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護憲派集会の平均年齢は「どこも70歳超」=ツイート

ケンポーキュージョー信じる限界左翼はあと10年でほぼ消滅か

とある学者の方のツイートによれば、現在の日本の「護憲派集会」に出てくる人たちの平均年齢は70歳を超えておりいるのだそうです。この方は、「若い人たちが憲法にも民主主義にも戦争の加害責任にも背を向けている」と指摘するのですが、護憲派を「ケンポーキュージョー教の教徒」と位置付けるならば、これはその宗教が「信者の獲得」というビジネスにおいて、大変に大きな失敗をしている証拠です。

ケンポーキュージョー教

日本国憲法に出て来る戦争の考え方

誰かが「『儲ける』、『儲かる』という単語は、『信』と『者』から成り立っている」、などと指摘していましたが、著者自身、宗教とは「信者を獲得するビジネス」のようなものだと考えています。

日本には基本的に信教の自由があるため、べつに誰が何を信じたって構わないのですが、これらのなかでもタチが悪いものがあるとしたら、それは「ケンポーキュージョー教」ではないでしょうか。

憲法第9条を守っていれば、日本は戦争に巻き込まれなくて済む」。

こうした考え方のことを、当ウェブサイトでは「ケンポーキュージョー教」と呼ぶことがあります。

戦争に関連する記述に関し、日本国憲法の原文を改めて確認しておくと、こんな具合です。

日本国憲法 前文(抜粋)

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。<中略>日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。<中略>われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。<後略>

日本国憲法 第9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とくに前文の「われらは、いずれの国家も」で始まる文章に関しては、そもそも日本語として変であり、悪文の典型例です。どこかで見覚えがあると思った方は鋭いと思いますが、中学生や高校生のときに習った英文の逐語訳のパターンとそっくりだからです。

文章冒頭の「われらは」は、直後にある「いずれの国家も」とは無関係であり、文章末尾の「と信ずる」に係ります。これはおそらく英文の “We believe that…” などの文章を直訳したからこそ、こんなヘンテコな記述になってしまったのではないでしょうか。

憲法第9条、「第2項」に関しては正当化できない

それはともかくとして、憲法第9条のうち、第1項に関しては『戦争抛棄ニ関スル条約(昭和4年条約第1号)』第1条の規定と整合するものであることから、「これについては変える必要がない」などとする主張も、保守側から上がることはあります。

戦争抛棄ニ関スル条約第1条

締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス

しかし、第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、などとする記述は、まともなセンスを持っている人からすれば、どうにも理解に苦しみます。

いや、もちろん、「前項の目的を達するため」、という限定が付いていることを踏まえるならば、これは「第1項の目的を達することにそぐわない場合には、陸海空軍その他の戦力を持つことが是認される」、という意味だと考える人もいるのですが、こうした解釈にもさすがに限界はあります。

この点、「憲法とは成文法だけでなく、自然法も含む」、などとする立場の学者らからは、「明文規定がなくても自衛戦争については当然に認められる」、などとする解釈も示されており、この場合は「自衛戦争すら禁じるような憲法典自体が憲法違反だ」、とする解釈も成り立つ余地はあるのだそうです。

しかし、「ケンポーキュージョー教」を信じる人たちの言い分を列挙していくと、どうもこうした高度な解釈ではなく、もっと純粋に、「憲法で国の交戦権を認めないと明記しているから、だから日本は戦争に巻き込まれないのだ」、などと信じているフシがあるのです。

では憲法に「コロナ禁止」とでも書けばよいのか?

さすがに、この理屈はおかしすぎます。憲法に「コロナ禁止」と書けば、コロナ問題は完全に解決することになるはずだからです。

憲法に「戦争禁止」と書いたら戦争にならないというのならば、憲法に「犯罪禁止」、「地震禁止」、「台風禁止」、「コロナ禁止」などと書いておけば、同様に、日本から犯罪はなくなりますし、きっと地震も台風もコロナもNHK受信料不払いも消滅するに違いありません。

な~にを、ばかげたことを!」。

護憲派(あるいはケンポーキュージョー教の信徒の皆さん)は、そう思う方かもしれません。

なにより本当に憲法に「戦争放棄」と書いて戦争がなくなるのなら、全世界で日本国憲法とソックリな憲法典を制定する国が続出していてもおかしくありません

しかし、憲法に「犯罪禁止」「脱税禁止」「コロナ禁止」(『憲法記念日に「脱税の放棄」について考えてみた』、『コロナウイルスも憲法で禁止しよう!』等参照)などと書けば、本当に犯罪や脱税、コロナがなくなるとでもいうのでしょうか?

あるいは日本は自然災害が多い国ではありますが、だからと言って「地震禁止」、「台風禁止」、「カミナリ禁止」、「火山噴火禁止」などと憲法に書き込むことで、これらの自然災害も自動的に日本にやって来なくなる、というものでもないでしょう。

失敗しつつあるケンポーキュージョー教

ケンポーキュージョー教が使うカルト的常套手段

ここまで書くと、「ケンポーキュージョー教」の教えを信じる教徒の皆さんからは、「自然災害と違って戦争は人間が発生させるものだから、憲法に自然災害の禁止などと書いても意味はないが、戦争禁止と書くのは意味がある」、などとする反論をいただくかもしれません。

あるいは犯罪、脱税、コロナなどを巡っても、「これらはあくまでも個人が発生させるものであり、戦争は国家が発生させるものだから、比較になっていない」、などと言い出す人もいるかもしれません(そういえば都合が悪い議論を見つけると、「比較になっていない」などと難癖をつける人が出て来るのは面白いと思います)。

それどころか、「ケンポーキュージョー教」の教徒は、こんなことも主張します。

現に日本は戦後、戦争に巻き込まれなかったじゃないか。これは有難い憲法第9条様のお陰だよ」。

このように、まったく無関係な2つの事象を見つけて、勝手に両者に因果関係があると主張するのは、カルト宗教の常套手段です。

  • (事象A)「日本には憲法第9条がある」。
  • (事象B)「日本は戦後、戦争に巻き込まれなかった」。

たしかにこの事象Aと事象Bはどちらも事実ですが、「AだからB」なのか、「BだからA」なのか、それとも偶然、AとBが並立していただけ(つまりA、Bはお互いに無関係)なのかは、この「2つの事象がある」というだけでは説明がつきません。

いずれにせよ、「ケンポーキュージョー教」の教徒の皆さんは、「ケンポーキュージョー教」の教えの正しさをほぼ100%、とくになんの疑問も持たずに信じ込んでいるがために、そのケンポーキュージョー教の教えに背くような不都合な事実はすべてスルーできるという華麗なる特技でも持っていらっしゃるのかもしれません。

もっとも、どんなビジネスにおいても、新規顧客の獲得に失敗すれば、やがて廃れていきます。

冒頭、「宗教とは信者を獲得するビジネスのようなものである」、という例え話が出てきましたが、宗教をこのように位置付けるならば、やはり「新規顧客(=信者)の獲得」に失敗すれば、やはり廃れていくという運命にあると断じざるを得ません。

「護憲派集会はどこも平均年齢が70歳超」

こうしたなかで、とあるツイート主の方が先週、こんな趣旨の内容をツイートされていました。

  • 護憲派の集会はどこも平均年齢が70歳を超えている
  • 昨日、「なぜ若い人たちは憲法にも民主主義にも戦争の加害責任にも背を向けるのか」という話をした
  • はじめて聞く話だったと思うが、「笑い声の絶えない護憲派集会」という希有なイベントとなった

はて?「若い人たちが(『戦争の加害責任』とやらは別として)憲法と民主主義に背を向けている」、というのは、事実でしょうか?なんだか大変な思い違いをなさっていないでしょうか?

この際、ツイート主の方の実名を挙げることは控えておきますが、「戦争の加害責任」とは、いったい何でしょうか?戦後生まれの世代がそんなものをいつまでも引きずる必要などあるのでしょうか?(※といっても、べつに戦前、戦中生まれの世代もそんなものを感じる必要はありませんが…)。

調べてみるとこの方も70歳を超えていますが、お生まれになったのは1950年で、やはり「戦後」です。

冷静に考えてみると、1950年前後に生まれた人は、全共闘の学生らが東大・安田講堂を占拠し、それを機動隊が制圧するという「安田講堂事件」が発生した1969年前後に大学生だった、というケースが多いでしょうし、ちょうどこのあたりの世代こそが「ケンポーキュージョー教」のメイン層ではないでしょうか。

「ケンポーキュージョー教」に嵌る限界系の人たちが、なぜこの世代に集中しているのかについて、その明確な答えを示すことはしませんが、「最近の護憲派集会に参加している人は70歳以上ばかり」とするこの方のツイート内容が事実なのだとしたら、そこから予想される現象は、ただひとつ。

「護憲派(≒ケンポーキュージョー教の教徒)による集会は、あと10年も経てば、開催できなくなる」、です。

この「10年」でピンと来る人もいるかもしれませんが、これは当ウェブサイトが予測する「紙媒体の新聞が消滅する時期」ともだいたい一致しています。

紙媒体の新聞のうち、とくに有力ないくつかの新聞は戦後、紙面で大々的に、この「ケンポーキュージョー教」を展開してきました。毎年憲法記念日前後に、「憲法について考える」などとして、護憲の立場から社説を展開するメディアも、いまだに存在しています。

若返りに失敗しつつあるケンポーキュージョー教

ただ、どうしてこの「ケンポーキュージョー教」が力を失ってきたのかについて考えていくと、やはり若者などの新規「顧客」(=信者)の獲得に失敗してきたからではないでしょうか。

インターネット環境の発達などにともない、新聞、テレビを中心としたオールドメディアが社会的影響力を喪失してきたという事情ももちろんあるのですが、それ以上に、ケンポーキュージョー教の頭の悪い主張を信じる人が急激に減って来たという事情もありそうです。

「日本は戦後、戦争に巻き込まれなかったじゃないか」、「これは憲法第9条があったおかげだよ」、などといわれても、通常の人は「もしその理屈が成り立つなら、憲法に『台風禁止』と書いておけば台風が来なくなることになるぞ」、などと疑問に感じます。

戦争も台風も、私たちの意思と無関係に襲いかかってくることがあるからです。

ウクライナ戦争がその典型例でしょう。

ロシアとの戦争を望んだウクライナ国民がどれだけいたのかは存じませんが、少なくともこのウクライナ戦争は、ウクライナが望んで始まったものでは断じてありません。ロシアが国際法を無視してウクライナに軍事侵攻を開始したから始まったものです。

ロシアだけではありません。日本の周囲にはほかにも、中国、北朝鮮など、国際法を何とも思わない無法国家(あるいは「約束破りのウソツキ国家」)が少なくとも4ヵ国存在しますし、それらは現に日本の領土や国民を侵害しています。

樺太、千島列島、竹島、尖閣諸島といった日本の領土が不法に占拠され、無辜の日本国民が拉致され、危害を加えられているわけですから、日本はまさに現在進行形で、この4つの無法国家による侵略を受けているようなものです。

いずれにせよ、あと10年も経てば、このケンポーキュージョー教を掲げる政党は、日本の国会にほとんど議席を持つことができないくらいには衰退するものと期待して良さそうですが、ただ、それと同時に日本の外交・安全保障上の環境は厳しさを増しています。

賢明に行動せよ

このように考えていくと、「どうせケンポーキュージョー教は放っておいても滅びる」、などと過度に楽観視し過ぎない方がよさそうであり、それとともに、あと2年以内には行われるであろう衆議院議員総選挙を含めた重要な選挙では、私たちは有権者として、必ず選挙権を行使するようにしたいものです。

結局、今後の日本が賢明な選択を取ることができるかどうかは、私たち日本国民が賢明に考えて行動することができるかどうかにかかっています。

故・安倍晋三総理大臣の暗殺からもうすぐ1年が経過するなかで、ケンポーキュージョー教など限界系の人たちの主張が勝つか、それともすべてにおいてまともに行動しようとする良識的な国民の選択が勝つかについては、注目に値する論点であることだけは間違いありません。

新宿会計士:

View Comments (47)

  • 法は道具であり経典ではないんですがねぇ
    毛嫌いしている不磨の大典と同じ扱いしてるのに
    気が付かないのがなんともw

  • とうとうツィート出来なくなりました。皆様頑張って下さい。この様な場所がある事に感謝いたします。

  • 電車で、内田樹の本にカバーもかけないで読んでいる中高年を見かけたことがある。本人は 「意識高い系」 「知的エリート」 のつもりなんだろうけど、内田樹のツイートが日常的に炎上したり、ネット民に論破されたりしているのを知っている自分には 「痛い人」 にしか見えなかった。

    • 政治的な方向性はともかく、内田樹さんの本は面白いですよ。「私家版・ユダヤ文化論」「寝ながら学べる構造主義」文春文庫の一連のものとか。

      • 確かに、内田さん、文章上手いからね。

        ただ、どうして、この人が左翼思想に染まっていったのか?は、著書を読んでいても分からない。
        雑誌社とかの原稿依頼が来た時に、左翼的なことを書いた方が仕事があると気付いたので、そっち系にしたのかな?と、勝手に勘ぐっています。
        何しろ、神戸という田舎にいて、中央から仕事貰うには、そっち系の仕事になるのかな?と。
        あくまで、勝手な勘ぐりですから、お許しください。

        それ位に、この方の普通の書き物から、何故、左翼的なものが出て来るのかが分からないのです。

        • 都落ちして、神戸の大学に何とか就職口を見つけたときの、一応の安堵感と若干の無念感は、彼の著書に詳しく書いてあります。その時に、中央(東京)からある出版社の編集者が、遠路はるばる神戸まで来てくれた時の喜びもまた、赤裸々に書いています。
          この人にとって、中央との繋がりを失う事は、自分の存在感の半分くらいを失う事かもしれないと感じた事でした。

          • 一番最初の匿名です。

            >都落ちして、神戸の大学に何とか就職口を見つけたときの、一応の安堵感と若干の無念感は、彼の著書に詳しく書いてあります。
            >この人にとって、中央との繋がりを失う事は、自分の存在感の半分くらいを失う事かもしれない

            そうなんですか。知りませんでした。
            前に内田樹が出演しているラジオ番組をたまたま聞いたんですけど、「これからの時代、グローバル資本主義に対抗して、若者は田舎で農業をやれ」 とか言ってたんで、「はぁ? 自分は東京と京阪神を往復する生活を送ってるくせに、何言ってんだ? そういう事は自分が実行してから言えよ!」 と、思わずツッコミを入れてしまったんですよね。

            農業でグローバル資本主義に対抗するという発想もアレだし、こんな人の言葉が若者に響くわけないでしょう。そりゃ左翼になる若者がいなくて先細りするわけだわ。

            >雑誌社とかの原稿依頼が来た時に、左翼的なことを書いた方が仕事があると気付いたので、そっち系にしたのかな?と、勝手に勘ぐっています。

            あー、それなら納得ですね。上野千鶴子と同じビジネス左翼ですか・・・。( ゚д゚)、ペッ

  •  これからの季節、スズメバチの禁止も追記しよう。
     アウトドアアイテムで、特に殺虫剤や忌避剤を塗布したわけでもない、オニヤンマを模ったものを身につけるだけというスズメバチ避け商品がありまして。頂点捕食者(偽)を見せるだけで虫が逃げていくのだそうで。安価で簡単とあって、仕事が屋外で釣りもやる人間としては、有効ならば儲けものと過信はせずお守り程度に使用しています。去年は品切れが出たり類似品が出たりといった人気でした。
     ただ問題点がありまして。スズメバチに遭遇しなくなったことが、オニヤンマを見て逃げたからなのか、たまたま遭遇しなかっただけなのかが全くわからない。効果が無いとしてもまぁ許せるというローコストであわよくばハイリターンなのでウケたのでしょう。
     何の話やねんという感じですが、九条の効果観測もこんなんだなぁと。信者からすれば九条のおかげで敵が寄ってこなくなった。一般的な現代人からすれば、通常の外交努力や幸運によって戦争をせずに済んでいるだけ。
     ただ、オニヤンマと九条で絶対的に違うのは、コストとリスクです。1000円払うだけで永続的に安全が結構期待できるオニヤンマと、戦力の不保持という非現実的な超ハイリスクを改憲が異様に難しい国にあって負い続ける九条(あまりに非現実的すぎて戦後早々に建前をつけて戦力を持っている時点で明白)。合理化できないので、装備選定や同盟の利用などにも無駄な制限がついて余計に高コスト体質。
     昭和から、九条で悦に入る人間を横目に、必死にスズメバチを追い払ったり数を増やさないように努めたりした人間が居たことでしょう。完全な安全を求めるならば、殺虫剤使えってね。殺虫剤に怒ったスズメバチに襲われるからやめろとか言うんだろうけども。

    • >殺虫剤に怒ったスズメバチに襲われるからやめろとか言うんだろうけども。

       この論理?(弱虫根性)は、維新のSさんの持論ですね。

    • >殺虫剤に怒ったスズメバチに襲われる

      この例で妥当かどうか分かりませんが、連想するのは、ローマ帝国を執拗に攻めたカルタゴです。
      カルタゴは、余り深い戦略的な意味も無く、執拗に何度もローマ帝国を攻めました。知将ハンニバルによってかなりの戦果を上げたにも関わらず、カルタゴ国内の政治家達の意思不統一・意思不徹底によって
      、結局、ローマ帝国によって、草の根まで破壊尽くされてしまいました。今カルタゴの残像を見つける事も出来ない程です。

      何を言いたかと言うと、不徹底、優柔不断、不完全、は何の意味も無いという事です。
      スズメバチを防ぐのに、殺虫剤以外に、完全な効果を齎せてくれるものがあると?
      これは、原因(殺虫剤)と結果(スズメバチに襲われ無い)が、1:1で直結している効果です。
      祖国が侵略されない為に、戦力を全く持たないという事と、祖国がいつまでも平和で安全であるという事に、どれ程の因果関係があると言うのでしょうか?
      その方達の頭の中に脳ミソがあるのか?MRIで検査したくなる程です。

  • 訳文が稚拙な点は、日本側があの時点で何とか出来るささやかな抵抗をしたのではないかと思っています
    世論が「やはり翻訳憲法などダメだ」となり、早期に改正に向かう事を考えていたのでしょう

    あと、日本国憲法前文ですが、

    >平和を愛する諸国民 → 西側自由民主主義諸国家

    >平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ
     → つまり安倍首相以降の日本の国力に応じた軍事力と外交力を保持しようとする動きは、日本の世界に対する責務であり、それをやっと自覚しだしたという事。9条カルトよりも彼らが悪魔視している安倍氏の方が憲法に全く沿っていたという事

    >いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる
     → ウクライナ支援は日本の「責務」という事

    こう読めると思います

    また、日本国憲法は9条2項は、文章もその後の政治的、社会的影響も最悪だと思いますが、
    全部は変える必要も無いし、それが出来る可能性も無い
    石原慎太郎氏が憲法無効論を言ってたが、それはアイデアとしては面白いが、
    憲法の一字一句も変えられてないのに、無効宣言なんて現実的では無い
    参政党が無効論を言ってるらしいですが、可能性ゼロの夢想を言うのは、現状憲法維持論と同義です

  • 幻想平和宗教派には専守防衛で国土をボコボコにされているウクライナの惨状を目に入らないのでしょう。

    • はにわファクトリーさま
      >ウクライナの惨状を目に入らないのでしょう。
      信者には、自分の信仰に反する状況は見えません。

    • 侵略者はすでに侵入済み、日々乗っ取り工作を掛けていると。

    • ロシアのウクライナ侵攻後も政治的主張が重なると思われる日本共産党の見解を共有しているのでは。
      〜ロシアのウクライナ侵略を国連憲章にもとづいて解決するうえでも岸田政権の大軍拡を許さないたたかいが急務です。〜

  • 私の定義では頭が凝り固まった「護憲派(≒ケンポーキュージョー教の教徒)」は、主たる年齢層が1945〜1951(拡大しても1940〜1955)生まれと思います。60年岸内閣安保闘争、70年佐藤内閣安保闘争、沖縄返還協定、ベトナム戦争反対闘争を体験している世代だからです。

    あと10年したら存命であっても介護施設行きか、正常な判断が出来ない認知症か、寝たきりがほとんどでしょう。よって、護憲集会、デモは後任者もいないわけで、自然淘汰されると思います。別枠で厄介なのが広島長崎の平和集会です。後続も多少居るようですから。

    10年後或いはそれ以前に、彼らを扇動して来たATM始め新聞、地上波テレビは消滅します。若い人、それに今や40歳代でも50歳代でも情報を得るツールでは無いからです。「なぜ若い人たちは憲法にも民主主義にも戦争の加害責任にも背を向けるのか」と言われても、そりゃピンと来ないでしょう。私だって戦争責任を問われても困ります。

    私達の出来る事、それは「行かなくても一緒」では無く、選挙に行って不味い食堂でも食べれそうな店、品を選ぶ事です。政治に積極的に参加しましょう。

  • 不戦を貫けば戦争に巻き込まれることはない。それは正しい。
    一方的な侵略を受けるだけなのだから。

    • 毎度、ばかばかしいお話しを。
      憲法9条信者:「一方的な侵略を受けても、自分の信仰が間違っていたと認めるよりはましだ」
      これって、笑い話ですよね。

      • 戦前軍部「国体が護れれば、国が滅んでも構わない」
        戦後左翼「9条が護れれば、国が滅んでも構わない」

        こういう連中は、考え方が極端、狂信的、という点で同じ人種に見えます
        ベクトルは真逆であり、戦後左翼は戦前末期の狂信的な(本土決戦を目指した様な)
        軍人を最悪な類型タイプと考えているでしょうが、両者は同種の人間であり、
        時代状況が違えば真逆の事を言ってると思います
        戦前の極右が、敗戦後に極左に転向したなんて例は一杯ありますし。

    •  侵略を受け主権を喪失した場合、同時に憲法も死にますよ。侵略国が新たな国をターゲットとした場合、その侵略に協力させられることになります(1940年のフランスがよい例です)。不戦を貫けるのは独立と主権あってのことをお忘れなく。

  • ということは、憲法9条信者は「本当に最近の若い者は」と思っているのではないでしょうか。

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