水道から透明な水ではなく色水や味付きの水が出てきたら困ります。本来、新聞やテレビといったメディアの大きな役割は、情報に変な色を付けるのではなく、客観的な事実をありのままに伝えることにあったはず。ところが、2009年の総選挙のときもそうでしたが、客観的事実にかなり偏った主観的意見を混ぜ込んでくる傾向が、日本のオールドメディアには認められるのです。
目次
事実と意見を峻別することが大事
客観的意見は誰がどう報じても同じ内容に
当ウェブサイトではかなり以前から、(フィクションを除けば)論評には2つの種類の情報がある、という話をしてきました。それが、「客観的事実と主観的意見の峻別(しゅんべつ)」、という論点です。
「客観的事実」とは、どこの誰がどう報じてもだいたい同じような内容になる情報のことで、「主観的意見」はこれと逆に、報じる人、論じる人によって、まったく異なる内容になる可能性がある情報のことです。
- 客観的事実…どこの誰が報じてもだいたい同じような内容になる情報
- 主観的意見…論じる人により内容が全く異なる可能性がある情報
たとえば、こんな情報があったとしましょう。
- 「岸田文雄氏は首相に就任してから2023年10月4日でちょうど2年が経過した」。
- 「岸田首相は前任者らができなかった素晴らしい仕事を次々と達成しており、史上最高の首相だ」。
- 「岸田首相は残りの任期で増税をしようと思っているに違いなく、史上最悪の首相だ」。
この3つのうちの(A)は、客観的事実です。岸田文雄・現首相が就任したのは2021年10月4日のことであり、2023年10月4日はそこからちょうど2年が経過した日でもあるからです。
もちろん、この文章について、「2023年」の部分を「令和5年」と表現する人もいるかもしれませんし、岸田文雄「氏」ではなく呼び捨てで表現する人もいるかもしれません。あるいは「首相」ではなく「内閣総理大臣」と表現する人もいるでしょう。
しかし、いずれにせよその文章が意味する内容としてはまったく同じであり、誰にでも同じ内容として伝わります。また、この手の文章は、記述内容が客観的に見て、「正しい」か「間違っているか」を断定することが可能だ、という特徴もあるのです。
客観的事実と主観的意見を混ぜるな!
これに対し、文章(B)、(C)はどうでしょうか。
ごらんの通り、真逆の内容を述べています。
このため、(B)と(C)が同時に「正しい文章である」、という事象は、ちょっと成り立ち辛い気がします。岸田首相が「史上最高の首相」であり、かつ、「史上最悪の首相」である、というのには、非常に違和感があると思う人も多いでしょう。
しかし、結論からいえば、どちらも文章も「客観的・絶対的に正しい」、「客観的・絶対的に間違っている」、と断定することはできません。なぜなら、「史上最高/史上最悪」云々のくだりは、話している人の主観に基づく評価だからです。
したがって、私たちが物事を判断するときには、なにが客観的事実で、なにが主観的意見なのか、ちゃんと厳格に峻別しなければなりません。
というよりも、岸田首相が「史上最高の首相」なのか、「史上最悪の首相」なのかとレッテルを張るよりも、岸田首相が就任以来、何をしてきたのか、そして彼やその周囲の政治家らの言動に照らし、これから何をしようとしているかを見極めることが重要なのです。
メディア報道は「色付き水道水」
麻生総理は偏向報道の被害を受けた
ただ、ここでちょっと考えていただきたいのは、もしも大手メディアがいっせいに、特定の政治家、政党、企業、個人などに何らかのレッテルを張り始めたら、日本の民主主義はどうなってしまうか、です。
「この政治家はKYだ」、「この政治家は庶民の生活を知らない」、などと、大手新聞や主要テレビ局がいっせいに報じ、その政治家を叩いた結果、選挙結果に大きな影響が生じたという苦い経験を、じつは私たち日本国民は持っているのです。
その被害者は、麻生太郎総理大臣です。
麻生総理は2008年9月、突然政権を投げ出した福田康夫元首相に代わって自民党総裁に選ばれ、総理に就任しました。
しかし、その直後にリーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発するグローバル金融危機が生じたため、解散総選挙を打つことができず、その間も「漢字の読み方が間違っていた」、「カップラーメンの値段も知らない」、「ホッケを煮つけにして食う」など、麻生総理の発言の揚げ足を取るような報道が継続。
ちなみに「KY」とは、もともとは朝日新聞のカメラマンが沖縄の珊瑚をわざと損壊した際に書いた落書きでしたが、麻生総理を攻撃するメディアスクラムの際には、「K(カンジ)Y(ヨメナイ)」の意味で用いられていたのです。
「21世紀臨調」を無視したオールドメディアたちの罪
極め付きは2009年8月30日の衆院選を前に、21世紀臨調が実施した自民党と民主党の党首討論です。
内容については『先祖返りする立憲民主党、今度の標語は「変えよう。」』でも指摘したとおり、客観的に見て麻生総理が鳩山由紀夫・民主党代表に対し「圧勝した」と評価して良いものでしたが、主要メディアはこの党首討論を一斉に無視。
オールドメディアはひたすら、麻生総理のことを「KY」だの、「庶民感覚がない」だのと批判し続けたのです。これはもう「情報の汚染」と呼んでも良いほどだったのではないでしょうか。
いずれにせよ、オールドメディアはメディアスクラムにより、「麻生=無能」、という印象を一部の国民に刷り込むことに成功し、「政権交代」、「自民党にお灸を据える」をテーマに選挙が行われた結果、本当に政権交代が達成されました。
ちなみに「お灸を据えられたのは自民党ではなく、日本国民の方だった」というのは、著者自身の主観的見解です。
また、この2009年の総選挙前後あたりから、(当時は現在と比べまだ普及度が低かった)インターネット上では、「マスゴミ」、「報道しない自由」など、新聞やテレビなどのオールドメディアに対する怒りを込めたネットスラングが発生し始めていたのではないかと思います。
さらには、『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』などでも指摘したとおり、日本のメディアには「事実を事実として正確に伝える力」が決定的に欠如している、とする調査結果も出ています。興味深い話ですね。
余談:選挙分析は興味深い
なお、余談ですが、2009年8月の総選挙では、国民の圧倒的多数が民主党を支持したわけではありません。
たとえば小選挙区で民主党が得たのは3348万票であり、自民党の2730万票と比べて約1.2倍に過ぎなかったのですが、小選挙区の獲得議席数は民主党が221議席に対し自民党が64議席と、じつに4倍近い差がついてしまいました。
このあたりは、「ほんのちょっとした得票差で大きな議席差を生むという衆院選の小選挙区制度の特徴が大きく出た選挙だった」、という言い方もできるでしょう(※この点については本稿の主題とは直接的な関係はないのですが、選挙分析上は大変重要な論点であるため、いずれ別稿にて取り上げたいと思います)。
納得の「水道管理論」
さて、私たちが日常的に接する情報が「汚染」された場合にどうなるか、という点については、この2009年の総選挙の事例を思い出しておくだけでも、私たち日本国民にとっては十分に苦い経験だったといえるでしょう。
こうしたなかで、「水道管理論」、とでもいえばよいのか、X(旧ツイッター)を眺めていて、思わず膝を打ってしまうようなツイートを発見しました。それが、こんなツイートです。
ツイート主は「とーちゃん(さん付け不要)」(@knightma310)様という方で、2万人近いフォロワーを有している「インフルエンサー」的なアカウントです。
「とーちゃん(さん付け不要)」様によると、新聞記者とは本来、「混じりっ気なしの『情報』を間違いなく届けるのが仕事」であり、その意味では水を水のまま通す導管体のようなものだというのですが、この内容には心の底から同意せざるをえません。
元ツイートには「新聞記者」とあり、これについては「メディア記者」と呼び変えても良いと思いますが、要するに、当ウェブサイトの用語でいうところの「客観的事実に主観的意見を勝手に混ぜ込む現象」のことを指しているのではないかと思います。
なるほど、水道水に勝手に色や味がついていたとしたら、それは汚染水のようなものです。
結局のところ、新聞やテレビも読者や視聴者が求めていない情報を勝手に取捨選択し、それに自分たちの勝手な見解という「ゴミ」を混ぜ込んでくるわけですから、新聞やテレビが社会から信頼を失っていくのは、ある意味では当然のことといえるのかもしれません。
例の新聞記者はメディア腐敗の象徴
「記者の裏側に国民がいる」という勘違い
こうしたなかで、昨今、再びこのオールドメディアの記者の行動が社会的に騒ぎを起こしているようです。『大手事務所の「未成年性加害問題」は出版界にも波及?』などでも取り上げた、例の大手芸能事務所の創業者による未成年者に対する性犯罪事件がそのきっかけです。
同事務所を巡り、一部のメディア記者が「暴走」しているのです。
とりわけその事務所が「NG記者リスト」を作っていた疑惑が浮上したなどとして、一部の記者がその事務所を舌鋒鋭く批判しており、元東京都知事の舛添要一氏も「記者の背後に国民がいる」などとして、この「NGリスト」を批判しているようです。
「記者の背後に国民がいる」。
とんでもない思い違いです。
メディアの記者はたしかに記者クラブ制度などの特権的な仕組みにより、一般国民に先駆けてさまざまな情報を労せずに入手し得る立場にありますが、それはメディア各社が「国民の代表」だからではありません。『【総論】崩壊始まる官僚・メディア・野党「腐敗利権」』などでも指摘したとおり、単なる既得権益です。
私たち国民の代表者は、あくまでも国会議員を筆頭とする「選挙で選ばれた政治家」であり、むしろ独占的な情報力を持っている大手メディア(たとえば全国紙、ブロック紙、NHK、在京民放ネットワークなど)は、自由経済競争で国民から選ばれた存在ですらありません。
例の「暴走記者」、同僚記者が大迷惑?
こうしたなかで、先ほど挙げた「とーちゃん(さん付け不要)」様のツイートにも出てきた記者を巡って、ウェブ評論サイト『デイリー新潮』に土曜日、ちょっと興味深い記事が出ていました。
ジャニーズ会見「望月衣塑子記者の暴走」を見た東京新聞記者たちの本音「迷惑なんですが…上層部は問題にしていません」
―――2023年10月07日付 デイリー新潮より
記事タイトルにその該当記者の名前が出ていますが、いちおう、本稿ではお名前についてはスルーします。
デイリー新潮によるとその芸能事務所の会見で、問題の記者が「茶番だ」などと騒ぎ立てているなかで、同じ新聞社に所属する中堅記者が「NGリスト」の件で事務所側に問題もあったとしつつも、次のように呆れている、とするものです。
「ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう」。
デイリー新潮の記事によると、問題の記者は前回の会見でも事前に設定されたルールを無視して10分以上も質問し、事実誤認発言まで飛び出したほどで、前出の記者は「彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います」と述べたのだそうです。
ちなみに問題の記者は、以前の『首相記者会見で「逃げるんですか」発言記者に批判殺到』でも取り上げた、元朝日新聞の某フリーランスの記者と共同でネットメディアを立ち上げているようであり、これについてデイリー新潮も「最近使い出したこの新たな肩書き」と新聞記者の肩書きを「都合良く使い分けている」と指摘します。
たとえば、記者クラブによっては「各社1人」という制限が設けられることがあるのですが、問題の記者は自身が所属する新聞社以外にもネットメディアの肩書きを持っているため、自身が所属する新聞社の記者とは別に堂々と会見場に入場。
「そして例によって、3分くらい一方的に自分の意見としか思えないとっ散らかった質問を続けて、周囲の顰蹙を買っていました」。
事実だとしたら、なかなかに呆れる話です。
その新聞がいずれ国民から罰を受けるのでは
ではこの記者が所属する新聞社は、この記者に対して何らかの懲罰を下す兆候はないのでしょうか。
前出の同新聞の記者は、デイリー新潮に対し、こう述べたそうです。
「彼女の著書『新聞記者』が映画化されてから、誰も彼女をコントロールできなくなってしまっている。ただ現場レベルでは大ブーイングですよ。取材先から『あの●●さんがいる新聞社ね』と馬鹿にされますからね。独善的なジャーナリズムを貫くのは結構だが、その陰で頭を下げている同僚たちがいることを知ってほしい」。
じつに興味深い現象です。
その新聞社としても、もうコントロールできなくなっている(あるいはそのキャラクターを利用している)、ということなのでしょう。というか、例の新聞記者はメディア腐敗の象徴、という言い方をした方が正確なのかもしれません。
もっとも、以前の『新聞朝刊の寿命は13.98年?』や『新聞夕刊は7.68年以内に消滅』などでも取り上げたとおり、新聞業界自体が滅亡に突き進んでいるなかで、正直、この記者の暴走を止めない新聞社がいつまで存続するか、という問題はあるでしょう。
わかりやすくいえば、新聞も結局は民間企業である民間企業が発行しているため、事業として採算が取れなくなってくれば、最悪の場合、廃刊を余儀なくされるのです。その新聞を購読しようとする人が激減すれば、「誰も読まなくなった結果として廃刊」、という結論だって、十分にあり得る話でしょう。
つまり、新聞社が懲罰を下さなければ、私たち国民が消費者として、「その新聞を購読しない」というかたちで、代わりに懲罰を下すことができる(かもしれない)、ということです。
もちろん、メディアの中にはNHKのように、私たち国民の努力では倒産させることが難しい、寄生虫のような究極の既得権益メディアも存在します(※NHKを寄生虫に例えてしまい、申し訳ございません。寄生虫に謝罪します)。
しかし、NHK以外の多くのメディアも、民間企業である以上は、いずれ経営難に陥り倒産、という可能性はないわけではないでしょう。
まずは夕刊から消滅していく?
さて、最後にもうひとつの余談です。
個々の新聞社の経営がどうなのか、という問題もさることながら、新聞業界自体が現在、衰亡に向けて突き進んでいることは間違いなく、主要紙はこれから、まずは夕刊の事実上の廃刊に踏み切るものと考えられます。
実際、当ウェブサイトでは「早ければあと2~3年で、主要紙は夕刊事業から撤退する」と「予言」してきましたが、これについては『事実なら主要紙で初:北海道新聞が夕刊から完全撤退か』などでも指摘したとおり、少しずつ実現し始めています。
いずれにせよ、新聞社やテレビ局を含めたオールドメディアは、2009年の政権交代の責任をいまだに取っていませんし、それどころか現在でも隙あらば虚報を垂れ流そうとしています。このインターネット時代、もう多くの国民がすでに情報弱者ではなくなっているにも関わらず、です。
そのオールドメディアは、まずは新聞社が、続いてテレビ局が、「倒産」というかたちで一連の虚報の対価を支払うことになる可能性は、相応に高いといえるのではないかと思う次第です。
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毎度、ばかばかしいお話を。
①未来の広辞苑:「「新聞記者の後ろに国民がいる」というのは、新聞記者が作り出した神話である」
②日本マスゴミ村:「色がついていない水道水は、どう売ればよいのでしょうか」
これって、笑い話ですよね。
マスコミには世論形成能力があるからマスコミなんですが、ついでに「無知蒙昧な愚民共に正しい道を指し示す選ばれた者達が我々である」という選民思想も一緒になってるから、自重の出来ない馬鹿が暴走し始めると誰にも制御出来なくなるんでしょうね。
アノ記者はブロック塀の中で耳触りの良い言葉に囲まれている「姫」状態だし、アノ界隈ではそのままで終わる人もチラホラ居るので、実害が無い限りは「丁寧な無視」で良いかと思います。
特権を悪用していろんなところで政治活動と妨害行為に及んでいるから、すでに実害は出ているのではないでしょうか。
私としては、望月記者の実害って言えるとしたら此方の件くらいの認識なんです。
悲鳴を上げて逃げた望月衣塑子記者 「取材続けて」と手を差し伸べる赤木雅子さんの声は届くか
相澤 冬樹2022/05/04
https://bunshun.jp/articles/-/54020
いつまでも威張るな自称言論機関
これからは新入社員の集まらない産業の代表格になりそうな趨勢です。
>「記者の背後に国民がいる」。
取材を受ける立場、記者会見をする立場からの、自らの戒めとしては正しいと思うのです♪
取材は記者会見にきてる記者は、記事を書くためにきてて、その記事は読者やら視聴者に届くわけで・・・・
だからこそ、NGリストは必要だと思ったりするんですけどね♪
情報の拡散に人の手が入る以上は、どうあっても色は付くものなのでしょう。
既存のマスコミが拡散する情報は色水だし。ネットの各人が拡散する情報(評論など)も色水です。
客観性を求められるマスコミが、色を薄める努力も見られずに色を加えるのは、メディア倫理に反していると思いますが。
同時に、ネットの各人が発する情報に、客観性を期待することも賢いとは言えないのでしょう。
ネットがマスコミの地位を奪い、より確かな情報を提供するようになるだろうなんて妄想でしかありません。
生まれるのは、数多の既存マスコミと同レベルの発信者ですから。下手すると、自分達はマスコミじゃないから、中立性なんて知ったこっちゃない。自分が中立性だと言わんばかりに色を付けますし。
そういう意味では、勿論このブログも、他のブログも、動画配信者も、SNSの呟きも、自分含めたコメント者も、ただの色水売りでしかないのです。
色の無い水が欲しければ、各人が事実と意見を分けるフィルターを強化するか。より、色が少ない上流の水源(政府公報とか)を求めていく。
そういった、他人に依存しないマインドが必要に思えます。
>勿論このブログも、他のブログも、動画配信者も、SNSの呟きも、自分含めたコメント者も、ただの色水売りでしかないのです
このブログはマスコミではありませんけどね。
ブログ主の言う客観的事実と主観的意見はマスゴミと比べてちゃんと分離されているからマスゴミよりこのブログの方がクオリティが高いんですがね。
>このブログはマスコミではありませんけどね。
そうですね。だから、特定の政党の特定の派閥の候補者に票は入れないようにすればとか、そういう誘導めいた主張も見掛けたことありましたが、お咎め無しです。言論の自由の範囲内です。
また同時に、そういう意味ではマスコミよりも中立性が無いものになることもあれば、マシになることもあるのは仕方ないと思っています。
>ブログ主の言う客観的事実と主観的意見はマスゴミと比べてちゃんと分離されているから
あなたにとってはそうなんでしょうという話でしかありません。
ついでに言えば、ここはブログ名にも書いてあるように「評論」サイトです。
評論っていう色を付けることが前提だし、その色を付けることに価値があると唱えているサイトなんですよ。
前提からして、色を付けないことを求められるマスコミとは別物です。
最初から、真水を期待して来るようなところではないし、付いた色にどんな値段を付けようが、それは各読者の自由でしょう。
あなたがここをどう評価しようが、それは自由です。
自分がどう評価しようが、それも自由です。
ただし、もしも付いた色に称賛と賛同しか認めないと言うのなら、それはもはや、読者ではなく信者だと思います。
>もしも付いた色に称賛と賛同しか認めないと言うのなら、それはもはや、読者ではなく信者だ
イチかゼロかが、極端な意見ですね。
個人のサイトでなにを書こうが、イチとゼロの中間グレーなグラデーションのなかで50なのか60なのかの問題ですから、外野席がどうこういう次元の話ではありません。
アルプススタンドに阪神ファンしか集まってないことは、現象として不思議じゃないし統計的に不自然でもないし、誰にも迷惑かけてないし、大きなお世話なんですよ。
大手メディアは税金で優遇されているから、
「しっかりやれ!」
と言われても仕方ないので、根本を勘違い・はき違えしてるかと。
阪神ファンの中で、巨人ファンが紛れ込んで巨人を応援しようが、そんなもの各ファンの自由でしょう。
ここは阪神ファンのエリアだ。阪神ファン以外は許さない。不愉快だから出て行け。お前は外野なんだ。
みたいなことを言論の場で言うのなら、それは言論統制でしかありません。阪神ファンのみが集まった心地よいエリアを作ろうなんて真似を言論でやろうというのは、エコーチェンバーの助長でしかないと思いますが?
自分も、既存マスコミに対しては、しっかりやれという立場ですがね。
言いたいことは、既存マスコミも各ブログおよび情報発信者も、色水を出す存在だという点で、変わらないというだけです。
ブログなどが、色水を出しちゃいけないとは言っていないし。どこも色水が出てくる以上は、各人がフィルターを用意したりして、判断しないとダメだよねと言っているだけです。
マスコミの態度についての話じゃなく、発信される情報との付き合い方に対する、個人的意見を述べているに過ぎません。
このブログのクオリティが高いかどうかは別として、少なくともこのブログはマスコミじゃない。ブログ主は記者クラブに所属しているわけじゃないしこのブログの議論はオシントに基づいて構築されている。信者とかいう極論が沸いているが是々非々で判断すればいいだけの事。
マスコミじゃないってのも、是々非々で判断すればいいっていうのも同意だし。
最初から、それと全く同じ事言っているつもりなんだけど?
信者云々は、是々非々で判断せずに、常に賛同しろってなると、そうなるよねっていうだけで。
「DD理論にするなよ」
(DD=どっちもどっち論。強引に負けを引き分けと言い張る謎理論)
という主旨を読解してほしかったッス。
「同じじゃん」
とか得意気に書かれても、そんなことはみんなとうに理解した上で
「一緒にすんな」
という流れでしょうに。
大手メディアには公金が入ってるから。(既に書いた)
赤旗とか聖教新聞がなにを書いても、問題ゼロです。
甲子園の1塁側で巨人を応援するのも、問題ゼロ。
好き勝手やりたいなら、軽減税率を自主返納し払下げられた国有地の価格差分を金利付で自主返納し電波オークションに応じ一部上場して決算報告して、市場の(世間の)淘汰を経てから、やるべきかと。
>好き勝手やりたいなら、
どういう意図にしろ、結果的に情報が色水だらけとなってしまうという環境で、自分達はどう情報と接するべきかという話をしている訳です。
マスコミはどうすれば好き勝手が許されるかなんて話してないんですが? そもそも、マスコミは中立性を意識すべきだって考えていますし。
どっちもどっち?
いや、マスコミも一般人も、情報に色を付けるのは同じでしょ。
情報の受信者としては、発信源の行動はどちらも同じですよ。
一緒にすんな?
一緒になんかしていませんよ。
マスコミは色を付けることは求められず。一般人は色を付けることは許されていますよ。
マスコミと一般人に対し、それぞれ同じところと、違うところは区別して考えています。
あなたが一体、何をどう解釈して、何がどうあるべきだと言いたいのかさっぱり分かりません。
マスコミ業界は日本では珍しく、昔から転職があたりまえの業界だから、例の記者と一緒にされるのが嫌な東京新聞 (中日新聞) の記者は、他社に転職すればいいのに・・・と思ったけど、人手不足が深刻な今の日本で、マスコミ業界の人手不足だけは全然聞きませんね (笑)。
何回か早期退職を募っているあたり、どのマスコミも人手不足とは
無縁なのでしょうね。年々売上は減少していく一方なのだから当然!
副業OKのみならず、副業に会社の肩書を使うこともOKなんていい会社ですね。社則もそうなっているのかな?
いっそのことNGリストを理由とともに公開したらよかったのに。
久しぶりに見ました。
韓流の 吽国際政治学者 の舛添要一氏 。
民団新聞お抱え学者さんになられたと思ってましたが
舛添氏の「背後にいる国民」とは、
日本国民ではない国民さんのようですなあ。
(^^);
なお、記事のタイトルには
両手を挙げて賛成です。
もちろん世界では例えば中国のように
どの異なるメディアの蛇口を捻っても
中共政府の赤い水しか出てこない国もありますが、
ここ民主主義国家日本でどうして
赤やキムチ色の水が出てきてしまうのか
まったくおかしいことだと思います。
まあ、実際の上水道でも
無色透明清潔安全で飲用できるのは
世界でも日本ぐらいのものです。、
近くの国では色だけどころか蛇口から
うじ虫がソウルや仁川で出てきたことが
あちらのメディアで報道されています。
日本のメディアはそちらの影響を
受けてしまっていることが知られてますが
正しく無色透明清潔な水になってしまうことは
ご自分たちの棲息含め受け入れられず抵抗を
なさることだろうとは推察します。
グンゼの創業者の言葉を思い出しました。
「善い人が良い糸をつくり、信用される人が信用される糸を作る」
現在のマスコミは「善い人が良い記事をつくり、信用される人が信用される記事を作る」と胸を張って言えるのでしょうか。
私にはとてもそうは思えません。
「水道管」で思い出した。
テレビ局自体は電波を発する装置にすぎない。
アメリカでテレビ局の買収が盛んだったころ「テレビ局はただの筒」と呼ばれていたのを思い出す。
筒にニュースだけを流すニュース専門チャンネル、経済ニュースだけを流す経済専門チャンネル、映画だけを流す映画専門チャンネル、天気予報と関連情報だけを流す天気予報専門チャンネル等がアメリカにはある。
日本のテレビ局、ニュースは自分で制作しているようだが天気予報は外注、天気予報に出てくるキャスターも制作会社の所属というのがめずらしくない。ドラマも外注、映画などは既存のソフトを買ってきて「水道管」に流すだけ。
さらにいえば、視聴者にとっては 「筒」 が何でできていても構わないのです。地上波だろうが、衛星放送だろうが、ケーブルテレビだろうが、ネット配信だろうが・・・文字どおりコンテンツ (中身、内容) が大事なので。
個人的には、検証が作用すればマシになるような気がするんですが。
天気予報でも、株価でも馬券でも、
「的中したかどうか?」
という結果に対する厳しい検証にさらされています。
大手メディア(新聞&テレビ)は検証しない/されないですからね。
WEBサイトでもヨウツベでも、PVという厳しい検証にさらされています。
淘汰が作用してます。
だから、まだマシなんでしょうね。
玉石混合が面倒くさいのですが、大手メディアが腐ってるんだから、仕方ないですね。