戦後の日本で「世論」を作ってきたのは、新聞やテレビなどのマス・メディアや、ジャーナリストらでした。しかし、社会にインターネットが普及し、一般日本国民が思考をし、情報を交換する社会となれば、マス・メディアやジャーナリストらの存在意義は薄まります。私は、現在の日本社会が一種の「過渡期」にあると考えていますが、本日は、それを痛感するきっかけになる、「ある記事」を紹介します。
目次
近況報告
専門書の刊行を控えて
私事ですが、某専門書の執筆が「佳境」を迎えています。これに加えて、泊りがけで某地方に出張する予定であるため、今週はウェブサイトの更新ができない可能性もあります。あらかじめご了承ください。
ただ、政治経済評論に関する情報発信は、私にとって一種の「ライフワーク」のようになっています。短くても何とか更新したいと考えていますので、ご愛読いただきますようお願い申し上げます。
「にほんブログ村」について
当ウェブサイトは、一応、「ブログ」ではなく、「ビジネス系評論サイト」を名乗っています。ただ、ブログ執筆時代から、一種の「めやす」としてリンクを張っていたので、それをこちらの評論サイトにも引き継いでいます。「ブログ」と「ビジネス系評論サイト」の線引きは明確ではありませんが、その境界線の一つが、「単なる趣味(無報酬)」か、「商業目的」か、という点にあると思います。
そして、私はこのウェブサイトを、「趣味」ではなく「商業目的」で運営しています(ただし、読者の方の記事閲覧は全て無料です)。その意味で、このウェブサイトを「ブログ」と呼べるのかは微妙ですが、それでも当面は「にほんブログ村」リンクを張っておくつもりです。
ただし、先日、ウェブサイトのレンタルサーバを移管したためでしょうか、「にほんブログ村」側の「新着記事情報」が更新されないというエラーが生じています。これについては全く原因がわからないため、現在のところは「古いページ一覧」となっています。「にほんブログ村」側を見て、記事が更新されているかどうかを判断していた方には、大変なご不便をおかけしています。
インターネット時代の「読者の反応」
「日韓関係ネタ」が続きました
さて、本日の本題です。
もともと、当ウェブサイトは、「金融規制の専門家」である私が、自分自身の知識や業務経験などを踏まえ、「通貨論」などのマニアックな知識を説明する目的で開設したものです。
ところで、昨年末に韓国・釜山(ふざん)市にある日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受け、日本政府は今年1月6日、韓国に対する4つの措置の発動に踏み切りました(詳しくは首相官邸ウェブサイト「在釜山総領事館前の少女像設置を受けての我が国の当面の措置について」をご参照ください)。
これを受け、当ウェブサイトはその瞬間から「日韓スワップとは?」「韓国の通貨とは?」といったキーワードでの検索が急上昇。先週木曜日にはサーバがパンク寸前の状態になったため、急遽、レンタルサーバを変更するなどの対応を余儀なくされるなど、私自身にも大きな影響が生じました(笑)。
それはともかく、私は一貫して、次の点を主張し続けてきました。
- 韓国の通貨・ウォンは「国際的に通用する通貨(ハード・カレンシー)」とはいえない
- 韓国は外貨準備などの基本的な統計で様々なウソをついている可能性が高い
- 日韓通貨スワップ協定は実質的な韓国への金融支援であり、日本にはメリットが皆無である
そして、特に先週は、日韓関係を巡り多くの記事がマス・メディアを賑わせたのですが、これらの報道の中には明確な誤りも多数含まれていたため、私にとっても「筆を振るう絶好のチャンス」だったのです。ただ、今になって読み返してみると、1月に入ってから、記事の8割が日韓関係に関する記述で占められており、さすがにトピックが偏っているのではないかとの懸念もあります。
しかし、確かに日韓関係に関する記事を配信した日は、アクセス数が増える傾向にあります。ということは、私のこのウェブサイトを閲覧してくださる方の多くが、「日韓関係の先行きについてもっと情報が欲しい」「もっと知りたい」という「熱意」を持っている、ということの裏返しでもあります。
そして、「人々が知りたいと思っていることを提供する」ことこそが、私のような「独立系ビジネス評論サイト」に求められる役割であり、考え様によっては、時期によってウェブサイトのトピックが偏るのも自然なことなのかもしれません。
私がウェブサイトを運営する意味
私が「独立系ビジネス評論サイト」を運営する意味は、「金融の専門家」としての自分の知見を活かし、人々の「本当のところが知りたい」というニーズに応えることだと思います。
例えば、世の中で流れている俗説の一つに、「日韓通貨スワップ取極は日韓双方にメリットがある」―、といったものがあります。もちろん、私は「金融規制の専門家」ですから、金融市場の実態や金融規制の常識から照らし、日韓スワップが一方的に韓国を助けるものであるという点についてはよく存じ上げています。しかし、新聞記者を含めてメディア人らが不勉強なためでしょうか、日本では、こうした財務省が垂れ流す「プロパガンダ」が、そのまま無批判に報じられてきました。
その意味で、私が金融規制などの専門知識に基づく知見を提示することで、人々の「本当のところが知りたい」という欲求に応えられるのならば、このウェブサイトが「商業ベース」として成り立つのではないかと考えたのです。そして、こうした試みは、部分的に成功を収めつつあります。私は金融規制や金融商品会計の専門家であり、また、いちおう「公認会計士」を名乗っている以上、企業会計や監査論についても、ある程度の知見を持っているつもりです。
ただ、その一方で、私も「専門外」のことに関しては詳しくありません。医学だとか物理学、文学、心理学などは、正直、全くの専門外でもあります。したがって、私はこれらの話題について情報を発信することは苦手ですし、生半可な勉強で下手な内容を情報発信することは適切ではありません。
私は、「専門家」が自由に情報発信し、それを人々が自由に受け取り、評価するような時代が、遠からず必ず到来すると考えています。そして、こうした世の中の流れと完全に逆行しているのが、新聞・テレビなどの既存メディアを通じた情報発信を続けてきた、「旧来型のジャーナリスト」なのかもしれません。
田原総一朗さんの記事に批判殺到
私が見かけた中で、最も強い批判が寄せられた記事の一つは、ジャーナリストの田原総一朗さんが執筆し、日経ビジネスオンラインに掲載された、この記事です。
駐韓大使の一時帰国は失敗だ(2017年1月13日付 日経ビジネスオンラインより)
リンク先の記事を私自身の文責で要約すると、
- 日韓慰安婦合意により、摩擦が続いてきた日韓関係にようやく解決の見通しがついたと思われたが、この先行きが予断を許さない状況になっている
- 大使館前の少女像(※引用者注:「慰安婦像」のこと)問題が解決しない中、昨年末に新たな慰安婦像が建設されてしまったからだ
- 今回の一番大きな問題は駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させたことだ
- 2人を帰国させたのはいいけれども、何をきっかけにして韓国に帰任させるのか。そこが分からない。もし、帰任させられないままになってしまったら、これは重大事件になってしまう
- 確かに、世論に押されて少女像の設置を許してしまうという韓国のやり方は子どもっぽいが、帰任のきっかけをきちんと考えずに大使や領事を一時帰国させてしまったとしたら、日本の対応にも子どもっぽさを感じざるを得ない
といったものです。
私に言わせれば、2015年12月の日韓合意を、日本だけが一方的に履行し、韓国が一切履行しない(あるいは履行の努力すらしない)中で、新たな慰安婦像設置を許した韓国政府が一方的に悪いようにしか見えません。しかし、田原氏はこの一連の問題の中で、
「一番大きな問題は駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させたことだ」
と述べている訳です。この主張には、さすがに無理があります。そして、私に言わせれば、韓国政府の責任の本質に言及すらせず、「日韓双方に反省すべき点がある」といったロジックを唱えるのは、ジャーナリストとして極めて無責任です。
ただ、この記事に賛同できない読者は私だけではなかったらしく、日経ビジネスオンラインの読者コメント欄には、田原氏の主張を批判する書き込みが殺到しています。この記事が公表されたのは1月13日(金)ですが、それから2日間程度で掲載されたコメントの数は100件を超えており、私が見たところ、その9割方は田原氏の意見に反対するものです。
一般日本国民の知性を見くびるな
これらのコメントの多くは、明らかに一般人から寄せられたものです。なぜなら、コメントには誤字・脱字も多く、「てにをは」などの助詞の使い方がおかしいなど、表現がこなれていないものも散見されるからです。
ただ、こうした「表現技法」の問題はさておき、多くのコメントを見て、私が痛感したのは、少なくとも日経ビジネスオンラインにコメントを書き込んだ読者は、いずれも「自分の頭でしっかりと考えている」、という点です。一昔前だと、プロフェッショナルのジャーナリストらが新聞やテレビを通じて流した情報に対し、私たちのような「素人」が公然と反論をするなど、考えられませんでした。しかし、この日経ビジネスオンラインのコメント欄は、「プロフェッショナルのジャーナリスト」である田原氏に対し、「一般の素人」が正面から反対意見を述べているのです。
そして、これらのコメントを読んでいて気付くのは、「国交断絶」に言及する読者が、私の想定以上に多かった、ということです。
- 国交断絶に対する危機感は分かるが、日本に何か不利益があるのだろうか? 米国のアジア戦略上はまずいことになるが、韓国のいうことを聞いて日本の不利益になることをさんざんやっておいて、韓国から離れるなというのは虫のいい話だ
- 彼の国は大統領選睨んだドタバタが当面続くでしょうが、とりあえず期限だけ決めてもしそれまでに韓国が善処を図らなければ(現大使とは別の外交官を)公使として赴任させるってので良いのでは。/ワンクッション置くために公使を「代理大使」という肩書にするのも手でしょうが、要するに大使館→公使館への格下げにより一つの区切りを付けるのです。/あちらも対抗して在日大使館を公使館へ格下げしてくる可能性はありますが、それで実務上困ることが何かありますか?/特に思い当たらないので何かあれば教えてください。
- 日韓関係において、日本政府の毅然とした対応を、多くの日本国民が望んでいると思います。/このまま「大人の対応」で放置すれば、慰安婦像はそれこそいつまでたっても退きません。/それどころか慰安婦像は確実に増加の一途を辿るでしょう。/これまでのような事なかれ主義的な対応には、多くの人が心底ウンザリしているんですよ。/「帰任のタイミングが難しい」などと言う反日マスコミのたわごとは、韓国への甘やかしにしかすぎません。
- なぜ自国のみに大人の態度を求める?その意識こそ、問題をこじらせた原因では?
- 『韓国は今後ますます親北派が勢力を得て制御不能になる、これ以上日韓関係が改善する望みは薄い』、その視点から韓国に決断を迫ったのが今回の措置だと思う。皆さんのコメントを3分の一ほど読んだが、田原氏の論点より正鵠を得ているものが多い。韓国次第では大使が帰らない選択肢は当然ある。軍事協定さえも簡単に反故にする国、田原氏のようにまともな国を基準に考えても始まらない。田原氏に代表される左翼マスコミはつくづく一般市民に追い越されてしまったと思う。左がかったマスコミのこれまでの態度が、今の韓国を作り上げた、そうした反省を国内マスコミは深く持つべき。・・・まぁ絶対と言っていいほど期待は持てないが。
- この際、韓国とは国交断絶でよいのでは・・とも思ったりするのだが。
つまり、田原氏のような「旧来型のジャーナリスト」が「旧来型の無責任な議論」を展開しても、インターネットが普及した現代社会では、それこそ「あっという間」にボコボコに叩かれてしまうのです。
インターネット時代と「本物の民主主義」
改めて、私の主張を繰り返します。
私は、インターネットこそが、「本物の民主主義」を機能させる、最高のツールだと考えています。もちろん、インターネットを使えば、誰でも自由に自分の意見を広く社会に向けて発信することができます。このため、インターネットでは、時として扇動的・過激な主張がなされることもあります。しかし、私が見たところ、日本国内では、一般常識に反した主張が圧倒的な支持を集めることは、まず考えられません。
2009年8月を忘れるな!
2009年8月の衆議院議員総選挙で、新聞とテレビを中心とする当時のマス・メディアが散々「政権交代」を煽ったせいで、自民党は惨敗し、民主党が圧勝して政権を奪取しました。日本国民は、この時の経験を踏まえて
「自分の頭で考えること」
の重要性を痛感したのだと思います。
あの政権交代を経験したおかげで、「政治なんて誰がやったって一緒だ」などの無責任な意見は、日本国内から葬り去られました。そして、後に残ったのは、「自分の頭できちんと考える日本国民」と「反省も総括もしないマス・メディア」の対立構造です。
現代日本は「過渡期」
もちろん、現代の日本には、未だに情報を紙に刷り込み、大量の二酸化炭素をまき散らしながら配達するという、「新聞の戸別配達システム」が維持されていますし、多くの家庭のリビングルームにはテレビが鎮座しています(※ちなみに私の自宅では新聞の定期購読もしておらず、テレビもありません)。
新聞やテレビ、あるいは旧来型のジャーナリストらが垂れ流す情報を、以前と同様、そのまま無批判に受け取る人々の数は、まだかなり存在しています。
ただ、『日本の不幸はまともな野党の不在』でも述べたとおり、自民党の支持層は若返る一方で、最大野党・民進党は、むしろ『シルバー政党化』しています。
法的に外国人である村田蓮舫(むらた・れんほう)氏が党首であるという時点で、「自分の頭で物事を考えるまともな日本国民」であれば、民進党を支持するとも思えません。ということは、自分の頭で考えず、新聞やテレビが垂れ流す情報を無批判に受け取る人たち(つまり情報化社会から取り残された人々)が民進党の主要な支持者だと考えるならば、全てがすっきりと説明できるのです。
おそらく、社会のインターネット化・情報化の流れは、進むことはあっても後退することはないでしょう。民進党や共産党のような低レベルの「プロパガンダ政党」や左派ジャーナリスト、あるいはSEALDsのような組織が、10年後、あるいは20年後の日本で生き残っていると考えるのにも無理があるでしょう。
いずれにせよ、私も「ビジネスマン評論家」として、情報化の波に乗り、皆様の「知的好奇心」を刺激すべく、努力していきたいと考えています。