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「日本社会のボトルネック」としてのオールドメディア

一般に生産活動を妨げる箇所を「ボトルネック」と呼びますが、日本経済をひとつの工場に見立てたら、この工場における生産活動を明らかに妨げている工程があることに気づきます。そのひとつが、新聞、テレビを中心とするオールドメディアではないでしょうか。高市総理の就任前後から、まさにオールドメディアこそがアジェンダ・セッティングなどで社会的な生産活動を妨害しているとしか思えない事例がやたらと目につくからです。

産業の栄枯盛衰

ボトルネックとは?

産業やビジネスなどの世界には「ボトルネック」という単語があります。

もともとは、ビール瓶などのボトルのくびれている部分で液体の流れが悪くなることから来ている用語ですが、要するに、仕事が滞る場所のことです。

たとえば、パン工場などの流れ作業をイメージしていただくとわかりやすいのですが、ある工場ではパンは▼生地工程、▼燃焼工程、▼乾燥工程、▼加工工程、▼袋詰め工程、▼仕分け工程―――などを経て出荷されるものとします。

このとき、全自動化されていれば話は別ですが、多くの場合はどこかの工程で人の手を介在させます。

某大手パンチェーンの場合だと、食パンやチョコパン、ジャムパンやカレーパン、さらにはクロワッサンやシロワッサンなどを作っているそうですが、これらのすべてが自動化されているわけではなく、パン生地の段階でライン別に仕分けたりする作業も必要です。

当然、手際の良い人もいれば悪い人もいるでしょう。

工場全体で本来ならば1日に1万食のパンを作れる能力があるにも関わらず、どこかの工程で異常に手際が悪い人がいて、本来の半分のパフォーマンスしか出せなかった場合は、この工場はその工程のせいで、1万食ではなく半分の5,000食しか生産できないことになりかねません。

あるいは、生地工程で記事を作り過ぎ、燃焼工程で捌き切れる量を超過してしまうと、せっかく生地工程で作ったパン生地が無駄になるかもしれませんし、燃焼工程以降の工程で人が余っていたとすると、会社にとってはこれらの労働力、アルバイト代などが無駄になるかもしれません。

私たちが暮らしている社会は自由競争でボトルネックを排除する

生産活動というものは、部分的な最適化ではなく、全体の最適を発見する作業のようなものでもあります。

そして、こうした「ボトルネック」論は、製造業がわかりやすいから製造業を例に挙げただけの話であって、これはべつに製造業だけにいえる話ではありません。

じつは、私たちが暮らしている社会全体について成り立つのです。

たとえば、現代社会では私たちは大変便利で快適な生活を送っていますが、こうした生活を支えてくれているのは運送業であったり、電力業であったり、ガス業であったり、あるいは通信インフラ業であったりします。

どの産業も、基本的には私たちが暮らすこの社会をしっかりと支えるために存在しているはずであり、そのためには各産業がそれぞれの「本業」でしっかりと職務に邁進することが求められます。

ただし、私たちが暮らすこの社会は、生き物のように、日々進化を遂げていることも事実です。

工場においてはボトルネックを特定し、そのボトルネック部分の生産力を増強・拡大することで生産性を高めているわけですが、私たちが暮らしているこの社会でも、じつはある程度、こうした調整が行われているのです。

そのメカニズムが、「自由経済競争」です。

テクノロジーが進歩すれば、旧来の産業は廃れ、その産業から労働力の解放が行われるとともに、新たな産業が雇用を吸収します。

算盤メーカーの廃業、オルゴールの盛衰

かつて多数あった算盤(そろばん)メーカーが、電卓の出現により淘汰されてしまった事例などは、その典型例でしょう。いかに素晴らしい製品を作っていても、その製品のカテゴリー自体が急速に時代遅れになってしまえば、企業としての存続が難しくなるのです。

もちろん、算盤の場合は、一部の小学校では算数の授業で使われているほか、高齢者の認知症予防器具としての需要が一定数は見込めますが、それも特殊な需要であって、やはりかつての昭和時代のオフィスで見られたような「算盤パチパチ」は、現代社会ではほとんど見られません。

新たなテクノロジーの登場により駆逐された事例は、算盤にとどまりません。

たとえば、音楽という分野でも、テクノロジーの進歩は急速です。

かつて、数百年前までであれば、音楽は大変にぜいたくな娯楽であり、ごく一部の富裕層や権力層が楽しむものであって、私たち庶民が日常的に聴いたり演奏したりすることは非常に難しかったのではないでしょうか。

しかし、1796年にスイスの時計職人のアントワーヌ・ファーブルがオルゴールを発明すると、これにより「演奏家がいなくても音楽を楽しめる機械」としてオルゴールが発展。これにより音楽がいっきに庶民に身近な存在となりました。

一説によると、19世紀にはスイスの職人集団が作るオルゴールは、スイスの輸出額の10%を占めていたのだとか。

CDすら見かけなくなった現代社会

そして面白いことに、そのオルゴールもまた、新たなテクノロジーにより駆逐されます。

1877年に発明王のトーマス・エジソンが音を録音するフォノグラフを発明すると、それが蓄音機、続いて円盤型レコードの実用化につながり、19世紀から20世紀にかけてレコードの仕組みが大きく発展。LPレコード、ステレオシステム、アンプなども開発され、1960年代から70年代までに、レコード全盛期を迎えたのです。

高度経済成長期までには、日本でもちょっとしたお金持ちの自宅はレコードとラジオ、スピーカーまでをあわせたステレオセットがあったようですし、廉価(れんか)版のレコード・プレイヤーなども発売され、人々は街のレコード屋さんで新盤を競うようにして購入していたそうです。

ところが、1980年代に日本でCDが登場すると、今度はそのレコードが瞬く間に駆逐され、CDプレイヤーとカセットデッキを中心とするミニコンポなどが売れ筋商品となり、90年代にはLP盤はすっかり影を潜め、世の中の「レコード屋」で見かけるのもCDが主流になりました。

つまり、「オルゴール」→「レコード」→「CD」、という具合に、音楽を再生する機械はめまぐるしく移り変わってきたのです。

ただ、最近だとCDがすっかり廃れてしまいました。

いうまでもなく、スマートフォンやPC、ストリーミング・サービスなどが発達したからです。

想像するに、現代社会では音楽はPC、スマホで聴く人が多く、CD、LP盤などで音楽を聴く人はそう多くないのではないかと思われますし、ましてや新曲が出るたびにオルゴールをいくつも買い求める、といった人も、かなりの少数派ではないかと思います。

すなわち、算盤やCDの例からもわかる通り、テクノロジーが進化していけば、それに合わせて社会はボトルネックを自動的に経済競争で発見・特定し、進化させていくのです。

ボトルネックとしてのオールドメディア

時代にそぐわないボトルネック=オールドメディア

考えてみたら、世の中は便利な方向に進むのは当然です。

音楽の例でいえば、(音色は美しいにしても)単調でボーカルがないオルゴールよりも、ボーカルを楽しめるレコード盤、大きくて音質が安定しないLP版よりも軽く小さく持ち運びしやすくて音質も安定しているCD、物理的な保管場所が必要なCDではなく物理的媒体が不要なストリーミング・サービス…。

こうした産業の新陳代謝は、じつは社会のそこここで行われており、つい数年前まで存在していたサービスが消滅するということだって普通にあり得る話だったりするのです。

ましてや社会的なボトルネックとなっている産業があれば、私たちが暮らす経済社会は、まるで「意思を持つひとりの人間」であるかのごとく、そのボトルネック産業を切除しようとするでしょう。

では、「いま、私たちの社会から真っ先に切除されるべき「時代にそぐわなくなったボトルネック産業」とは、いったい何でしょうか。

当ウェブサイトではこれまで何回となく指摘してきたとおり、その最たる候補は、新聞、テレビなどから構成されるレガシー・メディア、あるいは「オールドメディア」ではないかと思います。

もちろん、新聞やテレビがいきなり「ボトルネック」化したわけではありません。歴史的に見れば、新聞もテレビもかつてのオルゴールやLP盤と同様、この世の要請を受けて誕生した産業だったからです。

メディアの本来の役割

ここで、マスメディアの本来の役割とは何なのかを思い出しておく必要があるでしょう。

大昔、交通手段もそれほど発達していなかった時代だと、私たち庶民は世の中で発生している出来事を知るための手段が本当に限られていました。一説によると、古代の人々が一生涯で入手する情報は、現代の私たちが1日で目にする情報と同じなのだとか(※といっても、この話自体、出所はよくわかりませんが…)。

こうした時代だと、遠方で何が発生しているのかを、人々は「知りたい」と思ったでしょうし、生まれ育った村落から一歩も外に出ず一生を終えるような人々にとっては、たまに村落にやって来る旅人がもたらす情報が貴重だったのではないか、といった仮説も成り立つところです。

近代に入ると鉄道などが発達し、私たちのような一般庶民であっても、徐々に旅をすることができる時代となって行くわけですが、それでも全国で、あるいは全世界で何が起きているのかを一般庶民が知ることは難しかったのです。

こうしたなかで登場した新聞は、遠くで発生した事件や出来事を庶民にわかりやすく知らせてくれる貴重な手段であり、しかも「活字」という、私たち一般庶民にとっては、おそらく一生涯において使うことがないであろう便利な道具を駆使して作られた、まさに文明の産物だったのではないでしょうか。

時代が下り、ラジオやテレビなどが登場すると、新聞の相対的な地位は下がっていくことになるのですが、それでも新聞社は論説などを通じて社会全体に強い影響力を及ぼし続けましたし、とりわけテレビは人々にとっての日常的な娯楽を提供するとともに、世の中の出来事をニューズ番組でわかりやすく伝えてきたのです。

高市内閣発足以降目立ってきた弊害

しかし、こうした新聞、テレビの情報独占が、大きな弊害となって、私たちの社会に停滞をもたらしつつあるのではないでしょうか。

とりわけ10月21日に高市早苗内閣総理大臣が就任して(あるいは同月4日に高市氏が自民党総裁に選ばれて)以来、こうしたオールドメディアのボトルネックぶりが、酷くなってきたのです。ここ数週間、オールドメディアの報道を眺めていて、切にそう思います。

なぜなのか。

読み手に「ファクトチェック」強いるオールドメディア』なども含め、最近当ウェブサイトで頻繁に問題提起している通り、オールドメディアの報道は、ちょっとファクトチェックすればすぐにわかる程度にはおかしなものが非常に多いからです。

著作権法などに抵触する可能性があるため、あえて該当するリンクは示しませんが、Xではこんな趣旨のポストが非常に拡散されているようです。

世界中を見渡して日本ほど中国ともめている国はない」。

これは、とあるテレビ番組で出演者が言い放った発言だそうですが、この短い文章に、現代のオールドメディアの問題点が凝縮されています。

「中国ともめている国」、パッと思いつくだけでも▼ベトナム(過去には中越紛争などの武力衝突もあり)、▼インド(印中国境紛争などの武力衝突あり)、▼フィリピン(南シナ海で現在進行形でトラブル)、▼リトアニア(中国が禁輸措置発動)―――など、いくらでも事例があるからです。

ファクトチェックですぐバレる時代に!

以上の例でもわかる通り、現在の新聞、テレビは、(社にもよりますが)記事が出た瞬間、あるいは出演者が何か音声を発した瞬間、ネット上であっという間にファクトチェックが行われ、認識がおかしなものに関してはあっという間に批判が殺到する時代となりました。

ネット環境を持たない一部の高齢者ならいざしらず、現代社会では、とくに現役層・若年層は圧倒的多数がスマートフォンやPCなどでネット環境につながっており、したがって、なにか「おかしい」と思ったら、その瞬間、検索できる状況にあるのです。

こんな状況で一般の読者、視聴者を欺くかのコンテンツを平気で垂れ流している一部の社の報道姿勢は、本当に不可解極まりないものです。

これからの課題と予測

今でも強い影響力

ただ、新聞、テレビの社会的影響力は、これから急速に低下していくというのが著者自身の持論ではあるにせよ、やはり、現時点においてはまだオールドメディアの影響力は根強いのが事実です。

オールドメディアの変な報道がネットで叩かれるようになったことは間違いないのですが、ただ、それでもやはり、まだメディアの報道が議論の出発点となることも多く、必然的に、メディアが報じるべきを報じなければ、議論の出発点が定まらないことだってあるのです。

正直に申し上げますが、著者自身は高市早苗総理大臣、あるいは高市内閣を「どちらかといえば」支持している立場ではあるにせよ、基本的には政策を見て是々非々で判断しているつもりです。

高市内閣のスパイ防止法に向けた取り組みを筆頭に、社会の安全保障を高めようとする動きは非常に高く評価できるものですが、それと同時に現代の日本が抱える深刻な問題、とりわけ「税・社保取り過ぎ問題」に関しては、その取り組みは(まったくダメというわけではないにせよ)著者から見るとまったくもって不十分です。

したがって、高市内閣を「外交・安保面からは評価できるが減税・社会保障改革という観点からはまだまだだ」、といった視点で評価したいと思っている次第です(※これはあくまでも著者の私見であって、客観的事実ではありません)。

ただ、(とくに一部の)オールドメディアの高市内閣に対する報道が、「中国様を怒らせた!」「中国人観光客が来なくなると日本経済は大変なことになる!!」、といった具合に、客観的な統計データなどの裏付けを欠き、いたずらに恐怖を煽るようなものであることは、やはり大きな問題です。

まずはそこから否定しなければならないからです。

オールドメディアが生産性を下げるボトルネックに!

これ、社会全体を「日本経済」という「ひとつの工場」とみなした場合に、「情報の伝達」を担っている工程が機能不全を起こし、「日本経済」という「ひとつの工場」における能率を大きく引き下げ、生産活動の著しく妨げているのだ、という言い方ができるのではないでしょうか?

オールドメディアはアジェンダ・セッティングも客観的事実を正しく把握することも適切にできておらず、分析もデタラメで結論もデタラメだからです。

つまり、オールドメディアはデタラメなアジェンダ・セッティング、デタラメな分析、デタラメな結論で日本社会の生産性を大きく引き下げる「社会的ボトルネック」と化しているフシがあるのです(すべてのメディアがそうだとは申し上げませんが)。

もちろん、現代の日本人は賢いので、こうしたデタラメなマスコミ報道に騙されて意思決定を誤るという2009年のような愚を犯す心配はないと信じたいところですが、肝心の自民党が2024年の総裁選で、おそらくはマスコミ報道を鵜呑みにするかたちで「選んではならない禁忌肢」を選んでしまったことは忘れてはなりません。

それに、中国の日本に対する非常に厳しいレトリックも、もとをただせば野党・立憲民主党の岡田克也衆議院議員の国会質問と、それを報じた一部メディアの見出しなどが原因である、といった可能性が指摘されています(著者などはこの説を支持しています)。

国益にならない質問をするような政党を最大野党にしてしまっているのも、直接的な責任を負うべきは私たち有権者(日本国民)ですが、その私たち日本国民の投票行動に「報道」という形で間接的に影響を及ぼしているのはオールドメディアでもあります。

さらには、「国の借金」論や「悪い円安」論、「プライマリ・バランス」論のような、経済的に見てデタラメと断じても良いレベルの言説を垂れ流しているのも、出所を辿っていくと、たいていの場合はオールドメディアだったりするのです。

だからこそ、やはり私たちが暮らすこの社会は、いずれオールドメディアからアジェンダ・セッティングの機能を奪う必要があります。

日本社会はボトルネックを自力で排除するだろう

といっても、日本には言論の自由がありますので、オールドメディアから情報発信機能を「法的に」奪うことなどできませんし、それはすべきではありません。ここでいう「アジェンダ・セッティング機能を奪え」、というのは、あくまでも「私たち国民が賢くなること」を通じて達成すべきものです。

もっといえば、ネット上にもっと多くの論者が拠点を構え、XなどのSNS、あるいはブログやnote、ウェブ評論サイトなどの手段で、各人がマスメディアを上回るクオリティのアジェンダ・セッティングを行うことで、オールドメディアのアジェンダ・セッティングの価値を下げるべきなのです。

いや、「~べき」、という話ではありません。

おそらく、ごく近い将来、そうなります。日本社会は、オールドメディア、とりわけ一部のとくに質の悪いメディアを、自力で排除するでしょう。

すでに現代の現役層の人々は、X、YouTube、Yahoo!ニュースなど、情報源を多角化しつつあり、また、各人がそれぞれ自分の判断において、「インフルエンサー」などの信頼できる情報源を見つけに行っているという状況にあると考えられるからです。

もちろん、すべてのインフルエンサーが適切なアジェンダ・セッティングを行っているわけではありませんし、中には●●●●●氏のように、明らかにオールドメディアに勝るとも劣らないほどに有害な情報を垂れ流しているインフルエンサーもいます。

ただ、これも私たちの社会が払うべき「言論の自由」というコストの一種です。

著者は言論については「厳選された一部のエリート」だけが情報発信すべきものではないと考えており、玉石混交、さまざまな情報発信者がさまざまな立場からさまざまな説を唱え、最終的に生き残った言説が日本国民の総意となる社会が理想だと考えています。

増税が良いのか、減税が良いのか。

改憲が良いのか、護憲が良いのか。

緊縮が良いのか、拡大が良いのか。

原発が良いのか、太陽が良いのか。

政策にはさまざまな方向性があり、それぞれに理由があるわけですから、Xなどの言論空間で各人が自分たちの意見を理由付きで展開し、最終的に最も多くの人に支持された言説に近いものが現実のわが国の方向性を決定していくべきです。

決して多くの国民の支持を得ていない野党の主張、あるいは国民から選ばれたわけですらないメディア記者の主張などが国の方向性を決めていくべきではありませんし、ましてや国民から選ばれていない官僚がメディアを使ってこの国の世論を支配する試みは絶対に許してはなりません。

その意味では、高市総理の登場は、日本の言論空間を変えるきっかけとなったことは間違いありません。

中国政府の強硬な主張を後押しするかのごとき一部マスコミの「台湾答弁を撤回すべき」とする主張を、現在の日本政府はまったくと言って良いほど取り合わず、これを受けて日本国民も4分の3前後が高市内閣を支持しているという状況―――。

これこそまさに、オールドメディアというボトルネックを切除する動きそのものではないかと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (28)

  • 技術革新を含むマーケットが変化しているので、「変化への対応」を行って、自ら変化しないと更に厳しい状況に直面するのではないでしょうか。オールドメディアと中国。両者ともにマーケットにどのように対応するのか、興味深い論点です。オールドメディアの方は、現在のインターネット革命にどう対応するのか。経営者の知恵が試されているのですが、表面上は、新聞社の不動産屋への変化くらいですかね。水面下で試行錯誤出来ているのか。やってなさそうです。

  • まーコレマデ“上から目線で”“民意”を誘導して社会のアレコレを差配してきたと云う強烈な自負を意識無意識問わず纏い漂わす業界人士がソー簡単にクルクル変身でけんやろね
    知らんけど

  • 早朝移動中に見かけた風景に『朝刊の死』を見た。
    片方はマクドでした。市内中心部のその店は早い目の時刻に家を出て職場へ向かったひとたちが朝食ついでに時間調整していました。4人が読書をしていました。このごろあまり見かけることがなくなった光景です。読むつもりだった書籍をカバンに入れて時間つぶしに読む。昔は普通でしたが、ご存じのように滅多にない。知的な印象がしました。ひとりは速読をしているのか付箋を貼りながらページをめくっていました。
    5人目のかたは不思議でした。彼はペン型デバイス(スタイラス)で平たく置いた薄型ディスプレィにせっととメモ書きのようなことをしている。傍らに開いた図書があり、おそらくはある種の検定試験のための学習をしているのかと当方には思えました。メモ書きにあとで目を通せば、図書で読んだことの要点が思い出せる。学習スタイルの王道をトレースしてます。そして、当方がいた間のマクドで朝刊を開いて読んでいる客はゼロでした。
    もうひとつはドトールでした。ラッシュアワー混雑を避けるため、同じく早め時刻にオフィス近くに移動したオフィスワーカーでびっくりするくらいに満席でした。肩を狭めながら朝刊を開いているひとが数人『だけ』いました。残りのほぼ全員は、まるで不要なトランプ札を捨てて行くかのように、自分の気になる情報が目に留まるまで、親指を使ってするするとスクロールしていました。これも今では日常的光景です。
    これが現実です。もう新聞朝刊にメディアとしての居場所はない。
    印刷業から早く決別しないと損金が拡大する、カネ失いビジネスを盾に報道の王者をいつまで続けるのか。サブスク願望はものになるのか? 買ってもらえる商品を創造するのは事業者側、買うに値するかを決めるのは読者です。

  • 部分に反応します。

    >それに、中国の日本に対する非常に厳しいレトリックも、もとをただせば野党・立憲民主党の岡田克也衆議院議員の国会質問と、それを報じた一部メディアの見出しなどが原因である、といった可能性が指摘されています(著者などはこの説を支持しています)

    私も今回の中国火病の作用機序はそれだと思っています。朝日の釣りタイトルに釣られた石鹸総領事が過剰表現のツイートをした。それが世界中の誰の目に見ても明らかに外交官としてはマズい発言だった上に世界に拡散してしまい(駐日大使も参戦)、中国外交部が外交的失点を覆い隠すために論点ずらしの火病を起こして今に至る。朝日の釣りタイトルの元を作ったのは立憲岡田氏の釣り質問。特定野党→オールドメディア→特定アジア国のいつものサイクル。
    これらがなければ今の中国発狂状態は起こらなかった可能性があると思っています。

    しかし、youtubeの国会ネタがものすごく多いのですが、立憲は扱いがボロボロですね。(笑)
    普段国会を見ない人々が立憲の「いつもの姿」を見て呆れているんだろうと思います。
    内閣支持率の高さや質の激変も2012年政権交代と似てますよね。自民党下野はなかったものの、今は同じことが起こっているのかもしれませんね。

    • 書き忘れていましたが、自分たちに非があると別の論点を持ち出して反撃するのは特定アジア国の十八番ですね。半島隣国を見てるとそればっかりです。
      最近は大陸隣国も愛国教育で西朝鮮化が進んでいるそうです。

      • “小中華”お得意の『DD論』にまでは突入せず踏み止まっとるアタリはサスガニ“大朝鮮”といったトコロでせうか?
        まー“謝ったらシヌ”度は半島より大陸のほうがいくらか?高いンでショーな
        知らんけど

    • 私も同じ意見です。

      元をただせば、岡田氏の国会質問が原因ですが、言うても国会での質問だし、高市総理の答弁も旧来の日本政府の立場を踏襲した普通のものでした。

      薛剣総領事の発言は褒められたものではないですし、許されない事ですが「カッ!」となって思わず言ってしまった!、という意味では気持ちも分からなくはありません。

      やはり一番ダメなのが、高市総理の発言を捏造して掲載した朝日新聞が一番の諸悪の根源だろうと思います。しかも、シレッと記事を修正して知らんふりとか、新聞社の風上にも置けません。この捏造が無ければ、薛剣総領事もあんなツイートをすることもなかったんじゃないかと思います。

      経済的損失とか、いろいろ言われてますが、全部朝日新聞に請求すればいいと思いうし、中国は朝日新聞に謝罪を求めるべきだと思います。

      • まー、石鹸氏は普段から行きすぎ表現ツイートの常習者でしたけどね。口だけ戦狼外交官。普段からレッドライン越えまくってるからどこが線だかわからなくなってて今回の炎上も「なんで?」くらいに思ってるかもしれません。
        みんな優しい日本の駐在じゃなかったらあの戦狼外交はできなかったと思います。
        あのツイート騒ぎがなきゃ、高市答弁へも外交部報道官の「遺憾砲」くらいで終わりだったかもと思います。

        • 頑なに石鹸氏なのが笑えますw 泡立ちそうです。

          > 石鹸氏は普段から行きすぎ表現ツイートの常習者でしたけどね。
          そうだったんですね。
          じゃあ今回の件も狙ってやった可能性もありますね。

          歴史にIFはないですが、そうは言っても朝日新聞の捏造がなければ・・・とは思わずにはいられないです。

          > あのツイート騒ぎがなきゃ、高市答弁へも外交部報道官の「遺憾砲」くらいで終わりだったかもと思います。
          そうですね。こんな騒ぎにはなってないと思います。
          そう言う意味でも朝日新聞は罪深いです。

    • >特定野党→オールドメディア→特定アジア国のいつものサイクル。
      特定野党の手前に特定アジア国からの働きかけがあったんだろーなぁ、と思ったりしています。
      岡田さん、一族で色々あるみたいですし。
      オマケに
      >自民党下野はなかったものの、今は同じことが起こっているのかもしれませんね。
      ゲル氏自民党総裁&首相は事実上の自民党下野だったのでしょうねぇ。
      いづれにせよ、特定アジア国が何かを企てているからこそ「可燃物注意」の状態でありあっという間に引火した。ということのでしょう。

      •  岡田氏は日中友好議連の副会長なんですね。なるほど。
         石破は、「私は後ろから撃っているのではない。戦前に物言う人がいなかったから戦争につき進んだ」みたいなことをどっかのラジオで言ったそうてすが、この方のままだったら日本はチベットになってたかもですね。

  • オールドメディアは考え違いを続けている。
    出版型・放送型の情報流の原点頂上にする君臨する存在と自負して来た。実際そうだった。
    21世紀が始まって四半世紀経ちました。こんにち情報の流れは出版型・放送型ではなくなってしまっている。スマホの画面に見えているもの、ブラウザの画面に見えているものが、隣り合わせに座っているふたりの人で違っているのは当たり前なのです。これが出版物が社会を形作って来た時代、TV 放送が社会を形作って来た時代との違いです。誰もが一斉におなじものを見つめていた『放送型社会』は崩れて、『P2P型情報流社会』に組み替えられてしまったんですね。
    本当にしみじみします。

    • 紙面構成(新聞)番組編成(TV放送)に意味はない。
      そんなもの(オールドメディアにとっての商品)は、ばらばらに分解されてまった。
      読者側視聴者側の検索行動および再生履歴をもとにしたおすすめ一覧アルゴリズムによって、ひとりひとりがまったく別なものを見続ける時代になっている。ということです。

  • 「流行語大賞 オールドメディア」でググってみました。
    取り上げた新聞社は産経新聞、毎日新聞、スポーツ報知、日刊スポーツといったところの様子。雄である朝日新聞はこの語は記事に挙げてないで無視している様子。報道しない自由を謳歌しているようです。
    一方で毎日新聞は取り上げてはいるものの、見出しからして「流行語大賞にオールドメディア SNSの熱狂に流されず見分ける力を 2025/12/1 17:58」。客観的事実ではなく主観の報道に主眼をおいている様子。
    あぁ平壌運転だなぁ。と思いました。

    • 見分ける力がついちゃったから、オールドメディアは要らない札として捨てられたんですね。

    •  一方的に押し付けられて何も出来ないオールドメディアの熱狂よりは、どうにでもなるSNSの熱狂を選びますなぁ。
       彼らの論理はいつも、「ネットは◯◯だから悪い」しか説明せず、「だからオールドメディアはこんなにも優れている」という事を言わない、言えないんですよね。性能はもうしゃーないから、ボトルネックではなく優秀なフィルターであることを証明してくれれば良いだけなのですが。現状明らかに無い方がマシです。

  • (オールドメディアに限らず)他のところがボトルネック集団であることは分かっても、自分達がボトルネック集団であることは認めないのが、人の性ではないでしょうか。

    • もし、オールドメディアが日本社会のボトルネック集団で、(本人に)その自覚がないのなら、オールドメディアを捨てるしかない、という結論になるのでは。

  • オールドメディアは日本にとって「ボトルネック」どころか「害虫」「疫病神」「猛毒ウイルス」ですね。 >記事を作り過ぎ<「生地」ですね。尤もオールドメディアは「記事の捏造」に躊躇無いですが。

  • おやーん、あそこにはキンコーズがあったはずだが。
    知り合いが指定して来た待ち合わせた場所がアクセアという当方の知らない店舗で、アプリ登録制のコワーキング施設であったことは到着してから知りました。交流サイトを兼ねている(らしい)アプリは今は登録を先送りしています。

    • 誤爆しました。雑談投稿専用ページへ投げ入れるつもりでした。

  • そう言えばCDより後に誕生したMD(Mini Disc)はどこへ行ってしまったのでしょうかね。
    実際にMDによるアルバムも発売されていたみたいですが、普及はしなかったみたいです。
    私はMDやMDプレイヤーを持っていますが、今は全くと言ってもいいくらい使っていません。

    • ソニーさんが関わった独自性の高いメディアは数多くあり、その多くは撤退されてしまい死屍累々です。
      ベータカセット、Lカセット、デジタルマイクロカセット、R-DAT、MD、メモリスティック、まだありそう。。
      光学系のマウント規格でもありそうな予感。。
      そういう文化なんでしょうねぇ。

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