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    Categories: 文芸

「絶対当たる」占いも人生でほとんど役に立たない理由

そういえばあなた、「100円玉」を何も見ずに正確に書けますか?

先日の『「万葉集は新羅の郷歌と判明」=韓国の衝撃の最新研究』で、「万葉集=韓国語」説という与太話を紹介したのですが、その後、過去に自分自身が作ったメモ書きなどを振り返っておくと、「トンデモ本」という話題を再発見しました。個人的に、この「トンデモ本」には、「テキストを批判的に読むことの重要性」を認識させてくれたという意味での恩義があるのです。

『トンデモ本の世界』の思い出

本稿では、すこし唐突な話をします。

ゴールデンウィーク中に掲載した『「万葉集は新羅の郷歌と判明」=韓国の衝撃の最新研究』に関連し、ふと思い出したのが、「トンデモ本」です。

じつはウェブ主自身、若いころ、「トンデモ本」という分野の書物にめっぽう入れ込んだことがあります。

といっても、自分自身がそれを信じていた、というわけではありません。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「トンデモ本」とは、「著者自身は大まじめに執筆しているのだが、はたから見れば著者が意図したのとは違った視点で楽しめる書籍」のことであり、UFOや超科学、予言、さらにはユダヤの陰謀論などがその典型例です。

そして、この「トンデモ本」という用語自体、1992年に発足した「と学会」が1995年に刊行した『トンデモ本の世界』という書籍(※絶版?)で出てきたのが商業出版では初出です(ちなみに「と学会」会長はSF作家の山本弘氏が務めていましたが、調べてみると、2014年4月に引退されているそうです)。

山本氏を筆頭とする「と学会」の大きな功績があるとしたら、「著者が意図したものとは違う視点で楽しめる」という観点から、この手のインチキ本を楽しんでしまおう、という文化を編み出した点にあるのではないかと思うのです。

と学会のクリティカル・シンキング

ちなみに「と学会」は1996年3月に、『トンデモ本の逆襲』という書籍も刊行していて、おりしもオウム真理教がテロ事件を発生させた直後という事情もあり、この2冊はじつによく売れたのだそうです。

また、「と学会」による書籍などの刊行はその後も続き、調べた限りでは、今年3月14日付で刊行された『と学会誌42』がその最新版だそうです。

【参考】『と学会誌42

(【出所】アマゾンアフィリエイトリンク)

余談ですが、「新宿会計士」の『韓国がなくても日本経済はまったく心配ない』よりも新しい書籍ですね。

いずれにせよ、「と学会」が刊行した当初の2冊、そしてその後続々と刊行されたシリーズには、学生時代から新人社会人時代にかけて、かなり夢中になってしまいました。

つまり、一見「とんでもない内容」の書籍について、ちゃんとツッコミを入れつつ楽しむという新たなライフスタイルが提案されたわけであり、なにより「と学会」の面々による、容赦のない、そして愛情にあふれた評論姿勢は、本当に参考になったのです。

ある意味、当ウェブサイトの運営にも、間接的にはその「と学会」の姿勢が影響を与えているのかもしれません。あるいは、「と学会」の書籍の数々で培われた、「正しい専門知識を持ちながらいい加減な疑似科学を斬る」という姿勢は、その後のビジネスライフでどれほど助けられたかわかりません。

ちなみに、あとから振り返ると、「と学会」の研究態度、「クリティカル・シンキング」と呼ばれる思考法にも相通じるものがあったのではないかと思います。

個人的理解に基づけば、この「クリティカル・シンキング」とは、「当然の前提」を勝手に置かない、という考え方のことであり、書かれている内容を批判的・客観的に読むという姿勢のことです。

ひと昔前までであれば「紙に印刷されている内容は無条件に正しい」という前提を持っている人が多かったでしょうし、そのような時代に、「書籍に書いてあることだから正しいに違いない」という「当然の前提」を持たず、書籍を批判的に読み込んだ「と学会」の姿勢は、本当に称賛に値します。

ちなみに「マスメディアなどの報道、官庁出身者の発言などを鵜呑みに信じず、その意味を考えながら読むことの重要性」と置き換えたら、当ウェブサイトで普段から心掛けているウェブ評論と似たような考え方に近づくのかもしれません。

(※もっとも、当ウェブサイトにおいて「クリティカル・シンキング」、「と学会風の読み方」が実践できているかどうかは、読者の皆さまにご判断を委ねたいとは思いますが…。)

占いをなぜ信じてしまうのか

さて、この「トンデモ本」などの考え方を使って見破るインチキの典型例が、多くの占いでしょう。

占いには占星術、手相、血液型など、さまざまなものがありますが、それらの多くには科学的な裏付けがありません。

しかし、それらの書籍を読んで、「あれ?これって当たっているかも…」と思う人が、いつの時代にも、社会には一定数存在しています。占いの書籍が毎年、書店で山積みにして売られていること自体がその動かぬ証拠です。

ちなみに「開発」したご本人が「私の占いは100%絶対に当たるわよ」などと自信を持って勧めていることでも知られる占いを、「物は試し」とばかりに買い求め、読んでみたことがあります。

その結果、たしかに、実際によく当たるのです。

この占いによると、「人生最悪の時期」が12年間に1回、3年間ほど訪れるのですが、その時期には不幸が相次ぐほか、自分自身に不幸がなくても親しい人に不幸が訪れたりすることがあるので注意しなければなりません。

実際、自分自身のこれまでの人生に照らし、好調だった時期、不調だった時期の波を思い出すと、たしかにこの占いが教える「絶好調の時期」「最悪の時期」と波長がよく合っているのです。

いや、厳密にピタリとあたっているわけではありませんが、「この時期のこういう不幸は、おそらくこれが原因に違いない」と思い当たるフシが出てくるのです(たとえば自分自身は運勢が良い時期だったが、親が運勢の悪い時期に該当していた、など)。

…。

というよりも、もう少し厳格に申し上げれば、この占い、「好不調が後になって説明できる」という代物であり、「当たるけれども役に立たない」(笑)という代物なのです。

考えてみれば当然。どの人にとっても、12年間のうち3年間、すなわち人生の4分の1が「不幸が集中する時期」に相当しているということであり、4人家族だと、確率論的にいえば毎年、誰かが「不幸が集中する時期」に突入しているという可能性が出てきます。

あるいは、その占いでは、自分自身が親しい人(家族だけでなく親戚のおじさん・おばさん、実家の両親、兄弟、さらには職場の上司・同僚・部下など)から運勢の悪影響を受けるという教えもあるので、結論的にいえば、どんな不幸がいつ発生しても、「説明はつく」のです。

さらには、性格について説明する際には、たいていの場合、誰にでも当てはまりそうな内容を10項目ほど漠然と書き連ねてあります。こうすれば、1個や2個は当たっている項目は出てくるでしょうし、心理的には「ズバリ指摘されているわよ」とと感じてしまいがちでもあります。

超常現象を信じてしまう心

ちなみに、こうした「占いがあたる」、「心霊現象が発生する」などについて、総合的に分析した良著が、講談社ブルーバックス『超常現象をなぜ信じるのか』です。

【参考】『超常現象をなぜ信じるのか

(【出所】アマゾンアフィリエイトリンク)

合理的に考えたら、占いだの、心霊現象だの、「宇宙人が地球に来ている」だのといった言説の多くは、科学的根拠を欠き、説得力がないものが圧倒的に多いのでしょう。ただ、占いの話でも出てきたとおり、「科学的には根拠がない」と頭ではわかっていても、どうしても信じてしまうのが人間のさがなのかもしれません。

著者の菊池聡氏は、信州大学人文学部教授(※書籍を執筆した当時の肩書は助教授)で、認知心理学という立場から「超常現象」を研究されている第一人者です。

菊池氏自身、超常現象については「科学的には証明できないこと」とだけ述べており、「超常現象など存在しない」とはヒトコトも述べておらず、あくまでも「信頼性と妥当性に欠けており、証拠として著しく不完全」(P25)だから科学的に認められない、と述べているに過ぎません。

非常に妥当な結論です。

民間の迷信の例としては「丙午(ひのえうま)」という話が有名でしょう。

これは、「丙午の女は夫を食うとか殺すとかいう迷信」ですが、菊池氏によると1966年(昭和41年)の出生数は前年比で27%も激減した一方、その60年前の丙午、すなわち1906年(明治39年)の減少率は12%に過ぎなったとしています。

これについて菊池氏は、「科学的な教育が行き届いているはずの現代のほうが、明治時代よりも丙午の出産を避ける人の割合が増えていた」(同P16)と考察しているのですが、こうした「信じてしまう人間の心理」は本当に面白いところです。。

なお、個人的には、この書籍の「あなたが普段見慣れている百円玉の両面を思い出して、できるだけ正確に描いてみてください」(P79)という出題が興味深いところでもあります。

もし興味があれば、読者の皆さまも「記憶だけで」100円玉を再現してみてください。正確に100円玉を再現できる人がいらっしゃったら挙手をお願いしたいという次第です。

新宿会計士:

View Comments (42)

  • 「丙午」の奥さんを持つと、迷信かどうか分かるニダ。その上「蠍座」だったりすると、大変ニダ。
    あっ、誰にも内緒ニダ。

    •  大変ですね(^ ^)

      いいえ私は 蠍座の女 お気の済むまで笑うがいいわ
      あなたは遊びのつもりでも 地獄の果てまでついて行く
      思い込んだら 命がけよ
      (中略)
      そうよ私は 蠍座の女 蠍の毒は後で効くのよ〜♫

  • トンデモ事象にたいしてのまじめな考察は読んで楽しいです。

    「空想科学読本シリーズ(柳田理科雄)」とか・・。
    https://www.amazon.co.jp/dp/4040670396/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E9%87%91%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%AA%AD%E6%9C%AC&qid=1621050612&s=books&sr=1-1

    ↑試し読みの目次タイトルだけでも笑えます。

    そういえば私の田舎では、丙午のクラスは「半数近くが早生まれだった」と先生が言ってました。

    • 真面目な考察・・・?
      空想科学読本こそ科学風のトンデモ解釈の極みでしょう

      • 「空想科学読本」はとんでも本ではありませんよ。SF やSFアニメを科学的に解説した本で、鉄腕アトムは原子力基本法違反である、とか、ウルトラマンは音速に達すると衝撃波で首が落ちるとか(爆笑)科学に照らし合わせて論じた本で、ツチノコはホントにいるとか言う本とは一線をかしています。
        私は全巻ではありませんが何冊か読みました。いやぁ、実に面白いです!

    •  柳田理科雄さんの空想科学読本シリーズ、おもしろいですね〜(^^) 読み物として。

       中身が科学的に正しいかどうか私にはわかりませんけど、反論があると誠実に答える態度、誤りは素直に認めて訂正する態度には好感が持てます。
       あと、「海のトリトン」でトリトンがルカーの背中に乗るとどうなるか検証するために電話取材で選んだ水族館が、福岡市東区のマリンワールド海の中道だったというのも、九州人として好感度上がりました。確か、種子島の出身でしたね。

       あと、空想科学読本を書いたきっかけが、自身の経営する塾を立て直すための副業だった事、売れて印税が入ったけどその前に倒産してしまい、そっちが本職になったという話もおもしろいです。

    • 通りすがりに失礼します。
      個人的には柳田さんの本を爆笑しながら「検証って面白いな」
      「勉強はこういう使い方をしていいんだな」
      と思った人たちが今YouTubeなどで番組作りをしているのかなと思う次第です。
      ちょっと読者側で計算式の有効性の確かめが難しいですが、それを踏まえて楽しい本だと思います。
      柳田さんではありませんが「空想法律読本」もカオスで面白いです。
      どの類似品も作品へのリスペクトがあるものは楽しく読めますね:)

  • ウチのカミさんはひとつ年下で丙午ですわ。食い殺されてはいませんが、怖いことは確かです。

  • 記事で言われている「トンデモ本」という分野ではないのですが、私の中では副島隆彦さんや原田武夫さんも「トンデモ本作家」として認識しています。 全てではないと思いますが、「だます気満々」なところが見え隠れしています(笑)

    でも、読み物としては楽しめました。 ためになったというより面白かった。

    • 福岡在住者様

      例によって、本題からズレています。
      トンデモ本では無いんですが、596chでたまにやってる、『アダムの怪しい伝説』が有ります。しょうもない事を真面目に実験します。今ではメンバーが変わりアダムさんはいませんが、今日は20:00から始まります。
      ネットで検索しました。『アダム サヴェッジ』ふ〜んと感心する番組デス。

      • ネット見ました(とりあえず3つ) 尊敬すべき かわいいじいちゃんですね(笑)
        私もそうありたい。 この人の数千倍先にいるのは何かそっちの方を 目指しているような、、、。

        596chよくわかりません。

    • >私の中では副島隆彦さんや原田武夫さんも「トンデモ本作家」として認識しています。 

      副島さんですかw
      彼は「アポロは月に行っていない」信者で、何故そう思うのかの理由が「大気圏外に出たら真空だがロケットは真空中で飛べるなんて有り得ないから」だそうです。

  • 日々、NHKや朝日新聞の嘘デタラメに接しているおかげで、少々のトンデモには耐性がついてしまい、特に何も感じなくなりました。

  • 更新ありがとうございます。

    丙午の女の子の話、小学生の頃盛んに担任先生が煽ってましたっけ。「今年生まれた女の子は気がキツイから気をつけよ〜。男を食い殺すからな。お前ら男達!良く覚えておけ。丙午の女はキツイし、殺されるゾ」「お前たちの一個上も午年だが、丙午ではない。けど午年やからアカンで」(何が?笑)。え〜加古川の先生は播州弁で荒いです(爆笑)。

    でも、皆良く覚えてましたよ。1学年に6クラス、1クラス45人、計270人居ましたが、当然、人数多いので同じクラスになった事無い人が多いです。でも同窓会でこの話題出ますからね。皆知ってた。

    もちろん迷信ですが、今になって私の周りを見ると、仕事仲間とか友人、知人で1966年生まれの女性は(または午年女性)、
    ①仕事の出来る人が多い。
    ②性格にキツイ面がある。几帳面。
    ③あらゆる局面で男と1対1でも勝負が出来る。(人か多い)
    ④本当はオンナらしい。
    ⑤健康面は恵まれてるとは言い難い。
    ⑥離婚者、シングルマザーが一定数居る(多寡は知らない)。

    1906年より1966年の方が出生率が前年より落ちた。近代の教育を受けているのに、ナゼだーーーですが、、。
    でも06年と66年の出生数はほぼ同じ130〜140万人ですよ。分娩する時や産後スグ亡くなる危険率は、06年が遥かに高いでしょう。コレが医学の進化ですネ。

    私の考えは、その切り口じゃなく1906年と1966年の情報化社会、世の環境に違いがあると思います。1966年の出産可能な女性は、1930〜1946年生まれが中心、その両親は1910〜26年生まれ。

    1906年の出産可能な女性は、1870〜1886年が中心と思います。その両親は1850〜1866年生まれ。

    1966年生まれが極端に出生数が下がったようですが、その両親の両親は、ほぼ大正期生まれです。ところが1906年生まれの両親の両親はほぼ、慶應とか江戸末期生まれです。

    まともな集合教育や、文明国らしい情操教育など、まるで無かった時代ではないでしょうか。ですからムラ単位で生活し、何の情報伝達も無く過ごした人には丙午が各局地にしか広まらず(話には聞いているが、とか)、大正期に生まれた世代は学校教育や情報も行き渡るようになって、丙午がより身近に大袈裟に、恐れられたのではないでしょうか。  駄文失礼します。

    • 出生数が下がるという話は聞いたことがありますが、1~2割減くらいでしたら その後の受験では倍率が下がりますし、一クラスあたりの人数も減り教育環境改善にも繋がります。
      また、景気状況を考えなければ就職にも有利。 何かいいこと尽くめのような気もしないではありません。

      • 返信ありがとうございます。

        そうだと思います。

        最近の出生数は年100万人どころか、今は80万人台ですもんね。その分、手厚く育てられ、高等教育の門も就職の門も広くなってると思います。

        団塊の世代は年200万人近いでしょ?考えられへん(笑)。数が多いから、我がちに走った人生だと思います。その世代の人に聞くと、一番血気盛んな人がS22、24年生まれ。逆に挟まれた23年生まれは、前後に挟まれて付いていった世代だそうです。

        ちなみにS21生まれは懐妊したのが戦中世代が居る事、S25以後は平和世代(笑)だそうです。違うやろ、S30以後が平和ボケ世代と思います。

      • ベビーブーマーと少子化世代じゃ、競争率2倍違うんですよ。
        昔医学部の定員数と世代人口の関係を調べたことがあります。

    • 1906年と1966年の違いですが、十分な避妊方法がなかった時代と、戦後の家族計画運動を経た後との違いは考慮する必要がありそうですね。それでも迷信を信じて出産を抑制したという事実は変わりませんが。

      • epicurian様

        確かに避妊薬や避妊の考え方なんて、雲泥の差でしょうね。しかし1966年生まれでも今年満55歳ですか。55歳なんて、フタ昔前の定年退職者です。ま、今なら現役バリバリですが(笑)。

    • めがねのおやじ様

      私もこの記事を読んで同様の仮説を立てました。
      丙午の迷信が影響力を持ったのは、八百屋お七という実例が江戸の庶民に衝撃を与えたからだと思いますので、明治の丙午の出生数減少が江戸周辺に限定されていたかどうかを調査すれば情報伝播速度の影響について検証できそうです。

      • 自己レスで恐縮ですが、非常に面白い記事を見つけました。

        https://www.pref.tottori.lg.jp/item/453461.htm

        1906年の出生数減少は女児の出生届を翌年に出すことで、1966年は避妊することで「丙午の女」を避けたようです。
        その結果、1906年は女児のみ、1966年は男女とも出生率が下がっています。
        昭和の方が迷信深かったのでは無く、避妊技術の普及が原因と言えそうです。

        ちなみに、更に60年遡った1846年生まれの女性人口が鳥取県のような地方でも有意に少ないことから、情報伝達速度仮説は分が悪そうです。残念。

        • だいごろう様

          返信遅くなりすみませんでした。

          1906年は、誕生日(年)をずらしてたのですか?それだけ緩〜く役所も認めていたんですね。昔は縁起が良いと、1月1日生まれが凄く多いというのは聞いた事あります。前後1週間はすべて1月1日生まれにしたんでしょうネ!丙午もやりようによって避けれたと(笑)。

          • うちの母が1945年早生まれなのですが、出生日と戸籍上の誕生日が違う人が周りに普通にいたそうです。

            理由は、届け出を忘れていて2週間過ぎてしまったので、届け出日の2週間前にしたとか、生まれてすぐ死んだ場合には届が面倒なので、ある程度育ってから届けたなどだそうです。

            現在は、基本的に病院で出産し、医師の出生証明書が求められるので、日をずらすのは難しそうですが、1906年時点では、おおよそ家での出産でしょうから、出生日の証明方法がなかった→申し出通りで戸籍に登録していた のではないでしょうか。

            なお、母は三姉妹なのですが、出生日と戸籍の誕生日が同じなのは母だけ→母の姉も妹も、出生日と戸籍の誕生日が別なのだそうです。

  • 迷信深い人が良く言うジンクスに【仏滅に医者に行くと重病になる、もしくは死ぬ】という話があります。
    これは、よく考えれば当たりまえの事です。一定数の迷信深い人がいて、症状が軽ければ、翌日に医者に行きます。
    また、普段は迷信深くない人でも、なんとなく日にちをずらすこともすると思います。
    そうすれば、重病患者の割合が増えますので死亡率も高くなります。
    結果【仏滅に医者に行くと重病になる、もしくは死ぬ】というジンクスが当たる事になりますね。

    • その部屋に移動させられると死ぬという個室病床の噂があったそうです。

      いや、危篤の人は個室に移動させているだけなんですけどねえw

      • 類似のジンクスに「町から離れた山中の”フグ毒の名医"」とか「"あそこに運ばれたら死ぬ"と忌避される救急病院」もあったように思います。

  • 「万葉集は新羅の郷歌」の元の話の中で「日本語や日本の皇室の起源は朝鮮」の部分の「朝鮮」を「アジア大陸」に修正して,朝鮮自体も「アジア大陸起源」と修正すれば,そんなに間違ってないと思います。
    中国の春秋戦国時代から6世紀にかけての日本は,日本列島の外からの攻撃も結構あったと考えています。北九州では,環濠集落がBC4世紀の縄文時代末期から増え,2~3世紀には消滅します。環濠が必要なのは外敵の攻撃が多かったからで,環濠がなくなったのは広域国家の支配下に入ってしまったから,とも考えられます。出雲で大量の未使用の銅矛が発見されていますが,これも,外敵との戦闘のために用意したのに,それを使う前に負けて外敵の支配下に入ってしまったから,とも考えられます。昭和のころは「近隣の集落との戦闘」みたいな解説が多かったのですが,たぶん違うでしょう。中国の戦乱は,周辺諸民族まで巻き込んでいます。戦いに敗れた,王国経営の経験のある民族で,勝者の支配下で奴婢に落とされることを嫌った集団は,強力な武器をもったまま,別の地域へ集団移住しています。移住先は無人の地ではないでしょう。そんなところには,当面の食料もありません。弱い先住民のいるところを攻撃・移住し,原住民に食料等を提供させて,支配者として移住するケースが普通だったと思います。朝鮮半島北部にも多くの民族が避難していますが,そこは寒冷で,農耕に向かない地です。南のほうが快適です。でも,韓国南部より九州のほうがもっと温暖で豊かです。集団で海を渡ることさえできれば,日本は魅力のある地です。初期は,中国江南地方(例えば呉の太伯の後裔)など,船を造り航海する能力の高い諸民族が南(後述)か北から日本に集団で頻繁に移住(攻撃)してきて,それが「倭人」のもとになった,という説もあります。その当時,古代日本の陸上を移動するのは困難で,潮流を利用して船で日本海沿岸部を航海するほうが簡単でした。そのため,九州以外に,出雲,敦賀など,日本海沿岸にも,強大な国が誕生しています。時代が下って陸上交通が整備されてくると,こんどは馬による輸送が優位になって,騎馬民族の武力が海洋民族をしのぐようになったと思います。騎馬民族には放牧民族以外に狩猟民族もあって,後者は弓の技術が高いので,戦闘能力も高かったでしょう。念のため言うと,昔の武器の威力は「弓>槍>刀」です。話をもとにもどすと,土着の縄文人や弥生人が,中国での戦乱を経験してきた移民の集団の攻撃を防ぎきれかたどうかです。インドですら少数の蘭・英兵の軍門に下っています。ついでに,征服移住民は,中国で統治・行政の経験を持っていました。税の取り方,原住民統治等のノウハウもあったと思います。昔の教科書の「小国家の中から強大な国家が誕生」という説明は怪しい気がします。中国や北方から広域国家経営の経験のある武装集団が集団移住した,と考えるほうが合理的です。
    古代オリエント史を見ていても,外来民族による統治というのは,国家の形態の一般的な一形態なので,東洋でも同じと考えてよいと思います。ただし,統治には原住民の上位層も用いて,そのうちだんだん混血してしまいます。
    この先は「トンデモ話」可能性も高いと思って読んで下さい。
    中国の泰山での封禅からのヒントでもないですが,個人的には神武天皇の降臨神話からも高原町の高千穂山がヤマト発祥の地で,卑弥呼はそこで神意を聞いていた,という説をサポートしています。火を吹く山ですから畏怖の対象です,阿蘇山(肥の山=火の山)は熊襲,阿蘇山は隼人の聖なる山ですね。鬼界カルデラ噴火で九州の縄文人は一度絶滅してますから,火山は本当に怖いです。それから,日向(宮崎)と近畿の大和政権との婚姻関係や,日本武尊や神功皇后の熊襲征伐の重要性も1つの理由としてあります。あと。魏志倭人伝の方角との整合性ですが「朝鮮→対馬→壱岐→松浦(川)」と来て南東に川沿いに陸行すると佐賀があって,南に水行すると八代があって,そこから川沿いに南に進むと高千穂山があるからです。すると,当時の邪馬台国の中心は宮崎平野一帯の結構広大な国家になります。方位は太陽ですぐわかるので間違えないでしょうし,棒の長さによる緯度の簡易測定方法も知っていたようです。他方,辺境地で距離を測る方法はなかったようで,移動にかかった時間を距離に換算していた気配があります。諫早湾は干潮・満潮時で潮流の方向が南北変わるので,特定の時間帯だけ航海可能です(速い時で時速2Km)。あと,当時の陸地の様子や移動方法を考えると,所要時間として大体妥当かなとも思います。ついでに,伊勢神宮(の一方)は蘇我氏の氏神という説があるように,氏族を祭る信仰の地は,神話とも一体化していて,簡単には動かせないはずです。高千穂山に降臨した日向の氏族(神武王朝?)は,応神王朝の初期までは力を保っていたものの,継体王朝では力を失って,高千穂山は伊勢神宮や出雲大社ほどの重要性はなくなったのだと思います。王朝が変わっても,形成されつつあった官僚機構はそのまま利用するしかなかったと思います。税金が集められませんから。
    魏志倭人伝によると邪馬台国の住民は中国の江南地方のような入れ墨をしていたそうですが,鹿児島と宮崎の支配層は江南系海洋民族国家だったという説もあります。歴史的には江南のほうが早く海運が発展しました。それもサポート理由の1つです。もし,江南民族が移住民だったら,宮崎くらい温暖な地を好むでしょう。福岡は日本海気候で冬は寒いです。満州人など北方民族なら平気でしょうが。なお,江南人の場合,福建省→台湾→沖縄諸島→奄美→鹿児島・宮崎という黒潮ルートもあり得ます。日本海の東方面への航行は簡単だったようですが,瀬戸内海航路は海流や補給の関係で雄略天皇の頃までは航海が難しかったという説もあります。西方向航路は,まだ研究課題です。しかし,フィリピンからグアムまで,円筒石斧という共通の造船道具が分布していて,九州でも発見されているので,共通の海洋民族の存在が想定できます。卑弥呼の頃の朝鮮からの渡海は,土器の絵から推測すると準構造船数隻の船団によるもので,海流が主な動力だったようです。7月頃に対馬海峡には大きな円状の潮流ができるので,双方向に航海ができます。でも。日本海沿岸は東方向の潮流しかないので,西方向の航海が謎なのです。稲作伝来は南方ルートとも言われています。朝鮮半島南部の「倭」は江南→日本→朝鮮半島ルートでの移住だったのかもしれません。でも,継体王朝は高句麗か百済由来の北方系氏族の王朝だと思います。帆船と馬を両方持っていたのが軍事的優位だったのでしょう。墓の造り方も突然変わりますし。
    以上,魏志倭人伝や日本書記を曲解しないで素直に読んで,遺跡や海運研究と突き合わせた場合の仮説でした。東を南と書き間違えるとか,海路を行ったほうが便利な北東にある福岡に南東方向に徒歩で行った,とか,畿内説はちっと苦しいところがあります。
    P.S. 「広大な国家統治に耐えられる古代数学」という話もあって,ある程度数学が発展しないと,国家の財政管理ができないのです。これは基本的には,オリエント,インド,中国の3系統しかないです。大和政権はもちろん中国の数学を利用していました。数学は,どの言語を公用語として採用するか,より選択肢が少ないです。インドを見ればわかるように,農耕定住民連合体が自分たちの言葉をもとに統一言語を制定するのは難しいです。外来強国言語の採用はめずらしくないです。春秋戦国時代の中国は多言語国家で統一中国語がなかったので,日本は継体王朝の母国語の高句麗語を採用したのかも。

      • 騎馬民族説をそのまま支持しているわけではないですが,継体天皇と百済の武寧王の間には深い関係があるのは確かだと思います。

      • 古代支那のどこに高度な数学を持つ膠着語民族がいたのでしょうね。

    • 愛国者さま

      以下は、愛国者様の投稿に触発された小生の思い付きです。

      日本の国の始まりには、16世紀以降の米大陸と似ている面があるのではないでしょうか?両者とも、長期間ユーラシア大陸(以下では単に大陸と呼ぶ)とは隔絶された独自文化を発達させており、それがある時から、大陸文化が流れ込むようになったという点で共通しているからです。よって、米大陸での16世紀以降の出来事をたどれば、それと似たことが日本島でも起きた可能性がある(あくまでも可能性です)と推測しても荒唐無稽とばかりは言えないでしょう。

      そのような視点で、日本文化なるものについて考察すれば、思想・宗教・学問、政治制度、生産技術ほか、文明社会を形作る主な構成要素は、殆どが大陸起源です。これは現代米大陸文化が大陸文化と言っていいのと同じです。支配者についても同じことが言えます。今の米大陸が、大陸人(の子孫)に支配されているように、大陸文化流入後の日本島でも、大陸出身者が支配階層をなしていたと考える方が自然でしょう。そうであれば、日本皇室も、DNA的にはともかく、文化的背景からは大陸出身者の後裔であると言ってもいいと思います。

      少々複雑なのは言語ですね。米大陸では、英語やスペイン語・ポルトガル語が大陸起源なのは言うまでもありませんが、日本語においては大陸側に祖語・兄弟語と言えるような言語が見つかっていないようです。文法は大陸のアルタイ系言語に、音韻は南方のオーストロネシア系言語に似ているということで、日本語の始まりは、この両者のクレオール(混合語)だったのかも知れません。だとすれば日本島の先住文明(オーストロネシア系言語を使用か?)は、米大陸先住文明とは異なり、大陸文化に対し相対的に強力だった可能性はありますね。

      もっとも米大陸では、大陸から持ち込まれた病原菌(天然痘他)により人口急減し、そのため大陸文化が容易に先住文化を圧倒してしまったらしいのです。それで文化的混合が起こらなかったとも考えられます。日本島でも、考古学的証拠から縄文晩期に人口減少が見られるそうですが、米大陸ほどではなかったのでしょうか。結果的に大陸文明の一方的圧倒にまでは至らず、文明やDNAの混合が起こったのでしょう。それ故、日本では米大陸に比較し、先住文化(いわゆる縄文文化)がより色濃く、特に日本島東部に残り、それが、現代日本文化の個性の源になっているのかも知れません。

    • 愛読者さま

      継体天皇と騎馬民族説は、八幡和郎氏が2016年に「アゴラ」で否定しています。『魏志倭人伝』や皇統譜を論拠にした論の展開で、優しい文体ながらも説得力ある批判です。

      https://agora-web.jp › archives
      「応神・継体新王朝とか騎馬民族説はありえない 」(『 アゴラ 言論』)

  • と学会ってまだやってたんだ(呆れ)
    昔の知人が何人か関わっていたので、例会の様子など多少は聞いてましたが、「愉快な本」を皆で楽しむというよりは、皆であげつらい、嘲笑うことに重きが置かれているように感じられたので、「お前ら何様のつもりだ?」という反感ばかりが募り、彼らの活動に興味を失いました。元々は酒の席などで、親しい友人の間で楽しむものだったのでしょうけど、そこに留めておけば良かったのにと今でも思います。

    ところで、占いについて、だいぶ昔に読んだマンガの以下のようなやり取りが印象に残っています。

    ちょっと艶っぽいお姉さん「あなた、占いって信じる?」
    少々うらぶれた若い男「何かを諦めるときにだけ信じることにしていますよ」

    いたく感心した記憶があります。

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