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新聞・テレビの虚報に対しては「情報版PL法」が必要

「挙証責任の転換」という概念があります。これは製造物責任法(PL法)などに出てくる考え方で、一般消費者が損害賠償を求めたときは、製造者自身が「過失がなかったこと」などを証明できなければ免責されない、というものです。本来ならば、このPL法の考え方を適用しなければならない業態は、ほかにもあります。記者クラブ制度などの特権を持つマスメディア業界(とくに新聞社とテレビ局)こそ、その典型例ではないでしょうか。

PL法

製造物責任法』という法律があります。

これは「PL法」とも呼ばれ、製造物の欠陥によって人の生命や身体、財産に損害が生じた場合に、その製造物を製造・加工した業者や輸入した業者に対しての損害賠償の責任を定めた法律です。

消費者庁のウェブサイト『製造物責任法の概要Q&A』などによると、消費者が製品などの製造物を購入したときに、その製造物に何らかの欠陥があったために、消費者が不足の損害を被った場合でも、PL法の出現以前は、消費者は民法第709条に定める「不法行為責任」に基づいて業者を訴えるしかありませんでした。

民法第709条

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

この民法第709条の規定だと、損害を被った消費者が製造者を裁判で訴えたとしても、その製造者に「故意または過失があった」ことを、消費者自身が証明しなければなりません。ここまで高度な消費社会において、私たち消費者が個々の製品についてそこまで詳しい知識を持っているとは限らないにも関わらず、です。

挙証責任の転換は消費者を守るための規定

そこで、PL法ではこの「証明しなければならない責任(挙証責任)」を転換し、製造者が訴えられた場合、「その製造者自身が一定の事項を証明した場合には責任を負わない」、すなわち「その製造者自身が一定事項を証明できなければ責任を負う」こととされました。これがPL法第3条・第4条の規定です。

製造物責任法第3条

製造業者等は、その製造、加工、輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示をした製造物であって、その引き渡したものの欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が当該製造物についてのみ生じたときは、この限りでない。

製造物責任法第4条

前条の場合において、製造業者等は、次の各号に掲げる事項を証明したときは、同条に規定する賠償の責めに任じない。

一 当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。

二 当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において、その欠陥が専ら当該他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ、かつ、その欠陥が生じたことにつき過失がないこと。

この法律が存在するために、私たち消費者の側としては、製品に対する専門的な知識を持っていなくても、製造者に対して損害賠償を請求することができるようになりました。考えてみれば、これもずいぶんと画期的なことです。このPL法がなければ、ともすれば「泣き寝入り」ともなりかねないからです。

(※ちなみにこうした「挙証責任の転換」は公認会計士・監査法人監査においても規定されており、たとえば金融商品取引法第21条第2項第2号などの規定によれば、虚偽の監査証明を出した場合には、それについて「故意又は過失がなかったこと」を公認会計士側が立証しなければ責任を負わされます。)

報道はPL法の対象外

ただ、このPL法は、基本的には「動産」のみが対象です(PL法第2条第1項)。ということは、「不動産、電気、ソフトウェア、未加工農林畜水産物などはPL法の対象にはならない」(消費者庁)のだそうであり、当然、報道もその「PL法の対象外」、ということなのでしょう。

昨日の『虚偽の報道を「勘違い」で済ませようとするテレビ朝日』でも取り上げましたが、テレビ朝日が公共の電波を使い、明らかなウソを放送。その翌日の放送で発言者本人が着座のままで「謝罪」し、テレビ局自身も『デイリー新潮』の取材に対し、「勘違いだった」で済まそうとした、という「事件」がありました。

テレビ朝日の番組でコメンテーターが安倍総理の国葬儀における菅総理の弔事に「電通が関与している」とする趣旨の発言を行い、翌日謝罪した、という一件がありました。これに関して当日の映像や関連する報道などを見てみると、さらに理解に苦しみます。結局のところ、テレビ業界はこれまで情報発信を独占するという特権的地位にあったがために、彼らの行動は一般社会通念から大きくかけ離れてしまっているのかもしれません。「ごめんなさい」で済む問題ではない9月27日に行われた故・安倍晋三総理大臣の国葬儀における菅義偉総理の弔...
虚偽の報道を「勘違い」で済ませようとするテレビ朝日 - 新宿会計士の政治経済評論

これについて読者コメント欄では「民放テレビ局は視聴者を『客』だと思っていないのではないか」、といったご指摘もいただいたのですが、現在の民放テレビ局の振る舞いから判断する限り、そのように思われても仕方がない、という側面もあるのかもしれません。

なぜなら、多くの民放テレビ局は視聴者から直接にカネを受け取っているのではなく、あくまでもスポンサー(広告主)からのCM料などで経営が成り立っているからです(※なお、不動産事業の収入が多いTBSなどのような事例もありますが)。

ただ、個人的にはやはり、民放テレビ局にとっての「顧客」は、視聴者だと思います。

民放テレビ局は視聴者から直接、コンテンツ料を取っているわけではありませんが、広告を見せられることにより間接的に広告主の企業の製品を購入する可能性が高まるという消費行動を取っているわけですから、あくまでも間接的にではあるにせよ、消費者がテレビ局の経営を支えているのと同じです。

また、視聴者は広告主にとっては顧客ですので、その顧客である視聴者がそのテレビ局を視聴しなくなれば、そのテレビ局のスポンサーとしては、高い広告料金を支払うだけのメリットがなくなります。その意味では、やはり視聴者に番組を見てもらう必要があります。

このように考えていくと、テレビ局が制作する番組も、広い意味では視聴者が受け取る「無体物」です。したがって、本来であればPL法にいう「製造物」と同じく、視聴者にとっては経済的には「製品」のようなものではないでしょうか。

情報版PL法が必要

このようにテレビ局が制作する番組を「製造物」と位置付けるならば、そろそろ「情報版PL法」も必要です。

とくに新聞社、テレビ局といったマスメディア各社は、この「情報」を日々、読者・視聴者といった「消費者」に送り届けることをなりわいとしているわけですから、情報は彼ら自身が「製造・販売している商品」そのものです。

その商品に虚偽が含まれていて、選挙における投票行動を誤るのだとしたら、それによって日本国民全体が損害を被っているようなものです(2009年8月の衆議院議員総選挙がその典型例でしょう)。

よって、現行の放送法や電波法の枠組みとは別に、「情報を取り扱う業者が故意または過失により虚偽の情報を発信したこと」に関し、PL法と同様、挙証責任を転換したうえで、一般読者・視聴者に対して損害賠償の責任を負わせるのが筋ではないでしょうか。

そういえば、マスメディア各社は記者クラブ制度などの特権を持ち、新聞社は再販価格維持制度の例外規定や消費税の軽減税率、テレビ局は電波利権などをそれぞれ持っているわけですから、そのような特権の数々を付与されていながら「虚報には責任を持たなくて良い」というのもおかしな話です。

やはり、記者クラブ制度を含めたさまざまな特権を持っている組織であるならば、その特権に応じた責任もまた付与されてしかるべきではないかと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (24)

  • マスコミに対するPL法ですか。実現するとしたら、今のマスコミがあまりにも
    弱りすぎてもはやいつ夜逃げするか、と言う状況になってから……
    もしくは本当に夜逃げし始めた頃でしょうね。その後、どんな時代が来るのやら。

    ①PL法を破らない為に無味乾燥で低価値な情報を淡々と売るだけのマスコミ以外無くなる?

    ②「この記事はPL法の基準に従っていません。読者の自己責任で信頼性を
    判断してください」と言う責任逃れの記述がまかり通る様になる?

    ③「この記事はあくまで外部のライターに寄る物です。PL法に接触した場合は
    外部ライターが責任を負います」と言う”傭兵制”がメジャーになる?

    ④それとももしかして、「そんな厳しすぎる基準やってられっか!責任を問われない
    ”マイナーメディア”として登録してやるもんね!」と抜け道が成り立つ様に?

    う~ん、分からない……

  • 無責任だから放言できる環境に麻痺していると万能感に満たされるのでしょうが、それはその環境が維持されることが前提。
    インターネットの浸透で視聴者が虚偽を判断できるようになり、環境が崩されていることから目をいつまで背けているのでしょうか。
    N…Kのようにインターネットにも新たな利権を築こうとする猛者もいますが。

  • 本日の朝日新聞の2面広告に、ある投資会社が「報道機関は、投資と投機を区別してください」という広告を出してました。しかし、報道機関は投資と投機を区別することができるでしょうか。(投機と投資は、一部重なっている部分があるのではないでしょうか)
    そもそも(マスゴミ関係者を含めて)人は、自分の専門外のことについては、「みんな、そう言っている」で区別しているのではないでしょうか。(つまり、区別できないという点では、マスゴミも我々も同じレベルということです)
    蛇足ですが、ある企業のトップは、「マスゴミ関係者は、うちに取材にくるのなら、下調べをして基礎知識を得てから来てくれ」と言ってました。そして、そこは(マスゴミを介さずに)自分でネットを使って情報発信をしだしました。これは、「自分の不都合な情報は発信しない」との批判も可能ですが、それはマスゴミに関しても同じことが言えるのではないでしょうか。
    駄文にて失礼しました。

    • 引きこもり中年 様

      「投資と投機」を区別してくれとは、わたしもずっとそう思っていました。マスコミのニュースや記事を読んでも、これがごっちゃになっているので、はっきり言って何を言っているのか、分かりません。
      多分、マスコミ人も、金融経済評論家も、実際のビジネスをやったことがないので、その違いが実感として理解できていないのではないかと感じます。

      尤も、企業経営者でも、これをごっちゃにし始める事がありますから、要注意です。
      その最たるものがバブルです。本業で儲けた金を、財テクと称して、不動産や株を買っていました。
      知人の経営者にもそういう人がいて、バブルが弾けた時、マンション投資していなければ、バブル弾けても、会社倒産させなくてもよかったのに、と嘆いていました。
      尚、当時のマンション「投資」は、正確には、マンション「投機」です。不動産専門の会社が、家賃収入で会社経営するのが、マンション「投資」、当時のようにマンションの値上がりを想定して転売目的で買うのは、マンション「投機」です。
      当時は、経営者もウブで、バブルで急に自分の努力以上の金がじゃんじゃん入って来たものだから、銀行に唆されて、そんなことをやっていました。

      話が逸れましたが、現今、経済ニュースを読んでも、これを区別しないで書いているものだから、投資によって経済が良い方に向かいそうなのか、投機によって経済が掻き回される方向に行きそうなのかが、判断出来ません。

      それから、マスコミ人は、本当に勉強が嫌いのようですね。

      • 追記します。

        大雑把かもしれませんが、基本的なイメージです。

        「投資」は、経済を拡大・活性化・イノベーション(新機軸)・改善・改質、など、未来の経済と人間生活を良い方向へ向かわせる為にお金を使うこと。
        「投機」は、基本は、利鞘を稼ぐこと。

        但し、先物買いのような、安定して事業が出来るようにする為にある仕組みは、投資にも投機にも属さないように見えます。

        以上は、何が正しいではなく、資金の使い方で、目的も効果も異なるのだから、それを区別して考えましょう、という事です。
        マスコミは、それをきちんと国民が分かるように、報道を心がけて欲しいと言うこともですね。

        • 再度、追記します。

          以上から分かることは、現状を打開し未来を創り出すものは、投資しか無いと言うことです。特に、国の未来をかたちつくる投資は、国の財政投資だけだと言う事ですね。
          これが、新宿会計士様が力説されている所ですね。
          金融経済の肝を説いておられる事が、良く分かりました。

  • 今回の国葬騒動の基になっているのが「世論調査」だが、どのような方法で、何人に対して行い、何人から回答がありその結果何%が反対。さらに質問の立て方について詳細がわからない。
    私の推測だが、固定電話に自動音声でかけ最後まで回答した人の結果を集計したものではないかと考えている。この方法だと世論調査に最初から協力しない人、つまりガチャ切り、自動音声を途中まで聞いて「なんだ、そんなことか下らねぇー」で切る人も最初から母集団に入っていないことになる。結局のところ最後まで回答しているのは腹にいちもつある人間が多いのではないか。
    この方法で世論調査をやれば天皇制に反対50%、死刑制度に反対60%などということになってしまいかねない。つまり、「そんなこと(国葬をおこなうかどうか)は政府に任せておけばいいじゃないか」というサイレントマジョリティーの声は世論調査に反映されにくくなっている。まして国民の大多数が云々は言えない。統計学的に無理な主張だと思う。それを主張したいのであれば冒頭の資料の開示を行うべきだ。ちなみに私の家の固定電話にもよく世論調査の電話がかかってくるが、私はガチャ切りです。そんなヒマないっちゅーの。一度だけ好奇心で最後まで回答したことがあるが、5分強かかった。他人の家に無作為に電話かけてきて調査をするという態度がずうずうしい。

  • サラリーマンのお客様は誰か?
    給料をくれる会社なのか?給料の源泉たる粗利を提供している会社のお客様なのか。

    テレビ局のお客様は誰か?
    これも同じ。
    視聴者もお客様であるという態度を取らなければ、スポンサー企業は離れていく。

  • 「報道機関はファクトチェック対象外」は妥当なのか?
    の論考からもわかるように、報道機関にPL法が適用されることはないでしょうね。
    報道機関は放送法を遵守し、絶対に間違わない、という前提で法律が作られている。
    まず、ここの考えを改めないといけないと思う。

    マナーからルールへ、の喫煙者の条例と同じように、分別を持った(?)成人した人でも、間違う事があることを認識する事から始めないと。

    私は報道機関にもPL法が適用されるべきだと強く思います。

    • >>>マナーからルールへ、の喫煙者の条例と同じように、分別を持った(?)成人した人でも、間違う事があることを認識する事から始めないと。<<<

      これは、人間社会の基本的な考え方にするべきですね。
      この考え方をスタート地点すると、いろんな事、所に適用できます。

      1.人間は、間違える事が、ある。
      2.だから、ルールを作りましょう。
      3.間違えたら、謝りましょう。

      この考え方を社会の基本「ルール」として、人間の基本認識として、浸透させればいいですね。

      これは、「権威」を商売の基盤にしている所には、特に絶対に必要ですね。

      マスコミ・報道、教育・教師、政治・政治家、いろんな分野に必要です。

      • >3.間違えたら、謝りましょう。
        これはクリアーしてますね。
        追加で
        4.間違えたら、訂正しましょう。
        さらに報道機関なら
        5.間違いを報道したのなら間違った情報を払拭しましょう。
        問題があった商品や製品は回収しますもんね。

  •  マスメディアや記者クラブにメスを入れようとするとすぐに「言論弾圧だ」「自由な報道の萎縮を生む」などと彼らは反論しますが。PL法の施行時に同様に「経済弾圧だ」「自由な商売や開発の萎縮を生む」などと言っていたでしょうか。どう違うのか伺いたいものです。
     「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」で評価を変える方々です。「規制内容」よりも「規制対象」で言を変えてももはや驚きはありませんが。これがブーメランの源泉なんですが、改める気は無いどころか特権と思っていそう。

    • >>>「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」で評価を変える方々です。<<<

      ここは、マスコミの本分を突いている、本当に重要な所です。

      1.普通、人々は、「誰が 言ったか」で、物事の真贋を判断します。何故なら、一般的に、人間はあらゆる事に、専門的な知識や見識を持つことは不可能だし、それを調べる、手段や時間を持つことが難しいからです。

      一方、そういう一般の人々に、「正確な事」を知らせるのが、マスコミの仕事のはずです。
      つまり、「何を言ったか」の「何」、正確な「何」を伝えるのが、マスコミの仕事です。
      そして、「正確な何」を見つけることを、「取材」と言います。

      こんな所でしょうか?

      この観点から見れば、今のマスコミは、一般の素人と同じ事をやっていて、プロではないという事ですね。
      やっぱり、これは、恥ずかしい事のはずなのですが、恥の概念は彼等の辞書にはないようですね。

      農民様は、このように、何かの「本質的なこと」に気付かせてくださいますね。

      • 追記します。

        ましてや、誤報を垂れ流す、誤報の更に上を行き、捏造する、これをやっても、訂正も謝る事もしない、となれば、最早、自分の存在は、社会の中の「何なんだろう?」と、一度立ち止まって考えてみたらどうか?
        「考えて真贋を見抜く」のが、マスコミ人の本分のはずなのだから。

        と、農民様の仰りたいことは、以上のようなことではないか、と推察しました。

      •  できれば仰るようにマスコミには社会での役割を考え本分を全うして欲しいのですが……残念ながら彼らにそこまでの期待はもう持っていません。

         マスコミの仕事を、おそらくほとんどの人は仰ったようなものと認識していると思いますし、建前でもそうなっていると思います。この場合、仕事=「社会に求められている事」と解釈すれば良いでしょうか。その前提では恥ずべき事をしていると言えるのですが。
         実際には「ある主張を広めて世を変える」のがマスコミの仕事なのではと考えています。仕事=「彼らが求める事」という方向ですね。
         そしてこうなると「取材」は「目的に合致する情報を拾う手段」でしかありません。科学者がインタビュー内容を正反対に捻じ曲げられたり、政敵の手柄を無視し醜聞を捏造したり、お仲間の不祥事をひた隠しにしたり。
         ふざけた話ですが、彼らは「彼らのしたい仕事をちゃんとこなしている。」この解釈の方が現状に添っていると思います。

         マスコミ自体が各分野のプロではないのは仕方ないと思うのです。しかしそれなら伝書鳩に甘んじてもらわないと。プロに取材して「よし俺様がお前の意見をいっちょわかりやすくしてしんぜよう」などとやるからおかしくなる。

         「誰が言ったか」で変わるのは、より都合の良い専門家(PCR狂信者や悪い円安論者)を連れてきてしまうことや、例えば同じような内容の法案を、自民党案であればこきおろし、民主党案であれば絶賛するなど、様々な場合で情報の受け手への害になります。

         マスコミには求められる姿へ変わってほしいですが、彼らが本分を全うしていてアレなのだとしたら、変わるべきはマスコミをプロと勘違いして頼っている受け手の方かもしれません。

        • 世の中、プロでない人間が仕事をしているとは、普通思いませんから。お金を貰う人は、皆プロだと思いたいです。アマには、お金を払いたくないはずですが、確かにマスコミ人で、この人プロだなと感じる人は見かけないですね。なのに、何故、皆さんおかしいと言わないのか?
          農民様のご指摘で気がつきました。
          今話題の玉川某氏などは、何のプロのつもりで、コメントしているのか?
          気がつけば、不思議なことですね。

    • >マスメディアや記者クラブにメスを入れようとするとすぐに「言論弾圧だ」「自由な報道の萎縮を生む」などと彼らは反論しますが・・・・

      対象を「事実」報道に限定し、その真偽を基準に規制すればそのような反論を封ずることができるでしょう。つまり、例えば「強制慰安婦という事実」が有ったか否かに関して、法的に、証拠に基づいてその真偽を問うようにするのです。そしてその報道の社会的影響の大きさ、悪質さ応じて法的に罪を定めれば良いでしょう。無論、このような正当な道理を説いても、既存のマスコミなどは、「ニュースは鮮度が命、いちいち事実検証していたらニュースにならない!」と、聴く耳を持たないでしょうけどね。

      一方、報道者としての「見方・考え方・意見」はあくまでも思想信条の自由の範囲なので規制すべきではありません。たとえその主張が、社会の一般常識に照らし異常であってもです。それらの是非は読者の判断に任せるべきで、法がとやかく言うことではありません。それが言論の自由で、日本もその一員である自由社会の基本思想の一つですから。

      •  仰るように事実の伝達と意見の表明が切り分けられていないのが諸悪の根源ですが、(上でも書いたように)意見の表明の方がむしろ彼らの主力商品と思われるので、それはもう徹底的に抵抗するでしょう。
         例のファクトチェック(笑)団体は先手を打ったつもりかもしれません。
         しかし早速、誤記をツッコまれまくったり、朝日の過去報道を持ち出されて「これファクトチェックしてください」とイジられたおしている模様。ほのぼのニュースみたいなもののファクトチェックをして件数稼ぎしていたりと早くもダメそうな雰囲気満点です。

  • 国内外版を問わず、HPトップに『過去のやらかしと検証の晒し』ボタンの設置を義務付けてほしいですね。 もちろん、時系列・反響順にですね。(メタタグ操作厳禁!!)

  • 毎度、ばかばかしいお話しを。
    テレビは報道機関ではない。高齢者が語りかける相手であり、高齢者の精神安定剤である。
    これって、笑い話ですよね。

  • 情報のPL法って面白い考え方だと思うのです♪

    >「情報を取り扱う業者が故意または過失により虚偽の情報を発信したこと」に関し、PL法と同様、挙証責任を転換したうえで、一般読者・視聴者に対して損害賠償の責任を負わせるのが筋ではないでしょうか。

    とのことですが、個人運営のサイトまで「情報を取り扱う業者」ってならないように、「業者」の範囲を新聞社とかテレビ局に限定して欲しいのです♪

    そういえば、誹謗中傷とか著作権侵害されたときに書き込み者の特定は、被害者では難しいから、擬似的に民事上の賠償責任を通信事業者とかサイト管理者に負って貰いたいなんてことを考えたことがあるのです♪
    で、通信事業者とかは、その賠償を被害として書き込み者に若干上乗せして請求することにしたら、被害補償が早くなんないかな?って思ったのです♪

    そんな感じで、番組とかCMに騙されて怪しげな健康食品を買った被害は、被害者←放送局←番組制作者←業者って感じで、責任の連鎖ってできないものなのかな?って思ったのです♪

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