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SNS投稿の長さと説得力は「反比例する」という仮説

SNSの社会的影響力が増してくるなかで、政治家側もSNSを有効活用しなければ当選すら覚束ない時代になりつつあります。実際、60代や70代などの高齢層を除けば、すでに社会の圧倒的多数はオールドメディアが利用時間でネットと拮抗あるいは逆転されているからです。こうしたなか、特定政党関係者のSNS投稿の長さを眺めていてふと気付いたのが、説得力と文章の長さの関係です。やたら長い投稿を見ると、なにか疾(やま)しい事情を抱えているのではないかと勘繰ってしまうのはここだけの話です。

満員電車で自分のXポストを見て恥じ入る

インターネット環境が普及し、XをはじめとしたSNSが発達してきたためでしょうか、最近、とりわけこの1~2年で、もっぱらSNS上でさまざまな情報を得ようとする人が急増してきたような気がしてなりません。

地下鉄に乗っても、私鉄に乗っても、JRに乗っても、周りの人たちはスマホとニラメッコしているように見えますし、新幹線や飛行機に乗ると、さすがにスマホよりもPCを眺めている人の割合が増える気がするにせよ、やはり多くの人がインターネットにつながっているように見えるのです。

先日などは某地下鉄を利用した際、たまたま乗り合わせた車両が混雑していて、周囲の人と肩を寄せ合うように乗車せざるを得なかったのですが、ふと横の人のスマホ画面が目に入ったところ、山手線の駅名を冠した自称会計士のXポストを眺めていて、思わず恥じ入った次第です。

ただ、この「人々のネット利用時間が伸びている」は、決して著者自身の勝手な主観ではないと思います。

総務省『情報通信白書』などに毎年掲載されている、インターネットの利用時間に関する調査によれば、たしかにネットの利用時間が伸びていて、(70代を除く)全年代の平均だと、ちょうど2022年に平日におけるオールドメディア(新聞、テレビ、雑誌合計)利用時間がネット利用時間と逆転されました(図表1)。

図表1 平日のメディア利用時間の推移(70代除く全年代平均)

年代別にみると若年層ほど・最近になるほどネット化が進む

これについては、年代別に見てみると、さらに露骨です。60代に関しては、2024年の時点でまだ逆転が生じていませんが、50代だと両者がほぼ拮抗しており、40代だと2021年に、30代だと2020年に、そして20代と10代は2016年に、それぞれ逆転が生じているのです(図表2)。

図表2-1 平日のメディア利用時間の推移(60代)

図表2-2 平日のメディア利用時間の推移(50代)

図表2-3 平日のメディア利用時間の推移(40代)

図表2-4 平日のメディア利用時間の推移(30代)

図表2-5 平日のメディア利用時間の推移(20代)

図表2-6 平日のメディア利用時間の推移(10代)

例外は70代

巷間、よく「オールドメディアは若者から相手にされていない」などと指摘されますが、調査からは若い世代ほど早い時期からオールドメディア離れが進んでいたことが露骨に示されており、また、近年になればなるほど、オールドメディア離れが中高年層へと広がっていることもよくわかります。

なお、例外といえば70代で、いまだにオールドメディア利用時間がネット利用時間の約5.5倍であることが示されています(図表3。ただし、70代が調査対象として付け加えられ、公表されたのは最近であるらしく、少なくとも著者手元には2023年と2024年のデータしかありません)。

図表3 平日のメディア利用時間の推移(70代)

そして、メディアが実施する世論調査でも、石破茂政権時代に石破茂内閣や自民党、立憲民主党などを支持していたのが高齢層に極端に偏っていたこと、高市早苗総理大臣の支持層が若年層に極端に偏っていることは、おそらくこのメディアの利用時間と無関係ではありません。

新聞、テレビを中心とするオールドメディアが露骨に偏向報道を行い、それによっていまだにオールドメディアに情報源を依存している高齢層が騙される反面、若年層や中年層は次々とオールドメディアを見限り、結果的にオールドメディアの情報誘導に乗っからなくなっている―――、という証拠です。

いや、もちろん、これはデータの解釈の問題ですので、「オールドメディアが正しい報道を行っているのに、若年層や中年層はデマばっかり流すSNSを信じ切っている」、などと強弁する人もいるかもしれませんが、もしその場合は「なぜ若年層や中年層がオールドメディアを見捨てたのか」に関する合理的な説明がつきません。

むしろオールドメディアの報道があまりにも酷く、また、2009年の政権交代劇とそれに続く「悪夢の民主党政権」(故・安倍晋三総理大臣の言による)、さらには日常的に観察される誤報、偏向報道、印象操作、切り取りなどに人々が呆れかえっている証拠だ―――などと見る方が自然でしょう。

SNSは選挙にも大きな影響

いずれにせよ、人々がなぜオールドメディアを見捨てたのかについての解釈を議論するよりも、事実として、若年層と中年層はもうオールドメディアをほぼ相手にしていないこと、これからオールドメディア離れがおそらく50代や60代にも急速に広がっていく可能性が高いことを直視すべきです。

要するに、SNSは今後、現実の選挙にも大きな影響を与えるのです。これからの政治家の皆さんは、組織票をガッチリ握っているなどのよほどの事情でもない限りは、SNSを使いこなさなければ当選すらおぼつかなくなることでしょう。

なお、外国勢力によるSNS工作などへの懸念を表明する人も多いのですが、この点について著者としてはさほど心配する必要はないと考えています。日本国民はみずからオールドメディアの虚報と戦い続け、ここまでSNSを多用する民族になってきたわけですから、メディア・リテラシーは相当に高いからです。

余談ですが、私たち日本国民が強く警戒すべきなのは「外国勢力などによるSNSを通じたネット工作」などではなく、それよりもむしろ、オールドメディアや一部政党、さらには霞が関あたりから出てきているSNS規制論こそ、警戒すべき対象といえるのではないでしょうか。

SNS世論は誰が作っているのか

さて、それはともかくとして、私たちが暮らすこの令和8年の日本国においては、SNSを筆頭に、ネットが私たち有権者の投票行動に大変大きな影響を及ぼすことは間違いありません。

そして、ネットのオピニオンというものは、誰か特定の人がコントロールして出来上がっているものではなく、基本的にはネットで自然発生しているものです。

つまり、「ネット」というオピニオン主体が存在しているのではなく、ネットはあくまでも単なる触媒に過ぎず、実際のオピニオンは「だれか別の人」が作っているのです。

では、それを作っているのは誰でしょうか?

インフルエンサー?工作員?

敢えて著者の私見を申し上げておくならば、SNSのオピニオンを作っている人―――、それは「あなた」です。

いや、もう少し正確にいえば、「あなた自身を含めたSNSユーザー(≒日本国民のうちネットを使う人たち)の総意」が、SNSという鏡に映し出されているのです。

もちろん、インフルエンサーの発言が「万バズ」を発生させ、多くの人に支持されることがあるのは間違いありませんし、こうしたインフルエンサーは何回も「万バズ」を発生させる傾向があります。したがって、これだけを見ていたら、「万バズを発生させているインフルエンサー」がオピニオンを作っているように見えなくもありません。

しかし、この理解は正しくありません。

正直、どんなポストが「万バズ」を起こすのかについては、インフルエンサー自身にも読めないからです。

(※余談ですが、「確実に万バズを発生させることができる」という能力があれば、Xで収益化プログラムに参加するなどして、確実に儲けることができるはずですので、そのような能力を持っているならば是非とも使うべきでしょう。)

逆に、いかにインフルエンサーであっても、うっかり「炎上」する内容を投稿してしまうことだってあるかもしれません。

いわば、その人がインフルエンサーであるかどうかを決めているのはSNS空間、すなわち「SNSユーザーの塊」であり、その「SNSユーザーの塊」に受け入れられるような内容をポストした人がインフルエンサーになるのであって、結局は何が万バズを起こすかを決めているのは個々のSNSユーザーの総意なのです。

万バズとポストの長さは無関係?

さて、もうひとつ、ちょっとした気づきがあります。それは、「何か説明がつかないこと」をやっている人は、SNSでも非常に長文を投稿することが多い、という点です。

これに関連して本稿でもうひとつ取り上げておきたいのが、某政党の動きです。

某政党は最近、SNSユーザーやウェブ評論サイトオーナーなどに対し、訴訟をチラつかせながら自分たちに対する批判を鎮めようとしているフシがあるからです。著者も訴えられるのは嫌ですから、具体的な政党名を挙げることは止めておきます。

ただ、その「国民を訴える政党」の関係者が最近Xに投稿した内容を眺めていると、やはり、ちょっとした気づきが得られることも事実です。それが、やたらと長い投稿です(実例をいくつか挙げようと思ったのですが、自主規制します)。

多くの場合は、それらの投稿を読んでも、何が言いたいのかよくわからない、といったところではないかと思いますが、こうした実例から導き出せるのは、「SNS投稿の長さと説得力は反比例するのではないか」という仮説です。

実際、Xの場合でいえば、「万バズ」を起こすような投稿は多くの場合、それほど長くないことが多い気がします。

山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士のケースでも、最近「万バズ」を発生させたポストはウェブサイトに埋め込んだ状況で全文が表示されることが多いようです。

「SNSでは文章の長さと説得力は反比例する(ことが多い)」。

もちろん、例外もありますが…。

いずれにせよ、少なくとも政治家がSNSにやたらと長い文章を投稿している場合は、得てしてなにか疾(やま)しい事情を抱えていたりする可能性はないか、それが何らかの言い訳になっていないか、といった観点から眺めておく価値はあるのかもしれない、などと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (13)

  • 「長文を人に読ますには、技術がいる」からではないでしょうか。

  • 今の60代は普段から職務でPCを割り当てられていた最初の世代と思います。80年代半ばくらいにそうなり始めました。ですので、Windows95が出た時にはすでにPCソフト版ワープロを使うために自宅に私有しているのは珍しいことでなく、職場に LAN が導入されインターネット化される以前でも、帰宅後に BBS (当時パソ通とも呼ばれた掲示板投稿による情報交換)を楽しむ向きはすくなくありませんでした。モデムはよく売れてました。PC もしくは Mac なら職場で日常的に使っているからです。Win95 が日本で華々しく登場したのが 1995 年の終わり、それからもう30年も経っています。
    ですので、60代以降でPC操作やネット利用が極端に少ない調査結果に当方は不思議を禁じ得ません。職種を問わずキーボード操作するのが仕事の一部であった若い世代が今の60代のはずなのです。調査の母集団が偏っているのではないでしょうか。

    • はにわファクトリー様
       わたしは80年代初め中学生でしたが、当時はMS-DOSとFM-V(でしたっけ?)の覇権争いが決着してない時期で、マイコン各社ごとに独自のBASICを搭載してた時代です。確かにその当時の新入社員ホワイトカラーなら相応のPC(当時ならOAですか)リテラシーがあって然るべき、確かに調査母体がどうなのか怪しいですね。

    • はい。80年代半ばには若い社員も中堅社員も職場でキーボードを普通に操っていました。コンピュータが安くなり流通ソフトが増えて、清書機としてのワープロ専用機が「島の片隅に一台だけ」あって、手書きの原稿を係長なり課長なりが、物覚えの速い女子社員に命じて浄書出力させてコピー機を使わせるというスタイルがあっとゆう間に廃れて、文書は作文する社員が自分で入力するものになっていました。今との決定的な違いはネットが存在していないことですが、キーボードアレルギーがあったのは『当時の』中堅以上社員もしくは職員でした(PC9801 とそれ以外の覇権争いがソフトウェア量の差で決着がついたのがちょうどその前後でした)
      Youtube にフィルムエスト TV という人を食ったようなチャネルがあって、どうやら大阪にある MBS というテレビ局の関係者?OB?の手によるものらしいのですが、わざわざブラウン管級の荒い解像度を使って昭和の終わりもしくは平成一桁のころのオフィスや世相を再現して見せる手腕は大したものと ...

      おまうき

    • 人間の発達段階のどの時期にPC環境に接し始めたか、の違いがあるんじゃないかと思います。
      人間として出来上がったいい歳になったあとに突然現れたPC環境に、慣れ親しんで適応し自分の生活スタイルや行為態度にまで反映した人、一方で仕事上使わなければならないがために不便を感じながら耐えてきた人。
      後者は使う必要がなくなれば、いつでもPC以前の慣れ親しんだスタイルに戻るのではないかと。(いい悪いではなしに)
      個人の特性でも、機械や道具(ガジェット)に関心を持つ人、モノにはあまり関心がない人、いろいろですがそんな個人の特性の違いも影響する気もします。

      私は中高でパソ通の世代ですが、当然当時であっても、ずっと上の昭和一桁のワンボードマイコン勢とか、ツワモノは確かにいらっしゃいました。
      今の携帯スマホの社会環境で育った若者世代は、逆にそれがないと不便な人の方が多いのではないかと思います。私の周囲の若者でも、スマホの扱い方が鈍くさいとか、情弱だったりする若者は結構います。(笑)

    • なんだか皆さんのお話し聞いて懐かしくなってきました。当時I/Oだったかな?雑誌によく読者投稿の自作ゲームプログラムが掲載されてて、それを友人のFM7に打ち込み、専用デコーダーでテープにセーブしてました。
      繰り返し様々なプログラムに触れてると用いるコマンドの存在意義や処理のアルゴリズム、効率的な処理の工夫が理解できるようになりとても勉強になりました。
      こうした経験は後々になって仕事にも活きてるような気がします。
      遊んでばかりで全く勉強しないダメな少年でしたが、後から思えば遊びこそが勉強だったかもしれません。

  • 以前ブログ主さまが70文字の件でJ念さんの反応に反発していたのを思い出しました....。
    ところで私はかつて上司に、役員とエレベーターに同乗してしまった時、即ち突然の15秒間位でも自分の伝えたい事を伝えられる様に習慣づけておけ。とアドバイスされた事があります。身に付けておけば必ず役に立つであろうスキルだ、という教えです。
    私は民放を殆ど見ないのでCMに接する機会があまり無いのですが、そういう観点でCMを観れば面白い発見があるかも知れません。

    • 少しだけ補足しておきますが、迷言「140文字で説明して」を吐いたのは自称保守作家であり、しかも自分の批判者に対しては「140文字で言いたいことは尽くせない」とか反論していた張本人です。なお、上念司さんはそのときに論戦に参加し、新宿会計士の味方をしてくれた恩人です。

    • 新宿会計士さま
      記憶が混濁していたようです。大変失礼いたしました。
      今回述べたエピソードにある様に、多忙であろうにそれなりの意思疎通をするには自分自身が相応のコミュニケーションスキルを持たなければならないという経験を思いださせてくれた有意義な記事で有りました。(「あれどうなった?」に的確で簡潔に即反応みたいな)
      これからもお世話になります。よろしくお願い致します。

  • 仮説として、中道を自認する方々などは自分の認識が考え方の最上位にあって、自分の認識に合わせて事実(世界)が変わると思っている。だから常に無謬性が維持され、自分は間違ってないという前提でストーリーが構築される。
    実際には現実とのギャップが広がり過ぎて、ギャップをなかったことにするか、明らかに矛盾する言い訳をするか、論点をずらそうとする。そんな無理やりなことを常にしようとするから話が長くなりがち。
    例えば、現実に起こったことを前にして「いや自分はそんなことしていないから起こるはずがない」などと供述して現実を否定する。日常生活でもわりと現実を認めない人はいる。

    • >自分の認識が考え方の最上位にあって、自分の認識に合わせて事実(世界)が変わると思っている

      電話線が勝手な口を利くな。当方がメディア(媒体装置)たる新聞 TV の振る舞いに深い憤りを感じるのはこのせいです。

  • いつも勉強なります、確かに仰る通りだと私も思います
    レアケースは、オールドメディアが叩いていてSNSで躍進した参政党です

    「高市さんを応援したいなら参政党に」と主張してますが、高市さんが推薦する自民候補者の選挙区に「刺客候補」を送る、という言行不一致ぶり

    参政党の言い分は "自民の反高市の議員を狙い撃ちする" との事ですが、元々反自民ですし、
    そもそも自民党内での動向を知り得ない他党の党首が、"こいつは大丈夫、こいつはダメ" などと判断するとか何様でしょう
    あげく高市さんが推薦した候補にも刺客を出すとか

    これまでも首班指名選挙のとき高市さんには入れませんでしたし、予算にも反対する、
    また日本人ファーストとか言ってるわりに親ロシア反ウクライナですし高市さんとは真逆の行動

    逆に維新など「自党が出さない所は自民党の応援する」などスッキリ
    (お金がなく立てられないだけかもですが笑)

    石原さんが地上波で「自民は嫌だけど高市さんは応援したい、って人はどうすれば?」の問いに、
    「簡単です、維新に入れればいい」
    「高市さんと吉村さんは考えが同じ」と

    たしかに維新は「維新は高市さんのアクセル」、「政治家は使い捨てでいい、自党の利益より政策実現が優先」と公言してます

    自民党内の左派・反高市さん勢力に対抗するためには、高市さん自身にアクセル役がつけばいい
    結果的に、維新に入れれば高市さんの力になる、と思います

    高市さん人気を利用する「動機」には注意したいと思います
    政治屋を目指す参政党など、中革連と同じです

  • 確かに、短い投稿ほどウケるような気がします
    個人的に史上最も面白かった投稿、旧ツイッター時代の『カエルの幼虫』は丸10年以上経ってもリアルタイム検索で度々浮上し多くの人々の腹筋や表情筋を苦しめています
    関東の川で発見されたトウキョウオオサンショウウオを放射能で突然変異したオタマジャクシだと勘違いし、幼虫の人間・高校で生物を選択していないなどと更にボケを重ねたアレは凄まじかった
    何がすごいかって、未就学児でも笑えるほどネタを解する人々の割合が極めて大きいこと
    同時期の『原発○○水海洋放出反対、川に流せばいいじゃん』も秀逸でしたが、これには及ばない