新聞、テレビといった「オールドメディア」を巡っては、「ネットやSNSさえあれば、それがなくても生きていける」という段階を越え、むしろ「ネットやSNSがなければ生きていけない」という時代に入りつつあるのかもしれません。これについて、SNSが選挙に与える影響が大きくなっているのを危惧する立場の記事を見ていて気づかされたのですが、たとえば選挙に関していえば、むしろSNS経由でしか必要な情報が手に入らない時代が到来しているのかもしれません。
目次
オールドメディアという表現がほぼ一般化した
当ウェブサイトではかなり以前から「オールドメディア」という表現を好んで使っていますが、2024年という年は、この「オールドメディア」という表現が、ほぼ一般化したのではないでしょうか。
オールドメディアとはもちろん、新聞やテレビなどのことを指しています。そして、ほんのひと昔(たとえば10~20年前)だと、「新聞を取っていない」、「テレビがない」という人が世の中のことを知る手段は非常に限られていたのではないかと思います。
しかし、現代社会だと『Yahoo!ニュース』などのニューズ・ポータルサイトも充実しており、また、X(旧ツイッター)を含めたSNSの社会的影響力が高まっているなかで、(著者自身のように)新聞、テレビがなくても、生きていく分にはまったく困らない、という時代が到来したのです。
いや、むしろ新聞、テレビを見ていても、正確な情報は手に入らない、という時代が到来しつつあるのかもしれません。
SNSが常に正しいわけではないが…補正機能がある
いちおう誤解を恐れずに申し上げるならば、当ウェブサイトとしては、「SNSがすべて正しい」、などと申し上げるつもりはありません。というよりも、SNSには誤った情報がたくさんあり、SNSを通じて手に入る情報のすべてに関し、全幅の信頼を置くことはできませんし、頭から疑ってかかった方が良いものも多々あります。
ただ、SNSの最大の長所は、「この情報は、誤っている」と思ったときに、その旨を表明できることです。
たとえば、非科学的なツイートを乱発するユーザーに対しては、科学的な見地からのツッコミがたくさん寄せられますし、ケースによっては「コミュニティノート」が着弾することもあります。
ちなみに「コミュニティノート」は「協力者」がボランティアで執筆しているものですが、それがポストに表示されるためにはノート協力者による十分な数の評価が必要であり、このため、こうした仕組みがノートの正確性を担保している格好です。
ですので、こうした仕組みが存在しない新聞・テレビと異なり、「補正機能」が備わっているSNSの情報発信の方が、じつはその信頼性を担保する仕組みが整っている、という言い方もできるでしょう。
テレビ熊本「欲しい情報がSNS経由でしか手に入らない状況」
こうしたなかで目に付いたのが、熊本テレビがFNNプライムオンライン経由で30日付で配信した、こんな記事です。
選挙報道でSNSに見劣りするオールドメディア「選挙が意味のない『お祭り』になる危惧」2024年の県知事選と衆院選に2025年夏の参院選【熊本発】
―――2024/12/30 15:02付 Yahoo!ニュースより【FNNプライムオンラインより】
記事の表題に「オールドメディア」という単語が普通に使われていることにも驚きますが、それ以上に目を引くのが、「SNSに見劣りする」の表現です。
配信したメディアが熊本テレビということもあり、前半は熊本県内の選挙事情などに焦点が当てられているのですが、この部分については本稿では割愛します。
ここで取り上げておきたいのが、兵庫県知事選で斎藤元彦氏が当選したことに関する、こんな記述です。
「政治学が専門の熊本大学・伊藤洋典教授は『欲しい情報がSNS経由でしか入らない状況が、もしかしたらもう出来ていて、選挙戦の主戦場が新聞・テレビのオールドメディアから新しいところに移っているのかもしれない。それくらいの印象を受けた』と話し、この結果に驚いたと言う」。
「欲しい情報がSNS経由でしか入らない」。
言い得て妙です。
日本の有権者は賢明:SNSやネット使いこなす
この点、記事によると伊藤教授は「選挙報道の公平性・中立性の観念に必要以上に縛られている」としたうえで、「報道の質・量ともにSNSに比べ相当見劣りする状況になっている印象」と述べたのだそうですが、この点については、当ウェブサイトとしては同意しかねる点です。
選挙期間中であっても、オールドメディアは好き勝手な報道を続けているわけであり、そんなオールドメディアがしおらしく「選挙報道の公平性・中立性を守っている」などと言われても、困惑する限りです。
ただ、この「必要な情報がSNS経由でしか手に入らない」、は、なかなかに良い指摘です。
テレビ熊本は、伊藤教授が「短期間で注目を集めるSNSの手法や奇抜な行動を取る候補者に、有権者が安易に流されないことも今後重要になる」などと述べた、とも報じているのですが、この点はさほど心配には及ばないと思います。
日本国民は賢明であり、賢明だからこそネットやSNSをうまく使いこなせるのだ、というのが著者自身の見解だからです(※異論は認めます)。
いずれにせよ、社会のネット化という流れを止めることはできず、そして「オールドメディアがなくても必要な情報が手に入る」という状況から、さらに一歩踏み込んで、「必要な情報はネットでしか手に入らない」、といった時代が到来しつつあることは間違いないといえるでしょう。
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同意ですし、大変、参考になりました。
「欲しい情報がSNS経由でしか手に入らない」 ==>
SNSの発達によってテレビ、新聞は自分らが潰そうと考えている人物や団体については徹底的にほじくるくせに、都合の悪い事実は公平性という隠れ蓑を使って通り一遍の報道しかしないことに気が付きました。
対してSNSは玉石混交ではありますが、賛成意見、反対意見ともに同程度の内容の深さで得られます。ここがテレビ、新聞の薄っぺらい報道との違いと考えています。ただしSNSの落とし穴はフェイクニュースの他に、自分の好みの意見しか読まないという危険もあり、陰謀論の温床となっているのも事実です。
最近は大学の先生もYouTubeチャンネルを開設して専門的知見を提供してくれてますし、ネット番組にも多くの一流の専門家が出演していますので、新聞を見なくてもより様々な専門家の意見に接することができます。半島問題では李相哲龍谷大学教授、ウクライナ問題では小泉悠先生、自衛隊OBなどの見解を聞けます。国内政治でも多くの専門家がいます。
テレビや新聞などのオールドメディアは情報源の一つに過ぎず、むしろネットの方が時間制限や一部切り取りされることなく発信ができたらもして、より正確に専門家自身の見解を伝えることもできるように思います。オールドメディアがより見劣りしてしまうのです。
イーロン・マスク氏はレガシーメディアと言っていましたが、日本では滅びゆく帝国という意味で「オールドメディア」という表現がより適切かもしれませんね。
情報化社会にもレガシーフリーの時代が到来したということでしょうか。
「SNSの良いところは?」と問われれば、「アンチが存在すること」と答えるでしょう。
つまり、煽動されにくくなると。
一方にとって都合の良い事実だけが流通することがなくなりますから、編集の詐術によって国民が集団ヒステリー状態に陥れられることを防止できます。
>「SNSの良いところは?」と問われれば、「アンチが存在すること」
強く同意します。
・おかしい事を言ったらすぐに反論される
・一見正しくても今までの言動と矛盾していたらそれを指摘される
・上記への態度と反応も評価の基準とされる
・それを嫌ってリプ制限などを行うとそれ相応の評価しかされなくなる
これらがSNSにあってオールドメディアにはない利点。
オールドメディアが大嫌いな”レスバ”を強要されるんですよね。
単なる「オールド・メディア」よりも「オブソリート・メディア」と呼ぶほうが相応しいと個人的には思います。特に掲載されている情報の鮮度がネットに比べて決定的に劣る新聞に対しては。
>>「欲しい情報がSNS経由でしか入らない」。
あくまでも「欲しい情報」が集中するのがSNSでないですか?
究極的には反論も目に留まる位置に入らなくなる機能がついていますから永遠の分離ですね。
そのようにならないためにどのように情報に接すればよいのでしょうか?
一つ言えるのは、ニュースポータルサイトにニュースを出しているのは、今までのメディアですからなくなるとどうなるのでしょうか?週刊誌だったりもしますね。
まとめサイトはもっとひどいでしょ?昔のスポーツ新聞なみですね。
Xにしてもインスタにしても同じ傾向内容しか目につかない機能がメインです。
ユーチューブなんかもろにそうですよね。正しい方向を向いているつもりが向いていないが普通に起こります。どうしたらよいのでしょうね?