『【読者投稿】なぜ国債発行額は増えるのか』を皮切りに、土曜日から連続で掲載してきた、当ウェブサイトの読者である「りょうちん」様からの寄稿も、今回が最終稿です。前稿当ウェブサイトの勝手な都合で『【読者投稿】医療費抑制の試み、その課題(前編)』を2つに分割してしまいましたが、あらかじめ申し上げておくと、本稿は最終稿にふさわしく、非常に読みごたえもあり、納得感が得られる論考だと思います。
目次
第4回目、了
前稿では、「なぜ日本の医療のアウトカムは世界一なのか」という点を前提としつつ、「医療サービスへのアクセスの改善」などの政策が、社会的入院の常態化を生んだという点への反省から、医学部の入学定員の抑制、そして病床数の減少につながった、といった舞台裏が書かれました。
そして、「医療サービスへのアクセス改善」と並び、今度は「医療行為のコストカット」のさわりとして、厚労省が何ら合理的根拠もなく、機械的に薬価を下げ続けた結果、製薬会社が不採算を理由として製品製造中止に追い込まれた騒動などが紹介されました。
本稿では「コストカット」の節の続きからスタートします(なお、第3回目と第4回目で内容が分断されたため、やや読み辛いと思われた方も多いと思いますが、念のために申し添えておきますと、これは当ウェブサイトの勝手な都合に基づくものであり、執筆者であるりょうちん様の問題ではありません)。
りょうちん様の投稿
(※これ以降がりょうちん様からの投稿です。)
出来高払いから包括払い、そして質の抑制
大病院にもコストカットの圧力は加えられました。「出来高払い」から「包括払い」への移行です。
DPCと呼ばれる制度で、病名で固定料金になる方式です(一部の手技は出来高)。
このDPCには実に邪悪な思惑があって、包括払いですのでDPC導入病院は入院期間や医療行為の最適化など利益を確保するための最大限の努力を行いました。そのデータは厚労省が吸い上げたのですが、そのデータを元に「なんだもっと絞れるじゃん」と診療報酬を引き下げたのです。
まさに外道!!
『診療報酬が5年で3割減、DPC病院は自分の首を絞めている(2008/4/2付 日経メディカル)』まるでいじめっ子がカツアゲした中坊に「おら小銭まだ隠してんじゃねえのか。ジャンプしてみろ」と言うが如くです。
最後に、質の面からのコストカットの方法です。
一番地味なのが、治療規模の制限です。薬の投与回数、量、適応疾患などを絞り、それを越えようなものなら保険請求の差し戻し、反省文の提出、超過分の支払い拒否などで、「萎縮医療」に誘導します。
また、高度先進医療というのは、当初は必要な機材・資材がものすごく高価になります。普及が進むとそうした必要経費も収まるべき水準に収まってってくるものですが、そのためには、高度先進医療を行える施設を、施設基準などでごく少数に絞ります。
「日本のCTやMRIの台数は世界一だという事実」は、ちょっと医療に興味のある方なら聞いたことがあると思います。
これは、特に日本ではCT・MRIの購入になんの資格も存在しなかったことにより出来高払いの時代にはこうした高額器械を購入して、高額に設定されていた検査料を稼ぎまくっていた時代の名残です。
CT/MRIの問題点
まだ放射線科医などをちゃんと雇って、医療の質を伴った高度な検査を行っていたところはともかく、その辺の開業医がCTやMRIを購入するような狂った国は、日本だけです。
CTやMRIにも戦闘機の様に世代があり、最新型と旧来型ではガンダムに喩えるとユニコーンガンダムとザクII型くらいの差があります。
諸外国では限られた高度医療施設が最新型の機器に更新していくのに対して、日本ではザクIIをガザCに更新する様なショボさのため、台数は多いが戦力としては心許なくなっています。この問題にも対応するためにCTやMRIを新規に購入しても、採算が取れないような政策誘導を行っています。
通常の撮影の料金をぐっと下げて、高度な高額な機械での撮影だけは値段を上げる。しかもその料金を取るには放射線科医を複数雇っていないと算定できない様な仕組にしています。
CTやMRIまで買っていわゆる重装騎兵じゃなかった重装開業をして借金苦で潰れて身売りする様な悲劇も聞きます。
この「施設基準」と言う手口に味を占めたのか、近年、新しい高価な治療法を保険収載する際には必ずと言っていいほど「施設基準」を付けてきます。日本は最先端技術を導入していますよ!とバーンとぶちかますのはいいけど実際にそれを行えるのはごく少数の施設のみというサギまがいですね。
厚労省の朝令暮改に右往左往する現場
厚労省の常用テクニックには、朝令暮改・朝三暮四というものがあります。
現在の急性期病院・リハビリ病院・地域包括ケア病棟から老人保健施設なんやらかんやら。
これは医師でも全部ちゃんと把握できていない人が多いのではないでしょうか。
もうわざとわかりにくく、煩雑に変えているとしか思えません。
また診療報酬の価格表は、医師会・病院協会・支払い側・厚労省で折衝して、2年ごとに改訂し医療サイドは隔年毎に右往左往します。
朝三暮四の話をします。
医療費亡国論が出始めてから、高齢者の医療費を支えていた現役世代が加盟している各保険機関が負担の重さに悲鳴を上げ始めました。支払い拒否などの闘争を経て、後期高齢者の保険制度を別立てにするという「後期高齢者医療制度」を導入しました。
従来の老人保健法では老人の自己負担は無料でモラルハザード(ステレオタイプだと病院のサロン化)を来したので、1割負担を導入。保険料は高齢者が年金から自分で掛け金を払うと。
ちなみに
『平成29年度後期高齢者医療制度(後期高齢者医療広域連合)の財政状況等について』
平成29年度の時点では黒字です。
当たり前です。なにしろ団塊の世代が、まだ死ぬような年齢ではなく、大量の掛け金を支払ってくれている状況だからです。2025~2030年あたりには、大幅な赤字になることは目に見えていますが、おそらく税金で補填することでしょう。
だったら、こんな制度に合理的な存在意義ありますか?
もちろん負担世代に「納得感」を与えるのには役立っていますが・・・。それってまさにサルにトチの実w。
しかし、医療費を個人負担・健康保険・税金の3つのソースで分割しているわけですが、国民皆保険制度を堅持する限り、健康保険と税金は本質的には同じです。
胴元が政府か、健康保険組合かが違いますが国民からお金をかっぱいで、イイ感じに運用して再分配するという基本構造は同じで、健康保険はそれを医療に特化しているだけです。医療だけを分離するのは、まあそれなりに意味がないわけではありません。問題を可視化するにはその方がいいこともあります。
コンピューターのOSなどでもユーザーランドとカーネルのセグメンテーションは重要です。セグメンテーションフォールトを起こせば青画面ですが。でもさすがに、現役世代と引退世代の保険まで分離するのはやり過ぎな感があります。
また、税金と健康保険を分け、健康保険も現役世代と後期高齢者を分離したのは、「分断して統治せよ」というマキャベリズムでもあります。世代間闘争にすることで、ひどい仕打ちを正当化するのにも役立ちます。
「自宅で介護」は社会責任の放棄
以上、医療費を減らすためにどんな手段が取られてきたのか、だいたい網羅できたと思います。
では、本来どうしたらよいのか。
人口分布上大規模な患者増になるため、莫大な医療費が必要になり賦課方式(子が親の面倒を見る)方式では齟齬を来す。
論理的には簡単なんですよ。
- 医療費を減らす→経費を減らす・受けられる人間を選別する・給付制限(払う金をケチる)・自己負担を増やす
- 増えた医療費を手当てする
の二択。
まず経費を減らす話。
予防医学の推進→もう思いっきりやってます。今度は健診にすら文句を付ける自称がんの専門家が出るくらい。
「急性期病院→リハビリ病院・地域包括ケア病棟→老人保健施設なんやらかんやら自宅」
これは左から右にスルーするに従って、費やされる医療費が減っていくのですが、最終的には自宅療養という美名による、医療費の極小化に至ります。病院で死なれるのと自宅の畳の上でおっ死んでくれるのではコストが段違いです。
自宅療養で病死するにしろ、現在の医師法では死亡確認できるのは王大人ではなくて医師だけですので、在宅でのご臨終に誘導するために、在宅診療に露骨な診療報酬の大盤振る舞いをしたことがあります。
この在宅診療バブルの時代には多くの医師が在宅診療クリニック(身ひとつ、携帯電話、軽自動車の軽装開業でおk)に身を投じました。しかし、医療費を減らすことを金科玉条にした財務省・厚労省の「病院絶対殺すマン」化はとにかくヒドイ。
老人医療だけではなく、精神医療や障害者医療をも巻き込んで、「ノーマライゼーション」の美名のもとに長期「入院」していた人を放逐しようとする動きで、たくさんの精神病患者や障害者が「病院」から自宅に追い出されました。
しかし、本当に「自宅」に帰って幸せになれたのでしょうか?
「誰それさんが親の介護で仕事を変えた・辞めた」なんて話を身近で聞いたことはないでしょうか。
いくら介護保険で介護福祉士・ヘルパーが巡回してこようと、同居する家族の負担は非常に重いです。介護が必要な人をまとめてプロの集団がまとめて面倒を見るのと、どちらが国家としての経済的効率が高いかは自明です。
自宅で介護というのは、本質はそのコストを国民になすりつける行為に他なりません。
受けられる人間を選別するというのは、一番社会的に難しいですね。米国では「いともたやすく行われるえげつない行為」なんですが、まず日本では政治的に無理。自己負担を増やすというのはタコが自分の足を食う行為で本質的な解決策ではあり得ません。
稼ぐに追いつく貧乏なし
じゃあ、結局のところ、金策を考えた方がいいんじゃね、という話になります。
稼ぐに追いつく貧乏無しということわざがあります。
最初の国債の話で、「近年は(いやはっきり言っちゃえば民主党政権が終わってから)、国債発行額が増えていないじゃないか」という話がありました。
税収が確保できていれば、赤字国債を発行する必要が減るという単純な事実です。その税収を増やすには、国家の経済規模GDPが拡大してそのまま納税が増えるという形がもっとも理想的です。
そしてもっとも最悪なのが(頭痛が痛い・・・)、増税して短期的に自転車操業することです。
「ロードモナーク」というRTS(リアルタイム戦略)ゲームがあります。
『ロードモナークオンライン ダウンロードバージョン』でなんと無料で遊べます。(Windows10では互換モードで起動)
RTSゲームと言えばマイクロマネジメントが必要な忙しいゲームがほとんどですが、このゲームは比較的単純で、国民と君主ユニットの二種類しかありません。国民は空き地を見つけると、家を建てます。家があると、税率に反比例した速度で国民ユニットが生まれます。
家×税率で、「資金」が増え、国民ユニットの維持や家の建築に「資金」が費やされますが、このゲームの戦略はわりと絞られており、「資金」があるうちは税率を下げて(極端な話ゼロでいい)、十分に家が増えて「資金」が無くなったら、思いっきり税率を上げるというのを繰り返すのが一番効率的なのです。
今思うとなんと国家経済をコミカライズした名作であったかと思い出深いです。
まあこんなことは誰でも思いつくんですよ。だから「成長戦略」とか安倍政権も五月蠅いくらいぶっていたわけですが、その割にその成長を腰折れさせる消費税増税なんぞに走るのか、よほど後ろ暗いところを財務省に捕まれているんですかねえ。財政出動もしけてやがりましたし>アベノミクスw。
「家畜は太らせてから喰う」のが常道なのに、あばらの浮いた家畜を潰すかの様な愚行。
少子化なんだから経済成長は無理なんていう主張もありますが、少子化真っ盛りでも経済成長している国の反例はたくさんあります。
借金論と60年国債
あとは開き直って、借金しちゃえばいいんじゃねという考え方。
30年の出費がかさむ時期があるなら、60年償還で借金すれば負担は半分近く減ります。
「国債で日本はダメになる」論者は国債無限発行説を批判します。
しかし、別に無限に発行するわけではなく、必要な分だけ借り入れる話を無限(宇宙ヤバイ)に拡大して藁人形論法しているだけです。2世代分の負担を屋根瓦式に4世代(寿命が延びれば6世代もあり)で負うのも負担軽減になりますが、これは国家だからこそ、可能なことです。
第2回の最後のパラグラフと重なりますが、それって「国難」なの?って思うんです。
かつて日本人が15年戦争はおろか人によっては、明治維新からの戦争の時代の歴史を、一般的ではありませんが「50年戦争」「100年戦争」と表現する人もいます。国民の困窮を顧みず、国家財政のとんでもない金額を軍備につぎ込み、色んな意味で勝ち目のない戦争に突っ込んで大負け。
「東京は焼け野原、生産財は灰燼になり、あらゆる経済活動は絶滅したかに見えた。 しかし日本人は死滅していなかった!」
戦後74年と四半世紀、大きな戦争を行うこと無く、軍事費は必要最小限、日本の資産(ストック)は山の様に積み上がっています。銀行の悪口に「晴れの日に傘を貸して雨の日に取り上げる」というのがありますが、日本に傘を貸してくれる人は、人情では無くて、損得勘定の動機だけでも少なくないでしょう。
議論のまとめ
まとめます。
- 医療費亡国論すなわち国債亡国論は、あり得ない仮定(永遠に国債発行額は増え続ける)を想定したFUDである。
- その手の奴らはGDP比を使ったごまかしを多用するけど、GDPを増やせばあっという間に崩壊する詭弁でしかない
- 医療費の増大は量の増大という面もあるけど、医療の高度化という正の側面もある。これは本来明るい未来である。
- ちょっとは財布の負担つらいけど飢え死にするほどではあるまいし、頑張って自分の親なり爺ちゃん婆ちゃんの面倒くらいみようぜ!
長々とお付き合いありがとうございました。(了)
納得感のある論考
以上、りょうちん様の投稿でした。
とても読み応えがあり、納得感もある論考で、医療から財政につながるあたりの論理展開は、まさに「すばらしい」のヒトコトに尽きます。私ごときがなにか付け加える必要すらありません。
また、文中の随所に、おもわず引用したくなる表現がちりばめられていて(「稼ぐに追いつく貧乏なし」「あばらの浮いた家畜を潰すかの様な愚行」など)、小規模ながらも企業経営者という立場に置かれた私自身にとっても、あらためて気が引き締まる思いです。
繰り返しになりますが、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』は、「新宿会計士」を名乗る管理人がたった1人で更新しているウェブサイトであり、どうしても話題も視点も偏ります。
しかし、今回、りょうちん様から寄せて頂いた3稿(最終稿を前後に切り分けたので、4回分)は、読者の皆さまにとってそうであっただけでなく、私自身にとっても大変勉強になりました。
その意味でも、りょうちん様には心の底から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
View Comments (21)
何度も読み直したつもりなのに、変な表現・誤字は抜けないなあ・・・。
画面で何度も確認したのにプリンターで印刷するとミスを見つける法則w
バックグラウンドの話もしろというご意見を受けて、少しばらします。
私は貧乏な大学の医師だった頃には訪問診療のバイトをしたり、僻地の病院では訪問診療もやっていました。
そこで見た(診るのは大した問題では無かった)のは、介護に疲れ切った家族の姿でした。
「家で死にたい」と、必死でなんとか医療技術を駆使して、家に帰したのはいいけれど、生(なま)の死戦期の姿に慣れない家族は耐えきれず、救急車を呼ぶというケースも多々ありました。
例えば、家で牛でも鶏でも飼っていて、「死」という現象を身近に感じられている時代だったら自宅でおみとりも自然だったのでしょうね。はっきりいいますが、現代の日本では非現実的です。
今でも思い出すんですよ。
「爺ちゃんが具合が悪い」って通報があったと救急隊から連絡を受けて、当直医の私が迎えると、拘縮しきった寝たきりの爺ちゃんの、背中側がもう全面褥瘡でドロドロ。
DICに敗血症性ショックでまあどうしようもなく2日でお亡くなりになったのですが・・・。
その爺ちゃんを介護していた妻の婆ちゃんが
「昨日から具合が悪くなった・・・」
(私を含めたスタッフ全員の心の声) 「そんなわけねーだろっ!!」
もちろん、皆、状況をお察ししているので何も言わず。
ご臨終の際には「長い間の介護お疲れ様でした」というと涙というよりは安心した様な表情だったのを覚えています。
りょうちんさま、
ハッピーエンドという漫画はご存知ですか?終末医療を描いた漫画です。
素人の私が読む分には良いお話だと感じるのですが、よく考えると死の直前の大変な部分はぼかされてるようにも思いますし、いくらか希望的なテイストになってる気もします。
専門家の目から見てどう思われるかぜひ伺いたいです。
これですね。買ってみようかと思います。
https://www.cmoa.jp/title/136094/
・・・。買ってみたんですけど1P目から殺人シーンなんですけど・・。
タイトル違いですね・・・。
https://www.amazon.co.jp/dp/B074FXTXVN/
今度こそ・・・って第一話のラストで、全員串刺しになって死ぬんですけど・・・。
いまだにたどり着けない・・・。
タイトルは全部ひらがなで「はっぴーえんど」かと。
チョイスされた書籍のタイトルがだんだん近づいてますので、意図的にボケられてるのかとは存じますが・・。
カズ様、有難うございます。
りょうちんさんのボケに爆笑です。
これですね。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09189507
執筆お疲れ様でした。
既に書いたので細かくは繰り返しませんが、看取るのはつらいものです。
糞尿もまともなものは出ませんし。
吐きそうになるのを隠すことはできませんでした。
医者にならなかったらロボット工学者になりたかった私ですが、介護ロボットは研究しているところがあります。
でもなんか違うんですよね。
ロビタみたいなロボットにして人間の代わりをさせようとか方向性が間違っている。
現状でも理想に近い方向性をもって実用化されているのは、「ローリング機能付きエアマット」です。
寝たきりで自分で寝返りが打てないひとは自分の体重によって皮膚への血流が途絶えて潰瘍を形成します。
専門用語で褥瘡というのですが、「ローリング機能付きエアマット」は、その体重の負荷を自動で変える機能を持っていて、ある程度は褥瘡予防になっています。こういうのでいいんだよ!
あと拘縮しきった寝たきり老人を骨折させないように、おむつ交換してくれるロボットを目指して欲しいです。
攻殻機動隊SSSで「貴腐老人」というのが出ましたが(ネタバレイクナイので詳細は書きません)、行き着くところまで行くとああなるのだろうと思います。
りょうちんさま、
連載?お疲れ様でした。身近なことなのに、皆が知ってそうでなかなか知らない興味深いテーマを丁寧にわかりやすく解説いただきありがとうございました。
知的好奇心も大いに刺激されましたし、新たな疑問も数多くわいてきました。
また、日本と比較して米国の医療がどうなのか調べるよいきっかけもいただきました。
(米国の医療の問題は日本よりさらに深く広そうですが...)
コメント欄と違って、一つのテーマである程度の長さの論考になっているのは、ある程度深い話を聞く際は大変ありがたいですね。あとから思い出したくなったときも、検索で見つけやすいですし。
ぜひまた今度、医療関係でも軍事関係でも投稿されることを切に期待しております。
いつもお世話様です。
上のコメントでロボットの話をしましたが、AIとかロボットとか学術的な概念と一般人の想像とかけ離れた分野って多いですよね。
いつかAIの投稿があるのを期待しますw
そうですね。AI やシンギュラリティに関する世間一般の誤解と実態は以前コメントでも書いたのですが、一度それらをまとめて読者投稿するのも良いかもしれませんね。
とはいえ、私も機械学習の専門家というわけではないので、ポスト本文に掲載してもらうに値するほどきちんとしたものを書けるか多少自信がないですね。
逆に言えば、私の言葉が足りなかったり間違っていたりしても、このブログに集まる専門家の方々が修正してくれるでしょうが。
チキンサラダ様、りょうちん様
本記事とは無関係なコメントで失礼します。
前の投稿記事のコメント欄ではAIと医療について懇切丁寧にご説明いただき、ありがとうございました。
コメント欄をつなげるだけでもいくつもの記事に匹敵する上に、既存メディアではなかなか目にできない貴重な情報です。テキスト保存させていただきました。
ありがとうございます。大変楽しめました。
投稿者となると、読者の反応もいろいろあったようで。
執筆含め、大変お疲れさまでした。
次もぜひ期待してます。楽しみに待ってます。
りょうちん 様
この度は本当にありがとうございました。
投稿後、少し時間を開けて、改めて拝読したのですが、読者視点からは本当に有益な論考だったと思います(私がそう絶賛すると自画自賛っぽく見えてイヤなのですが、いちおう本稿に関しては私も一読者を名乗る資格アリと思いますので…)。
是非、今度は日本の医療について、さまざまな時事ネタなども織り交ぜつつ、継続的な情報発信を頂けると嬉しいです(当ウェブサイトのためではなく日本の言論空間のために、です)。その意味では、ご自身でブログを開設されて、こちらに誘導リンクを貼る、というのもアリですね。
引き続き当ウェブサイトのご愛読ならびにお気軽なコメント、そしてお気軽な読者投稿を賜わりますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
りょうちんさん
貴重な投稿ありがとうございます。私のような一般の国民は医療の現実、現場を知らなさすぎるので、とても見聞が広がりました。
まず経済よりな私としては、60年国債。ジジババの負担は未来に飛ばしちまえと言う発想は賛成致します。企業や個人の負債と異なるものですから、全然okと思われます。建設国債も同じ趣旨で発行されております。
しかし、私の身近なご高齢は大したこともないのに医療にかかり、どんだけ待たされただの、診療時間が短過ぎるだの。聞くとチョットチャウンと思ってしまいます。
アメリカのような医療利益重視の方策は論外ですが、医療側も利益が無ければ、良い治療ができないし、患者側も相応の負担をするべき時代になってきたと思います。政治的には現状無理な判断は理解しますが、そろそろ国民の側からも増税よしとせぬならば、こう言った議論をするべき時期ではないでしょうか。
また、私も棺桶に近い年齢になり、尊厳死、自宅の畳の上での往生を考えるお年頃になってしまいました。終末デイサービスなんてあれば良いと思います。下の世話は家族と言えども経験がなければ難しい。今の常識を少しずつ変えられれば良いなぁと思う次第です。
次回のご投稿楽しみにしております。
>政治的には現状無理な判断は理解しますが、そろそろ国民の側からも増税よしとせぬならば、こう言った議論をするべき時期ではないでしょうか。
「増収」が必要なのであって、「増税」は手段
ところが日本でも最高の知能を持った集団である財務省は、増税こそが自らの権益であるとあの手この手で国民を騙そうとしています。
誤謬を理解しないで間違った方向に行く「愚かである」という可能性と、欺瞞であると言うことをすっかりわかっていて嘘を付いているの二択。
私は彼らの知能に最大限の敬意を払って「邪悪」なのだと判断しています。
その点、厚労省はいろいろと腹に据えかねる愚行はあれどまだ「善良」なんだと思っています。
まあ無能なんですが。
その無能さも問題の大きさに対してなので、それを責めるのも気の毒な類の無力さなんですよね。
例えば、「どうして警察はあんな税金使いやがるくせに犯罪を撲滅できないんだ!」とか言うような。
PEG禁止にすればいいと思う
実は私もそう思っています。
喉頭がんなどで嚥下機能だけを失った方、一時的なもの以外、禁止すべきだと思います。
誤嚥性肺炎で死ぬ老人がたくさん出ますが、それで寿命でいいじゃないですか。
りょうちん様の連載、現場で色々あったことが伺われ、とても読み応えがありました。ありがとうございます。
医療費については保険料だけで回らないのはわかりきっているのだし、長期国債で調達するのは正直しかたないと、素人ながら医療の恩恵を受けるものとして思います。
厚労省のやり方を変革するのも必須だと感じますが、こちらはどういう手段で可能なものか、見当もつきません…。まずは省庁としての管轄が広すぎるのをどうにかしないと、どうにもならない気もします。
日本がそのままコピーできるロールモデルは他国にもないのもわかりました。とはいえ前の投稿のコメント欄でご紹介があった北欧の終末ケアには見習える部分がありそうですね。
見送られる方も見送る方も負担の少ないように、少しずつでも変えていけたら…というのは綺麗事かもしれませんが、やらないよりは1ミリでもやったほうがいいと思いました。
省庁合併は、非常に頭の悪いやりかたでしたねえ。
厚生省と労働省の合併なんかアホの極み。
逆に新宿会計士さんが普段おっしゃっているように、財務省は真っ先に解体すべきです。
金を集める機関と使い方を決める機関を一緒にするのはモラルハザード一直線。
金融行政だけは、金融庁に分離できましたね。ノーパンシャブ事件がその誘因でしたが、財務省(大蔵省)分割は、それ以上のスキャンダルがないと難しいのでしょうね。
財務省(大蔵省)の分割案はずっとくすぶってるみたいですけどね。
非常に複雑な問題をわかりやすくまとめてもらっていて大変に参考になります。
私は北海道の田舎でクリニックを開業していますが、医療亡国論のため釧路の医大の計画が
なくなり、北海道の地方では深刻な医師不足を来しています。政策は中央できめられますが
全国統一なため地方の実情に合わず、医師不足、また、そのため制度がいろいろきまっても
ほとんど対応できないのが実情です。
また、10年くらい前におそらく財務省あたりの仕掛けてきたのではと想像しますが
開業医VS勤務医のあおりがあり、たぶん開業医が医療費をつかうのでつぶそうとしたのだと
思っているのですがそれがじわじわきいてきており、医師不足だけではなくさらに開業医になりて
が地方ではいません。北海道でいえば札幌と旭川、函館以外の地方にいこうという研修医が
少なく、またさらに開業医の担い手がいないため 結果 地方に住むことができなくなってきています。
少子化なので仕方無いのかもしれませんが、開業医はボランティアで行政に協力して様々な地方の仕事を
請け負っておりますが、だんだん機能不全ともなれば、安心して子供をうめない、住めない、病気にも
なれなくなってくるのです。是非厚生労働省の頭のいい医官様には全国を俯瞰した施策をお願いしたい所です。