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年賀状じまい加速か…個人情報保護法と消えゆく年賀状

年賀状は発行枚数も激減していますが、配達件数も激減しているようです。日本郵便が元日に公表したデータによると2026年1月1日の年賀郵便物元旦配達物数は3.6億枚で、前年比1.3億枚も落ち込みました。これにはメールなどが発達したという社会の変化だけでなく、個人情報保護法などの関係もありそうですが、いずれにせよ、あと数年で年賀状がなくなるという可能性もありそうです。

年賀状は発行枚数、配達件数ともに激減傾向が続く

当ウェブサイトで継続的に追いかけているテーマのひとつが、年賀状です。

その年賀状といえば、「お年玉くじ付き」のオレンジ色の官製はがきを思い浮かべる方も多いと思いますが、年賀状はたしかに「絶滅の危機」にあるといえるかもしれません(図表)。

図表 年賀状の状況

日本郵便の過去の報道発表などによると、その年賀はがきの当初発行枚数は、直近の2026年で7.5億枚に留まりました。2004年の44.5億枚と比べ、およそ6分の1に減った計算です。また、元日の朝に配られた「年賀郵便物」も、2009年の20.9億枚から、今年・2026年に関しては3.6億枚へと激減しています。

しかも、さらに印象的なのが、その「減り方」です。

「当初発行枚数」、「元旦配達物数」について、直近5年間の動きを追いかけてみると、その「激減ぶり」には驚きます。

当初発行枚数と前年比
  • 2022年…18.3億枚(▲1.1億枚)
  • 2023年…16.4億枚(▲1.9億枚)
  • 2024年…14.4億枚(▲2.0億枚)
  • 2025年…10.7億枚(▲3.7億枚)
  • 2026年…7.5億枚(▲3.2億枚)
元旦配達物数と前年比
  • 2022年…10.3億枚(▲1.3億枚)
  • 2023年…8.8億枚(▲1.5億枚)
  • 2024年…7.4億枚(▲1.4億枚)
  • 2025年…4.9億枚(▲2.5億枚)
  • 2026年…3.6億枚(▲1.3億枚)

(【出所】いずれも日本郵便の過去の報道発表等をもとに作成)

年賀状じまいが増えている!?

発行枚数の方に関しては、ここ5年間で半分以下に落ち込み、また、2026年に関しては2025年と比べて一気に3.2億枚も減少しており、このペースでの減少が続けば、あと2~3年で年賀状が消滅するというレベルです。

一方、元旦配達個数についても同様に、この5年間で半分以下に落ち込んでいて、2026年に関しては2025年と比べて1.3億枚も減少しているため、こちらもこのペースでの落ち込みが続けば、あと2~3年で年賀状のやり取りは終わる、という計算です。

もちろん、現実にこのペースでの落ち込みが続くわけではなく、どこかで落ち込みがマイルドになるのではないか、などとする予想も成り立たないではありません。

とくに当初発行枚数に関していえば、2025年の落ち込みは2024年の郵便代値上げという一時的な要因に基づくものであり、落ち込みはどこかで止まるのではないか―――と、個人的には考えていたフシもあります。

しかし、現実には2026年も発行枚数の落ち込みが続いており、このことは、郵便代値上げの影響が一過性ではなく、年賀状をやり取りする人自体を大きく減らしたという可能性があります。

ちなみに著者が今年受け取った年賀状は15枚、出した年賀状は17枚で、これは成人して以来、今までで一番少ない枚数です。しかも、受け取る年賀状のうち、毎年たいてい1~2枚に、「年賀のあいさつはこれで最後にします」、などと記載されているのです。

これが、いわゆる「年賀状じまい」です。

たしかに年賀状は手書きするにせよ、印刷するにせよ、投函するまでが大変な手間ですし、加齢とともに辛くなるのも間違いありません。電子メールやSNS、メッセージなどが発達しているなかで、近況報告くらいであれば、パッと送れる電子メッセージの方が気軽です。

個人情報保護法の要請

ただし、当ウェブサイトでこれまでにしばしば指摘してきた、「個人情報保護法」などの社会的な変革の影響も否定できません。

昨今だと、自宅の住所は「保護されるべき個人情報」として認識されており、住所録などを作って配布すること自体が社会的なタブーとなりつつある、というフシもありますが、昭和期、あるいは平成前期だと、学校や職場で住所録が作成されて配られるというのは一般的だったのではないでしょうか。

たとえば、学校で4月にクラス替えがあると、最初にやることはクラスメート全員の名前を覚えることであり、その一助としてクラス全員の氏名と住所と電話番号(ケースによっては誕生日まで!)が記されたリスト、さらには連絡網などが配られていたのではないでしょうか?

実際、著者個人も昭和/平成前期に学生時代を過ごしたのですが、小学校、中学校、高校ではクラス全員(と担任・副担任)の氏名・住所・保護者名・電話番号などが記載された名簿が配布されていましたし、大学のサークルやゼミでも同様でした。

嘉門達夫さんの1991年の楽曲『バイバイスクールデイズ』には「生徒名簿で君に電話」、「お父さんの名前まで覚えてた」、などとする歌詞が出て来ますが、これは当時、クラスで名簿が配られていたことを示す証拠のひとつでしょう。

また、著者が最初に就職した会社でも、職場の人に年賀状を送り合うというカルチャーが残っていました。

だいたい年末が近くなると、職場で全職員に配られている住所録を巡って、記載内容に変化がないか確認するように事務職員に求められ、その後、アップデート版が改めて全員に配られて、各人はそれをもとに職場内で年賀状を送り合うのです。

さらには、かつては日本公認会計士協会が全会員・全準会員の住所や電話番号などが掲載された名簿を作成し、郵送していました。

このあたりは平成時代に入ると会社によっても雰囲気はさまざまだったのかもしれませんが(なかにはそのようなカルチャーが早期に根絶していた会社もあります)、それでも「職場の関係(上司・同僚・部下)に賀状を送り合う」という文化は日本社会に根強く残っていたのではないでしょうか。

名簿を作れば外部流出するのは当たり前

もっとも、個人情報保護法自体が時代の要請だった、という事実も忘れてはなりません。ダイレクトメール、勧誘電話などが、社会的な問題と化していたからです。

名簿が作られると、たいていは名簿が外部に流出します。そして、その人の年齢に合わせた業者がさまざまな勧誘をしてくるのです。受験期の学生がいれば勧誘電話が頻繁にかかってきますし、ダイレクトメールもバンバン送られてきます。

ちなみに著者は日本公認会計士協会の名簿のせいで、一時、不動産業者から朝晩休日問わず自宅に電話を掛けられたため、電話番号の変更を余儀なくされたこともあります。

これが根底から変わったのが、おそらおくは2003年に制定され、2005年に全面施行された個人情報保護法ではないかと思います。

政府広報オンライン『「個人情報保護法」を分かりやすく解説。個人情報の取扱いルールとは?』によると、個人情報とは「生存する個人に関する情報で、氏名、生年月日、住所、顔写真などにより特定の個人を識別できる情報」のことです。

この法律が施行されたことで、その後は徐々に個人情報が社会全体でセンシティブなものとして扱われるようになり始め、勧誘の電話なども徐々に減ってきました(あるいは人々が固定電話を持たないようになってきたことも影響しているのでしょうか)。

いずれにせよ、個人情報保護法以降は徐々に個人情報を目的外に使用することが規制されてきたのは良いのですが、その一方で、多くの会社では下手に住所を共有したりできなくなり、「社内で職員の住所録を作成する」ことすら控えるようになったのではないかと思います。

そうなると、お互いに年賀状を送り合うというカルチャーも、自然消滅に向かうのは当然のことではないでしょうか。

新たに年賀状を送ることがなくなったのでは?

おそらく過去においては、年賀状を送り合う関係も、①現在同じ職場に属している、②かつて同じ職場に属していて、個人的に旧交を温めたくて年賀状を送っている、③卒業した学校の旧友や恩師である、④親戚である、といったケースが多かったのではないかと思います。

しかし、このうちの①や③では、現時点で多くの職場や学校で名簿が作られなくなったことの影響もあり、必然的に年賀状をやり取りするという関係に発展し辛いところです(例外は結婚式に招待されて相手に住所を渡すときくらいなものでしょうか)。当然、②の関係も成立しません。

結局残るのは④などの限られた関係ですが、これも親戚ならばむしろ年賀状ではなくウェブ通話などでお話をする、といったパターンが多いのではないかと思います。たとえば離れて暮らす親子・兄弟がウェブ通話する、といったパターンです。

いずれにせよ、さまざまな仮説は成り立ちますが、事実として日本全体で年賀状が急速に減っており、この減り方でいけば、早ければ数年後、いや、下手をすると来年を最後に、お年玉くじ付き年賀はがきの発行は終わってしまう可能性もありますし、現在のような「元旦の配達」も消滅するかもしれません。

結局、人間社会の変化はゆっくりしたものではあるものの、不可逆的なもの、つまりいったん生じた変化は後戻りしないものでもあるのです。

年賀状の消滅は、個人的にはすこし寂しいところがあると思うものの、これも時代の変化と割り切るしかないのかもしれない、などと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (4)

  •  「年賀状をしたためるのは高い教養」みたいなブランディングをすれば生き残り自体は出来そうに思えますが、事業にはなりませんね。あるいはお中元、お歳暮などと同化していくか。いずれにせよ、「残していきたい文化」として受け取られているかどうかが全てでしょうか。

     「新聞を読むのは大人の教養」「TVの情報は確か」といったブランディングに失敗(というかそもそも逆行)し、清掃用紙扱いの挙げ句「消えて無くなれ」と受け取られてしまった先例を後追いして欲しくはありません。

    • あらためて、年賀状の起源について調べてみました。

      平安時代、世話になった方や親族に新年の挨拶をして回る「年始回り」という習慣が広まりました。
      しかし、まだ挨拶に手紙を使用するのは一部の貴族で、直接会えないような遠方の方へ賀状として送っていたそうです。
      (筆ぐるめHPより一部要約)

      ブランディングとして十分素養はありますね、年賀状。
      「直接会えない方への挨拶」としての役割はSNSが代替しましたので「大人の嗜み」として。

      もしくは、
      お年玉付きなどとセコいことを言わず、お年玉付郵便葉書等に関する法律を改正、1等〇億の用意するとか。「残しておきたい文化」を捨てるということで。

  • ある手段に対し、後発の代替え手段がある上、代替え手段の方が機能的に上回るという場合、前者がマジョリティーを得るのは不可能ででしょう。しかしながら前者に機能的価値だけでなく、例えば情緒的価値があれば、情緒的価値を認める一定数のユーザーによってマイノリティーではあっても生存場所を得ることができるでしょう。
    そもそも基盤となる郵便物配達システムがあるうちは 、年賀状はそのような形で生きながらえる気がするのです。
    そこが新聞紙配達システムとの大きな違いです。仮に新聞紙に情緒的価値を認めるユーザーがある程度いても、その程度では維持費の嵩む新聞紙配達システムは維持できないでしょう。

  • 年賀状についてのコメントがなかなか盛り上がりませんねぇ
    これは多分、もう皆さんが年賀を紙で出す時代ではなくなったという認識をし、かつ実行していらっしゃるということなんでしょう。
    古希となった私の場合、「生きてるよ」ってお知らせする意味で、目上の親類・同級生・古くからの知人にやっと年末にお出しする程度です。同級生からの何通かは「生存証明」って文字がありました。

    e-mail系のご挨拶も試してはいるのですが、管理がちょっと厄介。なにかいい方法ご存知でありませんか。