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個人情報保護法で終了か=年賀状

日本郵便が今年8月に発表したプレスリリースによると、来年用、つまり2026年用の年賀はがきの当初発行枚数が3.2億枚減り、7.5億枚となったのだそうです。このペースで減り続けたら、下手をすると3年以内に現在のようなお年玉くじ付き年賀はがきの発行がなくなってしまうかもしれません。ただ、その要因としては、単なる社会のネット化だけでなく、個人情報保護法による人々の意識の変化、という側面もあるのかもしれません。

そろそろ今年もお終い…「紙」で見る2025年

気が付いたら、あと3週間弱で、今年が終わってしまいます。

読者の皆さまにとって今年がどういう年だったか、それぞれ感じるところはおありでしょうが、著者としては「年年歳歳、日が経つのが速くなっている気がする」のヒトコトに尽きます。

もちろん、著者も著者なりに毎年、ちょっとした目標を立て、それらの目標が達成できたかどうかを簡単に検証しているのですが(※ただし、その詳細を当ウェブサイトに記すことはしません)、それらをわりと長い目で見ていくと、人生を通じた「成果」のようなものが見えてくるのかもしれません。

さて、個人の人生でも結構大きな動きが生じているわけですが、これを社会全体で眺めていくと、さらに大きな動きが生じていることがあります。

著者が考えるテーマのひとつは、「紙」です。

紙は、人類の偉大な発明品のひとつであり、私たちはこの紙を使い、さまざまな工夫を続けてきました。

年賀状というカルチャー

そのひとつが、遠方に暮らす人同士が近況を伝え合う「信書」という文化です。

諸外国だと年末ごろにクリスマスカードと称して少し綺麗な紙に近況などを記した書面を取り交わすという文化が見られますが、わが国の場合も、元日の朝などに届くように、書面、すなわち年賀状を送り合うという文化があります。

著者などは妙なところでアナログな人間でもあるため、年1回くらい、年賀状をやり取りするのは悪い話ではないと思う反面、(想像するに)多忙な現代人の多くにとっては、書面で賀状を準備するのは大変な手間でもあります。

昭和の年末は、年賀状の山と格闘するという光景が、日本全国の家庭や職場のそこここで見られたのではないかと思います。

毎年年末が近づくと、大人は年賀状を何百枚も買ってきて謄写版(あるいは俗にいう「ガリ版」)を使って年賀状の文面を刷り込み、表面には分厚い住所録から1枚1枚手書きで宛名を書き込んで、それらを郵便ポストから投函していたのではないでしょうか。

普通の社会人であれば、職場の上司、同僚、部下、あるいは取引先、親戚、旧友、知人・恩人といった具合に、平均して数百枚は年賀状を投函していたのではないかと思います。

著者も昭和時代末期から平成時代初期にかけての時期に郵便局で年末年始のアルバイトをしたことがあるのですが(受け持っていたのはサラリーマン世帯が多い区域です)、ひとつの家庭に投函する年賀状はだいたい200~300枚程度だったという記憶があります。

これが時代に応じて、謄写版ではなくプリントゴッコになり、ワード・プロセッサー(ワープロ)になり、さらに平成中期ごろからはPCの利用が一般化し、エクセルの差し込み印刷機能(またはアクセスの住所録機能)などを使用して年賀状を作る人も増えて来たのではないかと思います。

(※もっとも、いつの時代にも道具をそこまで使いこなしていない人がいて、「裏も表も手書きの年賀状」というものもよく見かけたものです。)

年賀状の当初発行枚数は「右肩下がり」だった!

さて、年賀状の枚数については数年前から気になり始め、当ウェブサイトでは日本郵便のウェブサイト等をもとに当初発行枚数などのデータをダウンロードして定点観測しているのですが、なかなかに興味深いことが判明しました。

今年8月29日に日本郵便株式会社が発表したプレス・リリースによると、来年用、つまり2026年用の年賀はがきの当初発行枚数が7.5億枚と、前年と比べ3.2億枚も減ったというののです。過去の報道発表を踏まえてグラフ化すると、図表のような具合となりました。

図表 年賀状の状況

(【出所】日本郵便ウェブサイト等の公表データ等をもとに作成)

グラフは毎年の「翌年用の年賀はがきの当初発行枚数」と「年賀郵便物の元旦の配達数」を示したものです(当然ですが、元旦配達物に関する2026年のデータはまだ発表されていません)。

発行枚数については、データが存在する2003年用のもの以降で見ると、年賀状の「当初発行枚数」は右肩下がりでほぼ一本調子で減少しています。

具体的にいえば、ピークだった2004年用(つまり2003年)の発行枚数44.5億枚と比べ、2026年用(つまり今年、2025年の当初発行枚数)は7.5億枚と、ピーク時の約6分の1に落ち込んでしまったという計算です。

発行枚数が激減した理由のひとつは「ネット化」か?

しかも、2025年用(つまり昨年、2024年の当初発行枚数)は10.7億枚と、辛うじて10億枚の大台を維持していたのですが、今年は一気に3.2億枚減ってしまいました。来年と再来年も同じペースで推移すると、下手をするとあと3年後に、年賀状の発行枚数がゼロになる(かもしれない)、というレベルです。

なぜここまで激減したのか。

これも当ウェブサイトなりの仮説ですが、これには大きく2つの理由が考えられます。

ひとつは、月並みな言い方ですが、紙媒体の社会的なニーズが全体的に減ったことです。

社会全体で新聞の部数が激減しているように、あるは雑誌の取扱数が激減しているように、紙媒体そのものに対する社会全体での需要が落ちている、という可能性です(とりわけ2020年のコロナ禍期にその傾向が加速したようにも思えます)。

これは、おそらく間違いないでしょう。

世の中全体でネットが普及し、遠方の友人などとあいさつを取り交わすならば、わざわざ紙に近況をしたためるよりも、電話、メール、LINEなど、ほかにいくらでもやり方があります。遠方に暮らす親戚と会話したければ、最近だとZoomやFaceTimeなどのウェブ通話アプリなどもたくさんあります。

先ほどは個人的な感想として、「年に1回くらい年賀状をやり取りするのは悪い話ではないではないか」と申し上げましたが、これはあくまでも個人的な感想であって、世の中全般がウェブ化するなかで、大々的に年賀状をやり取りするという文化自体が下火となっていることは間違いありません。

当然、年賀状をやり取りする人が減れば、サービスもますます維持が難しくなるでしょう(2024年のはがき値上げも、それでユーザーの減少が加速したのか、それともユーザーが減ったから値上げを余儀なくされたのかについてはよくわかりませんが、これも鶏と卵のような関係でしょう)。

個人情報保護法が日本のカルチャーを変えた!?

ただ、もうひとつ指摘しておきたい仮説は、日本社会のカルチャーの変質です。

昭和・平成だと、学校や職場で住所録が作成されて配られていた、という記憶を持つ方も多いでしょう。

4月にクラス替えがあると、クラスで最初にやることはクラスメートの名前を覚えることであり、そして、たいていのクラスでは全員の氏名と住所と電話番号、ケースによっては誕生日までが記されたリストが配られていたのではないでしょうか?(これとは別に連絡網も作成されていたのではないかと思います。)

また、著者が社会人になったのは平成時代のことですが、最初に就職した会社でも、職場の人に年賀状を送り合うというカルチャーが残っていました。

だいたい年末が近くなると、職場で全職員に配られている住所録を巡って、記載内容に変化がないか確認するように事務職員に求められ、その後、アップデート版が改めて全員に配られて、各人はそれをもとに職場内で年賀状を送り合うのです。

このあたりは平成時代に入ると会社によっても雰囲気はさまざまだったのかもしれませんが(なかにはそのようなカルチャーが早期に根絶していた会社もあります)、それでも「職場の関係(上司・同僚・部下)に賀状を送り合う」という文化は日本社会に根強く残っていたのではないでしょうか。

これが根底から変わったのが、おそらおくは2003年に制定され、2005年に全面施行された個人情報保護法ではないかと思います。

政府広報オンライン『「個人情報保護法」を分かりやすく解説。個人情報の取扱いルールとは?』によると、個人情報とは「生存する個人に関する情報で、氏名、生年月日、住所、顔写真などにより特定の個人を識別できる情報」のことです。

この法律施行後は、社内で職員の住所録を作成するなどの目的であっても、下手に住所を共有したりできなくなった、という会社も多いのではないでしょうか。

そうなると、お互いに年賀状を送り合うというカルチャーも、自然消滅に向かうのは当然のことではないでしょうか。

新たに年賀状を送ることがなくなったのでは?

おそらく過去においては、年賀状を送り合う関係も、①現在同じ職場に属している、②かつて同じ職場に属していて、個人的に旧交を温めたくて年賀状を送っている、③卒業した学校の旧友や恩師である、④親戚である、といったケースが多かったのではないかと思います。

しかし、このうちの①や③では、現時点で多くの職場や学校で名簿が作られなくなったことの影響もあり、必然的に年賀状をやり取りするという関係に発展し辛いところです(例外は結婚式に招待されて相手に住所を渡すときくらいなものでしょうか)。当然、②の関係も成立しません。

結局残るのは④などの限られた関係ですが、これも親戚ならばむしろ年賀状ではなくウェブ通話などでお話をする、といったパターンが多いのではないかと思います。たとえば東京で暮らす家族が遠方に暮らす親(おじいちゃん、おばあちゃん)に電話する、といったパターンです。

いずれにせよ、さまざまな仮説は成り立ちますが、事実として日本全体で年賀状が急速に減っており、この減り方でいけば、早ければ数年後、いや、下手をすると来年を最後に、お年玉くじ付き年賀はがきの発行は終わってしまう可能性もありますし、現在のような「元旦の配達」も消滅するかもしれません。

結局、人間社会の変化はゆっくりしたものではあるものの、不可逆的なもの、つまりいったん生じた変化は後戻りしないものでもあるのです。

年賀状の消滅は、個人的にはすこし寂しいところがあると思うものの、これも時代の変化と割り切るしかないのかもしれない、などと思う次第です。

新宿会計士: