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「人間、いくつになっても努力は必要」。7年目の振り返り

私自身は2010年7月から大手のブログサービスを使って個人ブログを運営していました。今になって読み返すと、当時の自分自身の考え方を「再発見」することもありますし、それを最近の事件と関連付けると、何かと気付くこともあるものです。そこで、不定期ではありますが、私は自分自身の過去ブログを振り返ることにしており、本日もそうした過去ブログ記事を再録しておきたいと思います。

過去ブログ再録

私は2010年7月から2016年7月まで、大手ブログサービスの「アメーバ・ブログ」や「楽天ブログ」などに個人ブログを開設し、記事を執筆していました。

当時のブログはそのまま残していて、過去記事も読めるようになっているのですが、ときどき、ふと思い立ってこれらのブログを読み返すと、当時話題となっていた事件だけでなく、当時の自分自身の考え方を「再発見」することがあります。

その1つが、『社会人には勉強が必要!』とする記事です。

いちおう、当時のブログは現在でもそのまま読めるようにしているのですが、ここでは文体、文章の順番や改行位置、細かいかな遣いなどの表現などを修正し、小見出しを入れるなどの加工を行ったうえで、再録しておきたいと思います。

過去ブログ基礎データ
  • 原文タイトル:社会人には勉強が必要!
  • 原文公表日時:2011/08/28 08:52:24 AM

社会人には勉強が必要!

社会人とは勉強をする生き物だ

私自身、ブログで社会人論やマス・メディア論などに関する記事を掲載することが多いが、ここで1つ、重要な教訓がある。それは、社会人になっても勉強をやめてはならない、ということだ。

社会人のなかには、勤労者もいれば、何らかの事情で勤務していない人もいる。また、働いている人の職種も、農業や製造業、サービス業など、さまざまだ。このため、「社会人」という存在を、一括りで議論すべきではないことは事実だろう。

しかし、およそ全ての社会人に対して一律に当てはまることが、1つある。それは、「いくつになっても勉強が必要」である、という点だ。仕事を効果的・効率的に進める上では、十分な知識と経験に加え、創意工夫も必要だろう。そして、これらの工夫は一朝一夕には実現できない。地道な努力が必要である。

もちろん、何を勉強しなければならないかについては、その人の職種や置かれている立場、社会的な状況等により、人それぞれだろう。

たとえば、子育て中の専業主婦であれば、子供の教育や健康、食材に関する知識など、勉強すべきことはいくらでもある。また、社会人になりたての若者であれば、覚えるべきことはそれこそ山のようにあるだろう。さらに、引退を間近に控えた人であれば、今後の人生設計と金銭計画に関する勉強も必要だ。

そして、勉強した成果は、惜しみなく仕事に注ぎ込むべきだろう。そして、仕事を通じて様々な勉強をすべきだ。いかなる職種であれ、仕事と勉強は表裏一体の関係にあるのだ。

かくいう私自身も、自分の市場価値を維持するために、新しい会計基準や監査基準には極力目を通しておく必要があるし、これに加えて現在の勤務先(職種や規模等の詳細は明かせない)の属する業界に関する知識を常に補充する必要がある。

正直、いくら勉強しても足りないというもどかしさもあるが、それでも私にとって勉強し続けることは、「生きている」という実感を得る作業でもあり、それ自体が生き甲斐なのだ。

労働と勉強は「つらいこと」なのか?

ところで、労働が「つらいこと」「神から与えられた懲罰」などと考える宗教では、いかにして仕事をしないか、いかにして楽をするかが人間の幸せになる、と考えるそうだが、私はそう考えない。労働とは、その人が人間として生きている証となると信じている。

何より、頭脳はいくら使っても減らない。むしろ知識が増えることにより、使えば使うほどその価値は上昇するのだ。そう考えると、自分の役割を果すために、惜しみなく自分の頭脳を注ぎ込むべきだろう。そして、得た知識は奪い去ることが出来ない。

当たり前だが、裁判所から差し押さえ命令を受け、保有する金融商品や動産・不動産は差し押さえられたとしても、頭脳だけは差し押さえることが出来ないのだ。知識と経験は、その人にしか持てない、最大にして最も貴重な財産なのである。

昔の人は、「子孫に対して美田を残さず」という諺を残してくれた。金銭や不動産といった財産は、それを所有する本人に資格がなければ、却ってその人を不幸にする。しかし、遺産が知識という形で残れば、その本人にとって得がたい財産となる。その意味で、部下や子孫に対する最大の貢献は、教育なのである。

この文章が意味するところ

自分はきちんとできているのか?

今になって読み返してみると、ところどころ漢字仮名遣いが一貫していなかったり、助詞の使い方がおかしかったりして、他人様に読ませる文章としては恥ずかしいレベルでもあります(※再録にあたっては、直せる部分はひととおり直したつもりですが…)。

ただ、こうした文体、体裁については脇に置くとして、自分自身、この文章を改めて読んでみて、考え方はまったく変わっておらず、いや、それどころか、「人間はいくつになっても勉強が必要だ」という点については、ますます確信を強めています。

もちろん、過去にかなり努力して勉強してきた人であれば、多少なりとも過去の経験で生きていくことはできるかもしれません。しかし、自戒を込めて申し上げるならば、人間、少し勉強を怠っているだけで、あっという間に知識は劣化してしまいます。努力を忘れた途端、転落するのも早いのです。

私自身、前職を辞めて起業したのが2015年10月のことであり、早いもので、あれからもう3年が経過しました。その間、100%満足ができる仕事をしてきたのかと問われれば、自信を持って「そうだ」と答えられるわけではありません。

しかし、日々、手探りで必死に仕事を続ける一方、ウェブ評論活動についても手を抜かずに続けて来たつもりですし、少しずつですが成果も上がり始めていると認識しています。

ただ、それでも、自分自身で書いた文章を突きつけられると、改めて「努力しなければ知識は劣化する」という、当たり前の事実に気付かされます。正直、「まだまだ勉強が足りない」と痛感せざるを得ないのです。

努力は続けるべき

くどいようですが、私自身、2011年8月の時点で偉そうに高説を垂れておきながら、それからの7年間、自分がちゃんと努力を続けて来たという自信があるわけではありません。ただ、自分自身が執筆した文章を読み、「努力は続けるべきだ」という、当たり前のことを再確認したことは事実です。

自分自身がこれから先、何年生きられるのかわかりませんが、生きている限りは努力をすべきですし、また、自分が子供に贈り物をすることができるならば、「誠実に努力する」「ウソをつかない」「ルールを守る」「困っている人を助ける」、といった、ごく当たり前の生活態度を、身を持って示すことにあると思います。

この文章を、また数年後に読み返し、赤面するような人生を送っていないことを願いたいところです。

新宿会計士:

View Comments (9)

  • 「人として正しくありたい」との管理人様の真情が、まっすぐに伝わり、感銘をうけました。

    私も、ひたむきに、精いっぱい生きたいきたいと思います。

    *****
    *****

    ↓ 再投稿させていただきます。(今も変わらない気持ちです)

    はじめまして、

    いつも興味深く拝見させていただいてます。

    今回の記事を読んで、「人としての理想の生き様は、真善美(しんぜんび)の追求者だ」と、幼少の頃に聞かされた言葉を思い出しました。(なぜだろう?)

    *****

    管理人様の執筆による記事は、客観的で偏りがなく、専門的でありながらも解りやすい言葉で解説されていて、非常に参考になります。

    さらに、社会で発生する様々な事象に対して、その本質を探究し、確かな裏付けの基にまとめられた情報は、信頼性の高いものです。

    なによりも、いわれなき個人への非難や、意図的なフェイクの記載が全くなく、安心できます。
    (当たり前のことが当たり前にできているって素晴らしいですね。)

    *****

    これからも、「真善美の追究者」としての活躍を期待しています。

    カズ

  • 新宿会計士様
    常に努力され、勉強され、向上心を持たれている事に、本当に頭が下がり、尊敬いたします。
    ただ、くれぐれも無理をなされず、お身体にはお気をつけられて、私たち読者に
    知的好奇心
    を刺激する記事をお続け下さい。
    これからも、どうかよろしくお願いいたします。
    毎日、楽しみにしております。

  • 当時のブログは現在でもそのまま読めるようにしている
    https://shinjukuacc.com/20181118-02/#i
    と記載されていますが、インターネット上の闘いも熾烈になってくると予想されます。
    何時、消去されるか、改竄されるか分かりません。

    【参考】
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13199225538
    下記文章中の「不適切な内容が含まれている」箇所が、どこなのか指摘してください。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14199220654
    〔下記文章〕
    朝日新聞社やNHKは「異常」だと言ふでせうっ
    〖補足〗
    韓国人は、次のような考え方で行動しています(歴代韓国大統領の悲惨な末路を思い出したり、韓流ドラマを注意ぶかく観察すれば、そのことが分かります)。
    1. 道徳的にえらい人が言うことは全部正しい。それに文句を言うのは、なまいきだから、ひどい目にあわしてやらなければいけない。
    2. 韓国には、えらい人と子分しか居ない。えらい人が子分に言うことをきかせるのは当たり前。でも、何かあって、子分がえらい人になったら、これまで、えらかった人が子分にならなければいけない。
    韓国人の行いや道徳的な考え方は、日本人とはずいぶん違いますね。民族が違えば道徳的な考え方も違うのは当たり前だということを知らなければいけません。どの民族の考え方が良くてどの民族の考え方が悪いと言うのは、間違いです。
    そして、韓国人の考え方を知って、何か起きたときに、韓国人がどのように考え、どのように行動するかを当てることができるようになる必要があります。そうしないと、韓国人にひどい目にあわされるかもしれません。
    それなのに、韓国人の行いや道徳的な考え方が日本人とはずいぶん違うことを、日本人たちに知られないよう用心しながら、ウソの報道をして、日本人をひどい目に合わせてきたのが、朝日新聞社やNHKなんです。
    〔追伸〕
    韓国人の考え方が日本人の考え方と違うからといって、ダメだというのは偉そうすぎます。
    悪いのは、日本のマスコミです。
    https://ta9as1.web.fc2.com/20181118.html

  • 技術の会社だと勉強しないといけない。会社にいる時間だけでは全然足りない。もちろん、会社は会社外での勉強に対して対価を払うことはない。だから勉強をしないという選択肢もありうる。但し、勉強しないと仕事をするうえでの最低限の知識は会社が与えてくれるが、それ以上については与えてくれない。同僚との差もついてきて、良い仕事は回ってこなくなる。当たり前だが、会社の上司も知識豊富な人に仕事をまかせる。10年後も技術者でいられますか?となる。最近は奥さんが強くなっていて、結婚すると途端に仕事の能力向上がなくなることがある。
    最近思うのだが、仕事上の問題点を見つけて、それを改善するというのは勉強より難しいみたいだ。勉強はできても仕事の改善提案をして、それを実行して完成させることができない場合が多い。勉強と仕事の実行力には違いがあるようだ。

    • 非国民 様
       
       勉強と改善能力は確かに異なります。小生以外にも長く仕事をやってきた方々はそれを痛感する場合が多いと思います。しかし、勉強をしていれば何かの拍子にそれが役に立つことがあります。確率はものすごく低いかもしれませんが・・・。
       小生は大学で化学を専攻しておりました。化学を選択した理由は単に面白いからです。従って化学の勉強は全く苦になりません。化学の分野も専門的に色々と別れておりますが、小生はどれをとっても面白く、全ての分野において勉強をしました。そのためか、会社に入っても他の人とは異なる視点を持つことで、問題解決の糸口にしたことが何度かあります。全ての知識が役に立つわけではないですが、化学だけをとってもその専門分野には独特の思考性というのがあります。その思考性を持つだけでも、他の人と違った視点で見ることが出来ると小生は思います。

       少々難しくなりますが、小生は熱力学は専門ではありません。今から書くことは専門家から異論を頂くかも知れません。小生が若い連中から「エントロピーってなんですか?」と質問を受けることがあります。一般の方々も「エントロピー」という単語はよく聞くと思いますが、これを説明するとなると結構大変です。その時小生はこのように説明します。「小生の事務机を見たまえ。小生は机の上を年に数回は整理する。ところが、1週間もたたないうちにこのようにめちゃめちゃになる。そこで、また片づけようとするのだが、これが結構時間がかかり精神的エネルギーも必要になる。整理整頓されたものは常に散らかろうし、それを整理整頓するのにはエネルギーが必要。つまり整理整頓された状態はエネルギーをため込んだ状態であり、それを放出するとき散らかる。エネルギーは水と同様、高い状態から低い状態に自然に移る。従って、小生の事務机が散らかっているのはエントロピーが大きくなっていく自然の摂理なのだ。つまりエントロピーとは片づける労力を大きくする因子なのだ。」

       閑話休題
       
       人は好奇心の塊であり、それを満たそうとします。知ることは楽しい事です。学生の頃は酒、煙草、女性に興味をもち、「知りたい」「経験してみたい」などの欲求から逃れることができません。例えば、エロ本を読むのも、一種の知的好奇心を満たすための手段でしょう(そこまで高尚なものではないかも知れませんが・・・)。小生もこの年齢でまだ勉強しております(ただし、酒、煙草、女性は勉強し終わりました)。このブログにしても小生の勉強の一環であり、こと経済に関してはほぼ素人同然ですので、新軸会計士様の分かやすく質の良い内容にいつも楽しみにしております。

       駄文にて失礼します

      • 非国民は電子工学専攻。小学生の頃、無線機を見て、自分で作りたくなった。あの頃はまだ真空管の時代だからね。親父は文系なんだけど、赤ん坊の非国民が機械を見続けていたので「文系にはならんな。」と思ったそうだ。理系は女性をみて「美しい」とは言ってはならないと教わった。「偏差値いくつくらいの女性」と言わないといけないらしい。

      • 非国民は高校の頃はちょっと数学が苦手。なぜかというと「数学に正義を求める」から。背理法をみて「きたないやり方、卑怯だ」と思った。でも背理法でないと解けない。しかし大学院に行ってからはその考えはやめたら数学が得意になった。友達に「数式で悩んだら言ってきて。何でも解くから。」ということでそれからは友達が数学の問題をどんどんもってきてくれた。
        高校の時、物理は得意。なぜかといと、その当時、電卓がでてきた。それで電卓でできることというと物理の問題を解くこと。家に帰ってきたら、物理の問題集を解く。学校の問題集は簡単に終わった。本屋に行って、物理の問題集を買って、それも全て何回も解いた。親が「あいつ、部屋に籠って何やっているんだ。」と思ったらしいが「電卓で物理の問題を解いているだけ。」と言うと、さすがに「物理の勉強なんかやめろ。」とは言えない。勉強はしないと怒られるけど、しすぎるとほぼ怒られない。例外は勉強しすぎて頭がパーになること。中学生の同期はそれ。お兄さんが勉強しすぎてパーになったので、弟は高校にもいかせてもらえなかった。
        コンピュータも同じ。このコンピュータは絶対に止まらないというと俄然力がわく。それであれこれ考えて、止める方法を考えてた。当時は大型コンピュータで多くの人が利用しているので、計算センターの人が夜間利用するときを狙って、依頼でやった。ところが手順を計算センターの職員が間違えて止まらなかった。そこで昼間にやったら見事に止まった。コンピュータを止めると普通は怒られるけど、計算センターのミスもあるから「仕方ないか。」で終わった。
        今だったら、ハッカーで問題なんだろうけど、30年以上前にはハッカーという言葉はなかったよ。
        それでソフトは麻薬と思った。やっているときはとにかく楽しい。ご飯を食べる時間が惜しいほど。だから逆に仕事にはしなかった。仕事になると多分死ぬまでやるなと思ったから。
        ハードウェアの方面に進んだが、非国民はやはり仕事をやりすぎて、過労死一歩手前まで行った。会社を辞めて、なんとか命は助かったが。

        •  非国民 様

           理系はみな同じ感じですね。
           小生も合成物が結晶になるまで、ずっと寝ずに待ち続け、気付いたら研究室で1週間が経過していたなんてことがありました。夢中になるとついつい時間の忘れることがあり、子供がゲームで時間忘れるのと同じなんですね。
           小生の大学にも計算センターというコンピューターの建屋がありました。たしかFortranを使っていたと思います。そうこうしているうちにPCが一般の研究室にも導入され、FortranからBASICに鞍替えってなりましたね。懐かしいです。小生はプログラムに関してさほど詳しくないのですが、少なくともブラインド タイプ程度は出来るレベルでした。会社に入社した時に殆どの人がブラインド タイプが出来なくて、さらに自由に使えるPCも研究所に1台しかなく、「就職間違ったかも」と思ったことがあります。
           初期のころはMultiplanと一太郎でしたね。一太郎は非常に優れているワープロソフトでした。特にFPのATOKは優れもので、ソフトをMS-Wordに変えてもFPだけはATOKって時期を結構送りました。

           駄文にて失礼します