本日は少し時事ネタから離れ、地方出張を終えて私が感じたことをまとめておきたいと思います。
目次
なかなか暇にならない!
昔から「貧乏暇なし」といいます。
先日、私の会社は2期目の決算を締め、無事、少額ながらも納税を果たしました。ただ、この会社は、私が1人で経営し、働いている、「ワンオペ・ブラック企業」ですが、会計処理は単純であるとはいえ、普段の仕事をしながら経理事務をこなすのは、正直、事務的にきついのが実情です。
今回の決算でも、資料作成の請負、書籍の出版案件、地方出張の準備、新聞コラムの原稿など、大量の日常業務の傍ら、なんとかこなしたのですが、やはり限界を感じました。
そこで、会計事務所に経理事務と給与支払い事務をお願いすることはできないかと思い、色々と探しているのですが、最近は人材不足の折、こうした事務代行のコストも上がっているようです。
ということは、労働力不足の状況は深刻化しつつある、ということであり、これは、アベノミクスが中途半端ながらもうまく機能している証拠なのかもしれません。
地方出張から見る「シャッター街」
日本で増えつつある「シャッター街」
当ウェブサイトは「政治経済評論」と名乗っていながら、政治(とくに外交と国内政治)や金融などに話題が偏っていて、あまり経済全般の話題が乏しいような気がしていました。そこで、本日の記事は、たまには、少し硬派な経済的話題も執筆してみようという試みです。
先月私は、東京より南方と北方に、それぞれ出張に出かけて来ました。
南方に出掛けたのは11月中旬のことです。東京だと冷え込んでいる時期であるにも関わらず、この地方は非常に蒸し暑く(※現地の人に言わせれば、それでも今年は涼しいのだそうです)、お店でも冷房がガンガンに入っていて、人々も軽装で過ごしていました。
一方、北方に出掛けたのは11月下旬のことですが、すでに降雪しており、また、気温も零下となっていました。先日申し上げたとおり、私はうっかり、コートを持参するのを忘れてしまい、酷い目に遭いましたが(笑)、同じ日本でここまで気温が違うとは、ただひたすら驚きしかありません。
ところで、私は前職時代から通じて、地方都市に頻繁に出掛けます。
普段、東京で暮らし、働いている立場の人間が、たまに地方に行くと、いろいろと感じることがたくさんあります。その1つが、「シャッター街」です。
政令指定都市や大規模な道府県庁所在地であれば、街の中心部は栄えていることが多いのですが、それ以外の地方都市の場合、街の中心部にある商店街には日中からシャッターが下ろされているケースを多く見かけます。
100店舗が並ぶ商店街で、1店や2店、シャッターが下りているくらいなら、別に問題はありません。人々はシャッターが下りている店の前を素通りするだけです。
しかし、シャッターが下りている店の数が10店舗、20店舗と増えて来ると、徐々にその商店街を訪れる人が減り始めます。なぜなら、商店街に出掛けても、ショッピングを楽しむことが難しくなるからです。
そうなれば、人々が減ることで、採算が悪化する店舗が増えてきます。中には、採算悪化のあまり、廃業してしまう商店も出てくるかもしれません。
すると、シャッターを閉めて閉鎖する店舗が加速度的に増えてきて、100店舗のうち、50~60店舗、いや、70~90店舗は閉鎖され、中にはまともに店を営業しているのは数店舗に過ぎない、という商店街すら存在するのです。
これがいわゆる「シャッター街」です。
それなりに人口が存在するはずの地方都市の中心部がシャッター街になってしまうと、それは地方都市疲弊の象徴と見えてしまいます。それに、人通りが途絶えれば、治安面でも悪化が懸念されますし、街全体が劣化してしまいます。
本当に地方は「寂れている」のか?
ただ、考察がここで終わってしまっては、意味がありません。
シャッター街とは、本当にその地方が「寂れている」ことを象徴しているのでしょうか?
私は独立開業して以来、地方出張で積極的にレンタカーを借りるようにしています。そして、レンタカーで全国津々浦々を回ってみると、興味深いことがわかります。というのも、それなりの人口がある商圏であれば、街の中心部から離れた道路上に、大型小売店舗が並んでいるからです。
たとえば北日本の某市の場合、JRの駅前には、大型店舗が1~2店舗といくつかのビジネスホテルがあるものの、駅前の商店街は「シャッター街」になっています。しかし、その中心部から2~3キロ、車を走らせると、とたんに「洋服のXX」だの、「回転ずしのXXX」だの、全国展開しているファミレスだの、ショッピング・モールだのが並んでいるのです。そういえば、道沿いにはコンビニエンス・ストアも並んでいます。
ためしにそれらの1つに入ってみると、多くのお客さんでにぎわっていたりします。
ということは、街の中心部にシャッター街が出現している理由は、「その街の人口が減っているから」、ではないことは、明らかです。
ところで、私は先日の出張で、コートを忘れてしまったのに加え、ノートPC用のマウスが壊れてしまいました。さすがにこれでは困ります。そこで、ホテルのフロント人に、
「この近所でコートやPC用品などを売っている店はないか?」
と尋ねたところ、
「1キロ先にXX屋、5キロ先には大型ショッピングセンターがあります」
と言われたのです。
私はそのホテルにチェックインする際に、レンタカーを返してしまっていたので、その「XX屋」に歩いていくことにしました。
地方が車社会になっただけのこと
私は幸いにもその「XX屋」でコートとマウスを購入することができました。ホテルから「XX屋」まで、徒歩で15分くらいだったのですが、ホテルに戻るとフロントの人から、
「え?1キロ先のXX屋まで、歩いて行ったんですか?」
と驚かれてしまいました。
そう、この都市の人にとっては、1キロ先の店に行く手段は自動車であり、徒歩は一般的ではないからです。
もちろん、11月下旬とはいえ、異例にも雪が積もっていたため、非常に歩き辛かったことも事実ですが…(笑)
そこで、私自身に照らして考えてみると、東京などの都会と地方では、「移動手段」に関する考え方が、全く違うのではないかと気付きました。
東京・新宿に暮らし、働いている人間の感覚からすれば、1~2キロ程度であれば、普通に歩く距離です(※そうでない人もいるかもしれませんが…)。実際、私は休日に、自宅から新宿駅周辺まで、家族を連れてよく出かけるのですが、外出手段は常に徒歩です。ベビーカーや抱っこひもを使うこともありますが、自動車を使うことは、まずありません(というか、私は貧乏なので、自動車を持っていません)。
また、仕事の都合で出版社のある神田神保町やクライアント先がある丸の内、日本橋界隈にもよく出掛けるのですが、その際、新宿からの交通手段は、もっぱら地下鉄です。
そして、先日のように、「内幸町にある帝国ホテルの会合に参加した後で丸の内で買い物をして、日本橋のクライアントに出掛ける」というパターンのときには、時間に余裕があれば歩いてしまいます(貧乏なのでタクシーには乗りません)。
こうした私の距離感覚は、東京などの都会では一般的だと思います。
ここで、東京の地名ばかり出てきているので、少しは他の都市圏の話題も出してみましょう。
私にとっては大事なクライアントが大阪にあり、この夏は2回、大阪に出掛けました。その際も、梅田駅から淀屋橋駅まで、直線距離にして約1.5kmを歩こうかどうか、悩んでしまいました(ただし、夏の大阪は非常に暑いので、結局は地下鉄に乗りましたが…)。
また、秋には所要で名古屋にも出掛けたのですが、その際は気候も良かったため、JR名古屋駅から栄駅までの3km弱をのんびり徒歩で移動しました。
つまり、都会では、時間に余裕があれば、1kmや2km(場合によってはもっと長距離)を歩くことなど、たやすいことです(※もっとも、内幸町から日本橋まで3kmも歩くのは私くらいなものかもしれませんが…)。
しかし、地方では、いっぱんにこれほどまでの長距離を歩くことは想定されていません。
というのも、「遠方から自動車で来てもらうこと」を前提に、主要道路沿いに、駐車場を兼ね備えた大規模小売店舗がたくさんあるからです。
そして、地方の人々は、自動車を停めるのに不便な街の中心部ではなく、ロードサイドの大規模小売店舗で買い物をし、食事をするのだ、ということです。
「便利すぎる郊外店舗を禁止せよ」?
この現象だけを見ると、地方都市は、東京・大阪・名古屋などの大都市圏と異なり、街の中心部に買い物をする拠点があまりなく、自動車がないと暮らしていけない、非常に「不便な」地域であるようにも見えます(※もっとも、現地の人は、「東京と違って、車でどこにでも移動できるから、こちらの方が便利だよ」とおっしゃるのですが…)。
ということは、地方都市の中心部がさびれている理由は、ロードサイドの大規模小売店舗が便利すぎるからではないか、との仮説が成り立ちます。
そして、短絡的な思考の持ち主(たとえば霞ヶ関の官僚など)は、「ロードサイドの大規模小売店舗を法律で禁止して、街の中心部に大きな駐車場を設置すれば、それだけで地方の中心部がよみがえる」…、などと考えるようです。
「大規模小売店舗がなくなって、街の中心部に人が戻ってくるようになれば、街も活性化するだろう。」
これは、一見するともっともらしい解決策にも見えます。
しかし、それと同時に、これは100%、間違っている解決策です。なぜならば、街の中心部が寂れている原因は、大規模小売店舗が郊外にたくさんできたことではないからです。
むしろ、自動車でなければ出掛けられないような大規模小売店舗に出掛けるよりも、街の中心部に商店街が機能しいてた方が、人々にとっては利便性が高いはずでしょう。ということは、経済合理性という観点からは、シャッター街を作り出した「犯人」を特定し、その原因を除去すれば、自動的に街の中心部がよみがえる、ということになります。
「シャッター街」を作り出した「犯人」とは?
私の仮説によれば、この「シャッター街」を作り出した「犯人」とは、他ならぬ、商店街を構成する店舗のオーナーです。
では、具体的にどのようにしてシャッター街が出来上がるのでしょうか?それは、突然できるわけではありません。ある店舗が何らかの事情で閉鎖し、それが周囲に波及することで出来上がるのです。その理由とは、
「長年、商店街で店を営んできたが、年金も出るようになり、また、あくせく働かなくても食べていけるようになったから、店を廃業した。」
「商店街で店を経営していた親が亡くなり、土地建物を相続したが、自分自身は会社員として働いていて、店を経営するつもりはない。」
だいたいこの2つのパターンが多いようです。
あくまでも私の想像ですが、商店街が寂れていくプロセスとは、次の通りです。
- 100店舗ある商店街の中で、Aさんが廃業した
- Aさんの店が四六時中、シャッターを閉めるようになれば、人々はAさんの店の前を通って、寂しさを感じるようになる
- 人々はAさんの店の前を通るのを微妙に嫌がるようになる
- その結果、Aさんの店の両隣りなどで微妙に売上高が落ちる
- Aさんの「シャッター効果」により、周辺で店を閉める事例が出始める
この「Aさんが廃業する」のには、Aさん自身が老齢のため、店を続けることができなくなる場合もあれば、Aさんが亡くなり、親族がAさんの店舗を相続する場合もあるでしょう。
「うちは困ってませんから」
では、なぜAさんの店舗は、シャッターを下ろしたままになってしまうのでしょうか?
店を営業するつもりがないのなら、店を誰かに貸すなり、売るなりして、どこか他所に引っ越せば良いのではないでしょうか?
実は、ここが大きなミソですが、多くの場合、商店街の店舗は、店舗兼自宅になっています。そして、Aさんとしては、わざわざ便利な商店街から他所に引っ越すのではなく、店を閉めたまま、商店街の中に住み続ける、というパターンが1つあります。
また、相続のケースでは、Aさんの相続人は、店を処分するでもなく、他人に貸すでもなく、そのまま空き家として持ち続ける、というパターンもあります。
いずれのパターンでも、オーナーの発言は共通しています。それは、
「うちは困ってませんから」
です。
要するに、彼らは経済的には困っていないため、店を売る必要もないし、人に貸す必要もない、と考えているのです。その結果、空き店舗のまま、店が営業を再開することなく、周辺の店舗を「シャッター通り地獄」に引きずり込んでいるのです。
これは、経済学的な専門用語では「外部不経済」と呼びます。
つまり、「自分は困っていないけれども他人には迷惑を掛けている」という状態であり、これは非常に困った状況です。
周囲の人たちからすれば、Aさんの店舗がシャッター店舗になってしまったままだと、商店街のその一角の雰囲気が寂れるだけでなく、これを放置しておけば、商店街全体がシャッター街になりかねないからです。
しかし、だからといって周囲の人たちが、Aさん(やその相続人)に対し、「店を営業してくれ」「店を第三者に貸してやれ」「店を売れ」などと強制することはできませんし、そんな裁判をしても勝てっこありません。
なぜなら店はオーナーの私有財産であり、私有財産をどう使おうが、それはそのオーナーの自由だからです。
強制退去のインセンティブ
Aさん(あるいはAさんの相続人)にとっては、店を閉めたまま、そこに居住し続けるというインセンティブがあるのですが、Aさんの周辺の人々にとっては、その店が閉まったままだと、商店街が寂れてしまうというマイナスの経済効果を受けています。
そのように考えていけば、ここに行政が介在する余地が出てきます。
なぜAさん(やその相続人)が店舗を空きのままで放置しているのかといえば、彼らは別に困っていないからです。そうであれば、空き店舗を放置すれば経済的に困る、という状況を、政治によって作り出すことが有効です。
具体的には、休眠店舗に課せられる固定資産税の額を100倍(!)に引き上げるのです。
というのは極論にしても、店舗を相続した場合に、同一の事業を5年以上営めば、相続税をゼロにする、としても良いかもしれません。
要するに、
- ①店舗をシャッター店舗のままで放置すれば、そのことにより、行政上のペナルティを受ける
- ②店舗をシャッター店舗にせず、きちんと営業し続ければ、それにより行政上の優遇措置を受ける
という格好にするのが、この際、一番手っ取り早いでしょう(なお、経済学的には、上の①と②は全く同じです)。
空家問題はこれから深刻化する?
住宅でもまったく同じこと
以上の議論は、地方都市の商店街に関する考察ですが、実は、同じような現象は、地方の住宅街でも発生する可能性があります。
具体的には、両親が住んでいた田舎の邸宅を相続した場合に問題が生じます。この時に、売れるうちに売ってしまえば良いのですが、何を思ったのか、
「自分は全く困っていないから」
と言い出して、相続した自宅を売らずに、空き家のままで放置するというケースがあります。
地方都市の場合、固定資産税もそれほど高くないためでしょうか、それとも「親の想い出が詰まっているから人手に渡すわけにはいかない」とでも思うからでしょうか?
ただ、これも非常にたちが悪く、空家の状態だと、建物は意外と早く痛みます。水道管が破裂したり、窓ガラスが破れたりし、場合によっては近隣の風紀にも悪影響を与えかねません。
かくいう私にも個人的な知り合いで、そういう事例があるのですが、私がいくら「売るか、貸すか、自分が住むかしたらどうですか?」とアドバイスしても、聞く耳持ってくれないのです。
経済現象には経済政策で対応せよ!
実は、「地方のシャッター通り問題」については、「地方のゴーストタウン化問題」と並び、私にとってはライフワークの一つです。
というのも、私もこれまで、さまざまな地域の金融機関や役所の方々から事情を教えて頂いたのですが、「地方都市が寂れている原因」は、少子高齢化という「社会現象」ではなく、オーナーが経済的に困っていないという、「経済現象」であるとの確信を強めているからです。
地方都市が「寂れている」原因が少子高齢化なのだとすれば、少子高齢化を止めない限り、地方が活性化することはあり得ません。
仮に「少子高齢化がシャッター街の原因」であれば、2005年以降、大都市圏を含め、日本全体、いや人口が減少しているありとあらゆる国に、同じ現象が生じていなければ説得力がありません。
しかし、私の考察によれば、地方都市の「シャッター街問題」は、純粋に経済現象です。というのも、都会の空き店舗は固定資産税や機会損失その他の理由により、遊休地にしておくにはコストが掛かり過ぎるから(あるいは店舗営業を続けた方が遥かに儲かるから)です。
ということは、税制や行政上の措置により、その歪みを正すことができるのではないでしょうか?
もっと厳しいことを申し上げると、空家に対する、現状の税制や行政上のペナルティ措置が軽すぎるのではないでしょうか?
店舗にシャッターを閉めているオーナーは、その商店街だけでなく、さらにはその都市全体の活力を奪うという加害行為を行っているのに等しく、そうであるならば、然るべき経済的ペナルティを受けるべきです。あるいは、逆にいえば、商店街で店舗を営業しているのであれば、それに対して何らかの優遇措置を加えるべきでしょう。
「経済現象には経済政策で対応する」。
これは、政策の基本なのです。
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シャッター街が経済現象であるとの分析、興味深いです。
店舗の統合建替え、公共交通の拠点化など、商店街の機能を改善し、新規業者の誘致に繋げることも出来るはずですが、縦割り無責任行政には興味無いのでしょうか。
商店街でもショッピングモールでも税収は変わらないでしょうし
< 毎日の更新ありがとうございます。
< 私もいろいろ出張で地方都市に行きましたが、1990年辺りから特にシャッター街が増えてきたと思います。私の当時の業務から見た観点では理由は大きく2つあります。
① 大手チェーンストア(A、IY)による駅前立地の古い店舗をスクラップし、駅前ではない山の中を切り開いたような郊外型の「モール」店舗が増え、いわゆるワンストップショッピングで1日滞在でき、家族が買物に、ゲームセンターや映画やカルチャーセンター、レストランで楽しめ、なおかつ、無料の広大な駐車場を用意している。大概の場合、2核モールと言って、自分の店の魅力だけで集客の見込めるキーテナントを2つは用意してます。それは家電量販店であったり、ユ○クロ、G○、トイ○らス(ベビー○ラス)、アカチャン○ン○、巨大な本屋、ニ○リ、自転車屋、および食品の大型スーパーなどです。あとアウトレットモールや映画館、プール併設もあります。これで、ほぼお客様の要望にお応えできます。
< こういうモールは大手デベロッパーが参画するのですが、もちろん地元の駅前商店街のオーナーさんには出店のお願いをします。ところが、日本の高度成長期に十分利益を上げた、あるいは後継ぎがいない、ということで、あまり話に乗ってきません。確かに郊外のモール店舗の敷金は非常に高いです。地方なら、ビックリする値段でしょう。もし出店しても、売り上げ不振で閉店すると、高額の違約金が取られます。また家賃は売上歩合ではなく、確実に大家が取れる固定家賃です。
< こいうこともあって、東北だろうが北陸だろうが、四国だろうが地元の資本が出店しにくくなっています。勢いどこのモールも同じ店揃え、新鮮味がないのです。パっと思いつくだけでも、婦人服、服飾、アクセサリー、メンズ洋品、子供ベビー服など、○オ○のモールなどどこ行っても同じ店しか入ってない。というか、体力のない地元の店舗は入れないんです。
<② 地方は交通アクセスが極端に悪く、私の知る限り、車無しで生活できるのは、東京都内23区のほとんど、およびその周辺。埼玉、千葉などもうダメです。中部は全面的に車が便利。電車はあるが、雑な路線で金額高く、思いのほか不便。関西は京都市内、大阪市内、神戸市内は電車バスが発達、駅前はターミナルは整備されているが、郊外のモール街はマイカー必要ですね。あとの岡山、広島、山口、高松、高知、松山、徳島、鳥取、米子、福井、金沢(九州は子会社なので不明ですが、不便でしょう)は車無いとマジ生きていけません。1軒に4台5台は普通です。で、中小都市の駅前は寂れが酷いです。
< これは土地権利者が複雑で、もう一度駅前を更地にして、駅住を近くにし、駅前商店を小奇麗に、時間帯も深夜は不要だが、小型スーパー、働く世代がすぐ自宅で食べれるようなレディミール、個食に特化した店を作り、洒落た女性でも入りやすい飲食店を作って活性化を考えるべきでしょう。駅前といったらファーストフードの店かコンビニかパチ屋しかなうようでは、そりゃ廃れます。加計学園ではないが、学生さんを今治市に呼び込むのは一手だと思います。毎年新しい人が入り、確実にわずかでも活性化しますね。今や駅前商店街は特一等の土地はべつにして、殆どが寂れつつあります。また百貨店でも100万都市の商圏では1店しかもたない世の中です。皆さまご存知のように、わざわざ百貨店に行かないと買わないもの、何かありますか?今後地方百貨店は、更に淘汰されます。大手もですよ。
< 以上、失礼いたしました。
こうした構造的閉塞状況は今の日本のあちこちにありますね。
優良中小企業の承継問題や、休耕地の増加問題、放置された人工林、漁業・畜産業とかも、同様に「少子化」のロジックの中で語られることも多いと思います。
ただ出生率の向上は、問題の対応策にはなりうる可能性は有りますけど、原因を見誤った対症療法に過ぎないでしょう。
例に上げた業界の本質的な原因は、新規参入障壁の高さだと思います。
多くの人が必要以上のリスクを受けずに新規参入できる業界は、基本的に需要がある限り衰退しません。
地方の駅前商店街も、根本的な需要が極端に低下したというより、人の入れ替えによる活性を失ったとみるのが妥当だと思います。
要は、既得権益層による抵抗というか怠惰のようなものが根本原因なのだと言わざるを得ません。
…そういえば、既得権益が新規参入を阻み続けて見事に腐敗が進行したという意味ではマスコミもそうですねw
いつも興味深く拝見させていただいてますが、初めてコメントさせて頂きます。
今回のブログは納得できるところと出来ないところと・・。
まず、納得できるのは空き家問題。
これは仰る通りだと思います。ただ一点付け加えるとしたら、行政が売れない土地を欲しがらない点は重要です。わずかばかりの固定資産税が欲しいため、更地にして国に返還出来ないのは問題だと思います(最近、山陰の方で裁判に持ちかけた方が居ますね。同判決されるのか注目です)。
納得できない点と言うのもおかしいのですが、シャッター街問題。これは駅前の商店街が活性化してないといけないと言う前提が正しいのか間違えているのか私には判りません。ただ、東京に住んでる方と地方民ではライフスタイルも全く違いますし、シャッター街が本当に地方民にとって問題なのか?がポイントになると思います。地方民にとっては駅前じゃなくても郊外型の大型ショッピングセンターで満足できれば、他所の人が口出しする問題でも無いのかなとも思います。新しいバイパスなどが出来て、旧道側が廃れるのもビジネス上では仕方の無い事では無いかと。地方都市に活気を持たせ、集約されて行きやすくするのは政治家の務めでしょうね。
最後に。地方でもっと問題になるのは限界集落でしょう。ガソリンスタンドが無い、金融機関が無い、病院が無いなどなどです。で、先程の話に戻りますが、限界集落になるような土地は誰も欲しがらず、行政ですら欲しがらない。これからどんどんお隠れになる方が増える中で、行政は相続人がいる間は税金を取るつもりなのか、相続人が国へ返還するのを認めるのか?この辺りを掘り下げて頂くと助かります。
限界集落は積雪地帯では大変だよ。病人が出たときのことを考えると救急車を通すためには道路を除雪しておかないといけない。しかもそういう集落は橋があったりして、この橋もメンテナンスしなければならない。10戸を切ったら、いっそのこと都市部に同じ面積の土地と家を贈与するから限界集落からまとめてでてもらった方がはるかに低コストだ。なんなら東京23区内でもいいぞ。でも土地の愛着というのはかなり強くて、なかなか難しいんだな。
駅前の一等地がパチンコ店に占拠されているので、窮乏化策として車社会化が進んだ後に支援策をネグレクトしたのでは無いでしょうか。最近パチンコ店が郊外よりも駅前で閉店しているのをよく見かけますから。
シャッター街は消費者も困っていない。最初から買い物に行く選択肢に入ってないから。ただ、シャッター街を行政が税金を使って再興しようとするぐらい。時代の流れを変えようとしても無理だね。それにしても地方は車社会。100m先のところでも車で行く人は多い。しかし、これもしかすると状況は変わるかも。もっと高齢化が進むと肉体的に自動車が運転できなくなる人が増える。するとシャッター街も復活するかも。それともデリバリーサービスが増えて、シャッター街はますます衰えるか。どうなるかはわからない。
東北の県庁所在地に住んでいます。
そこでの駅前シャッター街の例をひとつ。
地方はやはり車社会です。そこで重要になるのが「駐車場」です。
郊外のモールなら当然のように駐車場は無料、反面、駅前繁華街近辺の
駐車場は全て有料、その料金設定も安くはありません。
一時期、自治体が、そんな駅前の一角に無料の駐車場を作りました。
ところがほどなく、その無料駐車場は無くなりました。
駅前で有料駐車場を営んでいる地主連中の、凄まじい反対があったからだと
地元住民の間では専らの評判です。
有料駐車場経営の地主連中≒駅前の店舗の経営者、です。
その意味でも、ブログ主さんの指摘なさるシャッター街「責任の所在」には、
深く頷けるところがありました。
なんとなく、最近話題になったツイート思い出しました。
https://mobile.twitter.com/housui03/status/937166256444096512
私の地元の一つにシャッター街になった理由が行政の方針という場所がありますが、多分それは珍しい例でだいたいは駐車スペースがある郊外にお店が移ってしまったからだと思います(⌒-⌒; )
いまは商店街よりは〇〇通り、〇〇ストリートとかって表現したほうが良いくらい店の並びが長い。