世の中には勝手に挙証責任を転換してしまう人がいるようです。挙証責任とは、わかりやすくいえば、「意見が対立しているときに、どちらが証拠を出さなければならないか」という責任の所在のことです。本来、自分の意見が正しいことを説明する責任が自分にあるのに、「僕の意見が正しいことをあなたが証明しろ」、などと相手に押し付けてしまう人がいます。その実例を発見してしまいました。
目次
挙証責任の所在はどちらにある?
挙証責任とは?――その基本的な考え方
本稿で取り上げるテーマは、「挙証責任」(きょしょうせきにん)です。
これは日常生活ではあまり使わない、少々難しい言葉ですが、わかりやすくいえば「意見が対立しているときに、どちらが証拠を出さなければならないか」という責任の所在のことです(※人によっては「挙証責任」ではなく「立証責任」という用語を使うこともありますが、本稿では「挙証責任」で統一します)。
たとえば、隣同士に住むAさんとBさんが対立しているとします。
対立している内容は何でも良いのですが、ここではたとえば、「Aさんの自宅の敷地にBさんの敷地から生えている木が台風で倒れ込み、それによってAさんが所有する自動車のボンネットが傷つけられた」、とAさんが主張しているものとします。
しかし、Bさんは「そもそも自宅に木など生えていない」、「Aさんが主張するボンネットの傷は別の自損事故でついたものではないか」、などと反論している、という状況です。
このとき、Aさんとしては、「自分の自動車のボンネットに傷がついたのはBさんが自宅の敷地から生えている木が自分の敷地に倒れて来たからだ」、と証明する責任があります。
これに対し、Bさんの側としては「やっていない証拠」を積極的に出す必要はありません。「被害を受けた」と主張しているのはAさんの側なのですから、「Bさんが私の自動車に損害を与えた」と証明するのはAさんの役割です。
基本は「被害を受けた」と主張する側が証明しなければならない
これにはたとえば、「Bさん宅から木が倒れて来て自動車の上に乗っかっている様子を写真に収める」、「自宅の庭から撮影した台風前後の写真を比較して、たしかにBさん宅から木が倒れて来たことを示す」などの方法が含まれるでしょう。あるいはご近所さんの証言を集めて来ても良いかもしれません。
そして、Bさんの側としては、Aさんが出してきた「証拠」に対し、反論すれば良いことになります。
たとえばAさんが出してきた、「Bさんの敷地から木が倒れ込んでいる写真」がAさんによる捏造だったとしたら、
Bさんとしては、台風の前後における「Bさん側の敷地からAさん宅を見た様子」の写真を出し、「そもそもウチにはそんな木など生えていなかった」、と主張すれば良い、というわけです。
これが、「挙証責任」の基本的な考え方です。
もちろん、現実の遣り取りはもう少し泥臭いでしょう。
Aさん、Bさん双方が台風の前後の証拠写真を都合よく撮影しているとも限りませんし、実務上は、Aさんの側は「Bさんに過失がある証明」をしなければならない一方、Bさん側も「自身に過失がない証明」をしなければならないことが一般的です。
(※このあたりは著者自身、法廷の場でとある泥仕合をやったことがあるので、個人的には日本の裁判所に対し、極めて強い不満を抱いているのですが、このあたりの事情は本稿では割愛します。)
ただ、日本の司法の現実についてはとりあえず脇に置くとして、この「挙証責任」の考え方は、とても重要です。
ここで、基本的には「被害を受けたと主張するならば、被害を受けたと主張する側が、相手の過失によって自分が被害を受けたと証明しなければならない」、という原則があることについては知っておく必要があります。
PL法のキモは「挙証責任の転換」…会計士にも!
ただし、昨今のように高度な消費社会が実現すると、私たち一般人レベルだと、「あの会社の製品のせいで自分が被害を受けた」、などと証明することが難しいこともあります。
最近ありがちな話題でいえば、「スマートフォンが突然発火し、それにより火事が起きた」、といった事例だと、「スマートフォンが突然発火したのは製品自体が悪いからだ」、などと私たち一般人の側が証明することは、非常に困難です。
そこで、以前の『科学を否定し責任を取らない=官僚とメディアの共通点』などでも取り上げたとおり、製造物に関し、「被害をこうむった」とする主張が一般人の側から出て来たときには、その「被害をこうむったこと」とその製品が無関係であることを立証する責任は、メーカーの側に負わされています。
これが「挙証責任の転換」です。
要するに、一般人の側が「おたくの製品のせいで、私が大きな損害をこうむった」などと裁判を起こした場合には、メーカーの側が「うちの責任ではありません」という証拠を裁判所に提出しなければ、メーカーの側が負けてしまう、というわけです。
こうした挙証責任の転換事例としては、PL法以外にも、たとえば公認会計士・監査法人が挙げられます。
会計監査人(個人としての公認会計士または法人としての監査法人)は、監査証明を出す際に、重過失があったときはもちろん、単なる過失の場合でも責任を負うこととされているほか、「故意・過失がなかったこと」について、みずから積極的に証明しなければなりません。
余談ですが、このように考えていくと、財務省などの官僚や新聞・テレビといったオールドメディアの場合、その職務が社会に与える影響は非常に大きいわけですから、彼らについても「挙証責任の転換」が必要ではないかと思うのは、ここだけの話です。
挙証責任を勝手に転換してしまう人たち
ところで、世の中のさまざまな意見対立の事例を研究していると、この「挙証責任は本来、どちらの側にあるのか」という論点は、意外と重要です。
大多数の人が、「AさんとBさんの意見が対立しているときに、Aさん、Bさんのどちらに挙証責任があるのか」を(意識してかどうかはわかりませんが)自然と判断しながら議論を見守っているからです。
ただ、世の中は広いもので、本来ならば自分の側に課せられているはずの挙証責任を、相手に勝手になすりつけてしまう人もいるようです。「君と僕の主張は矛盾しているが、この場合は僕の方が正しい」、「君は僕が正しい理由を調べてごらん」、などといわれても、正直、多くの人は困惑するはずです。
たとえば、「私は特定の政党を支持している」、「あなたもこの政党を支持すべきだ」、などと主張する人たちに対し、「あなたはなぜ、その政党を支持しているのですか?」、「なぜ私もその政党を支持しなければならないのですか?」、などと尋ねたとしましょう。
そのときに、その「特定政党を支持している」人たちとしては、自分が支持する政党を他人にも勧めようとしているのですから、その政党のどこが魅力的なのかをきちんと説明する必要があります。意見が違う相手に対し、その政党のどこがどう魅力的なのか、合理的に説明しなければならないはずです。
(※なお、自分が勝手にその政党を支持しているだけで、その主張を他人に押し付けていないという人であれば、わざわざ「その政党の魅力」を他人に対して説明をする必要がないことはいうまでもありません。ここで問題視しているのは、あくまでも「自分の主張を他人に押し付けている人」のケースです。)
ところが、特定政党の支持者によっては、このあたりの説明が不十分なまま、自分が支持する政党の「魅力」を伝えようとします。そして、得てしてその合理的な説明ができない人は、「この政党は魅力的だ」、「自分で調べたらわかる」、などと言いだす傾向にあるようです。
山本代表の現地入り
どうして勝手に現地入りしてしまうのか
さて、早いもので、新年の石川県能登半島地震の発生から、本日でちょうど1週間が経過します。
日々、新たな被害が報告されるなかではありますが、客観的・公正に見て、岸田文雄首相や担当閣僚、石川県の馳浩知事らの現在までの動きは非常に迅速です。政府、県、自衛隊などを挙げた努力の結果もあり、いくつかの道路・港湾などが順調に復旧しつつあることは、不幸中の幸いといえます。
もっとも、『災害支援に大切なのは「順序」…必要なのは「冷静さ」』でも取り上げたとおり、今回の地震では各所で道路が寸断され、交通事情が極端に悪化するなかで、個人レベルで支援物資をもちこもうとしたり、呼ばれてもいないのに「ボランティア」などと称して現地入りしたりする者があとを絶ちません。
そもそも論として、災害からの復旧やその後の復興には、「段階」というものがあります。あくまでも一般論ですが、道路が寸断されているときには、まずは災害で寸断された道路を復旧しなければなりませんし、それらが終わらないうちに個人からの支援物資やボランティアなどを受け入れようとしても、現場が混乱するばかりです。
現地入りした山本太郎氏に非難殺到か
こうしたなかで、まだまだ混乱している被災地に入た人物のひとりとして、れいわ新選組の山本太郎代表を挙げておきましょう。山本氏はまだまだ混乱しているはずの5日の時点で現地入りし、被災地でカレーを食べるなどしたとして話題となりました。
これに関連し、相応に批判が多かったためでしょうか、れいわ新選組所属の大石あきこ衆議院議員が6日、自身のXにこんな内容をポストしました。
岸田首相が震災の現場に視察に行こうとしないこと、そしてそれを「優しく許す」与野党党首・メディアなどを舌鋒鋭く批判するポストです。
山本氏の言い分は「現地NPOから話を聞くため」
ただ、この後半部分に「被災地が必要とするNPOの方々と」、という表現が出てきます。これを敢えて解読するならば、「山本代表は呼ばれもしないのに勝手に現地に行ったのではない、ちゃんと地元のNPOからの依頼を受けて出かけたのだ」、ということでしょうか。
改めて山本氏のポストを確認してみたところ、たしかに山本氏は別のいくつかのポストで、しきりに「現場のNPO」と述べています。
すなわち、山本氏はあくまでも「現場のNPO」と話をするために現地入りしたことになっているようなのですが、それにしても少なくとも政府や自治体は「現場に来るな」と述べているわけですから、この「現場のNPO」とやらは政府・自治体などの公的な機関の注意喚起を無視した、ということになるのではないでしょうか。
どうも腑に落ちません。
この場合、どう考えても遭難者の捜索や災害復旧などの全般に責任を負っているのは政府や自治体であり、「現場のNPO」とやらではありません。「現場のNPO」とやらの権限が、政府や自治体の要請を超過するものとも思えないのです。
「その現場NPOは実在するのですか?」→「自分で調べてください」
ただ、一連のポストでもうひとつ不自然なところがあるとしたら、非常に不思議なことに、この「現場のNPO」の具体的な名称が、山本氏の一連のポストでは、まったく出てこないのです。
そして、ここで興味深いのが、この一連のポストを読んだ一般のユーザーと、れいわの支持者と思しき人物とのやりとりです。
まず、一般のユーザーと思しき人から、「地元の自治体からは来るなといわれているじゃないか?」、「(山本氏の行動は)無理やり被災地に行って現地の復旧活動などを邪魔しているのと同じではないか?」、といったツッコミが入ります。
すると、れいわの支持者と思しき人が「自治体からの公的要請のあったNPOやNGOに帯同している場合は、その限りではない」と反論。
上記とは別の一般ユーザーが「その『自治体から公的要請のあったNPOやNGO』とは、具体的にどの団体か」とする質問が来たところ、このれいわ支持者と思しき人物は、次のように答えたのです(※原文ママ)。
「私はあなたのGoogle先生ではありませんので、関心があるのならご自身でお調べください。きちんと調べれば出てきます」。
なかなかに驚きます。
意訳すれば、「私が述べている内容は正しいから、その証拠をあなたが出せ」、と要求しているようなものだからです。勝手に挙証責任を転換されても困惑します。
この場合、「山本氏は現地のNPOからの要請を受けて現地入りした」という主張を巡って、「そもそもその主張は本当ですか?」という疑問点と絡めて出て来た質問ですので、これに誠実に答える義務があるのはむしろ、「これは本当です」と主張する側でしょう。
もちろん、現時点ではその「現場のNPO」とやらが実在するのかどうかについてはよくわかりません。
もしかしたら実在しないのかもしれませんし(この場合は山本氏のポストが虚偽だったということになります)、もしかしたら実在するのかもしれません(この場合は「現場のNPO」が政府・自治体の要請を無視したという問題点が新たに浮上することになります)。
挙証責任を勝手に転換する人たち
いずれにせよ、この手の「挙証責任を勝手に転換する人」は、自身の行動のおかしさに気付いていないことが多いようです。
このあたりは、さまざまなことにいえる話です。
実際、某国などでは「日本が過去にわが国に対し酷いことをやった」などとする主張が幅を利かせていますが、「その具体的な証拠を出してほしい」とお願いしたとしても、証拠が出てくることは絶対にありません。
それどころか、「その酷いことをした証拠を出すのは日本の側だ」、などと言い募るのです。
なぜそのように言い募るのかといえば、おそらく、「自分たちが受けた被害」と称するものに、証拠がいっさいないことを、自分たちが誰よりも深く自覚しているからなのでしょう。
その意味で、日本とその某国との関係は、おそらく、半永久的に「解決」することはありません。その人たちは国を挙げて、「日本から受けた被害」という妄想と戦っているからです。
いずれにせよこの「挙証責任」という概念を使えば、世の中の理不尽な言動の一部が説明できるのです。
なお、最後に余談です。
当ウェブサイトで重視しているのは客観的事実の積み上げであり、また、こうした客観的事実を積み上げ続けることで、読者の皆さまに対し、結果的に「この政党は支持できない」という判断の一助になるならば、それはそれで本望ではあります。
ただ、くどいようですが、当ウェブサイトとしては読者の皆さまに対して「選挙では必ず選挙権を行使してほしい」とは要請することはあっても、特定の政党を名指しして「支持しろ」、「支持するな」と呼び掛けたことはないはずですし、今後も基本的にそのようにするつもりはありません。
本稿も当然、特定の政党を「支持してほしい」、「支持しないでほしい」、などと呼び掛ける目的のものではないことはご注意ください(※なお、ウェブ主自身がその特定政党を支持することはおそらく絶対にないと思いますが、これはあくまでもウェブ主自身の「個人的意見」に過ぎないことにご注意ください)。
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従軍慰安婦問題なんかは、発端から日本側の当時のアホ総理が
事実関係の確認もしていないうちに謝罪し、過去に悪事をやらかした
という疑惑をかけられた側が事実を立証するという、今考えると
信じられない馬鹿げた状況だったな。
そうですね。当時は今よりオールドメディアの力が桁違いに大きかったので、オールドメディアに逆らうような発言は、政治家としての生命を絶たれる事になってましたね。
確か、「朝鮮を日本が統治した時代には、悪いこともあったが良いこともした」と発言した政治家がオールドメディアの総攻撃を食らってえらい目にあった事があったはずです。
ネットも無い時代には、いわれなき誤報に対して反論をしたとしても「報道しない自由」で反論は国民にはまったく伝わりませんので、悪意のある「切り取りや誤報」が拡散してあたかも真実であるようになっていました。
いまは、時代が変わってオールドメディアの力は無くなってきているという事に政治家ははやく気がついて、ガンガン反論や証拠を発信してほしいですね。
独善と言いがかり。自称言論機関にもしばしば見られます。
毎度、ばかばかしいお話しを。
自称言論機関:「検証責任を相手におってもらわないと、こちらは下請けが人手不足、予算不足なので回らない」
はにわファクトリー さま、これって笑い話ですよね。
そもそも、警察と消防は国ではなく自治体の所轄。
それが是か非かはさておき、一義的に
「政府は何をやっとるのか?」
は、スジが通らん話です。
せんでもエエのに現地入りして、噛み付く相手まで間違えてるのだから、893が因縁をつけるネタとして行動しているようにしか見えないですね。
「NPO の名前を教えて!」
といえば、プーさんみたいに魔除けとして使えるかも?
CRUSH様
「署」とつく組織の消防や警察等は治自体首長の指示・命令を受けない「裁量権」をもつ独自組織だと聞いてたんですが??
勿論何かあれば首長と共同対応するのでしょうが。
山本太郎が、
「あまりの政府の後手後手に」
と、自治体を通り越して政府に噛み付いていること等を、揶揄しています。
警察や消防の現場裁量権はピント外れな枝葉だと思いますが、裁量権があるなら余計に
「あまりの政府の後手後手に」
という活動開始の動機は、スジが通らんと思いませんかね?
もちろん僕は、
「国がなにもしなくて良い」
などと言いたいわけじゃないですからね。
うまく連携してベストを尽くしてほしいです。
また、今回たまたま元旦で宮中行事があったこともあり、首相も知事も神速の初動を実施できたことを、不幸中の大きな幸いだと高評価しております。
(あれを後手て、なにと比べて遅いと主張してはるのやら。)
新宿会計士様が冷静に正しくご指摘頂いた
こうした、れいわ のような有りようは、
地域社会の個人に置き換えてみれば、
よく理解できます。
ご自身の思い上がりのようには
当たり前に世間には認めては貰えない
そんなこんなの人たちは、
身勝手で思い上がりの主張をしても
地域社会で相手にされなず、
その評価としての位置づけを受けています。
れいわなどは、そうした、
不芳鬱憤層の煽り立てで票を集める
ビジネスモデルとでも言えるもので、
多数派国民良識層が眉を顰めるような言動行動が
むしろその不芳鬱憤層の支持を効果的に
掻き集めることを狙っていると感じます。
町でちんぴらのインネンはまともに
相手にしてはいけないのと同じように
口先で政治だと喚く主張は、
その支持者の数と質の位置づけに
応じたもので対応するべきです。
不芳鬱憤層が彼ら自身が抱える問題の
心理的逃避先として、彼らのためにもならない
れいわなどを支持してしまうことを防ぐには、
日頃から地域で会社で、
「ふつうにまじめに生きなさい。
まずは己の人生なんとかしましょう。」と
諭して上げることが必要なのでしょう。
山本の主張、"現地に聞きに行く"と"混乱の被災者に要望を出させるなどせず政府が支援メニューで示せ"が、秒で矛盾しているように思えますが……
大石も、市井の子どもたちから「なんでせんきょなんてやるの?」とか純真無垢な質問を受けたら「私は君のgoogle先生じゃないんだよ」などと優しく答えてあげると良いですわ。
さて山本が現地で聞いた声というのは、当然れいわ支持者(或いは現政府不支持者)に偏ると思います。そしてその方々曰く「なんで来れないんだ、ヘリででも来い、直接見てみろ。」だそうで。そしてその項目を結ぶワードは「安心感」。コロナや原発におけるパワーワードですね。個人的には全く重要ではないのですが。安心できない人を切り捨てるのは豊かな現代文明社会ではないとする、理想主義的で非常に厄介な考え方。
実在するかどうか、その意見が合理的かはさておいたら、「そういった思考の人たちの支持の受け皿」なのだろうなと感じました。それ以上の情報価値は余り感じませんね。
コロナ初期の頃、「安心と安全は別である」との議論が本記事やコメント欄であったのを思い出します。
緊急事態では安心よりも安全を優先すべきと思います。
当時、緊急時に安心優先を主張する人々はたいていアレでした。今回も同じようです。というか、被ってる。
ノイジーマイノリティーであってほしいと願っています。
あの議論は本当に有益だったと思います。こういった事態での判断の基礎になりますから。そして仰るように"安心を殊更に要求(利用)する人たち"の顔ぶれが同じというのも。
実際には"安心"も決して無視して良いというものでもないのも厄介なところですが。しかしだからこそ、「安心できるまで対応しろ!!」などではなく「不安かもしれないが安全なのだから安心してくれ」と説く方がスジが通っていると思います。
まあこの手の議論(ディベート)テクニックは、裁判以外(そこでは挙証責任が明確)ではよく使われます。自分で陰謀論らしき言論を採り上げておいて、「それに反する証拠はない」「そう考えればつじつまが合う」というようなことを補強材料にする輩も同じ穴の貉ですな。
一方、疑惑が新聞等で報じられたときに、「ないことの証明はできない」と嘯く政治家もいますしね。
今回の件は、要すれば、災害直後に、相手方の準備も整っておらず、なおかつ行っても何の役にも立たない野党議員が、パフォーマンスのために、被災地を訪れて、世間から批判されている、それだけのことです。
れいわの山本なんぞを支持する人たちの気持ちが知れない。
takuさま
>なおかつ行っても何の役にも立たない野党議員が、パフォーマンスのために、被災地を訪れて、世間から批判されている、
世間から批判されても、自分たちの仲間うちで盛り上がることが目的なら、問題ないのでは。(自分の身近にいる人の声は、(全体としてみれば)少人数でも、全体の声のように聴こえるものです)
蛇足ですが、パフォーマンスをして、マスゴミに取り上げられて、(悪い意味かもしれませんが)目立つことが目的なのかもしれません。
常々一部の政党は無党派層に支持を得られるように行動するのではなく、
ひたすら身内受けを狙った行動をしているように見受けられます。
エコーチェンバーで岩盤支持層だけ気持ち良い気分になればいい、
そんな政党が居座っているから日本の政治が良くならないのだと思っています。
引きこもり中年さま
コメントありがとうございます。
ご指摘に同感します。
トランプ支持派、意識高い系の皆様など、同類項はたくさんいます。
中身空っぽのやつ程不細工(それしか出来ない?)な見てくれで勝負しちゃうんだよね、最近世界中で価値判断が低下して混乱してるよ、再起動が必要だね。
まぁ、震災に乗じて顔を売りに行ったって捉えるのが良さそうですね。
元々知名度の無い政党・政治家ですし、現地入りして顔を売って政党名も目に触れさせれば、次の選挙で票を入れてくれるかも知れないって事で。
山本太郎はパフォーマンスの為に、自作自演、捏造、虚偽、国会ダイブだろうが何でもしますよ!
迷惑系政治家を逮捕できる法整備が必要です。
本文の趣旨からは少し外れますが、今回の震災は「残念ながら世の中にはいくら説明しても人の言うことを全く理解出来ない、しようとしない人達が一定数いる。」ことを多くの人々に知らしめたのではないかと思います。
挙証責任も然りですし、何故行くべきでは無かったのかを多くの人々が言葉を尽くして説明しても、Xのやり取りを見る限りその趣旨を山本支持者が理解しているとは到底思えません(山本氏本人は理解してやってる可能性はありますが…個人の感想です)。
池田信夫氏は「境界知能」と言う言葉を使っていますが、私は持って生まれた知能ではなく後天的に受けた親の躾や教育なども加えて「事の良し悪しの判断」「物事を論理的に考える力」が世間の中で-1σ以下の人々が山本支持に陥りやすいのではないかと考えています。
5人の犠牲者を出してしまった羽田の事故を引き合いに出すのは心苦しいのですが、あの時JALに山本氏が搭乗していたら、彼の勝手な行動(例えばドアを勝手に開けるとか)がどんな惨事を招いたかと想像するとぞっとします。
>池田信夫氏は「境界知能」と言う言葉を使っていますが、
今後「境界知能」という言葉が流行ってしまったら、その該当者が相手を罵倒するために「おまえは境界知能だ」とレッテル貼り罵倒するカオスな世界が現れるのではないかと思いました。
あんまり見たくない世界です・・・
twitter観察してると論理的思考以前に、相手の主張すら満足に理解できない人がいるんですよね。頭に止まる情報が少ないためか、だいたい陰謀論に染まってます。
特定国で多いと言われる機能的文盲じゃないかと思っています。
元雑用係様
ご返信、ありがとうございます。
>その該当者が相手を罵倒するために「おまえは境界知能だ」とレッテル貼り罵倒するカオスな世界
残念ながらそうなるのでしょうね。「お花畑」もそうでしたし。
「常識」や「理解力」で偏差値30台の人達の跋扈する世界は私も見たくないのですが…
F6Fさま
横から失礼します。
X上で賑わっていますね「境界知能」
「文章が理解出来ない」「会話がかみ合わない」方が極側に多い印象を持っていましたが、この「境界知能」説と「境界知能」層に向けたマーケティング説は、すっと腑に落ちました。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
本当、そう思います。
追伸
同じくXで盛り上がっていたIQテスト、試してみました。
幸い境界知能ではなかったようです。
転勤族様
ご返信、ありがとうございます。
はい、私もマーケティング(&選挙制度のバグの悪用)説についてはお説ごもっともと納得しました。
山本氏に取っては非難を受けようがなんだろうが、まともに反論する必要はさらさら無く、自分の言いたいことだけ言っていれば14%の人達が支持してくれ、議員の椅子が手に入るのですから、こんな美味しい商売は無いのでしょうね。
ただ物事を理解する力、とか良識と言うものは先天的に与えられるものだけではないとも思いますので、知能指数を使うのはやや違和感を覚えます。とはいえそれを的確に表現した指標は無いですよね… 強いて言えば学業の偏差値が近いのかもしれませんが、「常識」は測れませんから…
災害に見る「挙証責任を勝手に転換してしまう人たち」
今日のこの記事のタイトルを見て,
もしかしたら先日の記事<日本が台湾の支援断る>において
私のコメントのやりとりがこのブログを荒らしてしまったのではと
危惧していたからです。
中立を保つのは難しいと改めて思います。
挙証責任とは?ーーその基本的な考え方。
とても分かりやすく勉強になりました。