年賀状も夕刊も20年間で3分の1に!
紙離れは年賀状の世界でも新聞の世界でも進んでいるようです。こうしたなか、産経ニュースに本日掲載された記事によれば、現在、サッカーW杯が開催されているカタールでは、「新聞がほとんど売られていない」というのです。街の人は「ネットで記事は読めるし、無料で好きな情報だけをチェックできればそれで満足」。あくまでも有料ビジネスモデルでウェブ化の道を進むのか、それとも広告オンリーでやっていくのか。新聞の未来はどちらでしょうか?
年賀状は20年前の3分の1強に
「紙離れ」は、いったいどこまで進むのでしょうか。
この年の瀬、著者自身は例年にない多忙さを体験しています。その事情について詳しく申し上げることはできませんが、当社比で通常の3倍ほどの忙しさだと考えていただければ良いと思います。
したがって、著者自身はさまざまな手続を可能な限り前倒しして対応しているつもりなのですが、こうしたなかで悩ましいのが年賀状です。正直、今年はついに、年賀状の発送を、ほぼ取りやめてしまおうかと検討しているのです。
こうした判断を後押ししているのが、昨今の「年賀はがき離れ」の風潮です。先月の『来年用の「年賀はがき」当初発行枚数は2億枚近く減少』でも取り上げたとおり、年賀状の発行枚数は年々右肩下がりで減少し続けています。
もうすぐ師走。「年賀状の季節」なのでしょうか?ただ、日本郵政グループが今年8月に発表した資料によれば、2023年(令和5年)用の年賀はがきの当初発行枚数は約16.4億枚と、18.3億枚だった2022年用と比べて約1.9億枚も減少したそうです。実際、過去のデータを調べていくと、ちょっとしたことを発見しました。年賀状発行枚数は減少の一途をたどる気が付いたら、もう11月も下旬に差し掛かりました。もうすぐ12月、「師走」です。例年、この時期になると気になるのは年賀状です。日本郵政グループは今年8月31日付で2023年(令和5年)... 来年用の「年賀はがき」当初発行枚数は2億枚近く減少 - 新宿会計士の政治経済評論 |
著者自身が日本郵便のウェブサイトの過年度発表をベースに調べたところ、2023年用年賀はがきの当初発行枚数は16.4億枚で、2003年以降のピークだった2004年用の44.5億枚と比べて約3分の1近くにまで減ってしまっているのです(図表)。
図表 年賀葉書・当初発行枚数の推移
(【出所】日本郵便ウェブサイト・過年度発表を)
あくまでも個人的な印象ですが、年賀はがきの発行枚数の減少速度は、コロナで一気に加速したように思えてなりません。2021年用はがきの当初発行枚数は19.4億枚で、前年比4.1億枚も減少し、一気に20億枚の大台を割り込んだからです。
最大手の朝日新聞でさえ、17年間で朝刊は44%、夕刊は64%減少
このあたりは新聞の発行部数が急減しているのと様子がなんとなく似ています。
以前の『過去17年分の朝日新聞部数推移とその落ち込みの分析』では、株式会社朝日新聞社の有報データをもとに、朝日新聞の発行部数がこの17年間で、朝刊については44%、夕刊については64%も落ち込んだ、などとする話題などを取り上げました。
先日、朝日新聞の部数が400万部を割り込んだとする報道を話題に取り上げたのですが、その後、とある読者の方から株式会社朝日新聞社の2006年度(=2007年3月期)以降の有報データをメールで送っていただきました。有難く使わせていただき、朝日新聞の部数の推移についてもう少し詳細なデータを紹介するとともに、ちょっとした「シミュレーション」も実施してみたいと思います。朝日新聞の部数データ先日の『朝日新聞400万部割れも経営は安泰か:その一方で…』では、株式会社朝日新聞社の有価証券報告書をもとに、朝日新聞の部数の推移... 過去17年分の朝日新聞部数推移とその落ち込みの分析 - 新宿会計士の政治経済評論 |
最大手の朝日新聞でさえこうなのですから、新聞業界全体が右肩下がり状態となるのも、ある意味では当然のようなものでしょう。
カタールでは新聞が売られていない!?
こうしたなか、産経ニュースに本日、こんな記事が掲載されていました。
新聞が見つからない…経済成長とコロナ「紙離れ」加速
―――2022/12/12 12:30付 産経ニュースより
「会員限定記事」ですが、現時点では、無料会員登録さえすれば閲覧可能だそうです(会員登録の方法や条件等については産経ニュースのウェブサイトで直接ご確認ください)。
産経によると、現在、サッカーW杯が開催されているカタールで、地元紙が売られている場所が見つからないのだそうです。
「大きめのショッピングモールを訪れ、レジ脇の陳列棚にぽつんと並べられているのをようやく発見できた」。
そして、そのカタールでは「首都・ドーハの街中でも新聞紙を広げて読む人は皆無」。「複数のドーハ在住者の話を総合すると、<中略>午前3時にはネットの自社サイトにすべてのページを公開しており、むしろ紙よりも早く情報を得られる」のだとか。
ではなぜ、ドーハで新聞紙を広げる人が皆無なのでしょうか。
産経によると、こうした流れを加速させたのが、経済成長に加え、コロナ禍なのだそうです。昔は道路で新聞を立ち売りするスタイルが一般的だったのが、経済成長に伴い「交通量が急増して危険」との理由で一斉に禁じられ、コロナ禍を機に一気に紙媒体の新聞の発行が減少したというのです。
このあたり、紙媒体の新聞と異なり、ネット媒体の場合は記事そのものに課金することが難しいという事情もあります。正直、カタールの新聞社がいかなるビジネスモデルを採用しているのかはよくわかりませんが、広告オンリーだと新聞発行コストを賄うのは難しいのではないでしょうか。
日本のメディアはどちらに行くのか
実際、産経の記事には、「ネットで記事は読めるし、無料で好きな情報だけをチェックできればそれで満足」とする街の声が紹介されているのですが、それが実情ではないかと思ってしまいます。もっとも、香港のようにもともと無料紙が多いケースだと、その無料紙をそのままウェブ媒体に変えるのはさほど難しくなさそうですが…。
いずれにせよ、紙媒体の発行部数激減という流れは世界的なものであり、これを変えることは難しそうです。
そうなると、新聞代に相当する金額をウェブ有料契約で稼ごうとするのか、それとも広告オンリーでフリー媒体化する未来を目指すのか、そのどちらかでなければ未来はなさそうにも思えます。
はたして、日本のメディアはどちらに行くのでしょうか。
View Comments (7)
読者が新聞に期待するのは良質な記事。記者を厳選してポンコツどもを破離処分、読み応えのある記事だけを定時報道するように体制替えをするなら生き残りは可能かと思います。ただし手ごわい相手はもう出現しています。
社会影響力を喪失することに対して恐怖のようなものを新聞記者たちはきっと感じているのでしょう。情報流通コストが圧倒的に低下してしまっている以上世の流れにあらがうのは経済原理面で賢明でありません。
この20年間ほど、マスコミはマス”ゴ”ミと蔑まれながらただただひたすら
現実逃避と延命に務めてきた。2009年の政権交代が彼らの最後の勝利だった。
今はもはや”避けられない滅び”に関して緘口令を敷くのが精々。
では彼らが滅んだ後、次は何が来るのだろう……?ここで私はいつもつまづきます。
いわゆる”大手”が存在しない、弱小メディアの戦国時代がやってくるのか?
まとめサイトと同然のメディアが乱立し、誰も”マス”コミを作ろうとしなくなるのか?
それとも”情報屋”と”批評屋”が完全に分離し、それぞれ別の客を狙う様になるのか?
未来はまだまだ想像できません。
30年近くのデフレからインフレが進んだら、新聞購読料に転化できるのでしょうか?
全国紙の主な購読者は年金生活者だと推察しますが、新聞代が6千円、8千円になったとき
新聞を取るために、携帯を捨て、食費を削り、薬代を削り、とはならないでしょう。
(地方紙は引き残ると思いますが)
全国紙の新聞社にインフレが直撃するのか大変心配しております。
https://maonline.jp/articles/asahi_mainichi_kodoku_ryo202106
新聞「紙」離れだけならいいのですが「書籍離れ」もそれ以上で,厚い中身の濃い本を1冊読み切れない若者が増えているのは心配です。ネットだと断片的な記事や書き物が多く,全20巻みたいな本を読み切る読書力は付きません。読書力がないと,数学や物理の本を読むのは,もっと辛いですよ。
ついでに,今朝のNHKニュースで「文庫本は高級品になってきた」という話をしていましたね。
インターネットが普及する前は、新聞の論説記事ってあまり読まれていなくて、新聞社も論説より 「起きた出来事を早く伝えること」 に力を入れてましたね。
今なら企業や役所のホームページを見ればわかるような事も新聞で知るしかなかったから、読者が新聞に求めていたのも、そういう情報でした。
「新聞の中で一番読まれているページはテレビ欄、一番読まれていないページは社説」 なんていう冗談もあったくらいです。
インターネットの普及によって、いよいよ速報性では他の媒体に勝てなくなった新聞各社が打ち出したのが 「社会の木鐸として、論説記事と調査報道に力を入れる」 でした。
1990年代~2000年代には、オピニオン欄に学者や文化人を登場させて、そのように言わせている記事もたくさんありましたね。
そして2010年代になって、いよいよ調査報道をメインにした結果が 「モリカケ桜」 や 「福島第一原発に関する吉田調書」 の大誤報 (というかデマ捏造) だったというオチです・・・。
以前、新聞を高齢者がやめない理由に、チラシの存在があるのではないかと書き込んだ者です。今回、新たな疑惑?が浮上しましたので、書き込みました。
昨今では、ネットチラシも普及してきて、当地方でも地元スーパーのチラシは新聞より掲載量が増えています(折り込みチラシですと広告費節約のため居住地から離れたスーパーのチラシが入りません)。
このことを含めて、なかなか購読をやめない知人と話をしました。知人も最近では、ネットチラシを見ているようですし、年間何万という購読料が無駄だと認識は認識しているようです。
話の中でぽつりと「でも昔、新聞を取ってなかったのは、すごい貧乏な家だけだった、」というような意味の事を言ったのです。この言葉を聞いてなるほどそういう気持ちになるのか、と思いました。
確かに昭和の時代では、「新聞を購読していない=貧困家庭」という世間の風潮がありましたので、それをいまだに引きずっている高齢者も多いのではないかと考察いたしました。
うちの母親も他界するまで新聞をとっていました。チラシで値段を比べるほどスーパーマーケットの数も無い程度の町で、購読したところで新聞紙本体どころか折込広告も積ん読のままにもかかわらず....
しかも現役の頃は「地方紙は駄目だ」と言ってA紙とY紙を交互に。地元紙に変わったのはほぼ引退後でした。何かプライドとか格付けがあったのかも知れません。