私は、遠くない将来、わが国を取り巻く環境が激変すると想定しています。そこで、本日は改めて、「外交は人間関係の延長である」という私自身の持論を提示してみたいと思います。
目次
国家も人間関係の延長
当ウェブサイトの人気コンテンツの1つが、外交論です。「政治・経済に焦点を当てた、知的好奇心を刺激する独立系ビジネス評論サイト」を名乗っている以上、当ウェブサイトが外交について議論するのは当たり前のことだと思います。
ただ、外交について議論すると、定期的に、「外交の素人が外交を議論するな」、といった批判コメントが湧きます(そして、これらの多くは「書き逃げ」です)。しかし、この「外交の素人」という表現に、私は強い違和感を覚えます。というのも、外交とは「専門家が議論すべきもの」ではないからです。
このお叱りのご指摘どおり、私自身は別に外交官でも国際政治学者でもありません。単なるビジネスマンです。しかし、「外交の専門家である外交官と国際政治学者しか外交を論じてはならない」という主張は、明らかに思い上がりでしょう。
私に言わせれば、「外交のプロフェッショナル」であるはずの外交官や、元外交官である作家・著述家、国際政治学者等が執筆した文章を読んでいると、どうも「外交がわかっていないのは、むしろ彼らの方ではないか」と思うことすらあります。
以前、『ビジネスマンのセンスで外交青書を読む』でも申し上げましたが、外交とは別に特殊な世界ではありません。というのも、国家は人間の集合体だからです。そして、外交は私たち個人が誰か他人とお付き合いするときの考え方の延長で捉えることができます。
人間関係の階層化
人間関係の階層化①血縁
世の中に存在する人間関係のなかで、一番親しい関係と言えば、夫婦か親子でしょう。実際、私自身にも配偶者と子供がいます。私にとって、この世の中に存在する最も重要な存在が、まさに配偶者と子供であり、彼らは私が自分の命に代えてでも守らねばならない者たちです。
細かい話をいえば、家族といっても、「自分が生まれ育った家族」と「自分が作った家族」があります。たとえば、自分の実家(両親、兄弟など)は「自分が生まれ育った家族」ですが、自分の配偶者と子供は「自分が作った家族」です。
また、自分の親にも「生まれ育った家族」(つまり自分から見ると祖父母、伯父・伯母、叔父・叔母など)がいますし、伯父・伯母などにはそれぞれ子供(つまり自分にとっての従兄弟)がいることもあるでしょう。これが親戚ですが、家族と比べると繋がりは薄くなります。
さらに、「従兄弟」とは親同士が兄弟である場合のつながりのことですが、俗に「ハトコ」、つまり祖父母同士が兄弟である場合のつながりもありますし、自分自身の兄弟が結婚すれば、その兄弟の結婚相手とも間接的に親戚となります(これを民法の専門用語で「姻族」と呼びます)。
こうなってくると、さらに関係は薄くなるかもしれません。実際、私自身も子供のころは従兄弟とも頻繁に遊んだりしていましたが、大人になり、お互いに離れて暮らすようになれば、滅多に会わなくなります。それこそ、親戚の葬儀で何十年ぶりに会う、というケースだってあるでしょう。
夫婦・親子の関係は非常に強固なつながりを持っていますが、子供が独立し、結婚し、子供を設ければ、離れて暮らす兄弟とは家族ではなく親戚となりますし、ましてや伯父・伯母、従兄弟、ハトコとは疎遠になっていくこともあるかもしれません。
それどころか、私自身が経験したことですが、「親戚である」というだけの理由で、理不尽な要求をしてくる輩もいます。その意味で、血縁が必ずしも濃いつながりを持つとは限らないのです。
②友人、③仕事付き合い
一方で、人間関係の中でも比較的濃密な付き合いがあるとすれば、友人関係や仕事付き合いでしょう。
このうち、友人関係とは、学校の友だち(クラス・部活などの友だち、先輩・後輩など)、習い事や趣味の友だち(SNSなどを通じた友だちも含む)など、さまざまな事例があると思いますが、いずれも「血縁関係ではないが、仲が良い相手」のことです。
友人関係の場合、家族・親戚と異なり、多くの場合は自分の意思でお付き合いする関係です。学校を通じた友人の場合は、学校を卒業したら疎遠になることが多く、また、仲たがいしたら絶交することもあるため、血縁関係よりは薄いつながりです。
さらに、仕事付き合いにも、上司、部下、取引先など、さまざまな事例があると思います。仕事付き合いも「血縁関係とは限らない」「仲が良いとは限らない」関係ですが、友人関係と違って、仕事である以上は付き合わねばならない相手のことです。
人間関係に、この「①血縁」、「②友人」、「③仕事付き合い」という3つの類型が存在することは、お分かり頂けると思います。では、この3つの類型で、外交を考えるうえで一番参考になるのは、①~③のどれでしょうか?
①血縁(家族、親戚)については、一般的には無条件に付き合わなければならない相手ですが、自分自身が独立して家族を構えたり、地理的に離れたところに暮らしたりすれば、必然的に疎遠になっていく関係でもあります。
②友人については、好きで人間付き合いをしている関係です。いわば、「馬が合う」相手であり、その友人と一緒にいることで何らかの恩恵があるわけですから、①と比べて人間関係が濃くなる場合もあるかもしれません。
ただ、私はやはり、社会人であれば、③仕事付き合いがもっとも「人間関係らしい人間関係」だと思います。別に相手のことを好きなわけでもないくせに、時として笑顔を浮かべながら付き合わなければならないからです。その目的とは、ずばり、「おカネ」にあります。
国家と国家のお付き合いもこれとまったく同じではないでしょうか?
仲良くなる国とそうではない国
実は、国と国とのお付き合いも、上記①~③の考え方がそのまま当てはまると思います。
たとえば、「①血縁」という関係だと、同じ英語圏に属するアメリカ(米国)、イギリス(英国)、オーストラリア(豪州)、カナダ(加)、ニュージーランドという事例があります。米、加、豪などの各国は、英国人が各地に植民し、その子孫が国の基礎を作ったという関係にあるからです(※)。
(※もっとも、カナダの場合、ケベック州が仏語圏でもあります。また、米国や豪州の場合も、実際には黒人奴隷や現地原住民、さらには各地からの移民などが混血しているため、厳密には「彼らは同一民族である」と表現することは不適切かもしれませんが…。)
つまり、英米豪などの各国は、英語圏というだけの理由で、非常に緊密、特別な関係にあるのです。また、香港やシンガポールなども、英語を共通語としているという理由意味では、これらの「英語圏ネットワーク」諸国とは親和性がある、といえるでしょう。
次に、「②友人」とは、利害関係はないものの、仲が良い人のことですが、これは国家間にも成立する考え方です。たとえば、地理的に遠く離れていたとしても、トルコやフィンランドのように、日本の文化に興味・関心があるなど、日本のファンとなってくれる国があります。
ただ、国際関係においては、例えとしては、やはり「③仕事付き合い」がわかりやすいと思います。仕事付き合いの場合だと、嫌いな上司であっても、職場で会話しなければなりませんし、そうしなければ給料ももらえません。逆に、馬が合わない人ともうまくやって行ける協調性があれば、出世できるかもしれません。
外交もこれと全く同じであり、「嫌な国であっても技術協力、経済支援、軍事協力をしてくれる相手とはうまく付き合わなければならない」、というロジックです。
マレーシアの事例
こうした「人間関係に例えると非常にわかりやすい例」が、マレーシアの事例でしょう。
たとえば、東南アジア諸国連合にマレーシアという国があります。マレーシアは多民族国家ですが、大きく分けるとマレー系、華人系、インド系で構成されています。民族的に見れば、マレー人はインドネシアとも密接な関係がありますし、また、民族的には中国やインドとも関係を持っています(①血縁)。
一方、マレーシアは日本をベンチマークにする、いわゆる「ルック・イースト政策」を採用してきたことでも知られており、日本語を学習する学生も多く、日本に親しみを持っているマレーシア国民は多いようです(②友人)。
そのマレーシアは地政学的な都合上、タイやシンガポール、フィリピンなど、東南アジア諸国とASEANを結成し、経済、安全保障などで密接な協力関係を構築していますし、北朝鮮とは貿易・投資などを通じて密接な関係にあります(③仕事付き合い)。
もっとも、マレーシアは民族的に近いからといって、インドネシアなどと無条件の友好関係にあるわけではなく、先日も92歳になるマハティール・ビン・ムハンマド元首相が首相として再登板した背景には、親中派であるナジブ前首相の汚職疑惑があったとされるなど、中国との確執も報じられています。
「血縁関係にあれば無条件に仲良くなるわけではない」、「嫌いな相手でも仕事上必要があれば付き合わなければならない」、「仕事付き合いよりも友人付き合いの方が長続きする」、といった人間関係の特徴が、外交の世界にもみごとに当てはまっていることがお分かり頂けるでしょう。
日本にとって重要な国
「血縁」がいない国?
ところで、「日本人はどこから来たのか」については、文化人類学者を初め、多くの人が議論しているところですが、これについては確たる学説が存在しないのが実情に近いといえるかもしれません。
イギリス人は、同じ英語を母語とする人々――アメリカ人、オーストラリア人、カナダ人、ニュージーランド人など――に対し、非常に強い親近感を抱いているようですし、スペイン人と中南米のスペイン語圏の国々も同じような関係にあるのかもしれません。
また、英語とドイツ語、英語とフランス語は同じ言語ではありませんが、お互いに語彙、文法、品詞などで多くの共通点を持っていますし、欧州域内では宗教、食事、文化などの点で、お互いに近い関係にあることは間違いありません。
しかし、少なくとも日本の場合は、同じ「日本語」を日用語としている国・コミュニティは、日本国外にはほとんど存在しません(皆無とは言いませんが…)。また、日本語と明確に「親戚語」といえる言語も存在しません(琉球語を日本語と異なる言語と位置付ければ、「親戚語」と言えるかもしれませんが…)。
韓国語(朝鮮語)は日本語と文法が似ていますが、語彙などの面で違いが大きすぎるため、学術的には、日本語と韓国語(朝鮮語)との「親戚関係」は証明されていないと聞きます。
このように考えていけば、日本にとっての「英国と米国のような関係」、「英国とドイツのような関係」は、地球上に存在しないと考えた方が良さそうです。
ソフト・パワーで世界を席巻する日本
ただ、日本が世界で孤立しているのかと言われれば、それもまた違います。実際には、アニメ、マンガ、ゲームなどのコンテンツ、自動車や家電などの工業製品、さらには日本の伝統文化などが、世界中で愛されているからです。
日本のソフト・パワーが世界をどの程度、席巻しているのかについて、統一的かつ信頼できる統計は存じ上げません。しかし、私自身も若いころからずいぶんと海外に出掛けてきましたが、たいていの国で「日本人だ」といえば歓迎された記憶があります。
フランスの首都・パリの大型書店では日本のマンガ(仏語訳版、日仏対訳版など)が平積みになっていて、日本語のDVDがそのまま流れていたりもしましたし、「ハロー・キティ」はそれこそ全世界の街角で見掛けました。さらに、日本語でプリントをしたホンダ車に乗る現地人を見たこともあります。
(※もっとも、私自身の経験上、なぜか北欧は例外でした。日本人と中国人を混同しているのか、日本人に対して「ニーハオ」と話しかけてくる人が複数いたほどです。)
つまり、「日本の文化、製品、伝統が好きな人たち」は世界中にいて、彼らの多くが日本のファンとなってくれている状態は、日本にとっては非常に好ましいのです。これが人間関係でいえば、「②友人」のカテゴリーでしょう。
経済力、金融力
一方、日本は戦後長らくの間、「米国に次ぐ世界で2番目の経済大国」の地位を謳歌していました。しかし、今世紀に入り、世界第2位の経済大国の地位は、公式には中国に取って代わられ、「日本経済の地位は低下している」と思い込んでいる人がたくさんいるのが実情です。
しかし、日本経済の地位が低下しているからといって、「もう日本には未来がない」と考えるのも、同時に大きな間違いですし、かつ、安易にそのような認識を持つこと自体、日本社会を将来世代に引き渡す者としては、非常に無責任です。
高学歴の経営者が経営する企業を中心に、経営の失敗が相次いでいることは事実ですが、そのことと「日本がダメな国になっている」という認識を結び付けるべきではありません。
『【夕刊】アフリカ諸国「人民元が基軸通貨」?どうぞご勝手に。』で議論したばかりですが、日本には強力な武器があります。それは、「開放的で先進的な資本市場」であり、また、「世界で最も安全性が高い日本円」という通貨です。
『【準保存版】韓国の外貨準備統計のウソと通貨スワップ』でも議論したとおり、日本との通貨スワップ協定をしつこく求めてくる国もあるようですが、強い通貨はそれ自体が強い国力の代名詞です。
残念なことに、日本には軍事力の背景はありません。しかし、それを補うのが強力な金融力です。アジア開発銀行(ADB)などの国際開発銀行への出資を筆頭に、日本は金融力を武器に、さまざまな国と強い関係を構築しているのです。
日本は何も卑屈になる必要などありません。
外交は国益の最大化手段
つまり、日本は人間関係でいうところの「①血縁」がいない国ですが、「②友人」、「③仕事付き合い」での交友関係には恵まれている国です。
そして、人間が誰かとお付き合いする目的が、その人の幸福度を高めるためにあるのと同様、国と国とのお付き合いの目的は「国益」の最大化にあります。ここで国益とは、
- 安全保障…国、国民の軍事的な安全を確保すること
- 経済発展…一国の経済をさらに発展させること
の2点であり、この2点は古今東西、いかなる国においてもまったく同じです。
本来、日本は国益を最大化するために、多くの国との関係の濃淡を作っていかなければなりません。しかし、「日本のことが大好きだ」と思ってくれる国や、「日本と仕事をしなければならない」と思う国がたくさんあることは、日本にとってはそもそも、非常に幸いな話です。
もっとも、日本の隣には、あることないこと捏造して、日本の名誉と尊厳を傷つけようとする国もあるようです。人間関係でも「常軌を逸した人間による嫌がらせ」に苦しむケースがあるのと同じであり、これは非常に悩ましい点です。
しかし、日本がこうしたヘイトと敢然と戦わなければならないことは言うまでもありませんが、それと同時に、日本が某隣国と同じレベルに堕ちてしまってはならない、という点は事実でしょう。
冷静に考えると見えてくる
以上、ここでは「外交」について、私が普段から考えていることのごく一端を示してみました。
非常に当たり前の話ですが、外交は「国と国とのお付き合い」です。しかし、国が人間の集合体である以上、「国と国とのお付き合い」も、「人間同士のお付き合い」の延長で議論することは十分に可能なのです。いや、むしろビジネスマンならではの視点で外交を議論することが有益ですらあると思います。
では、どうして数ある「時事ネタ」を振り払って、このタイミングで「外交」に関する議論を掲載したのでしょうか?
その理由は、非常に簡単です。これからの日本が、この「外交の本質」を強く意識しなければならないであろう局面が、これからすぐに訪れると私が予想したからです。その意味で、「いつでも引用できる記事」を1つ、執筆した、という次第です。
これから私たち日本国民としても、さまざまな難しい判断を迫られる局面が続きそうです。その際に、当ウェブサイトとしても、「国益」という観点から、これらについて議論していきたいと考えています。
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現在北東アジアの情勢が大きな転換点を迎えているのは間違いないでしょうし、更に言えば民主主義・市場経済といった仕組み自体も修正もしくは変更が必要なのかもしれません
その様な中で現状諸外国との関りなしには存続し得ない国である日本の外交が重要である事は論を待ちません
ただ、外交をするにはその前に国家というものの意義、国と国との関係とは基本は利害関係である事(これは日本が「血縁」を持たない故かもしれません)、国防と外交は決して切り離せない事、などが前提となると思います
そして正直今の日本の国民にこれ等の意識が非常に希薄だと危惧します
昨今の対韓意識や国連への理解、等などを見るに正確な情報を前提とした場合の、総体としての日本人の意識や判断はかなり信用できると思います
しかし現状上記事項への理解や情報は非常に限定的だったり歪んでいると思います
大きな変化が近づいてくる中、これ等への意識の変化が間に合うのかどうかが日本の将来を決めそうな気がします
これは朝鮮有事や中国の侵略に憲法改正が間に合うのか?移民や不応滞在者の増加に今の性善説前提の国の仕組みの改変が間に合うのか?等と同じでまさにギリギリでの競争になりそうです
あらゆる意味で戦後レジュームからの脱却、というか大きな変化への対応が必要な正に大転換期なのかもしれません
日本が大過なくこの変化を乗り越えらる事を強く願います
< 準保存版の更新ありがとうございます。
< 私的には③の関係はほぼ、消滅しました。気分的には楽です(笑)。今は②、そして家族と、歳をとっても兄弟①ですね。ただし、従兄弟とか縁戚関係は目上の方が少なくなり、実距離に関係なく密に連絡を取り合う人と疎遠になった人は出て来ます。何かで一つつまづくと、上手くいかなくなるのは親戚でもありますね。
< 日本は血縁者がいない、本当にそうです。他の四大陸人からは同じような顔立ちに見えるでしょうが、北東アジアだけでも日本は異質です。
< 日本は世界的にも好感度の高い国家ですし、先端産業や船車鉄道に医療、いろいろな面で尊敬もされている。国際的な貢献度も高い、、、ですが徹底的に日本を侮蔑し、卑下し、捏造歴史で優位に立とうとするのが周辺に3か国もあります。『お隣近所同士の国は仲が悪いもの』という相場はあるにせよ、あまりにも一方的な攻撃と反日で頭を悩ましている、こんな地域も世界的には(イスラエル周辺やアフリカ等もそうだが)類例は少ないでしょう。それもいずれも世界ランクでベスト10以上、日中は2位3位と強大国同士、遠い国から俯瞰したら「何をやってるんだろう?」と思われている。
< 従来から申し上げている通り、中、韓、北は日本にとって友邦ではなく価値観の共有もありません。奈良時代以前から、仲良く友誼を結んだ期間は数えるほど。少なくともこの150年間は先進国と蛮民族と租界国家。また今は、『何も共有できない関係』『敵性国』です。
< ところが困ったことに、戦後賠償を始めADBなど日本は国際貢献を一生懸命やっているが、特に中国は体制が異なる暴力装置です。強権を発揮して無理やり世界秩序、平和的な友邦作りに反するレッドカード乱発で国威・版図・経済圏傘下の拡大に野望をギラつけています。一帯一路、AIIBなどはその典型。国連加盟国は今193か国ありますが、そのうち中国に首根っこを押さえられた国もアフリカ、アジアはじめ多数あります。ここらの発展途上国は中国に刃向えないし、多数決を取ったら中国側に手を挙げる。何百年と欧米の奴隷にされ、未だに最貧国は多いですね。
< こういうのを『恥ずかしい国』『情けない国』と私は使うものだと確信しますが、コメント主さんの中には(拉致問題を米国に頼っている)『日本の状況ってすごく恥ずかしい』と言う方もいる。未だに私の理解を遥かに超えています。
< 日本に①は居ないんですから、②と③の調和でやっていけばいいと思います。国益関係なら嫌な部分もあるが③>②かな。でもご指摘の通り、遠いトルコやフインランド、或いは安倍首相が1月に初訪問した旧ソのラトビア、エストニア、リトアニア、ブルガリア、セルビア、ルーマニアも好意的。大きな樹に育つかも知れません。
< 失礼します。