昨日、私は書店で、自分のビジネスに関連する書籍を買い求めた際、『週刊金曜日』を目にしたので、ついでに買ってみました。某チェーン店で買える美味しい唐揚げ弁当と同じ値段ですが、果たしてその価値はあったのでしょうか?
目次
ビジネス評論の方針
早いもので、私がこの「独立系ビジネス評論サイト」を立ち上げてから、1年半が経過します。それ以前は大手の無料ブログサービスでブログを持っていましたので、その期間を含めれば、「ビジネスマン評論家」としてのウェブ評論履歴は7年以上に及びます。
私がウェブ評論活動を開始したきっかけは、2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻(いわゆるリーマン・ショック)にあります。
当時の私は某企業でマーケットの最前線に立っていたのですが、専門家の立場から見ると、日本経済新聞を初めとする各種メディアの報道が、あまりにも間違いだらけであることを実感したのです。
その後、実名で評論活動を行おうと思ったこともあったのですが、当時の立場を勘案し、実名を出すことを断念。代わって「新宿会計士」というペンネームを考案し、2010年以降、本格的なウェブ評論活動を開始したという経緯があります。
考えてみれば、私は現在、すでに起業して自分自身の会社を持っているという立場にあるため、そろそろ実名を出してみようかな、思うこともあります。ただ、実名を出すことで、私の現在の顧客に迷惑が及ばないとも限らないため、その決断ができないでいます。
場合によっては、「新宿会計士」ではなく、もう少し実名に近いペンネームを考案しても良いのかもしれませんね。
ビジネス評論の在り方を考える
情報には2種類ある!
ところで、私が常々申し上げていることがあります。それは、「情報」には常に2つの種類がある、ということです。それは、「客観的事実」と「主観的意見」です。
1つ目は「客観的事実」、つまり、誰がどう報じても、究極的には全く同じ内容になる情報です。たとえば、
「2017年11月5日にドナルド・トランプ米大統領は日本を訪れ、安倍晋三総理大臣と会った。」
という文章は、報じる者が朝日新聞であろうが、NHKであろうが、私であろうが、全く同じ内容になるはずです。もちろん、それを
「トランプ大統領は2017年11月5日正午過ぎに横田基地に降り立った」
などと詳細に報じるか、それとも、
「トランプ大統領は2017年11月上旬に日本を含めたアジア諸国を訪問した」
などと大雑把に報じるか、という違いはあります。
しかし、誰がどう報じても、「2017年にトランプ大統領が日本を訪れた」という要素については、情報の受け手には伝わるはずです。
しかし、2つ目の「主観的意見」については、報じる人、見る人などによって、全く異なります。たとえば、
「トランプ大統領の訪日では、むしろ日本が米国をリードするなど、極めて強固な日米関係は新時代に入ったことが全世界に示された」
と見る人もいるかもしれませんし、あるいはそれとは真逆に、
「トランプ大統領の訪日で日本は完全に主権を失い、米国の言いなりになっていることが明らかになった」
などと述べる人もいるかもしれません。
実際、後者の意見は、2017年11月8日付の「現代ビジネス」に掲載された『トランプ来日の足取りから見えた、日本の「完全主権喪失状態」』という記事を要約したものですが、この議論は、私が主張する『トランプ訪日を英メディアが報じたことの意味』などの記事とは真逆のものです。
つまり、主観的意見の部分については、それを主張する人によって、180度、全く異なるものとなる可能性があるのです。
「絶対的に正しい意見」というものはあり得ない!
情報に2つの種類があることはわかりました。
そして、「客観的事実」の部分については、報じる主体により情報が異なったりはしないということも分かりましたが(※)、「主観的意見」の部分については、論者によって真逆の意見が出てくることもあり得る、ということもわかりました。
(※ただし、朝日新聞を初めとする日本のメディアは、はときどき、この「客観的事実」の部分でウソをつきますが、これについては、この直後で議論したいと思います。)
では、仮に重大な問題を巡って、論者の主張が真っ向から対立している時に、私たちはどちらの情報を信じれば良いのでしょうか?
あるいは、平素からさまざまな情報を読むにあたって、どういうことに注意しなければならないのでしょうか?
私は、「絶対的に正しい事実」というものは存在するものの、「絶対的に正しい意見」というものはあり得ない、と考えています。
そして、記事を読み、ものごとを判断する時に一番重要なことは、その記事を読むときに、「客観的事実」の部分と、「主観的意見」の部分をきちんと分けて把握することが必要です。
これが「読解能力」です。
- 「客観的事実」は誰がどう報じても全く同じ内容になる情報
- 「主観的意見」は主張する人によって全く異なる内容になるかもしれない情報
- 情報の受け手はこの両者をきちんと区別する能力(読解能力)を持たなければならない
このことを、しっかりと念頭に置きましょう。
情報の受け取り方とNHKの捏造報道
ただ、困ったことに、日本のメディアは、得てしてこの「客観的事実」の部分でウソをつきます。
私自身、ウェブ評論活動を開始した直接のきっかけは、日本経済新聞が報じた、「時価会計凍結」という誤報(というよりも捏造報道)でした。
これについては、日本経済新聞社の子会社である日経BP社が運営する日経ビジネスオンライン(NBO)のウェブサイトで一部始終が触れられていますが、肝心の日本経済新聞本紙に掲載された「時価会計凍結」という捏造報道については、日経ウェブからは完全に削除されているようです。
また、一昨日『自壊の道を歩み始めたテレビ業界』の中でも指摘しましたが、今月6日に最高裁判決が下された、NHKの受信料を巡る訴訟(いわゆるNHK訴訟)については、NHK側の上告が棄却されているにも関わらず、いくつかのメディアは、あたかもNHKが勝訴したかのような報道をしました。
中でも酷いのは、次のNHK自身による報道でしょう。
NHK受信契約訴訟 契約義務づけ規定は合憲 最高裁大法廷(2017年12月6日 18時32分付 NHK NEWS WEBより)
NHKは、リンク先の記事の中で、「上告が棄却された」という、一番重要な事実については、ヒトコトも触れていません。
私はこれを、一昨日、「偏向報道だ」と批判しましたが、これを撤回し、「捏造報道」に修正したいと思います。
データに基づかない分析に意味はない
ただ、慰安婦問題を初め、さまざまな捏造を繰り返している朝日新聞、NHKなどのメディアは論外としても、私はメディアに対する規制が必要だとする主張には同意しません。
というのも、多様な意見こそが、民主主義社会では必要だからです。
また、情報の入手手段が多様化すればするほど、朝日新聞やNHKが捏造報道を行ったとしても、必ずそれらの報道には修正圧力が加わります。
現在はテレビ局が地上波を独占し、少数の全国紙が新聞業界を支配していますが、こうした状況も、ウェブ言論が活発になれば、是正されていくに違いないと考えています。
それはさておき、ここで、私自身の情報収集方法について、紹介しておきましょう。
情報収集に当たって、私が重視するポイントは、大きく2つあります。
まず1つ目は、客観的事実関係とデータ、そして科学的知見です。
事実を誤認したままで何を議論しても意味がありませんし、また、正確な事実をベースにしていたとしても、考察の方法を間違えては意味がないからです。
たとえば、日銀が公表する「資金循環統計」を使えば、現在の日本全体の預金量、株式の発行量や時価、外国との資金のやり取りなどを、かなり詳細に把握することができます。もちろん、これらの統計の中には、推計を用いている場合もあるため、必ずしも「絶対に正しい事実である」とは言い切れない部分もあるかもしれません。
しかし、経済評論を行う場合であれば、データに基づかない議論には意味がありません。
私は常々、「日本国債は絶対にデフォルトしない」、「現在の日本に必要なのは消費増税ではなく消費減税だ」と申し上げていますが、これも客観的なデータ分析から出て来る私なりの意見です(※これについては、近日中に日銀が最新版データを更新後に、どこかの段階で触れたいと思います)。
あるいは、福島第一原発の事故を巡って、いまだに「福島県全体が放射能汚染されている」という珍説を見掛けることもありますし、実際、お隣の韓国では、福島県を含めた8県の海産物の輸入を禁止しているほどですが、こうした珍説も、客観的データと科学的知見に基づく考察がゼロです。
つまり、どんな分析を行うにしても、客観的な事実や正確なデータ、正しい科学的手法のいずれが欠落しても、全く意味がないのです。
主観的意見の部分で何を主張するのも構わない
ただ、客観的事実やデータ、科学的手法に基づいていたとしても、結果的に判断を誤ってしまうこともあります。
なぜなら、データそのものに誤謬が混じっていることはよくあることですし、人間は森羅万象の全てを科学により解明できているわけではないからです。
そこで、私が情報収集に当たり、重視するもう1つのポイントがあります。
それは、「自分と全く違う考え方」です。
たとえば、私は週刊誌『週刊金曜日』を愛読(?)しています。といっても、『週刊金曜日』は定価580円で売られていて、内容に比べると若干お高いと感じてしまうため、毎号購読している訳ではありません。多い時でもせいぜい月1回、といったところでしょうか。
しかし、『週刊金曜日』は自他ともに認めるコテコテの左翼雑誌であり、少なくとも私が通常に思考する時には、絶対に思いつかない発想がてんこ盛りになっているので、時々、読むことにしているのです。
といっても、『週刊金曜日』から得るものはほとんどありません。
単に、『週刊金曜日』に掲載されている記事を読めば、「あぁ、前川喜平さんも『週刊金曜日』で取り上げられるほどに落ちぶれたんだなぁ…」と思うくらいでしょうか?(笑)
ちなみに、私の手元にある『週刊金曜日』の最新刊と、それに対する私なりの心のツッコミをリストにしておきましょう。
前川喜平前文科事務次官が語る(下)加計学園の獣医学部認可は「大きな汚点」(P12)
天下りという犯罪を斡旋し、歌舞伎町の「ラブオンザビーチ」に入り浸っていた前川さんが、文科省の事務次官を務めていたということ自体が、日本にとっての大きな汚点だと思います。
右派はなぜ「家族」にこだわるのか 対談 大橋由香子×早川タダノリ(P16)
右派はなぜ「家族」にこだわるのかって?逆に聞きたい。どうしてあなたたちは家族を破壊しようとするのですか、と。
「イヴァンカ基金」騒動と「女性活躍」のウソ 福島瑞穂(P20)
福島さん。なぜあなたは参議院予算委員会で、青山繁晴議員が拉致問題の質問を始めると逃げ出すのですか?
愚か過ぎる大阪市の米国姉妹都市解消 現地で失敗した右派の妄動 金美穂(P31)
記者のお名前からしてお里が知れるのですが…
投書(P62)
投書している人は55歳女性、72歳男性、80歳女性…。いつも思うのですが、10代や20代などの若い人たちの投書を滅多に見掛けないのは、いったいなぜなのでしょうか?
何事も一方向に偏るのは良くない
ただ、『週刊金曜日』の編集委員の方が当ウェブサイトを読んで下さっているかどうかわからないのですが、それでも敢えて、皆様方に申し上げたいことがあります。
それは、人間、同じメンバーで凝り固まってしまうと、どうしても思考がマンネリ化してくる、ということです。
私が記憶している限り、『週刊金曜日』が初めて刊行されたのは1990年代前半でした。私は大学生時代に、大学生協で初めてこの『週刊金曜日』を手に取り、それ以来、時々この雑誌を読んでいるのですが、執筆陣も論調も、当時と大きく変わっていないように思えます(もっとも、筑紫哲也氏が亡くなったり、宇都宮健児氏や雨宮処凛氏が編集委員に参加したりしているため、変動が皆無というわけではありませんが…)。
ただ、私は『週刊金曜日』について、評価している点が、1つだけあります。
それは、同誌の編集方針、運営方針が一貫している、という点です。
同誌には一般のスポンサーからの広告がほとんど掲載されておらず、また、意外なことに共産党には批判的です。
しかし、それでも私は『週刊金曜日』を読むたびに、「同じ思想で懲り固まってしまうのは危険だなぁ…」と、いつも強く実感してしまうのです。
あとついでに申し上げるなら、580円といえば、某チェーン店で買える、美味しい唐揚げ弁当と全く同じ値段です(笑)。昼ご飯を我慢してまで買う価値がある雑誌ではないことは間違いなさそうです。
世の中には「明らかに誤った言論」というものもあります
私が「愛読」(?)しているのは、この『週刊金曜日』だけではありません。
ときどき当ウェブサイトでも紹介する、NBOの『小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明』という連載記事も、相当に意味不明ですが、それでも我慢して、頑張って読むようにしているのです。
なぜ私がこれらの記事を読むのかといえば、その理由は、非常に簡単です。それは、左翼(あるいは「パヨク」)と呼ばれる皆さんのロジックのおかしさに、定期的に触れるようにしたいからです。
もちろん、これらの情報を読み続けていると、時々、心が折れそうになることも事実です。というのも、時として、あまりにもロジックがワンパターンだからです。
ただ、私の主義・主張は、「民主主義社会には多様な言論が必要だ」、とするものです。仮に政府が言論弾圧し、世の中から『週刊金曜日』がなくなってしまえば、それは逆に危険です。
それよりもむしろ、あまりにもバカらしい議論を巡っては、「世の中にはこんな変な議論もあるよ」とばかりに、笑い飛ばしてしまうのが良いでしょう。
つまり、情報を受け取る側に、十分な読解能力があれば、あとはさまざまな言論機関が乱立し、個々の読者・視聴者がそれらを取捨選択すれば、自然にその中で説得力がある意見が生き残るのです。
国民の選択の結果、たとえば、「憲法第9条第2項は変えないでおこう」となるのであれば、それは私たち日本国民の選択ですから、私も受け入れざるを得ません。
ただし、世の中には明らかに誤った考え方、誤った言論というものもあります。
それは、「結論ありき」で押し付ける、という報道の在り方です。
朝日新聞のように、「南京大屠殺事件」や「従軍慰安婦問題」など、ウソの事実を捏造し、日本人の名誉と尊厳を傷つけているメディアは論外ですが、それ以外にも、「結論ありき」で一般の読者、視聴者を誘導しようとするような報道は、犯罪級の不法行為であり、許されません。
『週刊金曜日』のように、発行部数が少ない(※)メディアであれば、どんなぶっ飛んだ内容を報じても良いと思います。しかし、テレビ局のように、国民の共有財産である電波を独占利用させてもらっている媒体が、『週刊金曜日』と同じような報道をしているのは、やはり大きな問題と言わざるを得ないでしょう。
(※Wikipediaの情報で恐縮ですが、『週刊金曜日』の発行部数は3万部だそうです。ただ、この発行部数は、私が不定期的に寄稿している某経理情報誌よりも多いのが、個人的には悔しい点です…笑)。
今後の当ウェブサイトの方針
ところで、『週刊金曜日』と『新宿会計士の政治経済評論』には、1つ、共通点があります。
それは、特定の企業、政党、政治団体などからは独立の立場から自由に評論をする、という方針です。
私の場合は、ときどき、企業から「広告ウィジェットを置かせてくれ」と依頼を受けることがありますが、仮にそれを置いたとしても、その企業を批判する記事を書くことはあると思います。
(※ただし、某社様の場合は、「広告ウィジェットを置かせてくれ」と言われたものの、肝心の条件面に言及がなかったので、現在に至るまで放置状態にありますが…。)
さらに、私が匿名でウェブサイトを運営している背景には、実名で運営している某中小企業のビジネスに影響を与えたくないという配慮もあります。
このため、当ウェブサイトは今後も、当面は「新宿会計士」という匿名を用いて、独立の立場から政治経済評論を続けて行こうと考えています。
なお、当ウェブサイトのコメント欄は自由に記入して頂けますので、引き続きご忌憚のない意見を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
View Comments (6)
更新お疲れ様です。
我が国には言論の自由があります。私もその恩恵に預かるものの一人です。どれほど馬鹿らしく見えても言論は言論であり、発表の自由があると私は信じますし、そう言った信念を維持するために私も異なる言論を好んで見に行きます。
皇室廃止を叫ぶブログなど見ると思わず非国民め売国奴めと苛立ちが増すのですが、別段何もコメントする事なく見るだけ見て終わります。かような言論が大手を振っていられる環境こそがむしろ皇室の権威を高めると信じる事にしました。
何にせよこういう言論に慣れておかないと、右翼保守界隈における無能な味方、足を引っ張る味方と化してしまうという懸念があります。純粋培養された右翼や左翼ほど恐ろしいものはないでしょう。敵となる思想の存在を認める事なく殲滅を志向するわけですから、敵にしても味方にしても国家に有害です。
週刊金曜日ねぇ。。。1993年に刊行された当初は私も注目していたんですが、今や安倍憎しの塊みたいになっていて、理論性もなにもなくて、左翼から見ても全く心を動かされませんね。ちなみに宇都宮健児氏といえば共産党の支持を受けて東京都知事選に出馬したものの、後日、共産党からは切られて逆恨みしているという話もありますね。週刊金曜日自体、共産党とは仲が悪いみたいですけどね。
ちなみに左翼勢力同士は意外と仲が悪いみたいですよ。
< 毎日の更新ありがとうございます。
< 「そろそろ実名を出してみようかな~」ですか?。 私は今のままでいいと思います。実名を出されると神秘的な思い入れが無くなります(笑)。また少しでも仕事の顧客に迷惑がかかりそうだったり、それを思って筆が弱くなっても困ります。今のところは「新宿会計士」で宜しいんじゃないでしょうか。私がもういいよと言うまでお待ちください(笑)。いつも言われる「データに基づかない分析に意味はない」。その通りなんですが、私も数字やウラを取ってない思い込み、一方的な見方でコメントしている時がありますので、反省します。「週刊金曜日」ですか。一、二度だけ手に取ってパラパラ見たことはありますが、最近は触れたこともありません。「自分が見る本じゃないな」ということを、最初の段階で感じました。拒絶反応というか。だから内容も知りません。そんなに偏った内容でよく続いてますな。
< 寄稿が福島瑞穂、モロの金美穂、年寄の投稿が多い、、。逝ってるね。ページを開くのは辛いが、たまには左翼か護憲派か中道左派かと思われる方の意見も見て、そのロジックのおかしさを吸収した方が、頭の回転のため、整理整頓の為に良いでしょうね。特に朝日新聞殿かな。
< 失礼いたしました。
いつも楽しみに拝読しております。
週刊金曜日、存じ上げませんでした。公式サイトで確認しましたが、やはり朝日系なのですね。会計士様が以前から主張されているように「自分と異なる考えに触れる切欠」になりそうですので、書店で見掛けた折には私も読んでみようと思います。ただ、最新刊の見出しも左巻き過ぎて耐えられるか心配です。
少しほろ酔い加減でのいい加減のコメントです。
新宿会計士様は本当に心が広い。私などは某左翼系の雑誌など見る気もなく、朝日新聞など鼻紙にもならないと憤っています。ここに来られる左翼さんはともかく、左派系の主張は論理が外れすぎて参考にもならない。戦後すぐに、原爆反対の集会において「アメリカの核実験は許さないが、ソ連、中国の核実験は許される」と子供でも分かる矛盾だらけの主張をした。引き続いて法政大の山口次郎氏は「安倍は人間じゃない、たたっきる」とまで言った。先日など報道ステでは稲垣なんとか朝日女性記者が「冤罪でも、安倍総理は罪を認めるべき」と言った。これが左派系が主張する意見だ。どうしてパヨクの主張はおかしなことが多いのか。いつも説明理由を省き、データや実例を付けないのか全く不思議だ。そして明らかにおかしな主張にも拘らず、仲間内から批判が出ないのか全く理解できない。
私も右翼に一員とみられているようだが、昔は左派系の団体にも顔を出していたことがあった。しかし左派系の論理のない主張に辟易したこと、間違いであっても仲間ならうやむやにすることに腹を立て、遠ざかっていった。ここで何度も言っているが意見には理由説明がないと論理が成立しない。左派系の主張は説明なしに終わることが多く、山口氏の暴言も理由説明がない。それでいて山口氏はいまだに大学教授の席にあり、あの発言にも謝罪すらしていない。左派系は仲間内のことには、非人道的な発言でも非難の声を上げないルールがあるのだろうか。
それに反し、安倍総理や麻生大臣など要職の自民党幹部は野党側の失態や失言を何一取り上げて非難をしたことはない。野党などは、自民党代議士の不倫をここぞとばかりに非難したが、山尾の不倫にはばつが悪くなり、だんまりを決め込んだ。自民党幹部にとり不倫など誰でも犯すことであり、それを取り上げるのはわが身にも降りかかるとわきまえているのだ。人社会人として不倫を犯すことは褒められたことではないが、それでも非難ごうごうしないのは、いずれわが身に及ぼすと分かっているからだ。何が問題か自民党幹部は良く知っているが、野党側には区別がつかない。
左派系の雑誌もつまるところ同じだ。人ならば当然犯しがちなミスと、犯してはならない犯罪を同列に扱っている。左派系雑誌はいまだにモリカケを取り上げているが、これまで不正の証拠もないのに、ひたすら追いかけているが、こんな役人のミスなど政策トップの責任ではない。まして同等なことが民主党政権でもあった。にもかかわらずモリカケ一点張りだ。普通の蕎麦屋はモリカケだけで商売などしない。天ぷらもあればうどんもだすし、昔は中華さえ出す店もあった。モリカケ騒ぎを追い回し、北のイカ釣り船が強盗団になりかねないことなど全く気にしてない。これで読者に情報を提供していると思っているのか。蕎麦屋がいろいろな品をメニューに入れるように、左派系の雑誌も現実の問題に少しは着目して欲しいものだ。
うん。週間金曜日、知ってるよ。パヨクのゆんゆん系の奴やろ?どんな主張も自由やけど、主張するなら責任取らんと。何がもりかけやねん、嘘ニュースって分かっとるやろに。前川助平がこのパヨク雑誌に載ったゆうことは前川助平はアカやったっちゅうことか、いやアカゆうよりもクロか。あ、クロゆうよりもクソか笑笑