現在、日本の隣に「奇妙な国」が生まれかけているようです。「三権分立は幕を下ろすべき」。そんな発言を聞くと、私たち日本人の多くは驚いてしまうかもしれませんが、もっと恐ろしいことに、肝心の当事者たちの危機感は薄いようです。この現状、私たち日本人としても無関心でいてはなりません。日本国内の政治状況には心もとないものがありますが、こんなときこそ私たちはしっかり鈴置論考を読むべきなのです。
目次
約9年前の韓国「ろうそく革命」
今から9年前のことです。
韓国で大統領が個人的な友人に対し、国家機密を漏洩していたなどとして、毎週のようにデモが発生。
ついには国会が大統領の職権を停止し、翌年には憲法裁が罷免判決を下すという事件がありました。
2016年に国政壟断事件が発覚し、2017年3月に罷免された朴槿恵(ぼく・きんけい、ボー・チンフエイ)氏は朴正煕(ぼく・せいき)元大統領の長女でもありましたが、わが国では安倍晋三総理大臣との対話を拒否し、猛烈な反日路線を推し進めた大統領としても有名です。
朴槿恵氏が大統領に就任する少し前、日本のメディアはやたらと「朴槿恵時代で日韓関係は良くなる」などとはやし立てていたことが、個人的には今でも強く印象に残っています(現実には日韓関係はどんどんと疎遠になっていったのですが…)。
ただ、この一連の事件で印象的だったのは、韓国メディアからやたらと流れてくる、「我が国はろうそく革命(※)で平和的に大統領を辞めさせた」などとする自画自賛でした(※「ろうそく革命」とは、市民が毎週土曜日、ろうそくを手に朴槿恵氏の退任を要求していたことを指します)。
「ろうそく革命はフランス革命と同列」?
実際、朴槿恵氏の後任大統領に選ばれた文在寅(ぶん・ざいいん、ウェン・ツァイイン)氏は、この「ろうそく革命」をフランス革命と同列の「革命」だったとなぞらえたと伝えられています。
【中央時評】われわれは今、革命中なのか=韓国(1)
―――2018.10.26 15:14付 中央日報日本語版より
自分たちで選んだ大統領を選挙という手段によらずに自分たちで引きずりおろした事件を「フランス革命に比肩し得る革命」とは、個人的には違和感以外何もありませんが、その点はとりあえず脇に置きましょう。大事なことは、「彼らの中では」、韓国は世界トップレベルの民主主義国になった、という評価なのです。
ただ、著者自身が当時、個人的に懸念したのは、いったん民主主義の手段によらずに大統領を辞めさせるという事例が定着したら、今後、政治的な対立が司法を巻き込んで、気に入らない大統領を弾劾で辞めさせることが常態化するのではないか、という点でした。
通常の先進国・民主主義国では、司法が政争に巻き込まれないよう、裁判所は議会、行政府と三権を分担し、相互牽制しながら独立を保つのが一般的ですが、どうも韓国では朴槿恵事件以来、司法の独立が損なわれているのではないか、などと思しき事例が相次いでいるのです。
文在寅政権時代の2018年10月以降、韓国の最高裁に相当する大法院が下した、いわゆる自称元徴用工問題に関する一連の国際法違反判決もそうですし、自称元慰安婦らが日本政府に対し損害賠償を求めた2021年1月の主権免除違反判決もそうです。
「三権分立は幕を下ろすべき」
国内の政治的な事情で司法が法に反した異常な判決を下し始めている―――。
通常、そんな国を、もはや法治国家などと呼ぶことはできません。
ときは下って、今年は尹錫悦(いん・しゃくえつ、イン・シーユエ)大統領が罷免される、という事件が発生したことは記憶に新しいところですが、これに関し、日本がゴールデンウィーク中の5月3日には、こんな記事も出て来ています。
共に民主党シンクタンクの元副院長「三権分立は幕を下ろすべきだ」「司法府の解体も考えるべき時期」
―――2025/05/03 11:45付 朝鮮日報日本語版より
これは、韓国の最大政党である「ともに民主党」の李在明(り・ざいめい、リー・ツァイミン)氏を巡って、公職選挙法事件で同党のシンクタンクの元副院長が「三権分立というものはもう幕を下ろすべき時代ではないのか」と発言した、とするものです。
「三権分立は幕を下ろすべき」、は、なかなかに強烈な発言です。
なんでもこの人物はネット番組に出演し、「行政府と立法府は選出された権力だが、司法府は選出されたものではない」などとしたうえで、「今後は任命される司法府から(選出される)司法府に転換すべき時期になったようだ」、などと述べたのだとか。
裁判官が民主的に選ばれた人たちではない、というのは、主要な民主主義国家では共通の話であり、べつに韓国に限った話ではありません。
もちろん、日本でも「モンスター判事」が異常な判決を下すなどの事例が相次いでいることから、著者自身も司法に対する民主主義的な牽制を強化することは必要だと考えていますし、また、裁判所の違憲立法判決についても、立法府が再び可決すれば覆せる、などの仕組みはあってもよいと思っています。
しかし、さすがに「三権分立は幕を下ろすべき」、は斬新過ぎて驚きます。
日本のメディアのなかには「韓国の民主主義は日本(のそれ)を越えた」、などと絶賛する向きもありますが、実態を調べれば調べるほど、その内情はお寒いと言わざるを得ないのではないでしょうか。
「韓国の特殊性」に警鐘鳴らし続けた鈴置氏
ただ、こうした韓国の特殊性に、(著者自身が知る限りは)少なくともおよそ20年以上前から警鐘を発し続けてきている人物がいることをお伝えしておかねばなりません。
当初は日経ビジネスなどの場で、現在はデイリー新潮などの場で、精力的な情報発信を続けているのが、韓国観察者の鈴置高史氏です。
日本のメディアが「韓国礼賛論」を展開するなかで、鈴置氏は一貫して、とにかく客観的な証拠を山ほど積み上げながら、事実を淡々と指摘するというスタイルで韓国観察を継続してきたのです。
余談ですが、当ウェブサイトでも常々申し上げているとおり、この鈴置論考のスタイル、つまりきちんとした証拠をもとにできるだけ冷静に考察するという議論の積み上げ方は、韓国観察論のみならず、科学的思考態度が求められるあらゆる事象にもそのまま当てはまるものだと思う次第です。
それはともかくとして、鈴置氏が15日付で公表した次の記事は、まさに「韓国がますますおかしくなっている」という現状報告です。
三権分立が完全に崩壊、韓国に民主政治が根付かないのはなぜか――鈴置高史氏に聞く
―――2025年05月15日付 デイリー新潮『鈴置高史 半島を読む』より
リード文には、こうあります。
「韓国の左派政党が裁判官を脅し、自らが擁立した大統領候補への判決を選挙後に延期させた。保守政権の戒厳令宣布に続く民主政治の破壊だ。あんなに苦労して手に入れた民主主義を、韓国人がいとも簡単に捨て去るのはなぜか――」。
鈴置氏によると、左派「ともに民主党」の李在明氏を巡り、韓国最高裁が二審の無罪判決を破棄して審理をやり直すよう高裁に命じたところ、高裁側は5月15日に予定していた初公判を大統領選(6月3日)後の6月18日にずらしたのです。
これがなぜ、「韓国の三権分立の崩壊」といえるのでしょうか。
「李在明有罪」は回避された
鈴置氏によると、もし李在明氏に罰金100万ウォン以上の刑が確定すれば、5年間被選挙権を失い、6月3日投開票の大統領選事態にも出馬できなくなるからです。すなわち、公判期日を大統領選後にずらしたことで、選挙前に李在明氏の有罪判決が確定することはなくなり、晴れて出馬が可能になったからです。
しかも恐ろしいことに、こうした三権分立の崩壊、あるいは「李在明独裁」に向けた現在の状況に、韓国国民の間では危機感が薄い、というのです。
これについて鈴置氏は、こう述べます。
「韓国は天災でもないのに戒厳令が宣布される、異様な国になっていることを見落としてはなりません。野党の司法介入に対し保守の知識人がいくら非難しようと、三権分立を理由に国民が怒って立ち上がる、なんて空気はないのです」。
そんな状況なのに、どうして日本のメディアはこれをろくに報じないのか。
どうしてその疑問が日本の「政治学者」から出てこないのか
鈴置氏に言わせれば、西洋の冷静な韓国観察者の間では(文在寅政権の法務部に対する)指揮権発動あたりから「韓国民主主義の後退」が話題になっていたのだそうですが、これについて欧州の研究者から鈴置氏に、こんな質問があったのだそうです。
「台湾の民主化は着実に進展しているのに、韓国では後退が始まった。なぜだと思うか」。
こうした質問が日本の政治学者・研究者などから出てこないあたり、日本の政治学のレベルの低さには驚きますが(笑)、それはともかくとして、こうした欧州研究者の疑問に対し、鈴置氏は「儒教国家特有の法治意識の乏しさ」で説明したのだとか。
いずれにせよ、現在、日本の隣に「奇妙な国」が生まれかけているという現状については、私たち日本人としても無関心でいてはなりません。日本国内の政治状況には心もとないものがありますが、こんなときこそ私たち日本の有権者がしっかりと国際情勢を認識しなければならないのだと思う次第です。
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1 2 次へ »日本の隣に第二北朝鮮が産まれつつある。脅威でもあり、チャンスでもある。個人の尊厳を保障しない独裁国家の生産性は低くなる。つまり韓国は元々敵だったが、更に弱い敵になると言う事。叩き潰すのは容易。が、岸田、石破の様な日本人かどうかも疑わしい無能政権が国民の血税を恣意的に運用して無用有害な譲歩をしかねない。この場合、非常識な野蛮国家の横暴に応じる日本の打撃は大きい。敵国韓国が敵性蛮国に完全に生まれ変わる前に、日本の政治を正常化しないと、我々は後世の子孫から軽蔑される事になる。次の選挙は重要な歴史の転換点となるかも知れない。
果物がなぜ美味しいのか、どうすれば美味しく育つかを理解せぬまま、品種だけをパクって異様に杜撰な大量生産をし、驚くほど不味い果物で溢れかえる。
建物を立てるのになぜお金が沢山かかるのか、どうすれば安全に利用できるかを理解せぬまま、ガワだけ立派にして、ほどなく崩落する。
事故がなぜ起こるのか、起きるにしてもどう被害を抑えたり責任の所在を明確にして改善に繋げるかを理解せぬまま発展し、電車は火葬装置となり船は沈み道路は凄まじい頻度で陥没する。
なぜ民主主義があるのか、三権分立が民主主義にどう作用しているかを理解せぬまま先進国ぶり、K民主主義だのなんたら革命などと意味不明なことを誇り、三権分立を投げ捨てる。←New!!
驚くほど全て根が同じ。無理解と虚栄。
韓国はダイナミックな国だそうです。民主主義は必ずしも同調すべき人類究極の思想というわけでもないでしょうから、民主主義だの法治主義だの資本主義だの自由主義だのといった、凝り固まり行き詰まった思想に囚われず、彼ら独自の道を切り開くべき時なのでしょう。がんばれー。
鈴置さんの新作のご紹介ありがとうございます。
こちらも一応定期的巡回しているのですが先をこされてしまいます。鈴置さん或いはデイリー新潮直接のご紹介があるのでしょうね。
早速元文読みました。
なるほどなぁ。と思いました、が、リード文に引っ掛かりました。「保守政権の戒厳令宣布に続く民主政治の破壊だ。あんなに苦労して手に入れた民主主義を、韓国人がいとも簡単に捨て去るのはなぜか」
ここは異議ありで、苦労せず棚ぼたで手に入れた民主主義だから有り難みも判らず表層的理解に留まり、本当の民主主義社会の国の人からは奇異にしか見えない行動を取るのだと思っています。
アメリカが韓国を見捨てるときが来るかもしれません。在韓米軍がいなっくなったら韓国の株価暴落?
あの国の転落はもうすぐ。
悪あがきでしがみつかれないように離れておこう。
>欧州研究者の疑問に対し、鈴置氏は「儒教国家特有の法治意識の乏しさ」で説明した
結局「韓国の特殊性」ということなのだろうけど、見方を変えれば東アジアの地域ではあれが普通で日本が特殊なのかもしれない。
デビッド ハルバースタムの「朝鮮戦争」のなかでこんな一説がある:セオドア ルーズベルトがアジア諸国と国民を基本的に劣等だとするアジア観から除外した唯一の国は日本だった。
皮膚の色と体格と目の形を除けば、ほとんどアングロサクソンであった。
封建制を経験していない国家は近代国家に成らないと言う説があります。土地と御家人の立場は神聖不可侵で法と契約は常に王冠や神より上にある。遵法精神は王より法が偉いを経験した封建制を経由しないと根付かないと言う説です。で、アジア国家で封建制は日本だけ。他は王が好きに過去の法を書き換える絶対王政ばかり。シアヌークや平安時代の公家を見るとなんと無能なことか。人間命が掛からないと本気にならない。天変地異に神に祈りをしてただけで仕事したつもりの公家を実際に災害に対処した武家より高く評価するとか大和朝廷は滅んで当然。他のアジア諸国貴族も似た様な物。武力を軽視して命を掛けない、働かないアジア貴族は例外なく無能。
>いったん民主主義の手段によらずに大統領を辞めさせるという事例が定着したら、・・
LGBT以降、党内決議を経なくなった自民党執行部のようなものですね。
ある意味の集団指導体制
↓
実質的な独断采配体制へ!
・・・・・
>「台湾の民主化は着実に進展しているのに、韓国では後退が始まった。なぜだと思うか」。
台湾の戦後は厳びしかった。(大陸からの自立)
韓国の戦後は甘やかされた。(自由が故の奔放)
*自由と無法を履き違えてるんじゃないんでしょうか?
「ろうそく革命」の時は日本のオールドメディアはまだ無理やり賞賛する元気があった。
最近の戒厳令以降のグダグダはさすがにもう体力がないのか、あるいは不利すぎて
触りたくないのか、最低限を淡々と報じるだけで賞賛も擁護も試みなくなりましたね。
こういう面でもオールドメディアが時代と共に変わっていったのを実感するなあ。
ろうそく革命はフランス革命とは違うと思いますが・・・
フランス革命も初期は議会を作ったり民主的な手法を進めていたそうですが、後半は急進派による「王権簒奪」と「独裁」「圧政」だったので、まあ、K国の歩みも似ていると言えば似ているのかもですね。
今までは違うけどこれからは、フランス革命と同レベルになるかも。(笑)
フランス革命にしても日本の歴史教科書では「その後ナポレオンが台頭した」の一行で済まされていますが、パリでは粛清合戦が起きヴァンデ戦争では50万人の死者が出ている代物ですからねえ・・・。
外国が干渉しなければ韓国に国民国家なんて無理なんですよ。地域対立も現代国家の域に達していないし。