぬさま
>一切スピードを落とさず、当然のように華麗にスルー
一瞬のできごとこそ、思い出すとき鮮明であるとの事例でありましょうか。前方で鹿が倒れている、くらいのものと。噂はホントウだったのか。
共産党独裁体制ですとベトナムがそうです。ですが、C國ほど悪辣な情報を不肖はにわは目にしていません。現地生活中の邦人の皆様にあらせられては、ぜひともご見解&ご体験などをご投稿願いたいものです。なお「これが南インドだ、天竺裏通り生活体験」の投稿をはにわは計画しています。
シンガポール→バンコク間を途中下車の旅したことありますが、思い出に残るのはやはりローカルの座席が木造の車両。
ホーチミン→フエを寝台車で移動した時は、食事はこんなものかと食べていたらコンパートメントの家族連れがそんな不味いもの食べるなと彼らの手作りのお弁当を食べさせてくれたのもいい思い出です。
景色は森林か田んぼで日本と変わりないのです。
ヨーロッパはリヨン→ヴァンテミーリア間も乗りました。今はTGVばかりですがコンパートメントがある列車も良いものです。でも駅の雰囲気が良い。
ロンドン→パリなどは味気ないものです。
スペインのAVEは、意外と乗り心地よく広くてコスパ良いです。
海外旅行喪失感を感じておられるかたがたのため、心の隙間を埋め合わせる詩をお届けします。
♪夜間飛行の ジェット機のつばさに点滅するランプは
遠ざかるにつれ 次第に星のまたたきと区別がつかなくなります
お送りしております この音楽も 美しくあなたの 夢に 溶け込んでいきますように
日本航空がお送りした音楽の定期便 ジェットストリーム
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは…
(詩:堀内茂男、ナレーション:城達也)
いつも楽しく、ブログ主様の卓見と皆様の含蓄あるコメントを拝見しております。
皆さまに比べ知識も文章力もない中、コメント投稿など考えたこともなかったのですが、
今回のお題にはどうしても投稿の誘惑抑えがたく、
恥ずかしながらささやかな経験談を投稿させていただきます。
私は1980年代某旅行会社に入社しいたしましたが、入社した新入社員の年に、
体力だけを見込まれ某女子高校の中国修学旅行のサブ添乗員として駆り出されました。
当時の中国旅行の手配というのは本当に手続きが大変で、一般の団体ツアーであっても宿泊ホテルが中国に入国してみないと判明しない、という状態でしたが自分は新人助っ人添乗員なのでそんな事情は全くわからず。
まず中国入国までですが、自分のスーツケース以外に現地へのお土産類と文房具類が詰め込まれたスーツケースとボストンバッグ2個渡され両手にスーツケース、右左肩掛けにボストンバッグを下げて行きました。共産主義の国中国ではチップは不可なのでお礼に都度都度ボールペンとかシャーププペンを渡すんだそうです。
でもこれって何千本あるんだろう?みんな俺が持つの?知りませんけど昔の闇市の買い出しってこんな感じでは?と言う有様でした。
なんとか到着してから(入国もほとんどスルー)バスに乗って上海市内に入ったら周囲の車とバスの運転の乱暴さに車内の女子高生から「キャ-」「ぶつかるう」と絶叫が上がりまくる毎日で、やかましいことこの上なし。
ホテルで出てくる食事もチャーハンかと思ったらいきなり中からアンコが出てきたりといったてような、外国人配慮なし(少しはあったらしい)のド・ローカルメニューで女子高生の皆様は強烈な異文化体験をしてました。
というより私自身も初めての海外添乗員経験で強烈な印象でした。
「手バナ」(見事!)と「股割れズボン」(便利!)を見たのがこのときが初めてでした。
また添乗員ですからネームプレートをしているのですが、観光地その他でもとにかく周りに人が集まってきて私の漢字のネームプレートをしげしげと見て「〇〇?」「〇〇!」「オー〇〇!」と自分の名前を中国語発音で大声で連呼しているのが恥ずかしいやら不気味やら。
修学旅行ですから現地の学校との交流もありまして。
こちらからと現地の学校生徒が1000人余り、何故か校庭でマイムマイムを踊りました。
溝とモップだけのトイレしかないその学校で、疲れ切った頭で日中合同1000人のマイムマイムを見ながら。「マイムマイムってイスラエルかなんかの曲だよなー日本人と中国人がなぜ全然関係ないマイムマイムを踊るのだろう?」とぼんやり思ったことだけ、強烈に覚えております。
上海から杭州へ列車で移動しました。車内のメイドさん?が葉の浮いた熱いプーアル茶を持ってきてくれました。今の新幹線とは異なり客車列車で、せいぜい時速90キロくらいだったのでは。その後、同じ鉄路で大事故が起こり、別の学校の生徒さんが多数犠牲になったことは、このブログの読者の方であれば覚えておいでではないでしょうか。そのニュースを聞いたときは背筋が凍ったのを覚えています。
杭州からはバスで2時間位。乗り心地はまあ上下動20センチくらいだったでしょうか。
生徒さんたちは我慢。1時間くらいたつ車内なのに窓枠に砂がどんどん溜まっていくのがまたなんとも。ウルムチに比べればマシですが、沿岸部でもこれでした
今となってはすべて過去の、中国版「三丁目の夕日」みたいな幻影ですが、
あの人民服ばかりの人たちが、今は尖閣諸島に攻めてくると。本当に変われば変わるのですね。
乱文乱筆失礼いたしました。
マルクス(後略)さま
高知学芸高校修学旅行列車衝突脱線転覆事故は覚えております。現地でだびにふされた女子高校生たちには心痛む思いでいたこと、当時日本の世情はバブルまっさかりで現在に比べるとはるかに荒々しかったこと、令和元号3年目の今朝思い出すところです。
おりしも、旅行会社は業界壊滅の危機を逃れるべく、必死のパッチでコロナ事業に体当たり営業を掛けています。民間企業の英知と経験が、全国1700余の自治体職員を救うのであれば、人材産業、人財宝庫たる旅行会社への社会認知もなお一層高まるものとそのように拝察いたします。
マルクス(後略)さまにあらせられては、余罪もとい余談についてぜひともさらなるご投稿あることをささやかながら希望する次第です。
ハニワファクトリ―様
拙文へのレスありがとうございます。
現在苦境にあえぐ旅行業へのエールに感謝申し上げますとともに、最後の「余罪」の一言に旅行業界に対する並々ならぬ知識をお持ちと冷や汗が出ました。
はい、1980年代皆様の大好きな韓国その他、添乗員としてアジア各国にお邪魔しました。初めてのソウル添乗に出発する前に会社のお姉さま方が「とうとう○○君も汚れてしまうのね」に言われて何のことやらと思って出かけましたが…
後はおおむね皆様のご存じの通りです。
これ以上はご勘弁下さいませ。
はにわファクトリー様
コメント不慣れにつき失礼いたしました。
マルクス(後略)でした。