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韓国大統領、日本に「歴史を直視し謙虚になれ」と要求

文在寅・韓国大統領は本日、日本に対して「歴史を直視し、歴史の前で謙虚になれ」と要求しました。大変に残念です。むしろ本当の意味で謙虚に歴史を直視しなければならないのは、文在寅氏、そして国際法、条約、約束を破っている韓国の側だからです。

文在寅氏の「3・1節」演説の日本に関する言及箇所

メディアを眺めていて気付いたのですが、そういえば本日・3月1日は、韓国にとって数ある「独立記念日」のひとつである「3・1節」なのだそうです。

これに関連し、韓国大統領府ウェブサイトには、文在寅氏の演説がアップロードされていました。

第103周年3・1節記念式祭【※韓国語】

―――2022/03/01付 韓国大統領HPより

どんな内容が書かれているのか、少し気になったのですが、「日本」という単語は9箇所ありました。それらの一部を抜粋すると、次のとおりです(部分的に意訳している箇所があります)。

  • 政府は過去5年の危機克服とともに未来への挑戦を止めませんでした。日本の輸出規制に対抗して素材・部品・装備自立化の道を開拓しました。
  • 私たちの文化芸術を発展させた力は、断然、民主主義です。<中略>金大中政権は自信をもって日本文化を開放しました。私たちの文化芸術は多様性のなかで力を育て、むしろ日本文化を圧倒するほど競争力を持つようになりました。
  • 私たちの祖先は3・1独立運動宣言で<中略>東洋の平和のためにともに努力しようと日本に提案しました。
  • さまざまな困難のなか、近い隣人である韓国と日本が「かつて不幸だった過去の歴史」を克服し、未来に向け協力できるはずです。日韓関係を越えて、日本が先進国としてリーダーシップを持つことを心から願っています。
  • そのためには日本は歴史を直視し、歴史の前で謙虚でなければなりません。「かつて不幸だった過去」のために、ときどき発生する隣国国民の傷に共感できるとき、日本は信頼される国になるでしょう。

…。

日本にご高説を垂れる資格はない

あいかわらず、大統領ご本人が「輸出『規制』」などという誤った用語を堂々と使用している時点で、思わずため息が出てきてしまいますが、それだけではありません。

すでに「過去の歴史」は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に清算が済んでいるにも関わらず、いまだに「歴史を直視せよ」とは、正直、いつまで経っても未来志向の関係を構築することができないのではないかと感じざるを得ません。

しかも、日本に対し、「信頼される国になれ」とご高説を垂れる資格は、文在寅氏ご自身にも、韓国にもありません。韓国こそが国際法、条約、約束を破っている側だからです。

日韓間には韓国による島根県竹島の不法占拠問題をはじめ、(今回の演説では言及されていなかったようですが)自称元徴用工・慰安婦問題などの諸懸案が山積しており、そして、これら諸懸案はいずれも、最終的には韓国自身が国際法を守る方向に舵を切らないかぎり、解決しません。

謙虚に振り返るべきは韓国の側

あるいは、日本に「歴史を直視せよ」、「信頼される国になれ」と要求する前に、まずはご自身の国が歴史を直視しているのか、そして世界から信頼される資格がある国なのか、謙虚に振り返るべきではないでしょうか。

その文在寅氏の後継者は来週に選出され、文在寅氏は5月には大統領の座を去ります。今回の演説も、ご自身の事績を真摯に振り返る、事実上の「最後の機会」だったのかもしれませんが、大変残念な演説だったと思わざるを得ません。

そして、後任の大統領に誰が就任するにしても、日韓諸懸案が「リセット」されるわけではないのです。

新宿会計士:

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  • 歴史問題を考える -職業(奉公人)としての性奴隷-

    定年退職後の趣味の一環として、歴史を学んでいます。
    古文書を解読したり、歴史関連の書籍や地元の大学の郷土史研究所編輯の紀要論文などをつまみ読んだりする日々です。

    そうした中、先日なかなか面白い論文(という表現は些か似つかわしくない話題かもしれませんが)に辿り着きました。

    それは江戸時代の東海道三州赤坂宿における飯盛り女たちの記録です。現代を生きる私たちの社会通念や法律そして人権意識からすれば、残酷に過ぎると思える彼女たちの境遇がそこには窺えます。筆者は近藤恒次という地元の郷土史家の方で、掲載されたのは1957年、偶然にも私の生まれた年に掲載された論文でした。

    歴史とは時として苛烈なものです。しかし我々はその事実から目を背けてはならないと考えます。在ったことを在ったこととして認めなければ、歴史を学ぶ資格はありません。また現在の価値観をもって過去を断罪することも、厳に戒しめられねばればならないとも考えます。

    さて、そうした前提の元にして、当時の彼女たちの境遇について述べていきます。まず飯盛り女という職業ですが、以前にもこのコメント欄で説明しました通り、彼女たちは宿に接客業を主として務めながらも、時には客の求めに応じて性的なサービスも行っていた女性たちでした。

    その殆どは貧しさ故に、親または近親者によって年季奉公として売られた人々です。多くは10代の少女でした。中には10歳に満たぬ年齢で売られた事例もあったようです。なんて酷いと眉をひそめる向きもいらっしゃると思いますが、そうした場合大抵15歳頃になるまではいわゆる下働きとして、雑用やその他の仕事をしていたようです。実際にそのように明記してある証文も現存しています。先日私がご紹介した古文書がその一例です。そして補足説明しておきますが、当時の15歳というのは概ね結婚適齢期の最下限ぐらいの年齢と見做されていました。

    そしてその殆どは年季奉公とも記録されています。もっとも短い期限として1年、最長でも14年から15年ぐらいだったようです。この年季奉公という制度を理解しておかねば、彼女たちあるいは他の奉公人の雇用の実態は把握できないでしょう。日本は基本的に家父長制の国です。イエは基本的に長男が継ぎ、次男以下の子供たちは家業を手伝うか、商家や職人の元で年季奉公を務め、運が良ければ暖簾分けをさせてもらったりしていたのです。男子がなければ長女が婿を取る場合もあったでしょう。とにかくそうしてイエを後代に繫いでいくこと、それこそが家長に課せられた最大の義務だったわけです。

    そして奉公に出される際に前借という、いわば前払い金が抱主(雇用主)から親に支払われました。その代わりに奉公人として働く間、基本的に奉公人は無給です。これをもって理不尽だと感じるのは現代の我々の感覚でしょうが、当時はそれが常識であったのです。先ほども申し上げたとおり、現代の社会通念をもって過去を断じてはなりません。

    話は変わりますが、私の父方の祖父もかつて奉公人の一人でした。明治38年に農家の次男として生まれた祖父は、尋常小学校を卒業した年に関東にあった蕎麦屋で奉公人として働き始めました。そして関東大震災のあと暖簾分けを許されて帰郷し、地元で蕎麦屋を開業しました。今思えば祖父に当時のことを直接聞く機会が殆どないまま別れてしまったことは、返す返すも残念なことでした。因みに祖父が奉公人として働き暖簾分けを許された蕎麦屋の暖簾は「満留賀」という屋号でした。今でも関東地方にはこの屋号を名乗る蕎麦屋が多く残っていると聞きます。

    話が脱線しましたが、要するに私が言いたいのは韓国でいわゆる「従軍慰安婦」と自称している婦人たちの殆どは、こうした奉公人制度に基づく雇用形態ではなかったのでは?ということです。彼女たちの証言の中に「年季が明けてあと故郷に帰って家を建てた」というものがあったことに私は注目しています。

    年季奉公という期限付きの労働であれば、それはもはや奴隷労働とは言えないでしょう。奴隷とは李氏朝鮮時代に存在した「奴婢」という身分こそが、まさしくそれに相当すると考えます。奴婢という身分からは死ぬまで解放されませんでした。奴婢の子供として生まれた者もまた奴婢として取り扱われました。これこそがまさに奴隷と呼ぶべき身分です。

    ラムザイヤー教授が言うとおり、経済史という観点から見れば奉公人という制度は一種の雇用契約だと言えるものです。

    こうした史料が日本には多く残っているのに、韓国には殆どないことをここで説明するのは私の手に余る作業ですので多くは語りません。ただ一ついえるのは日本にはこうした人にはあまり知られたくない、ある意味ような恥ずべき記録も多く残っているということだけです。

    これは当時の日本人の識字率が世界的に見ても最高のレベルであったこと、そして当時の農山漁村では村請制度という、ある意味自治的な運営がなされており、そのため多くの史料を村人自身が証文や請け書のような契約書の写し書きなどを記録(留録あるいは控)していたことなどとも、深く関連していたのだろうとは考えております。

    さて、長々と駄文を連ねてきましたが、このあたりで筆を置くこととします。

    • 興味ある話を記載して頂き有難うございました。
      このようなお話は聞く機会が少なく、本当に参考になりました。
      また、お話が記載されることを願っております。

  • 最後まで真の親日を貫いてくれた(最近はやや腰砕けですが)文在寅大統領に感謝。
    来週の韓国大統領選、文在寅大統領にも増して真の親日の素養がありそうな李候補が当選されることを願っています。(^0^*オッホホ

      • マイナンバー様

        全世界が注視しているウクライナ危機のどさくさに北は相変わらずミサイル撃っています。

        反日反米の文大統領様は「堪忍袋の尾が切れた」とか言って北進してみるのはいかがかと。
        欧州からは「勇気ある行動」と称賛されるかも知るませんが日米露中からは「要らん余計なことを…」とムカつかれること必定で反日反米成功です。

        更にコロナ禍以前から始まった韓国の大赤字をどさくさ紛れに誤魔化す方便にも使えるかも知れません。

        なんでしたら北を貫通してロシア領にまで攻め入れば世界史に残る快挙として欧州から絶賛されるかも知れません。
        それくらいやらないと終身牢獄入りは大統領退任後に避けられませんし。

        わくわく…

        • がみ様

          文在寅大統領には、任期満了日に大統領の最後の権力行使として一般人では入れない板門店の境界線へ出向き、さっそうと境界線を越えて北へ亡命する、という奇策が残っています(笑󠄀

  • 借金やした事もない外交で行き詰まった大韓帝国は、日帝に頭を下げて併合してもらった。
    歴史を直視して謙虚になった方が良いのは、南北朝鮮でしょう。
    歴史を忘れた民族に未来は無いでしょう。

    • 最近の彼等の"歴史"は
      李氏朝鮮は順調に近代化を進めていたが、悪辣な日帝がそれを邪魔して支配した
      という事になったそうですよ

  • このまま竹島上陸もなく、終戦宣言もなく中途半端な状態で別荘に引っ越ししてしまうのも無念でしょうね。この際、竹島に引っ越して、毎日ブログを発信されては如何でしょうか?

  • 毎日の更新御疲れ様です。文氏の言う「歴史を直視」に文字通りに実行するのも一興かと。南朝鮮の捏造を正面から叩き潰せとの要求ととらえていますが。何回も南庁瀬政府自ら最悪手を示唆しているんで利用したいです。

  • 日本は譲歩する謂れも義理も義務もないので譲歩しませんし
    申し訳なくて申し訳なくてお詫びの言葉もないので、お詫びはしません
    したところで、何も変わらないので無駄な労力ですしねぇ
    宗主国見習って相手にしないのが吉ですな

  • まあ、「どの口が言う」ですね。
    李朝万歳のまま没落していってください。

  • そのとうり。
    竹島で漁民を捕まえた歴史を直視せよ。
    輸出管理に至った横流し疑惑を直視せよ。

  • 最後の最後までムン・ジェインはムン・ジェインでしたね。
    とはいえ、誰が大統領になろうとあの国民単位での反日と言う「宗教」もしくは「クスリ」を
    除去するのは不可能に近そうですが(ロウソクデモなんて例が出来てしまったし)。

    もしこの反日を除去する手段があるとすれば、それは軍事独裁政権に戻して言論と思想の自由を
    取り上げ、「今までは全て間違っていた!」と押し付けるくらいでしょうが……
    こちらも実現性が極めて低い無理難題でしょうね。

  • 日本に対して歴史を直視しろと言う前に、あなたにこれから確実にふりかかる現実を直視した方がよいのでは…いや、もはや何も言うまい。

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