「指鹿為馬(しろくいば)」という故事成語があるそうです。国際基督教大学(ICU)のスティーブン・R・ナギ教授によると、これは古代中国で鹿を「馬」だと言い張り、真実を語る者を粛正した話からきているのだそうですが、現在の中国による日本への攻撃が、まさにこの指鹿為馬そのものです。ただ、日本の左派メディアや中国政府が一生懸命に日本を批判しても、日本の世論はまったく動じなくなっているようにも見えます。なぜでしょうか。
内閣支持率横ばい=毎日新聞世論調査
ふだん、当ウェブサイトでは毎日新聞による世論調査を話題として取り上げることは多くありませんが、本稿ではその例外として、こんな記事を取り上げておきたいと思います。
高市内閣支持65%横ばい 高支持率を維持 毎日新聞世論調査
―――2025/11/23 15:47付 Yahoo!ニュースより【毎日新聞配信】
毎日新聞は23日、同社が11月22日から23日にかけて実施した全国世論調査で、高市内閣の支持率は前回(10月25~26日)と同じ65%、不支持率は前回(22%)から1ポイント増えて23%だったと報じました。
調査の実施要領等についてはリンク先記事で直接ご確認いただきたいのですが、それにしても印象的な調査結果です。ここ数日の「中国騒動」(?)にもかかわらず、支持率が顕著に下がっている形跡が見られないからです。
当ウェブサイトで常々指摘しているとおり、著者自身はメディアが実施する世論調査には全幅の信頼を置くべきではないと考えており、また、世論調査を「国民の考えを知る手段」として利用する場合は、少なくとも複数のメディアの調査を用いるべきだとも考えています。
ただ、少なくとも毎日新聞の調査では高市内閣の支持率が顕著に下がっていないという事実は、本稿で論じるメディアの社会的影響力の低下という観点からは、非常に大切な着眼点でもあるのです。
メディアの不正確な報道
マスコミが「マスゴミ」と呼ばれるゆえん
本題に入りましょう。
新聞やテレビに代表されるマスコミ/マスメディアのことを、インターネット上では「マスゴミ」などと呼ぶ人がいます。
あくまでも個人的理解に基づけば、「マスゴミ」とは「ゴミのような情報を垂れ流すメディア」に対する怒りと侮蔑(ぶべつ)を伴い、自然発生したネットスラングですが、さすがにウェブサイトの品位を保持する観点から、この「マスゴミ」という用語については積極的に使用しないように努めてきたつもりです。
ただ、なぜこの「マスゴミ」という用語が自然発生したのかについては、少なくとも認識を共有しておく必要があると思います。
当ウェブサイトでもこれまでしばしば取り上げて来たとおり、新聞、テレビを中心とするオールドメディアの誤報、不正確報道などは、例を挙げたらキリがありません。代表的なものとしては「サンゴ・慰安婦・吉田調書」などが知られていますが、それだけではなく、某紙なども、なかなかに印象的です。
大手企業同士の経営統合に関する誤報
2005年ごろ、「三井住友銀行と大和証券グループ本社が経営統合する」とする報道。以来約20年が経過したが、2025年11月現在において両社が経営統合したという事実はない
富田メモ事件
2006年ごろの「昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に強い不快感を示していた」とされる「富田メモ」報道。報じた社は「メモを遺族から入手した」などと述べているが、それにしては全文がいまだに公開されておらず、メモが本人によるものかどうか、第三者による客観的な筆跡鑑定などの検証すら受けていない
「時価会計停止」誤報事件
2008年10月17日に発生した『時価会計 一部凍結へ/地域金融機関健全化へ「劇薬」 金融庁、適用時期など焦点に』などとする誤報事件。日本公認会計士協会が即時に報道を否定したほか、そもそも会計基準設定主体は金融庁ではないという初歩的事実を誤っている
サマーズFRB議長報道
2013年9月13日、米国の中央銀行に相当する連邦準備制度理事会(FRB)の次期議長にローレンス・サマーズ氏を指名することで最終調整中、などとする報道がなされたが、実際には次期議長にはサマーズ氏ではなくジャネット・イェレン氏が就任した
…。
メディア報道で政権交代が生じた日本
これらは、メディアによる「正確でない報道」のほんの一例ですが、それだけではありません。
こうした正確ではない報道の極致にあったのが、2009年のオールドメディア業界による政権交代扇動事件でしょう。
数年前の『先祖返りする立憲民主党、今度の標語は「変えよう。」』などでも指摘しましたが、当時の新聞、テレビなどのマスコミ・マスメディアは「政権交代」を煽るかのような報道を行い、それにより現実に少なくない有権者が民主党に投票。
民主党が圧勝して自民党が惨敗し、政権交代が実現したのです。
日本の衆院選では「小選挙区制度」と呼ばれる制度を採用しているため、ほんの少しの得票差であっても、その選挙区内で1位を獲得した候補が議席を得て、そうでない候補は落選を余儀なくされます(比例重複立候補という仕組みで若干の救済措置はありますが…)。
こうした選挙制度が圧倒的な議席差をもたらすのですが、民主党はこれにより、当時の定数480議席のうち308議席という圧倒的な議席を得て政権を奪取したのです。
この2009年の事例はやや極端なものといえるかもしれませんが、それでも過去の選挙において、明らかにオールドメディアの報道内容が有権者の投票行動に影響を及ぼしてきたという事例は多く、日本の民主主義は、いわば「メディア民主主義」の様相を呈していたのではないでしょうか。
メディア報道はなぜ不正確なのか
さて、余談ですが、少し細かいことも指摘しておきましょう。
2009年の政権交代報道は論外として、それ以外にも「シャレにならないレベルの誤報(あるいはその疑いが極めて濃厚な報道)」がオールドメディア業界からしばしば出てきているという事実は、やはり、オールドメディア業界自体に問題がある証拠に見えてなりません。
そして、これは普段からの報道姿勢でも明らかといえるかもしれません。当ウェブサイトでもときどきボヤくのですが、一例を挙げると、オールドメディア報道では、「正確な名称」が割愛されることがものすごく多いからです。
たとえば、「法令の正確な名称」、「ネット番組の正確な名称」、「政治家のフルネームと現在の正確な肩書」などが抜けていたりしますし、(『産経の記事が「新宿会計士」のXへのポストを引用か?』などでも触れた通り)酷い場合はネット空間の情報を、情報源を隠蔽したままで報じることすらあるのです。
いずれにせよ、日本のオールドメディアがオリジナルコンテンツへのリンクを示さないという傾向があることは間違いありません(これは新聞などの紙面に印刷するスペースを節約するという目的でもあるのかもしれませんが…)。
専門情報の間違いは頻発している
余談はさておき、オールドメディアが誤報、捏造報道、虚報、偏向報道などを繰り返す理由は、よくわかりません。
著者などはビジネスマンでもあるため、どうしても産業論という立場からは、「メディア産業にとっての『製品』は『正確な情報』であるはずであり、メディア産業が最も重視しなければならないのは『正確な報道』であるはずだ」、などと考えてしまいます。
こうした考え方からすると、不正確な報道を垂れ流せば垂れ流すほど(そして不正確な報道を垂れ流してもそれらを謝罪や説明もなしにシレッと撤回したりすればするほど)、オールドメディア業界自身が消費者(=一般国民)からの信頼を失うことになるのは自明の理だからです。
しかし、いずれにせよ、「日本のオールドメディアの報道内容が不正確である(ことが多い)」、という点についてはおそらく間違いない事実であり、そして、こうした状況が存在していること自体、私たち一般国民としては、本当に困惑せざるを得ません。
とくに当ウェブサイトの著者のような専門家だと、専門情報に関する不正確な報道のせいで業務が妨害されるという被害をしばしば受けています(詳しくは申し上げませんが、今年も某新聞のせいで著者はかなり迷惑をこうむりました)。
また、著者の場合だと専門家ですので、某新聞の不正確報道については「この記事は会計基準の第●項の記述に照らして誤りです」、と即座に反論することができますが(反論を作るのに時間が浪費されるという点は脇に置きます)、そうでない場合は、誤った記事を信じてしまい、思わぬ損害を発生させることもあります。
とくにマスメディア業界が、それこそ「業界を挙げて」不正確な報道に徹した結果、2009年には政権交代が発生し、「素人集団」である民主党が政権を担ったことで日本がメチャクチャになったことを忘れてはなりません。再エネ賦課金導入や年少扶養控除廃止に関しては、個人的には絶対許さないつもりです。
もうひとつ余談ですが、メディア業界は「次の首相に最もふさわしい人物」として石破茂氏をやたらと推していましたが、2024年に石破氏が自民党総裁選を制して首相に選ばれてしまったのも、こうしたメディア報道が何らかの影響を及ぼした可能性はあると個人的には考えている次第です。
カトリックの権威はなぜ崩壊したか
カトリック教会の権威を崩したのは活版印刷術だった
このオールドメディア支配が、ネットの登場により、急速に終焉を迎えつつあります。
その際のキーワードは「テクノロジーの進歩」でしょう。以前の『宗教改革にも匹敵し得る現代の「インターネット革命」』でも指摘しましたが、インターネットが出現したこと自体、宗教改革に匹敵する社会革命ではないかと思います。
すなわち、カトリック教会の免罪符というインチキを糾弾したマルティン・ルター(1483-1546年)の主張を全ドイツに広める役割を果たしたのが、1450年頃にグーテンベルクが発明したとされる活版印刷術だったのです。
山川出版社『詳説世界史』(1997年3月31日検定版)151ページ目には、こんな記述があります。
「ルネサンス時代には、技術の分野でも、ヨーロッパの発展に大きな影響をおよぼす3大発明が成し遂げられた。火砲(火薬)・羅針盤・活版印刷がこれである」。
ここに出てくる発明のうち、火薬、羅針盤も極めて重要ですが、本稿で特に注目したい、「人類の文明を進めるにあたり最も意義があった発明」は、この活版印刷ではないでしょうか。
活版印刷は製紙法の伝播と結びつき、従来は写本などに頼っていた書籍の製作を飛躍的に低コスト化・迅速化したことで、結果的にカトリック教会の権威が崩れたからです。
ルターによる『九十五箇条の論題』(1517年)は、当時のカトリック教会による贖宥状(しょくゆうじょう、あるいは免罪符)の悪弊について議論したものですが、これが活版印刷によりあっという間に広まり、その後は教会がいくら弾圧しても、広まるのを防ぐことはできませんでした。
オールドメディア・左翼言論人らの支配を崩すネット革命
これとまったく同じことが、じつは現代のインターネット革命によってもたらされつつあるのかもしれません。
著者自身、「歴史的に見て、既得権益が崩壊する過程はどの時代でもまったく同じである」とする仮説を持っているのですが、インターネットの登場により既得権益が崩壊する過程が、じつはルターが活版印刷術の恩恵をフルに受けて持論を展開したときと、本当にそっくりなのです。
当時のカトリック教会に相当する「崩壊する側の権威」とはさしずめ新聞、テレビを中心とするオールドメディア、およびそのオールドメディアを通じて日本の言論空間を支配してきた者たち(左巻きの言論人や一部の学者、特定野党の議員、あるいは一部の省庁)です。
そして、ルターに相当する「権威を壊す側」は、特定の個人というよりも、昨今インターネット言論空間で「インフルエンサー」などと呼ばれている多彩な人たちであり、なにより、それらの多彩な人たちを「いいね」ボタンで応援する無数のネット民です。
正直、ネット空間では、「権威」というものが、あまり通じません。
新聞、テレビなどのオールドメディアは、得てして、「超一流大学の偉い先生がこう言った」だの、「霞が関の官庁からこんな声が出て来た」だのといった「権威」を重視します。ちょうど中世西欧社会では「教会」という「権威」を大切にしていたようなものでしょう。
しかし、ネットの世界では、こうした「誰それがこう言った」、といった「権威」はあまり通用しません。
当たり前です。
ネット空間では無名の人もそれぞれ自由に発言することが許されており、どこの誰だかわからない人たちが主張した内容は、「誰が」発言したかではなく、「何を」発言したかで評価せざるを得ないからです。
とくにXなどのSNS空間では、仕組み上、あまり長い情報を発信することはできず(※)、必然的に短い文字数で説得力を込めることが求められます。
(※余談ですが、Xの場合だとプレミアムサブスクリプションなどを利用すれば、それなりの長文を投稿すること自体は可能です。ただ、長文を投稿したとしても人々の目には留まらないことも多いため、やはり言いたいことを短い文字数で端的かつ正確に表現する能力が望まれます。)
日本のネット民の論駁力の高さ
こうしたネット上の制約の結果、ネット民は「証拠の示し方」、あるいは論駁(ろんばく)力が徹底的に鍛えられたのではないでしょうか。
つまり、まずは短い文章のなかで端的かつ正確に表現する能力(つまりアイキャッチ力)が必要ですが、それだけでは足りません。本格的な議論となった際に、他人から情報源・ソースなどを求められることもありますが、そのときに正確な内容をポストしなければならないからです。
これが、新聞、テレビなどとの最大の違いです。
そもそも情報発信段階から議論が深まる段階、反論する段階のすべてにおいて、それなりに高い弁証力が求められるからであり、下手をすると新聞、テレビなどのオールドメディアと比べると、ネットの議論の方が遥かにハイレベルだったりもします。
著者の私見ですが、最近では、新聞、テレビ等のオールドメディアとは異なり、むしろネット空間に流れている情報の方が遥かに正確かつ魅力的であり、しかも情報の正確性を裏付ける一次情報へのリンクまで準備されている、といった現象が頻繁に生じています。
ネット登場で情報のヨコ検索が可能になった
そして、この文脈でもうひとつ抑えておくべきポイントが、情報がフローからストックに変わったことです。
詳しくは『ネット出現で情報はフローから「ストック」に変わった』でも論じたとおりですが、かつてインターネットが普及していなかった時代は、人々は多くの場合、一家に一台のテレビと一家に一紙の新聞から情報の多くを取り入れていました。
もちろん、テレビが2台、3台と設置されている家庭もあったかもしれませんし(たとえばリビングに大きなテレビ、子ども部屋に小さなテレビ、など)、また、新聞を2紙以上購読している家庭もあったかもしれませんが、それは基本的には少数派だったと考えられます。
テレビなんて安い買い物ではありませんし、新聞も購読料が毎月数千円ですから、たとえば首都圏の住民が全チャンネルを同時に視聴できるようテレビを7~8台購入し、主要紙(読売、朝日、毎日、産経、東京、日経など)をすべて購読する―――、といった行動は、非現実的だったのです。
したがって、インターネットが出現する以前の社会は、情報の「ヨコ比較」が難しかったのです。
ここで「ヨコ比較」とは「同じ話題を他メディアがどう報じているか」という比較のことですが、たとえば朝日新聞を1紙だけ購読している家庭の人が、「自分がいま読んでいる朝日新聞とは別の新聞(例:産経新聞)がこの事件をどう報じているか」を気軽に知ることは難しかったのです。
もちろん、「親戚同士が1棟マンションに固まって住んでいて、親戚同士がお互いに気軽に行き来できる」、などの状況でもあれば、「各家庭で違う新聞を購読し、それで記載内容を比較する」、なんてこともできたかもしれません。
あるいは「公立図書館まで徒歩圏内にあり、図書館に行けばその日の主要紙の報道をひととおり確認できる」、といった事例でもあれば、それはそれで「ヨコ比較」は簡単です。
しかし、こうした事例はいずれも特殊なものであり、一般に多くの場合は、ひとつの家庭で読むのは1つの新聞、ひとつの家庭で同時に視聴するのは1つのチャンネルであって、情報をヨコ串で比較するのは、非常に難しかったのです。
これが、ネットの出現によって大きく変わりました。
現代だと、そもそもXなどのSNSに加えて『Yahoo!ニュース』などのニューズ・ポータルサイトが存在しますので、「朝日はこう報じた」、「産経はこう報じた」、といった具合に、主要紙の報道を、大したコストもかけずにヨコ串で一気に比較できるのです。
情報のタテ検証=情報はフローからストックに変わった!
もちろん、最近だと有料版記事にして一般読者に記事を読ませない、というケースもありますが、(身もふたもない言い方をすれば)そもそも新聞社が記事を有料読者限定にしたとしても、それらの記事が魅力的でなかったとすれば、「読まれない」だけの話です(つまり自滅行為です)。
それに、最近だと、ある出来事について、新聞社、テレビ局だけが報じるのではなく、さまざまな情報チャネルが出てきています。
それらの例が、「サナエダイレクト」や「自民党ダイレクト」です。
たとえば自民党の公式Xアカウントは最近、幹事長ら幹部のぶら下がり会見などを全文文字起こししたうえでXにそのまま流していますが(『「自民党ダイレクト」本格始動で腐敗利権崩壊が加速へ』等参照)、これをやることで、メディア報道の正確性と妥当性を一次情報で検証できるようになったのです。
これが「情報の深度」という論点です。
要するに、メディア報道に疑問ないし違和感を覚えたら、政党や各官庁のウェブサイト、あるいは政治家個人のXアカウントやブログサイト、YouTubeチャンネルなどを確認し、それらの報道の信憑性を個々人が直接検証できるようになったのです。
おそらく、これでメディアの報道に対する信頼性の崩壊は加速するでしょう。
そして、もうひとつ、最も重要な変化が、「タテの検証」です。
これは、同じような出来事を過去にメディアがどう報じたかを即座に検証することができる、というもので、過去にオールドメディアが自民党議員について「裏金議員」だと批判していたくせに、同じメディアが野党議員については「記載漏れ」で済ませる、といった事例も簡単にバレる時代になったのです。
つまり、オールドメディアの信頼性を崩壊させているのはネットそのものではなく、過去のオールドメディア自身の報道だった、というわけです。
これが、著者自身が抱いている仮説―――「腐敗権力は今までまったく存在しなかったあらたなテクノロジーの出現で崩壊する」―――であり、ネットの出現は、まさに活版印刷の登場に匹敵する情報革命だと個人的に考える理由なのです。
事実で殴る
指鹿為馬を仕掛ける中国の焦り
こうした文脈で、ひとつ取り上げておきたい話題があります。
習近平は明らかに焦り始めている…高市首相が「鹿を馬と呼ぶ」中国をぎゃふんと言わせるための4つの切り返し
―――2025/11/20 12:15付 Yahoo!ニュースより【プレジデントオンライン配信】
国際基督教大学(ICU)の政治学・国際関係学教授で日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員でもあるスティーブン・R・ナギ氏が『プレジデントオンライン』に寄稿した記事ですが、これがめっぽう面白いのです。
ナギ教授はここ数週間の日中両国間の緊張関係を巡り、「指鹿為馬(しろくいば)」という故事成語をもとに、「中国は鹿を指して馬だと言い張る行為をしている」と指摘しつつ、「日本がこの中国の戦略に乗せられずにうまく切り返せば、世界の中国離れが加速する」と説きます。
詳しい内容についてはリンク先で直接読んでいただきたいのですが、指鹿為馬とは秦の趙高が鹿を「馬」だと言い張り、真実を語る者を粛正した話であり、現在の中国政府がこれと同じことを行っているというのです。
なぜ中国が高市総理にこれほどまでに過剰な反応をするのかについて、ナギ教授は①経済的な見せしめ、②高市政権の早期退陣、③ASEAN諸国との分断、そして④中国国内問題からの目くらまし、の4点を列挙。
そのうえで「本当に軍国主義化している」のは日本ではなくむしろ中国の側であるという点を、軍事費支出や1945年以来の戦争経験、さらに東南アジア諸国の世論調査などを挙げ、実証的に解説しているのです。
ナギ教授の論考にはほかにも、レアアース禁輸がむしろ中国にとっての諸刃の剣であることの説明や、日本が中国に講じるべき4つの対抗策、といった議論も出てくるのですが、これらについては記事で直接ご確認ください。
著者自身としては、ナギ教授の論考のすべてに無条件に賛成するつもりはありませんが、それでも中国がやっている「指鹿為馬」には「正しい情報で即時反論すること」が正解である、とする趣旨の指摘には、まるごと同意したいと思う次第です。
左派メディアなどの「劣化」
ただ、それ以上に実感するのが、日本の一部メディア、あるいは左派活動家らの劣化ではないでしょうか。
著者自身もここ数日、オールドメディアの報道記事に加え、とくにネット空間における左巻きの人たちの情報発信を注視していたのですが、まさに彼らの行為は「指鹿為馬」そのものです。
とくに「高市(早苗総理大臣)は辞めろ」、などと叫ぶデモ隊やその関係者などからは、不思議なことに、中国に対する批判がまったくと言って良いほど出て来ないのです。
たとえば中国の薛剣(せつけん)駐大阪総領事は今月8日、高市総理の国会答弁に関し、自身のXに「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか」とポストしたのですが(該当ポストは削除済み)、これについても「なかったこと」にされているフシがあります。
加えて、こうした日本の左派勢力の動きを喜々として在日中国大使館の公式アカウントがXに取り上げたりしているのを見ると、正直、「もはや正体を隠すつもりもないのか」と思わざるを得ません(もっとも、「日本の左派勢力が劣化した」のか、「もとからこの程度なのがネットの普及でバレただけ」なのかは知りませんが)。
事実を淡々と突きつけるのが正解
いずれにせよ、高市総理に対する左派メディア、左派知識人、左派活動家、中国政府外交官らの行動から見えてくるのは、「左派メディアや中国などがどんなに騒いでも決して動じなくなった日本」に対する焦りではないでしょうか。
そして、これに対しては、日本政府は淡々と事実を叩きつけ続けるのが正解です。
あるいは、「事実で殴る」、と言い換えて良いでしょう。
カトリック教会の権威はルターの問題提起に加え、さまざまな科学者たちが科学的事実を発見し、それらを世に問うたことで崩壊したことを思い出しておく必要があります。
なにより、「指鹿為馬」的な行為は、事実の前に脆いのであり、中国政府や中国人外交官らに対しても、こうした「事実で殴る」のが最も有効であることは間違いないといえる次第です。
あわせて、問題の発言を行った外交官はペルソナ・ノン・グラータを通告し、国外退去処分とすべきであり、日本政府、日本企業、日本国民が「中国リスク」を強く意識する良いきっかけとすべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
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1 2 3 次へ »指鹿為馬とは新聞のことである。
嗚呼許すまじうその新聞 ♪
二度と許すまじうその新聞 ♪
われらの空に
ここで「馬」と答えた者は、中国共産党への忠誠心を示した者ということになるわけですね。
さて、それはどの野党とどの新聞社、テレビ局でしょうか?
台湾有事は尖閣諸島も奪取しに来たということですから、存立危機事態になりうることに間違いはございません。
「同盟国の米軍に手を出したら、だだじゃおきませんことよ。」と暗に示したのかもしれません。
問題の発言を行った外交官はもう任期終了らしいですね。今回の騒ぎは仕組まれていたと思っている所です
毎度、ばかばかしいお話を。
①時事通信:「我々の高市総理下げ工作で、内閣支持率は横ばいになった」
②オールドメディア:「日本国民は、高市総理に忖度して、馬を見て鹿だと言っている」
③オールドメディア:「宗教革命があっても、カトリック教会は,生き残った。ネット革命があっても、今のままでも、我々も生き残れる」
どれが、好みですか。
毎度、ばかばかしいお話を。
中国:「事実より「お気持ち」の方が強い。共産党の指導は、事実に勝る」
韓国も、日本のオールドメディアも、そう言っているな。
「リスクを覚悟して、勝負すべき時に行動するから、成功した時に大きな利益が得られる」ということを、オールドメディアは理解していないようですね。
>日本のネット民の論駁力の高さ
左巻きがどのように角度をつけようが、圧倒的な背景情報に飲み込まれてしまうんでしょうね。
ネタバレ後の考察が、エンタメでしかないようにですね。要するのは角度ではなく"確度"です。
「しかを指して馬となす」。中国政府もそうですが、ご指摘の通り、オールドメディアがまさにこれですね。「鹿を指して、馬となす」だろうと皆が認識している市場が、まさにレモン市場で、誰も信用していない市場で、経済学的には「市場の失敗」になります。
「鹿を指して馬となす」をやり続けると、ヤバイ中国政府ということで、中国はグローバルで企業のサプライチェーンから外される方向でしょうね。中国に依存するニトリとかどうするのか。消費者から糾弾されるのかどうか。
「鹿を指して馬となす」をやり続けると、ヤバイテレビ局ということで、当該テレビ局はグローバルで企業のサプライチェーンから外される方向。「鹿を指して馬となす」放送を繰り返すテレビ局のスポンサー企業は、消費者から糾弾されるのかどうか。株主には指摘されそうです。
世論調査の数ポイント差は誤差範囲とするなら、中国騒ぎがあっても内閣支持率に大きな変化はなかったと見るべきなのでしょうね。世論の反応傾向が明らかに変わってきましたね。
毎日の記事、事実だけを淡々と書いていていつもお得意の主観表現が見えません。つまらない。
「もっと支持率が上がるはずだったのに上がらなかったのは高市首相の失点によるものとみられる」
これくらい書いてくれると毎日クオリティを感じられるのですが。いや、金は払いませんけど。
そういや先週月曜日に呼びかけが始まってた反高市デモは、予定通り金曜日に行われたそうですね。相変わらず、ハングルや簡体字のプラカードが溢れる、高齢者多数で人数少なめのいつも通りの光景だったそうです。韓国の民主労総の旗もはためいていたとか。中国メディアの取材がいくつか見られたようです。
日本人参加者もいたようですが、毎週金曜日にデモやって終わったら居酒屋で飲み会、なんて流れの人達にとっては、月曜日のデモ呼びかけから週末のイベントが楽しみでしょうがなかったかもですね。
暴言外交官の薛剣とやら、こんな人間にペルソナノングラータなんてもったいない。さらし者にしてあざ笑うのがいいんじゃないですか。茂木さんも同意見だと思いますよ。
ネットでは間違った情報に沢山の訂正、指摘が入ります。
また、正しい情報にも間違った訂正や指摘が入ります。
読者はその両方を比べられるので正しい情報が生き残りやすいのです。
しかし、オールドメディアは間違った情報に対して誰も訂正も指摘も出来なかったので、その情報を信じるしかなかったのですが 現在ネットからの訂正や指摘が出来る様になった結果オールドメディアに対する信頼が地に落ちました。
で、ここからオールドメディアが大逆転するには 数年の間裏取りをガッチリやって一度のネットからの指摘訂正がない様にすることです。
一社だけ頑張ってもダメです。
たとえ一社がプロパガンダ記事を出したらその時点でやり直しです。
が、一社のプロパガンダ記事をその他が一斉にキャンペーンで訂正する様なら もしかしたら生き残れるのかも。