広島で「あの時間に」原子爆弾が炸裂した意味を考える
日本人なら誰でも知っているであろう原爆忌が、今年もやってきました。80年前の今日、午前8時15分に、広島市上空で核兵器が炸裂したのです。生身の人間の頭上に核兵器が投下されたのは人類初のことですが、このことに真剣に向き合うべき人たちがいます。「アメリカ人」です。
目次
広島と長崎の2発の原子爆弾
今年も原爆忌がやってきました。
今からちょうど80年前の本日、昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分に、広島市細工町29番(現在の広島市中区大手町1丁目)の島病院上空約580メートルでウラニウム型原子爆弾「リトルボーイ」が炸裂。
瞬時に表面温度約3000~4000度の火球が出現し、熱線と放射線、少し遅れて爆風が広島市に襲い掛かり、とりわけ爆心地付近にいた多くの人々は一瞬で生命を奪われ、即死をまぬかれた人々も凄惨な被害を受けるなど、甚大な損害をもたらしました。
また、その3日後の8月9日には、今度は長崎市松山町171番地上空約500メートルでプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が炸裂し、「熱線のすさまじいエネルギーによって、燃えるものすべてが火をふいた」とされ、東洋一の壮大さを誇ったともされた浦上天主堂が無残にも崩落したのです。
といっても、原爆がもたらした凄惨な被害に関しては、当ウェブサイトなどで語る必要などありません。というよりも、じつは著者自身、原爆「問題」はもはや、日本人の問題ではなく、むしろ原爆を落とした側の問題だと考えています。
改めて考える原爆の意味
米国の邪悪な目的は明らか
ここで重要な事実は、広島と長崎の原子爆弾が①人類史上初めて生身の人間に対して実戦使用された核兵器であり、②軍事施設ではなく民間施設を狙ったものであり、③被害者の多くは軍人ではなく民間人であり、そして④異なる2つの種類の爆弾が使用された、という点でしょう。
早い話が敗色濃厚な日本に対し、ウラニウム型、プルトニウム型2つの種類の原爆を実戦使用することでデータを集めるという、極めて邪悪な目的が米軍にはあったのではないでしょうか?
とりわけ、広島市に対し朝8時15分という時刻に原子爆弾が投下された理由を巡っては、諏訪澄氏の著作『広島原爆: 8時15分投下の意味 付昭和の戦争の記述と記念』でも示唆されている通り、米軍が日本の市民の日常的な行動パターンを読み、意図的に設定した時刻だったという可能性が濃厚です。
また、一説によると原爆の投下候補都市には京都も含まれていて、文化遺産が多い京都が途中からターゲットから外された、といった説明を聞くことも多いのですが、著者自身はこれは違うと考えています。
単純に、京都は木造建築物が多く、原爆の破壊力を試すという観点からは不適であると評価され、これに代わってコンクリート造りの建物が多く、市街地が平面上に広がっている広島が、軍事上の観点から選ばれたに過ぎないと考えています。
それも、米軍は事前の偵察で、広島市民の行動パターンをある程度は把握していたものと考えるべきでしょう。すなわち、非常に多くの人が暮らす広島の街で、多くの人が通勤・通学や朝礼などで外出している時間帯を狙って核兵器を使用することで、建物だけでなく人体に対しどのような被害が生じるかを研究できるからです。
核兵器はどういう状況で人間に被害を与えるのか
もっといえば、核兵器がどういう状況で人間に被害を与えるのかに関する実証的なデータが取れたのではないでしょうか。
たとえば、広島原爆の多くの手記などを読むと、爆心地付近にいて奇跡的に難を逃れた人もいました。
広島平和記念資料館ウェブサイトの企画展に関するページや『国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク』のページなどに掲載されている、爆心地からわずか170メートルの地点で被爆したにもかかわらず生還した野村英三さん(被爆当時47歳、1982年没)の事例がわかりやすいでしょう。
野村さんは当時の広島中島本町にあった燃料会館(現在の平和記念公園レストハウス)に置かれていた広島県燃料配給統制組合本部で働いていたのですが、原爆がさく裂した瞬間は業務で使用する書類を取りに地下室に入っており、一命をとりとめました(といっても、その後は原爆症で死線をさまよったそうです)。
ただ、ウラニウム型原爆で爆心地から170メートルほど離れていたとしても、建物の中にいた人は即死をまぬかれているケースが多く、さらに地下室にいれば(おそらくは)原爆炸裂の瞬間における熱線や放射線からの被害を軽減できる(可能性がある)、という事実がデータとして残った、と言い換えることもできます。
実際、野村さんの証言によると、野村さん自身を含め、同じ燃料会館で働いていた男女8人が即死を免れたのだそうですが、(手記やリンク外の記事などから判断するに)野村さん以外の生存者はその日から2週間以内に順次亡くなったようです。
あくまでも想像ですが、燃料会館自体がコンクリート造りで頑丈であったこと(※現在もレストハウスとして使用されています)、そのコンクリートの建物のさらに地下にいたことで、熱線・放射線・爆風からの被害がかなりの程度軽減されたことが生還の要因だったのではないでしょうか。
原爆ドームに残る?炸裂のメカニズム
また、兵器としてみた時の原爆の特性についても、いろいろと研究が進んだのではないでしょうか。
そのひとつが、「広島といえばこれ」といわれる、通称「原爆ドーム」、すなわち広島県産業奨励館の残骸です。
産業奨励館(図表1)はドーム型の屋根が特徴的でしたが、これが現在の原爆ドーム(図表2)のように丸屋根部分の鉄骨が剥き出しで残っている理由は、丸い屋根が銅板製で原爆炸裂の瞬間に蒸発し、その後の爆風の衝撃が鉄骨部分をすり抜けたからだ、といった説明を見ることもあります。
図表1 広島県産業奨励館
(【出所】広島市『デジタルギャラリー 広島県物産陳列館から原爆ドームへ「2 広島県物産陳列館から広島県産業奨励館へ 戦前の絵葉書を中心に」』よりダウンロード)
図表2 原爆ドーム
(【出所】広島市『デジタルギャラリー 広島県物産陳列館から原爆ドームへ「5 原爆ドーム 広報課撮影写真を中心に」』よりダウンロード)
これも、銅など比較的沸点の低い建材が原爆の熱線に弱く、スレート屋根は熱線には強い(が衝撃波には弱かった)という物理的特性の結果だ、などの説明がなされることが多いようです(ただし※著者自身は建築・建材のプロではないため、こうした説明が正しいのかどうかはよくわかりませんが…)。
いずれにせよ、原爆を投下したことで、多くの人命が失われただけでなく、こうした「実戦的な」データが得られたことを踏まえると、じつは米国の原爆投下の狙いが「戦争の早期終結」とはまったく別のところにあったのではないか、といった仮説は、そう荒唐無稽なものではないでしょう。
長崎はプルトニウム型原爆の威力を確かめる目的だった?
では、長崎原爆はいったいどういう意味があったのでしょうか。
長崎市に原爆が投下された時刻は11時2分であり、広島と違い、多くの人が朝礼などで屋外にいる、といったものではありませんでしたし、投下された地点も長崎の中心部ではなく、そこから3キロほど北に離れた浦上地区です。
もちろん、市街中心部への損害もありましたが、爆心地にあった原爆ドームなどを除くほとんどの建物を倒壊させた広島のケースとは異なり、山あいの浦上地区が中心的な被害を受けた長崎の事例は、「戦果」という観点からはじつに中途半端です。
これについても著者自身の見解で恐縮ですが、おそらくは米軍側が日本側の反撃を恐れ、原爆を投下するタイミングを逸したことが、大きな要因ではないかと思います。
天候が良ければ小倉ないし長崎の中心部に原爆を投下するつもりだったのかもしれませんが、広島原爆で警戒した日本側が煙幕を張るなどし、原爆投下を妨害した可能性もあると考えられます(※これについては純粋に私見です)。
つまり、日本側はただなすがままに原爆の被害を受けたのではなく、最大限抵抗し、その結果が浦上天主堂の爆破という反キリスト教行為につながったのかもしれません。
米国が神社仏閣の多い京都ではなくキリスト教の壮大な教会を破壊したというのも、じつに皮肉な話です。
特別な責任を負っているのは日本ではなく米国
いずれにせよ、広島と長崎の原爆は「人体実験」という非人道的な犯罪行為であり、国際法違反です。
しかし、日本国内ではこれまで、米国を糾弾する意見はあまりありませんでした。
それどころか、日本は唯一の被爆国の責務として、原爆被害の凄惨さと核廃絶を訴えていくことが必要だ、などとする主張(というか寝言)をよく見かけますし、最近だととうとうこの寝言をノーベル委員長も口にするようになったようです。
「日本には特別な責任」とノーベル委員長
―――2025/07/28 17:15付 Yahoo!ニュースより【共同通信配信】
端的に言って、詭弁そのものです。非難すべきは原爆を投下された日本の側ではなく、投下した米国の側であり、「特別な責任」とやらを負っているのも日本ではなく米国です。戦後80年が経過するなかで、いい加減、この手の詭弁からは脱却したいものです。
先の大戦に関連して私たち日本人がなすべきことは、原子爆弾や空襲などにより命を奪われたすべての犠牲者の方々に、毎年、哀悼の意を捧げて静かに冥福を祈ることであり、また、再び戦争の災禍に見舞われることがないよう、戦争が発生するメカニズムをしっかり研究し、再発を防ぐことにあります。
よく「憲法第9条を守っていれば戦争にならない」などと主張する人を見かけますが、「平和」を「戦争ではない状態」と定義するならば、「平和」を維持するためには「戦争」について徹底的に研究することがむしろ必要であるはずでしょう。
それなのに、わが国の「平和」論者たちは、多くの場合、「戦争反対」と唱えているだけで、平和につながる具体的な行動はほとんど取っていないことが多いです。
そういえば、日本学術会議が2022年、ロシアによるウクライナ侵攻に際し、ほとんど中身のない「抗議文」を出していましたが(『ウクライナ戦争巡る日本学術会議の「ペラいち」声明文』等参照)、これなども日本の「アカデミズム」が戦争に対しほとんど無力であることの証左でしょう。
抑制的アプローチの成功
ただ、日本のこうした抑制的なアプローチは、正しかったのかもしれません。
どこかの国と違い、犠牲者数を盛ったり、「謝罪を」「賠償を」と叫んだりせず、しかし粛々と、犠牲となられた方々の名簿を作るなど事実を記録し、毎年のようにしっかりと犠牲者を追悼し続けることで、これらの「事件」が風化せず、現代そして未来に向けて語り継がれていくからです。
そういえば、日本政府観光局(JNTO)データによると、日本を訪れる米国人は、年々増えています(図表3)。
図表3 日本を訪問した米国人
(【出所】日本政府観光局『訪日外客統計』データをもとに作成)
この点、広島を訪れた米国人が内心で何を考えているのかについては、もちろん、わかりません。
米国では広範囲に、「広島と長崎への原爆の投下が戦争を早く終わらせることに役立った」、「このことは数多くの米国人の命を救った」、などと教え込まれているようであり、原爆投下の事実を知っている米国人も、その原爆投下が「正しかった」と信じているフシがあるからです。
このため、日本を訪れた米国人のなかにも、もしかしたら「戦勝国民」という気分で日本にやって来ている者もいるかもしれませんし、原爆ドームの前で(当ウェブサイトでは到底書けないような)粗野で下品なことを考えている者もいるかもしれません。
米国人が原爆に向き合うしかない
ただ、それと同時に、人間というものは多様な存在でもあります。
原爆ドームや爆心地、原爆資料館や平和記念公園を訪れた人の中には、自分たちの国がやった、「生身の人間の上に核兵器を使用する」という犯罪的行為に刮目(かつもく)する人もいるかもしれません。
なかには(ごく少数かもしれませんが)本国に帰ってから自分たちが過去にやったことの過ちを伝えるための活動家(?)になる人も出てくるかもしれませんし、場合によっては「アメリカは日本に謝罪せよ」、などと言い出す人もいるかもしれません。
結局のところ、原爆投下という「原罪」に向き合わなければならないのは、私たち日本人ではありません。
アメリカ人です。
アメリカ人こそが、今から80年前の2発の原子爆弾の意味について考えなければなりませんし、その爆弾のせい自分たちの国が世界中の紛争に首を突っ込まなければならなくなったこと、世界中で尊敬されるだけでなく憎悪を浴びる立場でもあることを認識せねばならないのではないでしょうか。
次は絶対に負けない
いずれにせよ、私たち日本人は犠牲者の方々に毎年黙祷をささげるとともに、事実をしっかりと伝えて語り継ぎ、そのうえで次のように「反省」すればよいのです。
「次は絶対に負けない」、と。
View Comments (28)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
1 2 次へ »私の親世代へ、戦争とはいえ民間人虐○は国際法違反であり原爆や各地の○○大空襲と呼ばれる行為はアメリカが裁かれるべき戦犯行為だと説明しても、理解できないし理解しようとしない事にもはや辟易しています。
そのくせ朝ドラとかこの時期の太平洋戦争を扱ったドラマは見るようですが。
戦後の「敗戦国民」としての洗脳教育は、某宗教団体の洗脳信者と同レベルで手におえないなと思う次第です。
これらもSNSの発達なのか洗脳されない世代が出てきてる所が、政治と同じく時代の節目なのかもしれません。
もう80年経つんだよなあ。
戦後レジームからの脱却、それが安倍晋三首相の一つの目標でしたね。
>結局のところ、原爆投下という「原罪」に向き合わなければならないのは、私たち日本人ではありません。
>アメリカ人です。
「日本には被爆国としての責任がある」なんて言い出す人がいるから「それはアメリカの責任だろ」と言わざるを得なくなるのですよね。最初に言い出したのは多分(自虐的)日本人自身なのでしょうけどね。そこに無自覚な差別意識満載の欧米人が乗っかってくる図(多分)。
終戦後まもなくならその構図はわかりますが、もう80年、4,5世代目もいる中で、いい加減卒業してよと思います。
最近80年談話が話題となる中で引き合いに出される玉音放送ですが、辛いことだが戦争に負けたことを認め敵を恨まず未来を切り開こう、と国家国民に呼びかけたものだと理解しています。
その精神に沿うなら、「被爆国の責任」などと言う「原爆使用国の責任」追及につながる、寝た子を起こすようなことを言わない方がよい、ということなのでしょうね。
米国の原爆投下の意図への言及がありますが、目的はいろいろあったと思います。戦争中だから兵器の実験(効果の測定)は当然だと思いますが、例えば実験をやりたいがために戦争終結を遅らせた、などと言うことはなかったのではないかと思います。米国は戦後もクロスロード作戦で自国兵士を使って実験してますね。
戦争には負けちゃダメ、には同意です。国家総力戦にしたくなくても相手次第、負けたら国が滅びます。戦争が起こらないよう抑止力を十分に高めましょう。中国経済はピークアウトしましたし、後しばらくの辛抱ではないでしょうか。
アナロジーですが、
「過失致死をやらかしたコドモに、
自分の罪に向き合え!と問う」
のは、現実的にムチャかと思います。
「仕方なかった」
と正当化しないと自我崩壊ですから。
アメリカという若い国家は、至らぬ幼稚さはありますが、おおむね誠実に過去と向き合おうとしているように僕には思われます。
標準偏差の左端と右端は、当たり前ですがオミットしてますよ。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/be738adb0e01a8344339ef58f16923982700722e
↑北方領土の占拠も支援していた米国・・。
ご紹介ありがとうございます。
これはもっと周知されて良い史実だと感じました。
Project Hula、PDFをDLしました。
>大手メディアもこれまでに北海道新聞や毎日新聞、TBSなど一部を除き、ほとんど報じていない。
反米という立ち位置でこれら左派メディアが反応したのでしょう。左派メディアにも一定の関心を寄せておく必要がある事例であると認識しました。
周回遅れのネタですね。
じつはめっちゃ重要な話題です。これについても(もしかしたら今年も?)当ウェブサイトで触れさせていただくかもしれません。
いつも有益な情報、本当にありがとうございます。
>再び戦争の災禍に見舞われることがないよう、戦争が発生するメカニズムをしっかり研究し、再発を防ぐことにあります。
これにつきます。
何故軍部が開戦を選んだのか、その時に日本が置かれた状況は?
その時の心理、体制、状況、これらを分析することで初めてシビリアンコントロール、外交の在り方が問えると思います。
感情に訴えるような演出で戦争は悲惨だと一万回唱えても得るものはありません。
仮に当時対米開戦に踏み切らなかったとしても、ブロック経済による大困窮自体は不可避でしたし、最悪東北以北が武装蜂起して国家分裂、共産圏に組み込まれていた可能性だって否定できません。
「愚かな戦争ガー」がお題目と化している反戦活動家こそ一番戦争犠牲者を冒涜していると思います。
「なぜ軍部が開戦を~」
合ってるけど間違ってる文章かと思います。
軍部ではなくて、マスメディアと扇動されて高揚した世論が、開戦を望んだのだと思いますけどね。
マスメディアの無責任な扇動に加えて、官僚の専横もあるかと。
ルーズベルトやヒトラーやチャーチルなどの、
「プレイヤー」
がどの断片を切り取っても大日本帝国の中には見られませんでした。
みんなでなんとなく決めて、
みんなでなんとなく進んで、
みんなでエライ目にあって。
出る杭は打つ方式は、エエ加減にせんといかんですね。
明治憲法制定時の元勲のような実力のある指導者がいなかった。
明治憲法は、元勲の存在によって有効に機能する憲法だった。
昭和に入ると元勲はいなくなり、軍部を監督できる者が不在となった。
総理といえども、軍部を統制することができなかった。
軍部は陸軍は陸軍、海軍は海軍で勝手な行動をし統合ができず、「日本陸海軍は主力を以て相争い、余力を以て米軍と戦った」と言われる始末だった。
指導者がいない状況下で、強硬策を主張する軍部の中堅幕僚を押さえられる指導者がいなかった。
我々が学ぶべきは、賢明で実力ある指導者が国家には必要だということである。
長崎爆撃が11時過ぎになった理由は以下の通りと理解しています。
8/9の爆撃の第一目標は小倉だったが、目標が雲に覆われていて目視照準が不可能であったため第二目標の長崎に変更した。結果として遠回りになり遅くなった。
発言の自由の場を得るのと同時に自分の発言には責任を持つ、というのを示した今回のサイト主様の記事であると感じ入りました。
これがどこかの評論家が書いた文をどこかのメディア媒体の記事にしたものであったら、どこか胡散臭い感があったことでしょう。
マスコミ・メディアを介さないダイレクトコミュニケーションの良さを実感しました。
まー“戦時国際法違反”でも“被害者”側が“自責”を謳うなんてマゾヒズムに過ぎるとは云へ、ソノ心根性根の奥にあるナニガシかが巷間様々な事象について見聞スる「ヤラレた方が悪い」だの「ヤラレた方に原因が有る」「ヤラレた方にも原因が有る」「ヤラレた方にコソ原因が有る」的な(グラデーションはあれど)傾向の構論築論立論放言妄言耕論にも(薄く?濃く?)結紮シヨルゾナモシ??
パンピーの意識下概想を特定方向へ誘導強化したと云ふ見地に立てば『戦後教育(民心誘導)』も戦勝国ズのウマーにスギましたかいね???
知らんけど
“啓蒙”か“洗脳”か“思想浄化”か“族抹消”か??
立ち位置次第ナンジャロのカナシイかナ
知らんけど
「米国人が原爆に向き合うしかない」何故か反核団体は米国他核保有国に対して核兵器禁止条約への加盟を働きかけませんね。何故でしょうね(棒)?