不思議なことに、「元外交官」を名乗る方が執筆する文章を読んでいると、「本当にこの人は外交のことをきちんと理解しているのか?」と疑問を抱くケースが多々あります。「難関試験」に受かり、世間知らずのままでエリート街道を歩み始めた人たちがビジネス感覚を持っていないのは仕方がないにせよ、民間ビジネスマンの視点から見ると、むしろ「外交官」の方が外交の素人ではないかと思えることがあるのです。
目次
質問する相手が違う
元外交官の責任転嫁
誠に失礼ながら、「元外交官」を名乗る方の中には、「本当に外交のことをわかっているのか?」と疑問に感じてしまうような論説を執筆する人もいます。昨日、大手オピニオン・サイト「BLOGOS」に転載された、次の文章など、その典型例でしょう。
拉致被害者が死亡していたらどうするのかと口にした中西教授(2018年06月14日 07:50付 BLOGOSより)
これは「元外交官」の方が執筆したものですが、ヒトコトで言えば、「外交知らずにもほどがある」、という代物であり、本当に酷い記事です。リンク先を読めば、誰が書いたか一発で分かりますが、本稿ではあえて執筆者の名前には触れません。
この記事では最初に、6月14日の毎日新聞に掲載されたという、京都大大学院の中西寛教授の次の発言が紹介されています(といっても、私は毎日新聞を購読していないので、毎日新聞に本当に掲載されていたのか、あるいは中西氏が本当にそう発言したのかについては存じ上げません)。
「北朝鮮を信用できないから拉致被害者の生存を前提にする交渉手法も分からなくはない。だが不幸にも死亡していた場合はどう決着するか、日本の外交関係者は明確にする必要がある」
この中西教授の発言を、記事の執筆者である元外交官氏は、
「これこそが、誰もが思っている事であり、そして誰もが言い出せないことだ。」
と主張。そのうえで、野党やマス・メディアがこのことを「質問すべきだ」と述べたうえで、信じられないことに、
「その相手は日本の外交関係者ではなく、安倍首相自身だ。」
と言い放つのです。要するに、安倍総理が解決を目指してきた日本人拉致問題を巡り、拉致被害者の一部または全部が亡くなっているのではないかという質問は、「安倍首相を追い込むことになる究極の質問」なのだそうです。日本国民を愚弄するのもいい加減にしてほしいと思います。
この人物、「安倍憎し」のためでしょうか、拉致問題ですら「安倍政権を追い込むこと」に利用すべきだ、と主張しているようにも見えます。しかし、仮に拉致被害者のなかに、すでに亡くなっている方が含まれていた場合、それは安倍総理の責任なのでしょうか?
これこそまさに、酷い責任転嫁です。
安倍総理の責任ではない
いちおう、冷静に反論しておきましょう。
まず、北朝鮮は加害者、日本は被害者です。このことを間違えてはなりません。
北朝鮮による日本人拉致問題とは、北朝鮮という「国家」が、工作員を日本の領土内に送り込み、日本の一般国民を誘拐して北朝鮮にまで強制連行し、閉じ込めている事件です。その意味で、北朝鮮によって仕掛けられた国際犯罪、あるいは戦争である、という言い方もできます。
当然、拉致された方々を生存した状態で日本に送還し、損害賠償をするすべての責任は、北朝鮮のみにあり、日本政府には第一義的な責任は一切ありません。もっとも、拉致事件の発生を知っていて、捜査の初動で失敗したことには、間接的な責任があるとも言えます。
また、捜査を妨害した勢力(とくに社会党の土井たか子)には、重大な責任がありますし、欠陥憲法を改正することを妨害し続けてきたマス・メディア(とくに朝日新聞)や日本共産党の罪は、まさに万死に値します。
さらにいえば、欠陥憲法を積極的に放置してきたのは、私たち日本国民自身でもあります。どうして北朝鮮に自衛隊を軍事侵攻させて金正恩(きん・しょうおん)らの身柄を拘束すべきだ、という議論にならないのでしょうか?私にはもどかしくてなりません。
ただ、こうした「道義的責任」を除けば、拉致された被害者の生存には、日本政府や安倍総理には一切の責任はありません。責任を負うとしたら、北朝鮮の現体制の主導者である金正恩であり、北朝鮮政府です。
加害者である北朝鮮が誠意を見せるべき問題
そのうえで、あまり考えたくありませんが、拉致被害者のなかに、すでに生存していない方がいらっしゃる可能性については、当然、織り込む必要があります。
北朝鮮による拉致被害者は、日本政府が公式認定しているだけでも17人ですが、実際には数百人、いや、下手をすると千人規模にも達する可能性があります。拉致されたのも1960年代から80年代が中心であり、中には不幸にして亡くなっている方がいても不思議ではありません。
では、その「万が一」のことがあったら、いったいどうすれば良いのでしょうか?
答えは簡単です。日本政府が考えることではありません。北朝鮮が、金正恩が考えることです。もっと正確に言えば、「日本人を拉致した」という犯罪を働いたのは北朝鮮であり、被害者にもしものことがあった場合に、「どうすれば日本は許してくれるか」と考え、誠意を見せるのは、加害者である北朝鮮の責任です。
このBLOGOSに掲載された記事を執筆した元外交官氏は、某国の特命全権大使を務めたほどの人物でありながら、どうしてそんな基本的なことがわからないのでしょうか?
この問題で安倍総理を糾弾するのが、あきらかに筋違いだと知りながら、「安倍憎し」のあまり議論を自分で歪めているのであれば、著述家としてはきわめて不誠実です。また、拉致被害者にもしものことがあった場合の責任が安倍総理にあると、本気で思っているのだとすれば、失礼ながら、かなり頭が悪いです。
マトモな見識が必要
世間知らずの外交官
ところで、日本の外交官は、裁判官や検事などと同様、若い「偏差値秀才」が難しい国家試験を受かって、そのままエリートコースを歩んでいるケースが多いです。だからこそ、「世間知らずの裁判官」や「世間知らずの検事」、「世間知らずの外交官」などが量産されるのだと思います。
当ウェブサイトでは常々申し上げているとおり、私自身は外交官でもなければ、ジャーナリストでもありません。単なるビジネスマンです。こんな「ビジネスマン評論家」に過ぎない私が、外交の話題を好んで執筆していることに、違和感を抱いている方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、外交とは「国と国とのお付き合い」ですが、国も結局のところ、人間の集合体ですから、人間対人間のお付き合いと、何ら変わるところはありません。いや、それどころか、ビジネスの最前線で仕事をしている方が、「世間知らずの外交官」よりも、ときとして正確な議論ができることもあるはずです。
別に私は自分が偉いとは思っていません。しかし、会社を辞めて起業し、顧客を開拓し、事業を展開していくというのは、大きなリスクです。そういうリスク感覚に照らせば、「自分の貴重な切り札をどういう局面で使うか」「自分の立場をどうヘッジするか」については、外交もビジネスも似たようなものだと思います。
そして、「世間知らずのお坊ちゃま・お嬢ちゃま」が、20歳そこそこで「難関試験」(※)を突破し、エリートコースを歩むという日本政府や裁判所の人事の仕組みが、さまざまな場面で弊害をもたらしていることは間違いありません。
(※なお、私自身は司法試験や国家Ⅰ種試験が「難関試験」だとは全然思いませんが、いちおう世間的には、裁判官や官僚になるための試験は「難関試験」なのだそうです。)
「誰に責任があるのか」はすべてのビジネスの鉄則
ビジネスにおいては、「誰にどのような責任があるのか」という視点は極めて重要です。私も他人から業務を請け負った時には、常に「どちら側がどのような責任を負っているのか」という視点を大切にしており、この点で信頼できない相手からの仕事はお断りすることにしています。
では、なぜこのような視点が大切なのでしょうか?
それは、この点を理解していなければ、大損害を被る可能性があるからです。たとえば、契約などで何らかのトラブルが発生し、大きな損害が生じたような場合があります。このような場合に、責任の所在があいまいなままだと、相手先から自分が損害賠償請求を受けることもあります。
そこで、仕事をする際には、常に自分の立場を明らかにし続ける必要があるのです。ところが、官僚や公務員の仕事ぶりを見ていると、このあたりを勘違いしているのではないかと思われるような事実にぶつかることがあります。その典型例は、「日韓通貨スワップ」です。
この「日韓通貨スワップ」とは、通貨ポジションが強い日本が、常に外貨不足に悩まされている韓国に対し、「いざという時には日本が韓国に外貨を供給してあげる」という協定のことです。しかし、安倍政権成立以前の日本の財務省は、どうも韓国に猛烈な配慮をしていたようなのです。いわば、
「韓国さん、あなた方は日本からの通貨スワップがないと困るでしょ?でもあなた方はプライドが高いから、自分たちから懇願するのは嫌でしょ?だから日本が頭を下げてスワップの締結を依頼したことにしてあげる」
といった具合に、相手の状況を忖度し、一方的に支援してあげているようにしか見えないのです。「日韓通貨スワップ協定は日本にもメリットがある」という屁理屈を主張した山崎達雄(やまざき・たつお)元国際局長のような人物は、その典型例でしょう。
まともな見識に救いを見出す
一方で、政治の世界には、比較的まともな見識を持っている人物がいるようです。同じ大手オピニオンサイト「BLOGOS」には、こんな記事も掲載されています。
実りなき世界最大のショー(2018年06月13日 19:32付 BLOGOSより)
執筆者は自民党東京都連最高顧問の深谷隆司氏です。といっても、本稿においては、この人物のご経歴やさまざまな事績などについては触れません。あくまでもリンク先の文章が何を主張しているのかという点だけで判断したいと思います。私が感銘を受けたのは、次の下りです。
「経済支援について、トランプ氏は「日韓両国は北朝鮮を支援する用意があり、米国は支援する必要は無い」とも言った。とんでもない話で、核完全廃棄、拉致問題解決など、日本の要求が入れられないかぎり、日本はびた一文払うべきではない。」
「1965年、日韓基本条約を結んだ時、日本は戦争処理の一環として8億ドルに上る協力金を支払った。韓国予算の2~3倍強の巨額な資金、しかも53億ドルに及ぶ日本の資産も全て放棄した。「漢江の奇跡」はそこから生まれ、韓国は経済発展を遂げる事ができたのだ。」
「当時、韓国は正統な朝鮮半島国家としていたため、朝鮮半島全体に対する立場で日本は臨んだ。もし北朝鮮が協力金を求めたら、韓国が処理すべき問題なのである。」
これは、当ウェブサイトで主張してきた私自身の立場ともだいたい同じです。というのも、私自身もこれまで、
「1965年の日韓基本条約以降、日本は北朝鮮の分も韓国に支払い済みであり、また、北朝鮮が日本人拉致問題の完全解決を図らない限りは、日本が北朝鮮に1円たりとも支援金を支払うことは絶対にあり得ない」
と主張し続けてきたからです。まさか深谷氏が『新宿会計士の政治経済評論』をお読みになっているとは思えませんので、やはり、「普通の見識を持ち、自然に考えていけば、結論は同じになる」ということなのでしょう。
拉致査察ができない理由:北朝鮮問題は日本自身の問題だ
さて、北朝鮮の核・拉致問題などを包括的に解決するにあたり、日本がどういう「おカネの使い方」をすべきかについての考え方も、重要です。早い話が、「①北朝鮮に身代金を差し出す方法」と、「②北朝鮮を武力で脅す方法」の、いずれを用いるのか、という問題です。
それぞれの考え方の詳細については、昨日、『米朝合意は日本が変わるための貴重なチャンス』のなかで主張したので、ここでは繰り返しません。ただ、現実問題として、現在の日本にできるのは、①の「身代金」だけです。なぜなら、現在の日本は、「戦争ができない国」だからです。
ただ、本気で拉致問題を完全に解決したければ、北朝鮮と話し合いをし、身代金を払って「日本人を返してください」と懇願する、というアプローチではだめです。この点、「河野談話」で知られる河野洋平・元自民党総裁は、「北朝鮮と国交正常化したうえで返してもらうべきだ」とする、あまりにも日本国民を舐めた発言をしています。
(3)拉致問題「帰せ、帰せと言っても解決しない。国交正常化して帰してもらう」(2018.6.13 19:11付 産経ニュースより)
このような人間が、ほんの一時期とはいえ、自民党総裁、外務大臣、さらには衆議院議長を務めてきたという事実にこそ、戦後日本の深い闇を感じずにはいられません。そのうえで、あえて言葉を選ばずに、この人間に対して申し上げたいと思います。「恥を知れ」、と。
そして、普通の国家であれば、上記②の「相手国を武力で脅す」という方法が使えるようにならなければなりません。日本国内では、日本共産党や朝日新聞が、「日本を再び戦争ができる国にするな!」といったプロパガンダを仕掛けていますが、この反日組織のプロパガンダには、やはり正面突破しかありません。
それは、
「戦後の日本は戦争ができない国だったからこそ、日本人が拉致されたのだ」
という反論です。したがって、私たち日本人は、今こそ勇気を持って、
「日本を再び戦争ができる国にしよう!」
と決意しなければならないのです。もちろん、「戦争ができる国」になれば、直ちに戦争が発生する、という意味ではありません。むしろ、国際政治の現実に照らして、平和的に国際紛争を解決するための手段として、武力の裏付けは絶対に必要です。
逆説的ですが、平和を実現するためには、勇気を持って、武器を手に取って戦わねばならないこともあるのです。日本人が北朝鮮という犯罪者集団に誘拐され、拘束されているという現在こそが、その「武器を手に取って戦わねばならないとき」なのではないでしょうか?
View Comments (2)
毎日の更新ありがとうございます。
北朝鮮は捏造出稼ぎ売春婦と違って無この市民を拉致したのですから
国家として謝罪と賠償をするのが、当然です。
それができないのであれば一切援助は不要と考えます。
個人的な感想に過ぎませんが、この手のヒョーロンカは世間知らずなのではなく、ギョーカイで生きていくために特定勢力に阿っているだけで本人はショーバイと割り切っているのだと考えます。
愚論なら愚論なりに誰に対しても同じことを言っていれば世間知らずと取れますが、そうではありませんから故意犯の嘘つきです。世間知らずなら世間を知ることで意見が変わることも若干は期待できますが、彼らはそうではないでしょう。だから余計にたちが悪い。