累進課税、応能負担、所得制限、給付制限…同時に適用するな!
「クラスみんなで遊園地に行きます。おカネ持ちの家庭の生徒には4万円負担してもらいますが当日もらえるのは1万円の入場券だけです。3万円の損ですがクラスみんなで思い出作りをするためのコストとして割り切ってください。」もしもあなたがこんなことをいわれたらどうしますか?
目次
クラスみんなで遊園地!しかし困った問題が!
当ウェブサイトで以前からしばしば言及するもののなかに、「遊園地理論」というものがあります。
これは、クラス全員で思い出作りのために遊園地に出かける際の費用負担に関するたとえ話です。
これについて、一種の「知的ゲーム」として、「どこまでだったら耐えられるか」について、考えてみましょう。
あるところに50人で構成されるクラスがあったとし、このクラスがみんなで入場料(兼ワンデー・パスポート)がひとり1万円の遊園地に出かけるものとします。このとき、クラス全員で遊園地に入るために必要な費用は50万円(=1万円×50人)です。
ただし、この遊園地は大人気であり、アトラクションを効率的に楽しむためには追加で1万円のプライオリティパスが必要だったとします(もちろん、プライオリティパスがなくてもアトラクションに乗ることはできるのですが、これがないと人気アトラクションでは長時間待たされます)。
そこで、せっかくクラスみんなで遊園地に出かけるのだとしたら、入場料(ひとり1万円)だけでなく、プライオリティパス(ひとり1万円)も買うべきだ、という話になったとしましょう。このとき、クラス全員で遊園地の入場料だけでなく、プライオリティパスを行き渡らせるために必要な費用は100万円に跳ね上がります。
そして、このクラスには高所得家庭の生徒が10人、中所得家庭の生徒が30人、低所得家庭の生徒が10人いるものとし、所得に無関係にひとり一律で2万円ずつ負担し、当日、2万円ずつチケットを渡すということを、先生が考えたとしましょう。
平等に負担する場合の費用負担
- 高所得家庭の10人…2万円ずつ負担
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ負担
- 低所得家庭の10人…2万円ずつ負担
平等に負担する場合に当日配られるチケット
- 高所得家庭の10人…2万円ずつ受益
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ受益
- 低所得家庭の10人…2万円ずつ受益
ただ、ここでひとつ、問題が浮上しました。
クラス50人のうち10人は、家がさほど裕福ではなく、2万円もの費用を捻出できない、というのです。
この場合、どうすれば良いでしょうか?
いっそ、思い出作りを諦めますか?
それとも1万円しか負担できない家庭の生徒にはプライオリティパスを諦めてもらうしかないのでしょうか?
傾斜配分が行き過ぎると…?
「そうだ、高所得家庭には1万円余分に負担してもらおう!」
そこで、この先生は、次のように費用配分することにしました。
パターン①の費用負担
- 高所得家庭の10人…3万円ずつ負担
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ負担
- 低所得家庭の10人…1万円ずつ負担
これをやることで、クラス全体ではトータルで100万円のおカネを集めることができ、ひとり2万円ずつ配分できます。
パターン①の当日配られるチケット
- 高所得家庭の10人…2万円ずつ受益
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ受益
- 低所得家庭の10人…2万円ずつ受益
この場合、高所得家庭の生徒は3万円を払っているのに2万円分の便益(入場券1万円分+プライオリティパス1万円分)しか受け取れませんが、それでも低所得家庭の10人も同じようにクラスみんなで遊園地を楽しめるわけです。
高所得家庭の生徒は1万円分余分に支払わされますが、それによりかけがえのないクラスの思い出作りができるのだとしたらやすいものだ。このくらいは我慢しましょう―――、というのがクラスの先生の思想なのでしょう。
「低所得家庭の生徒にはチケットを余分に配ってあげよう!」
ここまでの議論であれば、「まぁ、このくらいの傾斜負担ならば問題ないだろう」、と思う人が多いのではないでしょうか(すでにこの時点で不満タラタラなのは、著者自身のような偏屈者くらいでしょう)。
しかし、この設例をさらに変更したとしましょう。
「低所得の家庭の生徒は、遊園地には滅多に行けない。これに対し、高所得の家庭の生徒は、この遊園地にはわりと頻繁に行けるはず。だから、低所得家庭の子弟がもっと楽しめるよう、低所得家庭の子弟にはプライオリティパスを1万円分ではなく2万円分配ろう」。
すると、どうなるでしょうか。
費用負担については先ほどと同様、高所得家庭の生徒が3万円ずつ負担させられますが、低所得家庭の生徒の負担は1万円です。
パターン②の費用負担
- 高所得家庭の10人…3万円ずつ負担
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ負担
- 低所得家庭の10人…1万円ずつ負担
しかし、当日配られるチケットは、より低所得家庭の生徒に厚く、高所得家庭の生徒に薄くなります。
パターン②の当日配られるチケット
- 高所得家庭の10人…1万円ずつ受益
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ受益
- 低所得家庭の10人…3万円ずつ受益
つまり、高所得家庭の10人は、ひとり3万円支払っているのに、当日もらえるチケットは入場券1万円分だけで、もしもプライオリティパスが欲しければ、遊園地の中で自分で買え、というのがこのクラスの先生の方針なのだそうです。
何だか変ですね。
高所得家庭の生徒は、本来、自分だけでこの遊園地に遊びに来れば2万円の負担で済んでいたのに、クラスで遊園地にやってくることで負担が3万円に増えてしまいますし、3万円負担しているにも関わらずプライオリティパスももらえないので、自分で1万円を追加で出してこれを買わなければなりません。
つまり、高所得家庭の生徒が負担するのは、ひとりあたり実質4万円、という計算です。
著者自身が仮に高所得家庭の生徒だと、この時点でブチ切れて、「クラス旅行に参加するの、や~めた!」などと宣言してしまいそうになりますが、(少し後出しっぽくて恐縮ですが)ここでは設例上、クラス旅行から逃げ出すことはできないものとします。
「じつは先輩方が借金を残していきまして…」
ただ、上記の設例でもかなりおかしいのですが、この設例を、さらに次のように変えてみましょう。
「このクラスは50人で遊園地に行くことにしたのだが、昨年卒業した先輩が残していった赤字50万円(※先生が立て替えている)を穴埋めしなければならない。そこで、このクラスは遊園地の入園料とプライオリティパスに加え、諸先輩方の残した赤字を返すことにした」。
この場合、入園料(ひとり1万円)、プライオリティパス(高所得家庭はゼロ、中所得家庭は1万円、低所得家庭は2万円)、そして先輩方の残した、先生が立て替えている赤字50万円(ひとり1万円)、合計150万円を捻出しなければなりません。
そこで、次のような負担とすることが考えられたとします。
パターン③の費用負担
- 高所得家庭の10人…4万円ずつ負担
- 中所得家庭の30人…3万円ずつ負担
- 低所得家庭の10人…2万円ずつ負担
この負担だと、計算すれば合計150万円で、入場料、プライオリティパスの両方を買ったうえで先輩方の残した赤字を返すこともできます。
パターン③の当日配られるチケット
- 高所得家庭の10人…1万円ずつ受益
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ受益
- 低所得家庭の10人…3万円ずつ受益
- 全員で先輩方が残した赤字50万円を返済
この場合、高所得家庭の生徒は4万円負担して1万円分の便益を、中所得家庭の生徒は3万円負担して1万円分の便益を、低所得家庭の生徒は2万円負担して3万円分の便益を、それぞれ受け取ることになります。
「なんで自分たちが使ったわけでもない先輩方の赤字を自分たちが穴埋めしなければならないのか、まったくもってわけがわからない」。
常識的には、そんな声も聞こえてきそうな気がします。
低所得層をさらに優遇しよう!
ただ、先生はさらにこんなことを言い出したとしましょう。
「さすがに低所得家庭の生徒から2万円ずつ徴収するのはかわいそうだ。低所得家庭の生徒の負担は12,000円ということにして、その分を高所得家庭と中所得家庭の生徒で負担してよ」。
その結果、出てきたのが、こんな負担だったとします。
パターン④の費用負担
- 高所得家庭の10人…42,000円ずつ負担(42万円)
- 中所得家庭の30人…32,000円ずつ負担(96万円)
- 低所得家庭の10人…12,000円ずつ負担(12万円)
パターン④の当日配られるチケット
- 高所得家庭の10人…1万円ずつ受益
- 中所得家庭の30人…2万円ずつ受益
- 低所得家庭の10人…3万円ずつ受益
- 全員で先輩方が残した赤字50万円を返済
電卓がお手元にある方は、叩いてみてください。たぶん、これで150万円になると思います。
いずれにせよ、高所得家庭の10人はひとり42,000円を負担させられて、当日もらえるのは1万円分のチケットのみであり、しかもプライオリティパスを1万円分購入しないとまともに遊園地を楽しめないため、ひとりあたりの負担は52,000円になります。
また、中所得家庭の30人も、ひとり32,000円を負担させられ、配られるのは2万円分のチケットですので、12,000円分の払い損が確定します。低所得家庭の10人に関しては12,000円負担して3万円分のチケットがもらえますが(18,000円分の受益超過)、2,000円分は先輩方の赤字の穴埋め負担です。
どこまで許容されるのか
負担が極端に偏る構造
上記の損益を図表で並べておきましょう。
低所得層の場合は基本的にどのパターンでも、平等に負担した場合と比べて利益が出ます(図表1)。
図表1 受益と負担の関係・まとめ(低所得層の場合)
| パターン | 負担(A) | 受益(B) | A-B |
| 平等に負担 | 20,000円 | 20,000円 | 0 |
| パターン① | 10,000円 | 20,000円 | +10,000円 |
| パターン② | 10,000円 | 30,000円 | +20,000円 |
| パターン③ | 20,000円 | 30,000円 | +10,000円 |
| パターン④ | 12,000円 | 30,000円 | +18,000円 |
しかし、中所得層の場合は、基本的に負担と受益の関係は均衡しているのですが、パターン③とパターン④、すなわち自分たちと無関係な借金を背負わされる場合に、損失が生じます(図表2)。
図表2 受益と負担の関係・まとめ(中所得層の場合)
| パターン | 負担(A) | 受益(B) | A-B |
| 平等に負担 | 20,000円 | 20,000円 | 0 |
| パターン① | 20,000円 | 20,000円 | 0 |
| パターン② | 20,000円 | 20,000円 | 0 |
| パターン③ | 30,000円 | 20,000円 | ▲10,000円 |
| パターン④ | 32,000円 | 20,000円 | ▲12,000円 |
そして、高所得層の場合は平等な負担だったならば生じないはずの損失が、パターン①~パターン④のすべてのパターンにおいて生じていることがわかります(図表3)。
図表3 受益と負担の関係・まとめ(高所得層の場合)
| パターン | 負担(A) | 受益(B) | A-B |
| 平等に負担 | 20,000円 | 20,000円 | 0 |
| パターン① | 30,000円 | 20,000円 | ▲10,000円 |
| パターン② | 30,000円 | 10,000円 | ▲20,000円 |
| パターン③ | 40,000円 | 10,000円 | ▲30,000円 |
| パターン④ | 42,000円 | 10,000円 | ▲32,000円 |
その考え方は行き過ぎていないか
じつは、上記の考え方は、傾斜配分がどこまで許されるかという理論的なゲームです。
当ウェブサイトをご覧いただいた読者の皆さまは、どこまでが許容範囲と考えるでしょうか?
これについてはそれぞれの主観、あるいは理由に基づいて、適正な範囲が変化してくるのではないかと思います。
ただ、著者自身の考えを申し上げておくと、「負担力がある」とされる人から累進課税や応能負担でたくさん取り過ぎるのはいかがなものかと思いますし、そうした人たちに所得制限や給付制限を加えるのが妥当なのかについても、極めて疑問です。
- 累進課税…所得額が増えるほどに税率が高くなること
- 応能負担…収入額に比例して負担額が増えること
- 所得制限…所得額が一定水準を超えると給付が受けられないこと
- 給付制限…所得額が一定水準を超えると給付が減らされること
- 賦課方式…支払った公租公課が他人のために使われること
先ほどの設例だと、「高所得家庭の生徒には高い負担が求められる」の部分については、累進課税あるいは応能負担の考え方に近いです。また、所得制限や給付制限は、先ほどの例でいえば、「高所得家庭の生徒にプライオリティパスが配られないこと」などがわかりやすいでしょう。
個人的には、累進課税や応能負担の考えを全否定するつもりはないのですが、累進課税や応能負担で「高所得層」に認定した人たちからゴッソリと税、社保を奪い取り、所得制限や給付制限の名のもとに、給付を抑制するという発想は、社会正義に反するように思えてなりません。
さらに、先ほどの例だと「諸先輩方が残して行かれた赤字」の穴埋めを現役の生徒が負担させられていますが、これも「応益負担」、つまり「便益に応じた負担」という考え方からすれば、おかしな発想です。先輩方も生徒から見れば、自分たちとは無関係の赤の他人だからです。
どこかの国の負担と給付のバランスとソックリ…!?
ちなみにこうした遊園地理論を敷衍(ふえん)していくと、なんとなく、『年金も健康保険も問題だらけ…リスクに応じた負担を!』や『【千年安心】の年金に向けて日本は厚生年金を廃止せよ』などで述べた、どこかの国の負担と給付の関係のアンバランスさが見えてくる気がします。
とりわけ、「なぜかクラスで遊園地に行くだけなのに、そのクラスとはまったく無関係の諸先輩方が残していった赤字の穴埋めを同時にさせられる」、というあたりが、厚生年金や健康保険などにおける負担と給付の圧倒的な不均衡の問題をもたらしている「賦課方式」そのものでもあるからです。
異常に高い社会保険料や税は、それを負担した人に対してではなく、まったく無関係な「赤の他人」に対する給付に充当され(いわゆる「賦課方式」)、実際に自分たちが受け取る段になると、明らかに自分たちが払った額よりも少ない額しか受け取れない(年金問題、健保問題)―――。
いずれにせよ、現在の日本は国を挙げて、この「クラスの遊園地旅行・パターン④」(ないしもっと極端な「パターン⑤」)を実践しているのではないかと思えてならないわけですが、いかがでしょうか?
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1 2 次へ »なかなか秀逸な例えですね。
でもあちら界隈の人間は子供に罪はない同じように楽しませてあげたいとか正当化すんるんでしょうね。
この話、何をどうしても、(大きい、小さい、多い、少ないは別にして)どこからか絶対に不満がでる話では。もっとも、その批判がクラスの外からということもありますが。
蛇足ですが、(気分的なものかもしれませんが)中所得者が減って、低所得者が増えてきているのではないでしょうか。
私見ながら
公立学校の生徒数は当時1クラス45人ぐらいで
身なりからみて、子供心に貧しいんだろうな…という生徒が
各クラス2人前後は居た気がします。
要は、昔は低所得層が少なくて中所得層が厚かった、それで歪みに気付きづらかったのかもしれません。
遊園地に例えられる程の社会保障なら「やめちまえ」ですな。
まずは合意文書を作ってクラスのみんなで遊園地に行けたら良いですね。合意文書があれば、遊園地での緊急事態で費用負担が発生しても揉めることもないでしょう。自民党のアメリカへの80兆円贈与ファンドも、とっとと合意文書を作ってトラブルにならない様にした方が良いですね。
片務的に負担が生じる関係は「共生」ではなく、『強制』と呼びます。
「思いやり」も重たく感じれば『重い槍!』でしかないようにですね。
???
先生と教育委員会は、パターン④でも社会的合理性があると信じ強弁しているが、民間の通常の経済観念から見て非常識なことがバレたら、批判に耐えられなくなると思われる。
ここ最近は
思い出作りは不要なので負担しない
負担しないが受益分はくれ
という低所得層が多くなったかも。
明らかに 一億総中流の時代から 2極化して中間層の大半が 貧困層になってしまった。 これは 世界中に共通して見られる現象と思われる。行き過ぎたグローバル資本主義が大きな原因と個人的には思っている。いわゆるピケティの法則【資本収益率(r)が経済成長率(g)よりも常に大きい」という不等式(r>g))で、資産を持つ者が労働によって富を得る者よりも、より速く富を増やす傾向がある】どおりの推移が現状を招いたもので 政治が中間層の育成に失敗した結果 大きな分断を招いた。日本では失われた30年。米国でも国内分断。EUも安い労働力の導入が地域文化に影響を与えている。
毎日の更新ありがとうございます。
この学校行事の例ですが、現在の小中学校では不可能と思います。
同額の負担以外実施できないし、負債があれば、市町村が負担すべきと騒ぐ方々が存在します。
低所得の父兄は、声を上げませんが、高所得の中には問題視する方がいます。
更に中間層の方々で公平性を重要視する父兄がかなりの率でいらっしゃいます。
こういった方々の問題点は自治会、町会、区や市町村に対して文句を言います。自分が正義の味方だとの認識でカスタマーハラスメント張りに声を上げます。
もちろん、市の教育委員会や県の教育委員会に議員を使ってでも文句を言います。
PTA総会なんかはこの為にあると思っていますから、少々の問題がある場合荒らしまくります。
SNS時代の弊害でしょうが、このような世の中になっています。
校長先生を含む先生全体をつるし上げようとしますから・・・。
その結果が、自民党3連敗につながったと言えますね。
自民党から見えている中間層は控除額の多さから寛容性がなくなっていると感じますね。