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新聞業界「印刷配送共通化」で高まるドミノ倒しリスク

新聞業界の苦境が続くなか、当ウェブサイトの予測だと、夕刊は下手をするとあと数年で消滅してしまうかもしれません。こうしたなかでデイリー新潮が金曜日、『夕刊フジ』が来年1月に休刊する可能性があると報じました。これについて産経新聞社はノーコメントとしているようですが、それよりも興味深いのが、ライバル会社同士などが最近、新聞の配送や印刷などを共通化し始めているらしい、という点です。1社潰れたらドミノ倒しとなる可能性はないのでしょうか?

インチキ論説の答え合わせ

「新聞業界を支える特殊負担金」という支離滅裂な主張

昨日の『【インチキ論説】新聞版「特殊負担金」で民主主義守れ』、いかがでしたでしょうか。

我ながら読み返してみて、なかなか良い具合に「ぶっ飛んでいる」と主張だと思います(※ほめてない)。

ポイントは、次の通りです。

NHKという公共放送を支えるために受信料という特殊な負担金が存在するのだから、新聞という公共財を支えるための特殊な負担金を各家庭から半強制的に取り立てるべき」。

いわば、NHKは誰も見ていなくても受信料を半強制的に取り立てることができるのですから、新聞社も「誰も読んでいない新聞購読料」を半強制的に取り立てる仕組みを導入せよ、というものです。

我ながら、これまた強烈かつ支離滅裂な主張です。

新聞というものも、物理的には「文字、写真などの情報を紙に印刷した製品」であり、多くの場合、この「製品」を作っているのは民間企業です(じっさい、主要全国紙などを発行している新聞社は多くの場合、「株式会社」組織です)。

そして、本来、新聞社とは民間企業に過ぎないわけですから、各社がそれぞれの方針で好き勝手に編集すれば良いわけですし、各社の経営者としては、その編集方針などについては「新聞が売れる/売れない」という結果責任を取れば済む話です。

ここに公共性の議論を持ち込むことが、そもそものボタンの掛け違いです。

新聞に公共財を名乗る資格はあるのか

あるいは、もしも新聞社が、自分たちが作っている新聞のことを「公共財」だと主張するのであれば、その新聞に掲載されている情報に「公共性がある」ということを、誰がどうやって担保しているのか、説明する責任があります。

以前の『「新聞版BPO」創設よりも自由競争貫徹の方が現実的』では、株式会社政策工房代表取締役の原英史氏が「新聞にも内容の正確性を担保するための『報道評議会』のようなものを作るべきだ」と提唱している、という話題を取り上げました。

原氏といえば、毎日新聞を相手取って2019年以降4年半の訴訟を戦ってきた人物でもあり、また、こうした提言が自身の訴訟などの実体験に基づいたものであることなどを踏まえると、この「新聞版BPO」なる提言には、かなりの説得力があります。

ただ、こんな提言が出て来る時点で、現在の新聞業界には自浄作用がない証拠でしょう。

実際、新聞業界では誤報や捏造報道問題などが頻繁に生じますが(※ネットが普及したことで、こうした新聞社の不適切報道がネットで簡単に拡散するようになったという事情もあるのかもしれません)、こうした問題報道が生じても、多くの新聞社は謝罪や再発防止策などを曖昧にしたままです。

メーカーなどが不祥事を発生させたときだと、新聞社やテレビ局などのマスコミ各社は、それこそ舌鋒鋭くそのメーカーを批判しますし、ときとして社長会見に押し掛けて謝罪コメントを要求したりしますが、そのわりに、自分たちの不祥事にはダンマリを貫くようなのです。

いずれにせよ、現在の日本の多くの新聞には、「公共財」を名乗る資格などありません。

NHKの特殊負担金理論もおかしい

ちょっとした余談です。

上記のような、「新聞には公共財を名乗る資格などない」、などと指摘すると、こういう反論をいただくかもしれません。

NHKだって公共放送としての特殊負担金(=受信料)を半強制的に徴収しているのだから、そのこととの整合性が付かないじゃないか」。

このご指摘は、まったくそのとおりです。

というよりも、じつは、「NHKには公共放送を名乗る資格がない」、とする点については、当ウェブサイトでもかなり以前からしばしば指摘して来た論点でもあります。

新聞業界で「新聞社の経営を支えるための特殊負担金制度を導入せよ」、などとする主張が出てくれば、NHKが(NHKの番組をまったく見てもいない人たちからも)受信料を半強制的に取り立てていることの不条理さに、改めて焦点が当たります。

だからこそ、NHK(やその管轄官庁である総務省)あたりは、こうした「特殊負担金」理論があまり騒がれるのを、本音では嫌がっているのかもしれません(ちなみに当ウェブサイトでは今後も、当ウェブサイトかNHKのいずれかが消滅するその日まで、この「特殊負担金」理論を徹底的に蒸し返していくでしょう)。

昨日の答え合わせ:メディア業界のメチャクチャな主張

さて、「特殊負担金として(新聞を読んでいない家庭も含めて)半強制的に新聞購読料を取り立てよ」、の部分以外にも、昨日のインチキ論考へのツッコミは、ほかにもたくさんあります。

たとえば、「記者の仕事は相手の発言を切り取ることだ」、だの、「記者は情報の専門家だ」と言いながら「記者は専門知識には詳しくない(から誤報したらそれは記者ではなく専門家の責任だ)」、だの、じつに甘ったれた発想がちりばめられているからです。

ただ、これらの主張は、どれも、当ウェブサイトが勝手にでっち上げたものではありません。

現実に、新聞・テレビ・雑誌などのマスメディア業界で働く人たち(あるいはフリーランスの記者となった人たち)などの発言を、丁寧につなぎ合わせたものです。

たとえば「発言の切り取りは記者の本業」、「切り取り報道の責任は切り取られる側にある」、のくだりは、『切り取り報道の責任は切り取られる側にあるとする珍説』でも取り上げた、某元大手雑誌編集長の発言をベースにしたものです。

また、「ネットだと情報がタコツボ化する」、「新聞だと情報のタコツボ化を防ぐことができる」のくだりは、『新聞は「価値がないから誰も読まないメディア」では?』で取り上げた、とある新聞社出身の方による「新聞を読めば情報タコツボ化を防げる」などとする主張をベースにしています。

さらには、「新聞記者には専門知識がない」のくだりは、今年1月に発生した能登半島地震を巡り、とある記者が官房長官に「支援物資や支援部隊をヘリコプターから空中投下・空中降下させるべき」と主張したエピソード(『例の記者「なぜパラシュート部隊を派遣しなかった?」』等参照)なども参考になります。

すなわち、新聞記者の多くはろくに専門知識もないくせに、素人的発想に基づいてトンチンカンなことを(よりにもよって官房長官記者会見などの場で)堂々と主張したりしますし、SNSなどで専門家による指摘を受けたら、「不当な攻撃を受けた!」などと大騒ぎしたりするのです。

果たして、これらのどこが、「情報発信のプロ」なのでしょうか?

「法治主義」ならぬ「報治主義」…林智裕氏の警告

しかも、大して専門的でもなく、情報も歪みまくっている新聞(やテレビ)などのメディアが社会的に大きな影響力を持ち、ときとして人々の投票行動に悪影響を与えて来た(例:2009年8月の衆議院議員総選挙など)ことを思い出しておくと、新聞が社会的影響力を持ち過ぎるのは、むしろ有害です。

これに関しては、福島県出身・在住のジャーナリストである林智裕氏の指摘が適切です。『上川発言報道問題で林智裕氏論考が「社会の停滞」警告』でも引用したとおり、林氏は日本のマスメディアについて、こう述べているからです。

マスメディアには専門的な知識と責任を担保する資格が不要かつ民主主義的な選挙で選ばれたわけでもない。任期はなく弾劾もできない。相応の責任を求められる制度すらない。情報開示の義務もない。これら巨大な権力が責任も問われず野放しにされたままでは、社会は国民主権ならぬメディア主権、法治主義ではなく『報治主義』にさえなりかねないのではないか」。

この林氏の指摘を当ウェブサイトなりに咀嚼(そしゃく)すれば、「マスコミは『第四の権力』を持つ『権力者』として振る舞ってきたが、その絶対権力が腐敗し切っている」、ということではないかと思うのです。

新聞危機は夕刊から始まる

足元から崩れるメディア主権…特に苦しい新聞事業

ただ、この「メディア主権」も、足元から崩れ始めています。

とりわけ新聞業界に関しては、部数の急激な減少が続き、経営がその高コスト体質に耐えられなくなりつつあるからです。

たとえば『朝日新聞部数はさらに減少:新聞事業は今期も営業赤字』でも取り上げましたが、業界最大手の一角を占める株式会社朝日新聞社の場合だと、連結セグメント利益は「メディア・コンテンツ事業」が2019年3月期以降で見て、22年3月期以外はいずれも赤字です。

また、『値上げなのに売上減の某中小企業は2期連続で営業赤字』でも取り上げたとおり、「税法上の中小企業」として知られる某新聞社の場合は、2018年3月期以降の7事業年度のうち、2022年3月期を除く6事業年度において、営業赤字を計上し続けています。

新聞は巨大な輪転機を備え、日々、大量の紙とインクを浪費し、刷り上がった瞬間情報が陳腐化する新聞という代物を日々生産し、それをトラックやバイク、自転車などで各家庭に人海戦術的に送り届けるというビジネスモデルが、このインターネット時代に適合していないことは明らかでしょう。

こうしたなかで、当ウェブサイトではこれまで、新聞についてはまず夕刊から衰亡する、とする仮説を立ててきました。一般社団法人日本新聞協会が公表している『新聞の発行部数と世帯数の推移』というデータが、その根拠のひとつです(図表)。

図表 新聞部数の状況
区分 2022年→2023年 2022年との比較
合計① 3085万部→2859万部 ▲226万部(▲7.31%)
セット部数 593万部→446万部 ▲147万部(▲24.83%)
朝刊単独部数 2440万部→2368万部 ▲72万部(▲2.95%)
夕刊単独部数 52万部→45万部 ▲7万部(▲12.60%)
合計② 3677万部→3305万部 ▲373万部(▲10.14%)
朝刊部数 3033万部→2814万部 ▲219万部(▲7.22%)
夕刊部数 645万部→491万部 ▲154万部(▲23.85%)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』データをもとに作成)

これによると、2023年10月時点の新聞の合計部数(上記図表の「合計①」)は、2859万部と、2022年10月時点と比べて226万部減りました。減少率でいえば7%少々です。

なぜ夕刊が危ういのか

ただ、新聞協会のデータは朝刊と夕刊のセット契約を「1部」としているため、このセット契約を「朝刊1部、夕刊1部、合計2部」とカウントし直した場合(上記図表の「合計②」)の減少部数は373万部となり、減少率だと10%を超えます。

そして、夕刊部数(新聞協会の元データの「夕刊単独部数」と「セット部数」の合計)に至っては、前年の645万部から、じつに491万部へと減りました。減少数は154万部、減少率だと23.85%、つまりたった1年で4分の1近い部数が失われた計算だからです。

もしこのペースで夕刊の減少が今後も続くなら、夕刊は朝刊に先駆けて、あと3~4年後にほぼ消滅に近い状態に追い込まれる可能性があります。

冷静に考えてみたら、夕刊は「その日に発生した話題を速報的に伝える」という役割を担っている反面、「速報性」「娯楽性」では、すでにインターネットにはとうてい太刀打ちできなくなっています。

もちろん、昨日の「インチキ論考」でも取り上げたとおり、ごく一部にはインターネット環境を持たず、新聞(やテレビ)に依存した生活を続けている人もいますが、残念ながら、こうした生活は、社会の圧倒的多数から受け入れられるものではありません。

したがって、新聞業界の中でもとくに社会的な役割が終焉に近づいている夕刊は、早ければあと数年で社会からほぼ駆逐され、今後の焦点は「朝刊がいつまでもつのか」に移っていくであろうことは、ほぼ間違いない、というのが著者自身の見方なのです。

夕刊の急速な部数減少は「休・廃刊」も原因?

ただ、この夕刊の急激な減少については、「人々が購読しなくなった(≒定期購読を解約した、新聞を買わなくなった)」ために生じたものなのか、「それ以外」の要因があるのかについては、議論があるところです。端的にいえば、「人々が買わなくなった」だけでなく、「新聞社も発行しなくなった」、という要因も見過ごせないのです。

実際、ここ1~2年の間、主要紙が夕刊事業から撤退し始めている、などとする報道を目にすることが増えているからです。

たとえば東海地区では2023年、毎日新聞が4月から、朝日新聞が5月から、それぞれ夕刊の発行を取り止めています。これにより、東海地区ではすでに夕刊から撤退している読売新聞を含め、全国紙3紙が夕刊発行を取り止めています。

この東海地区の事例は、東海地区でもともと中日新聞が圧倒的なシェアを誇っていて、パイ自体が縮小するなかで、夕刊発行が立ち行かなくなったという特殊事情があるのかもしれません。

ただ、中日新聞や東京新聞、西日本新聞などと並んで「ブロック紙」と呼ばれる有力地方紙の北海道新聞は昨年9月末で夕刊事業から撤退してしまいましたし、今年に入り東京新聞が9月以降、23区での夕刊発行を取りやめると発表しています。

夕刊をなくすという意味では、新聞社にとっては事業の後退と意識されるのかもしれませんが、経営分析的に見れば、収益を改善する効果が得られるのではないかと思われます。多くの新聞社において、夕刊の販売単価、販売部数に照らし、夕刊発行に伴うコストが見合っていない可能性が高いからです。

夕刊廃止で先例がある産経新聞社、今度は夕刊フジを休刊か?

こうしたなか、興味深いのが、夕刊廃止で先行した、産経新聞の事例です。

産経新聞は、現在も西日本地区では朝・夕刊の発行を続けているのですが、東日本だと、なんと2002年の時点ですでに夕刊発行を取り止めています。

そして、株式会社産業経済新聞社は現在、ウェブ版に力を入れているようであり、「ベーシックプラン」だと月額税込み990円で記事が読み放題となるようです(ちなみに紙面ビューワーが使用可能な「スタンダードプラン」だと月額税込み2,750円と約3倍になるようです)。

こうした産経の試みが今後、成功するのかどうかについてはよくわかりませんが、少なくとも情報は紙媒体ではなく、ウェブ媒体で提供するというのは、経営的な試みとして、方向性は間違っていないと思います。

こうしたなかで、ウェブ評論サイト『デイリー新潮』が金曜日に報じた、こんな記事も、気になるところです。

夕刊フジが来年1月で休刊か 「引き金はトラック運送費の値上げ?」ライバル紙が「むしろ大ピンチ」と戦々恐々するワケ

―――2024/07/26 19:14付 Yahoo!ニュースより【デイリー新潮配信】

デイリー新潮によると23日、産経新聞社の社長が開いた説明会で、同社が発行している『夕刊フジ』が来年1月で休刊するとの情報が駆け巡っているのだとか。

といっても、デイリー新潮の記事の末尾では、夕刊フジの休刊について産経新聞社広報部からは「お答えすることはありません」との回答があった、などと記載されている通り、本件については「確定した事実」と見るのは少し早いかもしれません。

しかし、記事によると「ある産経社員」は夕刊フジが(インターネットが普及し始めた)2006年頃からずっと赤字で、「厳しい経営が続いてきた」、「紙代がここ2年で40%も急騰した」という状況にあったとしつつ、社長から休刊の発表があった、などともしています。

「2006年からずっと赤字」。

何だか、にわかには信じがたい記載です。通常の企業だと、赤字の事業を延々続けることは難しいからです。(例外があるとすれば不動産事業などで儲けながらメディア事業を営んでいる、というパターンくらいでしょうか)。

印刷や配送を共通化する新聞業界

もっとも、「用紙代がこの2年で40%も急騰した」という部分については、夕刊フジだけの問題ではなく、新聞業界すべての問題ではないか、という点もさることながら、それ以上の興味深いのは、これまでの配送費用が「3社で割り勘だった」、とする記載です。

ある業界関係者は『引き金となったのはトラック運送費の値上げではないか』と語る」。

いわゆる「物流の2024年問題」、すなわちトラック運転手の残業規制が強化されたことでもたらされる物流費の急騰が、今回の夕刊フジの「休刊」の背景にあるという指摘ですが、そうなるといったいなにが発生するのでしょうか。

記事は「業界関係者」の話を引用し、こう続きます。

これが原因で実はライバル紙にとって、追い風どころかピンチになるというのだ。/3紙は休刊日を同じ日に合わせ、新聞を運ぶ輸送費を”割り勘”にして糊口をしのいできた。夕刊フジが休刊となれば、2等分だった割り当て分が2等分になるわけで、業界内は上を下への大騒ぎです

ここでいう「ライバル紙」とは、日刊ゲンダイと東京スポーツです。

「ライバル紙」同士の関係にある夕刊フジ、日刊ゲンダイ、東京スポーツの3紙がこれまで、配送の共通化で経費を節減して来た、とする話題もなかなかに興味深いところですが、じつは、「ライバル紙同士が配送を共通化している」という構図は、1社が崩れたら業界が総崩れになる可能性を示唆しています。

とくにそれが脅威となり得るのが、地方での印刷事情でしょう。

この手の「共通化」、「業務委託」などに関しては、わりと

たとえば全国紙のなかでも最近、地方での自前設備での印刷を断念し、他社(多くの場合は地元の地方紙)の工場で印刷を委託し始めている、という事例も見られます。

朝日新聞社、河北新報社への印刷委託を拡大 南東北全県へ

―――2023年3月8日 13時07分付 朝日新聞デジタル日本語版より

朝日新聞社と信濃毎日新聞社が印刷委受託で基本合意

―――2024/02/01付 株式会社朝日新聞社 コーポレートサイトより

読売新聞東京本社、信濃毎日新聞に24年から委託印刷…長野の朝刊

―――2022/10/26 23:54付 読売新聞オンラインより

これなど、「印刷や配送などを共通化しなければ生き残っていけない状況にまで、新聞業界が徐々に追い込まれつつある」という証拠でしょう。

業界「ドミノ倒し」論

ドミノ倒れリスクが現実のものに?

よって、デイリー新潮が報じた「3社で割り勘にしていた配送費用を2社で割り勘にしなければならない」という状況は、新聞業界が今後、ドミノ倒れになる可能性があることを強く示唆しています。

実際、つい先日は毎日新聞が今年9月以降、富山県への配送を取り止めるとする話題を取り上げたばかりですが(『毎日新聞が富山県での配送を停止へ:他紙への波及は?』等参照)、地方での全国紙の販売は低迷しているようであり、他社がこれに続く可能性はあります。

また、地方紙にとっては全国紙の印刷を受託することで受託料が入ってくるというメリットもありますが、もしその地方紙が倒産してしまえば、その地方ではその地方紙だけでなく、全国紙すら読めなくなってしまう可能性がある、ということでもあるのです。

この点、「夕刊フジの休刊」を確定した事実と見るには少し早いかもしれませんが、いずれにせよ、紙媒体のメディアには、深刻な受難の時代が訪れつつあることだけは、間違いありません。

あくまでも個人的な予測ですが、どのみち夕刊はあと数年でほとんど「絶滅」に近い状況に追い込まれると思います。

もちろん、大都市圏などで自前の配送網を持っているなどの新聞社は、しばらくは夕刊発行を粘るかもしれませんが、そもそも働き手も不足しているなかで、櫛の歯が欠けるように主要紙が夕刊から撤退するという動きが続けば、業界全体で夕刊を発行していられなくなる可能性が濃厚だからです。

ただし、新聞業界の受難は、「夕刊絶滅」だけでは終わりません。

おそらく「夕刊の廃刊ラッシュ」のその後は、経営体力のない社がバタバタと倒産していき、いくつかの地方では新聞の独自配送網が維持できなくなり、「新聞が郵便で送られる」という事例や、さらに最悪のケースだと、その地方から新聞自体がなくなる、といった事例も出てくる可能性があるからです。

いや、新聞部数が今のペースで減少し続けるならば、それは「可能性がある」、という話ではなく、「確実にそうなる」でしょう。

そうなると、やはり「新聞の灯を守れ」とばかりに、新聞業界からは政府に対し、「新聞補助金」の交付を求める意見が出現してくるに違いない、といったところまで予想している次第です。

本日の事務連絡

なお、当ウェブサイトにいつも無慈悲なコメントを書き込む「農民」様というコメント主様に、事務連絡です。

当ウェブサイトに掲載のインチキ論考の主張「新聞の灯を消すわけにはいかないのだ」に対し、こんな心無いコメントを書き込むのは、いったいどういう了見でしょうか。

OK、全部燃やしておしまい。新聞購読費の勘定科目が”動力光熱費”になれば、堂々と軽減税率でも負担金でもイケるイケる。新聞社は燃油各社と、販売店はGSと自由競争だ」。

これについてはたしかに当ウェブサイトとしても、以前、『新聞の新たな活用法…「新聞読まずにかまどで燃やす」』などでも、「これからの世の中、新聞は非常時に備え、燃料として燃やすべき」と主張したことは認めます。

あるいは、新聞には「読む」だけでなく、天ぷらの余分な油を吸わせたり、雨で濡れた革靴を乾かしたり、窓のふき掃除に使ったり、ペットのトイレに活用したり、はたまた子供の習字、足の爪切り、引っ越しや荷造りの緩衝材など、広範囲な用途があると述べたこともないわけではありません。

だからといって、「全部燃やしておしまい」、とは、あまりに無慈悲すぎやしないでしょうか。

そんなことを言い出せば、新聞紙の吸水性能や燃焼性能をもっと高めるためには、いっそのこと、「インクがいっさい含まれていない新聞紙」―――、すなわち「何も書かれていない新聞紙」の方が、はるかに有用度が高い、という事になりかねないではないか―――。

そう考えていたら、『無地新聞紙』なるリンクがアマゾンなどでいくらでも見つかるのには、正直、驚いてしまったというオチが付いてしまった次第です。

新宿会計士:

View Comments (17)

  • 東京の江東区に工場を持つ東日印刷のかたと名刺交換したことがあります。時期は 2019 年の春先で場所は六本木の JETRO オフィス、インド人材活用セミナー(正式名称は違います)の場でした。
    彼らはお気楽な人でした。英語が使えない俺たちだけれどインド人ほか外国人社員を使ってうまく事業をやっている。この発言は諧謔を含み小気味よく、同時に一体誰への当てこすりだ(いくつか可能性あり)とのほのかな疑念を抱かせるものでもありました。

  • >通常の企業だと、赤字の事業を延々続けることは難しいからです。

    例えば、毎年の赤字が10億円で撤退コストが100億円だと、撤退コストが賄えなければ毎年10億円を垂れ流す事を選択するんじゃないかと。

    トータルでなんとか黒字なら特に。

  • > 「インクがいっさい含まれていない新聞紙」―――、すなわち「何も書かれていない新聞紙」の方が、はるかに有用度が高い、という事になりかねないではないか―――。

    いえいえ、インクの染みた新聞紙は刃物研ぎの最終の潤滑剤、汚物を包んで捨てる場合の防臭効果にも大いに有用度が高いです。
    私は新聞購読をやめて久しいですが、過去の新聞をずっと保管していて上記用途のために有用しています。でもその在庫も無くなりそうなのが最近の私の心配事です。

  • >全国紙のなかでも最近、地方での自前設備での印刷を断念し、他社(多くの場合は地元の地方紙)の工場で印刷を委託し始めている、という事例も見られます。

    朝刊だけにするということは輪転機のキャパシティーが余るということ。いくらキャパシティーが余っても朝刊をだらだら朝の7時まで印刷することはできない。つまり輪転機は1日の大半はアイドル状態になってしまうという事ではないか。新聞印刷に特化した機械なので他に使い道はない。他社のキャパシティーをシェアしようという窮余の策だろう。
    次ぎに起きるのは輪転機の減損処理と廃棄。新聞業界以外に使い道はないので鉄くずとして売ることになる。さらに工場の減損処理、印刷工の希望退職。日頃きれいごと言ってるからしっかりルールにのっとって希望退職者を募らなければならない。

  • 輪転機も配送もいらない方法がある。「壁新聞」だ。
    よく考えるとweb版の新聞って壁新聞だよね。

  • 毎度、ばかばかしいお話を。
    新聞社:「新聞の印刷配達共通化しておけば、何があった時、他社の責任にできるのではないか。そう上に報告できるのではないか」
    これって、笑い話ですよね。

  • 「イノベーションが欲しい
     新聞記者が今日も耽る売り上げV字回復の白昼夢」

    • どこの会社のオジサン社員(?)もオジサン共産党党員(?)も、売り上げV字回復してくれるイノベーションを待っているのではないか。

  •  日刊ゲンダイは創刊時協會に入れて貰へず、未だに新聞ではないのではないか。横濱の新聞博物館には加盟社の社名ロゴが壁面一面に有る(現在も有るかは不知)が、當然日刊ゲンダイは見當らなかつた。
     講談社は第三種認可の爲に毎日發行の雜誌と云ふ奇策で乘り切つたのだが、此もライバル出現を切磋琢磨の好機とせず只管利權確保を圖つた新聞協會の閉鎖性の好例である。しかし其が今や他の協會加盟二紙の配送を支へてゐるのは何共皮肉である。

  • >夕刊フジが(インターネットが普及し始めた)2006年頃からずっと赤字

    減価償却費相当額を使って「資金繰りを穴埋め」してきたんじゃないのだろうか?
    今回の撤退は、各種設備の維持・更新の滞りによるものでもあるのかもですね。

  • 物理的な製造工程を整理統合して規模の維持拡大をすることでコスト低減を図る。
    半導体業界では製造工程の費用負担増大に1社では耐えられなくなった過去からあったことです。
    結果、半導体業界では設計を専業とするファブレス半導体メーカーが生き残ることができました。競争力の源泉部分を「設計」に込めることで差別化を図ることができたからです。
    一方、新聞業界。
    ファブレス新聞社にとっての競争力の源泉は「記事」。
    現在でもATMと比喩される様に、差別化など出来ていないのが実態。
    各々が独立したファブレス新聞社として存続するのは難しい。
    統合する可能性が大きいでしょう。
    銀行の合併併合後の名前みたいに最初は「朝日東京毎日新聞」。
    長いので「ATM新聞」に改名。いや、銀行を見習って「とまと新聞」かな?
    或いは朱系なのでやっぱり「アカ新聞」。
    って未来を想像します。

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