最近、『鬼滅の刃』という映画が空前の大ヒットを記録しており、わずか10日間で100億円を超える興行収入を達成しました。その一方、とある映画監督が「日本の映画界は大資本が支配している」、などと危機感を示しているのですが、「商業ベースに乗らない映画作品に公的助成が必要」とする主張に対しては、個人的には違和感を禁じ得ません。
『鬼滅の刃』が空前の大ヒット
最近、街の映画館では、マンガ作品を元にした映画『鬼滅の刃(きめつのやいば)』が大人気です。
『オリコンニュース』によると、公開初日から25日までの10日間で、興行収入は107億円、動員数は790万人を超えるという大盛況ぶりであり、「興行収入100億円突破は、日本で上映された映画の中で最も速い日数」なのだとか。
映画『鬼滅の刃』日本映画史上最速で興収107億円突破 10日間で動員数790万人超
16日に公開されたアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の最新の興行収入が26日、発表された。<<…続きを読む>>
―――2020-10-26 12:10付 ORICON NEWSより
この「10日間で興行収入100億円」の凄さは、ほかのヒット作品と比べれば明らかでしょう。
オリコンニュースによれば、たとえば昨年11月の『アナと雪の女王2』が40日、昨年7月の『天気の子』が34日だったそうであり、「実写作品も含めた歴代の興行収入ランキング1位に輝いている『千と千尋の神隠し』の308億円を超えてもおかしくない勢い」なのだとか。
そういえば、最近の休日の繁華街ではどの映画館も人で溢れていますが(※個人的体験です)、やはりこの映画を見に来る人が多いのでしょうか。
気になる料金は、東京・新宿や大阪・梅田などのTOHOシネマズでは一般席で1900円だそうですが(※詳しい料金体系は各映画館のウェブサイト等で調べてください)、このインターネット時代において、わざわざ高いおカネを払ってまで、790万人を超える人が映画館に足を運んだというのも凄い話です。
武漢コロナ禍のため、外出を自粛していた人々が、欲求不満を解消するために映画館に足を運んでいるためでしょうか。それとも同映画が本当に面白く、それを「映画館の大画面、大音響で体験したい」という人々が多い、ということなのでしょうか。
このあたりは本当に興味深い限りです。
映画監督「日本の映画界は危機的」
こうしたなか、この『鬼滅の刃』の大ヒットの裏で、「日本の映画界は危機的状況」と語る人がいます。
「コロナ禍の前から日本の映画界は危機的状況」 偉才・深田晃司監督が本気で語る映画のこれから
―――2020/ 10/21 16:11付 Yahoo!ニュースより【※まいどなニュース配信記事】
『まいどなニュース』が『Yahoo!ニュース』に配信した記事によると、深田晃司監督は現在の日本の映画が「危機的状況」だと述べているのですが、その発言のなかに、強い違和感を抱かざるを得ないものが含まれていたからです。
コロナ禍のなか、深田監督は他の監督らとともに「ミニシアター・エイド基金」なるものを設立し、クラウドファンディング方式で3.3億円を集めて全国の映画館に配分したのだそうです。
深田監督は、自身の作品がいわゆる「ミニシアター」で上映されてきたという経緯もあり、「ミニシアター・エイド基金」はこうした「ミニシアター」を救うための試みだ、と位置付けていて、個人的には、「どうぞご自由に」と申し上げたいと思います。
ただ、その体験について『まいどなニュース』に対し述べた内容に対し、強い違和感を抱かざるを得ません。
「『映画監督が何故わざわざそんなことを?』と言う人もいました。しかし、映画文化を守ろうという意識が強く、手厚い助成の仕組みがあるフランスや韓国も、映画人たちが闘ってそれらを勝ち取ってきたのです。僕らのモチベーションもそれと同じものだと思います」(※下線は引用者加工)
…。
「映画が文化だ」という主張に対しては、「そういう考え方もありますね」という感想しかありませんが、これを「助成しろ」と言い出した瞬間、こうした考え方には厳しい視線を注いでしまいます。なぜなら、納税者の1人として、税金の使途には強い関心を抱くからです。
非常にきつい言い方をすると、自由主義経済の世の中、「良いものを作れば売れる」のであって、売れないのだとしたら、「良いものを作っているのかどうか」という点を、まずは問題視すべきです。
深田監督の発言に対する違和感は、まだあります。
「『鬼滅の刃』が今、バスや電車の時刻表かというくらい分刻みで上映されています。(中略)あれだけの規模で公開できるのは、TOHOシネマズを持つ東宝の配給だからです。(中略)強固なネットワークと大きな資本力を駆使した日本映画従来の方法論が、自由で公正な競争であると言えるのかは疑問です。日本でこれまで当たり前だった“商慣習”に『映画文化の多様性を守る』という視点が十分に含まれているかは議論の必要があると感じています」
「また、コロナ禍で露わになった日本映画界の問題はほとんど解決されていません。端的に言うと、まずはお金の問題。映画を作るにはお金がかかります。そして資金を集める方法は『企業などの出資』『公的な助成』『寄付』のほぼ3パターンしかありません。」
東宝が大手資本であることは事実ですが、この言い方だと、まるで「鬼滅の刃」が「大手資本の作品だから大ヒットした」と言いたいかにも見えます。
「映画文化の多様性」というのが何を意味しているのかはよくわかりませんが、「映像作品の多様性」という意味では、現代社会においては、べつに映画館で放映されるコンテンツに限る必要性はありません。YouTubeなどの動画サイトで、いくらでも配信する手段があるからです。
それに予算が少ないなら少ないなりに、おカネを使わずに映画を作れば良いのではないでしょうか。テレビ東京のドラマ『勇者ヨシヒコ』シリーズのように、低予算でありながら多くの人から圧倒的な支持を集めているケースはいくらでもあるでしょう。
ただ、おそらく深田氏が言いたいのは、「日本には公的な助成が少ない」、という趣旨のことではないでしょうか。
「しかし日本は助成金が非常に少なく、寄付の文化も根づいていません。となると頼りになるのは出資ですが、これは性質上、ヒットが見込める娯楽大作に偏りがちになるという問題を孕んでいます」。
当たり前でしょう。
出資をする以上は、「それをやって儲かる」という見通しがあるプロジェクトであることが必要です。出資者もボランティアでやっているのではない以上、当たり前のことでしょう。
それよりも、「映画文化」を理由に、公的な資金をあてにしようとする姿勢には、どうにも賛同できないのです。
ユーチューバーという生き方
ほかにも、深田監督の発言を読んでいると、違和感のある記述は多々あります。
「個々の才能は海外と比べても遜色ないのですが、圧倒的に環境に恵まれていない。先ほど指摘したお金の問題もそうですし、例えば韓国では1本の映画を作るのに3カ月くらいかけられるのに、僕の場合は3週間が限界で、もっと短い監督もたくさんいます。自由のなさを痛感しますし、収入も不安定。結局こういう環境で作れる人しか生き残れず、このままでは作り手や作品の多様性が失われていくのではないかと危惧しています」
はて、そうですかね?
映像文化という意味では、最近、動画サイト『YouTube』で動画配信をする個人は非常に多く、たとえば『yutura』というサイトの『2020年10月チャンネル登録者ランキング』によると、チャンネル登録者が100万人を超えているチャンネルは140を超えています。
これらのチャンネルの中には、NHKなどの放送局や芸能人・有名人に混ざって、個人としてYouTubeに動画を配信している人も大勢いらっしゃいます。もしも自身の作る映像のクオリティに自信があるというのならば、まずはYouTubeにチャンネルを開設してみたらいかがでしょうか?
「だれが」評価するのか?
非常にみもふたもない言い方ですが、「補助金に頼る」ということは、商業ベースに乗らないということであり、商業ベースに乗らないということは、世間から評価されていない、ということでもあります。
その意味では、この映画監督氏の主張は、「商業ベースには乗らないけれども公共性があるから、人々から半強制的に徴収した金銭でコンテンツを作りましょう」、という発想とも親和性があるように思えてなりません。
そして、自由主義経済を無視して、商業ベースに乗らないコンテンツに補助を出すのであれば、そこに必ず利権が生じます。
NHKの場合は「見ていない人からも受信料を徴収する」という点に問題があるのですが、「税金によって特定の映画監督を助成する」という仕組みも、「その映画を見ていない人からも、映画を作るためのおカネを徴収している」という意味では、究極的には同じではないでしょうか。
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商業活動は自由競争に任せるべきという主張は正論です。一方で、文化・芸術を公的資金で助成するのはアリだと思います。映画は、紛れもなく商業活動ですが、文化芸術の側面も持っており、そこに幾ばくかの「国民の血税」を注ぎ込むことも、やり方次第ではアリだと私は思います。
国の助成による映画振興が成功した事例として韓国があります。韓国映画は反日映画やウリナラ・ファンタシーばかりではありません。反日要素のない、見応えのある映画も多数あります。80年代に壊滅状態にあった韓国映画業界は、地道なロビー活動を通じて、映画を助成してくれる政権を求め、金大中政権でついに、半官半民の韓国映画振興委員会を立ち上げます。この団体が中心となって業界の改革と資金援助が行われ、韓国映画が盛り上がっていきました。
こうした韓国の動きについては、この↓講演記録がわかりやすいと思います。
https://www.bunka.go.jp/1tyosaku/contents_sympo3/keynote/01.html
自助・共助・公助の考えからすると、まずは自力で頑張る、その頑張る姿をみんなが応援する、そういう形で公的資金が集まるのが理想ではないでしょうか。
だんな様も(ここへのレスでなく別スレの形で)書いておられますが、コロナによる自粛時の平田オリザ氏の特権意識丸出しの発言に垣間見えた通り、日本の演劇関係者は(例えば欧米の演劇関係者や日本でもスポーツ選手のようには)本当の意味で精神的に民主主義・市民主義を理解しておらず「自分達は社会から特別扱いされて当然の特権階級だ」という特権意識に凝り固まった人々が多いので、税金を投入しても金をドブに捨てる愚に等しいケースが圧倒的に多くなると予測します。
ブログ主様も書いておられる通り、お金がないならばYoutubeから始めれば良いのですよ。あるいはクラウド・ファンディングに打って出るとかね。
それも試みず、今回のエントリで取り上げられた記事での監督のように公的支援を求めるのは工夫も努力も無さすぎる。率直に言ってその程度の工夫や自助努力さえ出来ないで税金に甘える人間に金を与えても無駄になる確率のほうが遥かに高いと思うので、安易に公的支援するのは反対ですね。
文化庁にしても明らかに日本を貶める(それも事実の暴露ならば仕方ないが事実を歪めたり捏造したりして完全に不当な形で貶める)映画や展覧会等に助成金を出すのは打ち切るべきだし、間違ってそういう嘘による反日活動に対して助成金を出してしまった場合には必ず担当者に懲戒処分を下して更迭するルールを確立し、助成決定前にきちんと内容審査をする(従って審査時と内容が食い違った場合には助成金を支給されなくても異議を唱えないと文書で確約させる)手順を必ず踏むようにせねばなりません。
阿野煮鱒さんの意見のやり方次第の面は、有ると思います。
しかし予想されるのは、助成しろ、表現の自由だから口出しするのは憲法違反だという、学術会議の流れを踏襲しそうな気がします。
悪く言えば、ただの金くれですよね。
文化の育成に公的資金が役立つかというと私は全く役立たないと思います。そうではなくて、厳しい審美眼を持ったパトロンやいわゆるオタクたちがしっかり生活して、文化芸術にお金を出せるようになることが唯一の振興策です。
公的資金は評価がどうしても権威主義になって、その分野を牛耳る重鎮たちにばら撒かれるだけで、結局表現は進化していかない。文化に金を出せとしきりに論ずる識者たちが結局その文化助成の最大の受益者になるだけです。
歴史を紐解いても、例えば江戸時代に発展した文化は町民たちに文化を楽しむ余裕が生まれたから自然発生したもので、決して幕府が奨励したものではありません。
アニメもそうですね。バカにならない先行投資が必要で当たれば利益、外れれば大損という中でなんとか新たな表現でみんなの気を惹こうと頑張った結果の隆盛であり文化です。
結局文化を育てるのも給付金やら消費税減税やらが王道ということです。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、素人考えなので)
素人の素朴な疑問ですが、商業ベースにのらない映画は、独りよがりの映画であることもあるのではないでしょうか。また、商業ベースにのらない無名監督の映画が、優れた映画で将来、有名監督になることもあるでしょう。(もちろん、無名監督が無名監督のままのことが多いでしょうが)
ならば、ネットで公的助成金にふさわしい映画を、国民投票で決めれば、それが税金を使う映画になるのではないのではないでしょうか。将来、(日本では公開しないが)全世界で公開すると、割り切るのも良いかもしれません。(そうすれば、日本国民と、世界とのずれを認識できるでしょう)
駄文にて失礼しました。
すみません。追加です。
もし、海外で映画に助成金が出ているとしたら、それはその国の国民が、助成金を出すにふさわしい映画を作っていると信頼しているからでしょう。つまり、国民に信頼されているから映画に助成金が出るのであって、映画に助成金が出ているからといって国民から信頼されている訳ではありません。
駄文にて失礼しました。
完全に同意します。
引きこもり中年様、
国から作品制作に直接的な助成金を出している例は、現在だとフランス、中国、韓国、インド位だったような気がします(確かもっとあったかも知れませんが、ちょっと記憶にありません)
北米や、最近だと東欧や北欧は助成金を直接出すのではなく、電気代やスタジオ用の土地代の優遇、スタジオに対する税率の軽減等が主です。多くの場合は国からでは無く、州や都市からの優遇だった筈です。と言うのも文化保護が目的では無く、スタジオ開設による人口の増加や雇用の創出、周辺施設の経済活性化を目的として行っている場合が多いからです。コンテンツ産業は自由競争主義の中で切磋琢磨するのが正しく、「我々の文化を保護しろ」と言うのは話が違うと私は考えています。
映画やゲーム、アニメ業界の中だと例えば私の様なアーティストは商業アーティストとして働いており、アカデミックな芸術家からはかけ離れています。そんな商業アーティストの立場からすれば、国からの助成金は「国からの作品製作依頼」であり、その資金で作られる作品は「クライアントの意に沿ったプロパガンダ作品」となるべきです。
それを受け入れずに金だけ寄越せというのは、守られた狭い世界で生きている芸術家を名乗るただの詐欺師だと私は考えています。
この記事を見て、『産業ロック』議論を連想してしまった。
「大手にマネジメントされたキャッチーなロックはロックの神髄を失っている」という考えもあれば、「売れるロックこそが正義」という考えもあるし、マイナーだろうがアングラだろうが、良い曲もあれば悪い曲もある。
個人的には、そんな理屈に関係なく、ロック全般が好きだけどね。
で、結論は、
政府から補助金をもらってロックをやっている人なんていないでしょ?
人々のニーズに合わなければバンドも、曲も廃れていくし、ロック自体なくなっていくのでは?
映画もしかり。
アニメとかは、〇〇製作委員会とかを見ますが、業界が試行錯誤して編み出したリスクと権益のバランスをとるシステムなんでしょうね。アニメーターの待遇とか、いいか悪いかは別として。
幸い、海賊版とか出回りにくく「円盤(DVD、ブルーレイ)買え」とか、受け手側が作り手に還元したい傾向も大きいので、うまいことそういうより良い仕組み構築できればいいのですが。
コンテンツの質については、日本なら多様性と歴史と、妄想の奥深さ(爆)にかけては随一の国だと思うので、個人的には心配していません。良しあしは市場の自然淘汰と突然変異に任せて。
もし公的資金を投入するんなら、「時代劇」に入れてほしい(笑)
フィクションでありますが、寺社や城郭、衣装など裾野も広いでしょうし。
アニメは、謎の光線とか湯気とか円盤が売れるための創意工夫をしているのです。
おまけコンテンツも面白くなるように力を入れています。
もちろんハリウッド映画でも特典画像だけでBD一枚とか付いてくるんですけど、見ないなあ。別に「こんなに作るのに苦労したんだぜ」なんて内容は別に見たくもないんですよ。
匿名様、
アニメ製作現場側で働いていた側からすると、製作委員会は悪の巣窟です。
あれはスポンサーの下にへばり付いた落とせぬ汚れみたいなものです。製作委員会とは一人で責任を持つだけの度胸のないプロデューサーが、一人で責任を取りたくないが為に存在する集まりです。
コンテンツ製作の質に関して言うなら、唯一生き残っているのはゲーム業界(モバイルゲーム含め)です。映画業界は瀕死ですが、TV局側が生かすと思うので問題ない(筈)です。問題はアニメで、今の第一線が居なくなると突然死する可能性があります。
コンテンツ業界全体に言えることですが、作品の利益はほぼ作業者に還元される事はありません(勿論企業によります)。ただゲーム、映画は死ぬ気で働けばそれなりに暮らせるくらいの収入にはなります。アニメは死ぬ気で働いても微々たる収入しかない人が大半です(特に若手)
悲観的に書いておりますが、恐らくそう簡単には日本のコンテンツ業界は死にません。ただ作業者の半分以上が中国辺りの会社になる可能性は高いです。
駄文、失礼しました。
たまにある日本作の日本悪の映画に金払いたくないです。
多様性て一方的なものでしたっけ。
更新ありがとうございます。
日本の映画や劇、芸術や文化というのは、とても偏った考えの方が多いですよね。私はミニシアターと聞いて、新左翼系の学生を思い出します(笑)が、それはともかくミニシアターって100人収容程度の小さい貸しホールとかが多いです。
アレで収益が厳しいと言われてもネー。入れ物小さいし、経費更に抑えるなら、自宅開放ぐらいかな(笑)。TOHOは大企業、そら映すフィルムは選別しますよ。売れないモノは掛かりません。例えば10スクリーンあって、売れにくいであろうモノは一番小さいスクリーンの朝一番、二番で終わりです。一日中掛かるハズが無い。ゴールデンタイムは人気作を複数掛けます。
でも映画関係者というのは、貧乏しようが、飯一日一度でも良いから、自分の思うモノを作りたい、間違えてもサラリーマンや勤め人は無理筋な人たちです。だいたいが失礼ながらあの風体で、昼間のお仕事無理でしょ?
公的な応援をお願いしたい、というのはまったくオカシイと思う。仏国や韓国で成功しても他所はヨソ。ハッキリ言って、日本には根付かない文化で、フランスならパトロンかな?
映画人や芸術家に募金や公的資金与えたら、また「あいちトリエンナーレ」みたいなバカモンが出ませんかね?(笑)私は援助を受ける側が口に出すべきじゃないと思います。
日本人にそこまで劇場映画というもの自体が、もうどうにも必要な文化として染みこんでいるかというとなんとも…大衆的ではあるけど。
屁理屈かもしれませんが、文化として保護するのが主眼であればそれこそ売り上げを見る必要はないわけです。売り上げを指標にするのであれば、自由競争下の商品であるべきです。極論ですが、仮に
政府「文化保護です。製作費を無制限に出すから最高の作品を撮ってください。ただし、有料で劇場公開は禁止です。政府ライブラリーで常時自由に閲覧可能にし、政府が責任もって永久保存します」
とやったら、納得するでしょうか。
そもそも、映画は製作者が伝えたい主張や思想、(誤用ではない)世界観を作品化するものが多いでしょうから、公平性を要する公的支援はちょっと違うような。歴史はあるが実用品では無くなってしまった刀鍛冶などは保護すべきとも思いますが。
これが通るなら、個人的な趣味でなら凋落した日本のゲーム業界を支援してほしいですが、これだとおそらくほとんど賛同されませんよね。効果も疑問だし。なんなら私が考案した新アクティビティ「フンゴロポコピー」も文化ですから支援してください。
ある映画評論雑誌が「今年の年間ランキングにはアニメーションを含めない」と言って強い批判を浴びたことが少し前にありました。その年はアニメーション映画のヒットが多数あり、必然的に上位には多数のアニメーション映画が並ぶ事になったわけです。実写映画をやってきた制作者や評論家が編集側に多い雑誌だけに、どう見ても「実写よりアニメが売れていることへの僻み」にしか見えませんでした。またアニメーションを実写よりも下に見ているのがどのような人達かも分かる出来事でした。
上映館が少ないから大きく売れないというのに対しても、2006年の「時をかける少女」のように十数館程度で公開が始まり、最終的に百館以上で公開されロングランになったという実例があります。
ようするに「自分の作った/自分の好きな映画が売れなくて悔しい」というだけのことですね。