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有罪記者「権力の暴走をチェックするのが新聞の役割」

西山事件とは、毎日新聞の西山太吉・元記者が外務省の女性事務官から違法な手段で情報を入手した事件です。西山元記者は生前、「権力の暴走をチェックするのが新聞の本当の使命である」などと騙っていたようですが、この場合、「暴走している権力」は新聞記者という「第四の権力」の側だったのではないでしょうか。その西山元記者を好意的に取り上げたNHKのポストに着弾したのが、例のコミュニティノートです。

三権分立

新聞、テレビを中心とするマスメディア関係者の多くは長年、「権力の暴走をチェックするのが使命である」、などと自ら騙ってきました。マスメディア関係者はまた、自分たちのことを「第四の権力」と位置付けてきたこともあります。

「第四の権力」とはもちろん、「三権分立」の三権を意識した用語でしょう。

三権とは「立法、行政、司法」のことで、法律を作る立法府(国会)、国会が作った憲法や法律に基づいて実際に政治を行う行政府(内閣)、憲法や法律などの解釈を示す司法府(裁判所)の三権がお互いに別に存在し、牽制し合うというのが、近代民主主義国家の基本形です。

もちろん、同じ民主主義国であっても、英国や日本、ドイツ、イタリア、カナダのような議院内閣制と呼ばれる政体を採用する国もあれば、米国のように大統領が強い権限を持つ国、あるいはフランスのように大統領と首相が並立している国など、立法府や行政府、司法府などの在り方については違いがあります。

ただ、基本的にはこの「三権」の長は何らかの形で国民により選ばれているという点については共通しています。

日本の場合だと、国会(衆参両院)議員は国民からの直接選挙で選ばれますし、内閣の長(内閣総理大臣)はその国会議員同士の互選によって間接的に選ばれます。最高裁判所の判事は内閣が指名していますが、10年に1度、その最高裁判事が国民審査に付されます。

第四の権力としての報道

個人的に、裁判所の判事の選出に、もう少し国民が関与できる仕組みづくりが必要だと考えており、たとえば最高裁判事だけでなく、高裁・地裁判事をその地域の有権者が罷免できる制度があっても良いと思いますが、ただ、いちおう形式的にはこの三権に国民が関わっているというのが民主主義国の体裁です。

ところが、マスメディア関係者のいう「第四の権力」という用語は、自分たちが担う「報道」という役割をこの「三権」に並ぶ権力のひとつに位置付けてきた、ということでもあります。

敢えて彼らの言い分を代弁するならば、「有権者が選挙権などを正しく行使するためには正確な情報が必要だ」、「だからこそ報道は三権を支える『第四の権力』としての重要性があるのだ」、といったところではないかと思います。

「報道は第四の権力である」とする考え方の論拠の例
  • 民主主義国においては、有権者は選挙権などを正しく行使することが必要である
  • 有権者が選挙権を正しく行使するためには正確な情報が必要である
  • 報道は「有権者に正確な情報を提供する」ために必要であり、したがって報道は「第四の権力」といえる

(【出所】当ウェブサイト作成)

新聞、テレビには有権者の監視が行き届かなかった

ただ、報道の役割をそう位置付けたとして、現在の日本のメディアがその「報道の役割」を果たしているのかは、まったく別の問題です。むしろ、報道機関にさまざまな特権(たとえば記者クラブを通じて情報を優先的にリークするなど)を与えたとして、報道機関がその特権を悪用しないという保証が、どこにあるのでしょうか。

ここまで考えると気付くのが、「有権者の監視」という論点です。

三権分立の世界では、国会と内閣は選挙で有権者に選ばれますし、裁判所判事も(不十分とはいえ)国民審査を通じて間接的に有権者から選ばれている、という言い方ができなくもありません。

しかし、新聞社やテレビ局などのマスメディア各社を、私たち国民がどうやって選んでいるのか、という点についてはよくわかりません。

いちおう、新聞社や民放テレビ局については民間企業でもありますが、これらの業界では新規参入が極端に少なく、また、さまざまな利権(新聞は再販価格維持制度、消費税の軽減税率など、テレビは電波利権など)にガッチリ守られていて、有権者の監視が十分に行き届いているとは言い難いでしょう。

さらにNHKに至っては、理不尽そのものです。

私たち有権者が番組内容に口出しすることもできませんし、放送内容に不満があったとしても、「番組を視聴しない代わりにカネを払わない」という選択肢は許されません。

もしあなたがテレビを持っていたら、放送法の規定に基づきNHKと受信契約を結び、NHKに「受信料」(という名目の事実上の税金?)を半強制的に支払わされますし、「NHKの放送内容に納得がいかない」からといって、NHKにカネを払わず、NHKを倒産させる、といったことはできません。

権力の監視を担うのはインターネット?

このように考えると、マスメディアが「第四の権力」などと騙るのは明らかにおかしな話です。

もしもマスメディアが「第四の権力」を自称するならマスメディアに対する国民による適切な監視機構が必要ですし、もしマスメディアが国民の監視を受け入れないなら、マスメディアに「第四の権力」と称されるほどに強い権限を付与することは不適切です。

では、そのような「監視機構」、誰がどう作るのでしょうか。

おもしろいことに、こんな事例がありました。

西山事件

NHKが28日に配信した記事によれば、91歳で死去した毎日新聞の西山太吉・元記者について、こんなことが記載されています。

西山太吉(にしやま・たきち)さんは山口県下関市の出身で<中略>毎日新聞社に入社し、政治部の記者として活躍しました。<中略>沖縄返還をめぐって<中略>『密約』が交わされたことをうかがわせる外務省の機密文書を手に入れ、日米間で大詰めの交渉が行われていたさなかに報道しました」。

政府は、密約を否定する一方で、文書が漏洩したことを問題視し、西山さんは機密文書を外務省の女性職員から違法に入手したとして逮捕・起訴され、有罪が確定しました」。

情報は、正確に書いてほしいものです。

この西山元記者は、既婚者である外務省女性事務官に酒を飲ませ、「強引に性的関係をもったうえで」情報を入手したという人物です。「強引に性的関係をもったうえで」、と記載していますが、要するに人倫に背く行為、ということです。これが1971年に発生した「西山事件」です。

この西山事件、「女性事務官と『情を通じて』違法に情報を入手した」という手法の反社会性が問題視され、毎日新聞の経営悪化の原因ともなったようです(ちなみに西山元記者、女性事務官ともに有罪判決が確定しています)。

「権力の暴走をチェックするのが新聞の使命だ」、などと騙りながら、自分は違法に情報を得る――。

違法取材を行い、有罪が確定した人物のこのような言い分をNHKが好意的に報じたうえで「悼む」というのも、何とも強烈な話題です。暴走しているのはこの場合、西山元記者の方でしょう。

NHKにコミュニティノートが再び着弾!

ただ、このNHKのポストに対し、例の「コミュニティノート」が再び着弾していることにも注目する価値があります。現時点でコミュニティノートは複数存在するようであり、端末によって異なるノートが表示されているようですが、これらについてはその取材手法の違法性を指摘するものばかりです。

西山元記者自身は、「第四の権力」を自称するマスメディアを象徴する人物として、ある意味では非常に相応しい人物であり、この人物を好意的に取り上げるNHKもまた、腐敗するマスメディアの象徴として相応しいものです。

そのNHKのポストに、容赦なくコミュニティノートが着弾したという事実は、このインターネットがマスメディアという「腐敗利権」の監視機構としての役割をさらに高めているという証拠そのものではないでしょうか。

そして、社会のネット化がさらに進んでいけば、遅かれ早かれ、新聞・テレビといったオールドメディアそのものが「第四の権力」たる報道を独占するという状況は消滅していくでしょう。

その意味で、コミュニティノートは国民の監視を無視して暴走してきた「第四の権力」という腐敗利権を、国民の総意に基づき「権力」の座から引きずりおろす過程のひとつを見せつけられているように思えるのは、決して気のせいではないでしょう。

新宿会計士:

View Comments (25)

  • 良論面さんが親分になって、CN機能付けて良かったですね。世の中の良識派が直ぐに反論出来るようになって。
    更に、このサイト、どうしてこうも自分が感じ考えていることを、即座に取り上げて同じ思いの事を書いてくれて、こちらの溜飲を下げて頂けるのでしょうか?

  • 西山事件の最高裁判決、「(共犯とされた外務省職員の女性と)情を通じ」のフレーズだけはしばしば目にしましたが、NHKニュースのX投稿に付いたコミュニティノートのような、被告の非人間性を指弾した内容が含まれていたとは、全く知りませんでした。

    判決直後の報道はともかく(当時はまだ子供だったので、判決全文を報じたかどうかは知りません)、その後こんなはなし聞いた記憶が無い。多分マスコミは、この部分については完全無視だったんでしょうね。

    「隠すより現る」までの時間間隔が、極度に短くなったのがネット時代。

    • >多分マスコミは、この部分については完全無視だったんでしょうね。

      西山事件を題材にした山崎豊子さんの小説「運命の人」やTBS日曜劇場でドラマ化された際もこの記者の取材過程のゲスぶりは触れられず、記者や家族の苦悩が強調されたストーリーでモヤモヤした読後感だったと記憶しています。今回のコミュニティノートでモヤモヤが解消されました。奢れるものは久しからず。新聞が廃れるわけだ。昔佐藤栄作総理の引退記者会見で「新聞記者は出て行け」と切れたことを思い出しました。

    • それに、この事件には、面白い話があって、当時の福田首相が国会で質問された時に、そんな事は「頭の隅」にも無いと答弁していたのだが、毎日のスクープ後,あなたは嘘をついていたでは無いか?と記者から訊かれて、いや、「頭の隅では無く、頭の真ん中にあった」のだから、「隅には無かった」と答えた、と涼しい顔をして答えていた。その時、スクープと言って大騒ぎしているが、こんな事、スクープの価値もなければ、ニュースの価値も無いだろう、と子供心にも思ったものだ。
      大体において、一国の政府が高度に政治的な事を、一々公にして交渉を他国政府とするものだろうか?そんな事する訳が無いと、子供心にも思っていた。この記者、こんな事にシャカリキになって、他人まで巻き込んで、無責任な人間だな、と。
      まあ、最近読んだ話では、この御仁、やり手で出世頭であったらしいので、功を焦っていたのかもしれないが、スクープの対象にその価値がなかった。そんなニュース価値を判断出来ずに見誤ったってことは、記者としての、基本的な素養が無かったんでしょうね。
      それを、マスゴミ村では、英雄視って?

    • 当時は最高裁判決の全文検索なんてできなかった。
      今では誰でもネットで簡単に検索することができる。
      なので、判決文の重要な部分を無視したり、傍論をことさら強調したりすることがやりにくくなった。
      本事件判決文(全文pdfあり)
      https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51114

  • オールドメディアが第四の権力を名乗っていること、そして権力の暴走のチェックが自分たちの仕事だと嘯いていたこと。
    そして、自分たちオールドメディア内の事件については氏名を隠すなど徹底的に守る姿勢であること。

    己が第四の権力なら、その暴走のチェックをするのも仕事では?
    他人に厳しく自分に甘く、では信用を失うのも当然でしょうね。

  • 当時、中学生でしたが、この問題については「国民にも知る権利がある」として、西山氏を擁護する声も結構あったと記憶しています。

    西山擁護の理由の一つは「密かに情を通じ」という曖昧な表現です。この表現からすれば「ねんごろになった男の国民を思う情熱に、女性がほだされて機密情報を渡した」とも解釈でき、実際そうだったと信じていた人も当時少なくなかったと思います。モックン主演のドラマでもそれに近い描き方だったですね。

    しかし西山氏が実際にしたことが、言葉や文章にするのも憚られるような悪辣非道な行動だったと当時明らかにされていれば、西山氏への擁護もずっと小さなものになっていたでしょうね。西山氏は当時のマスゴミに守られたとも言えるでしょう。

  • 自分の個人史で申しますと『運命の人』は未読。で『密約―外務省機密漏洩事件』(沢地久枝)は確か読んでいる。また若かりしころは本多勝一のファンでした。それは日共の中で勧められたわけではなく、何となく引き寄せられて読んでいました。
    逆に、日共ではマスコミを「第四の権力」なんて持ち上げ方はしていませんでした。意外に思われるかも知れませんが日共党員の中では『朝日新聞』や『世界』は独特の「反共のマスコミ」と警戒されていました。妙に(日共が敵対する)ソ連や中共を持ち上げる態度だと訝しがる感じ。
    党員には『しんぶん赤旗』の各自での熟読から、拡張や配布、集金ばかりでなく自身で取材してネタを編集局に上げる事で参加するようにと言われていました。そうは言っても「他紙を読むな」という意味ではなく、全国紙も地方紙も読む人は(カネに余裕があるならば)4紙5紙と購読していました。今では新聞代もどんどん高額になって、多少高収入な人でも4紙5紙と購読なんて職業でもなければ凡そ考えられない感じですが、議員でもないヒラの党員でもそういう人は結構居ました。
    また、インターネットが普及してない頃だという事もあるが、考察であれ見知った情報のタレコミであれ、赤旗編集局に兎に角あげる。つまり「自分個人の意見表明はしない」という事になっていました。今の日共の公然と「私は党員です」としてうっかり粗忽な表明をしては日共の評判を自分で落とす連中とは世代格差を感じてしまいます。新宿会計士さまはよく日共の党員は対話ができない、と昔は書いていたけれど、言わば密集隊形で迂闊なボロを出さぬようにという事だったのではないかと思います。
    まぁ、そんな後生大事にしていた『しんぶん赤旗』も一般新聞以上に質量とも凋落。私も「党の体質」というよりも触れる事ができた「『しんぶん赤旗』の体質、論調」についていけずに離党したわけです。

  • この時代にあえて西山の様な人物を英雄視して扱うのはどんな意図があるのか?

    コミュニティノートがつく事も非難囂々になる事も、NHKがまるで予想しなかったとは
    さすがに考えにくい。つまり、分かった上で挑発的にやっている。

    残り少ない”お花畑様”向けにこんな昔の人物を美化してもメリットはなさそうだから、
    むしろネットへの憎悪をあおる事で身内の士気を高めると同時に、
    「裏切りは許さない」と身内を相互監視する意味があったんじゃないだろうか?

    結局はただの推測に過ぎないけれど、いつか「当時の内部の意図はこうだった」と
    言う暴露本でも出てくれないかなあ。出るとしたらNHKが死滅した後だろうけど。

    • 今流にしっかり表現し(切取りしにくくして)言うなら
       「不同意性交を手段とした性的拷問(私刑)によって引き出した、違法な情報」
      てとこでしょうね。
      なので法的にはもちろん無効だし、報道することを犯罪として問えないものか?

    • 亡くなったすぐ後位に流した、性交の下りをとことんぼかして唯々政府の横暴の被害者の様に描いたミニ特集は殆ど燃えなかったから予想してなった可能性もあるかなあ
      日曜朝の番組なので見てる人も少なかっただろうけど

  • >この西山事件、「女性事務官と『情を通じて』違法に情報を入手した」という手法の反社会性が問題視され、

    今の時代だと性的暴行をしたのを「情を通じて」と矮小化したのであれば、少女買春を援助交際とかパパ活と言い換える卑劣で卑怯な連中と同レベルに思えますね。

  • 毎日新聞の凋落は西山事件から始まってる。
    明るみに出たのが1972年、1973年に部数を大幅に減らし1977年には新旧分離方式で再建。

  • 胸糞悪いハナシ
    今世紀に入って以降でも、生前の三宅センセイ(件の記者の直接の上司)もコノネタには非常に歯切れ悪く精彩を欠いたコメントに終始しておられた様な
    "性被害" について輻輳して報じられた年の暮れに"コノネタ" とは、NHKの本音が透けておるようでんナ
    『ジブンらがナニ様思とんか、ハッキリわかったワ』

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