当ウェブサイトではこれまで、「日本では負担と受益の関係がおかしい」と指摘し続けてきました。その典型例が社会保障です。高い保険料を払った人が必ず損をする厚生年金というシステムを筆頭に、社会保障にはおかしな点が多々あるのですが、もうひとつ無視できないのが「救急車」という「無料のサービス」にタダ乗りする者たちの存在です。これを防ぐのが「応益負担」です。具体的には、重症者搬送や相談業務を除き、救急搬送サービスも有料化すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?
目次
賦課方式の年金は不合理の典型例
現在の社会保障は現役→高齢者の所得移転
社会保障には、カネがかかる。
これは、ずいぶんと以前から指摘されていた、しかしごく当たり前の話です。
日本は世界に冠たるさまざまな社会保障が整っているとされており、ちょっとした病気やケガでもすぐに病院で治療を受けることができますし、健康保険のおかげで現役世代は3割、高齢世代は2割ないし1割の負担で済みます(※ただし、これらの負担割合にはほかにも細かい条件があります)。
ただ、それと同時にこの整った社会保障を今後も維持できるのかについては、別の問題として考える必要があります。
ずばり指摘しておくならば、現在の社会保障が現役世代から高齢世代への所得移転になってしまっているからです。
その典型例が、賦課方式の年金です。これこそ不合理の典型例だからです。
年金の場合は「賦課方式」といって、現役世代が支払わされた保険料が(多少運用残高があるとはいえ)基本的にはそのまま現在の高齢者への年金として支払われてしまう仕組みですし、(計算方法にもよりますが)現在の現役世代は支払った保険料に見合う給付が受け取れないことはほぼ確実です。
著者自身の試算だと、とりわけ高所得者層の場合だと、支払わされる年金保険料の額(労使合算)は、理論上、最高で1億1364万3000円にも達します(ボーナス年2回、加入期間45年間の場合)。
しかも、支払った保険料の額は年数パーセントの期待利回りで運用されることが一般的ですので、仮にこの期待運用利回りを年3%(複利)だとすれば、あなたが支払わされた保険料1億1364万3000円は、あなたが退職した時点で2億3748億3448円になっているはずです。
そして、これを65歳から20年かけて取り崩した場合、あなたは毎年1570万8507円の年金を受け取るはずなのですが、現実にあなたが受け取れる見込みの年金額は、せいぜい300万円前後です(※ただし、正確な年金の受給額は、あなた自身の生年などにも依存しますが…)。
負担と受益の関係がおかしい…制度のバグ
ただ、そんなことを指摘すると、ときどき、こんな趣旨の反論が来ます。
- 「年金が貯蓄だと考えれば、理論上はそうかもしれないが、年金は貯蓄ではなく富の再分配という性格もある」。
- 「カネ持ちや高所得者がたくさん保険料を負担し、国民みんなが平等に年金を受け取れる現在の日本のシステムこそ、素晴らしい」。
そもそもこうした反論自体にも、深刻な事実誤認が含まれています。
たとえば実際の日本の年金保険料、「カネ持ちほどたくさん負担している」とは限りません。国民年金は保険料が一律であり、厚生年金保険料はその人の資産状況ではなく年収に依存して決定されるため、資産家の場合、給与所得を得ていなければ国民年金に加入すれば年金保険料を安くあげることができます。
ただ、こうした事実誤認もさることながら、やはり大きな問題点があるとしたら、負担と受益の関係がおかしいことでしょう。多く負担した者が少ししか受け取れず、少ししか負担していない者が自分たちの負担以上の利益を得ているわけです。
こうした「負担と受益の不均衡」は、健康保険の高額療養費制度にも似たような問題点があります。標準報酬月額が高い人(つまり高い保険料を支払わされている人)ほど、いざ大病を患ったときに負担する高額療養費上限が、理不尽なほどに引き上げられてしまうからです。
端的にいえば制度のバグのようなものでしょう。
著者自身、少なくとも厚生年金については今すぐ廃止し、現在厚生年金に加入させられている人には基礎年金部分を除いて払い込んだ保険料を(※本人負担分だけでなく雇用主負担分も含めて)全額返金して精算すべきだと考えています。
また、年金制度を続けるならば、少なくとも賦課方式は廃止したうえで積立方式とし、各加入者に対し、自身に帰属する年金資産がいくら積み立てられていて、これまでの平均運用利回りが何%だったかを明示することが必須です。
『負担と給付の関係がおかしい日本』などを含め、当ウェブサイトでも連日のように取り上げている通り、わが国では負担と給付の関係が見合っておらず(年金制度や健康保険制度がその典型例でしょう)、しかもこれは官庁(厚労省や財務省、総務省など)がなかば意図的に隠蔽しているフシがあるのです。
救急車問題を考える
救急車は便利…初めて呼んだのは学生のとき
さて、年金や健康保険、介護保険といった公的保険制度の問題点については、当ウェブサイトでは今後も精力的に議論し続けていきたいと思っているのですが、本稿ではもうひとつ、もっと身近な行政サービスについて考えてみたいと思います。
人生の中で一度や二度はお世話になるサービスがあるとしたら、それは救急車かもしれません。
著者自身はふだん、ウェブ評論サイトなどと称して政治、経済、社会問題について論陣を張るなど、偉そうにご高説を垂れている立場ですが、『厳罰化だけでなく道路交通法規の知識普及を=危険運転』などでも報告してきたとおり、現実社会ではただの小市民です。
ただ、不思議なもので、ときどきは救急車を呼ぶという体験をしてきました。
人生で初めて救急車に乗ったのは学生時代、バイト先の同僚が突然、肺気胸になり、店長に許可を得て店の電話を使い119番で通報したときのことです。救急隊員の依頼もあり、店長に命じられ、同僚に付き添って救急車に同乗し、都内の某病院まで帯同したのです。
救急車がサイレンを鳴らし、夕方の混雑している道路を疾走し、途中で赤信号を2回越え、一方通行を逆走するなどして病院に到着したのが今でも印象に残っています。最後はバイト先に「いま無事病院に到着しました」と公衆電話で報告し(当時、携帯電話はまだ普及していませんでした)、バスで帰宅しました。
救急隊員の皆様などには敬意を表したい
また、その後もなぜか救急車と縁が深く、交通事故の現場に居合わせたこともありますし、街中で急に倒れた人を目撃したこともありますが、そのたびに救急車を呼んでいます。
ちなみに地下街で高齢の女性がいきなり倒れるのを目撃したときは、救急通報後、その地下街の出口の数十メートル先に交番があったことを思い出し、その交番に駆け込み、そこにいた警察官に救急車の交通誘導をお願いしたこともあります(幸いこの女性、命に別状はありませんでした)。
人間、不思議なもので、初めて救急車を呼ぶときには緊張しましたが、今だと緊急時にはわりとためらいなく緊急通報できるのではないかと自負しています(※ただし、これも非常に幸いなことに、自分自身が利用するために救急車を呼んだことは、今のところは一度もありません)。
いずれにせよ、小市民は小市民なりに、いっしょうけんめいに頑張っている、というわけです。
ただ、それ以上に、救急隊員や消防隊員、警察官の皆様には本当に頭が下がりますし、最大限の敬意をもって接したいと思っている次第です(※これらの人々がコンビニエンスストアなどに立ち寄ると批判する者もいるようですが、個人的には「どうぞご遠慮なく」と申し上げたいと思っているのはここだけの話です)。
救急車をタクシー代わりに…!?
もっとも、こうした救急車のサービスも、無料ではありますが、その弊害が徐々に出てきたのかもしれません。
非常に気になる話題があるとしたら、それはこれです。
【夜中に50回も119番したおばあさんも】“不要不急な通報”で起きている救急車不足のリアル「救急搬送の約半数が軽症者」
―――2025/07/12 15:59付 Yahoo!ニュースより【NEWSポストセブン配信】
これは小学館が運営している『NEWSポストセブン』が土曜日に『Yahoo!ニュース』に配信した記事で、東京大学医学部付属病院などで勤務していた医師の熊谷頼佳氏が執筆した著書『2030-2040年 医療の真実 下町病院長だから見える医療の末路』を抜粋したものだそうです。
その熊谷氏によると、救急車を巡っては「不要不急な通報の増加」が社会問題化しているというのです。
「本当に問題なのは、軽症なのにタクシー代わりに救急車を利用したり、昼間に病院に行けないからと救急外来のコンビニ受診をしたりするような患者が多いことだ」。
一体どういうことでしょうか。
熊谷氏は総務省のデータなどをもとに、こんな趣旨のことを指摘します(文章は大意を変えない範囲で適宜要約・再構成しています)。
- 2022年度の全国の救急車の出動件数は約723万件で、前年比約104万件(16.7%)以上増加
- 救急搬送された人の62.1%が高齢者で、うち85歳以上が24.4%だった
- 救急車が現場に到着するまでにかかる時間は平均10.3分で、この20年間で過去最長だった
- 搬送した人を病院に収容するまでにかかった時間は平均47.2分で、この数値も過去最長だった
…。
しかも、熊谷氏によると2022年に救急搬送された人のうち、入院が必要な中等症以上は約半分の52.7%で、47.3%は外来診療で済む軽症者だったということであり、東京消防庁によると、なかには夜中に50回も電話をしてきたおばあさんもいたそうです(話し相手でも欲しかったのでしょうか?)。
今の物価水準だと1回7~8万円も!?
ただ、救急車はもちろん、タダではありません。
熊谷氏は東京都財務局が2004年7月に公表したレポートで、2002年度の出動1回あたり費用が約4.5万円だったとの情報をもとに、その後の燃料代や人件費・物件費の上昇などを受け、「現在は7万~8万円かかっていてもおかしくない」と指摘します。
この試算は正鵠を射ていると考えて良いでしょう。
なにより、働き手不足が深刻化するなかで、救急搬送が増えてくれば、救急車という公的サービス自体が持続不可能なものとなる可能性は、非常に高いといえます。
この点、熊谷氏は救急搬送サービスの持続可能性について、こう指摘します。
「救急車は緊急性が高いとき、病院は重い病気が疑われるときにしか使わないというふうに今までの常識を転換すれば、それほどひどいことにならずに2040年を迎えられる可能性がある」。
ただ、その一方で、すでに諸外国、あるいはわが国でも一部の自治体などでは、軽症の人が救急車を呼ぶなどした場合に費用を徴収するという動きがみられるのだそうです。
これについては残念ながら、そうせざるを得なくなるでしょう。供給が限られている中で需要が増えて行けば、当然、サービスを持続するために、相応の負担が必要だからです。
というよりも、これまでの日本では、累進課税、応能負担、給付制限など、サービスの受益と負担の関係がなかば意図的にあいまいにされていたフシもありますが、今後はこうした考え方が通用しなくなります。
まず救急車から「応益負担」を始めよう
そこで提唱したいのが、「応益負担」、つまり「受益した者がコストを負担する」、という考え方です。
公的な救急搬送サービスは可能な限り維持すべきではありますが、残念ながらごく一部には「▼夜中に50回も電話してくる、▼軽症なのにタクシー代わりに救急車を利用する、▼昼間に病院に行けないという理由で救急外来のコンビニ受診をする」―――、といった使い方をする者もいるわけです。
だからこそ、熊谷氏の著書で述べられているような、緊急性が認められない救急車の利用を有料とする措置が必要ではないでしょうか。
この熊谷氏の指摘はまったくその通りであり、国民ひとりひとりが意識を変えるしかないのですが、残念ながら自発的に意識が変わるのを期待しても、そうなるという保証はどこにもありません。やはり意識を強制的に変革するためには、応益負担しかないのではないでしょうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いずれにせよ、著者自身は日本に蔓延する「応能負担」、「累進課税」といった、いかにも官僚などが好きそうなマインドについては変革が必要だと考えており、救急サービスについても無料を維持するのは本当に必要な部分(たとえば相談や重症者の搬送など)で良いと思います。
というよりも、この救急車問題も契機としつつ、行政サービス全般を「応能負担」から「応益負担」にシフトさせ、社会の考え方を変えて行くことが必要ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
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消防車、救急車は呼んだこともお世話になったこともないですなあ。
いちど丁字路で曲がり切れずに引っくり返った軽四に遭遇して警察を呼んだことはあります。シートベルトで宙吊りになってたので怪我はないのは中の人と話して確認してましたが、そう事故のときは外傷がなくてもむち打ちとかないか念の為診てもらう必要があるそうで、警察から救急に要請がいきました。
不必要な人がタダ乗りする一番の問題は、本当に必要な時に迅速に対応できなくなることなので、明らかに緊急性がなかった場合の有料化は当然かとおもいます。ただ事故当で結果的に運よく軽傷や、無傷だったから有料までは行き過ぎなとでもしかしたら大事だったかもしれないケースには適応しないようお願いしたいです。
定額でなくタクシーの3倍の従量制がいいのではないでしょうか、
私は歩行中に交通事故で救急搬送された経験があります。幸いにも腰部打撲とむち打ちですんでいますが、その際の救急搬送の要請は現場検証の警察官が行ってくれました。
そのような経験や、最近の猛暑での高齢者等の熱中症対応なども考慮し、行政関係者(行政・警察、民生委員など)からの要請や事故証明などがある場合は、軽症の症例であっても無償とするなどが適当ではないかと思います。
それをやると、民生委員を恫喝して119番を強要する輩が出てきそうで.....
ん~
“資産家が国民年金だけ”は“貰うときも基礎年金だけ”なから別段ナントモ…ソノ資産家やらが固定資産税とかタンマリ納めてるンならば年金給付財源の税由来部分で貢献しとるんやろし
知らんけど
救急車もなぁ…“応益負担”の仕組みづくりが厳しいわナ
真面目なヒトはより呼ぶの我慢しそうなし、アホはそんなんカンケー無しに変わらず呼びそうなし、こんなけ単身世帯が増えて世帯年齢上がってきたら脳血管障害とか自覚症状出始めと当人のパーソナリティの順列組合せなんかで不安強い層はすぐ呼びそうなし真面目に遠慮して悪化からの~とかも有りそうなし、コラ肚据えて仕組まにゃ社会不安増悪して治安とかにも響きそうなし
知らんけど
ナンゾ妙案は無いもんかの~知らんけど
富士登山では下山は「ヘリで」 なんてこれこそ舐められた話も出てきますね
我々(日本文化)は救急車は「税金」で運用されていることを知っています
つまり「公」ですね
でも「下山はヘリで」と考える人たちは「タダ」と考えるわけです
「タダで儲けた」 と思う人達です
でも世界を見ると「公」よりも「自分の利益が第一」の方が多いわけで
だから常に争いが生まれているわけで
私としては「入院以外は実費府負担」で良いかと
「タダ」と思っている人が増えているわけで取り留めなく救急車を増やすことになりそう
「経済を生命より優先する」と表現すると凄まじくカンジが悪いですから、最適化が難しく、どうしても性善説と安牌が選ばれがち→「生命が最優先なので迷わず通報してください」となってしまう問題でしょうね。
悪意をもって不要な救急要請をする者と、善意だが素人に判断ができないので万全を期して救急要請をする者とが、明確に判定できれば良いのですが。トリアージの考え方なんかは受け入れられてきましたし、救急に関する市民講習などに力(予算)を入れると結果的に全体コストは削減できるかもできないかも。
私はかつて、軽度な交通事故に遭い、気をまわした周囲の人が119番してくれたが、軽傷なのは自覚して居たし、実は先を急ぐ用事もあったので乗車を拒否して帰ってもらった事があります。
また亡父がかなり頼りなくなって来て、不調に陥ったので病院に行ったが何故か診察など受付けてくれなくて、救急車を呼んだ事があります。てか、救急車の仕事の大半はその時その患者を受け入れてくれる病院を電話で探してくれる任務なんじゃないか?とその時には感じました。30分ぐらいでしょうか?救急隊員さんは根気よく受け入れ可能な病院を探して下さいました。結果見つかった病院にそのまま入院と言う事になり、緊急時は終えたが同じ病院の老人病棟への入院に切り替わり、数ヶ月後にそのまま亡くなりました。
この事から①利用を拒否した場合。利用拒否でも既に現地まで救急車は来て居る訳で。中の機器や隊員の専門技術は全く使って居ないが、タイムロスは確実にご迷惑をかけました。これはどうするのか?また②こちらが頼りに最寄りの病院に行っても門前払いされ、余儀なくされて救急車に来てもらって次々と受け入れ先を電話して頂かないと緊急時でも案外受け入れ病院はない、と言う事。救急車でも30分はかかって居ます(受け入れてくれなかった病院の前で駐車して電話してくれました)。隊員さんの専門知識や高度な車内機器は全く無くても良かったが、救急隊員からの電話は是非ともこの時必要でした。これはどうしたものか?
一概に私は救急車の負担とか意見は無いのです(有料化もやむなし)が、こうしたさまざまなケースがある。割り切れない部分だと思いました
応益負担は良いと思います。救急車は別として、公益財団法人とかの補助金の妥当性というのは、ありかも。具体的にどんな公益をもたらしたのか、費用対効果を利害関係のない公認会計士が監査するとか。ただ、儲からないかも。
なんでも金で解決するかというとそうではない気がする。
交通ルール、ごみの分別・ポイ捨て対策等のアナロジーで考えると、救急車の呼び方・判断基準を義務教育で教育するのが、時間はかかるが一番良い気がする。
一部自治体では不必要な救急要請にペナルティを課しています
"茨城県では重篤な救急患者の受入れなど、大病院が本来の役割を果たし、本県の救急医療体制を維持するため、救急車で搬送された方のうち、救急車要請時の緊急性が認められない場合は、一部の大病院において選定療養費を徴収いたします。"
べつに実費を取らなくてもいい。数百円でいい。それだけでも、タクシー代わりに救急車を呼ぶ奴は激減すると思う。
高齢者医療が無料だった頃 (大昔)、病院の待合室は元気な年寄りの井戸端会議場だった。高齢者からも1割取るようになったら、待合室から元気な年寄りの姿が消えた。
無料と有料の差は大きい。