日本を救うのはウェブ言論である―。これが私の現在の信念ですが、それと同時に、ウェブ言論とは、まだまだ脆弱な存在でもあります。こうした中、先日付の記事『フェイク・ニュース・ブログを批判する!』にはさまざまなご意見を頂きました。これを踏まえて、本日はさらに議論を深めてみたいと思います。
目次
ブログ批判記事に多くの反響
扇動・転載型アフィサイトは「ネタとして楽しむもの」?
先日掲載した『フェイク・ニュース・ブログを批判する!』を巡っては、私が思っていた以上にさまざまなご意見やご感想を頂き、正直、「良い意味での誤算」に嬉しい悲鳴を上げています。
繰り返しで恐縮ですが、私の主張の要諦(ようてい)は、次のとおりです。
- インターネットが普及し、さまざまなウェブサイトが雨後の竹の子のように乱立することは、基本的には好ましい
- しかし、一部のまとめサイト、アフィリエイト・サイトなどの中には、どう考えても倫理に違反するようなウェブサイトもある
- 中でも酷いものは、おそらくアクセス数だけを稼ぐだけの目的で、タイトルに堂々とフェイク・ニュースを掲げているサイトや、著作権を無視して他人の議論を窃盗し、切り貼りしているサイトだ
- こうしたウェブサイトは確かに問題だが、時代の過渡期にあるインターネットに咲く「あだ花」のようなものであり、いずれ淘汰されていくに違いない
- したがって私としては、こうしたウェブサイトを取り締まる法律を策定することには反対したい
これについて、頂いたご意見の中には、やや批判的な内容のものもありましたし、そうした内容に反論するコメントもありました。このように、読者の皆様の間で活発な意見が交わされることについても、私は諸手を挙げて歓迎したいと思います。
ここで、いつも貴重なご意見を頂戴する「めがねのおやじ」様のコメントに、
「見出し、小見出し、あるいはタイトルが扇動的で「ホントか?」って開けてみて、全然内容が破茶滅茶なブログ」
という表現がありましたが、これなどまさに、私が批判している「倫理に反するようなウェブサイト」です。
『【速報】河野太郎閣下、韓国との断交を決意!!!!』なる扇動的なタイトルを掲げ、「ホントか?」と思って読んで見ると、大手新聞社の記事のリンクと某匿名掲示板における書き込みがそのまま転載されているだけだったりします。
いわば、「扇動・転載型アフィリエイト・サイト」とでも呼べば良いでしょうか?
このようなウェブサイト、私にとっては「読むだけ時間の無駄」であり、正直、思考の足しにもなりません。
とくに嫌韓サイトや嫌中サイトなどはアクセスを稼ぎやすいという事情もあるのでしょうか、有名どころから無名サイトに至るまで、無数に発見することができます。ただ、某匿名掲示板には誰でも書き込みができるため、中には明らかに冷静さを欠いた議論も多々見られます。
「河野太郎閣下、韓国との断交を決意!!!!」などが論外であることは言うまでもありませんが、冷静さを欠く議論など、百害あって一利なしです。
捏造サイトは「取り締まる」べきか?
私はこれまで、慰安婦問題を捏造した朝日新聞を当ウェブサイトで批判して来ましたし、これからも批判するつもりですが、「内容が不正確である」という意味では、これらの扇動・転載型アフィリエイト・サイトも本質的には朝日新聞と大差ありません。
ただし、私はこうしたサイトを法律か何かで取り締まるべきだとは考えていません。
これについて、同記事に寄せられたご意見のうち、「山紀有」様からのコメントに、次のようなヒントがありました。
「誰も東スポの扇情的な見出しを鵜呑みにする人はいませんし低俗だと批判する人もいますが、一方で一定数の読者がいてある程度の了解のもとフェイクを楽しんでいるのも事実です。」
つまり、某スポーツ紙のように、一種の「ネタ新聞」だという社会的コンセンサスが成立していれば、「低俗だ」との批判もありつつ、一方で一定の読者が「ネタ」としてフェイクを楽しむという構図は考えられます。
実は、これ自体、私自身の考え方にも近いものです。
いつも私が主張している内容の繰り返しですが、情報産業とは、「情報の出し手」と「情報の受け手」の双方がいて成り立ちます。
これまでの世の中だと、「情報の出し手」になり得る主体はマス・メディア(とくに新聞やテレビ)などに限られていて、「俺たちマス・メディアが正しい情報を与えてやるから、お前たち消費者はその情報を無批判に受け取るだけで良いんだ」という、一種の驕り・高ぶりが存在していたのです。
しかし、インターネット時代になれば、誰もが気軽に「情報の出し手」になることができます。そして、人々が情報を発信する際に、誰かが内容を審査するわけでもありません。
そうであるならば、「情報の受け手」の読解能力が重要になってくるのです。
これこそが、インターネット時代の特徴でしょう。
そういう訳で、私は「内容がめちゃくちゃな扇動・転載型アフィリエイト・サイト」を批判していますが、単に批判しているだけであり、「法律で禁止すべきだ」とは思いません。
現在はインターネットの過渡期にあり、「内容がめちゃくちゃなサイト」が多くのネット・ユーザーに支持されてしまっている状況にあります。しかし、人々がインターネットに慣れ、賢くなっていけば、結局はこうした「内容がめちゃくちゃなサイト」は、わざわざ法律で規制しなくても、自然と「ネタとして楽まれるようになる」か、「飽きて見捨てられて自然淘汰される」か、「人々のアクセスを維持するためにめちゃくちゃな内容を是正するか」のいずれかになるはずです。
それこそが「競争原理」というものです。
トリミングと無断転載の意味
それから、私は「出所を示さずに勝手にトリミングして転載する行為」についても批判しましたが、これについても補足しておきたいと思います。
「佐助」様からのコメントに、次の下りがあります。
「私の「まともの基準」は「元記事をきちんと載せているかどうか」です。/元記事さえ載せていれば、煽りタイトルから誘導されたにしても誇張&間違いに気付けるのではないでしょうか。」
この「佐助」様のご指摘は、まったくそのとおりです。
そして、実名を出すことは控えますが、最近、YouTubeなどの動画サイトで、参議院議員の青山繁晴さんや経済評論家の上念司さん、元財務官僚の高橋洋一さんなどの論客の発言を、勝手に切り張りしてアップロードしている不届きなユーザーが存在しています。
こうした動画は、YouTubeなどでも高い評価を得ているようですが、それは青山繁晴さん、上念司さん、高橋洋一さんの発言に対して高い評価が付いているだけであり、アップロード者を高く評価したものだと考えるべきではありません。
しかも、これらの動画の多くは、「いつ・どこで・どのような前提条件で発言したものだ」という情報が完全に欠落しています。私がためしに視聴したところ、これらの論客が大人気ウェブ番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』や大人気ラジオ番組『ザ・ボイス』などに出演した際の発言と思しきものが多いようですが、アップロード者がその肝心な情報を明示していないため、情報の受け手としては判断のしようがないのです。
あるいは、こうした行為は、発言者自身にとっても、大変迷惑な行為ではないでしょうか?というのも、自分自身の主張が曲解されかねないからです。
何度も申し上げます、引用・転載ルール
こうした中、どうやら最近、私自身のウェブサイトも、こうしたごく一部のアフィリエイト・サイトに転載され、トリミングされているようなのです。これについては引用されて光栄だと感じる一方で、当ウェブサイトが主張する「引用・転載のルール」をまったく守っていないため、正直なところ、迷惑でもあります。
当ウェブサイトの「引用・転載のルール」とは、ざっくり申し上げれば、つぎの3点です。
- 記事の切り張りは極力やめてほしい。また、やむを得ず切り張りするときには、著者の主張が曲解されないように留意してほしい。
- 引用・転載にあたっては、出典(参照元記事のタイトルやURLなど)を必ず示してほしい。
- 著者は著作権を留保しているため、当ウェブサイトに掲載されている記事を、著者に無断で再編して商業出版したり、有料ウェブサイトに転用したりすることは控えてほしい。
逆にいえば、上の3点を守っていただければ、転載料を支払っていただく必要もありませんし ((もちろん、転載料を下さるという奇特な方がいらっしゃるならば、それはそれで大歓迎です(笑)。)) 、事前に私に了解を取っていただく必要もありません。
おそらく、私が示しているこのルールは、著作権法などが定めるルールと比べてもかなり緩く、常識的な範囲内のお願いだと思います。
私が著作権法などよりもかなり緩いルールをお願いしている理由は簡単です。それは、「新宿会計士の主張が世の中に広まることが嬉しいから」です。
しかし、このルールすら守れない方は、まさに「他人のふんどしで相撲を取っている」のと同じであり、もっと厳しい言い方をすれば、やっていることは泥棒とまったく同じです。
私がずる賢い人間であれば、出所も示さずに私のウェブサイトを引用しまくっているアフィリエイト・サイトがあったときに、泳がせておいて、ある日突然、東京地裁に「不当利得による損害賠償」を求める訴えを起こすかもしれません。
もちろん、私にはそんなことをする財力も気力も暇もありませんが、「他人のふんどしで相撲を取っている」人には、ご自身の行為が決して褒められたものではないことを認識することを強くお勧めしたと思います。
民主主義社会の要素
「主観的事実」という「捏造」を見抜け!
さて、何度も繰り返しで恐縮ですが、私がこのウェブサイトを運営している目的は、「ジャーナリストではなくビジネスマンの感覚で評論を行うこと」を通じて、「読んで下さった方の知的好奇心を刺激すること」にあります。
私はジャーナリストではなくビジネスマンです。当然、「誰かに取材をして一次ソースを入手する」ということなどできません。
ただ、世の中の情報には、究極的には、「客観的事実」と「主観的意見」の2種類しかありません。そして、「客観的事実」はたった1つしかありませんが、それに対する「主観的意見」については、本来ならば無限に存在するはずです。
インターネットが出現する前の世の中だと、新聞・テレビを中心とするマス・メディアは数が限られていたため、「主観的意見」の部分についても、マス・メディアの社数分しか知ることができなかったのです。いや、もっといえば、限られた数のマス・メディアが、「客観的事実」と「主観的意見」をまぜこぜにして報道していたというのが実情に近いでしょうか。
そして、「客観的事実と主観的意見をまぜこぜにすること」が行き過ぎれば、『主観的事実を捏造する人たち』でも提唱した、「主観的事実」という、わけのわからない情報が出てくることになります。
この「主観的事実」とは、「客観的事実ではないが、主観的には事実だと思っている」という、まことに奇怪な代物です。
この「主観的事実」は、私が「愛読(?)」している韓国メディアでしょっちゅう出てきますし、わが国のメディアでも、沖縄タイムスや朝日新聞などで、頻繁に掲載されています。
たとえば、昨年、DHCシアター(現・DHCテレビ)が制作した『ニュース女子』という番組を東京MXテレビが放送した際 ((『ニュース女子』騒動そのものについては、当ウェブサイトでも昨年、『東京MXテレビは「ウソつき」なのか?』や『沖縄タイムスへの「ブーメラン」疑惑』で議論しているので、ここでは繰り返しません。)) 、沖縄タイムスはこれを「事実と異なる放送をしていた」と決めつけました(『言論封殺をしようとする人たち』を参照)。
仮に「事実と異なる放送をしていたとの主張が出ている」と表現すれば「客観的事実」ですし、「私たち沖縄タイムスとしては、この放送が事実と異なると考えている」と表現すれば「主観的意見」です。これであれば問題ありません。
しかし、「事実と異なる放送をしていた」と決めつけたこと自体、沖縄タイムスが主観的に「事実だ」と思い込みたい内容であり、あきらかにジャーナリストとしての職業倫理に反していて、これだと捏造報道だと批判されても文句はいえません。
先ほど私が批判した、扇動・転載型アフィリエイトサイトの『【速報】 河野太郎閣下、韓国との断交を決意!!!!』はタイトルからして明らかな捏造ですが、沖縄タイムスもこれとまったく同じレベルの捏造を行っていることについては、厳しく指弾したいと思います。
なぜ捏造は悪なのか?
当たり前の話ですが、ウソは悪いことです。
まともな日本人ならば、「ウソつきは泥棒の始まり」という言葉を聞いたことがあるでしょう。おそらく、大部分の日本人の深層心理では、「ウソをつくことは悪いことだ」という意識が刷り込まれているはずです。
先ほど引用した沖縄タイムス、某まとめサイトの事例や、慰安婦問題を捏造した朝日新聞の例などを眺めると、私はこれらの人々に、「ウソをつくことは悪いことだ」という、日本人としての当たり前の倫理観が欠落しているように思えてならないのです。
あるいは、「ちょっとした扇動ならば大丈夫だろう」と思っているうちに、自分で自分をコントロールすることができなくなり、いまや堂々とウソをつくことができる人間になってしまった(あるいはウソをついている自覚すらない)、ということかもしれません。
では、なぜウソは悪いことなのでしょうか?
私の理解によれば、その一番大きな理由は、人々の判断を歪めるからです。
たとえば、朝日新聞社を初めとするマス・メディア各社が昨年、大々的に展開した報道犯罪事件といえば、「もりかけ騒動」です。これは、
「安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を利用して、お友達が経営する学校法人に違法な便宜を図っていたこと」
ですが、マス・メディア各社がそう主張する割に、その決定的な証拠を提示したメディアは、ただの1つとして存在しないのです。
余談ですが、「フェイク・ニュースの総本山」である朝日新聞社に至っては、文藝評論家である小川榮太郎氏の執筆した『徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』という書籍を巡って、朝日新聞社の名誉や信用を著しく傷つけたと称して、5000万円の損害賠償などを求める訴えを起こしています。
私に言わせれば、朝日新聞社こそ、慰安婦問題で日本人の名誉や信用を著しく傷つけた反社会的組織です。もし小川氏が敗訴すれば、日本人はただちに朝日新聞社を相手取って、国民1人あたり5000万円の損害賠償を求める訴えを起こしても良いかもしれません。
民主主義の2つの要素
当たり前の話ですが、日本は民主主義国家です。そして、「冷静で知的な有権者」、「正確な情報」という2つの要素が欠落してしまえば、民主主義は機能しなくなります。
現代において「冷静で知的な有権者」を欠いている典型例とは、私たちのお隣の国・韓国です。
『慰安婦合意という「地雷」を踏んだ韓国大統領』などでも議論したとおり、どう考えても、韓国は「大統領に選んではならない人物」を大統領に選んでしまいました。これなどは、韓国社会に「冷静で知的な有権者」が多数を占めていない証拠でしょう。
また、過去において「有権者が冷静さを失っていた事例」とは、第一次大戦後のドイツ・ワイマール共和国です。
巨額の損害賠償負担に苦しむ戦後ドイツで、ナチスと共産党という、2つの過激な政党が台頭したことが、ドイツと世界を大きな戦争の惨禍に巻き込むことになるのですが、ナチスは革命ではなく民主主義によって台頭したという事実を見逃してはなりません。
あるいは、21世紀の欧州では、ギリシャやイタリア、カタルーニャ等で、経済的困窮や不平等から、極端な主張を掲げる政党が躍進していることも、こうした仮説の正しさを裏付けています。
さらに、「正確な情報」が欠落したことで、政権を取ってはならない政党が政権を取ってしまった事例があります。それは、私たちの国・日本で、2009年8月の衆院選において、民主党が地滑り的な勝利を収めて大躍進した事例です。
これについては今年の元旦に『情報が歪んだらどうなるのか?』でも述べたとおり、とくにテレビ、新聞が虚報を垂れ流したことがその大きな原因だったと私は考えています。
痛い思いをし、マスゴミに騙されなくなった日本人
ただ、日本の場合、非常に幸いだったことがあります。
それは、インターネットが急激に普及したことと、もともと日本人の知的レベルが高かったことです。
「マスゴミ」という用語があります。これは、マス・メディアが「ゴミのような情報ばかり垂れ流す」という怒りを込めて、インターネット・コミュニティから自然発生したものですが、まさに2009年8月のマス・メディアの報道姿勢は、私に言わせれば「マスゴミ」と呼ぶにふさわしいものです。
しかし、それと同時に日本人の学習能力を侮ってはなりません。というのも、一度失敗すれば、二度と失敗しない賢明さを持っているからです。
2012年12月の衆議院議員総選挙では、安倍晋三総裁が率いる自民党が圧勝。また、安倍政権下で4回の大型国政選挙を経験して来ましたが、民主党(とその後継政党である民進党、立憲民主党、希望の党、一部の無所属議員ら)が得た議席数は、酷い時には3分の1以下に留まるなど、自民党にまったく及びません。
私は自民党を無条件に支持するつもりはありませんが、それでも「一番マシ」な政党である自民党が、直近5回の大型国政選挙のすべてを制していること自体、日本国民の見識を示していると思います。
私が見たところ、多くの「マスゴミ」は、選挙のたびに自民党を批判し、野党(民主党、あるいはその後継政党など)を応援する論陣を張ってきましたが、そうした「マスゴミ」の献身的な努力にもかかわらず、日本国民は自民党を圧勝させてきたのです ((もっとも、『恒例の選挙データ分析』でも申し上げたとおり、私は、自民党は勝とうと思えばもっと勝てたはずだと考えています。)) 。
ということは、日本国民が賢くなり、「マスゴミ」の言うことを聞かなくなった、という証拠に他ならないでしょう。
「まとめサイト」論
「まとめサイト」同士の仲良しクラブ
「日本国民がマス・メディアの報道を信頼しなくなっている」という証拠は、ほかにも沢山ありますが、私はこれを、日本国民の「脱・マスゴミ」現象とでも名付けたいと思います。
そして、この現象に大きな役割を果たしているのが、「まとめサイト連携」なのです。
私が見たところ、わが国の「まとめサイト」には、一種の「仲良しクラブ」のような構造があります。
これは、某匿名掲示板の名を冠した「まとめサイト」のトップに、ほかの「まとめサイト」への誘導リンクが張られていて(いわゆる相互RSS)、いちどこの「相互RSS」の輪に入ってしまえば、他の「まとめサイト」からの読者流入が期待できる、という仕組みです。
たとえば「A」という、多くの読者を集める「まとめブログ」があったとしましょう。この「A」という「まとめブログ」に、違う「B」という「まとめブログ」へのリンク、「C」という「まとめブログ」へのリンクが張られていて、「A」を訪れた読者は「B」、「C」などと回遊していくことができるものです。
ウェブサイトのアクセス論的には、「B」というウェブサイトが「A」というウェブサイトにリンクを張ってもらえば、そのウェブサイトからの読者流入が期待できますし、逆に、「A」というウェブサイトにとっても、「B」というウェブサイトからの読者流入が期待できます。
このように、現在の「まとめサイト」は相互RSSでつながっていて、いわば、「ヨコの連携」が自然発生的に生まれているのです。
個人なら弱いが連携すれば…?
実は、ここに将来のインターネット社会のヒントがあります。
私は「まとめサイト」(あるいは「まとめブログ」)について、やや批判的に見ていることは事実です。
ただ、それと同時に、「まとめサイト」を全否定すべきではないことも事実です。
「まとめサイト」のなかに、『フェイク・ニュース・ブログを批判する!』で批判したようなコンテンツが存在することは事実ですが、だからといって「まとめサイト」そのものを取り締まるべきだとは考えません。なぜなら、インターネット空間にはさまざまな種類のコンテンツが含まれていて、「まとめサイト」も例外ではないからです。それよりも、むしろ「インターネットで情報発信をするには資格試験が必要だ」、といった風潮が醸成されることの方が大きな問題でしょう。
とりわけ、「まとめサイト」のなかでも、単に某匿名掲示板の内容を時系列で転載しているだけのものもあれば、議論の流れを分かりやすくまとめているサイトもあります。「まとめサイト」も個性を前面に打ち出して競争していく必要があるのです。
こうした中、仮に個人のウェブサイトが朝日新聞社などの反社会的組織から攻撃されたとしても、「ヨコの連携」があるため、影響力のあるほかの大手「まとめサイト」が一斉に反撃する、という構図が出来上がりつつあるのは良い傾向でしょう。
日本の民主主義は道半ば
ただ、私は現状について、まったく楽観視していません。
マス・メディアが追い込まれていることは事実ですが、今後はむしろマス・メディア・サイドから、「フェイク・ニュースを垂れ流すインターネットを取り締まれ!」といった言論弾圧的な暴論が出てくる可能性もあるからです。
また、言論人を相手に訴訟戦を仕掛けた卑劣な反社会的組織・朝日新聞社のように、法的手段をもって、直接、個々人を攻撃する事例も増えて来るでしょう。
とくに、民主主義社会を支えるべき日本の司法、官僚組織の一部は腐り切っており、民主主義社会を守るという高い職業倫理を備えた公務員よりも、既得権益を守ることに汲々とする公務員が多いことは、由々しき問題でもあります。
仮に小川榮太郎さんが敗訴する事態にでもなれば、日本は再び、「マスゴミ」が支配する暗黒時代に逆戻りしかねません。
その意味で、朝日新聞社が小川榮太郎さんを相手取って起こした「スラップ訴訟」とは、小川榮太郎さんという「個人」の問題ではなく、「朝日新聞社対日本人」、いや、もっといえば、「既得権益対民主主義」の戦いでもあります。
その意味で、「ウェブ言論の可能性」は、私自身だけでなく、すべての日本国民にとっても、重要なテーマであることは間違いないのです。
View Comments (1)
< 毎日の更新ありがとうございます。
< 本日の新宿会計士様の本文を読みますと、私なども罵詈雑言を常々使っているので、「倫理観違反、退去」と見られているかも知れませんね。できる限り、気をつけます。これだけサイト主様が言われるという事は、かなり泥棒が多いんですね。まあ、1位やからな~(笑)。いえ冗談ですよ。勝手に出どころも明記せず、おいしい所だけ持っていくのは損害賠償を求められる行為。欧米ならもっとシビアじゃないですか。新宿会計士様のは引用・転載のルールが緩い。「自分の主張が世の中に広まることが嬉しいから」とはたいした心掛け、尊敬します。
< 隣国は知的な有権者が極めて少数派で、反日教育を受けたにせよ物事の良い悪いの見極めできず、他人への尊重なし、対人はすべて上下で対等なし。こんな韓国は文という稀代の大統領を選びました。愚民ばかりで国が滅ぶ見本です。そういえばカナダに集まった外相会談前後に河野外務大臣は得意の英語で通訳なしで康外交部長官と会談したそうですね。もちろん「韓国の慰安婦合意に対する追加措置要求拒絶」と言ってくれました。日本の鉄壁な回答に、さぞかし韓国政府は困惑しているでしょう。いいヨ!河野さん!でも、国内で親韓議員が「安倍首相に五輪に出席して貰うほうがよい」などと言い出してます。今、決めずともよかろう。米、中、北も行かないんだ。日本からホイホイと乗っかるのは対韓外交では悪手。ギリギリまで焦らせて欲しい。
< しかし「21世紀に入ってからもギリシャ、イタリア、カタルーニャ等が経済的困窮や不平等で極端な主張・党派が躍進している」(本日の会計士様本文)し、日本も民進党の3年天下で苦い思いをしましたが、日本は二度と同じ失敗をしない。賢い民族というのは手前味噌ながらよく分かりますが、なぜ諸外国は同じような顔ぶれが周期的に繰り返すんだろう。ドイツもある意味そうだし、韓国もそうです。インターネット環境はほぼどこの国でも繋がっているし、何故なのかを突き詰めると、やはり国民性、民族性しか思い当りません。
< 日本のマスゴミは従来から、政権与党を叩くのが一番評価されると信じているのでしょう。『弱者を助ける』『ペンは剣に勝つ』みたいな、ヘンな英雄気取り、但し大衆を見下しながら。一部の資本家・旧家と大多数の平民という大昔の図式なら底辺が多く視聴、購買も多く通用するが(実はつい最近までコレ)、現代ではインターネットの普及等によって、与えられるだけでは全く通用しない。表面だけでない、多角的な切り口から見る視覚と自主的な発言で判断できる人が増えた。特に若い人です。マスゴミとしては自らの立ち位置が、今のままではジリ貧、政権批判やフェイクニュースだけでは淘汰される(我々は構わないが)。昨年が滅亡の第一歩なら、いよいよ加速度的に今年は進むでしょう。
< 失礼しました。