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シンゾー・アベじゃなく、アベ・シンゾーと呼んでください

あなたは外国に出掛けたときに、自身のことをどう名乗りますか?たとえば「山田一郎(やまだ・いちろう)」さんという人物の場合、英語で “My name is Ichiro Yamada.” などと自己紹介する人が多いのではないかと思いますし、英語などのメディアでも日本の人名は、たとえば安倍晋三総理大臣は “Shinzo Abe” と表記されることが一般的です。ところが、外国メディアに対して注文を付けた人物がいます。その人物は “Taro Kono” 、つまり河野太郎外相です。河野外相は外国メディアに対し、 “Abe Shinzo” と表記して欲しい、と要請したそうですが、いくつかのメディアを読むと、肝心の河野氏は “Taro Kono” と表記されていて、なかなか興味深い点です。

2019/05/25 21:15 追記

イタリア語で “Io mi chiamo YAMADA Ichiro.” と記載すべきところがギリシャ語のラテン文字音写 “Me lene YAMADA ICHIRO” になってしまっていた箇所がありましたので、修正しております。「nemo」様、ご指摘大変ありがとうございました。

河野太郎さんなりのこだわり?

当ウェブサイトではあまり触れて来ませんでしたが、河野太郎外相が以前からなかなか興味深いことを主張しています。それは、日本人の名前をローマ字表記する際、日本語と同様、「姓・名」の順序にすべきだ、とするものです。

現在、日本人の名前を海外向けにローマ字表記する際は、「名・姓」という形式が一般的です。

たとえば、安倍晋三総理大臣の場合でいうと、英語では “Japanese prime minister Shinzo Abe” などと表記することが一般的ですが、河野外相はこれを “Shinzo Abe” ではなく “Abe Shinzo” と表記すべきだ、と主張しているのです。

これについては数日前の外務省の記者会見でも触れられています。

河野外務大臣会見記録(令和元年5月21日(火曜日)10時30分 於:本省会見室)

河野外相は読売新聞の梁田記者の質問に対し、次のように答えています。

平成12年の国語審議会が、日本人の名前のローマ字表記は「姓-名」の順番にすることが望ましいという答申を出しておりますので、外務省としても令和という新しい時代にもなりましたし、東京オリンピックも控えております。またラグビーのワールドカップですとか、即位の礼、G20、TICAD、大きな国際会議も控えておりますので、外務省としては、各国の主要な国際の報道機関に対して、日本語の姓名を習近平(しゅう・きんぺい)主席がXi Jinpingとか、文在寅(ムン・ジェイン)大統領がMoon Jae-inというふうに表記されている外国の報道機関が多いわけですから、安倍晋三も同様にAbe Shinzoと表記をしていただくようなものが望ましいと思っておりますので、私から国際報道機関にそういう要請を出したいというふうに思っております。国内のメディアの中にも英語のメディアを持っているところがあると思いますが、是非、そうしたことをご配慮いただきたいと思っております。

この河野氏の主張は、たしかにそのとおりでしょう。

私も職業柄、英文を頻繁に目にしますが、日本人の人名は正式には「姓・名」の順であるにも関わらず、英語になると、ほかの欧米語にあわせて「名・姓」の順になっているのです。

外国メディアが河野外相の要請を報道

そして、諸外国のいくつかのメディアは、河野外相がそのような要請をしたことを報道しています。

といっても、すべてのメディアがそれを報じているわけではありませんが、米紙ではワシントンポストが “Call him Abe Shinzo, not Shinzo Abe” と報じたほか、香港の英字紙・サウスチャイナ・モーニングポストやドイツのズートドイッチェ・ツァイトゥング、フランスのローカルメディアなどでこのような報道が確認できます。

Japan to the world: Call him Abe Shinzo, not Shinzo Abe(2019/05/21付 Washington Postより)
河野外相、日本人名のローマ字表記「姓・名」順に 海外メディアに要請の考え(2019年05月23日付 BBC JAPANより)
Japan wants its leader called Abe Shinzo – surname first. What does this have to do with colonialism and ‘unenlightened Westerners’?(2019/05/22 21:20付 South China Morning Postより)
Nous avions tout faux depuis le début : le Premier ministre japonais s’appelle Abe Shinzo(2019/05/23 7:15付 Ouest franceより)
Minister will Vor- und Nachnamen umdrehen(2019/05/22 18:47付 Suddeutsche Zeitungより)

※s’appelle とは、「彼を~と呼ぶ」という表現。

ただし、「河野太郎外相がそれを要請した」という下りについては、Suddeutsche Zeitungあたりは

Wenn es nach Japans Außenminister Taro Kono geht, soll sich das jetzt ändern.(※下線部は引用者による加工、以下同じ)

と、 “Kono Taro” ではなく “Taro Kono” と報じていますが、フランスのローカルメディアはそのような要請をしてきた本人を “Taro Kono” と称することを申し訳なく感じたのか、

Le ministre des Affaires étrangères japonais, Taro Kono (pardon, Kono Taro si l’on respecte la culture locale), …

などと報じています。

ハンガリー語は「姓・名」を「名・姓」で表記

ちなみに、個人的な旅行で中欧に遊びに行ったときに、私はオーストリアでレンタカーを借りて、フラフラ気ままに陸路で国境を越えるなどの旅を楽しんだのですが、途中で立ち寄ったハンガリーで現地メディアの報道を見て気付いたのが、ヨーロッパ諸国でありながら、ハンガリーも日本と同じく「姓・名」だ、ということです。

ちなみに、ハンガリーの首相はオルバン・ビクトル(Orbán Viktor)氏ですが、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」を眺めると、

です。

なぜこのことに気付かなかったのかといえば、英語版のメディアはいずれもオルバン氏を “Hungary Prime Minister Viktor Orbán” などと表記していたからであり、英語に詳しい友人は、

英語では仮に「姓・名」の順で表記する外国人の人名があっても、頑なに「名・姓」で表記することにしている

と説明してくれたのですが、河野太郎氏も会見で述べているとおり、そのわりには、中国人の人名だと “Xi Jinping” であって “Jinping Xi” ではありませんし、、韓国人の人名だと “Moon Jae-in” であって “Jae-in Moon” ではありません。

(韓国人の人名のローマ字表記が発音と著しく乖離していて不合理である、という点については、ここではあえてツッコミを入れません。)

このように考えると、英語もけっこういい加減なのかもしれませんね。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ちなみに、米ニューヨークタイムズによると、マイク・ポンペオ国務長官が北朝鮮の独裁者・金正恩(きん・しょうおん、Kim Jong-un)のことを、かつて、「ウン委員長(Cairman Un)」と呼んだことがあるそうです(『【昼刊】「ウン・キムジョン」とシンガポールでの米朝会談』参照)。

ニューヨークタイムズはこれをネタとして取り上げていますが、この「ウン委員長」、「ミスター・ウン」という表現は、なかなか新鮮な感じがして、私は嫌いではありません。

名前は慣れですから…

もちろん、こうした呼び方については、日本人のなかでも賛否両論あるような気はします。

日本語では『姓・名』だが、外国語では『名・姓』にするのが日本語のルールだ

などと考える人もいるでしょうが、外国人が日本人の人名をどう呼ぼうが、日本人が日本人でなくなるわけではないため、私自身は正直、どちらでも良いと思っています(といっても、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが…)。

ただ、これについては河野外相の言い分としては、国語審議会で「ローマ字表記も『姓・名』とすべきだ」との答申がすでに出ていることを論拠としているものであり、河野氏に言わせれば、「結論は出ている」、というものなのかもしれません。

ちなみに、私自身は自分の主義として、大学生時代から「姓・名」で自分自身の名前を表記していて、外国人の友人・同僚・クライアントに対しても「姓・名で呼んでくれ」、と要請してきました。当ウェブサイトでは私の本名を明かしていませんが、仮に私の名前が「山田一郎(やまだ・いちろう)」だとすれば、

  • 英 My name is YAMADA Ichiro.
  • 仏 Je m’appelle YAMADA Ichiro.
  • 独 Ich heiße YAMADA Ichiro.
  • 伊 Io mi chiamo YAMADA Ichiro.

などと名乗り続けて来たので、河野氏の主張には、個人的には全面的に賛同しています。

(2019/05/25 21:15追記)

イタリア語で “Io mi chiamo YAMADA Ichiro.” と記載すべきところがギリシャ語のラテン文字音写 “Me lene YAMADA ICHIRO” になってしまっていたので、該当箇所を修正しております。「nemo」様、ご指摘大変ありがとうございました。

大学の語学の授業でも、自己紹介をするときに外国人の教員に対し、

Ich heiße YAMADA Ichiro.

と述べたときには、

Auf Deutshch, Man sagt “Ichiro Yamada.”

と言い返されることはあったものの、たいていのケースでは、この呼称を認めてくれました。

ただし、さる英語の教員は、頑として

“But in ENGLISH, you MUST call yourself Ichiro Yamada!”

などと譲らなかったので、私はその英語教員に対し、

“Do you Call Chinese president Zemin Jian?”(あなたは中国の大統領を沢民・江と呼ぶのか?)

と尋ねると、明確な答えを述べずに「とにかく日本人の名前はファーストネーム、ファミリーネームの順で呼ばなければならない」などとヒステリックに叫ばれたため、結局、その英語の授業には出なくなったという、(今になってみるとけっこう下らない)エピソードも持っています。

あれからもう30年近くが経ちますが、お元気ですか、ブッシュ・ヒルダさん?(笑)

新宿会計士:

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  • あとややこしい表記といえば、年月日の順番も国ごとにバラバラなんですよねぇ

    名前ならフルで表記すれば問題ないですが、日時の場合ドエライ勘違いをすることになるので・・・

    • そうですね。アメリカと欧州で年月日の順番が異なるのは困る。また小数点とカンマが違っているのも困る。

  • 北米在住の日本人男性の私の妻は中東出身ですが、その某国での名前の付け方は原則的に「誕生日に両親から貰った名前」+「bin」+「父親の名前」であり原則的に「姓と言う概念」は無いです。

    特に米国は多彩な国々からの移民から成り立っている国家ですので、個人の民族国家を問わずに姓名の表記の仕方を統一しなければ世の中が混乱します。

    インターネット上では兎も角、少なくとも米国の物理的な領土内では「郷に入れば郷に従え」を実践しましょうよ。

    • そういえば、姓名という概念そのものがない国、民族も世界には多数あるようですね。知り合いによると、東南アジア(ミャンマーだったでしょうか?)では日本語の姓、英語の surname にあたるものがない、アイスランドだと「自分の名」プラス「父親の名前」プラス「息子、娘であることを示す単語」になる、といった話も聞いたことがあります。

      あるいは英語には middle name の概念があり、これは少なくとも現代日本語にはありませんから、無理やり日本語表記を英語風に言い改めるのも不自然な話です。

      そう考えると、ますます、日本人の名前は日本風に姓名の順で表記すべきなのかもしれませんね。

      ただし、本文で述べたとおり、正直、諸説あっても良いとも思いますが…。

      引き続き当ウェブサイトのご愛読ならびにお気軽なコメントを賜わりますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

    • 匿名様へ

      米国でも電話帳の表記は「姓+名」だと聞きました。
      その人のポジションが判るようにというのであれば「姓+名」の方が合理的ということでしょうね。、

      • 門外漢さまへ、

        米国の電話帳は「姓のアルファベット順」で並べられていて、表記は「姓 + "," + 名」となっていますので、表記は"Smith, John" であり、 "Smith John" では無いので混乱はありません。

        米国式の思考回路は原則的に「Bottom Up」であり、「上意下達」の逆ですな。
        自分の「立ち位置の説明」は、自分にとって一番身近な所からの関係が一番先に来る。

        それに対して、日本式の思考回路は「組織での帰属のヒエラルキー」のトップが一番先に来る。
        自分の「立ち位置ので説明」は、帰属する組織のトップから始まる。

        若い頃日本から北米に移住した時、一番慣れ辛かったのは言語でも、自動車の右側通行でもなく、ヤードポンド法でもなく、華氏温度表示でもなく、米国式の《住所表示》でした。

        例えばメトロポリタン・オペラの住所は

        30 Lincoln Center Plaza, New York, NY 10023

        で最後の最後になるまで、米国の何処の州にあるのかさえ分りません。

        門外漢様のご指摘通り、西欧式の姓名表示もアメリカ式の「家番号、ストリート名、市町村名、州名」の住所表示順序は「全体を先に眺めて、赤の他人に説明する」と言う見地からは全然理に適っていないと思います。

        姓名の表示にしても、住所の表記にしても、最も身近な人に対しての対応や説明を優先しているのかも知れませんがね。

        • 匿名のコメント主様

          >例えばメトロポリタン・オペラの住所は
          >30 Lincoln Center Plaza, New York, NY 10023
          >で最後の最後になるまで、米国の何処の州にあるのかさえ分りません。

          この不合理、私もいつも感じますね。
          日本の現在の住所表記法にも問題はないと言いませんが、少なくとも

          >全体を先に眺めて、赤の他人に説明する

          という見地からは、日本式のやり方の方が、非常に理に適っていますね。

        • 匿名さんへ

          普通にジップコードから読むでしょ
          習慣の違いなだけです

          階層では無く、
          同心円の内側から見る
          or
          同心円の外側から見る
          という、文化的習慣的認知機能の差です

    • つまり、アメリカの領土外である日本で主張する分には、姓・名順表記を要請する事になんの問題も無いという事ですね?

      • はい、日本の国内ではローカル・ルールが適用されるべきで、外部の人間にはケチをつける権利はありません。

        しかし、日本から一歩外に出たら、を姓名にしても名姓にしてもどちらでも構いませんが日本人の姓名の表記は絶対に統一すべきだと思います。 もし、その「日本国外での統一」が出来ないなら、出先の国のローカル・ルールに従う事。

        極論すれば、日本でのルールを押し通して、米国で自動車の左側通行を主張するようなもので、混乱を招くだけでしょう。

        • 匿名さんへ

          >極論すれば、日本でのルールを押し通して、米国で自動車の左側通行を主張するようなもの
          その点まで、含めて
          懇切丁寧に説明するのが、
          文化交流の真髄なんですけどね

          その余裕が無い場合は、致し方ないですね

    • 匿名さんへ

      一神教で、"神"との"契約"をしてる民族には、
      父親の名前が必要なんです

  • 世界の国々においては様々な姓名の表記のしかたが存在しますし、イスラム文化圏の諸国ではでは「姓」そのものが存在しない場合さえあります。

    私の個人的な見地からは、一国内ではその慣習に従えば良いですが、一歩国外に踏み出す場合統一が必要では? それでないと、原則的に姓名の表示の後に必ず注釈を入れなければならず、非常に面倒な事になります。

    ですので、私は原則的に河野外相の意見には賛同出来ません。

    さて、韓国の一部の人たちは移民で移住した国で移住した国の慣習を無視して韓国流の「姓・名」の順で表記することを主張しますが、これは韓国内の「ローカル・ルール」を国外にごり押しする図式だと思います。

    韓国内のみ通用する「東海」の表示を「日本海」の代わりに使用するように、世界に対して大声で文句をつけるのと根元は同じです。

    韓国に外国で使われている地名に文句をつける権利があるなら、日本にも韓国に対して「東海」の代わりに「日本海」と言う名称を使用するようにモンクをつける権利があるという道理になりますからね。

    • 私も統一した方が都合が良いと思います。
      まあ、どちらでも良いんですが、英語やフランス語が公用だからという理由のみで氏名表記という結構重要な慣習を一方的に決められるのも釈然としないものがあります。

      統一するとしたら、「-1」は「マイナス・イチ」というように、姓名順と判断できる簡易な方法を導入するという形で表記法を統一すれば良いのではないでしょうか。
      『・』で区切られていれば姓・名順の表記だと分かるとかね。

    • ヲタク28号さんへ

      Document.Formsでは、必ず
      First name、Last nameが指定されています
      手続き上では、解釈の余地は有りません

      呼称は、本人の希望に合わせるのが、
      ダイバーシティの基本です

      公文書に"日本海"と記載するのは、
      病院のカルテに、生物学的性別を記載するのと同じです

      ダイバーシティの基本と何ら矛盾しません

      • 鞍馬天狗様、

        >Document.Formsでは、必ず
        >First name、Last nameが指定されています
        >手続き上では、解釈の余地は有りません

        欧米の一例として米国をあげますが、First Nameの定義は以下です:

            first name
            /ˈfərs(t) ˈˌnām/
            noun
            a personal name given to someone at birth or baptism and used before a family name.

            last name
            /ˌlast ˈnām/
            noun
            a surname.

        となっていますが、これは西欧のラテン系キリスト教圏のみに当てはまる定義で、キリスト教の洗礼を受けていて、かつ「家族姓」を持っている事が前提となっているので、その前提の満たしていないキリスト教徒以外、そして「姓」と言う概念をもっていないアラブ系の民族に当て嵌めようとすると解釈の余地が出てきます。

        例えば私の知り合いのイスラム教徒のエジプト人の名前はハッサン・アブドゥール(仮名)ですが彼の故国での正式な名前は「ハッサン」のみで、複数いる「ハッサン」のうちのどれだかを特定する為に父親の名前の「アブドゥール」を足して名乗っています。

        (以下、実は彼の母親さんが浮気をして…なんていう可能性は無視します。)

        彼のLast Nameの「アブドゥール」は彼の父親のFirst Nameであり、欧米や日本式の「先祖代々の家系の名前」ではないのです。

        そして現代の日本人の多くは覚えていないでしょうが、日本においても、1875年(明治8年)2月13日太政官布告で「氏」の使用が義務化され、1876年(明治9年)3月17日に太政官指令で「夫婦別氏制」が出されるまでは、多くの人たちは「苗字・姓」を持っていなかったのです。

        つまり、厳密に言って「すべての人が苗字と名前を持っているはずである」という仮定・前提は種々の歴史と習慣を持つ人々で構成されている社会を営む為の「便宜上の便法」に過ぎません。

        どうせ「便宜上の便法」であるならば、混乱を避ける為に表示を統一してしまえば如何でしょうかね。

        >呼称は、本人の希望に合わせるのが、
        >ダイバーシティの基本です

        その社会と構成員が十分に成熟していて、集団として理性的・論理的な状況解析、判断と妥協が出来るならね。

        何十年か前の話ですが、晩餐の席で私の右側に座っていたインド人の知人に頼まれてコショウの容器を渡したら、「左手で食べ物を渡すとはなんたる無礼か」と怒られました。

        後で他の人から聞いたら、インドでは左手はトイレで排便の事後に素手で清掃の処理をする為に使用するので、食べ物に左手でさわるのは絶対にダメなんだそうです。

        インドでない場所で、インド人ではない私に、インドだけで通用する礼儀を押し付けるのもダイバーシティの基本なのでしょうか?

        私は移民の多い米国に20年ほど住んでいたので、その実際の経験から「郷に入っては郷に従え」を実践するのが便宜上の正解なのではと考えています。
        (移住した国の習慣が気に入らないのだったら移住しなければ良い=自由意志での選択=自己責任)

        さらに、基本中の基本は「他人が嫌がる事はしない」では?

        ある時、外国人留学生を集めて晩餐会を開くのに、ヒンズー教徒には神聖なる動物である「牛肉」を出せないし、イスラム教徒には不潔な「豚肉」を出せないし、ユダヤ教徒は「貝・カニ・エビ類」は手にしないし、結局、無難なチキンしか選択肢が残らなかったという事もありました。

        そして食事中に左手を使うのはご法度です。

        と言う事で、安易に「文化的・ダイバーシティ」を押し通すと、逆説的に社会での「制約」が積もり積もってしまうのですよ。

        さて、お隣の国に視線を向けると、半面教師としては、同じ民族内でも「主観的意見のダイバーシティ」が横行する韓国では「労働争議」や「積弊精算」と言う名の社会葛藤に満ち溢れていて国家としての体裁を失いつつありますから、的確な考察の無い「ダイバーシティの抱擁」はアナキーに陥る危険を
        孕んでいます。

        • 新大久保彦左衛門のおとのさまへ
          一心太助より

          言いたいのは

          公文書に”日本海”と記載するのは、
          病院のカルテに、生物学的性別を記載するのと同じです

          だけです

          新大久保彦左衛門さんの理論は、
          全部、正論だと思います

          全ての文化は平等で、上下、善悪、等の価値の差は無く
          有るのは、"友好関係"or"敵対関係"だけだと思っています

          朝鮮人の文化と日本人の文化は敵対関係に有るので
          "敵"は抹殺すべきだと思っています

          本音を綺麗事で済ます為に、
          "ダイバーシティ"というストローマンを使って
          詭弁を弄しました

  • 姓名逆に表記にすると、源頼朝(みなもと「の」よりとも)を姓名逆にしたときに『よりとも「の」みなもと』にするのか、とかいろいろと面倒な問題出てきますね。ちなみに紫式部は Murasaki Shikibu で通じるそうです。

  • 日本人て相手のことを姓で呼びますよね。
    山田一郎であれば、よほど特殊な関係の人以外はみんな「山田さん」と呼びます。
    友人でもいきなり「おい一郎」なんて呼ぼうものなら喧嘩になりそうです。

    だから実質日本人のファーストネームというのは「姓+さん」くらいのとこなんですよね。

    What is your name?
    に対しては
    My name is Yamada-san Ichiro.
    と答えたいくらいですね。

    そうすると
    Hey Yamada-san
    と呼んでくれて違和感なくなるかと。

    外国にほとんど行ったことのない視野の狭い日本人としてはそんな風に感じます。

    • 隠居爺様

      >「おい一郎」なんて呼ぼうものなら喧嘩
      日本の名前の構成は「漢字圏」共通の氏名です。つまり山田一郎では山田:氏姓、一郎:名前で構成されます。
      「おい一郎」とやると喧嘩になる」この考え方が正に日本の名前の本質です。「漢字圏」の共通の認識として名前は隠すものとの意識があります。
      これは陰陽師でもお馴染みの中国道教に元を発する考え方で良い例ではないのですが「呪い」でも相手の名前を知る事が第一で名前は相手を特定する事であり呪を成就するための条件と考えられていました。
      その為、明治初期にいたるまで氏姓を持たない一般民衆でも名前は隠すものとの考え方であった為、通称(愛称)で呼び合い、名前をできるだけ呼ばない習慣が自然発生したしだいです。たとえば一朗をいっちゃんと読んだりしたわけです。このため相手との関係が薄い人が、いきなり名前を読んだりすると喧嘩となります。ゆえに関係が薄い場合には氏姓+「さん」等で呼ぶことになります。(江戸時代では氏姓のない民衆では「土地名」の「通称」でこれにかえてました。
      つまり漢字圏の氏名考え方は出来るだけ名前を口から発しないという民族学的慣習から所属する部族(氏姓)+個人名(名前)の順となっています。

      • がぶりえるさんへ

        忌み名、真名の習慣ですね
        サスガに造詣が深い

        西洋でも、マントラ(真言)を知るコトで
        魔法を習得できるという発想が有ります

        ケルト系の神話に見られますが、
        印欧文化の深層心理ですかね
        サンスクリットです

        数図形になると、ピタゴラス教団ですかね
        錬金術になりますネ

        • 鞍馬天狗様

          >忌み名、真名の習慣ですね
          ただの「あだ名」と「本名」の話です。
          神秘学には興味はありません。他国の呪に関ては興味ありませんが、「御霊信仰」は日本史に影に日向に表れるので、民俗学素養は必要です。

          また、真言に関しては「理趣経」(般若心経の入門書)に関してはお坊様と法論できますよ。
          尚、上記「理趣経」は密教異端とされた「立川密教」の研究には必要な知識です。

        • がぶりえるさんへ

          御霊信仰が、基底にあるのは確かだと思いますが
          言霊信仰も又、民俗学の基底を成すモノだと思います
          それを無視は、出来ないんじゃないでしょか?

          五芒星、六芒星は、陰陽道に不可欠な要素です
          ソロモンの星やダビデの星を無視するのは、
          オカシイと思います

        • 鞍馬天狗様

          >言霊信仰も又、民俗学の基底を成すモノだと思います
          >それを無視は、出来ないんじゃないでしょか?
          その通りです。忌み名、祝詞等も民俗学の対象で言霊信仰自体が御霊信仰より古いのも事実です。

          言霊信仰を無視した理由は歴史学のフィールドと御霊信仰は直接的関係に立ちますが、言霊信仰は歴史学とは直接的関係に無いため無視しました。
          現在、名前のスレで前提として門俗学のアプローチしているのですから言霊信仰は必要です。

          >五芒星、六芒星は、陰陽道に不可欠な要素です
          その通りです。
          >ソロモンの星やダビデの星
          五芒星、六芒星をソロモンの星やダビデの星と言い始めたのは近代「ユダヤ同祖論」からです。
          陰陽道ではソロモンの星やダビデの星の認識はありません。

        • がぶりえるさんへ

          >五芒星、六芒星をソロモンの星やダビデの星と言い始めたのは近代「ユダヤ同祖論」からです
          正倉院とヘレニズムの関連はどう思いますか?
          日本の陰陽道は平安時代(10世紀)以降です

          古代シュメールでも五芒星、六芒星は、
          重要な役割をはたしていたと考えられています

          "がぶりえる"という、古代メソポタミアに
          誕を発するHNで、ヘレニズムを否定なさるのですか?

        • 鞍馬天狗様

          >正倉院とヘレニズムの関連はどう思いますか?
           正倉院の文物がヘレニズム文化(特にペルシャ)の影響を受けている点は否定しません。
          しかしこれは聖武天皇の時代に中國から流入したものであってヘレニズムの担い手が日本に来たとはならないでしょう。
          ヘレニズムの文物を献上したのは恐らく秦氏または紀氏の一族辺りでしょうが彼らはこれがヘレニズムの文物と知って献上したわけではありません。(ヘレニズムすら献上人は知らない)

          >古代シュメールでも五芒星、六芒星は、
          >重要な役割をはたしていたと考えられています
           同様に陰陽師は五芒星、六芒星と中国で変換された知識を知っているだけであり、ソロモンの星やダビデの星と理解して使っていたわけではないということです。
          陰陽師が知っていれば、五芒星、六芒星とはソロモンの星やダビデの星を指すと記録があるはずですが、いまだその様な論文はありません。
          つまり五芒星、六芒星をソロモンの星やダビデの星の言葉で言い始めたのは「ユダヤ同祖論」からです。

          物の動きと人の思想含めた人の動きは別ですよ。物の動きを以てその文化の担い手が動いたとする考え方は現在の歴史学とそれを補助する考古学から否定されてます。
          考古学により発掘された人骨から炭素年代測定法でヘレニズム時代の人骨で且つDMAがペルシャ地方の特有DMAであるでもなれば歴史は変わりますが現在その様な直接的データはありません。
          人の思想含めた人の動きは「人から人」へ書物を通してか又は鑑真の様に入朝した人から口伝で伝わった内容であったり、人が中国へ遣唐使として出かけそのなかでペルシャ商人に会って得た情報を伝えたりしたものであって、その中にペルシャの香りが口伝されたり、書物の著者がペルシャを旅しておりそこから得た知識であったりするのが現実的です。

          HNは小生の色々な考えでHNを「がぶりえる」としているのであって、HNに意味は求めないでください。
          最後に小生は日本にヘレニズム文化の文物が存在しているのは否定してませんよ。しかしそれはヘレニズムの文物が存在するだけであり当時の人物がヘレニズム文化を意識していたかと言うとそれは異なるといっています。証拠に正倉院の資材帳には「瑠璃椀」と記載されておりヘレニズムもペルシャの文字もありません。

        • がぶりえるさんへ

          HNに対しては、謝罪します
          ごめんなさい

          >ソロモンの星やダビデの星と理解して使っていたわけではない
          寧ろ、ソロモンの星やダビデの星の方が
          近年のモノであり、知っている訳が無い

          五芒星、六芒星と同根のモノから来ていると
          いっているのです

          >物の動きと人の思想含めた人の動きは別です
          この点が解釈の一番の相違ですね

          モノより、人の方が先に来ていると思っています
          文化の担い手となるには、それなりのマスが
          必要ですが、語り部となる程度の人なら
          来ていると思っています
          文字の読み書きまで出来る人は希少ですが
          モノだけ、が単独で渡って来る筈が無い

          違う意見は面白いです
          ありがとうございます

        • 鞍馬天狗様

          謝罪拝承。こちらこそ失礼いたしました。

          >五芒星、六芒星と同根のモノから来ている
          同根である事(概論的にですが)は認めますが、ぶっちゃけ、五芒星、六芒星が陰陽道に組み込まれた時点で変質していると言ってます。陰陽道の言う五芒星、六芒星の機能を創設した人物(開祖または記述者)はその意味をしていると思いますが、当時新興の陰陽道を創設する時本当の意味は削られ・または付け加えられてしまい変質するものです。
          故に、古代シュメールの五芒星、六芒星(仮称;古代シュメールでこれをどう呼んだかしりません)の意味と陰陽道の言う五芒星、六芒星が同一ではなく同根の類似品である確率が高いといってます。

          >モノだけ、が単独で渡って来る筈が無い
          いま説明している正倉院の瑠璃椀で説明すると古墳発掘で同等の瑠璃椀は発見されてます。
          正倉院の瑠璃椀を故宮にある宝物と一緒にしてませんか?
          それなりに(一般、貴族が使うものではない)価値がありますが中國から日本へ船で運んだ交易品ですよ。正倉院は聖武天皇が日常使用されたものを光明皇后が寄付した今風に言えばタイムカプセルです。故にその時代を知る重要な資料ではありますが宝庫ではありません。
          故に交易品として物だけが渡り、その荷物の意味の不明な状態を「物だけが渡る」と言います。

          >モノより、人の方が先に来ていると思っています
          >語り部となる程度の人なら来ていると思っています
          であるなら伝承が残るはずで、例えば徐福伝説、楊貴妃伝説、天狗伝説(修験道)等
          ヘレニズムの担い手または語り部となるものが来ているなら変質した伝承程度は残るはずで
          上記に挙げた例はまさに変質した例で真贋不明の項目です。
          もし来てても伝承が残らないのなら、統計と同様に初めから来ていないのと近似でしかありません。
          以上、駄文失礼いたしました。

    • がぶりえる様

      なるほど。
      おっしゃるように姓名はありますけど、名の方は隠そうとする傾向があるかもしれませんね。あるいは姓の方を優先させようとする文化。

      あと、もう一つ感じることは、「おい、一郎」と名を堂々と呼ぶ人がいます。それは、親、兄、姉など目上の家族ですね。皆さんそれには余り抵抗がないはずです。でも、他人からは名を呼ばれるものではないという意識があるのではないでしょうか。親でもないのに気安く呼ばないでくれと。

      だから、外人からであっても、Hey Ichiro と呼ばれると、違和感を感じる面もあるような気がします。

      • 隠居爺さま、がぶりえるさま

        横から失礼します。
        私の部落では、基本、名前を呼びます。
        例として、なかがわ家が10軒以上続いて、中川・中河が混在しています。
        女性の場合、名前のバリエーションが少ないため、同姓同名(漢字は違うが同じ読み)が、良くいます。
        外部との交流が少なく、仲間内で暮らしてきたためと思っています。

        • 匿名希望様

          話の前に老婆心ながら、「部落」は違う意味にも捉えかねないので「里」とすべきかと、また中川・中河は「例えば中川・中河」とすべきです。(微妙な問題はらみますので)

          「名前を呼びます。」との事ですが、ほとんどが「何々辻のAAさん」とか「一本松のAAさん」とか言いませんか?または「あだ名」で呼びませんか?
          私の居住しているところでも過去、字XXがあった土地ですので「里が同姓」であるのは普通にあります。

        • がぶりえるさま

          ご指摘ありがとうございます。部落解放とかですね。

          私も、大字??の住人だったので、「??部落の人」とお互いに呼び合います。
          呼び方ですが、年上の方を呼ぶ場合、ドラえもんのスネ夫君は「スネ夫さん」ですね。
          判別がつかない時は親の名前が出ました。
          現在でもあだ名は、同級生・下級生を呼ぶ時に使いますが、地名つきは使いませんでした。
          やはり、土地ごとに違いがありますね。

      • 隠居爺様

        >違和感を感じる面もあるような気がします。
        この違和感こそが全体から個人にスケールをスモールアウトする日本人の思考と
        個人から全体にスケールアップするヨーロッパ人の思考の差です。
        これは右脳優先か左脳優先かとほぼ同義ではないかと愚考します。またこれが民族的資質の発露ではないかと考えます。
        しかし、民俗学的資質はたとえ中国・韓国と同質であってもそれらベースの上に教育が乗りますから江戸時代から文盲率の極端に低い我が国では明治以降の欧米化を難なく吸収できる自力があった点で決定的に異なったということでしょう。

        • がぶりえるさんへ

          >右脳優先
          角田 忠信氏の説では、
          >民族的資質の発露
          では無く、母音と子音の認知機能の差、
          日本人固有の言語処理より
          特異性が出るものとしています
          実験的根拠もあり
          角田氏の説のが胸に落ちます

        • 鞍馬天狗様

          >特異性が出る
          この特異性を民族的資質(日本語を使うも者の共通基盤)と言えると思いますが。
          角田 忠信氏の説は私も知っています。

        • 鞍馬天狗様

          「日本語を使うも者の共通基盤」はちょっとおかしいですね脊髄反射してしましました。
          「日本語を使う、日本人の共通基盤」ですね。

  • 最近話題に出た、リトルエンディアン・ビッグエンディアンの話にも通じますねえ。
    まあ、彼らの流儀がエラー由来でも多数派になるとなかなか変わらないとw

    日本文化のこういうところは開国直後の不平等条約に起因するのかなと歴史的に考察します。
    中国は中華思想がずーっと変わらないし、韓国はずっと受動的に今の地位になったので「迎合」する必要が無かったとか。

    • りょうちん様

      コンピュータ系の話、面白かったです。
      >日本文化のこういうところ開国直後の不平等条約に起因
      日本人が「名を隠す」の世界は道教が日本に入ってきた推古朝(梅原毅氏の説です)の頃、御霊信仰と連結して地元信仰化の中で培ったものです。
      また命題の「名+姓」で外人に名乗り始めたのは長州藩から英国留学した伊藤博文等のやらかした事とウル覚えです(間違いならご容赦)
      中国はこの件に関しては不動ですが、朝鮮の場合には「班譜」絶対主義(今もそうです)がありますから一回転してファンタジー(うちの家系は両班でXX大臣は家に繋がる」みたいな)にまみれてるので、イマイチ良くわかりません。

  • ローマ字と名前の話で高校生の頃の事を思い出しました。
    知り合いに厚木のエアフォースにいる人がいて、こんな話をされたことがあります。
    「ミチヒコ(私の名前)、日本では名前の最後に「コ」が付くのは、女性の名前じゃ無いのか?」
    「ヒデコ、ヒデコの名前は、「Hideko」と書くけれど、アメリカだと「ハィ-デコ」だなあ
    「俺、漢字を覚えたぜ。
    (絵描き歌みたいに)
    ウィンドウ、ウィンドウ、ジェイ♪
    ウィンドウ、ジェイ、ウィンドウ♪♪
    ほら、これで田町と町田だろう?」
    名前とか、それが持っているリズムとか語感はそのままが文化になっていて面白いです。
    今回の姓・名の順番の件、人名だけでは無くて、地名や山河、湖、道路や交差点などの名称に対しても同様の違和感を持っていました。
    琵琶湖はレイク ビワなのか、レイク ビワ-コなのか、ビワコ-レイクなのか、ビワ レイクなのか。
    信号待ちしているとき、表示されている漢字とローマ字を見比べると色々と面白いです。
    個人的には、名前や地名は一塊で日本語としてのはリズムを持っているし、ローマ字表記は姓・名の順番が良いと思うのですが。

  • 日本を含む「漢字圏」の共通の認識として名前は隠すものとの意識で
    ヨーロッパでは逆に名前はOpenにすべきものとの意識です。これはローマ帝国に発する韓和え方で、ローマ人の表記は名前+氏名です。ヨーロッパの文化の源泉はローマ帝国であり米国を第三のローマと言う言い方もあります。
    これらの名前+氏名がとするヨーロッパで文化的に個人主義的意識が優勢化していくのも此の名前+氏名が、文化的発展にて論理的思考を助長したと考えられます。
    また、日本では氏名+名前で名前を隠すものから文化的発展で倫理的(情緒的)思考(いじわるな言い方すれば集団的思考)を助長したと考える次第です。

    • がぶりえるさんへ

      >名前はOpenにすべきものとの意識です。これはローマ帝国に発する
      逆に、
      ガリア人(ゲルマン、ケルト系)文化は野蛮だ
      というローマ人の決めつけから
      来ているとも言えます

      • 鞍馬天狗様

        まず、ローマ帝国は間違いです。すいませんローマの発生段階の王国時代ですからローマ人の名称の付け方は(個人名+氏族名)です。
        ガイア人と接触を持ったローマ共和制時代は異民族として駆られる立場でした。
        しかしローマが帝政となりキリスト教が浸透しだすと、ガリア人もキリスト教かローマ化が進んで
        むしろローマ皇帝をガリア傭兵が決める時代となります。
        そこでも、ガリア人はローマに強い憧れを持ち、ローマ人はガリア人を受けい入れ続け最後にはローマ帝国は老衰の様に息を引き取ります。
        その後を継いだヨーロッパ国家群は全てローマ人の文化(ラテン文化)を源流として尊重しているのが史実です。ゆえに(個人名+氏族名)がヨーロッパの考え方となってます。

        • がぶりえるさんへ

          基本的な認識は同じですが、

          現代では、構造主義的発想が主流となり
          ケルト系等の神話の見直しがされており
          非ラテン文化をラテン文化と同価値と
          見る見方が起きています
          その流れの中で、
          >(個人名+氏族名)がヨーロッパの考え方となってます
          とは言えなくなって来ているのです

    • 第三のローマってたくさんの国が「俺が俺が」って主張してますよね。

      さすがにUSAが言うのはおこがましいと思うのですが、移民国家のアイデンティティの確立のために建国神話の権威付けに民主制ローマを利用していますね。
      ほとんどの政治用語がラテン語由来だし、彼らにとっての古事記みたいなStarwarsなんかもローマ帝国の興亡をモチーフにしています。

      第三帝国と言えばドイツですが今やEUで暴利をむさぼっている第四帝国なんて悪意を込めて呼ぶ人がいますが、調べてみると「第三」とは単なるナンバリングではない宗教学的意味があるので安易に第四帝国を不用意に使うと無教養と言われてしまいそうです。反省。

      • りょうちん様

        それを言うならドル紙幣のフリーメーソンのシンボルマーク。
        フリーメーソン自体がローマの石工組合が発祥です。
        「ローマ帝国の興亡をモチーフ」ではアイザック・アシモフでしょう。
        ナチスの第三帝国、第三のローマ等は宗教学的意味を含んでますがフランスの第三共和制は唯のナンバーリングだったような。

        • >「ローマ帝国の興亡をモチーフ」ではアイザック・アシモフでしょう。

          もちろん、そうなのですがファウンデーションシリーズはしょせんマイノリティのSFマニアの間のだけでの金字塔なのです。

          古代日本のラノベ「古事記」と米国人の大好きなStarwarsこそが比喩にふさわしいと考えた次第です。

        • りょうちんさん、がぶりえるさんへ

          もしかして、
          "第三"ファウンデーションの伏線とか
          ありました?

          アーサー・C. クラークの宇宙のランデヴー
          も数字の三に拘ってましたし

          "来るべき..."が第二、で終わるのも、変ちゃ、変

        • 鞍馬天狗様

          混乱させたようですね。
          「第三」は「ローマ帝国の興亡をモチーフ」の段とは関係ありまえん。
          「「ローマ帝国の興亡をモチーフ」とするならアシモフこその一段で話を切って、
          「第三」の話が別に進んでいます。
          お詫びします。

          りょうちん様
          理解しました。

  • 英語の時は、名前+名字にすることで、
    英語話してる人格?として頭も切り替えてたんですが。

    外国でも名字+名前にしろというならば、仕方ないかな。

  • わたしも一時、姓名の順でも差し支えないのではと思ったことがあります。
    スキーワールドカップなどのFIS(国際スキー連盟)のレースのリザルトでは、姓名の順の表記なんですよね。
    ご参考に。

    2018/2019シーズン クラン・モンタナ(スイス) 女子滑降リザルト
    http://medias3.fis-ski.com/pdf/2019/AL/5095/2019AL5095RLR0.pdf

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