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「新聞のSNS批判」もSNSで直接反論される時代に

新聞やテレビなどのオールドメディアが最近、SNSに対する批判を強めているようです。政治系ユーチューバーの方が収益を目当てに知事選などの話題を配信している、といった印象を抱く記事もそのひとつかもしれません。ただ、SNS時代の面白いところは、新聞で取り上げられた本人が、直接、SNSを使って反撃できるようになったことではないでしょうか。

オールドメディアはウソをつく?

著者自身が2016年に当ウェブサイトを立ち上げた理由は、新聞、テレビを中心とするマスコミ・マスメディア―――あるいは「オールドメディア」―――の報道が不正確だという問題意識を持っていたからです。

前世紀だと、「新聞やテレビはウソをつくぞ!」などと言っても、信じる人はそこまで多くなかったのではないかと思います。

もちろん、一部新聞を名指しして、その新聞社の報道が信頼に足るかどうかを疑問視するような書籍もないわけではありませんでした(1978年に出版された『朝日の「記事」はどこまで信じられるか』という書籍などがその典型例でしょうか)。

ただ、世の中のメインストリームは、「新聞やテレビがウソをつくはずがない」、というものだったのではないかと思いますし、また、「新聞やテレビがウソをついている」などといえば、陰謀論者扱いされるのが関の山だったのではないか、という気がします。

しかし、著者自身が当ウェブサイトを通じてずっと主張し続けてきたとおり、新聞、テレビが流す情報のなかには、どこか不正確であったり、歪んでいたりするものが多く含まれています。

客観的事実と主観的意見を混ぜるな!

これについては普段から説明している、「客観的事実と主観的意見の峻別」という論点と、密接に関わります。

客観的事実とは、誰がどう述べてもだいたい同じような内容となる情報のことであり、たとえば次の文章Aがその典型例でしょう。

(A)「2024年11月24日に行われた名古屋市長選では、得票総数734,663票のうち、広沢一郎氏が392,519票を獲得して当選した」。

その一方で、主観的意見とは、述べる人の分析ないし見解であって、それを述べる人によりまったく異なる内容となる(かもしれない)情報のことであり、たとえば次の文章Bがその典型例です。

(B)「この名古屋市長選でも以前の兵庫県知事選などに続き、SNSを通じてデマが拡散されるなど、選挙の公正が歪められたといえるだろう」。

この文章Bは、「SNSの影響で選挙の公正が歪められた」、などと主張するものですが、これはその論者なりの「主観的な意見」ないし主張です。このような意見が出て来る背景には、この文章を書いた人なりの見解ないし分析があるはずです。

当然、私たち読者としては、この(B)の文章を読んだ際に、その論拠を知りたがるでしょう。

ところが、新聞、テレビの報道には、とても大きな問題点が少なくとも2つあります。

ひとつはこの(A)のような客観的事実と(B)のような主観的意見を(わざとかどうかはともかく)混ぜこぜにして伝える、という傾向があること、もうひとつは(B)のような意見をさも客観的事実であるかのごとく決めつけて報じることです。

著者自身も長年、メディアウォッチングを続けているのですが、新聞やテレビ、あるいは一部の雑誌の記事を眺めていると、(B)のような記述を多く見かけますし、また、このような記述はたいていの場合、理由が明示されておらず、「決めつけ」で書かれているのです。

専門知識を欠いた新聞記者が「科学を振りかざすな」

著者自身が新聞、テレビの報道に不信感を覚えるきっかけのひとつが、自分自身が専門家として、各種法令、基準、指針のたぐいを読み込む立場になったことにあります。記事を書いている人たちのなかには、専門知識に対する理解が浅く、初歩的な理論を誤認しているケースも散見されるのです。

たとえば、かつては一部の自称クオリティ・ペーパーが繰延税金資産を「将来還付される払い過ぎた税金」などと説明している事例もあったようですが(※もちろん、定義として大間違いです)、それだけではありません。

リーマン・ショック直後の一部メディアによる「時価会計停止」報道もメチャクチャで、時価評価とOCI処理の区別すらついておらず、最も重要な「時価評価・P/L処理」、「時価評価・減損処理」の違いをいっさい無視した代物だったことを、今でも強く記憶しています。

こうした「専門知識の軽視」は、さまざまな分野で悪影響を及ぼしています。

たとえば経済学や会計学の専門知識を理解していない記者が多いためでしょうか、「国の借金は大変な額になってしまっている」、「このままだと財政破綻は不可避だ」、といった虚偽の情報が、新聞、テレビを中心とするマスメディアでは連日のように流れていました(最近だと少し抑制気味ですが)。

また、科学的に安全性が確認されていたはずの福島第一原発の処理水の海洋放出に当たっても、これを「汚染水」などと呼び、「科学を振りかざすな」、「科学を隠れ蓑にするな」、といった、極めて悪質な報道が横行していたことも、忘れてはなりません。

このように考えていくと、日本の新聞、テレビは昔から事実を軽視し、自分たちが「正しい」と思っている(あるいは思い込んでいる)内容を報じることを優先して来たのではないかと批判されても仕方がないのかもしれません。

客観的事実を軽視する日本のジャーナリスト

こうしたなかで、約2年前の『日本のメディアは客観的事実軽視=国際的調査で裏付け』でも紹介したのが、全67ヵ国のジャーナリストらを対象に実施された、「世界中のジャーナリズムの現状を定期的に評価するために設立された学術主導のプロジェクト」(WJS)による意識調査です。

少し古い調査ですが、これによると日本のジャーナリストは諸外国のジャーナリストと比べ、「政治指導者の監視や精査」、「政治的決断に必要な情報の提供」、「政治的課題の設定」などを重視する一方、「物事をありのままに伝える」、「冷静な観察者である」などの評点が極端に低いことが明らかとなっています。

日本のジャーナリストは他国と比べ、「政治的指導者の監視や精査」、「政治的決断に必要な情報の提供」、「政治的課題の設定」という役割を特に重視している一方、「物事をありのままに伝える」「冷静な観察者である」という役割を軽視している。

さもありなん、といったところでしょうか。

こうしたなかで、最近、新聞やテレビがSNSを敵視し始めているらしい、とする話題については、『メディアはそのうち「ネット規制」を言い出すのでは?』などで取り上げてきたとおりです(そのパロディを『【インチキ論説】「馬鹿に選挙権とSNSを与えるな」』にまとめています)。

著者自身、SNSなどのネット空間には、必ずしも真理があるとは考えていません。ネット空間では誰もが気軽に情報発信できるため、あまり正しくない情報も氾濫しており、中には明確なデマと断言して良い、という内容も多く含まれています。

ただ、オールドメディアと比べたときのネットの大きな特徴は、なんといっても、その多様性にあります。

ネット空間だと新聞、テレビと違って「どこの誰だかわからない」という人が情報を発信していますので、必然的に、ネット空間で信頼されるためには、情報の透明性を確保しなければなりません。なんなら、外部情報源へのリンクをこれでもかというほど張りながら、これに対してうまく情報を配置していかねばならないのです。

これが、当ウェブサイトの用語でいうところの「議論の透明性」です。

それに、「不正確な情報が含まれているかもしれない」という意味では、正直、SNSだろうが、新聞だろうが、テレビだろうが、それは同じです。

いや、「論拠が明らかにされていない主観的な情報が横行している」という意味では、むしろSNSよりもオールドメディアの方が悪質ではないでしょうか。

新聞のSNS批判に本人が直接反論を加える時代

こうしたなかで、新聞が全面的なSNS批判に舵を切ったのではないかと話題なのが、2024年11月24日付読売新聞朝刊だそうです。

これによると「ふくまろネットニュース」というチャンネルを運営する人物が、政治系ユーチューバーとして広告収入で成功した、などとする事例が取り上げられているのですが、紙面をそのまま読むと、まるで「収益目当てにユーチューブチャンネルを運営している」とも受け取れる内容です。

ただ、これについては同チャンネルを運営するご本人が24日付で、Xにこんな内容をポストしています。

このポストでは、こう指摘されています。

衆院選のときから知り合いになり若い記者の方で食事もしたりしてこれから良い付き合い方ができればいいなと思いできるだけ夜中でも配信する前でも電話に出て質問に答えた好意のツケがこれです」。

新聞の情報を信頼するか、取材された対象者本人の説明を信頼するかについては、読者の皆様のご判断に委ねたいと思います。

ただ、SNSを批判する前に、新聞やテレビは自分たちの報道がこれまで正しかったのかどうか、検証する作業を行ってはいかがかとは思います。著者自身がここ1週間あまり、さまざまな人と会食などをした体験からすれば、明らかに、新聞、テレビに対する不信感を口にする人が増えた気がしてならないからです。

くどいようですが、著者自身はSNS、YouTube動画、ブログサイトなどが常に真実を語っているとは思いませんし、なかには当然、真偽不明の情報も多く含まれているわけですが、だからといってそのことが必ずしも新聞、テレビを含めたオールドメディアの情報の信憑性を高めるものでもありません。

むしろ、SNSにも間違った情報が流れていることを踏まえ、一般人が「情報は間違っていることがある」、「だからこそ客観的事実と主観的意見を分けなければならない」ということを意識したという意味では、もはやSNS以前に戻ることはできなくなってしまった、ということではないでしょうか。

そして、オールドメディアが情報発信の唯一の権威だった時代は、もう完全に過去のものになったと考えておいて良いのではないか、などと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (12)

  • オールドメディアの自信がシンパシーを抱く相手の不都合な情報は報道しません。

    与党は裏金野党は不記載のように使い分けます。
    不適切な発言もリベラル野党の場合無くなります

    ツイッターとかの情報は当てにならず話半分に聞いていますが、それはオールドメディアにも当てはまります。

    逆に電波の一等地を占有しているテレビ局
    軽減税率特権を保有している新聞社がその仕草をしていることが問題です。

    • 駅田 様の言う通りです。今は新聞を止めましたが、以前は信用して記事を読んでいました。しかし、ネットの時代になって「あれ?」と思う事が多くなり、止めたのです。
      YouTubeには沢山の情報がありますが、最終的に閲覧数が多い、または証拠を持って理論的に説明している方の情報を信じるようになります(今までで、ほぼ間違った情報はありませんでした)逆にオールドメディアの方が???と感じる事が多いですけどね。

  • SNSの真偽がって言っているのに、
    兵庫県知事の選挙違反の根拠はSNSの発信だから。

    オールドメディアに叩かれるほど、素晴らしい人に見えるようになってきたよ。

    兵庫県知事は次にどんな疑惑が出てくるから楽しみだよ(笑)
    疑惑が出るたびに支持率が上がっていくかも(笑)

  • 今朝の出がけに、(テレビは見てないので)適当なヨウツベを流してたら、兵庫県知事選での争点(つか百条委員会での主なネタ扱い)になっていた
    「知事の日頃の行いアンケート」
    を、統計知識のある人が生データ140件を読んで解説しているのを見かけました。

    なるほど。
    僕も量産系の製造業に関わっているので、統計データの取り扱いは知らない訳ではないのですが、解説がいちいち心に沁みます。

    要するに使い物にならないクソデータ。
    アンケート設問の稚拙さから、集計の杜撰さから、もう品質保証の基本的なところ分かってない人の仕事だと丸分かり。

    こういうの、データが最初の段階でまずメディアがやるべき仕事ですわな。
    そのために大卒をたくさん採用しとるんだし。

    議員にもメディアにも、アホしか居てないようですね。

    面白いことにこのアンケートからは、本筋ではないのに読み取れちゃうのは、
    ・アンケートの自由欄に他の議員のパワハラが克明に書かれてるのに委員会では無視。
    ・公務員には、この程度がパワハラなの?という民間視点からは絶句の記入あり。

    左翼系の仕事ぶりは、安定してブーメランだから、これはこれですごいですな。

    出先なのでリンクは省略。

  • 新聞やテレビの「決め打ち」報道よりもSNSで「こんな意見、あんな意見、実はこうなの」というのを読みたい。それが既存メディアに欠けている、したがってSNSに勝てないところじゃないの?

    例えばEV。私は毎朝ある民放の経済番組をみているが(早朝なので録画で)この番組のレギュラー解説者が「いずれ車はすべてEVに置き換わっていくでしょう」と言っているのを複数回聞いた。同じころSNSではEVの不便さを嘆く動画であふれていた。この解説者はなぜこのようなことをTVで言っていたのだろう。
    第一にこの男、あるいはこの民放のEVに関する知識や状況がアップデートされていない。
    あるいは、知ってはいるがそれを番組で言うと地球温暖化問題に後ろ向きとみられるのでEVを推している。EVは数百万円の買い物。こんな人たちの言葉にのせられてEVに乗り換えた人は「もっと情報とっとけばよかった」と思うだろう。

    あるいは生活保護の問題。SNSでは取り上げても新聞TVは見て見ぬふり。
    なぜか?そんなことTVでやったら翌日からTV局の電話鳴りっぱなし。
    報道しない理由は「めんどくさいことになるから」

    ようするに既存メディアは既得権化していて守るものが大きくなったということ。
    牙なんかとっくに抜かれて、今は歯もなくなりわけのわからないことをフガフガ言ってるだけ。

  • 結局、森友問題なんかも某ネット事典よりも、低いレベルでしか、報道していない。
    何が問題だったのか、当時の編集者などに聞いても明確な返答はないのではないかと心配しています。
    とどのつまり、貴方がたの記事と比較されるツールが登場しただけの話しであって、記者個人のレベルをあげるしかないと思うのですが、そこに気づいていないのか、見て見ぬふりをしているのか。

    • 今から考えると森友問題は、財務省とマスメディアがぐるになってアベさんを落とそうとしていたのか?と勘繰りますね。

  • 現代日本には大勢のウィリアム・ランドルフ・ハーストが跋扈していて呆れかえるばかりです。

  •  彼らが救えないのは、元々の性質である"ご都合で平気で嘘をつくから"よりも、"もうあっと言う間にバレるのに未だに嘘をつくから"かなと思います。

     誠実さなんてもう期待してないから、せめてもっと上手くやれよ……

    • モハヤ「スタジオドラマで観覧席からの失笑を狙うスベリ芸」なのカモ

      知らんけど

  • >そして仲良くしてた若い男性記者だったので
    残念で仕方ない。

    この事例の真偽はわかりませんけど、同じような話は以前から何度もありましたよね。
    信頼関係は時間をかけて作って保つものですが、マスコミは信頼関係を消費する。食い散らかす。信頼を失った相手はもう二度とマスコミの取材に善意で応じることはないでしょうが、「どうせカモはいくらでもいる」。
    まー実際、食い物にされる個人が後を絶たないのは事実でしょうけどね。「ストップ詐欺被害」ってずーっと呼びかけてるのになくならないのと同じで。

    凡そ善良な一般個人にはマネできない離れ業。組織的詐欺のようなもの。早く組織としてのマスコミが潰れることを願ってやみません。