歳末の風景といえば、年賀状でしょう。そんな年賀状の風景にも、さまざまな変化の波が押し寄せているようです。著者自身の経験ですが、数年前、筆まめだったはずのとある高齢者が年賀状をやめると言い出したのです。そのその理由とは、拍子抜けするほどシンプルなものでした。
年賀状、投函完了!
社会全体のインターネット化が進めば進むほど、廃れていくのが「紙文化」なのかもしれません。
私事ではありますが、今年の年賀状はクリスマスイブの日に書きあげ、投函しました。例年、年賀状はもっと暮れが押し迫った時期になり、ギリギリで慌てて印刷していたのですが、今年に関しては12月24日の時点で少しだけ時間的に余裕があったので、一気に印刷し、投函まで完了した、というわけです。
ただ、今年の年賀状について早めに対応できたのには、ほかにもいくつかの理由がありますが、その最たるものは「出す枚数が減ったから」です。
著者自身の記憶と記憶ベースで恐縮ですが、前世紀、とくに1980年代から90年代といえば、社会人であれば50~100枚、あるいは数百枚、人によっては一千枚近い年賀状を書くのが一般的だったように思えます(※もちろん、人にもよりますが…)。
発送する先は職場関係であったり、友人関係であったり、あるいは親戚であったりとさまざまですが、ただ、とくに社会人であれば、会社の上司、同僚、部下などに年賀状を出すのが「社会常識」のように思われていたフシがあります。
職場で年賀状を「出さない」が62%
もっとも、やはり昨今だと個人情報などの関係もあるためでしょうか、職場で申し合わせて年賀状を廃止する、といったケースも見受けられます。
サンケイリビング新聞社が運営する『シティリビングweb』というウェブサイトに2年ほど前に掲載された次の記事によれば、同サイト読者を対象としたWeb調査(※有効回答数52人)の結果、62%の人が、2020年の年賀状を「仕事で出さない」と答えたそうです。
職場で年賀状って出す? 令和時代のオフィスの年賀状事情を大調査
―――2020/1/13付 シティリビングwebより
この点、この記事を読んだ方のなかには、「このご時世でなお、38%の人が仕事で年賀状を出すのか」という点に驚くという感想を持つケースもあるかもしれませんが、いずれにせよ、いまや「仕事関係で年賀状をやり取りする」という文化自体、消えゆくものなのかもしれません。
実際、日本全体として、年賀状の発行枚数は着実に減少している、という話題もあります。
『ガベージニュース』というウェブサイトに今年9月5日付で掲載された次の記事によれば、年賀状発行枚数は2003年に44.6億枚でピークを付けたものの、2021年に関しては18.3億枚(※当初発行枚数)と、ピーク時に比べじつに60%近くも減少していることが示されています。
2022年用の当初発行枚数は18億2536万枚…年賀葉書の発行枚数などの実情
―――2021/09/05 09:37付 ガベージニュースより
この記事を信頼するならば、このペースで減少が続いていけば、早ければ数年後にも、10億枚の大台を割り込むかもしれません。
新たに年賀状を出す相手は出現しない?
この点、著者自身の個人的事情で恐縮ですが、実際に年賀状を出す枚数を数えてみると、年々、着実に減っていることも事実ですし、昨今のケースだとビジネス上の新春のあいさつも、たいていはメールでやり取りを行っているからです。
個人的には、年に1回くらい、自筆で(?)したためた年賀状をやり取りする文化はあっても良いではないか、という気持ちも、ないではありません。
しかし、社会が変化していけばさまざまな風習についても変化していかざるを得ませんし、全体がインターネット化していけば、年賀状という文化も廃れていくのは仕方がない話なのかもしれない、などと思う次第です。
ではなぜ、年賀状を出す枚数が社会全体で減っていくのでしょうか。
これも当ウェブサイトの独産と偏見に基づくならば、多くの人は、「あらたに年賀状を出す相手」が出現しないからではないでしょうか。
年賀状をやりとりする相手として、真っ先に考えられるのは、親戚や学校時代の恩師・友人などでしょう。
昨今のインターネット化の進展に基づき、新たに知り合う人とはメール、SMS、ラインなど、インターネット上でやり取りをすることが一般的でしょうから、こうした「新しい知り合い」と住所を教え合い、年賀状をやり取りする、というケースは、さほど多くないように思えます。
また、勤務先にもよりますが、個人情報保護にうるさい昨今の情勢に照らすならば、職場でも自身の住所を周囲に教えていないという人は増えているでしょう(※なお、著者自身がサラリーマンだった時代ころも、よっぽどのことがない限り、自身の住所を職場の人に教えるということはしませんでした)。
だからこそ、必然的に、年賀状をやり取りする人は「昔から年賀状をやり取りしていた人」が中心にならざるを得ないのでしょう。
高齢者からの年賀状がストップした!
こうしたなか、昨今は「先方から年賀状を控えましょうと言われる」、というケースもありますが、そのなかでもとくに印象的なのが、著者自身の親戚のタエ子さん(仮名)の事例です。
タエ子さんは、来年で90歳を迎えるという高齢者ですが、昔は筆まめだったのに、3年前に送られてきた年賀状で突如として、「本年賀状をもちまして、今後は年賀状を送るのを卒業したいと思います」と宣言されてしまいました。
タエ子さんはいつも明るく陽気で、年をとっても非常に元気で、目も耳も良い方です(本人いわく「口だけが非常に悪い」のだそうです)。数年前にご主人を亡くされましたが、「そろそろ同居を」という娘の申し出を断り、「気軽だから」という理由で現在も独り暮らしを満喫中だったはず。
そんな人がいきなり「年賀状ストップ」宣言、もしかして調子が悪いのかと思い、年賀状を受け取った際に慌てて電話してみたところ、真相がわかりました。
単純に、「面倒くさい」からだったのだそうです。
タエ子さんによると、孫にセットアップしてもらったスマートフォンが便利過ぎ、最近は老人会の連絡もラインやメールなどで行っているらしく、また、ひとりでお出かけしておしゃれなレストランで食事を取った際には、それを写真に撮り、インスタグラムにアップロードしているのだそうです(※もちろん、店の許可を得て、だそうですが)。
そんなタエ子さんは、こう言います。
「きょうび、『元気かどうか』を相手に伝えるのならば、スマホで用事が済むのに、なんでわざわざ年賀ハガキに筆で挨拶をしたためなきゃならないの?そんな古臭い習慣、面倒くさいわよ!」
タエ子さんがあっけらかんとそう言い放つのを聞いて、思わず、「さすが合理主義者のタエ子さんだけある」と妙に感心してしまいました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そういえば、著者自身の周囲では、年賀状をやめるという人は着実に増えていると感じます。
こうしたなか、コロナ禍が発生する前、数年前の年末に行われた会合に参加した際、年賀状を巡って、こんな会話がなされていたのを思い出します。
「年賀状はそもそも年始回りを省略するための工夫であり、郵便制度が発達したからこそ可能になった仕組みだ。年賀状よりも便利な仕組みが社会に登場したのならば、年賀状が廃れるのも当然だろう」。
この発言をしたのは、某大学の准教授の方だったと記憶しています。この発言が正しいのかどうかはよくわかりませんが、おっしゃっている内容自体は合理的だと思います。
それに、最近だと「電子年賀状」というものを送る人も増えている、という話も聞きます(※個人的には、手の込んだ「動く年賀状」を作るくらいなら、紙媒体の年賀状を印刷すれば良いのに、などと思ってしまうのは個々だけの話です)。
いずれにせよ、紙媒体の年賀状という文化がこのまま廃れていくのかどうかに関しては、来年の元旦に受け取るであろう年賀状の枚数を数えながら、答え合わせしてみたいと思う次第です。
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社会常識がない私は、今だかつて会社関係の人に年賀状を出したことが一度もありません。
それでも、たまには自筆でやりとりしたいと思う極少数の人には、年賀状を書いていました。
が、昨年と今年はやめてしまいました。
理由は武漢肺炎。
不特定多数の手を経たものを、相手の家庭に持ち込むリスクを避けるためです。
若い時は年賀状は出さなかったなぁ。
現役時代も出さなかったなぁ。
妻には年賀状を出すのは社会人の常識………、って暮れには毎年怒られていました。で、喪中葉書、3人の子供達には喪中葉書は出さんで良いよ、と言っています。子供達は少し驚いて居ました、が40過ぎの子供達⁇は常識人だと感じました。団塊の世代のワタシは常識人から少し外れているようです。
蛇足です。
今日から高校ラグビーが始まりました🏉。外は寒いけれど、チャンスを見つけて観戦します。(予定です。)
今年は愚妻の兄が亡くなったので現在喪中です。
喪中の場合、年内に欠礼の挨拶状を出し、歳が明けてからは寒中見舞いを出すのが、社会人の常識だそうですね。年賀状よりも面倒くさい。
追伸
妻「私の兄さんだから、あなたは関係ないでしょ」
僕「夫婦は一心同体だから(ホントはそうでも無いが)」
妻「?」
なので、年賀状出しても良かったかなあ・・・
もう長いこと年賀状は、頂いたものにお返しするだけで、こちらからは出してません。
ただ、昨年だけは、お送りいただける可能性がある相手には喪中欠礼の葉書を出しました。先方に気まずい思いをさせるのもよろしくないと思ったので。
# あ、今年はお返し用の葉書すらまだ買ってないや。買ってこよっと。
私は非常識と多くの人からの評価を受け賜っていますので、その評価に応えるため?、喪中の時もそのことを知らない人に対しては黙って普通の年賀状を出します。年賀状と言っても「謹賀新年 オワリ」という生存証明の年賀状ではなく、過ぎた年に何をしていたかをなるべく詳しく書いて、元気で動き回っていることだけを毎年年賀状を送ってくれる人にだけ知らせる年賀状で、年賀に関する文字としては最後に書く「零和4年元旦」のような元日を表す文字くらいのものですが。
これなら喪中に出しても問題ないでしょうし(はがきは年賀はがきを使いますが)、そもそも、「自分の配偶者の親類の祖父の孫」等という全く知らない人の喪中を知らされて、それをもらった人が会ったことも話したこともないような人の喪中の連絡をもらっても、もらった方は如何な気持ちでしょうか。喪中の挨拶状も無料ではないので、私は両親が亡くなったときも、家内が亡くなったときも一切喪中の挨拶状を出したことはありません。知っている人は知っているのでなおのこと挨拶状など出す必要は無いでしょう。
また、忙しいご時世であるから喪に服するのは葬式の時だけと決めており、それ以外では喪に服することも実際にできないから喪中などと言う現代には不適当な制度に従うつもりもありませんし、それで罰が当たるなら宝くじでも買って当たることにあやかりたいくらいです。
このように書くと非常識だと批難されるでしょうから、それはそれとして、わたしの方針が全ての人に良いことかどうかも分かりませんから、そのまま参考にされると問題が起きる場合もあるかも知れませんが。要するに喪中の挨拶状を出さなくて知らん顔をして年賀状を出しても問題は起きないと言うことです。
同じような考え方をしている友達もいるようで、友達のご両親はとっくに無くなっているはずですが、喪中の挨拶状をもらった記憶が全くありません。
私自身は既に喪中の挨拶状を出す親族は既におらず、今年以後も喪中の挨拶状に類似する挨拶状を出すのは自分が死んだときだけですが、それは自分で出すことは不可能ですから、そのうちに自分で書いた死亡通知を用意しておき、最後の始末をしてもらう人に出してもらう予定にしています。
そのへんは人それぞれでしょうね。
ただ、その昔、自分からも多少は年賀状を送っていた頃、出した相手から喪中欠礼が返ってくると、「ありゃ、しまった」くらいには感じてましたので、毎年頂いていた相手と、日頃行き来が全くなく、それこそ年賀状のやり取りくらいしかしてない遠方の親戚に送ったくらいです。でも、30枚しか刷らなかったのに、それでもかなり余す始末で。
小学生の頃(60年前)からずっと年賀状なる物を、一回も出した事がありません。
こんな無駄な事をなぜするのか子供心に不思議でなりませんでした。
出さねばならない重要な人には年賀に行きますし、そうでない人には電話して、それ以下の人は省略でした。
まあ、小学校の先生から「学校始まって以来の変人」と言われたくらいでしたが、やっと時代が私に追いついてきたな、、という感じですね。
そもそも販売された年賀状の内の何割が実際に利用される年賀状なんだろうか、という疑念が自分にはあります。
15年くらい前に本屋でバイトしてた時に、パート・バイトに至るまで全員に年賀状印刷サービスの販売ノルマが課せられてましたが、その時でさえ店舗売上の半分以上が自爆営業でした。
若い頃にそういう光景を見てきたので、年賀状という習慣自体にあまり良いイメージがないです。
郵便局員への年賀状販売ノルマも撤廃したとは言われてますが、知り合いを見る限りそんなこともなさそうだなとしか思えないわけで。
タエ子さんかっけー
その世代の方がスマホやラインに目覚めて
紙文化から去るとするならば
新聞なんてひとたまりもないでしょうねえ・・
ですねぇ。
年賀状だけでなく、マスメディア/オールドメディアとの付き合い方がどう変わったか、といったエピソードもあれば、読みたくなりました。
年賀状が始まったころ:「最近の若い者は、年始の挨拶に来ないで、年賀状なんて出しやがって」
今:「最近若い者は、年賀状も書かずに、メールで済ましやがって」
おあとが、よろしいようで。
20年後にはメール送るのもなくなるかも
では、20年後:「最近の若者は、メールも送らないで」
時代が変わったのですね。
ちょっと前までは年賀状のためにプリントごっこやインクジェットプリンターが売れていたのですが。
かく言う私ももう20年くらい年賀状を出していませんが。
「ザ・日本文化」みたいなのがまた一つ消えていくのは少々寂しくもあります。
昔々「日本では年賀状をやり取りするがアメリカには年賀状の風習は無く、クリスマスカードを出す」といった話を聞いた(読んだ)記憶があります。クリスマスカードのやり取りは本当だったのか、本当だったとしたら現在も風習として残っているのか、気になります。
他人(といっても赤の他人ではなく、微妙に親しいような親しくない程度の関係)の人とのコミュニケーションにコストをかけなくなったように感じます。
郵便料金63円×枚数分もさることながら、絵柄や写真を選び文言を考える手間、出す相手出さない相手の取捨選択と住所録のメンテナンス、印刷も即日仕上げではないので元日配達に間に合うよう逆算しての日程管理....ただでさえ慌ただしい師走に相当の時間と脳味噌を使っていたのであります。これだけの業務を削減したら、大抵の人にとっては復活させるのは難しいでしょう。結婚式や葬儀の簡略化とも共通しているように思います。
更新お疲れ様です。
もう一つの可能性を上げさせていただきます。
高齢になると、認知症の有無に関係なく年相応の認知が出ます。
又、それと同時に、「面倒くさい」と「字をきれいに書けないからね」が出てきます。
握力と視覚の衰え(軽度の白内障や緑内障等)などで角ばった文字が書けなくなります。
契約書等に一発で署名できなくなる方が多いですね。
そこから、年賀状の卒業になるようです。
高齢のご両親を持つ方は注意してあげてください。
介護の前兆ともいえるので・・・。