「お客様は、神様」。これは、「カネを払う側が偉い」という歪んだ発想のようなものですが、もしかして私たち日本国民は、政治家に対してもこの「お客様は神様」的な発想を持っていたりしないでしょうか?政治家の歳費は税金から支払われますが、「安い報酬で働け」、「議員は多すぎる」、といった発想は、形を変えた「お客様は神様」論です。選挙に行かないという甘ったれた考え方も、同様です。しかし、勘違いしないでください。国民は「お客様」ではなく「主権者」です。
目次
「お客様は、神様」
「お客様は、神様」。
これは、当ウェブサイトでも定期的に取り上げる話題のひとつです。
当ウェブサイトでこの概念に注目したきっかけのひとつが、「高速バスの運転手が休憩時間を使ってサービスエリアでカレーを食べていたとして、乗客から会社に苦情が寄せられた」とする件です。
当たり前の話ですが、乗務中、たとえば高速道路でバスを運転中に、何か危険な行為をしたとかいうのならば話は別ですが、途中の休憩中に運転手がカレーを食べようが、コーヒーを飲もうが、(定められた場所で)タバコを吸おうが、それはその運転手の自由です(ただしアルコールの摂取は論外ですが)。
また、コンビニエンスストアの事例では、若いアルバイトの高校生に向かって、高齢の客がタバコの銘柄を「マイセン(くれ)」などと(自分勝手な)略称で伝え、店員が「マイセンって何ですか?」と尋ねたところ、その客がキレ散らかした、という事例を取り上げています。
そもそも一般的な高校生がタバコの銘柄に詳しいはずもありませんし、万が一、ある程度タバコの銘柄を知っていたとしても、「マイセン」が「メビウス」を意味するとすぐにわかるものでもないでしょう。
(※ちなみにこの「マイセン」、もともとは「マイルドセブン」の略称だそうですが、その「マイルドセブン」という名称に含まれる「マイルド」という単語が問題視され、「メビウス」に変更された、という経緯があるのだとか。)
三波春夫はそういう意味で「お客様は神様」と言ったのではない
いずれにせよ、この「お客様は神様」論は、適正な報酬を負担しているわけでもないくせに、過剰サービスを要求することを正当化する用語として悪用されているフシがあるのですが、これはもともとは三波春夫が1961年、舞台で口にしたものが、いつのまにか「客はどんな理不尽に振る舞っても良い」、に曲解されたものです。
実際、株式会社三波クリエイツ代表取締役の三波美夕紀さんは『三波春夫オフィシャルサイト』の『「お客様は神様です」について』というページで、この三波春夫の「お客様は神様」というフレーズに対する誤解が「商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアント」による横柄な態度につながっていると指摘。
そのうえで、このフレーズについての三波春夫の考えが次のようなものであると注意喚起しているのです。
「(『お客様は神様』とは)雑念を払って澄み切った心で歌うという心構えを示したものであって、決して『カネを払う立場の人間が店員などに対し横柄な態度を取って良い』という意味で述べたものではありません」。
口を開けば「お客様は神様」と称し、店員さんやバスの運転手さん、駅員さんなどに横柄で偉そうな態度を取る者は、この三波美夕紀さんの文章を、10,000,000,000,000回くらい熟読すべきでしょう。
デフレ時代と相性が良い「お客様は神様」論
ただ、どうしてこんな「お客様は神様」的な発想がここまで蔓延したのかについては、ちょっと真面目に検討しておく必要もありそうです。
この「お客様は神様」論とは、突き詰めていえば「カネを払う側が偉い」という歪んだ発想であり、「買い物客」「乗客」はもちろん、「雇用者」、「納税者」がカネを受け取る側(店員さん、運転手さん、労働者、政治家など)に偉そうな態度を取って良いという考えにも通じるものです。
実際、この「お客様は神様」論はデフレ時代と大変に相性が良く、とくに「雇う側」は「雇われる側」に、非常に高圧的に出ているのも、こうした「カネを払う側が偉い」とする発想が根底にあるように思えます。
そもそも論として、リーマン・ショック時から民主党政権時にかけてのデフレ期は、基本的に労働者は「雇ってもらう」という立場でした。有効求人倍率も1倍を割り込み、新卒採用率も下がるなど、人々は職探しに奔走していたからです。
だからこそ「ブラック企業」、「ブラック業界」が蔓延しやすい状況だったのではないでしょうか。
しかし、アベノミクスにより、基本的に雇用市場は大いに改善しました。現在だと、主要都道府県で有効求人倍率は依然として1倍を超えており、失業率も過去最低水準にあるからです。
実際、『「人手不足倒産」の正体とは「労働条件の改善」では?』などでも紹介しましたが、相変わらず、「雇う側」は民主党政権時代の「買い手市場」のマインドから抜けきっていないケースも散見されます。たとえば少し前、ネット上でこんなポスターが話題となりました。
「助けてください/働く人が見つかりません/時給1500円※休み希望なしが条件<中略>交通費、まかない、残業代、寸志あり」。
ちなみにこのポスターをSNSに投稿したのは東北地方の飲食店のものだそうですが、これにこんな内容が付記されています。
「『自分の休みは店に委ねます』という強者を求めます!/これに反した場合、該当月の前後2ヶ月を含む3ヶ月間は、交通費込み時給900円となります。勤務開始前後で話が変わる人が多いための措置です。/試用期間中の時給は898円で、日数は本人の努力次第です。宜しくお願いします」
「労働者側の希望で休みを取ることができない」、「勝手に休んだら給与水準が下げられる」、というのは、限りなく違法性が強いの疑いが強いものです(ちなみに時給898円はこの県における最低時給です)。
正直、ここまで社会を舐めた求人を出すという時点で、この雇用主さんは現在の雇用市場というものを理解していない可能性は濃厚です。民主党政権時代あたりならこの条件でも応募する労働者はいたかもしれませんが、昨今の人手不足の折に、こうした条件で働く人がどれほどいるのかはわかりません。
しかし、こうした人材募集を見るにつれ、デフレ期に蔓延していた「働けるだけありがたい」、「給料を払う側が偉い」、「カネを払う側が偉い」といった価値観のおかしさが見えてきます。
国民はお客様、ではない!
さて、本稿では読者の皆さまに、ちょっと厳しいことを申し上げておきます。
選挙は、私たち有権者が政治家を選ぶ手続ですが、これについて勘違いしている人が多すぎるからです。
当ウェブサイトで「選挙で必ず投票しましょう」と呼び掛けると、ごく稀に、こんな趣旨の反応が返ってきます。
「私の選挙区ではろくな候補者が出馬していない。今回の選挙では白票を投じてやろうと思っている」。
…。
これ、いったい何様のつもりなのでしょうか?
それともあれでしょうか?「俺たちは納税者だ」、「政治家の歳費は俺たち納税者が払ってやっているんだ」、「政治家どもを選んでやる立場だ」、「今回は俺の気に入る政治家がいないから誰にも表を入れてやらない」、とでもいいたいのでしょうか?
くどいようですが、私たち有権者は「お客様」ではありません。
「政治家に投票してやるから、俺たちが投票してやった政治家は俺たち有権者のために馬車馬のごとく働け」、「政治とカネは汚いから、政治家は無給で働け」、「国会議員の数は多すぎるからもっと減らせ」、といった主張にも通じるのですが、私たち有権者は政治家に要求するだけの「お客様」だと勘違いしているのです。
当たり前の話ですが、あなたが選挙に行かなかった結果、この社会が今より悪くなったときに、その被害を受けるのは、あなたです。いや、あなただけではありません。「棄権する」、「白票を投じる」といったあなたの無責任な行動で社会が悪くなると、それにより周りにも被害をもたらすのです。
それに、選挙というものは、よりどりみどりの素晴らしい候補者群から、自分にとっての本当に理想的な人物を選び出すプロセスだと考えてもらっても困ります。わかりやすいたとえでいえば、傷みかけた食材のなかから、まだ食べられる部分を選り分けて調理するようなものだからです。
もっといえば、選挙は「政治家となる者を選ぶ手続」であると同時に、「政治家になってはならない者を排除する手続」でもあります。あなたが選挙にいかなければ、それだけ組織票を持つ政党や候補者にとって有利に働き、結果的に「無党派(?)」にとっては望ましくない社会が到来しやすくなります。
我々は主権者である:責任ある行動を!
著者自身、2016年以降約8年あまり、ウェブ評論を続けていますが、当ウェブサイトにもかつて、「選挙に行かないこと」を「不可抗力」だと言い張ったコメント主もいましたし、さらに「棄権・白票」を「なにかすばらしい高潔な行為」であるかのごとく自慢してくるケースすらありました。
自信を持って断言します。
そうした考えは、無責任であり、無益です。
繰り返しになりますが、私たち有権者は「主権者」なのであって、この国の「お客様」ではありません。
この社会を私たちが作っていくためには、だれに票を投じるべきなのか(あるいは「だれに票を投じないべきなのか」)を私たちひとりひとりが責任ある主権者として、きちんと考え、行動していくことが求められているのです。
それを、ここに改めて強調しておきたいと思う次第です。
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主権者という言葉は、なかなかに意味をつかみにくいものです。
米国の南北戦争のゲチスバーグの戦いの後のリンカーン大統領の演説の中の有名な「人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させない(government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.)」の「人民の政治(government of the people)」の意味するところが、主権者を意味していると、小生は理解しています。つまり、政治を所有する者は人民、つまり、政治から人民は逃げることが出来ない、政治が悪くなった場合に責任を負うこと、痛みを負うことから逃げることが出来ないということです。
会計士さんが度々説明してくださる「選挙」の意味も、選挙の結果から逃げることができないのなら、どう考えて投票するのが賢明かと、小生は理解しています。
人が難病にかかったとき、どういう治療法があって、それらの成功見通しや治療にともなうリスクを考えて、治療法を選択することに似ているのではないでしょうか?
ほぼ100%賛同致します。(他に試みられたあらゆる形態を除けば)最悪の政治形態とされるデモクラシーですが、そもそも普通選挙が実現するまでには大変な歴史がある訳であって、私たち一人ひとりが有している選挙権(この場合は投票権)は大変重いものと云わざるを得ません。
ただし例外的なケースが存在しうることを完全には否定できないのも事実と云って良いかと思います。例えば比例制が無いと仮定した上で、自分の選挙区では立民(例えばDS陰謀論に深くハマっていると思わしき人物)、共産(誰であろうと共産キンタロー飴)、自民(石破派。例えば最近総務大臣とやらになった御仁など)しか立候補者がいないと云う極めてゴールデンな状況を想定すると、三者三様に腐り果てていて全く食用に適さない(どれを食しても人体には極めて有害)という判断も十分あり得ることであって、このような場合には涙を呑んで棄権というの否めない選択になりうると思います。チウゴクなどいわゆる共産圏における選挙などはこういう感じなのかと想像します(ただしうっかり棄権などしたら「総括」されかねず、これはまた別のストーリーですね)尤も現実には比例区もあるので、この想定に則れば選挙区は白票、比例区は特定の政党という形での投票になろうかと思います。
こういう極端な場合には、棄権・白票も許していただけますでしょうか?
>このような場合には涙を呑んで棄権というの否めない選択になりうると思います。
なり得ません。
その3名のうち落選させるべき2名を選んで下さい。
これは有権者としての責任です。
今の選挙制度では、小選挙区で落選しても比例復活してくるのです。
兎にも角にも、自民党では身を切る改革はできません。
故に、自民・公明には政権運営は不可能です。
仮に高市早苗氏が総理になっても、取り巻きが政策の転換を阻止してきます。
自民党は公明以外で連立政権を模索しないと、この問題は解決しません。
公明党は金魚の糞みたいな政党なので、関西地区では公明党の落選運動をしており、全国でも展開してほしいです。
現在の選挙制度と候補者の中からベストの選択をすることが有権者の責務です。つべこべ言ってないで投票してください。
>つべこべ言ってないで投票してください。
居眠り猫の眠たいコメント、バッサリ過ぎてわろた
早速のご対応ありがとうございます。予想通りのご叱正を頂いてしまいましたが、いや、なかなか手厳しい。
この設例の三候補は、好きや嫌いではなく熟慮に熟慮を重ねた結果、我が国の国益を深刻に毀損する恐れがあると判断されたヒトたちというこ設定なので、こうなると、「なるべく早期に退場する可能性の高い候補者」を選ぶより仕方がないようですね。ここで云う「退場」とは、〇亡または議員たるの職務の遂行に重大な支障を来す疾病の罹患もしくは既往症の重篤化といったことになろうかと思います(なお疾病とは肉体的なものに加え「おつむ」乃至は「御心」の病も含みます)。となると、共産キンタロー飴は往々にして「若造」が多くあまりすぐに〇亡しそうもないのでまず落選第一候補となるのですが、残りのお二方については何とも悩ましいところですね。
なお、この「有権者たるの責務」という論議は、「そんなに誰もかれもダメだというのなら、なんでオマエが手を挙げないんだ」というハナシに必然的につながってしまうように思われます。なぜならばこの文脈で云う「有権者」とは「選挙権を保持する者」であって、「選挙権」とは「投票権」と「被選挙権」=「立候補する権利」の両者を共に含む概念であると考えられるからです。
さて、上記の設例で私は三人の候補者のいずれにも投票すべきではない(=国会議員にしてはいけない)という前提を置きましたが、同時に「そうであるなら(他に立候補するものがいないのであれば)、私が自らが立候補すべきであって、それが有権者として果たすべき当然の責務である。なぜならデモクラシーの下での棄権・白票は、いわゆる白紙委任であって、事態の望ましい方向への改善への逆行以外の何物でもないからである」という命題が前記の判断から必然的に生じてくるように思われます。となるとデモクラシーというのは個々人たる「有権者」に対し当然の責務として前記を求め得るものなのか否か?深刻にアタマをひねらざるを得ない命題がここで突き付けられることになるものと思われます。この命題に対する解答は私もまったく持っていません。
畢竟、デモクラシーも人間が作り出したシステムであって必然的に矛盾を内包しており完璧なものでは決してないと思われますが、同時に某チャーチル氏が示唆するとおり、人類がこれまで試したありとあらゆる政治システムに比べれば、それでも「一番まし」なものなのであろうというのは妥当な判断と思われます(恐らくは)。
あれ?ここにきて何となく平仄があってきましたが、結局は「「Less Worse(こういう英語表現がありうるとすれば)」を苦渋の選択をしつつ積み重ねていく人類の営為ということになるようで、最終的にはブログ主様のおっしゃるとおりの方向性の中にしか取るべき選択肢はないのでしょうね。
何か尻切れトンボで申し訳ないのですが、この命題に関する私の考え(「感想」という方が正しいかも)は上記の通りとなった次第です。
長々と失礼いたしました。
、失礼いたしました。
まー今回は『ゴミの中から消去法で3番に悪いゴミを拾う』しかシャーナイですわな
でもって次回以降同じ轍を踏まずに済むよう、『自分で立つ』なり『誰かに立たせる』ように常日頃意識して動いておけばヨロシインぢゃゴザンセンカ?
『誰か立たせる』なら直接候補を探して口説くもヨシ、応援できる候補用意出来そうな政党や団体に働きかけるもヨシetc.etc.
ソウシテ有効投票率が徐々にでも高く成れば“組織票”の有効度合いも相対的に低下する傾向になってゆくでせうし、『政治への関心が高い選挙区』『参政意識の高い地域』には“半端な候補は立てられ難く”なるかも知れやせんゼ
草木も生えない絶海の孤島で 食料も尽きた時①うんこ味のカレー②カレー味のうんこ③絶食の三択なら 理屈的には①でしょうね。ただ感覚的には①も気持ちが悪くて ③を選ぶのは 本当にひもじくないからでしょう。
>日共は金太郎飴
私は路線が間違って居なければ日共もありだと思いますが、肝心の路線が間違ってしまったので離党しました。更に悪い事に最近の日共は候補者への教育不足のせいか私基準でみても到底日共公認候補とは思えないお粗末な候補までワラワラと登場し始めました。
せめて均一な品質を保証する金太郎飴であって欲しいです。「党を選ぶ」比例代表選挙方式で無くとも現代の選挙は政党選挙にならざるを得ず、候補者の「品質」を保証するのも政党の責任ともうせましょう
お疲れ様です。
私見ですが、議員選挙投票の棄権は、どんな酷いやつが当選し、どんな酷い政治をやろうが文句言わない、と宣言するのと同義だと小生は思っています。
前も書いた気がしますが選挙の度に都度考えさせられます。
これは、ブログ主とは意見が違うのですが。
個人的には、正直なところ、政治に参加しない人は無理に参加してくれない方がいいと思っています。
当時の首相が大変に批判された「無党派層は寝ててくれ」じゃないですが。その人達の政治意識なんて、所詮はその程度のものです。
民主党政権に政権交代したときの投票率なんて、一気に上がっています。
これは、普段政治なんてろくに追ってもいない層が、政治の実務力なんてものも考えずに民主党に投票しようとした結果だと見ています。
その結果が、あの実務能力皆無の非常識政治です。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
どのメニューも食べられたものでないと言うのなら、食べなくて結構。その人たちは餓死してくれていい。
だって、彼らが望んでいるものは非現実的な夢物語なのですから。
彼らに夢物語を追われることで政治の混乱を招かれるくらいなら、いっそ参加してくれない方が、混乱が少ない結果となるように思うのです。
>個人的には、正直なところ、政治に参加しない人は無理に参加してくれない方がいいと思っています。
完璧な間違いです。
民主主義国では少なくともすべての有権者に選択をする権限が与えられており、その権限を行使しないことを正当化するロジックは成り立ちません。
>どのメニューも食べられたものでないと言うのなら、食べなくて結構。その人たちは餓死してくれていい。
>だって、彼らが望んでいるものは非現実的な夢物語なのですから。
非現実的な議論です。
投票に参加しない有権者がいることで逆選択が行われます。「食べなかった人」だけでなく「ちゃんと食堂に行った人」にも累が及ぶからです。
要するに、権利を行使しないと権利は保障されない。ということを仰りたいのでしょうか?
それは、一理あると思います。だから、最善は国民が当事者意識を持って選挙権を行使することだと自分も思います。
その上で、パターンを考えるとこのようになると思います
①政治への意識関心が高い人達によって、高い投票率を実現する
②政治への意識関心が低い人達によって、高い投票率を実現する
③政治への意識関心が高い人達によって、低い投票率を実現する
④政治への意識関心が低い人達によって、低い投票率を実現する
この中で、勿論理想は①です。国民はそれを目指すべきです。
次に、②③④の組み合わせの中で、どれが最も政治的混乱を招く可能性が低いかと考えると、それは③だと自分は判断します。
④は論外として、②の結果が民主党政権への政権交代だと考えているので。
自分が言っているのは、②になるよりは③の方がマシだという話です。
>逆選択が行われます
そうでしょうか? 民主党政権への政権交代を見るに、これは投票に参加されることで逆選択が起きたと自分は見ています。
なので自分は、このような逆選択を行う投票者こそ、淘汰されるべきだと考えます。
それを国民全体のレベルだとして、累を及ぼされるのは勘弁願いたいので。
2009年においてはそれまで投票したことがないであろう層がこぞって民主党に投票したとの推察はその通りですが、そもそも民主主義においてはこのような逆選択は生じ得るからです。
それも含めての民主主義です。
当ウェブサイトで平素より「民主主義残すとは高く付く」と申し上げているのはそういうことです。
ちなみに2009年と真逆の現象は2005年にも生じており、その際は自民党が圧勝していますので、「それまで投票したことがない層」が投票したら常に野党が勝つとはいえません。
いずれにせよ、「普段投票に行かない層がある日突然投票に来る」とおかしな選択がなされるリスクはありますが、そうしたリスクを抑え込むためにも、平素から投票率を上げなければならないのです。
ついでに「おかしな報道をする新聞やテレビは相手にするな」という教訓もあるのですが、本稿では文字数とアップ時間の兼ね合いでその論点については割愛していますことをご了承下さい。
>当ウェブサイトで平素より「民主主義のコストは高く付く」と申し上げているのはそういうことです。
こちらも全記事を追っているわけではないので、それは多分見逃しています。
ただ、そういう価値観からの主張であるというのなら、理解します。要するに、民主党政権のようなものが誕生するリスクも覚悟の上ということなのですね。
自分の価値観だと、そういうコストやリスクは極力避けるべきだというのが先に来るので、あのような主張となります。
>そうしたリスクを抑え込むためにも、平素から投票率を上げなければならないのです。
投票率が低いままだと、将来的にこのような別のリスクが発生するということも分かりますが。
自分には、このコストやリスクを許容するのは難しいですね。
ただ、本当に政治に意識関心があるつもりなら、棄権とか白票とか言わずに選挙に行けということになるのは。自分も同じだと言うことは言わせて頂きます。
もう少し追記です。
>2005年にも生じており、その際は自民党が圧勝していますので、
自分はこれも、良いことだったとは思っていないのです。
当時は小泉政権ですが、これも劇場型政治であり軽佻浮薄な層の民意の反映し、混乱を招く結果となったと考えているので。
野党が勝つからとか、与党が勝つからとかという視点で見て言っているわけではないという補足説明です。
匿名氏の主張は要するに「バカは黙ってろ!」で’選民思想への入り口のひとつ’ではないかと思いますが。
>これも劇場型政治であり軽佻浮薄な層の民意の反映し、混乱を招く結果となったと考えている
であるなら、サイト主の取り組みは考えて投票に参加するところから参政権を行使することを普遍化させていくことで匿名氏の言う「軽佻浮薄な層」を薄くしていこうという誘導ではないのですか?
>'選民思想への入り口のひとつ'ではないかと思いますが。
いえ? まさしく自分はそう言っています。
エンタメ作品を真似して言うのなら「馬鹿に選挙権を与えるな」「夢物語を追って餓死していろ」みたいな。
とはいえ、「①政治への意識関心が高い人達によって、高い投票率を実現する」を追うべきと言っているように、これが本気で良いとも思っているわけではありません。
なので、同時に自分はこうも言いたいのです。
「馬鹿でないつもりなら選挙に行きましょう」「当事者意識を持って政治に向き合い、いつまでも非現実的な夢物語を追って文句ばっかり言うのを止めましょう」といったことです。
棄権とか白票とか言っている人達は、選挙権を行使せず、一部の人達だけが選挙権を行使出来る、そんな選民思想の時代に逆行させたいのですか? と。
>サイト主の取り組みは考えて投票に参加するところから参政権を行使することを普遍化させていくことで
これについては、互いに価値観の違いがある。ブログ主の価値観をおかしいとは言いませんが、自分のリスク回避最優先な価値観だとこうなるという、主張の説明です。
まず、目指すべき姿は一致していると思います。政治に高い意識関心を持つ人達が、高い投票率を実現させるべきだという。
そのアプローチ方法として、意識の低い人達を無理矢理選挙に行かせても、ろくな事にならんのではないかという思いがあり、その点のみ自分はあまりブログ主の主張には賛同出来ないです。
政治も、その当事者である国民の意識も一朝一夕には変わらない。
国民は当事者意識を持って、自立して投票に行って貰いたい。
なので、気の遠くなる話ですが。例えば「あなたなら具体的にどういう手段を考える?」という答えを問い掛け続け、そういう層を増やす方がよいのではないかというのが自分の考えです。
目指すところは恐らく同じだけれど、アプローチ法が違うという話です。
①賢い民達による民主的政治
②賢い選民による選民的政治
③衆愚達による民主的政治
④愚かな選民による選民的政治
この中から順番を付けるとして、②③のどちらがマシか選ぶのは人によって違うと思いますが。
自分は②の方が③よりもマシだと考えています。②である間は、まだ国は踏み止まっていられるからです。②から④に移行してしまうリスクもありますが。
①に持っていくために、まず政治に強請るだけの衆愚を淘汰すべきだというのが自分の考えです。
それも出来れば、賢い民へと成長するという形で、淘汰されて欲しいです。多分に、何様な考え方しているとは自分でも自覚していますが。
教育の問題ですかね。権利は与えるのではなく、勝ち取るからこそ手にしているものの価値がある。その権利は勝ち取ったものだという意識を持って貰うにはどうすれば? そんな事考えています。
選挙制度と言うモノは暴力行為を否定するモノとして機能しております。つまり暴力革命によって政権転覆は許さない代わりに自己の政治主張を多少なりともかなえる候補者(政党)に投票して住人や国民全体の妥協と融和と統治への納得を取り付ける。或いは取り付けた建てつけで政権を運営し統治を合法化するのです。
つまり「候補者知らないし俺は選挙何て期待しない、無関係。だから投票しない」と言う事は、潜在的には「俺はこの政権の統治に合法性があると思わないのでコッソリ武器を集めていつか武装蜂起して転覆させてやる」と言うテロリストと外形的に大差ない。アナーキストはこうして爆弾テロなどに走りがちだった歴史があります。
治安維持の観点から取り敢えず投票行動に参加するべきだし、「選挙なんて行かないさ」などと軽々に主張すべきではないのです
田中芳樹(著)の「銀河英雄伝説」の銀河帝国誕生の部分や、古代アテネ崩壊の歴史書を思い出しました。
岸田や岸信夫の息子は、この世には銀河帝国の門閥貴族並みに
馬鹿で不快な無能世襲がいるのだなぁと感心させられた。
10,000,000,000,000回。
1回/秒としてざっと計算すると
31万6千880年...。
人類がネアンデルタール人だった頃から謝り続ける必要があるのか。
K国人の半万年謝れ、なんて可愛いものですねぇ。
サイトの主催者様が本文でもコメント欄でも熱く語っていらっしゃるのを見て、自分も、ちゃんと投票しなきゃいかんな、という思いを改めて確認した次第です。
さて、自分の居住場所が属する選挙区は、国民だったら誰もがその名を知っているスター的な立憲民主党議員の牙城です。(最近はそれなりにお年を召した感じもいたしますが、まだまだ往年の人気は衰えておりません。)
そこに、自民党新人候補等が挑む形になるのですが、おそらく、目もくらむようなオーラを放つ立憲民主党のスター議員に相当苦戦を強いられるんじゃないかという気がしてならない、ちょっとしょっぱい構図になっております。
自分は、おそらく、小選挙区制の投票用紙には、自民党の新人候補の名前を書くと思います。勝算はどうかといったところですが、いくら立憲のスター議員個人がそれなりに人気だったとしても、立憲民主党に政権を任せる気には全くなれないからです。
それでは、比例にはどの政党を選ぼうかということですが、いつもだったら、全く迷いなく自民党一択です。しかし、今回は、自民党内で、安倍派潰しと解釈されかねない候補者非公認とか、比例区との重複立候補禁止とかといった、内紛めいたゴタゴタが顕在化しており、判断が要るところかと思っております。
といっても、方針はほぼ決まっており、もし比例票を自民党に入れたとしても、旧安倍派や高市さんを支持する議員が当選する見込みがほとんどないのであれば、自民党に票を入れても意味はないので、自民党ではない保守系の政党(維新か国民民主か、維新は最近グダグダなので、国民民主かなぁ・・・)に投票することになると思います。(立憲のような寄生虫政党を排除するためにも、自民党と対等に張りあえる保守系野党を長期的視野で育てることが必要と思います。)
確かに、自分が住んでいるところによっては、だれに投票したらいいんだよと頭を抱える状況も発生するかもしれませんが、だからといって投票棄権するとか白票を投じるとかというのは、ちょっと違うんじゃないかという気がいたします。自分はどうしようかというシミュレーションを上記のとおりやってみましたけど、おそらく異論反論もあるんじゃないでしょうか。いずれにしろ、自分の意志も投票行動で示さずに逃げた奴に、後から四の五の文句垂れる権利はない、という点だけは、はっきりと言わせていただこうと思います。
(全く同じ理由で、今回、石破さん率いる自民党執行部に理不尽にも非公認にされた、いわゆる裏金議員さんとか、比例重複立候補を認められなかった人たちとかは、尻尾巻いて懐柔されるのではなく、しっかり選挙戦を戦って勝ち上がり、正面から正々堂々と石破さん率いる自民党執行部に反抗してほしいなぁと、強く期待する次第であります。)
匿名のコメント主様、
素晴らしいご意見、ありがとうございます。もしもご自身で熟慮の上、判断を下し、投票するのであれば、どの候補者、どの政党であっても問題ないと思います。
すなわち何らかの合理的な判断に基づくのであれば、ご指摘の政党以外であっても、極端な話、立憲民主党だろうが、社民党だろうが、れいわ新選組だろうが、日本保守党だろうが、参政党だろうが、あるいは日本共産党だろうが、それはその有権者の選択だからです。
ちなみに当ウェブサイトでは「特定の候補者/政党に票を投じて欲しい」(あるいは「投じないで欲しい」)と呼び掛けることは極力控えていますが、著者自身の支持政党については当ウェブサイトの普段の記事を読んでいただけると、もしかするとバレバレかもしれませんね。
>いずれにしろ、自分の意志も投票行動で示さずに逃げた奴に、後から四の五の文句垂れる権利はない、という点だけは、はっきりと言わせていただこうと思います
そのご見解についてはおおむね支持致します。だからこそ、投票を呼び掛けたいと思う次第です。
なお、当ウェブサイトでは読者の皆さまの議論を妨害しないよう、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士はできるだけ読者コメント欄にお邪魔しないようにしており、これ以降は個別のコメント主様にメンションするのはできるだけ控えたいと思います。お目汚し失礼しました。
新宿会計士様
身に余るコメントを賜りまして、恐縮至極でございます。
以前も、当方が、経済産業省が韓国に便宜を図っている理由は、外務省の振り付けを受けた岸田総理(当時)が、経産大臣の頭越しに経産省の事務方に対応を指示しているからではないかという見立てを示した際に、ご賛同のコメントを頂戴したことがございました。その節は、当方、サイトの主催者様から直接コメントをいただいたことでビビってしまい、御礼も申し上げないまま、暫くの間ROMってしまいましたが、改めまして、当時の非礼をお詫び申し上げます。
当方、これまで、ハンドルネームを設定しないまま、時々「匿名」でコメントをさせていただいております。「誰が発言したか」よりも「何を発言したか」が重要と考えていることから、匿名のコメントがどこまで世間に通用するものなのか、お試しのつもりでコメントをさせていただいておりました。
今後もこんな感じで、たまにお邪魔させていただければと思っております。ご容赦いただけましたら幸甚です。
選挙は、投票に至る過程で「各々が政策課題を確認すること」に意義がある。
消極的な選択にあっても、『最悪の事態を回避する効果!』が期待できる。
選挙後の話。
投票した結果、自ら投票しない候補が当選したとしても、その結果に責任を負うのもセットだと思います。
憲法第15条4項に「選挙人は,その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」とありますので、有権者がどのような投票行動をとったとしても、そのことに関して他人にとやかく言われる筋合いはないと思います。
あと、ブログ主様が常々熱弁する様を見ていると、あることを思い出します。
ときは2016年の7月の東京都知事選、候補の一人である鳥越俊太郎氏が巣鴨で街頭演説した際のことです。
多くの聴衆を長時間待たせたあげくわずか40秒で演説を切り上げ(盟友の森進一氏にかわりに演説させる!)多大な顰蹙をかったことがありましたが。
その際に支持者とおぼしき高齢の女性が「今は鳥越さんに入れるしかないでしょ それしかないんだから」と落胆する聴衆に向けて大声で叫ぶ動画が拡散されました。
私の視点ではブログ主も件の女性もやってることは同じに見えるんですよ、個人的な感想ですけど。
昨日は「読者コメント欄にお伺いするのはできるだけ控える」と申し上げたばかりですが、こちらの匿名様のコメントを読む限り、当ウェブサイトの記事を巡り、かなりの誤読があるようですので補足します。
「今は●●さんに入れるしかないでしょ それしかないんだから」。
当ウェブサイトでいつ、そんなことを申し上げたのでしょうか?
当ウェブサイトでは「選挙に行け」と主張しているわけであり、「自民党に投票しろ」などと主張したことはありません。「たとえば高市早苗氏に総理総裁になってもらいたいならば自民党を支持すべき」、「自民党は石破氏を党則に基づき総裁に選んだのだから、自民党関係者は石破体制をしっかり支えるべき」とは申し上げましたが、「有権者は自民党を支持すべき」と申し上げたつもりはありません。
もし当ウェブサイトが「自民党が勝利すること」=「良いこと」だと主張している、などと誤読しているならば、申し訳ありませんが、それはあなた様の読解力の問題です(昨日のコメントで2005年の選挙で自民党が圧勝したことを取り上げた際、別の匿名のコメント主の方も、「自民党が勝つのは良いこと」だとウェブ主が主張しているかの誤読をされていたようですが)。
当ウェブサイトで述べてもいない内容を勝手にでっち上げて、
「私の視点ではブログ主も件の女性もやってることは同じに見えるんですよ、個人的な感想ですけど。」
は、少しヤバいと思いますよ。
「個人的感想」を付ければ何でも許されるというのは、(当ウェブサイトではウェブ主に対する批判・侮辱等の行為は禁止事項ではありませんので)当ウェブサイトでは通用するかもしれませんが、ネット空間だとおそらく通用しないと思います、老婆心ながら。
今度こそ(多分)本当に、読者コメント欄から消えます(また出現するかもしれませんが…笑)
>「自民党が勝つのは良いこと」だとウェブ主が主張しているかの誤読をされていたようですが)。
いやそれ、ブログ主の誤読です。
自民党の圧勝の例を持ち出してくる当たり、「自民党が勝つのは良いこと」だと自分が思っているかのように、ブログ主が勘違いしているかのように思えたので。
もしそういう勘違いされているのなら、自分はそういうつもりじゃないですよという説明です。
だから、「野党が勝つからとか、与党が勝つからとかという視点で見て言っているわけではない」という答えになります。
>いやそれ、ブログ主の誤読です。
そう思いたければどうぞご自由に(誤読しているのは明らかにあなたの方だと思いますが以下自粛
いずれにせよ、あなた様にこれ以上コメントするのは控えます。ここは「新宿会計士の政治経済評論」と名乗っている通り、ウェブ主の側が圧倒的な力を持っているため、こちらからこれ以上コメント欄で意見を述べるのはアンフェアだからです。
(なお、あなた様のコメントに当ウェブサイトのルール違反はないので、ルール違反がない限りにおいてはコメントを削除することはしませんのでご安心ください)。
左様ですか。
では、自分は「『自民党が勝つのは良いこと』だとウェブ主が主張している」などといった誤解は全くしていないということだけは、改めて言わせて頂きます。
その点、ご安心下さい。
ブログ主さんに誤読される文章だったんじゃね?ブログ主さんの指摘を分り易く言い換えれば
「あんた文章力ないね」
そういう、当人が言ってもいないことを勝手に代弁して批判するというのは、発言の責任を転嫁しているという意味で卑怯であり、その当人に対しても失礼極まりない真似だと思います。
何らかの主張をするのなら、何をどう考えてその結論に至ったのかをあなたご自身の言葉で、説明して下さい。
それが、最低限の礼儀というものだと思います。
>自分は「『自民党が勝つのは良いこと』だとウェブ主が主張している」などといった誤解は全くしていないということだけは、改めて言わせて頂きます
ここまでまわりくどくてイラっとする文章は久しぶりに見た。日本語の特性とはいえ、無理やり一文にするのは、文章力ないねといわれても仕方ないと思います。
試しにGoogle 翻訳:
I would like to reiterate that I have absolutely no misunderstanding that the webmaster is claiming that it is a good thing for the LDP to win.
thatが多すぎて、ますますわけがわからなくなった。
(新宿会計士 注)
このコメントは過度の侮辱に該当するため削除しております。
コメント主様 各位
当ウェブサイトでは品位を保つことを各コメント主様にお願いしております。
非難の応酬および他のコメント主に対する過度な侮辱はお控えください。
あきらかな罵詈雑言につきましては削除するほか、これ以上の荒らし行為につきましては適切な対処を講じる可能性があります。
昔何かの記事で読んだことがあるが「自分のことを頭が良いと勘違いしている人が書く文章って回りっくどくて意味が伝わらない」っていうよね。これ本当だと思う。
>何らかの主張をするのなら、何をどう考えてその結論に至ったのかをあなたご自身の言葉で、説明して下さい。
新宿会計士氏の
>そう思いたければどうぞご自由に(誤読しているのは明らかにあなたの方だと思いますが以下自粛
の「以下自粛」の辺りで行間を読めない辺りかな。
その船を漕いでゆけ~ おまえの手で漕いでゆけ~
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな~
ほら、ブログ主の真意はたった2行でもあらわせる 中島みゆきは偉大だなぁ
同じに見える人なんて「消えて喜ぶ者」側なのかな?