主要9紙(全国5紙、ブロック4紙)のうち、2023年5月以降、値上げをしてこなかった2社のうち、ついに読売新聞が来年1月から値上げに踏み切ります。値上げ幅は400円と、他紙と比べて100円低いのが印象的です。ただ、このネット時代、「情報を紙に印刷して送り届ける」というビジネスモデル自体がすでに破綻していること、新聞業界の経営者らが驚くほど無為無策であること、一部新聞の長年の虚報体質が読者離れを加速させているという実態に照らすと、やはり新聞業界の衰退は避けられそうにありません。
目次
読売新聞の昨年3月の「値上げしない」宣言と主要紙の状況
昨年3月に、「少なくとも1年間は値上げをしない」と宣言していた新聞社がありました。読売新聞です。
読売新聞は値上げしません…少なくとも1年間
―――2023/03/25 05:00付 読売新聞オンラインより
なかなかに、野心的な宣言です。
以前から当ウェブサイトでしばしば取り上げてきたとおり、新聞各社は2022年秋口頃から徐々に購読料の値上げに踏み切り始めていたからです。
主要全国紙(日経、読売、朝日、毎日、産経の5紙)、ブロック紙(北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞の4紙)の9紙に限定すると、図表1の通り、うち7紙が、すでに昨年から今年にかけてセット部数などの値上げに踏み切っています。
図表1 主要全国紙、ブロック紙の値上げ状況(9紙のうち7紙)
新聞 | セット価格 | 朝刊単独 |
朝日新聞(2023年5月) | 4,400円→4,900円(+500円) | 3,500円→4,000円(+500円) |
西日本新聞(2023年5月) | 4,400円→4,900円(+500円) | 3,400円→3,900円(+500円) |
毎日新聞(2023年6月) | 4,300円→4,900円(+600円) | 3,400円→4,000円(+600円) |
日本経済新聞(2023年7月) | 4,900円→5,500円(+800円) | 4,000円→4,800円(+800円) |
産経新聞(2023年8月) | 4,400円→4,900円(+500円) | 3,400円→3,900円(+500円) |
北海道新聞(2024年4月) | 4,400円→(2023年9月夕刊廃止) | 3,800円→4,300円(+500円) |
東京新聞(2024年9月) | 3,700円→3,980円(+450円) | 2,950円→3,400円(+450円) |
(【出所】各社広告等)
ついに読売新聞が値上げ…値上げ幅は+400円と抑えめ
現在までのところこの主要9紙のうち、2022年以降の値上げラッシュのなかで、価格を据え置いているのは中日新聞と読売新聞の2紙だけです。とくに読売新聞に関しては冒頭に指摘したとおり、昨年からしばしば、「少なくとも1年間は値上げをしません」、といった趣旨の宣言も行っていました。
ところが、ついにその読売新聞が、来年1月から購読料を値上げすると発表したそうです。
読売新聞が6年ぶり値上げ 来年1月から4800円
―――2024/12/01 10:37付 共同通信より
共同通信の記事によると、読売新聞は来年1月から、朝夕刊セットについては4,400円から4,800円に、朝刊のみの統合版の発行地域では3,400円から3,800円に、それぞれ400円ずつ値上げするそうです。また、1部売りの価格も現在の朝刊150円、夕刊50円を、朝刊180円、夕刊70円とするのだとか。
なお、値上げ幅が朝日、毎日、産経などと比べて100円低いため、少なくとも主要5つの全国紙のなかでは、「読売が一番お得」です(値段だけで見たら)。
株式会社朝日新聞社の事例で見る高コスト体質
それはともかくとして、どうしてここまで急速に値上げが進んでいるのかについてもいちおう整理しておきましょう。
新聞業界では昨今、製造コストの急上昇に見舞われているようであり、とりわけ原料である紙代やインク代、燃料代に加えて読者のもとに送り届けるための配送コストが大きな負担となっている可能性が濃厚です。
そして、少なくとも短期的には、値上げは売上単価の改善に寄与している可能性はあります。
大手新聞社のなかで珍しく有価証券報告書を作成・公表している株式会社朝日新聞社の事例が参考になるかもしれません。
『朝日新聞部数はさらに減少:新聞事業は今期も営業赤字』などでも取り上げていますが、朝日新聞社の単体売上高を単純に朝刊発行部数で割ったうえで、それをさらに12で割った数値(朝刊1部あたり月間売上高)と、同様に部数・12ヵ月で割った売上原価をグラフ化したものが図表2です。
図表2 朝日新聞朝刊1部あたり・月間売上高/売上原価の推移
(【出所】株式会社朝日新聞社・過年度有報を参考に作成)
これで見ると、同社の単体の売上高を単純に朝刊1部あたりで割ると、23年3月期、24年3月期はともに増えていることがわかりますが、このうちとくに24年3月期については月間500円の値上げが単価の押し上げに寄与した可能性はあります(23年3月期の押し上げは広告収入の改善でしょうか?)。
ただし、上記はあくまでも「単価」の議論であり、やはり常識的に考えて、ただでさえ新聞部数が落ち込んでいる中での値上げは自殺行為そのものです。
止まらない部数減
この点、『新聞値上げ、実は「戦略的縮小」の布石だった可能性も』などでも指摘したとおり、値上げでわざと部数を減らす戦略、という見方もできなくはないのですが、その後の新聞業界の動きを見ていると、新聞の値上げは単純に新聞業界の無為無策のなせる業ではないかと考えた方が自然かもしれません。
実際、新聞業界の値上げラッシュのためでしょうか、一般社団法人日本新聞協会が発表するデータによれば、2023年10月時点での新聞の部数は3305万部(※ただし、これはセット部数を朝刊1部、夕刊1部に分解してカウントし直したベース)。
著者自身が保有している1982年以降のデータに限定すれば、新聞部数が過去最大だった7271万部(1996年)と比べて55%も減少しており、しかも、部数の落ち込み方は年が、経つにつれて激しくなっているのです(図表3)。
図表3 合計部数の増減(3年ごと)
(【出所】日本新聞協会データ)
ちょうど坂道を転がり落ちるボールが加速する様子に似ている気がします。
すでに「紙に情報」というビジネスモデルが破綻
もちろん、新聞部数の落ち込みは値上げだけでなく、さまざまな要因があることは間違いありませんが、経営論的な観点からいえば、値上げ幅が少なかったとしても、たとえば朝日新聞や毎日新聞の読者がそれらを解約して読売新聞に乗り換える、といった可能性は、あまり高くありません。
すでに新聞というビジネスモデル自体が限界点に到達している可能性が濃厚だからです。
新聞は「新」聞と名乗っている通り、「新しい情報」を紙に刷って配ってくれるという意味では、明治期や大正期などにおいては非常に有益な情報伝達手段だったかもしれません。
大正末期から昭和初期にかけてラジオ放送が普及し、また、戦後白黒テレビ放送、カラーテレビ放送などが始まると、新聞は「速報性」という長所をこれらニューメディアに譲り、地位は少しずつ低落したものの、それでも日本人の「新聞信仰」は根強かったのではないかと思います(それが1996年の7271万部という数値です)。
しかし、当ウェブサイトをご覧いただいている皆さまならばご承知の通り、現代社会にはインターネットという者が存在します。自宅や職場のPCで、あるいはお手持ちのスマートフォンで、最新の話題をリアルタイムで確認することができてしまいます。
しかも、通信環境の著しい向上の影響もあり、新聞1部という分量の情報など、(通信環境次第ですが)ほんの数秒でダウンロードできますし、白黒写真が中心の新聞と異なり、ネット上だとカラー写真や動画、ポッドキャストなどの形式でメディアを再生することだって可能です。
少なくとも高い紙代、インク代、燃料代を費やして、長時間かけて新聞を印刷して工場から各家庭に送り届ける、というビジネスモデル自体が、この現代社会において存続を許される状況ではないことは、もはや明らかでしょう。
だからこそ、新聞業界も生き残りを賭けるなら、少なくともこうしたデジタルシフトが生じ始め、加速し始めた2015年前後までには、業界を挙げて紙面のデジタル化に取り組んでおくべきだったのではないでしょうか?
タブレットを改良した新聞ビューワーを開発し、それを各家庭に無料で配布するなどすれば、新聞業界はここまで苦労していなかった可能性があります(後の祭りですが)。
新聞不信の実態:福島処理水や子宮頸癌ワクチンなど
もっとも、昨今の各種選挙などで可視化され始めている通り、新聞業界(とテレビ業界)にはもうひとつの致命的な問題点が浮上しています。
それは、一般読者の新聞不信です。
要するに、新聞に掲載されている情報自体が信頼に足るものであろうかどうかを巡って、かなりの議論が生じているわけです。とりわけ怖いのが、新聞、テレビの報道の誤りを専門家が指摘し、独立系ウェブ評論サイトやブログ、SNSなどを使ってそれらを大々的に発信し始めていることです。
福島処理水の安全性に関する一部メディアのデマといっても良い虚偽報道(たとえば「科学を振りかざすな」、「科学を隠れ蓑にするな」系の記事)もそうですし、一部メディアが子宮頸癌ワクチンの危険性を煽り、結果的に子宮頸癌を蔓延させたこともそうです。
これら新聞の虚報の訂正は、おもにSNSなどを通じて指摘され、それらの事実が自然発生的に広まっていったものであり(※著者私見)、新聞業界の自浄作用が働いたわけではないのです。
もちろん、一部には良心的な新聞もあり、他紙の暴走的な報道を戒めるかのような記事が掲載されることもありますし、ごく稀に、ですが、他紙の虚報などを検証するような記事を掲載する試みも見られます。
しかし、「自浄作用」という意味では、どれも不十分です。
ファクトチェックはネットの役割に?
よく、「ネットの情報はウソだらけだ」、などと指摘する人がいたりしますが(※この点については著者自身も敢えて強くは否定しません)、ただ、この「ネットの情報がウソだらけ」という命題が事実だとしても、「新聞の情報は真実だ」、という結論は出てきません。
要するに、ネット上の情報のファクトチェックもネット空間で完結するのであり、そこに新聞、テレビなどのオールドメディアの出番はありません。
というよりも、ファクトチェックされるべきは、ネットだけでなくオールドメディアも同じです。
そして、オールドメディアの報道に対する正確なファクトチェックも多くがネット空間(たとえばXのコミュニティノート機能など)で行われており、新聞、テレビの側から出て来ることはめったにありません(※著者私見)。
このように考えていくと、新聞業界が衰退していることと、そのことが日本社会に対してどのような影響を与え得るかについては、分けて考える必要があります。
もちろん、すべての新聞が有害だ、などと申し上げるつもりはありませんし、SNS上でも一部限界右翼系のインフルエンサーが「犬笛」を吹き鳴らし、保守政治家を攻撃するなどの事態も生じていますので、SNSが万能だと申し上げるつもりもいっさいありません。
しかし、それでも新聞業界が消滅することの意義をについては、いくつかの新聞が虚報や偏向報道などを通じ、この日本社会に対し、シャレにならないほどの打撃を与えて来た事実、新聞業界で自浄作用がほとんど働いていない事実を踏まえて考えるべきです。
新聞業界の経営者が新聞業界の生き残りに驚くほど無為無策だったことが、結果として日本社会から「有害な産業」(?)をひとつ消滅させることに貢献する(かもしれない)、ということなのだとしたら、何とも皮肉な話だと思う次第です。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、今年も12月がやってきました。
12月といえば、例年、日本新聞協会からその年の新聞部数に関するデータが公表されるタイミングでもあります(おそらく12月最終週あたりでしょうか)。
これについてはどんなデータが出て来るか、じっくり待ちたいと思う次第です。
オマケ:おカネを払って古い情報が届くサブスク?
最後にこんなデータです。新聞については朝夕刊セット料金を年額にしたものです(読売新聞は来年1月の値上げを踏まえています)。
- 朝日新聞…58,800円
- 西日本新…58,800円
- 毎日新聞…58,800円
- 日経新聞…66,000円
- 神戸新聞…58,800円
- 産経新聞…58,800円
- 京都新聞…58,800円
- 河北新報…52,800円
- 新潟日報…48,000円
- 東京新聞…47,760円
- 読売新聞…57,600円
- アマプラ…*5,900円
年間数万円を支払い半日以上前の(しかもいくつかの新聞は不正確な)情報が届くのをやめたら、その分、手取りは増えますね。
5~6万円もあれば、首都圏在住の方ならば年1回、家族で千葉県の遊園地などに出掛けてもよいかもしれません(あ、これは単なる独り言ですので、お気になさらないでください)。
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例えばデジタルカメラの普及でフィルムカメラは一般用途では完全に廃れましたが、技術革新の恩恵に与ってきた新聞業界が自らの旧い業態を残せというのは甚だおかしい。そんなに公的保護を受けたければ、手漉き紙と活版印刷と伝書鳩で記事を書いて徒歩で配れっていうもんです。
新聞が値段に見合うだけの価値を、読者に提供できるなら、値上げは関係ないのでないでしょうか。
確かに値段と釣り合う価値は考えなければならないですね。速報性は無理でも、内容の価値で。
コストパフォーマンスという言葉は好きではありませんが、取材不足で薄い情報、間違った情報、上からの物言い。最近それが目立つのでやっぱり考えますね。
新聞社、優秀な記者の人材不足なのかも。
確かに優秀な人は減ったと思います。転職(正確には転社か)も多くて、給料が高いと言っても、産経から朝日に転職する人もいます。
「負けに不思議の負け無し」
からのぉ~
「適者生残」
でもってぇ~?
「そして誰もいなくなった」
…だったりして??
知らんけど
ネット同程度の信頼度しかない情報に
どうして大金を払うのでしょうか?
当方は、北海道に住む田舎者ですが、土から月の北海道新聞の記事に、思わず笑ってしまいました。
具体的には、共同通信の誤報についてと兵庫県知事の件です。
記事内容が、思い切り矛盾してました。
地域に根付いた良い記事も、たまにあるのですが、社会面の記事は、劣悪な週刊誌と変わらないような気がしています。
記事を拝読して、紙の媒体をこよなく愛する者(もはや絶滅危惧種の極少数派?)の一人として、少々の(そして甚だ心許ない)反論を試みたくなりました。
まず私は未だにとある日刊紙を、宅配にて定期購読しております。
これは単なる習慣というよりも、むしろ私が「中毒症状」のような状態にあるということかもしれません。つまり、喫煙や飲酒のような嗜好品なんでしょうね。私にとって新聞とは、自分の意思だけではもはや捨て去ることのできない、「癖」に似たのようなモノなのです。
自宅で一人飯や晩酌をやるときの恰好の相棒を勤めてくれるのが、私にとっては新聞を始めとする各種の「紙の媒体」なんです。彼らは時にはトイレにも付き合ってくれます(家人にいはひどく嫌がられますが)。
私が新聞にに求めているのは、何も新しい情報だけではありません。新旧の雑多(この雑多というのがキモなんですが)な情報なのです。日曜日の書評欄や、料理のレシピ、科学技術関連、文化そして地元の経済屋さまざまな情報等々。連載小説と投稿欄以外はほぼ殆ど読むというか目を通しているといえるでしょう。もちろん当たり前のことですが、時事ネタ(政治・経済・国際ニュースなど)も当然読みます。少々怪しい社説なども含めてです。その怪しい部分を見抜くのも、分析力の訓練と割り切ればいいんだと、自分を納得させています。
ところで、今朝の届いた新聞の一面と二面には、大阪大学特任教授の大竹文雄氏の寄稿が掲載されていました。最低賃金が雇用と企業や地域経済に与える影響についての論考です。氏は2021年ノーベル経済学賞受賞者カリフォルニア大学バークレー校のD・カード教授が1991年に発表した研究を元ネタに、かなり興味深い見解を述べていました。その内容はこの投稿の趣旨には関係ないので割愛しておきます。
このD・カード教授は私には名前ぐらいしか知らない存在でしたが、今後書店で彼の著書を見かけたら、購読しないまでも手に取って立ち読みぐらいはするかもしれません。いやたぶんそうするでしょうね、確実に。
私にとっては、この寄稿文によってカード教授の研究にごく一部を垣間見たといえるのでしょうね、おそらくは。少々大袈裟ないい方になるかもしれないけれども、私にとっては「未知との遭遇」だったとでもいえるかもしれません。
つまりは、私が新聞を未だに定期購読し続けているのは、こういう愉しみ方が、今尚紙の媒体である新聞には残されているからなのかもしれません。
>喫煙や飲酒のような嗜好品
では新聞も軽減税率の対象から即外しましょう。
煙草呑み酒飲みは消費税10%負担してますから。
新聞を潰すなら軽減税率、それも8%なんてしょっぱいことを言わず4%とか、もっと勉強して3.75%とか、あと定期購読だけでなく一部売りも軽減税率適用にしましょう。
定期購読はしてないですが、140円出して結局読んだのは「夢グループの社長の若い頃の話」だけだったりします。それが将来自分の糧になるかは不明。
そりゃ、コスパタイパを考えていては、新聞なんて買ってられないですね。
月約4000円払うと毎日ゴミが届くサービスなんてそりゃあ終わりますわね
毎度、ばかばかしいお話しを。
①新聞社:「どれだけ誤報を出そうと、読者は、この新聞に価値を認めて、値上げしても、とってくれるはずだ」
②新聞社:「一前の社会人になったら、新聞をとるのは当たり前。もし、とってないのなら、それは半人前の社会人だ」
いつの時代だ。
蛇足ですが、(別の新聞業界に限りませんが)その業界の黄金時代を経験した人間が、(特に経営陣として)会社に残っているうちは、例え黄金時代が終わったとしても、そのことが認められず、(一時的な落ち込みがあるかもしれないが)黄金時代がまだまだ続くことを前提に、動くのではないでしょうか。
月額4000円が心理的な 「壁」 になるような気がする。夕刊のない 「統合版」 の地域は、今はほとんどが3000円台だけど、4000円を超えてきたら、高いなぁと思うもの。
新宿会計士さん、こんど 「4000円の壁」 についても検証してもらえません?