本日は珍しく時事ネタから離れ、私の考える人生論と社会論を考えてみたいと思います。
目次
「努力」を考察する
最近、当ウェブサイトでは、随分と時事ネタを取り上げて来ました。
やはり、当ウェブサイトを訪れて下さる皆様であれば、国際情勢、国内政治、世界経済など、さまざまな時事ネタに関心があるという方が多いからです。
ただ、当ウェブサイトでは、ときどきは時事ネタから離れ、「物事の本質」、あるいは「人生」について語ってみたいと思うこともあります。
もちろん、私ごときが人生について語るなど、百年早いという気もします。ただ、大学を卒業し、社会人・会社員・ビジネスマンとして通算20年以上の期間を過ごしてきた中で、自分なりに思うところも色々とあるのです。
そこで、あえて本日は、私なりに考える「社会人としての生き様」や「努力をどう捉えるか」について、議論してみたいと思います。
楽をする生き方と努力する生き方
典型的な日本のキャリアパスが揺らぐ
わが国の場合、高校、大学、専門学校などを卒業した若者が、役所なり、どこかの会社なりに「新卒採用」されます。その人は、最初に就職した組織で、一生涯、勤め上げる場合もありますし、縁があってどこか別の会社に転職する場合もあります。
また、いまでこそ男女雇用機会の均等が徹底されているものの、「女性は結婚したら当然に退職するものだ」、といった社会通念も、つい最近まで存在していました。中には、自社の若い男性従業員と結婚させるために女性を採用している、という会社もあったようです(もしかするとそういう会社は今でもあるかもしれませんが…)。
あえて分かりやすく「日本型のキャリアパス」をステレオタイプ的に示してみましょう。
「男性の方は大学を卒業し、新卒採用でとある会社に入社。同じ会社に高卒で入社したという女性と知り合い、2~3年の交際期間を経て結婚し、女性は寿(ことぶき)退社。このご夫婦は子供を2人もうけ、男性はその後、60歳までその会社に勤め、孫が生まれたタイミングで退職し、年金生活に入る」――。
これが典型的な「日本型のキャリアパス」だったのではないでしょうか?
ただ、最近になって、新聞もテレビも、「日本の将来は財政破綻する!」「年金など受け取れない!」などと煽るものですから、若い人の中には国民年金に加入せず、年金保険料も納めない、という人が増えているようです(※この「年金不安」を煽るメディアの虚報については、どこかで取り上げたいと思います)。
さらに、近年、某大手電機メーカーの経営が傾いたり、某銀行がリストラクチャリングを行うと発表したりしている影響もあるのでしょうか、私の主観ですが、人々の勤務先に対する忠誠心は下がってきているようにも見受けられます。
人間を動かす一番効果的な誘因は「恐怖」なのだそうですが、「このままじゃダメだ!」という恐怖を植え付けたあとで、「資格でも取って手に職付けるべきだ!」「投資信託で運用すべきだ!」「将来のために保険に入るべきだ!」といった営業を行うのは、資格試験業界や金融・保険業界の常套手段でもあります。
この、「将来の不安をあおり、何かをしなければならないと訴えかける」という商法、私は大嫌いです。
というのも、日本全体のキャリアパスが本当に揺らいでいるというよりは、それを煽っている人たちに、「保険を売りたい」、「投資信託を売りたい」、あるいは、「自民党を敗北に追いやりたい」、など、何らかの邪(よこしま)な目的があるように見えてならないからです。
少し変わった立場での勤務形態
ところで、本日は「努力」について考察したいと考えているのですが、そのことに言及する前に、私自身の体験を少し申し上げておきたいと思います。
私自身のキャリアは、先ほど示した「典型的な日本のキャリアパス」と比べれば、少し変わっています。
日本人の多くは、学校を卒業してすぐに就職します。
しかし、私自身が「就職氷河期」の入り口に当たっていたという事情もあり、私は最初から就職をあきらめ、最初は国家公務員採用試験、次いで公認会計士第二次試験を受験しました。
このため、大学を卒業してから2年半ほど、無職の状態が続いていた計算です。
私は以前、『新聞配達の思い出』でも申し上げたとおり、大学時代に3年間ほど新聞配達をしていて、ろくに勉強できなかった期間があるので、大学を出てから本格的に国家Ⅰ種と公認会計士の勉強をしたと考えれば、年数的にはほぼ帳尻が合います。そして、新聞配達時代に結構貯金をしたのも、無職の期間で、ほぼ全額吐き出した格好になっています。
人生、うまいことできているものですね(笑)
こうした人生の遠回りは、しかし、決して無駄な時間ではありませんでした。
今になってみれば、経済学や法律、会計などの専門知識だけでなく、さまざまなことを学んだからです。
それは、「全力を注いで今を生きる」ことの大切さです。
国家Ⅰ種(現・国家総合職採用試験)にしても、公認会計士第二次試験(現・公認会計士試験)にしても、あるいはその他の多くの試験にしても、資格試験は年1回しか行われません(※といっても、現在、公認会計士試験は短答式が年2回行われているそうですが…)。
「あの問題でもう少し点が取ればよかったのに!」、「ケアレスミスをした!」などと後悔したところで、意味がありません。
そうであるならば、基本的な問題が出題されれば満点が取れるよう、あるいはどんな問題が出題されてもそこそこの点が取れるよう、一生懸命、試験のための準備をするしかないのです。
そして、その試験を受験したためでしょうか、「最悪の事態が発生したらどうなるか」、「チャンスが到来したらどうするか」などを、常に考えながら生きるようになったことは、私自身にとっては最大の収穫だったと思います。
若手のキャリア相談に乗る
私はその後、地方の監査法人に就職したのですが、仕事内容に飽き足らず、もっと大きなチャンスが欲しいと思い、数年後に東京の大手監査法人に転職。そこで数年間勤務し、さらには某企業に転職して10年弱を過ごし、2015年10月に起業しました。
こうした経験があるためでしょうか、とくに直前に勤めていた会社では、若手から転職相談を受けることもよくありましたし、人づてに知り合った若者から転職相談を持ちかけられることは、今でもよくあります。
これらの若者からの転職相談には、大きく2つの種類のものがあります。
1つ目は、「現在勤めている会社の仕事がきつ過ぎることに対する不満」です。
新卒で某金融機関に就職した若者・A君から、「自分が希望しない業務をやらされていて、辛い」、「さっさと転職したい」、といった相談を受けたことがあるのですが、こうした不満の正体とは、「不満」というよりも、「現在の仕事が自分の能力を大きく超えているのではないか?」「現在の仕事が自分の適性と合っていないのではないか?」といった「不安」でしょう。
2つ目は、「現在勤めている会社の仕事が簡単すぎること(や待遇)に対する不満」です。
ある会社に就職し、数年勤めたという若者から、「現在の会社に将来性が感じられない」、「自分自身はもっとハードワークに耐えられる」、「給与水準が低い」という相談を受けたことがありますが、これなどは本当の意味での「不満」でしょう。
実は、かくいう私自身も、最初の就職の際には、2つ目の不満を抱えていました。某地方監査法人に就職した当時、せっかく公認会計士第二次試験という資格試験に受かったのに、その地方事務所の仕事内容と給与水準が、どう考えてもその資格に見合うレベルではなかったというギャップに苦しんだのです(このあたりの事情については、あまり詳しく書いて関係者に迷惑がかかると困るので、控えたいと思います)。
いずれにせよ、こうしたキャリア相談については、相手の話を聞いてあげるうちに、相手も自分の中で答えを見つけていくケースが多いようです。
「結局は楽をしたい」という心理を責めるな
こうした中、私が若い人から転職相談を受けている際に、その人の「ホンネ」に触れてしまうこともありました。それは、ありていにいえば、「一生を安泰に過ごす方法」を求めている、ということです。
私のところに転職相談を持ちかけた人がすべてそうだったとは申しません。
しかし、中には、「会社で働かなくても生きていく方法」、「アーリー・リタイヤする方法」など、聞き方はさまざまですが、ごくわかりやすく言えば、「できるだけ楽をして、できるだけたくさんお金を儲けるにはどうすればよいか」、ということで悩んでいる人もいたのです。
そんな方法があるのなら、私だって知りたいです(笑)
というのは冗談ですが、やはり、現在厳しい仕事に直面している人であれば、どんなにガッツがある人でも、弱気になることもあります。
先ほど紹介したA君の場合もそうした典型的な事例であり、「できれば将来、資産家になって株式や不動産の運用で楽をして儲けていきたい」という願望を口にしていたこともあります。
「結局は楽をしたい」という心理があることは、人間である以上、当たり前なのです。
私自身も振り返ってみると、公務員や公認会計士の受験勉強をしていた頃は、「本当に合格できるのか」、「本当に就職できるのか」といった深刻な悩み(というよりも恐怖)に直面していましたし、「いっそのこと、天からお金が降って来ないかな?」と思ったこともあります。
当然、人生の中では、こうした苦しみを乗り越えなければならない局面がいくつも出てきますし、それに打ち勝つことができるのは、結局のところ自分自身なのだと思います。
それはともかくとして、私に悩みを持ちかけてきた若者のうちA君(某金融機関に就職して、仕事と能力のギャップに苦しんでいた人物)は、その後、転職を決断したものの、転職先の仕事も「自分が期待していたものと違う」と思い、さらに数社を転々としました。しかし、ひょんなことで入社した某外資系の会社がA君の適性に合致していたのでしょうか、A君は憑き物が落ちたようにさっぱりとした表情になり、若かったA君は今や立派な中年男になりながら、日々の仕事を堪能しているのです。
そんな現在のA君の口から「楽をして儲けて生きていきたい」という発言を聞くことはなくなりました。
大儲けする方法は究極的に2つ
正当に働けば正当な報酬が得られる
さて、私自身の理想のキャリア観とは、「自分自身が必要とされている場所で働くこと」です。
こんなことを申し上げると、「そんなこと、当たり前じゃないか!」、とお叱りを受けるかもしれません。
あるいは、「自分自身が必要とされているところがわからないから、自分探しをするんだ」という人もいるかもしれません。
ただ、これについてはそれほど深刻に悩む必要などありません。人間社会はうまくできていて、求めれば必ずそれに呼応する人が出てくるものなのです。
そして、どんな時にも、どんな人にも、絶対に当てはまる鉄則があります。それは、
「正当に働けば、その結果、正当な報酬を得る」
ということです。「正当な報酬水準」は人によって違いますが、私に言わせれば、それは次の計算式で求まります。
正当な報酬水準=その人の働き×その人の正当な報酬単価…①
つまり、能力がある人でも大した働きをしなければ、報酬水準は低いままですし、能力が足りなくても、一生懸命働けば、それなりに報酬はもらえるのです。
ところで、この①式には、「その人の正当な報酬単価」という変数が出てきますが、これは
正当な報酬単価=その人の潜在能力×その人のこれまでの努力×運…②
と定義できます。
②式は、その人が受け取るべき正当な報酬単価は、その人の潜在的な能力に、その人のこれまでの努力を掛け合わせて求まる、という考え方です。
たとえば、同じ仕事をずっと続けていれば、だんだんと経験が蓄積されてきます。たとえば、弁護士だと、司法修習を終えたばかりの若者と、専門分野を作って数十年、業務を経験してきたプロフェッショナルで、報酬単価が異なるのは当たり前の話です。
また、この世の中には、本当に「天才」と呼ぶべき人間がいることも事実です。18世紀の天才音楽家の1人といえばモーツァルトですが、映画化もされた戯曲『アマデウス』は、大した努力もなしに名曲を次々と生み出してしまうモーツァルトの才能を「理解してしまった」音楽家・サリエリの苦悩を描いた作品として、あまりにも有名です。
ただ、こうした本当の天才は別格として、子供時代に少しお勉強ができた程度で傲慢になり、努力を怠れば、その人の「正当な報酬単価」は下がっていきます。逆に、多少勉強が苦手でも、その後、一生懸命に努力した人は、少しずつ「正当な報酬単価」を上げていくことができます。
運の良し悪しはいかんともしがたい
ただし、②式には「運の良し悪し」という不確定要素もあります。
その典型例としては、「テクノロジーの進歩」があります。これは、せっかく頑張ってスキルを身に着けたのに、そのスキルが時代遅れのものになってしまうリスクのことです。
たとえば、「日本語タイプライター」や写植機(しゃしょくき)を扱う能力があれば、それだけで高い給料を得ることが出来ました。
しかし、1980年代以降、ワード・プロセッサ(ワープロ)や個人用コンピューター(PC)が急激に普及し始め、さらには2000年代前後から印刷機の性能が飛躍的に上昇したことを受け、こうした日本語タイプライターや写植機の技術者は、事実上、駆逐されてしまいました。
あるいは、昔のオフィスに広く見られた計算尺やそろばんのメーカーは、電卓の登場により、オフィスから駆逐され、これらのメーカーの多くも計算尺やそろばんの生産から手を引きました。
つまり、技術革新が生じれば、それまでの経験やスキルが無駄になってしまうリスクというものがあるのです。
正当な報酬以上に儲けることはできない!
いずれにせよ、人間がお金を稼ぐためには、基本的にはスキルを磨き、経験を積み、そして努力するしかありません。
もちろん、資産家になって、「利子が利子を呼ぶ」というくらいの資産ができれば、資産が勝手に増えていく、ということだってあるでしょう。しかし、自分で築き上げた資産ならともかく、親が築き上げた資産で一生安泰に暮らせるというわけではありません。親が資産家であっても、知識や知恵がなければ親が作った資産を食いつぶしてしまうという例は枚挙にいとまがありません。
さらに、日本の場合は相続税が厳しいので、どんな資産家であっても、数代も経てば、すっからかんになってしまうことだってあります。
そして、働くにしたって、正当な報酬以上に儲けることはできません。
たとえば、野球のイチロー選手のように、潜在能力がとても高い人が、とても大きな努力を積み重ねれば、とても大きな成果を上げることはできますが、それによってイチロー選手が大儲けしたとしても、それは「正当な能力と正当な努力にともなって生じた正当な報酬」です。
(この「正当な報酬以上に儲けることはできない」という原理については、経済学の知識を使い、数式などで説明することもできますが、本日は割愛します。)
この、「正当な報酬以上に儲けることはできない」という鉄則は、私が見たところ、古今東西、あらゆる場面で成り立ちます。いや、もうすこし正確にいえば、「正当な報酬以上に儲けることができない仕組み」を導入している社会こそ、うまくいくのです。
まれに、一部の国では、腐敗のあまり、権力者と仲が良ければ、それだけでお金儲けができる、という事例もあります。あるいは、能力もないのに、大富豪の子弟として生まれたがために、若くして大手航空会社の副社長に就任し、外国でとんでもないトラブルを起こした「ナッツ姫」のような事例もあります(これについては『「ナッツ姫事件」「幽霊船事件」の異常さ』をご参照ください)。
しかし、少なくとも日本社会においては、「努力もしないくせに巨額の報酬を得る」というケースは、それほど多くないように見受けられます(ただし、後述するように、皆無ではありませんが…)。
大儲けする簡単な方法
さて、お待たせしました。いよいよ、「大儲けする方法」をお教えしましょう。
ここで、「大儲け」とは、同世代の人の平均と比べて、より多くの所得を得ることと定義します。
たとえば、25歳の平均年収が400万円だったと仮定したときに、それよりも多くの年収(すなわち400万1円以上)を得ることを、便宜上、「大儲け」と考えます。
もういちど、①式と②式を見てみましょう。
正当な報酬水準=その人の働き×その人の正当な報酬単価…①
正当な報酬単価=その人の潜在能力×その人のこれまでの努力×運…②
このうち、②式については現時点で決まっているので、変えることはできません。これから努力すれば、来年以降の年収を上げていくことはできますが、今年の年収は①式で決まってしまいます。
そこで、「潜在能力」も「これまでの努力」も平均くらいの25歳の人が、400万1円以上の年収を得るためには、次の2つしか方法はありません。
- 他の人よりも努力する(①式でいう「その人の働き」で、平均を上回ること)
- ズル・不正など、努力以外のことをする(たとえばドロボーをする)
しかし、ズル・不正(つまり①式から外れた行動)は、いずれ必ず破綻します。
他人よりも「大儲け」したければ、「今働く」か、「将来に備えて勉強する」か、「一生懸命仕事をして経験を積む」か、などの方法が考えられますが、①式と②式の範囲内でできる努力をするしかないのです。
長期的には絶対に調整される
正当な努力が成り立つのが日本だが…
私の考え方が正しければ、正当な努力を続けていれば、いつか必ず報われる時が来ます。
働き始めたばかりで、キャリアが浅い人であれば、それほど給料も高くありません。
しかし、努力を続け、仕事を通じて知識・経験を蓄積し、人脈を作っていけば、年を重ねてからも、少ない努力でお金を稼ぐことができるようになります(もっとも、世の中のテクノロジーが思いのほか進歩してしまえば、自分自身の競争優位が損なわれてしまうこともありますので、それはそれで注意が必要ですが…)。
ただし、現在の日本では、こういった「正当な努力」をしていないのに、「大儲け」している人たちがいないわけではありません。
その典型的な事例といえば、マス・メディアでしょう。
私がとくに酷いと思う会社は、日本放送協会(NHK)です。
NHKの2017年3月期における単体財務諸表を見ると、全体の人件費は約1754億円です(図表)。
図表 NHKの2017年3月期における人件費
勘定科目 | 金額(千円) | 備考 |
---|---|---|
給与 | 110,930,946 | 役員報酬を含まない |
退職手当・厚生費 | 64,510,082 | 退職給付、保険料等 |
小計 | 175,441,028 |
(【出所】NHKの単体財務諸表)
一方、2017年度における職員数はNHKによると10,303人(男性8,572人、女性1,731人)で、平均年齢は男性が41.3歳、女性が37.4歳だそうです。
単純計算で、1754億円を1万人少々に支払っているのですから、1人当たりの人件費は1700万円少々といったところでしょうか ((なお、従業員1人当たりの人件費に退職給付まで含めるべきではないと言い出す人がいるかもしれないので、あらかじめ申し上げておきますが、企業会計上、退職給付費用には、一般に現在在籍している従業員に対する将来の退職給付に備えた費用計上額も含まれます。)) 。
それだけではありません。
たとえば都内に在勤するNHKの役職員の場合、一等地に建てられた社宅に格安で住むことができるという利点があると噂されています。
これについてはNHKの決算書上、必ずしも明らかではないのですが、たとえば東京都心だと、場所と広さによっては、家賃が月額数十万円の物件(つまり年間で数百万円)にも達するような物件に、NHKの役職員だと数万円で住める、という噂もあるのです ((このように、「目に見えない人件費」も含めたら、私はNHKの役職員の人件費が、事実上、2000万円を超えている可能性すらあるのではないかと考えています。)) 。
歪みは正さなければならない
NHKは番組制作予算が潤沢ですから、中には「優れた番組だ」とされるコンテンツがあることも事実でしょう。
しかし、国民から受信料という名目で事実上の税金をむしり取っておきながら、NHKの番組には明らかな虚報も多いとの指摘があるのも事実です。
NHKは放送局ですから、そのコンテンツは売り物です。そして、放送を受信する設備を設置した場合、受信料を払う義務が生じます。
つまり、どんないい加減な番組を作ったとしても、法律によりそのいい加減なコンテンツを国民に「押し売り」することができるということです。
もちろん、彼らは放送法という法律にしたがって身分を保証されているわけであり、別に何らかの犯罪や違法行為により大儲けをしているわけではありません。ただ、それと同時に、NHKの役職員が、1700万円という巨額の年俸に見合った働きをしているとも思えません。
これは明らかに社会正義に反する制度でしょう。
つまり、私に言わせれば、NHKの役職員とは、いわば、先ほど申し上げた①式によらずに(つまり正当な努力によらずに)「大儲け」している人たちの部類に入ります。そして、このような組織の存続を許せば、日本社会全体が歪んでしまうことになりかねません。
努力によらずに大儲けできる社会は滅びる
それでも日本の場合だと、このように「正当な努力をしていない人たちが大儲けしている」という事例は、それほど多くありません。経済学の鉄則に反した不当な利得をむさぼっている組織の典型例といえばNHKですが、それ以外のマス・メディア各社は、インターネット時代にあって、売上高の低迷に苦慮しています。
放っておけば、そのうち新聞社やテレビ局の中に、経営危機に陥る会社が出て来ることは間違いないでしょう。
しかし、その一方で、日本以外の国だと、努力しなくても大儲けする人と、努力してもまったく報われない人がいる社会もあります。
どこの国とは申し上げませんが、たとえば、親が金持ちなら子供も金持ち、親が貧乏なら子供も貧乏、権力者と友達なら商売もうまくいく、といった社会もあるようです。
ただ、正当な努力によらずに大儲けできるとなれば、人間、進歩が止まり、腐ってしまいます。
私は、正当な努力を評価する社会こそ栄え、正当な努力を正当に評価しない社会は滅びるしかないと考えているのです。
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以前、NHKに給与水準が高すぎるのではとメールした。その回答は他の放送局と水準を合わせたというものだった。しかし、民放は自分の力で稼いでいるのであり、NHKは受信料という視聴者からのお金で成り立っているから民放の理屈はNHKには適用できないと反論したところ、回答はそれから一切なし。ま、仕方ないね。
ところで努力して専門能力を磨くのはいいことと思う。非国民は58歳で零細企業に勤めている。技術的な問題をある上場企業の人に解決したら、なんと転職しないかときた。大手の企業は年齢でしか人を評価しないと思っていたので以外だった。大手の会社なので定年は60歳。今からがんばっても2年足らずでは成果がでないのでお断りした。
零細企業は社長の意向でみんな決まる。不要になれば明日からこなくていいで終わる。逆に有用ならいくらでも働ける。今の会社で最高にがんばったのは85歳。さすがに体力が限界で午後は居眠りだが、能力があるのでずーっと雇われていた。85歳で辞めたが3年後に亡くなった。まさに終身雇用。
< 毎日の更新ありがとうございます。
< 私が就職した頃、おおむね女子社員は数百人規模で採用されていました。男性はその三分の一ぐらいです。なぜこんなに女子を取るのか意味が分からなかったんですが、「男女雇用均等法」施行の前なので、『女性は3年前後で1回転する』ということです。長いこと居ると、上司から今ならパワハラですが、軽く「何時まで居るの?」と聞かれました。確かに総合職でない限り、「お茶くみ」とか「コピー担当」とか「灰皿掃除」(今時灰皿なんて無いですね)、「業務机拭き」など、今なら個人でするような『業務』がありました。それが主に高卒短卒女子社員の仕事でした。上の方の方は「女の子(コレも死語)は若い子でいい。慣れたら要らん文句を言い出すから」ということです。その時は酷いこと言うなと思いましたが、世の中全体がそんな感じでした。昨年まで私は現役だったので、あまり話すと支障が出ますのでしませんが、一つだけ、20~35年前に比べると、社員のロイヤリティー(愛社精神)は非常に低くなっています。昔なら「仕方がない、会社のためだからやろうか」ということは、今は一切期待しては駄目です。企業側もそれを求めなくなっていますから、処遇にドライです。勤め人はそれを敏感に察知しますので、良く言えば風通しが良い、悪く言えば「もう少し頑張ろう」と言う気は、従業員には希薄になっています。
< 私の事は未だ差し障りが多いので、息子たちの話に変えます。長男は特に会社の仕事内容は文句ないようですが、「自分の能力以上のことをさせられている」と言います。夜は遅いので、しんどそうですが、でも今のサラリーマン生活を続けるようです。ただ、同期がポロポロ辞め、学校の同窓生も転職が多い。まだ20代なので、好況の今、引く手あまたのようです。それを羨ましがっていました。
< 次男、これは仕事が続くか怪しい(笑)。一般の建設事務所勤務ですが、物足りないようです。土日祝休み、5時45分退社、給料も2年目でもいいほう。建設は好況なんですね。何が物足りないのか聞くと、「公務員になりたい」。今、勉強もしているようですが、この子は私も20代のうちは苦労すると見ていたので、「まだまだ先が長いから、ゆっくり決めろ」と言ってます。
< さてNHKですが、私にはなぜ、あそこだけが集金に来て、更に高級を得ているのかわかりません。もうNHKという組織自体、ぶっ潰して民間に変えればどうでしょう。その代りCMも入る。いわゆる民営化です。公共のうちは内部は意識変わりません。もし、公共放送が必要なら(官公庁発信)、別途電波を割り当てて、ドラマなど無くして報道のみやるでいいと思います。。
< 失礼します。
そうそう、昔の女性社員は「お茶くみ」とかがあったね。気に入らない課長には雑巾のしぼり汁を少しいれて復讐したりしていたな。女性社員の名刺も角が丸くなっていてかわいい名刺だった。ただ、戦力として採用された女性社員の名刺は角が丸くなく、もらった名刺で立場がわかった。