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記者は話を聞くプロじゃないの?

「あれれ?記者って他人の話を聞くプロだったんじゃなったっけ?」こう思ったのは著者自身だけではないと思います。27日から10時間以上ぶっ通しで行われたフジテレビ、フジ・メディア・ホールディングスの経営陣による会見は、質問に立った一部記者のレベルの低さが目立ちました。つまり、フジの会見に合わせ、図らずも記者自身もあわせて全国に晒された格好です。

フジ問題は収束の目途立たず?

株式会社フジテレビジョン及びその親会社である株式会社フジ・メディア・ホールディングスの社長等による会見が10時間を超す長丁場となったことが話題となっています。

SNSなどではフジテレビを巡って「加害者」と見られていたフシがあるなかで、この長丁場の会見で、さすがに同社に対する同情意見が目に付くようになりましたし、実際、Xでも「フジテレビかわいそう」というトレンドが発生しているようです。

ただ、経営評論的な立場からすれば、フジテレビを巡っては、社長らの辞任表明や今回の会見で問題が完全に解決したと見るのは適切ではありません。『フジ異例の長時間会見もCMが戻るかどうかは見通せず』でも指摘したとおり、CMボイコット問題については、依然として収束するめどが立っていないからです。

当たり前の話です。

スポンサー側の企業にとっても、反社会的な行動が報じられたテレビ局にCMを出稿すること自体がコーポレート・ガバナンス・コードなどに照らして適切ではないわけですし、株主説明責任上もとうてい耐えられないからです。

容易に他局に波及するリスクも

それに、昨今のようにSNSの社会的影響力が強まっているなか、ほかならぬ自分たち自身がSNSで不買運動を起こされるリスクだってあります。

フジテレビ問題は同局が設置した第三者委員会がどのような報告を出すか、それに対し同局がどのような対策を講じるかが見えて来ないうちは収束しないでしょうし、それどころか、問題はフジテレビ以外の他局にも容易に波及し得る状況にあるのです。

「セクシー田中さん問題」や「募金着服問題」、「軍艦島捏造報道問題」、「椿事件」や「弁護士一家事件」など、テレビ局はNHK、民放を問わず、シャレにならないレベルの様々な問題を発生させているわけですから、今回のフジテレビくらいの騒動であれば、(NHKを除く)他局にも簡単に飛び火するでしょう。

(NHKに「飛び火」しないのは、それはそれで大きな問題ですが…。)

あれ?この記者さん、大丈夫?

さて、こうしたなか、改めてフジテレビ会見を眺めていて気付いたのが、日本の記者の「レベルの低さ」です。とある記者の場合などは、記者会見場を「自分自身の持論を開陳する場」であるかのごとく勘違いしているフシがあるからです。

敢えて実名を挙げるのは控えますが(というか、当ウェブサイトをご愛読いただいている皆さまであれば、べつに実名を挙げる必要すらないとは思いますが)、なかには「記者」ではなく、まるで「活動家」かなにかではないかと勘違いしてしまうような人もいるのは気になるところです。

AIに●●さんについて尋ねてみたら?

この点、いま流行りのAIに「活動家っぽい記者」について尋ねてみたら、こんな趣旨の回答が返ってきました。

●●●●子さんのスタイルが「記者としての役割を果たしているかどうか」は、記者会見の本来の目的や役割をどう定義するかによって評価が変わります。

記者会見の基本的な目的は、記者が会見相手から情報を引き出し、それを広く公衆に伝えることにあります。この点で重要なのは、会見相手がどのように考え、どのような立場をとっているのか、その「見解」を明らかにすることです。

そのため、記者の質問は、会見相手に考えや事実関係を述べさせるためのものであるべきであり、記者自身の意見を述べることや主張を展開することは二次的、もしくは不適切である場合もあります。

●●さんのスタイルは、以下のような特徴があります:

長い質問の前提:質問の前に背景や問題意識を長く述べることが多い。

意見を含む質問:質問の中に批判的な見解や意見が含まれることがある。

追及型アプローチ:相手の回答が曖昧だった場合に、繰り返し質問を行う。

このスタイルにより、確かに一部の場面で会見相手の曖昧さを浮き彫りにすることには成功している場合もありますが、一方で、質問が「記者の意見や私見を強調するもの」に偏ると、会見本来の目的である「相手の見解を引き出す」という役割が後退するリスクがあります。

●●さんが会見相手の見解を引き出すという役割を十分に果たしているかどうかについては、次のように考えることができます:

肯定的な視点:

権力者や組織が回答を避ける傾向にある場合、その矛盾点を指摘し、さらなる説明を求める姿勢は、ジャーナリストとして重要な役割を果たしているといえる。

一部の記者が行わない質問や批判を会見の場で行うことで、公衆の知る権利に貢献しているとも評価できる。

否定的な視点:

質問が長くなり、意見や批判が多く含まれると、会見相手が防御的な態度をとり、実質的な回答が得られない可能性が高まる。

記者会見の場が「討論」や「論争」の場に変わると、他の記者や視聴者が知りたい具体的な事実や見解が埋もれてしまう。

結論

●●さんのスタイルは、一定の場面で重要な役割を果たしているものの、記者会見を「見解を引き出す場」と捉えるならば、彼女のアプローチがその目的に完全に適合しているとは言い難い部分もあります。

もし質問が私見や主張に偏りすぎている場合、会見相手の見解を引き出すという記者としての本来の役割が十分に果たされていないと評価される可能性があります。

最終的には、記者としての「役割の果たし方」に多様性を許容するか、それとも会見場での行動に一定の規律を求めるかという、ジャーナリズムの基本姿勢に関わる問題といえるでしょう。

…。

某記者の質問は「相手から話を聞く態度」ではない!

なんだか、答えになっているような、なっていないような回答です。

ただ、仮に記者の役割を「会見相手の見解を引き出すこと」と定義するなら、この某記者の態度は、間違いなく不合格点です。この記者の質問は、「相手から話を聞く」という態度ではなく、まさに、「記者は相手の話を聞くプロじゃないのか?」という疑問が頭をもたげるところだからです。

ちなみに今回のフジテレビ会見、酷かった記者はこの人物以外にも何人もいたのですが、やはり大きな意義があったとしたら、これだけ多くの人が関心を持ち、多くのメディアに加え、SNSなどでも注目されたという事実ではないでしょうか。

あまり厳しいことは言いたくないのですが、今回のフジテレビの記者会見の意義とは、フジテレビを取材する側の既存メディア記者、あるいは「フリージャーナリスト」らのレベルの低さが余すところなく出てきてしまった、という点にあるのではないかと思わざるを得ないのです。

やはり、記者クラブ制度の「インナー」で凝り固まっていると、「相手から事実をありのままに聞き出して記事にする」という、記者としての本来のあるべき姿からかなり乖離した姿勢となってしまうものなのかもしれません。

いずれにせよ、フジの会見がフジの「疑惑」を晴らすという観点から不十分なものだっただけでなく、まさに日本の記者という存在そのものに対する社会全体からの懐疑的な視線が強まるきっかけになったのだとしたら、これも皮肉と言わざるを得ないと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (11)

  • 以前、日産ルノーの共同会見をロンドンで開催している映像をネットで見たときの記憶です。
    FTの人?が進行役を務め、質問、回答、運用、とても「理知的」に運用していてとても感心した記憶があります。
    質問した日本人記者は2人いました。1人は自説を述べているうちに司会者からインターラプトが入って質問を言えと急かされてました。(イソコ系)
    もう1人は今回の会見内容とおよそ無関係の質問をしてルノーの回答者が苦笑してました。(NHKの今プロジェクトXの司会やっている人)
    この映像みて彼の地と日本のジャーナリストの違いを認識、ガックリきました。

  • 男子厨房に入らず。
    という格言というか心構えというか家庭円満の秘訣というか、そういう態度があります。

    出されたものは疑わずに黙って鵜呑みにしろ。

    これまでならば、オールドメディアが記者会見では傍若無人やりたい放題で、翌日に美しく調理された報道を流せば世の中は疑わずに黙って鵜呑みにしてくれました。

    今は、記者会見(厨房)がノーカット動画で出回ります。
    うげ、肉だと思ってたらマジかよ。
    今までこんなもん食わされてたの?

    個人的には二年前に、石丸伸二が安芸高田市で中国新聞社の蛭子記者と始めた掛け合い漫才の手法が、ようやく世の中に浸透してきたのかなあ~と感じます。
    左翼系の自称フリージャーナリストは、とんだピエロになったものです。

    しかし、密室協議に慣れた人たちは、こういう会見の場ではなんにもしゃべらないですねえ。

  • 会見は途中まで聞いていましたが、同様の質問をする記者の何と多いことか。
    私なら考えていた質問が被ってしまったら、挙手をするのも躊躇ってしまう。

  • 某イソ氏はサラリーマン記者(何とかタイムズと使い分けているようですが)

    ・お茶の間に某イソ氏の異常さが伝わったこと
    ・某イソ氏の勤務先は記者教育を行っていないこと
    ・某イソ氏の勤務先はガバナンスが効いていないこと

    から東京新聞(中日新聞)に飛び火すれば、この記者会見は成功だったと。

  • フリー記者も暴れてたようですが、イソコ氏も相当なもんだったそうで。
    これを機会に東京新聞の野放しが改まる・・・わけないでしょうね。

    人民裁判みたいなことをやってたのは、少数の記者だったようです。
    この件ではでてませんが先日、有名なフリー記者横田一氏は国民民主党の記者会見を出入り禁止になりました。質問時間などのルールを守らなかったから。後日イソコ氏が榛葉幹事長に出禁の件を問いただし、援護射撃してましたが「ルールを守ればいいだけだ」との回答になんの反論もできていませんでした。

    オープン会見といっても、一定の水準を満たさない記者は入れないなんて開催方法が官民ともに標準になっていけばいいのですけどね。
    「記者証を会社でなく個人に発行すれば」なんて面白い意見もありました。

  • 会見もオープンにしたらしたで、質問者のレベルが酷すぎるのも困ったものですね。
    だから、○ャニーズの会見のように出入禁止(or質問禁止)リストを作るとかいう話になってくる。
    相手に非を認めさせるために手段を選ばないのは、半島風味のメンタリティーを感じる。
    いくら負い目のある側だったとしても、エンドレスの会見はやりすぎだったのでは。

  • まるで文革時代の人民裁判でしたね。
    怒声やら同じ質問の繰り返し、自説を長々と開陳、報道の2次被害への配慮もへったくれもなし等々を延々10時間も見るに堪えられません。これがマスコミの正体かと失望しました。
    この時代に非効率この上ないので、いっそのこと会見の回答はAIにやらせればよろし。ついでに質問側もAIにさせると要領よく話が進んで短時間でまとまります。と言うことは記者なんぞいらないという時代が近いかも。

  • フジテレビに質問した他のメディアの方も「出来る物なら庇いたい」
    「核心を突く質問なんかしたくない」と言う態度が見え隠れする気がします。

    そう言った意図なら、東京新聞の例の女記者の存在は”有難い”のかも知れませんね。
    ダラダラと質問にもなっていない質問をして、場を荒らして有耶無耶にしてくれるんだから。

  • そういえば、都知事選の安野候補。
    「AI安野」に定型的な質問はマニュフェストに沿って応答処理するシステムを実装していましたねぇ。
    日本のマスコミ・メディアの質問は大方これで対応可能でしょうねぇ。
    安野さんは他にも集合知を理解しやすくする為に諸々の意見を取りまとめ可視化するシステムも用意していましたね。
    10時間の記者会見の内容が実に簡単に纏まったら笑えますねぇ。

  • >質問に立った一部記者のレベルの低さが目立ちました。

    スキャンダルの追及はできても、追究はできないのかと。
    単なる専問家であり、専門家ではないのですものね・・。

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