だから「マスゴミ」と呼ばれる――。そう痛感するツイートを発見しました。
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マスゴミがポーランドに無礼働く?
サッカー・ポーランド戦を終えて
日本時間の昨日から本日にかけて、サッカー・ワールドカップで日本対ポーランド戦が行われました。
私は昨日、普段からお世話になっている方と東京都内で飲んでいたのですが、やはり、話題はサッカーで持ちきりでした。私自身、サッカーに詳しくないので、パス回しやプレーそのものについて論評することは避けたいと思いますが、結果的にはポーランドに負けたものの、日本は決勝リーグへの進出が決まりました。
インターネット上を眺めていると、日本代表団のプレーを巡っては、「守りのサッカーであり、けしからん」といった不満も渦巻いているようですが、これについてサッカーの素人である私が何か言及することは控えたいと思います。
しかし、私が興味を抱いた話題が、1つあります。それが、ポーランド政府観光局の公式ツイッター(日本語版)です。具体的には、ポーランド戦を前にした昨日、ポーランド政府観光局東京支局が発した次のツイートの内容です。
FIFAの件でTVからたくさん電話が来ます。ただ、今日の試合の関連番組制作で、リサーチのできるポーランド語人材が見つからないため丸投げの印象が非常に強く遺憾です。だれでもネットで調べられる事柄ぐらいは「なる早で全部お願い」ではなく、ご自身でもお調べになられてはいかがでしょうか?(2018年6月28日 12:14付 ツイッターより)
それからもう一つ。#FIFA2018 の件で当局に電話をかけてこられる番組制作会社の皆さんは、ほとんどが電話番号非表示でかけて来られますが、これはいかがなものでしょう?(2018年6月28日 12:24付 ツイッターより)
よっぽど失礼なことをやったのでは?
普段のポーランド政府観光局のツイートを眺めていると、観光に関するさまざまな情報が流れていて、眺めているだけでも楽しいウェブサイトです。また、今回はサッカーで対戦するということもあり、サッカーに関わる話題も流れています。
それなのに、この2つのツイートだけ、日本のテレビ産業関係者に対する苦言であり、他の和やかな内容のツイートと比べれば、明らかに浮いているように思えます。このことから考えると、ポーランド政府観光局に対し、日本のテレビ産業関係者が、よっぽど失礼なことをやらかしたと考えるのが自然でしょう。
いや、ツイートにあるとおり、「非通知」で電話を掛けて来て、「だれでもネットで調べられる事柄を丸投げ」したうえで、「なる早で全部お願い」などと依頼してくるのは、社会人としてもビジネスマンとしても、明らかに常軌を逸しているとしか言い様がありません。
こんなことをやるから、「マスゴミ」と呼ばれるのではないでしょうか?
この「マスゴミ」という単語は、もともとはゴミのような情報ばかり流すマス・メディア(とくに新聞・テレビ)に対する怒りを込めたネット・スラングですが、最近だと「マスゴミ」産業関係者の振る舞いに対しても、強い怒りが寄せられています。
私自身も最近、近所で食事をしていた際に、「日本テレビのグルメ情報番組の取材をしている」と名乗る人間からカメラを向けられ、「やめてくれ」と抗議したことがあります。おそらく、テレビ局産業関係者の間では、自分たちが特権階級か何かだと勘違いしている節があるのではないでしょうか?
共同通信・力丸将之(25)記者の横暴
自分で書いていて気付かないのか?
ところで、「マス・メディア」と呼ぶ時には、一般に大手新聞社、在京テレビ局のことを意味しますが、これに加えて「通信社」もマス・メディアに含めるべきでしょう。通信社とは、簡単にいえば、地方紙など取材力が弱いメディアに対して記事を卸す業者のようなものです。
その通信社の大手といえば『共同通信』ですが、共同通信に昨日、こんな記事が掲載されていました。
【特集】犠牲者の生きた証し/記者が見た大阪北部地震(1)(2018/6/28 17:18付 共同通信より)
これは、今月18日に発生した大阪北部地震の模様を、「現地で取材に奔走した新人記者2人が赤裸々にリポートする」という記事ですが、実に酷い代物です。なぜなら、被災地に土足で踏み込み、自宅の本棚の下敷きになって亡くなった男性の取材の様子が記載されているからです。
「その晩、●●さんの取材に加わる。●●さんのマンションを最上階から1部屋ずつ訪ね歩く「ローラー作戦」を実行したが、さすがに●●さん宅だけは呼び鈴を押せなかった。途中、マンション自治組合の理事という男性に遭遇した。「君は何者だね」と尋ねられたので「共同通信の記者です」と、正直に答えた。「出て行きなさい」と叱責され、エレベーターに無理やり押し込まれた。」(※亡くなった方について、記事原文では実名で表示されていますが、私は敢えて実名を伏せています。)
これを執筆したのは「力丸将之(25)」と名乗る記者です。この人物が私の記事を読んでいるかどうかは知りませんが、敢えて言っておきたいと思います。
「恥を知れ」
と。
「では、君をつまみ出すのが私の仕事だ」
といっても、このこういう記事を平気で書くくらいですから、この人物が自分のしでかしたことの罪深さを理解していなくても不思議ではありません。
しかし、「亡くなった男性のマンションで最上階から1部屋ずつ訪ね歩く」という行為自体が、到底、心を持った人間のやる行為とは思えません。震災で傷ついた人々の心に、土足でずかずか上り込んでいるのとまったく同じ行為だからです。
実際、この記者は途中で出会った理事から、次のように教え諭されます。
「君らマスコミももう少し住民の気持ちを考えたらどうなんや。人間のやることやないで。」
私だって同じことを思います。この理事の方は、「力丸将之」という、おそらくは「大手マスコミに入社して有頂天になっている世間知らずの若造」に対し、正面から叱りつけた格好です。ところが、この理事の叱責に対し、この記者は次のように考え、反論したのだそうです。
「理事の発言は正論に思えた。しかし、私たちは犠牲者の遺族の証言を取りに行くのが仕事。「申し訳なく思いますが、遺族の声や犠牲者の人となりを全国に伝えるのが私たちの仕事です」。」
「こらこら。『犠牲者の遺族の証言』なんてものを求めているのは、お前たちマスコミくらいだぞ?」正直、私自身、この記事を書きながら、腹が立って仕方がありません。しかし、この「力丸将之」という若造に対し、理事は冷静に、こう宣言します。
「では、君をつまみ出すのが私の仕事だ」
この理事の方、本当に爽快で、格好いいです。
私が同じ立場だと、この若造の首根っこを掴んでマンションの玄関から追い出すか、それともその場で拘束して警察に引き渡すか、そのどちらかだと思います。しかし、この理事の方は、この「力丸将之」なる男に対し、淡々とその非常識さを言い含めたうえで、冷静に退去を言い渡したのです。
いずれにせよ、この記者はまだ25歳と若いため、更生する余地はあります。共同通信という腐敗した組織の中で、彼がその腐敗にまみれるのも自由ですし、たとえ会社の命令であるとはいえ、自分自身のしでかしたことの罪深さに向き合うのも自由です。
力丸将之(25)君の今後の奮起を期待したいと思います(といってもどうせ無理だと思いますけどね)。
マスゴミの振る舞いへの怒り
実は、新聞・テレビなどのマス・メディア産業関係者の振る舞いが問題になるのは、今に始まったことではありません。
私自身、阪神・淡路大震災の被災地である神戸の出身者ですが、実家の近所でも生き埋めになった人がたくさんいて、助けを求める声を報道ヘリの爆音がかき消しただの、避難所で勝手に撮影を始めただの、そういったマス・メディア産業関係者の非常識な振る舞いは、周囲で語り継がれています。
また、自衛隊や消防などの緊急車両の通行を、マス・メディアの取材車が妨害したという話も聞きますし、数年前の熊本地震ではマス・メディアの取材車両がガソリンスタンドに割り込んで入って行ったという事件も発生しています。
しかし、阪神・淡路大震災当時と現在で根本的に異なっている点が1つあるとすれば、インターネットが急速に普及し、ツイッターなどのSNSなどを使って、彼らの振る舞いを共有する手段が出来上がってきた、という点です。
実際、ポーランド政府観光局のツイートに対しても、3万件近い「いいね」や「リツイート」がなされていて、広く共有されている状況にあります。おそらく、これもインターネット上で「マスゴミ」を批判する動きの1つであると考えるべきでしょう。
ただし、インターネット上で「マスゴミ」に対する批判が強まっていることは事実ですが、彼ら「マスゴミ」に、果たして自浄作用が働くのかどうかは微妙です。いや、私はむしろ、「マスゴミ」の「傍若無人」ぶりは一切改善しないではないかとすら考えています。
結局、マス・メディアの偏向報道、マス・メディアの態度の問題とは、そうしたマス・メディアの存続を許している私たち日本国民の問題です。そこで、いつものお願いをしておきたいと思います。
- 変な報道を続ける新聞を読んでいる人は、その新聞を解約しましょう。
- 変な報道を続けるテレビを見ている人は、そのテレビを見ないようにしましょう。
- 選挙にはきちんといきましょう。
これらを、改めて強くお願いしたいと思います。
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1980年の名古屋市女子大生誘拐殺人事件で、娘さんを亡くした遺族にTVカメラが「今のお気持ちをお聞かせください」と言ったのに衝撃を受けましたね。
なんと無神経で非道な取材態度でしょう。遺族感情を逆なでするにもほどがある。他人の不幸を飯のタネにして、まるで楽しんでいるかのような記者たちは許しがたい。いったい何様のつもりでしょう
といって視聴者はTVのチャンネルを切った
でしょうか?いえいえ、そんなことはなくて、なお身を乗り出して遺族の言葉を待つのです。「ショックです。突然のことで言葉がありません。今はただ犯人に非常な憤りを覚えます。」固い表情で下をうつむいて思いを吐露する遺族の映像。あるいは、「遺族のAさんは~と語っていました」といったアナウンサーのナレーションに、そうだろうそうだろう、さぞかし無念だったろう、犯人はホントに許せない、こんなことがあっていいはずがない、世も末だわとつぶやいてお茶をすすりせんべいを齧る、そんなあなたがいて私がいる。
まあ、そういうことです。
被害者の写真、ひととなり、エピソード、遺族のコメントを他局ではやってないけど、このチャンネルならやってる。視聴者は他局の人道的な取材態度に感銘を受け、褒めたたえ、さして代わり映えもしない、「肝心なこと」「知りたいこと」がさっぱり伝わってこない画面の前に座り続けるでしょうか?
違うと思います。
そういう意味で記者なんて阿漕な商売なのです。下品でなければ務まりません。下世話な好奇心のかたまりです。その覗き趣味は罵られて当然です。でもなぜそうなのでしょう?それは視聴者が、下品で、好奇心いっぱいで、覗き趣味があって、他人の不幸が(大きな声では言えませんが)蜜の味だからです。そしてそれは他ならぬあなたのことであり、私のことです。
https://www.youtube.com/watch?v=3sGo98dCa-M