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芋蔓論争の結論は「頭悪い官僚から財源を取り上げよ」

Xで最近、「大きな政府が良いか、小さな政府が良いか」、といった論争が生じ始めているようですが、これは質問が悪いです。正しく尋ねるべきは「効率的な政府が良いか、非効率な政府が良いか」、です。誰しも「効率的な政府」の方が良いと答えるのではないでしょうか?そして、日本政府の官僚は、ときとしてわけのわからない事業を始めようとしているなど、あまり賢くないことを踏まえると、とりあえず政府から財源を取り上げるのが正解ではないか、などと思うのですが、いかがでしょうか?

ネット時代に税社保取られ過ぎに気付く国民

大事な情報はインターネットで手に入る時代に!

社会のインターネット化が急速に進んでいる、そしてこのインターネット化は不可逆的なものである、などという話については、当ウェブサイトではこれまで何度となく、滔々と説明してきた論点のひとつです。

紙媒体で出版される新聞や雑誌、電波媒体で放送されるテレビやラジオなどのことを「オールドメディア」と呼びだしたのは、著者自身の記憶だと、自民党所属参議院議員である青山繁晴氏ですが、今ではこの「オールドメディア」という呼称はすっかり世の中に定着した感があります。

それはともかくとして、インターネットが普及し、たいていの情報はオールドメディアではなくネットで手に入る時代が到来すれば、今まで主流派のオールドメディアが流さなかったような情報も、インターネット上でどんどんと流れてくるようになります。

そのことは、当ウェブサイトの読者の皆様ならば、誰よりも深く理解していることでしょう。

なにせ、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士の記事自体、基本的に紙の出版物に掲載されることがなく、ネットでしか読めないからです(※といっても、著者自身はこれまで、『月刊WiLL』や『月刊Hanada』、『月刊正論』などに論考を寄稿させていただいたことはありますが…)。

いずれにせよ、大事な情報はインターネットで手に入る時代になったのです。

反ネット論者の危険な思想

もっとも、社会のネット化については「悪いことだ」、などと述べる人もいます。

たとえば、こんな言い分です。

知的訓練を受けていない素人が気軽に情報発信できる状態を是正し、責任あるマスコミが権威を持つべきだ」。

これについては昨年の『【インチキ論説】「馬鹿に選挙権とSNSを与えるな」』あたりを読んでいただければ何となくイメージが付くと思いますが、端的にいえば、危険思想そのものです。インターネットの最大の長所は、「誰でも情報発信できること」にあるからです。

当ウェブサイトだって、そうです。

山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士は、べつに今までに新聞社の採用試験に受かったことなどありませんし、雑誌社で働いたこともありません(※ただし、一部の新聞や雑誌には実名で、定期的にコラム記事を寄稿していたりもしますが…)。

端的にいえば、この世の中には「情報発信のための資格」などありませんし、極端な話、ネットにつながる環境さえあれば、そこのあなたでも今すぐに無料でブログサイトに自身のブログを開設し、あるいはYouTubeチャンネルを開設し、ブログなり、動画なりの投稿を始めることだってできます。

その際に、情報発信の水準が拙いという理由で情報発信を禁止されることはありません(ただしお使いのブログサイトや動画サイトによっては違う理由で「垢BAN」を食らうことはありますが、これはまったく別の問題です)。

要するに、個々人が自由好き勝手に情報を発信し、そうした情報が多くの人の目に留まることがあれば「バズ」が発生することもある、という話です。

著者自身も当ウェブサイトの主張内容が100%、絶対的に正しいものだとは考えていませんし、実際、当ウェブサイトではこれまで選挙情勢を読み誤るなどした事例、あるいは著者自身がおっちょこちょいで法令解釈などを盛大に誤った件、デタラメな試算を出した件などがいくらでもあります。

(※これらのなかには読者の皆様に多大なご迷惑をおかけした件も含まれており、改めて深くおわびする次第です。本当申し訳ございませんでした。)

国民の多くは賢明…ネットのマトモな言説を信じる

ただ、それと同時に重要なことがあるとしたら、当ウェブサイトの記事の内容は「絶対的な真実」を皆様に伝えるという趣旨のものではなく、むしろ、読んでくださった皆様にとって「知的好奇心をもって考察する」きっかけくらいになれば良いというレベルのものです。

そして、こうした「必ずしも正解なのかどうかはわからないが、人々があるテーマについて考えるきっかけ」、というものは、じつはネット上にはゴロゴロ転がっています。

もちろん、それらのなかには大変危険な思想(※たとえば「反ワクチン」など)も混じっているのですが、著者自身が見たところだと、もちろんこうした危険思想に嵌る人もいるにはいますが、圧倒的多数の常識的な国民からは相手にされていません。

というよりも、社会のネット化が進むに従い、むしろ思想の多様化を伴いつつも、圧倒的多数の国民が常識的な判断を下していることは間違いないのです。

税社保の取られ過ぎ問題に気付く人がずいぶん増えた

こうしたなかで最近、とくに目につくようになったのが、「税社保を取られ過ぎている」とする趣旨の主張でしょう。

著者自身も当ウエブサイトを通じ、あるいはXを通じ、現在の日本がいかに異常な額の税・社保を取り立てているかについては、これまでもずいぶんと指摘してきたつもりです(これについては、たとえば『税社保取り過ぎの日本の実態詳説』あたりもご参照ください)。

ただ、当ウェブサイトやXなどで使用してきたこんな図表が、どうやらネット上では拡散されているらしく、これと似たような図表を作る人も増えてきています。

図表 人件費400万円の場合の手取り

これなど、大きな社会的変化です。

社会保険料が2回取られ(会社負担分と本人負担分)、そこからさらに所得税や住民税などが取られ、さらには可処分所得から「税と名乗らない税」(再エネ賦課金やガソリン税、NHK受信料など)を負担させられているというのが現在の税制・社会保障制度の実態です。

ちなみにこんな図表、「初めて見た」という方も多いのですが、これなど、人件費と手取りの実態を、新聞やテレビなどのオールドメディアがこれまでろくに報じてこなかった証拠でもあります。なにせ、ネット上では日増しに、税金や社保を「取られ過ぎている」という意見を目にするようになってきているからです。

すなわち、多くの国民にとって、税・社保の負担がもはや限界点を越えてしまっている、ということではないでしょうか。

芋蔓論争で見えてきた問題点

芋蔓式に発展する議論

そして、ネットの面白いところは、それだけではありません。

「税・社保の負担が重すぎること」から、「それを何とかして下げてくれ」という要求が、国民から自然発生するようになったのです。

そうなると、そこから議論は芋蔓(いもづる)式に発展していきます。

もちろん、官僚や政府などの立場に立って「減税できない理由」を延々語る人もいますし、受益者の立場から、「現在の社会保障制度にどれだけ助けられているか」、「現在の各種補助金制度がどれだけありがたいか」を証言する人もいます。

ただ、こうした「減税できない理由」に対しては、ひとつひとつ、非常に鋭い指摘が飛びますし、さらに現在の受益者(=タックスイーター)の主張に対しては、それらの恩恵を受けていない立場の人たちから、こんな趣旨の反論が寄せられるのです。

「自腹でやれ」、と。

これらの論争、どちらの側の主張が正しいのかについては、本稿では敢えて指摘しません(本来ならば、指摘するまでもない話かもしれませんが)。

政府のサイズは大きいのが良い?小さいのが良い?

ただ、これらのネット上の論争は、次のごく当たり前の命題から議論されるべきものかもしれません。

政府のサイズは大きいのが良いか、小さいのが良いか」。

すなわち、これがいわゆる「大きな政府論」、「小さな政府論」です。

一般に「大きな政府論」とは、政府が積極的に民間経済に介入し、経済を安定させるなどするほか、行き過ぎた所得格差を是正するなどして、人々が平等に豊かな暮らしを享受できるような社会のあり方を模索する考え方、と位置付けることができます。

これに対し「小さな政府論」は、政府は民間経済にはできるだけ介入せず、また、多少の経済格差や富の偏在などの社会的な不平等が生じても、これらについては「本人の自己責任」とし、あまり積極的に救済しない、とする考え方と位置付けられます。

大きい政府が良いか、小さい政府が良いか。

これは正直、結論がない議論といえるかもしれません。

「小さな政府論」が行き過ぎれば、富める者がますます富み、貧しい者はその日の暮らしにすら事欠くような社会が出来上がるかもしれませんし、国民皆保険が存在しなければ、貧しい人はお医者さんにすら行けずに、軽い風邪でも命を落としたりする社会になるかもしれません。

しかし、「大きな政府論」が行き過ぎれば、「結果の平等」を重視するあまり、ちょっとでも平均よりも収入が多ければ懲罰的に高い税金を徴収され、結果、能力ある人にとって努力して働くことが馬鹿らしくなってしまい、ひいては社会全体が沈滞することにもつながりかねません。

このように考えていくと、おそらく多くの人にとっては、どこかの国のように貧富の差が開きすぎてしまい、社会が不安定となってしまうことは望んでいないでしょうし、それとは逆に、まるで社会主義国家のように、政府が国民生活のすみずみにまでなんでも口出しをするような社会もまっぴらごめん、と思うのではないでしょうか。

では設問を変えよう…「効率的?非効率」

著者自身は結局のところ、政府のサイズについては著者ごときが決められるものでもなく、何年、何十年という単位で、各政党がしのぎを削り、それぞれの選挙で多数を占めた政党が主張するようなサイズに落ち着いていくのに委ねるしかないと考えているのです。

ただ、「大きい政府が良いか、小さい政府が良いか」、という設問は、なかなかに答えが見つからないものですが、ここで設問をこう変えるとどうでしょうか。

効率的な政府が良いか、非効率な政府が良いか」。

著者自身がアンケート調査を実施したわけではありませんが、想像するに、おそらく全体の9割前後は「効率的な政府が良い」と答えるのではないでしょうか?

ここで「効率的」とは、大きい政府なら大きい政府なりに、小さい政府なら小さい政府なりに、集めた税金をできるだけ有効に活用する政府のことを意味します

人件費総額の最大18.3%にも相当する莫大な保険料を毎月の給料や賞与から徴収しておきながら、将来の給付水準があまりにも低すぎる厚生年金。

同じく人件費総額の最大13%にも相当する莫大な保険料を毎月の給料や賞与から徴収しておきながら、高い保険料を支払わされている人ほど、いざ大病を患った時の自己負担額の上限が異常に高く設定され、治療を諦めざるを得ない健康保険。

生まれたばかりの赤ちゃんのオムツ代からも容赦なく10%の税金を奪い取っていくわりに、なぜか社会の何の役にも立っていない新聞には8%の軽減税率という優遇措置が適用されるなど、極めて雑で乱暴な仕組みの消費税・地方消費税。

年収が高ければ高いほど多額の税金を負担させる「累進課税」制度を取っていながら、その高額所得者に対しては所得制限でさまざまな行政サービスが打ち切られ、「応能負担」と称して保育料などの行政サービスも異常に高額となる行政体系。

なんだか、日本の税制や社会保障、各種行政サービスは、バグだらけでメチャクチャです。

とりわけふざけている制度が年金で、そこそこ高額の所得者は、(理論上最大で)生涯数千万円から1億円の保険料を負担させられるわりに、将来受け取れる公的年金額の見込額は年間せいぜい300万円前後というから、開いた口がふさがりません(受け取れる年金額などは、年齢により幅があります)。

それだったら最初から年金保険料など徴収せず(あるいは厚年ではなく国民年金に一本化し)、莫大な社会保険料の徴収を停止して報酬比例分を廃止してくれた方が助かります。厚年保険がなくなるだけで、可処分所得が増え、将来のために運用する余裕資金もできるというものでしょう。

官僚は決して賢くない

このように考えていくと、日本の官僚は権力を持ちすぎているわりに頭が悪く(とくに財務省)、そんな官僚らに税金の使途を考えさせるのは、ちょっとリスクが高すぎます。

このあたり、先日お会いしたさる高名なジャーナリストの方は、こんな趣旨のことを指摘していたのが印象に残っています。

日本の役所にはね、民間に任せておくとうまくいかないという信念のようなものがあるんだよ。だから企業や国民のサイフに手を突っ込んで税金で回収していき、自分たちで使おうとするんだよ」。

この説明が、個人的には最も腑に落ちるものです。いわば、一種の「愚民思想」のようなものだからです(ちなみに官僚の多くが国民を「愚民」と見下しているフシがある一方、その官僚自身が愚鈍である、という点は、なかなかに面白い気付きではないかと思う次第です)

もちろん、「大きな政府」を志向する国民が増えれば、政府のサイズが大きくなること自体は悪い話ではありませんし、そのことを個人的に否定するつもりもありません。その時々の国民の選択の結果として、税、社保等の負担が増えたとしても、政府がそれらを効率的に活用してくれれば済む話でもあるからです。

しかし、最大の問題は、日本政府は金の使い方が絶望的にへたくそである、という点にあります。その典型例が『減税の方が早いのに…政府はなぜ取って配るに拘るのか』でも取り上げた、こんな記事です。

性や妊娠の知識普及へ5万人養成 政府、初の5カ年計画

―――2025年5月21日 13:27付 日本経済新聞電子版より

日経電子版によると、「こども家庭庁」は同日、性や妊娠に関する正しい知識を身に着けて健康管理に生かす「プレコンセプションケア」を巡り、「企業や地方自治体で情報発信や啓発に取り組む人材を今後5年間で5万人養成する」ことなどを盛り込んだのだそうです。

これ、通常であれば義務教育の範疇にあるものですし、そんな「情報発信や啓発」など、公費でやるべきものでもありません。政府がこんなバカな事業を進めようとすればするほど、やはり官僚から財源を取り上げることの必要性が意識されます。

政府から財源を取り上げる

残念ながら現時点においては、日本政府にカネを与えたら碌なことに使わない、と判断せざるを得ないことについては間違いなく、こうした観点からは、やはり政府に与える財源を抑制するのが最も手っ取り早い方法ではないかと思うのです。

当然、「政府から財源を取り上げる」手段は、減税です。

その過程で、たとえば年金を賦課方式から積立方式に移管させる(そして過去に徴収しすぎた社会保険料を国民に返す)ための年金国債などについては発行すべきだと思いますが、やはり健康保険の収載項目の厳選と高齢者の窓口負担を3割以上に引き上げるなどの方策も必要です。

もちろん、いったん劇的な減税が実施された場合は、それによって日本経済が不死鳥のごとく大復活してしまう可能性が極めて高いため、「現在の日本の財政は危機的状況」などとウソをついてきた財務省は、極めてまずい立場に追い込まれます。

少なくとも過去の虚偽の主張につき説明を求められますし、場合によっては権力を持たないよう、いくつかの庁に分割される可能性もあるためでしょうか、現在の財務省は減税要求を打ち消すために必死になっているフシが見受けられます。

たとえば、こんな具合です。

消費税の減税に否定的な人たちの言い分の例
  • ①税率下げたら再び上げるのが困難
  • ②減税決まると買い控えが発生する
  • ③現場の値札付け替えの作業が大変
  • ④消費税下げたら社会保険料上がる
  • ⑤消費減税主張するなら財源を示せ
  • ⑥消費減税金持ち優遇で庶民いじめ
  • ⑦苦労して増税した政治家に失礼だ

いずれにせよ、これらについてはXなどで徹底的にボコボコに叩かれていますし、財務省などの「減税反対派」の理論的基盤が落城するのも時間の問題と言えますが、やはりここから先重要なのは、私たち有権者の投票行動でもあります。

増税に反対する人、減税に賛成する人は、それらの主張に最も近い政党・候補者に票を入れることになるでしょうし(※もしかしたら例の「反ワクチン」候補を擁立した政党も躍進するかもしれません)、そうなると、次回以降の選挙でも、「減税を主張したら躍進できる」という成功体験につながる可能性もあります。

結局、1回の選挙ですべてを変えることはできませんが、それでも多くの国民が強く減税を求める状況が続くなかで何度も何度も選挙を実施していけば、増税を主張するあらゆる政党・あらゆる政治家は議席を失い政界から消えていきます。

とりあえず当ウェブサイトの読者の皆様の中で、減税や社保の引き下げを求める方がいらっしゃるならば、少なくとも「増税政治家を落選させる」というつもりで選挙に臨んでみるのも良いのかもしれない、などと思う次第です(※少なくとも著者自身は反ワクチン活動家の当選につながりかねない投票行動は控えるつもりですが…)。

新宿会計士:

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  • >消費税の減税に否定的な人たちの言い分の例

    ①~⑦のうち

    ①は過去消費税率を下げた経験はないが、上げたときの選挙に与えた影響を考えると「政治的に」困難、つまりどの政党が政権にいてもやりたがらないだろうなというのはわかる。やれば票失うから。

    ②は私なら買い控えるね。明日になれば8%引きで買えるものを今日買わないでしょう。

    ③~⑦は屁理屈だね。

  • このサイトは数字をもとに議論していることが多いが、
    後期高齢者医療費1割負担を3割負担。言うのは簡単だけど加入者1人あたり年90万円以上の医療費の3割を平均所得83万円の人が払えるのかね。しかも一人平均69000円の保険料払ったあとで。

    日本一の富豪、ユニクロの柳井さんも日本電産の永守さんも後期高齢者保険に入っているはず。
    保険料は年50万円が上限だそうだ。
    これって後期高齢者保険に入る前よりも明らかに低いんじゃない?

  • 現石破政権は、高市自民党総裁候補潰しの為、棚ぼた的に成立しました。
    なので、政権基盤も弱く、言わば霞が関官僚の思うがままのリモコン政権。
    >官僚は決して賢くない
    という仮説の正否を判断するのは最適な官僚の考えが透けてみえる仮装官僚政権でしょう。
    で、あれやこれやのご提案。
    高所大所からの全体的俯瞰など全く出来ない、という点において、官僚は決して賢くないという仮説は正しいのでしょう。
    省益最適化の為の施策、自身の将来のキャリアデザインの布石生成に関しては大変賢いのが官僚である。と言えると思います。

  • *徴(と)って配るに固執する訳

    利権の数だけポストがある。(含む:天下り等)

    ・・・・・
    *官僚のくだらない戯言

    官僚A:減税ってどうなんだろう? 
    官僚B:え?、減税??? あまくだりらない はなしすんなよ!

    官僚C:なんか、内心の声が聞こえた・・。

  • 「財源が無い」ならば支出を削る方法もある。例えば、政府に反抗して、最高裁まで争って敗訴したにも拘わらず、まだ、実行しない地方自治体に例年通り地方交付金を支給するとか、外国にバラまく金をやめて、外国からの攻撃に備えるための財源にするとか、・・・。
     国の借金が増えたのは、政治家だけの責任ではありません。そういう予算を作成した財務省にも責任があります。財務省は政治家の言うことを聞いただけだと抗弁するでしょうけど、そうでないことはバレバレです。借金した金はどこへ行ったかも説明して欲しい。官僚の給料と退職金、天下り先への支払いと、政治家の懐へ行ってしまった、のでないならば、説明して欲しい。

     官僚は、頭悪くはありませんよ。少なくとも、自分の得になることに関しては。

     ミクロ経済に基づくマクロ経済への妬みの議論はやめましょう。

  • 日本はギリシャよりも悪い財政状況なら、議員や公務員特に財務省関係者のボーナス全額カットにすべきですね、即刻。

  • 日本の官僚は今も昔も決められた事しか出来ない無能ですよ。昔は政治家が何とかしていたので日本が発展できたのです。
    これからの時代は現場職以外は官僚を電子化で減らしてどんどん小さい政府にするべきです。逆に現場には手厚いサポートをすべき。

  •  コメ問題など、「農水省(とJA)が全責任を負え」「政府が無能な為起きたもので有能なら解決できるはずだ」といういわば大きな政府志向の意見と、旧減反政策の発端・建前である「コメ供給の透明化と農家の自主性を強化せよ」、「(流通等を無視して)JAの排除や海外米を受け入れた自由競争で解決できる」といういわば小さな政府志向の意見とが、場合によっては同じクチから飛び出たりするので不思議です。
     前者であれば、減反を始めとした政策介入を肯定し、物価高騰を無視して何年も維持された圧倒的な安価を、欧米の小麦(農業収入のほとんどが補助金というレベル)のように補助金を惜しみなく垂れ流すことで維持すれば良いし、後者であれば、現状の異常高騰はただの市場の自然現象として受け入れるべきなのですが。
     政策がどっちつかずだったのは否めませんが。どちらが効率が良いのか、効率が悪くてもどちらかを選ぶべきなのか、という面で象徴的な出来事に思えます。

  • 個人的には経済成長を目指す政府か否かですね。
    今の政府は将来の借金を減らすために成長の芽を摘んでいる様に見える。

    財務省は国債のGDP比が高いことを問題にしてるわけで、
    それならどうやって経済成長させればいいかに注力して欲しい。
    その意味でリフレ派の高市議員が選ばれなかったのは非常に残念でした。