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    Categories: 金融

【総論】「国の借金」説は、どこがどう誤っているのか

3番目の外貨準備組入れ通貨…これのいったいどこが「信頼を失っている通貨」なのでしょうか?

巷間で最近よく見かける「国の借金」プロパガンダは、たいていの場合、その冒頭から間違っています。というのも、そもそも「国の借金」などという概念は、存在しないからです。本稿では大事な「総論」として、この「国の借金」論のどこがどう不適切なのか、改めて詳細に論じてみたいと思います。そのうえで、私たち国民が有権者として懸命に振る舞うことが必要だ、という点についても、あわせて指摘しておきたいと思う次第です。

プロローグ:円の実力

国際通貨基金(IMF)が公表する「COFER」と呼ばれる統計がある。統計の正式な名称は “Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves” で、日本語に訳せば、さしずめ「外貨準備構成通貨統計」といったところだろうか。

このCOFERではIMFが把握している全世界の外貨準備高の通貨別合計について、1999年3月末時点以降の四半期ごとに、米ドル、ユーロ、日本円、英ポンド、スイスフランの5通貨について、外貨準備の内訳が示されてきた。

これに加えて2012年12月以降は豪ドルと加ドルが、16年12月以降は人民元が、それぞれ追加されており、現時点ではこの8通貨の通貨別構成を知ることができる(ただし、公開されているのは合計値ベースに過ぎず、各国別のデータは開示されていない)。

現時点で手に入る最新データは2023年12月末時点のものだが、これを示すと図表1のとおりだ。

図表1 外貨準備の通貨別構成内訳(2023年12月末時点)
通貨 2023年12月末時点 構成割合
米ドル 6兆6871億ドル 58.41%
ユーロ 2兆2876億ドル 19.98%
日本円 6529億ドル 5.70%
英ポンド 5539億ドル 4.84%
加ドル 2953億ドル 2.58%
人民元 2617億ドル 2.29%
豪ドル 2418億ドル 2.11%
スイスフラン 264億ドル 0.23%
その他 4428億ドル 3.87%
内訳判明分 11兆4494億ドル 100.00%
内訳不明分 8831億ドル
合計 12兆3325億ドル

(【出所】International Monetary Fund, Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves データをもとに作成)

これによると、外貨準備の構成通貨の内訳が判明する11兆4494億ドル分のうち、米ドルは6兆6871億ドルで58.41%、ユーロは2兆2876億ドルで19.98%を占めているが、3番目の通貨が我らが日本円であり、金額は6529億ドル、割合は5.70%だ。

ちなみにこれを、国際決済銀行(BIS)が公表している為替相場で円換算したら約92兆円であり、円ベースで見れば過去最多だ。世界各国が保有している外貨準備を、ドルベースで見た場合と円ベースで見た場合に分けてグラフ化してみると、よくわかる(図表2)。

図表2 外貨準備の日本円(ドル表示と日本円表示)

(【出所】International Monetary Fund, Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves および The Bank for International Settlements, Bilateral exchange rates time series デfータをもとに作成)

2020年12月以降は円安のためだろうか、各国が保有する円建ての外貨準備高(ドル換算後のもの)は足踏み傾向にあるが、円建てで見てみれば増える一方であり、この調子でいけば、早ければ1~2年のうちに100兆円台に到達する可能性もありそうだ。

これを、どう考えるか――。

そもそも論だが、外貨準備とは各国の通貨当局が為替変動や通貨危機などに備えて保有する資産であり、わが国の場合は基本的に財務省(外国為替資金特別会計)が外貨準備を管理しているほか、その一部は日銀も保有している(日銀『外貨準備とは何ですか?』等参照)。

あくまでも一般論だが、外貨準備は海外中央銀行等への預け金、高い流動性や信用力を持つ外国国債などで保有されることが多く、多くの場合は安全性が重視される。

そして、諸外国が保有する外貨準備のうちの6%弱が日本円であり、かつ、その金額も(円ベースで見れば)過去最大水準に達しているという事実を考慮すれば、少なくとも現時点において、日本円の信任が傷ついているという可能性は、極めて低いと考えて良いだろう。

国債はデフォルトするのか

問題の所在

少し、プロローグが長くなりましたが、ここからいよいよ本論に入っていきましょう。

本稿では「総論」として、「国の借金」が増え過ぎたときに問題とならないのかについて、その基本的な考え方をまとめてみたいと思います。

最近、ニューズ・ポータル・サイトやSNSなどでは、「国の借金が増え過ぎれば日本円の価値が暴落する」といった言説をまたぞろ見かけるようになりました。また、これに加えてここ2年ほどの円安傾向に関連し、「円の紙屑化」といった過激な表現も見かけます。

余談ですが、もし「円が紙屑化する」、などと本気で思っていらっしゃるのならば、そのような方は今すぐ、お手持ちの日本円を『新宿会計士の政治経済評論』に全額ご寄附いただければよいのではないでしょうか(いつでも受付しております)。

ただ、「円の紙屑化」もさることながら、「財政破綻」などの表現、非常にわかりやすい反面、その理論はデタラメです。

ここで「財政破綻」が意味するところは定かではありませんが、「財政破綻論」を唱えている人たちの主張から解釈すると、多くの場合は「国の借金が返せなくなる状態」や、「ハイパーインフレなどが生じて通貨価値が暴落する状態」などを意味しているようです。

果たして、そんなことは生じるのか――。

国債デフォルトの3要件

結論的にいえば、国債のデフォルトも、通貨価値の暴落も、どちらも「理論的には」生じ得ますが、現在の日本に関していえば、「現実的には」可能性が極めて低いものであると結論付けて良いでしょう。とりわけ国債デフォルトについては、今この文章を読んでいるあなたの頭上に隕石が降ってくる程度の確率に過ぎません。

なぜか。

まず、国債のデフォルトが生じるためには、「国債デフォルトの3要件」を「すべて」満たす必要があります。それは、国債を①国内投資家が引き受けてくれず、②海外投資家も引き受けてくれず、そして③中央銀行すら引き受けてくれない、という状況です。

国債デフォルトの3要件
  1. 国内投資家が国債を引き受けてくれないこと
  2. 海外投資家が国債を引き受けてくれないこと
  3. その国の中央銀行が国債を引き受けてくれないこと

©新宿会計士の政治経済評論

資金循環構造上、「閉鎖経済」の前提を取っていれば、資金授受は国内市場で完結しますが、現在の日本のような「開放経済」の場合だと、国内で余った資金は外国に流れて行ってしまいます。

そして、現在の日本に関していえば、日銀ウェブサイトにて公表されている資金循環統計(1997年12月分以降)で見て、この3要件のうちの1番目、すなわち「国内投資家が国債を引き受けてくれない」、という条件を満たしたことが、ただの1度もありません。

日本の資金循環構造

そのヒントが、「海外」部門の「金融資産・負債差額」という項目です。

その前に、まずは日銀が公表する資金循環統計を参考に、日本国内における資金循環状況を一覧にしたもの(図表3)を確認しておきたいと思います。

図表3 日本の資金循環構造(2023年12月末時点)

©新宿会計士の政治経済評論/出所を明示したうえでの引用・転載は自由

なぜ、この図表が重要なのでしょうか。

それは、先ほど示した「国債デフォルト3要件」のうち、1番目の要件からして、現在の資金循環構造上、「あり得ない」からです。

これに関連し、「経済学の基本中の基本」をおさらいしてみます。

まず、一国の経済主体は、政府、企業、家計などがあり、これらの経済主体相互間を仲介しているのが、金融仲介機能です。そのうえで、誰かにとっての金融資産は、ほかの誰かにとっての金融負債です(たとえば銀行預金は個人や事業法人などにとっては金融資産ですが、金融機関にとっては金融負債です)。

このことから、仮に日本が「閉鎖経済」(経済活動が一国の内部ですべて完結し、外国といっさい取引を行っていない社会)だったとすれば、すべての金融資産とすべての金融負債は、項目ごとに、原則として金額が一致します(現実には誤差脱漏等もあるため、きれいに一致するとは限りませんが…)。

たとえば日銀が発行している「現金」という負債項目は、2023年12月末時点で129兆3685億円ですが、日本全体に存在する「現金」という資産項目は、同じ時点でやはり同額の129兆3685億円です(このうちうち家計が保有する金額が108兆9599億円ですが、これがいわゆる「タンス預金」でしょうか?)。

ということは、「国の借金」とやら(※正確には「中央政府の債務」など)も、政府などが発行している債券の額と、私たち国民の側(正確には家計、企業、金融仲介機能など)が保有している債券の額はぴたりと一致するはずです。

これが、「誰かの資産は、他の誰かにとっての負債である」、とする議論です。

国債の発行残高と保有残高の不一致こそが「海外要因」

この点、(広い意味での)国債(つまり国債+財投債+国庫短期証券)の発行残高(時価ベース)は、2023年12月末時点において1222兆円とされていますが、日本がもし閉鎖経済の国であれば、この1222兆円の全額が、国内投資家によって保有されているはずです。

つまり、これは「国の借金」などではなく、「政府の借金」なのです。なぜなら、家計・企業・金融機関等から見たら「資産」だからです。

すなわち、会計の世界では、同じ取引を左側と右側から見る必要があるのですが、資金循環の世界においても、同じ項目の残高には「誰かにとっての金融資産」という性質と、「ほかの誰かにとっての金融負債」という性質がカネ備わっている、というわけです。

ただし、現実の資金循環統計のデータから、この1222兆円の保有者別内訳を集計してみると、1057兆円にしかなりません。要するに、165兆円足りないのです。そして、この「足りない部分」を埋め合わせているのが、「海外」です(図表4)。

図表4 主体別国債保有残高(2023年12月末時点)
保有主体 金額 構成割合
中央銀行 585兆円 47.90%
預金取扱機関 133兆円 10.92%
保険・年金基金 233兆円 19.06%
社会保障基金 55兆円 4.50%
国内その他 50兆円 4.11%
国内投資家・小計 1057兆円 86.49%
海外 165兆円 13.51%
合計 1222兆円 100.00%

(【出所】日銀資金循環統計データをもとに作成。ただし「金額」は国債、財投債、国庫短期証券の合計額)

増え続ける海外部門の資産負債差額

先ほど、「国内のすべての経済主体が保有している資産と、国内のすべての経済主体が負っている負債は、それぞれ項目ごとに合計額が一致する」という趣旨のことを述べましたが、現実のデータは、そうなっていないわけです。

なぜそうなるかといえば、現実の日本は「閉鎖経済」ではなく、「開放経済」だからです。

すなわち、日本の経済主体は(個人、企業を問わず)自由に外国の資産を購入することができますし、逆に、外国の企業・個人も日本の資産を自由に購入することができます(たとえば日本においては、外国人は上場株式であろうが、債券であろうが、非上場株式であろうが、不動産であろうが、自由に購入可能です)。

先ほどの図表3の右下にある「海外」に注目してみましょう。

これによると「海外」が保有している金融資産は1016兆円(主な項目は貸出286兆円、債券223兆円、株式等339兆円)ですが、これに対し「海外」が負っている金融負債は1499兆円(主な項目は貸出223兆円、対外直接投資292兆円、対外証券投資776兆円)です。

ということは、「海外」は日本との関係で、金融負債の額が金融資産の額を484兆円も上回っている、ということです。

ちなみに「海外から見た日本に対する金融負債」とは、言い換えれば、「日本から見た海外に対する金融資産」、ということであり、その額が「日本から見た金融負債の額」を484兆円も上回っている、ということを意味しています。この484兆円のプラスこそが、対外純資産の一部を構成しているのです。

そして、この「海外の金融資産・負債差額」は、増える一方です(図表5)。

図表5 海外/金融資産・負債差額

(【出所】日銀『物価、資金循環、短観、国際収支、BIS関連統計データの一括ダウンロード』サイトのデータをもとに作成)

グラフはプラス表示していますが、2023年12月末時点の484兆円という数値は、現行の資金循環統計(2008年SNA方式)において過去最大であり、しかももうすぐ500兆円にも達しようとするレベルです。

要するに、国債の発行残高1222兆円のうち国内投資家が保有しているのはこのうち約86%に相当する1057兆円ですが、この国内投資家は国債以外にめぼしい投資先がないためでしょうか、仕方がなしに対外証券投資などの投資残高を積み上げている、という構図が見えてくるのです。

逆にいえば、もし国債発行残高が今より484兆円多かったとすれば、それで初めて、海外に対する資産・負債差額がゼロになった(かもしれない)、ということであり、それだけ国債発行残高はむしろ国内資金循環構造に照らし、「少なすぎる」のです。

現在のように、対外純債権が少なくとも484兆円前後もある、という状況において、国債デフォルトの3要件のひとつである「国内投資家が国債を買ってくれない」という条件が、成就しないのです。3要件のたった1つでも満たされていない状態だと、国債デフォルトは発生しないのです。

日銀直接引受が禁止される理由

こうしたなかで、最近だと「MMT」なる理論を掲げる人たちが、「日本国債は自国通貨建てだからデフォルトしない」、といった点をことさらに強調しているきらいがありますので、これについても簡単に触れておきましょう。

じつは、自国通貨建ての国債がデフォルトしない、というのは、ほぼ事実です。なぜなら、国債を発行している政府は多くの場合いざとなれば、中央銀行に命じて国債を引き受けさせることができるからです(全ての国においてそうだとは限りませんが)。

日本の場合だと、日銀による国債の直接引受などは、通貨に対する信認などを毀損する恐れがある、などとして、財政法第5条で禁じられていますが、それでも国会で決議さえすれば、その範囲内で、政府は中央銀行からおカネを借りてくることができてしまうのです。

財政法第5条

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

したがって、万が一、国債デフォルトの3要件のうち1、2が満たされたとしても、時の政権が国会に日銀引受などの承認を求めれば国債は日銀により引き受けられるため、3の部分が成就せず、やはり国債デフォルトは発生しない、という結論に至ります。

ただ、中央銀行による国債の直接引受が可能である理由は、その国債が自国通貨建てで発行されているからです。その気になれば、国会で特別立法でもなんでも通してしまうことで、国債のデフォルトだけは避けることが可能です(通貨の信任が傷つけば、ハイパー・インフレなどが生じる可能性もありますが…)。

しかし、これがもし外貨建だったとしたら、話はまったく変わってきます。

もし外貨建ての場合、仮にそれが国債だったとしても、デフォルトの可能性が急に現実味を帯びるのです。実際のところ、アルゼンチン、スリランカ、ロシアなど、外貨建ての国債がデフォルトを発生させた事例は枚挙にいとまがありません。

じつは日本に着目している外国通貨当局

この点、日本国債はもちろん円建てですので、条件1、3が成就することは非常に可能性が低く、やはり国債のデフォルトの可能性は天文学的に低い、という結論はかわりません。

ただ、こんなことを述べると、必ず、こんなことを言う人が出てきます。

条件1、3が満たされないことはわかった。ただ、日本国債の外国人の保有比率は13.51%と低く、このことは、日本国債が外国人から信頼されていないことを意味するのではないか。つまり、外国人のキャピタルフライトが生じ、それによって国債がデフォルトに至る可能性があるのではないだろうか?

これは、現実に著者自身が目にしたことのある「反論」の典型例です(後半部分については正直、なにをおっしゃりたいのかよくわかりませんが、とりあえずあまり気にしないことにしておきましょう)。

この点、「日本には国の借金がたくさんある」、「だから円の信認が傷つき、外国人から円が忌避されているという可能性があるのだ」、「それが現在の円安の原因でもある」、といった主張を述べる人がいる(かもしれない)、という点については、否定できません。

ただ、「日本には国の借金がたくさんある」からという理由で、円の信頼が揺らいでいるという事実は、はたしてあるのでしょうか?

結論的にいえば、それは「NO」でしょう。

国際通貨基金(IMF)が公表している「COFER」と呼ばれる統計を見ると、世界各国の外貨準備高の通貨構成別内訳を知ることができるのですが、これによると日本円の組入れ比率は、内訳が判明している外貨準備全体の5.7%であり、組入れ通貨としても第3位です。

しかも、国際決済銀行(BIS)の為替レートで逆算してみると、外貨準備に占める日本円の円換算額は一貫して増え続けており、2023年12月末時点では92兆円と、下手をするともうすぐ100兆円の大台に乗せそうな勢いです。

ということは、統計的事実に照らすなら、日本円は外貨準備という「もっとも固い運用」をしなければならない準備金の組入れ割合が増え続けている通貨なのであり、その通貨が「現在進行形で世界各国からの信任を喪失している」という結論に、なぜ至るのでしょうか?

ここまでくると、正直、意味不明さも極まります。

国債がデフォルトしない他の理由

政府には寿命がない

さて、現在の日本国債が「国債デフォルトの3要件」をただの1つとしてかすりもしない、という点については、これらの事実を示すだけで十分でしょう。

問題は、少なくともあと2つあります。

1つは「これだけ多額になってしまった国債を、どうやって返していくか」、という論点であり、もう1つは「最適な国債発行残高はいくらか」、という論点です。ただ、この両者は、じつはお互いに密接な関連を持っている論点でもあります。

結論から述べておくと、「現在の国債発行残高」は日本経済の規模に比べて「多額」とはいえませんし、また、そもそも「返していく必要などない」のです。

これはいったい、どういうことか――。

よく私たち個人の世界で、「住宅ローンを3000万円抱えている」、などとする人を見かけると、「あぁ、あの人は『借金』をたくさん抱えているね」、などと評価することがあると思います(あるいは「借金」イコール「悪」、という風潮でしょうか)。

しかし、私たち個人(自然人)の場合だと、たしかに借金を抱えていたらすわりが悪いと感じる人も多いかもしれませんが、これと同じ感覚を、国家財政に持ち込むべきではありません。

そもそも個人と政府では、前提条件がまったく異なっているからです。

まず、私たち個人には「寿命」があります。

住宅ローンにしろ、消費性ローンにしろ、基本的には寿命がなくなるまでに返さなければなりません(細かいことを述べると、住宅ローンの場合、不慮の死を遂げた場合は団体信用生命保険などで住宅ローン元本が消える、といった仕組みもありますが、ここではこれについては考慮しません)。

これに対して政府には「寿命」がありません。

ということは、本来ならば、「今の借金をいつまでに返さなければならないか」、というデッドラインがないのです。日本政府・財務省は「60年償還ルール」というものを勝手に設けていますが、これも経済学上はまったく根拠がないルールです。

GDPと債務規模の比率の意味

では、仮に現在、GDPが600兆円しかないのに、国が1200兆円の借金を抱えていたら、どうなるでしょうか。さすがにGDPの2倍という残高は、大きすぎやしないでしょうか。

これも、「政府の借金の額が大きすぎるかどうか」は、そのときの経済全体における資金需要や経済成長率、金利(イールドカーブ)などとの関係で議論することが必要です。単純に「GDPの1倍だから大丈夫」、「GDPの2倍だから問題だ」、とはならないのです。

ちなみに公的債務残高をGDPと比較する手法は、ユーロ圏発足の根拠条約のひとつであるマーストリヒト条約で謳われているものですが(いわゆる財政収斂基準)、べつに日本がどこかの国との共通通貨を発行する予定はないわけですから、公的債務残高をむりやりGDPの水準に合わせる必要などありません。

また、その「返し方」も、じつは、さまざまです。

私たち一般人からすると、「借金を返す」ためには「無駄遣いをやめ、徹底的に節約しなければならない」、あるいは「国の借金を返すための増税はやむを得ない」、などとする印象を抱きがちです(実際、財務省やNHK、主要民報・主要新聞社などは、こうした論調で世論をミスリードしようとしているフシがあります)。

しかし、これも正しくありません。

たとえば、個人的には現在の日本に、本気で借金を返す必要があるとも思えませんが、仮に「本気で借金を減らす」ことを実現したければ、手っ取り早いのは「要らぬ資産を売ること」です。

外為特会の日銀移管

この「不要資産の売却」、じつは非常に大切な論点でもあります。

政府が大量に抱えているよくわからない基金、よくわからない財団法人・社団法人などに対する出資や貸付について、その返済を求めたり、特殊法人を解散して残余財産の国庫返納を命じたり、あるいは民営化して株式を上場させ、上場益を国庫に帰属させたりするだけでも、「借金」はかなり減らせます。

最もわかりやすいのは、外貨準備の管轄をすべて日銀に移管させることです(外為法などの法令改正が必要になるかもしれませんが)。

たとえば、財務省が外為特会勘定で保有する外貨準備の多くは米ドル建てであると考えられており、これらの取得原価は1ドル=100円前後ですが、かりに外貨準備が1兆ドルだったとして、1ドル=150円の時点でこれらを日銀に移管すればよいのです。

この場合、単純計算で政府は借金を100兆円圧縮可能ですが、それだけではありません。取得原価が1ドル=100円の資産を1ドル=150円で日銀に売るため、日銀から政府口座に振り込まれるのは100兆円ではなく、150兆円であり、政府には50兆円の利益が生じます。

この50兆円の利益、全国民に40万円づつ配ってもよし、減税資金に充てても良し、はたまた国債償還に充てても良し。

さらには、たとえばみずから「公共放送」を名乗る(そのわりには公共放送として相応しくない番組を放送している、などと指摘されることも多い)NHKを廃局し、残余財産(1兆円を遥かに超える金融資産、渋谷区の一等地にある8万平米を超える巨大な土地など)を国庫に帰属させても良いかもしれません。

つまり、政府は増税の前に、売れる資産を徹底的に売るべきなのであり、それをやっていないのが大きな問題、というわけです。

経済成長が問題を解決する!

そして、「国の借金」の負担を減らす方法は、「不要な国有財産の売却」だけではありません。

もっとダイレクトに、経済成長すれば良いのです。

たとえば、「国の借金」(※ここでは便宜上、国債のみとします)が1200兆円、名目GDPが600兆円だった場合は、国債GDP比率はたしかに200%です。

しかし、この「国の借金」の規模がまったく同じだったと仮定しても、それ以上のペースで名目GDPが増えていけば、国債GDP比率は勝手に下がっていきます。ここで参考になるのが図表6、すなわち「経済の規模が2倍になるまでに必要な年数」です。

図表6 経済の規模が2倍になるまでに必要な年数
経済成長率 年数
1% 69.66
2% 35.00
3% 23.45
4% 17.67
5% 14.21
6% 11.90
7% 10.24
8% 9.01
9% 8.04
10% 7.27
11% 6.64
12% 6.12
13% 5.67
14% 5.29

(【出所】著者調べ)

これによると経済成長率が1%だった場合、経済規模が倍になるまでに必要な年数は、じつに69.66年。平均寿命よりも少し短いくらいですので、これだと「生まれて死ぬまでの間に経済規模がやっと2倍になる」、という速度です。

これに対し、経済成長率が10%にもなれば、経済規模はたった7.27年で倍になります。14%なら5年あまりです。

そして、俗に「1%70年の法則」などと呼ばれるとおり、この「2倍になるまでに必要な年数」については、2%ならその半分の35年、3%なら25年弱、といった具合に、「70年」をそのパーセンテージ(×100倍)で割ってあげたものと近似することが知られています。

もしも日本が毎年、3~5%の経済成長を続けていけば、経済規模は15~20年で倍増しますので、「国の借金」とやらが1200兆円でまったく動かなかったとしても、公的債務残高GDP比率は200%から100%程度に「勝手に」下がるのです。

経済成長率と今後のGDPの関係

ちなみに、現在の名目GDPが600兆円だったと仮定し、10年後に名目GDPがいくらになっているかを計算したものが、次の図表7です。

図表7 経済成長率と10年後の名目GDP(※現時点≒600兆円)
成長率 10年後の倍率 GDP(兆円)
1% 1.10 663
2% 1.22 731
3% 1.34 806
4% 1.48 888
5% 1.63 977
6% 1.79 1,075
7% 1.97 1,180
8% 2.16 1,295
9% 2.37 1,420
10% 2.59 1,556
11% 2.84 1,704
12% 3.11 1,864
13% 3.39 2,037
14% 3.71 2,224

(【出所】著者調べ)

いかがでしょうか。

もしも経済成長率が年間3%を維持すれば、これから10年後の名目GDPは806兆円。

これが年間4%ならば名目GDPは888兆円、5%ならば名目GDPは977兆円です。

それに正直、「損して得取れ」ということわざにもあるとおり、積極的で果敢な財政出動を行った場合には経済成長率が高まる可能性もあるため、むしろ公的債務残高GDP比率を積極的に下げるためには、いま積極的に財政出動しても良いのかもしれません。

エピローグ

エピローグです。

どうして今回、こんな論考を書こうと思ったのかといえば、最近になって当ウェブサイトを訪れてくださる方々が増えたこと、かつて『数字で見る「強い」日本経済』を出版したころと比べ、社会情勢がまたいろいろと変化していたなかで、総論的に「国の借金」論を書いてみたいと思ったからです。

とりわけ最近だと「悪い円安」論と結託して、「国の信頼が傷ついている」、からの「増税が必要だ」論につながる流れについては、いちおうの警戒は必要でしょう。

いずれにせよ、私たち現代人は、せっかくこのインターネット空間を活用することができるわけですから、新聞、民放、NHKなどが「国の借金」論に代表される虚偽言説を垂れ流したとしても、選挙では賢明に振る舞うことが必要であることはいうまでもない、と思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (13)

  • お金は本来,交換手段として実体経済の潤滑油になるべきですが,現実には金融経済が「お金の掃き溜め」になっていて,使い道のないお金がどんどんそこに貯まっていって,実体経済に悪さを始めます。国が借金をして世の中にお金をバラまいでも,最後は金融市場に滞留してしまい,実体経済を回すためにはもっと借金をしないといけない。財政健全化とかすると,実体経済市場からどんどんおお金がなくなっていって,景気が悪くなるでしょう。それで,株式市場などを一度冷やして,金融経済の規模を縮小しないとまずい,と考える人もでてくるのだと思います。インフレも需給ではなく,商品市場のような金融経済の影響が大きいでしょうから。

  • 現在の国の財政をフローで考えると:
    歳出を税収で賄えず不足分を国債発行で賄っている。
    国債を発行できなくなる(買ってくれる人がいなくなる)ということがあるのだろうか。
    国債の金利を上げていけば当分の間は大丈夫だろうが永遠に続けられるわけではない。
    ただし三菱UFJが国債のプライマリーディーラーの資格を返上したような動きは警戒すべきなのではないか。私は金融には素人だが、これは国が発行する国債の一定割合の引き受けが義務づけられているということのようだが、銀行といえども私企業、株主の利益を考えればそのような効率の悪い投資にコミットできないということではないか。

    国の借金論が出てくる背景にはこのあたりのモヤモヤ、漠然とした不安があるのだと思う。

  • すごく簡単に言えば自国通貨建て国債はデフォルトしない。デフォルトする可能性があるのは外貨建て。

    ハイパーインフレが起こって際限なく円安になるってシナリオもない。そんなことになれば日本の名だたる輸出企業がとんでもない勢いでシェアを奪ってしまう

    まあ、今のままだと原油代金が円換算とんでもない金額になるだろうが、そこまてひどければ緊急避難で原発再稼働させればかなり出血を減らせる。

    まあ、他国の事例を単純に当てはめて不安を誘う輩はいつだぅて居るからね。気にしないこと。

  • 今朝、ニッポン放送で馬渕磨理子氏がコメントしてましたが、発行済み国債をその総額ではなく、利払い費を対GDP比で表すと、日本(GDPの約1%?)は米国よりマシなんだとか。また、米国では総額より利払い費のほうが現実に即していると考える人が出始めているんだとか。車を運転しながら聴いていたので正確には覚えていませんが、面白い(興味深い)説だと思いました。
    そこで新宿会計士さんにお願いです。
    各数値を取り寄せることさえ困難な素人のために、ここいらへんを具体的な数値で検証していただければ、と思う次第であります。

    • ラジオなの?
      「重要な話はテレビよりもラジオで放送されている」と言ってた友人がいた。

    • まあ、金利が上がればその辺の利点もなくなるよって破綻論者は言うのでしょうが。
      今まで現実的なレベルの円安でそれだけ安く資金を調達(借金)出来てたってのが凄いことなんですよね。

  • 新宿会計士氏の言う通り、
    >>>私たち一般人からすると、「借金を返す」ためには「無駄遣いをやめ、徹底的に節約しなければならない」、あるいは「国の借金を返すための増税はやむを得ない」、などとする印象を抱きがちです<<<
    と思ってる人が圧倒的に多くて困ります。

  • 日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年辺りをピークに急速な減少フェーズに入っています。実際の就業者数は女性と高齢者の労働参加が増加しているため、近年むしろ微増の状況にあるようですが、働き盛りの人口の減少分を埋めることができるかと言ったら、そこは微妙。それに女性、高齢者の労働市場への動員もやがては尽きてくる。そんなこんなで、生産力という観点から見た日本経済の実力は、今後斜陽化の一途を辿る。

    人口減少に加え、その高齢化は、労働人口に対してそれに依存する人口の比率を、加速度的に増大させていくから、消費に応じた供給を国内だけで賄うことは徐々に困難になっていく。よって国は、国債という形で借金を重ねることを余儀なくされるが、そんなことをいつまでも続けることはできない。(近隣のどこやらの国のような状態に陥ってしまう)。それを避けようと思えば、ともかく節約、国民は生活を切り詰めるしかない。そんなこんなで、今後の日本人にとって、貧困化以外の道はない。

    何だか、労働力を兵力と置き換えれば、戦がなくなった江戸時代を通じて、武士階級が没落していった過程を思い起こさせるような話ですが、支配階級の都合でドンパチなんか繰り返されるのはご免。結局、明治維新の瓦解を経て、勃興する商工業者の世の中となったのですが、今われわれが、座して衰亡の流れに身を任せておれば、やがては勃興するチャイナに呑み込まれる将来が待っている?

    日本下げの論説の量産に勤しむ経済専門家連の頭にあるのは、こんな観念がメインになってるんじゃないかと思うのですが、違っていますかね。阿呆らしいと一笑に付すには、ちょっと居心地の悪さを感じるほどの説得力は、あるような気はします。

    世界のどの国にも先駆けて、人口の少子高齢化が進んだこの日本。後に続く西側先進国にしても、状況は似たようなもの。巨額の経常収支の赤字を貯め込み続ける米国はもとより、EU諸国にしたところで、欧州通貨同盟の規約に明記された財政赤字はGDP比60%以内なんて縛りは、どの加盟国にしてもとうの昔に空文化しています。その意味で、人口オーナス期に入ってからもう30年も経つ日本の行方は、世界の先進国のパイロットスタディ的な意味で注目を集めるわけですが、最近「オイオイ、日本って全然そんな方向に進んでないじゃん」的な見方が出てきているのは面白いところです。

    サイト主さんが本記事で書かれているのも、数字の裏付けをもって、日本経済が全然衰退の方向になんか進んではいないって「事実」ですが、じゃあ、その「理由」は何なのか? 人口動態と経済の盛衰を結びつけて考えるのがそもそもナンセンスなのか、それとも日本にはそういう因果関係が成り立たない特別な事情でもあるのか、またそういうものがあったとして、それはどの程度先まで有効にはたらきうるものなのか、次にはそういうことを知ってみたくなりました。

    •  コロナ対策と被害結果において他国と違う動きを見せた日本の特殊性、によく似た話ですね。

  • GDPに対して何%等の話が出たので書きます。

    近年防衛装備品の予算額がGDPの1%から2%になりました。このパーセンテージを決めた方はパーセントで表した意味が分かっていたんですね。

    失われた30年の間にアメリカのGDPが2倍になったと言われます。
    日本もこの間に経済成長率を2.5%あれば2倍になって様ですね。
    そうすれば防衛装備品の総額は2倍になっていたのです。
    GDP事態が2倍ならば1%のままでも2倍の現金が割り当てられたはずですね。

    わざわざ国会で長い議論をしなくとも問題なく防衛装備品が買えたわけです。
    GDPの何%は経済成長を見越した設定だったんですね。

    資本主義は経済の成長が目的で動く社会ですから当たり前なんですけどね。
    経済成長の足かせの財務省をどうにかしたいと切に願います。

  • 感覚的な話です。
    先日、戦後の全期間の消費者物価指数のグラフをボーッと眺めていました。

    ここの図1
    https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0601.html

    97年までは一貫して上昇トレンドでそこから下降します。2012年に上昇に転じ、21年から顕著に上昇します。
    21-23年の急上昇があるのとないのとでは印象がかなり変わると思います。12-20年の上昇も元気があるわけではなく、再び落ちても不思議でない。
    90年代後半から20年までの約30年の調整期間(およそ破線枠の範囲)が、永遠に続く高原なのか、後の再上昇に続く階段の踊り場なのか。

    調整期間中は、物価上昇と賃金上昇のサイクルがまったく目に見えないので、世の中にはネガティブな見方が受け入れられ易かったと思います。2010年出版のデフレの正体など。
    21年以降の物価上昇に続いて賃金上昇が伴って持続的に続くのがいつになるのかはわかりませんが、その時にはこのグラフも、日本の物価は一時踊り場はあったけど、戦後一貫して上昇を続けたグラフとして描かれるのかも知れません。
    その時には、世の中の雰囲気も掌返したようにガラリと変わるのではないでしょうか。

    前世紀末、ノストラダムスという予言者が存在感を放っていましたが、2000年を過ぎた途端みんなすっかり忘れてしまったように。
    なんてことをボーッと考えてました。