福島第一原発処理水放出、日韓関係「改善」、そして「国の借金」論――。これらの共通点は、新聞、テレビといったオールドメディアが発信する言説に対し、SNSやヤフコメなどを通じて垣間見える、一般国民の反応の方が、はるかに科学的で理論的である、という事実です。聡明な高校生ですら「国の借金」論のウソを見抜く時代。日本の将来は明るいといえます。
目次
福島原発を巡る事実
事実と意見を分けること
当ウェブサイトで気を付けていることがあるとすれば、それは、「可能な限り、事実と意見を分けること」、です。
客観的事実は「誰がどう報じてもだいたい同じになる情報」のことであり、「主観的意見」は「報じる人によって内容がまったく異なる(場合によっては真逆になる)かもしれない情報」のことです。
というよりも、これはべつに当ウェブサイトの専売特許ではありません。報道媒体、あるいはウェブ評論サイトで流れている情報というものは、(フィクションや誤報、捏造報道などを別とすれば、)究極的には、すべてこの2つに分類できるからです。
その意味で、前提となっている情報が「事実」であるかどうかは、大変に重要です。
ある事実関係に基づいて議論を展開したとして、その前提となっている事実関係が虚偽だったとすれば、それを前提とした議論がすべて崩壊するだけでなく、そのような議論を展開した人物や組織、メディア、あるいは国家などに対する信頼が崩壊することもあります。
福島第一原発の処理水の事例
たとえば、こんな報道があったとしましょう。
「東京電力は8月24日、福島第一原発の敷地内に保管されていたALPS処理水の海洋放出を開始した。」
これについては、基本的に誰がどう報じても、同じ内容にならなければならない情報です。
もちろん、「8月24日」の部分を「2023年8月24日午後1時ごろ」、と、さらに詳しく報じる人もいるかもしれませんし、「ALPS処理水」を単に「処理水」と呼んだり、「開始した。」を「開始しました。」と表現したりする人もいるかもしれません。
ただ、これらはいずれも本質的な違いではありません。情報の主要なパーツが同じであれば、基本的に誰がどう報じても、同じになるのです。
しかし、これをたとえば次のように報じたとしたら、どうでしょうか。
- 「今回の処理水の放出は、国民全員や国際社会すべての了解を得てなされたものであり、科学的に見ても放射性物質はほとんど含まれていないため、今後、健康被害をもたらすことはまったくないと断言できる。」
- 「今回の核汚染水の放出は、多くの国民の不安を払拭できないまま、また国際社会の反対を押し切ってなされたものであり、多くの人は『今後、健康不安が生じるのではないか』と心配している。」
正直、どちらの文章も、非常に微妙です。かなり主観的な表現が混じっているからです。
これについて、どう考えるべきでしょうか。
まず(A)の文章については、正直、事実認定に誤りもあり、議論も飛躍しています。たとえば、一部のメディアや政治家、一部の国が海洋放出に強く反発しているため、「国民全員」や「国際社会すべて」の記述は明確な誤りですし、これに加えて「科学的に見ても~まったくない」のくだりは、少し議論が飛躍しています。
福島第一原発の場合、処理水に含まれる放射性物質は、ALPSにより科学的に設定された基準値を下回る水準にまで除去され、完全な除去が難しいとされるトリチウムについても国際的に設定された基準値を大幅に下回る水準にまで希釈することで、海洋に放出されます。
しかし、「放射性物質がほとんど含まれていない」わけではありません。微弱であるにせよトリチウムを筆頭に放射性物質は含まれているからです(といっても、自然界には100~130京ベクレルのトリチウムが存在し、また、海中にはウランが45億トン含まれているため、自然環境への影響は極めて限定的ですが…)。
一方で、(B)の文章も、正確ではありません。
そもそも放出されるのは「核汚染水」ではなく「ALPS処理水」であり、両者はまったくの別物です。また、「多くの国民の不安が払拭されていない」についても一種の決めつけですし、今回の放出がIAEAや欧米諸国などの事実上の承認を得てなされているため、「国際社会の反対を押し切って」、も正しくありません。
また、少なくない人が「不安を覚えている」という点についてはその通りかもしれませんが、これはどちらかといえば、報道や一部政治家らによる無責任な言動が原因と考えるべきでしょう。
とくに、「外国の核施設の周辺では、公式には認められていないものの、健康被害が報告されている例もある(らしい)」、「だから福島第一原発の処理水放出についても、その『健康被害』の件をあわせて検討すべきだ」、といった、極めて無責任な発言は、それ自体が風評加害行為でもあります。
(ちなみに「外国の健康被害の件を知っていてわざと無視した」、などとして、当ウェブサイトの記事を舌鋒鋭く批判するコメントが付いたこともあります。しかし、大変申し訳ありませんが、「外国で健康被害が報告されていた」などとする情報、存じ上げません。調べても古い雑誌記事などが少しヒットするくらいですが、なぜ当ウェブサイトでそんな不確かな情報をいちいち取り上げなければならないのでしょうか?理解に苦しみます。)
一般人の発言の冷静さvs科学を否定するオールドメディア
いずれにせよ、福島処理水の放出の件については、非常に良いリトマス試験紙になりました。
あくまでも著者自身の主観ですが、現在までのところ、SNSやヤフコメなどを通じて見えて来る一般人の意識は極めて冷静で、「科学的には一定の安全性が認められている」という点についても、きちんと理解していると思われるコメントが多く見られます。
これは正直、非常に意外でしたし、また、日本国民の潜在的な能力の高さを示すものであることは間違いないでしょう。圧倒的多数が、処理水を「汚染水」と呼ぶことが間違っていることを、きちんと科学的根拠を持って理解しているからです。
この点、『科学を隠れみのにするな』という、極めて非常識な論考を掲載した日本のメディアを眺めていると、科学的根拠や客観的事実といったものが、日本のメディアではいかに軽視されているかがわかります。
そういえば、「戦時中、どこかの国の軍隊が外国で女性を20万人誘拐し、戦場に連行して性的奴隷にした」、「戦時中、どこかの国の企業が外国で人々を『強制徴用』し、過酷な強制労働を強いた」、などとする与太話が、いまや国際社会において、あたかも事実であるかのごとく信じ込まれています。
これはもちろん、虚偽の内容をさも事実であるかのごとく報じたメディアが存在したからですが、そのようなことを報じたメディア、あるいはそのような主張を展開して謝罪と賠償を求め続けているウソツキ国家についても、すでに多くの人が信頼していないことは間違いありません。
意見形成過程をオープンにすること
さて、ここで「事実と意見を分ける」ことは極めて重要ですが、それだけではありません。
ある事実関係をもとに、何らかの意見を形成するに際しては、その意見形成過程をオープンにすることもまた重要です。
たとえば、先ほどの「福島処理水の放出は健康被害をもたらす可能性が非常に低い」とする「意見」については、次のような「事実や科学的な理論・推論」などから構成されています。
- 福島第一原発から放出される処理水にはトリチウムやそれ以外の微量な放射性物質が含まれている(事実)
- このうちトリチウムについては放出するベータ線のエネルギーが極めて微弱であり、空気中を5㎜しか進むことができず、紙1枚で遮蔽することができる(科学的事実)
- トリチウム自体、宇宙から降り注ぐ放射線などにより常に生成されているとみられ、もともと自然界に100~130京ベクレル存在する(科学的推論)
- トリチウムについては「生物濃縮する」とする信頼すべき研究結果はなく、現在のところ、「トリチウムが他の放射性物質に比べて特別に生体影響が大きい」とする事実は認められていない(科学的推論)
- 福島第一原発の場合、放出される処理水に含まれるトリチウムは、年間22兆ベクレル以下にコントロールされる予定である(事実)
- フランスのラ・アーグ再処理施設や中国の泰山第三原発などでは、福島第一原発から放出される予定量を大幅に上回るトリチウムが放出されているが、健康被害は報告されていない(統計的事実)
つまり、福島第一原発の処理水の放出により、健康被害が生じるとする理屈自体が、なかなか成り立ち辛いのです。
ただし、これも常々指摘している通り、処理水放出に伴う「被害」ならば、すでに生じています。
それが、風評被害や不当な輸入規制です。
たとえば、中国が日本の水産物の禁輸に踏み切ったこともあり、ホタテ100トンが行き先を失ったとする話題もありましたが(『政治家は「ふるさと納税」で中国の輸出規制に対抗せよ』等参照)、これは中国当局が科した不当な輸入規制による被害といえるでしょう。
(※もっとも、美味しい水産物は、中国が買ってくれなくても、販路は見つかるものでもありますが…。)
これに加えて中国からの訪日観光旅行の予約キャンセルが相次いでいるとの報道もありますが、これも風評被害といえるかもしれません(※ただし、『中国「日本旅行キャンセル」の動きが観光公害対策に?』でも指摘したとおり、観光公害に悩む日本にとっては、じつは「願ったりかなったり」という側面もあるようですが…)。
その意味において、「福島処理水の放出が福島県や日本全体の経済に対して損害を与える(かもしれない)」というのは、まったくその通りなのです。
一般人vsオールドメディア
一般人の方がオールドメディアよりも冷静
いずれにせよ、ここまでの議論でもわかるとおり、正直、新聞やテレビを中心とする「メディア」がこれまでに担ってきた役割というものは、私たち一般人でも担うことができるものです。
要するに、正確な客観的事実関係があり、そこに正常な思考能力と科学的な知見(※必ずしも高度なものである必要はありません)があれば、たとえば、「福島原発の処理水放出は健康被害をもたらす可能性が極めて低い」という結論を導くことができるからです。
というよりも、この当たり前の結論を、なぜ「日本を代表する(?)経済新聞」を筆頭とする日本のメディアが果たせないのか、謎でなりません。長年、記者クラブ制度で情報を独占しすぎてきたから、感覚がマヒしているのでしょうか?それとも単純に、新聞社やテレビ局の「中の人たち」の素養の問題なのでしょうか?
なにより、「科学を隠れみのにするな」、という言説は、メディア人としては絶対に述べてはならなかったたぐいのもののひとつです。「わが社は科学を理解できません」と宣言しているようなものだからであり、これにより読者、視聴者の信頼をさらに失うことにつながるからです。
先日の『事実なら主要紙で初:北海道新聞が夕刊から完全撤退か』でもお伝えしたとおり、紙媒体としての新聞はごく近い将来、下手をするとあと10年以内に、この世から姿を消すでしょう(ごく一部の新聞は当面生き残るかもしれませんが、それもいつまで続くかわかりません)。
さらに、『ネット調査で「24時間テレビを見る予定」が少数派に』などでも取り上げたとおり、50代や60代以上などの高年層を中心に、テレビは依然として影響力を保っていますが、若年層になればなるほど、日常的にテレビを見るという人は少数派になります。
高齢者に偏るテレビ視聴者現代社会に生じている変化といえば、テレビの社会的影響力の急降下でしょう。こうしたなか、『オールアバウト』というウェブサイトが実施したネット上のアンケートによると、日本テレビ系列で8月26日から27日にかけて放送される予定の『24時間テレビ』を「見る予定」と答えた人が23%に過ぎなかったのだそうですが、その視聴しない「理由」については、「そもそもテレビを見る習慣がない」といったものも多く見られたのだそうです。高齢層はテレビ好き現代社会における高年層と若年層の大きな違いのひとつは... ネット調査で「24時間テレビを見る予定」が少数派に - 新宿会計士の政治経済評論 |
若年層ほどネット利用時間が多い
これについて、少しだけ振り返っておきましょう。該当するグラフを再掲しておきます。
年代別(10代~60代まで)および全年代のメディア利用時間を媒体別にグラフ化してみると、2013年は図表1のとおり、10代と20代でネット利用時間がテレビ視聴時間とほぼ並んでいましたが、それ以外はどの年代に関しても、テレビ視聴時間がネット利用時間を圧倒的に上回っていました。
図表1 年代別メディア利用時間(2013年、平日、単位:分)
(【出所】過年度の『情報通信白書』等を参考に著者作成)
ところが、2023年度の情報通信白書に掲載された最新の調査(2022年)によれば、じつに40代まで、ネット利用時間がオールドメディアの合計利用時間を上回っており、とりわけ10代と20代ではダブルスコア以上の差をつけているのです(図表2)
図表2 年代別メディア利用時間(2022年、平日、単位:分)
(【出所】過年度の『情報通信白書』等を参考に著者作成)
たった10年で、社会はここまで変わったのです。
おそらく今後数年以内に、ネットとオールドメディアの逆転現象は50代にまで波及するでしょう。テレビは年々つまらなくなっていると指摘する人もいますし、これに加えて人間は毎年1歳ずつ年を取っていますので、現時点の20代のネット利用者も、10年後には30代になっているからです。
ちなみに世間では「高齢者層はインターネットを利用しない」、などといわれているのですが、少なくとも当ウェブサイトの属性分析に基づけば、読者層の年齢は非常に高く、一般に「高齢者」と呼ばれる層の方からも、非常に鋭い読者コメントを多々いただいています。
このため、個人的には「高齢者はインターネットが苦手」などとする俗説は誤りではないかと思っている次第です。
一億総OSINTジャーナリスト時代:日韓関係に冷静な国民
さて、当ウェブサイトではかなり以前から、「そのうち一億総ジャーナリスト時代」が到来すると申し上げてきました。
『社会のネット化でだれもがOSINTジャーナリストに』では、「OSINT」(オープン・ソース・インテリジェンス)というキーワードを使い、これについて議論してみたのですが、どうもその予測は、やはり正しかったのではないかとの思いを、最近強めつつあります。
福島第一原発の処理水放出を巡って、おもにオールドメディア側からの、科学的根拠を欠いた言説に対し、おもに一般人側からは、SNSやヤフコメなどを通じて鋭いコメントが相次いでいたからです。
というよりも、処理水や風評被害について触れた記事を眺めていると、それらに対する読者のコメントの圧倒的多数は、科学的な知見を深く理解し、福島第一原発処理水を巡っても、とても冷静に、「健康被害は限定的」などと指摘しているものが多いからです。
同じことは、他の分野についても生じているのかもしれません。
たとえば、今年3月以降、日韓関係の「改善」が図られた、とする話題がありました。これは韓国の尹錫悦(イン・シャクエツ)政権が打ち出した、自称元徴用工問題の「解決策」(※解決になっていない)を巡って、岸田文雄首相がこれを「評価する」などと述べてしまったことに端を発する一連の流れです。
日本のメディアは日韓関係が「改善された」、「正常軌道に戻った」、などとしきりに主張するのですが、一般人のコメントを眺めていると、「2018年の大法院の違法な判決の問題は解決していない」、「火器管制レーダー照射事件では韓国側はレーダー照射の事実すら認めていない」、といった、冷静な指摘が相次いでいます。
国の借金論のウソに気付く一般国民
こうした例は、ほかにもあります。
最近だととくに、財務省が「国の借金論」「ワニの口」などのインチキ理論を振りかざし、陰に陽に、税金を取りたてようとしているという話題があるのですが、これについても「日本経済のガンが財務省のインチキ経済理論と増税原理主義にある」ということを理解する国民が増えてきたように思えます。
「国の借金論」をウソだと指摘するサイトはずいぶんと増えてきましたが(※当ウェブサイトはそれに多少なりとも貢献できたのでしょうか?)、これも社会のネット化がなければ考えられなかった現象です。
官僚機構が記者クラブ制度などを通じてメディアを飼い、メディアが偏向報道を通じて自民党を勝たせ過ぎないようにし、メディアの「報道しない自由」によって議席を得ていた特定野党が自民党の政策を妨害するという構図は、昭和時代に確立し、平成期に猛威を振るいました。
しかし、インターネットの出現により、「官僚、メディア、特定野党」という腐敗トライアングル利権構造が制度疲労を起こしているのかもしれません。たとえば財務省が「国の借金」、「ワニの口」などのプロパガンダをメディアに書かせ、国民を洗脳する、という手法は、インターネット化の進展により、通用しなくなっているのです。
当たり前の話ですが、日本の主権者は国民であり、国民から選挙で選ばれたのは与党(現在は自民党や公明党)であって、財務省ではありません。
自民党や公明党に政権を持たせていることが日本国民にとって真に正しい選択なのかどうかは別問題ですが、少なくとも日本国民が財務省に対し、「選挙の結果として」権力を持たせているという事実はありませんので、財務省が不当に得た利権構造は取り壊さなければなりません。
ただ、インターネット言論空間を眺めていると、財務省がついてきたさまざまなウソがガラガラと崩れていることは間違いなく、とりわけ「国債費」を「費用」に入れていることの欺瞞、「借金の総額」に言及しておきながら政府が保有している巨額の資産に言及しないことの欺瞞などは、もはやだれの目にも明らかでしょう。
というよりも、いまやちょっと聡明な高校生ですら、「国の借金」論のウソを見抜いているのです(※著者自身の実体験に基づく)。本当に、良い時代になったものだと思わざるを得ません。
日本の将来は明るい!
いずれにせよ、日本は民主主義国であり、民主主義国においては政府のレベルが国民のレベルを超えることはできないとされていますが、日本の場合、その国民のレベルが政府や政治家のレベルを遥かに超越していることだけは間違いないといえます。
そして、こうした状況をつくるのに社会の急速なインターネット化がかなりの程度、寄与していることもまた、間違いないといえるでしょう。
日本の将来は、明るいのです。
View Comments (24)
>調べても古い雑誌記事などが少しヒットするくらいですが、なぜ当ウェブサイトでそんな不確かな情報をいちいち取り上げなければならないのでしょうか?理解に苦しみます。
一読者じゃなく管理人なのですし、そんな煽らなくても。。。
>そして、こうした状況をつくるのに社会の急速なインターネット化がかなりの程度、寄与していることもまた、間違いないといえるでしょう。
独占寡占を成立させなくさせたインターネットは、まさしく革命でしたね。
特定メディアはそれによって淘汰され始めましたが、財務省外務省はまだまだ…というかルーピー岸田によって強化されたようですが。
毎度、ばかばかしいお話しを。
オールドメディア:「聡明な高校生の反論に、我々が対応せざるを得なくなる時代は面倒くさい。(視聴者は、我々の主張を鵜吞みにしていればよいのだ)」
これって笑い話ですよね。
もしかしたら、オールドメディアの経営陣は(もちろん、一概には言えませんが)高校生が自分たちに反論できるようになった時代を認めていないのではないでしょうか。(デジタルカメラが出てきた時、フィルムメーカーが「あんなものはおもちゃだ」と言ったことを思いだされます)
役人は法律を書かれた通りに執行するといういい例じゃないかな。
Wikiによれば
財政法4条では「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」と、国債発行を原則禁止している。しかし、同条文の但し書きに「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と、例外的に建設国債の発行は認めている。
財務官僚も国債発行なしに日本経済が回らないのはわかっていると思う。
財政法に書いてある以上、国債発行問題なしとは言えない。
英語にピッタリの言い回しがある「Cover the ass」
あとで問題が起こっても「さんざん言ってきただろ」という立場を取りたいんだ。
>日本の将来は明るい!
「日本を明るくする会」の名誉総裁に前線復帰願いたく存じます。
*他意は毛頭ありません。
m(_ _)m
本旨ズレで恐縮ですが・・・
名誉総裁のバーコードや相談役の衛藤氏は適格性に疑問がありましたが、「遺伝もOK。親族に○○の方がいて、その証拠写真があれば入会を認めています」という報道を見て納得でした。
産経記事
https://www.sankei.com/article/20170311-P23FJFARX5L5NNF5OARY6EJKNY/3/
同じく、他意は毛頭ありません。
毛頭ないというか毛根ない
マスコミから発せられる情報の偏り。
ご指摘のような事実だけではなく主観を織り交ぜた内容。それ以前に自身にとって都合の良いような報道ネタの選択。都合の悪いネタの無視。
編者の生まれ育ち、志向、教育など本人起因の要因や、入社後の職場の文化、上司意向だけでは業界横断的なものにはならない気がします。
やはり、プラスアルファ、直接的な外部資金援助などがあるのでは?と疑りたくなる。
自分の周辺に業界人がいないので,、中の人の声は聞く機会は無いのですが、ここの場にでも匿名投稿していただけますかねぇ。
きっと読んでる人いると思うのですが。
事実に基づかないコメント自体は別に何の問題もないと思いますが、公益を損なう要素があるなら批判や削除は仕方ないですね。例の話は諸説あって医学的な因果関係が確認されていないのは確かなようです。その説の信憑性を補う情報でも付け加えてあれば別でしょうがそれはなかったしその姿勢もなかったですしね。
自分の盛り下げコメントで苦い経験も何度もしてますし控えようと努めてますが、窓が割れたり割れそうだと思えば、コメント欄の間借り人としては修繕のお手伝いをしたい次第です。(言い訳)
こんにちは、少し異論があります。
『50代や60代以上などの高年層を中心に、テレビは依然として影響力を保っています』というステレオタイプの発言をよく聞きます。
私は間もなく72歳になります。仕事は技術系だったからか、テレビはバカらしいのでほとんど見ず、ネットの方を良く見ています。私の周りにも同じような考えの人が多くいます。
マスコミや官庁は文科系の人が多いですね。特徴は科学的な事実究明を無視して雰囲気に走る事です。
日本社会では少数派ですが、理科系の人は情緒には弱いですが、あくまでも事実の積み重ねで物事を判断します。
財務省は50年前から、何の裏付けも無く財政破綻と言い続け増税一辺倒でした。
50年経っても日本経済は潰れていないので、財務省は嘘を言い続けていたと言う事です。何よりノーベル賞を取ったバーナンキの経済理論と真っ向から対立しているのが財務省ですから話になりません。
マスコミにも専門家がいません。記者クラブでもらった資料をそのまま垂れ流すだけの低能集団です。30秒で説明できるものしか理解できないのですからマスコミとは言えない、ただの利権集団です。
大蔵省(現財務省)はキャリアに少数ですが理系を採用するので有名ですよ。
国家一種受験者には結構よく知られた話です。
ただ数学職なのか行政職なのかは不明です。
離職していますが、高橋洋一氏は東京大学理学部数学科卒、
野口悠紀雄氏は東京大学大学院数物系研究科応用物理学専攻修士課程中退です。
経済学には数学必須ですから本来は経済官庁には理系は親和性が高いのかもしれませんね。
今回の記事の「誤り」として取り上げている対象は、主として「国の借金論」ですから、ちょっと場違いなコメントになりますが、前半部分は「トリチウム水放出の危険性」に関する非科学的風説に対する批判に当てられていますので、これについて。
この問題は、繰り返し本サイトの記事として取り上げられており、ほぼ同じ論拠を以て、福島沖へのトリチウム水放出の危険性など、取るに足らぬものであることが書かれています。その結論については、わたしも完全に同意するのですが、一点、いつも気に掛かっている論点を指摘させていただきたいと思います。
それは、本記事では箇条書きにされた6つの論拠のうちの2番目、
>このうちトリチウムについては放出するベータ線のエネルギーが極めて微弱であり、空気中を5㎜しか進むことができず、紙1枚で遮蔽することができる(科学的事実)
という部分です。
この文章自体は、全く正しい「科学的事実」です。ただしこれは、からだの外側に放射線源がある場合のはなしであって、トリチウムの放射線障害が問題になるのは、それがトリチウム水としてからだに取り込まれ、体内に留まる間に引き起こすガン化の可能性、もっぱら「体内被曝」についての議論でなければならないはずです。
トリチウムによる体内被曝の可能性について言えば、以下のように分解して考えることができると思います。
1. 体内でトリチウムの壊変によって放出さえるβ線は体液中の水をイオン化するため、ミクロン、ときによってはナノの距離に存在するDNA分子を傷つけることが「起こりうる」。
2. DNA分子に付いた傷は、ときに細胞に備わる修復機構の目を逃れて、恒久的に体内に固定されることが「起こりうる」。
3. このDNA分子に付いた傷が、偶々、細胞のガン化に関係する遺伝子の部位に起きたものであった場合、将来のがんに繋がる、増殖異常を起こした細胞の発生が「起こりうる」。
4. 放射線の影響であるか否かにかかわらず、からだの中でおそらく常時ある頻度で発生している異常細胞は、からだの免疫監視機構によって大半が除去されるが、それも完璧なものではない。トリチウムの放射線障害によって発生した異常細胞が、結局生き残り、増殖して、本物のガンとなることも「起こりうる」。
まあこの議論も、「科学的事実」かと問われれば、そうだと言えるはずです。つまり、可能性はゼロではない。上記4項目の「起こりうる」確率の積がどれほどのものかと言ったら、それは何割どころか、分厘毛糸…、もっともっと小さな値になるはずですが、それでもゼロじゃない。
この手のはなしは、福島原発事故の後に散々出てきました。もちろん、科学的に妥当な、冷静な論法で、放射線障害の危険性評価を行う者も多くはいたのですが、そんな議論はどこ吹く風、放射線ないし放射線医学の「専門家」と称する者の中には、マスコミの寵児然として振る舞い、途方もない被害予測を言い立てて、社会の危機感を煽りに煽った者も、確かにいたのです。
このような人物が自説の根拠としたのが、言うところの危険が決してゼロではないという「科学的事実」です。確率が無限小に近いものであるなら、実際的にはゼロと見做さなければならないという、数学的、統計学的な考えが理解できないのか、敢えて気付かないフリをしていたのか、そこのところは分かりませんが。
言論の自由が保障されるこの日本では、この手の輩の跋扈を封じるとするなら、結局は社会の良識を措いてないと思います。それでも、ことあるごとに 手を替え品を替え、またぞろ湧き出てくるのを防ぐことはまず不可能でしょう。
で、はなしは戻りますが、トリチウム水を福島沖に放出することの危険性が僅少であることの根拠を、この放射性物質自体の性質から説明したいなら、
われわれは、地球環境中で生活する限り、常に環境から微量のトリチウム水を含む水を体内に取り込んでおり、その量は仮に福島沖で獲られた魚を毎日食卓にのぼらせたとしても、いささかも増えるものではない。
とでもするのが、よいのではと思います。
なるほど、いつもながら参考になります
伊江太さま
理路整然とした考察を、いつも愛読申し上げております。
今回の考察こそ、本来なら、メディアが報ずべきものと考えます。素晴らしい考察を読ませて頂き、ありがとうございます。
科学的思考とは、最終的に、確率に行き着くのです。何故なら、この宇宙は確率で成り立っているからですが、これが分かっていない科学者様が多いようですね。
究極的に確率100%なんて有り得ないのです。これは、確率100%の世界とは、どういう事かを想像して見れば分かる事ですが。
田中康夫が長野県知事だったころ長野県内の公共事業のことで県議会とモメていたことがあった。県議会の重鎮と思われる人がテレビカメラの前で「私は悔しくて悔しくてしょうがないのです。今なら三分の一の県の負担で公共事業ができるのにそれをやらないなんて」と言って憤慨していた。この場面を見て「残りの3分の2は誰が払うんだ」と思ったものだ。この政治家の思考回路は「県民が便利になり、県内の建設業者が潤い、それが3分の1の負担でできるのにそのチャンスをみすみす逃すなんて」ということらしい。必要かどうかという発想はないのだろう。
「平成の3バカ」という言葉がある。本州と四国にかかる3本の橋のこと。
1本で十分だと思うけど3本かけたのは四国には瀬戸内海に面して3つの県があり、それぞれが欲しがったからという説がある。3本で総工費3兆5千億円。東京の大江戸線の総工費が1兆5000億円ということを考えると、もっと他のことに使えなかったのか思う。
沖縄宮古島の「伊良部大橋」を観光したことがある。「日本一長い橋」と看板にでているが、となりに少し小さめの字で「無料で渡れる」と但し書きがある3.5kmの橋だ。
伊良部島と宮古島を結んでいるが、伊良部島の人口は5千人。宮古島は5万人足らず。
橋を観た感想は「日本って金あるんだね」
アメリカですら「債務上限」に達したと言って数年に1度もめている。かつて日本の国債残高の上限は個人金融資産の残高と言われていたが「なんの根拠もない」と批判されて最近は発行限度にかんする議論がない。日本で国債を無限に発行できるのだろうか。
山口県に、角島大橋という、大変に美しい橋があります。これは、観光目的の為に造ったのか?
何千億円かけて橋を造る金があるなら、本土側に島民の為の土地をタダで用意して、島民全員を移住させて生計を立てられる土地も用意した方が安上がりだろうとも思えます。
島には、不法侵入者が住み付かないように、自衛隊の分駐基地でも置くとか。
高校生も国の借金論のウソを見抜けるネット時代 >
ここでいう国の嘘、すなわち財務のの嘘ですが、これはもう何十年も言い続けているので,彼ら自身の脳内にあってはもはや「既成事実化」されている自然法則に近いものなのかもしれません。
しかし、令和4年度税収は6.1%増、しかも一説によれば3年連続で過去最高額を記録しています。
財務省主税局
https://www.mof.go.jp/tax_policy/reference/fy2022_budget_and_settlement.pdf
このような状況でなおも内閣に増税を強要させ、逆に減税を頑なに拒もうとする財務省の姿勢が、次第に国民の目に露わになってきたという証左でしょうね。
殊にTV(特にモーニングショーとかワイドショー)を殆ど観ない高校生であるならば、その洗脳に遭う機会は少ないでしょうし。
また今年度4-6月期のGDPは年換算で6.1%というのびを記録したとか。この数字が現実のものとなるかは未だ予断を許さないでしょうが、少なくとも今年度も日本のGDPは伸びることは確実であろうと思われます。
先日戯れに、GDP成長率のシミュレーションをエクセルで試算してみました。年率4%の成長を続ければ、GDPが1.2倍になるのに4年8ヶ月、1.5倍になるのに10年と4ヶ月要するようです。因みにこれが年率6%だと、それぞれ3年2ヶ月と役7年に短縮されるようです。
さらには嘘か誠か、GDPが1%伸びれば税収が0.8%増えるという仮説を耳にしたことがあります。この両者の間には直接の因果関係はないのでしょうが、過去のデータがそれを裏づけているのだとか。
https://www.dlri.co.jp/report/macro/157516.html
この仮説、否過去のデータに従えば,現政権が財政健全化を目指すなら、何を差し置いてもGDPを増やす方向に舵を切るべきでしょうが、やっていることは真逆の政策というていたらくです。
予想外の大幅な税収増に対する減税、このタイミングでいえば揮発油税の暫定率の見直しと、トリガー条項の発動を直ちに行うべきでしたが、実際に選択したのは元売り各社への補助金給付という最悪手でした。
高橋洋一氏によれば、ガソリン小売り金額を政府の予定金額に実現するために要する補助金には、減税によるコストの約2倍かかるそうです。これはひょっとすると財務省主導による「損して得取れ」、つまりなんとしても政権に「減税」という選択肢はあたえない、という財務省が目指すところの至高の目標の現れなのではないでしょうか?
かくもエグい財務省と無能な現岸田政権に依って、せっかくその効果が顕れだしたアベノミクスの果実が蚕食されだしている現実に、老いたりとはいえども切歯扼腕、悲憤慷慨な日々です。
官吏には、多くの場合にコストや納期の意識はありません。
問題なく(監査で説明つくように)課題完遂することが最優先。
減税するより補助金の方が、理屈の上では乗数効果が1.0だけ大きいとかなんとか、プロセスだけは正当化して、効果の検証なんかしないんだと思いますね。
CRUSH 様
コメント有り難うございます。
実は私、補助金の申請代行、すなわち補助金チューチューのお手伝いをしてたことがあります。(笑)
その体験から言わせて貰いますと、補助金にはメーカーやらゼネコン等、またそれにまつわる様々な関わる業者らがチューチューできる仕組みがあるんですよ。
それらはやがて政治家のセンセイ方の元へと還元される場合もありますし、またそういった業界は公務員の天下り先になったりもします。
減税では納税者にあまねく還付されるだけなので、政治家や公務員らがそうした甘い汁が吸うことができないのです。
こういった実情を知ると、政治家らが補助金を~!等と騒ぎ出す場面を観るたびにしらけてしまうのを抑えきれません。