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下り坂を転がり落ちる新聞業界で販売店の倒産も加速か

東京商工リサーチ(TSR)が1週間前に配信した記事によると、新聞販売店の倒産が、1月から10月までの累計で40件と年間最多を更新中だというのです。新聞業界といえば下り坂をボールが転がり落ちるかのように部数が減っていますが、新聞の事実上の廃刊なども続いており、販売店としては肝心の配る商品自体がないのかもしれません。さらに最近の人材不足で今まで通りの安い賃金で新聞配達という過酷な仕事をこなしてくれる労働力の確保が難しくなっている、という事情もあるのではないでしょうか。

新聞部数のカウント方法

当ウェブサイトとしてはわりと頻繁に取り上げる話題のひとつに、一般社団法人日本新聞協会が発表する新聞部数のデータがあります。

データ自体は同協会のウェブサイト『新聞の発行部数と世帯数の推移』で2000年以降のものを取得できるほか、それ以前のデータとしては、(データとしてはやや不十分ではあるにせよ)同協会の出版物である『日本新聞年鑑』で取得できます(著者自身は1982年以降のデータを保持しています)。

集計方法としては、朝刊と夕刊をセットで1部とみなす方法(いわゆる「セット部数」「朝刊単独部数」「夕刊単独部数」でカウントする方法)と、セット部数を朝刊1部、夕刊1部に分解して「朝刊部数」、「夕刊部数」でカウントする方法があります。

日本新聞協会の現在の公表データでは前者の方法が採用されているのですが、当ウェブサイトとしては正確性の観点から、後者の方法、つまり「朝刊部数」と「夕刊部数」に集計し、それの合計を新聞部数とする方法を好んで使用しています。

後者の方法を採用すれば、前者の方法と比べ、合計部数が膨らむという傾向にありますが、それでも昨今のように夕刊の部数が激減しているという状況では、やはり後者の方法でなければ、新聞業界の状況を正確に表現することは難しいのではないかと思うのです。

なお、当ウェブサイトで議論する「新聞部数」は、類似サイトが引用している部数とは異なっていることが多いのですが、これはそういう事情によるものです。

坂道を転がり落ちるボールが加速するかのごとく…

それはともかくとして、著者自身が保有している1982年以降のデータに限定すれば、新聞部数が過去最大だったのは1996年で、当時の部数は7271万部でしたが、これがデータとして確認できる2023年においては3305万部。

最盛期と比べ、なんと約55%も減少したのです。

これまでにも何度か紹介してきたとおり、2002年以降の部数の推移をグラフ化したものが図表です。

図表 合計部数の増減(3年ごと)

(【出所】日本新聞協会データ)

これによると、部数の減少速度は、(多少の波はあれど)年がたつにつれて加速しているのではないかと思えてなりません。個人的は、ちょうど坂道を転がり落ちるボールが加速する様子に似ている気がします。

では、この「坂道を転がり落ちる」かのような部数の減少、いったい何が原因なのでしょうか。

ペーパーレス化と新聞のクオリティの低さの「可視化」

これはウェブ評論家として、少なくとも同一テーマを8年以上追いかけている者の責任として申し上げるならば、本稿では敢えて、①社会のペーパーレス化、②新聞に代替する、あるいは新聞と競合するサービスが多数出現したこと、という2点を挙げておきたいと思います。

このうち①については、私たちの日常生活で、たとえば「紙に書いてハンコを押して提出する」といった機会が激減していることについては、本稿を読んでくださっている読者の皆さまの多くもお気づきのことと思います。

とりわけ役所関連では、マイナンバーカードが1枚あれば、それだけで住民票や印鑑証明をコンビニエンスストアでカンタンに取得できるようになりましたし、確定申告もe-TaxやEl-Taxなどを使えばすべてウェブ上で完結します(※ちなみに法務省や日本年金機構のウェブソフトは使い勝手がクソですのでご注意ください)。

その流れで、私たちは日々の最新ニューズをチェックするときには、重くてかさばる新聞ではなく、軽くて扱いやすいスマートフォンを使うことが多くなっているのではないでしょうか?

そして②とも関連するのですが、スマートフォンなどインターネット・デバイスやアプリなどの使い勝手が日進月歩で向上するなかで、私たち一般人は、べつに新聞そのものを取らなくても困らないということに、徐々に気付きつつあるのです。

ニューズ・ポータルサイトに行けば、たいていの記事は無料で閲覧できますし、しかもそれらの記事は多くの場合、最新のものです。

そうなると、新聞に掲載されている情報のクオリティに、必然的に満足がいかなくなります。

真っ先に問題となるのは、情報の鮮度です。

先ほどの論点とも関わりますが、そもそも新聞は紙に物理的に情報を印刷し、そのの束を物理的に人海戦術(ときとして莫大なCO2などをバラ撒きながら)送り届けなければならず、環境に優しくないだけでなく、記事が書かれてから読者の手元に届くまで、かなりの時間がかかるのです。

ネットで可能になった、タテ検証とヨコ検証、そしてファクトチェック

ただ、そもそも新聞の掲載されている情報、鮮度以外にも様々な問題があることに、おそらく多くの人は気づいています。社会のインターネット化で、新聞に掲載されている情報は「タテ検証」(※)、「ヨコ検証」(※)、そして「ファクトチェック」が簡単にできるようになってしまったからです。

※「タテ検証」とは、同じ新聞社が過去にどのような報道をしてきたかを調べること。

※「ヨコ検証」とは、同じ話題を他の新聞社がどのように報じているかを調べること。

一部の新聞は自民党に対してやたらと舌鋒鋭く追及する論調を取っていたりすることで知られています。自民党に対しては、やれ「派閥政治」だ、やれ「お友達人事」だ、やれ「裏金議員」だ、やれ「世襲議員」だ、といった具合ですが、同じことが野党議員についてはどうでしょうか?

たとえば立憲民主党の小沢一郎、安住淳、野間健の各氏らのように、明らかに政治資金収支報告書の不記載を発生させている人たちに対し、新聞は自民党議員に対するのと同レベルの熱量で追及したのでしょうか?(※同じ疑問はテレビについても成り立ちますが…)。

つまり、報じる相手によって報道する内容を大きく変えるという恣意性が、ネットの「タテヨコ検証」により可視化されたこと、インターネット化によってその気になれば私たち一般人も簡単に事実関係を調べられるようになったことで、新聞が報じた内容の不適切さを指摘する人がネット上でずいぶんと増えたのです。

少し厳しい言い方をしておくと、「情報収集能力」という観点からは、多くの新聞記者の能力は、私たち一般人と大差ありません。いや、新聞記者と比べ、市井の専門家の方が、専門知識や情報分析力がある分、新聞記者を能力面で凌駕しているケースも多々あるのです。

そして、どこかの怪しい自称会計士が運営するウェブサイトのように、新聞、テレビ、財務省、特定野党などをあげつらうことに特化したかのようなOSINT分析サイトなども多数出現しており、(情報の吟味は必要かもしれないにせよ)私たち一般人にとっての情報源がネット化で一気に多様化したことは間違いありません。

なぜ新聞を取るのですか?訃報欄?チラシ需要?

こうした現状を振り返ると、2023年10月時点の新聞部数が3305万部もあるということの方が、むしろ謎です。

これについては著者自身に対し、とある地方に住む方が、「地方ではいまだに地元紙に対する愛着があるんだよ」、「地元金融機関では地元紙で訃報欄を毎朝チェックしているんだよ」、などと教えて下さったのですが、「愛着」、「訃報欄」だけで部数を今後も維持し続けるのは正直、難しいのではないでしょうか。

(※どうでも良い話かもしれませんが、東京などの都会に住んでいると、正直、「地元紙を購読しなければならない」というニーズはほとんどありません。「地元紙じゃなければ手に入らない重要な情報」というものが、ほとんどないからです。)

あるいは、当ウェブサイトの読者の皆さま方からは、「ウチでは家内がチラシ目当てで新聞を定期購読している」といった趣旨の報告を多く受けていますが、これもなんとも微妙です。

スーパーのチラシを見比べ、他店より1円でも安いものを買い求める、という姿勢は良いのですが、それをすることで「節約」できるのは、1回の買い物で数円か、せいぜい数十円、といったところでしょう。それで月間数千円の新聞代を捻出できるとも思えません。

それに買い物は別に毎日するものでもないでしょうし、「他店より1円でも安いもの」を買い求めるために費やす時間で資格試験の勉強でもした方が、人生トータルで見たときには遥かに有意義な気もしないではありませんが…。

足元で販売店の倒産が急増中=TSR

さて、こうしたなか、ちょうど1週間前の10日、信用調査会社の東京商工リサーチ(TSR)が、こんな記事を配信しました。

1-10月の「新聞販売店」倒産40件で年間最多を更新中 部数減や折込み広告が減少、人手不足とコストで逆風続く

―――2024/11/10 07:02付 Yahoo!ニュースより【東京商工リサーチ配信】

TSRによると新聞販売店の倒産件数が2024年1月から10月までの10ヵ月間で40件に達し、年間最多を更新中なのだそうです(地域別の倒産件数については記事原文をご参照ください)。

TSRの記事で触れられている日本新聞協会発表の新聞部数は、当ウェブサイト式の「セット部数を2部に分解する方式」ではないため、本稿冒頭の部数とは合致しませんが、たとえばこんな趣旨の記述があります。

  • 日本ABC協会が公表した2024年6月度のABC部数で毎日新聞が150万部を下回った
  • 今年10月以降、毎日新聞と産経新聞が富山県での配送を休止した
  • スポーツ紙が紙媒体の発行を休止してウェブ媒体のみに移行する事例が相次いでいる

要するに、新聞販売店にとっては肝心の「配る商品」がなくなっている、というわけでしょう。

TSRによると新聞販売店には特定の新聞を宅配する「専売店」以外にも、特定新聞と他紙を扱う「複合店」、すべての新聞を扱う「合売店」などの種類があるのだそうですが、経営効率を模索するなかでの倒産の急増は「苦境からの転換が容易ではないことを示している」、と指摘しています。

ただ、新聞販売店の倒産の加速は、時代の流れとしては当然の減少でもあります。

ただでさえ、働き手(正確に言えば「今まで通りの安い賃金で新聞配達という過酷な仕事をこなしてくれる労働力」)自体が確保できなくなっているなかで、新聞購読者はこれからさらに激減すると予想されているわけですから、逆にいままでよく業界自体が続いているものだと感心せざるを得ません。

新聞業界の無為無策

そして、やはりもっと印象的なのは、新聞業界の無為無策ぶりでしょう。

インターネットの発達の可能性は、遅くともすでに2000年代初頭の時点では予想されていた話であり、また、2010年代以降にスマートフォンが爆発的に普及し始めたあたりで新聞業界も何らかの手を打っておくべきだったのかもしれません。

新聞のビューワー機能の特化した「新聞業界共通のタブレット」などを開発し、それを各家庭に無料で配るくらいのことをやっておけば、もしかしたら新聞業界の衰退を少しは遅らせることができていたかもしれない、ということではないでしょうか。

(※もっとも、上述の理由があって、仮にそのようなタブレットが存在したとしても、新聞業界の衰亡を回避することができるほどの威力があったのかどうかはわかりませんが…。)

いずれにせよ、新聞業界は滅亡に向けたカウントダウンを開始しているのが実情であり、とりわけ不動産などの資産を持つ大手新聞社と異なり、共同通信や時事通信などから記事を購入しているような小規模な地域紙、地方紙だと、廃刊まぎわ、という事例も多いのではないでしょうか。

その意味では、おそらく今年も12月末ごろに公表されるであろう、2024年10月時点の新聞部数がどうなっているのかについては、本当に興味深いところだと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (18)

  •  カメラがデジタルになり、写真屋さんが廃業していった事を思い出しました。
    コンピューター、インターネット。罪なことをしました。

     そういえば世界で初めてデジカメを試作したのはイーストマンコダックだと
    聞いた記憶があるのですが、なぜ止めてしまったのか。続けていれば違う未来が
    あったかもしれません。

     技術革新って残酷さも兼ね備えてますね。

     誰か「どこでもドア」作ってくれないかなあ

  •  デジカメができて写真屋さんが廃業していa区った事を思い出しました。
    新聞業界の場合は新聞社の体たらくがバレてきたのも要因だと思いますけど。

     イノベーションは利便性とは裏腹に残酷さも兼ね備えているのですね。

     そういえば世界で初めてデジカメを試作したのはイーストマンコダックだと
    聞いた記憶があります。続けていれば違う未来があったかもです。

  • 主観の水掛け論、ではなくて、
    「客観数値で語る」
    と、説得力ありますねえ。

    無慈悲すぎる。

    大手メディアの仕事振りの直近例。
    https://www.yomiuri.co.jp/election/20241116-OYT1T50166/

    兵庫県知事選、期日前投票で過去最高の前回選を大きく上回る
    …前知事失職で関心集めたか
    読売新聞2024/11/16

    ほほぅー、兵庫戦線異常なし、のようです。
    いま読みたい知りたい記事はそれじゃない。
    役に立たないなぁ、ほんと。
    https://www.yomiuri.co.jp/election/20241116-OYT1T50166/

    • 毎度、ばかばかしいお話を。
      新聞:「主観的数字が好き。客観的数字が嫌い」
      ついでにCRUSH様も嫌われているかも。

  • 新聞会社は、販売店が潰れた後のことを考えているのでしょうか。もっとも、「自分が定年退職した後のことだ」と考えているかもしれませんが。
    蛇足ですが、販売店が全て潰れるまで10年と分かったとして、いつから10年でしょうか。(自分が退職してから、10年と思っていたりして)

  • 新聞会社は、販売店が潰れた後のことを考えているのでしょうか。もっとも、「自分が定年退職した後のことだ」と考えているかもしれませんが。
    蛇足ですが、販売店が全て潰れるまで10年と分かったとして、いつから10年でしょうか。(10年前から10年ですと、今日になります)

    • すみません。2度、コメントしてしまいました。
      蛇足(?)ですが、これから新聞記者は、(特に国外の記事は)コタツ記事を書くのでしょうか。

  • 年間5万円近くなる購読契約の支払い分を取り戻すためにチラシを読む…嗚呼

    • 節約した金額のことは気にするが、その節約のための費用は気にしないのが、人間というものかもしれません。

      • すみません。安売りで得をしたという満足感を得るために、年間5万円ちかくをかけているのなら問題なかったですね。

  • 新聞配達業界に詳しくはありませんが、
    朝、皆が寝静まっている時から動き出し、昼には労働を終了する。最も美しい労働形態の一つですね。
    爽やかな朝の香りを感じられ清々しく動けそうです。
    集住の進んだ都市部は効率的に動けるなら、届ける物次第では続く、続けたい人もいるかもしれません。
    地方でドローンで紙をボトボト落とすのは風情がないというか、配達員の原付の排気音で目が覚め、
    新聞受けに向かうのと、キンキン音のドローンの電気音では印象が変わります。人の温かみともいうべきがないですね。
    温かみのある政治工作である朝日新聞を読み、義憤に駆られて立憲民主党に投票する。
    そんな時代も2030年には見られなくなるのでしょうね。

  • 最近電話がかかってきた。
    「以前お世話になっていたxx新聞の販売店の者です」
    「また新聞とっていただけないでしょうか」

    泣きそうな声出していた(たぶん芝居だろう)

  • 今回の兵庫知事選挙のことで、「神戸新聞」という地方紙(兵庫県民ではありませんので、コミュニティペーパーだったらごめんなさい)があるのを知りました。
    知事選挙の立候補者とその主張を紙面に載せていますが、全員ではなく「主な立候補者」として立花氏をハブっていました。
    政見放送で何かと注目を浴びる同氏ですが、正式に立候補している人物を堂々とハブるとは、それこそ新聞凋落の加担者ですね、救いようがない。

  • 凋落の原因は3つあるとおもう。第一情報のスピード、第二は情報の信頼性、第三は情報の量だろう。

    情報のスピードはいまに始まったわけではない。テレビの出現で大きく見劣りするようになり、インターネットでとどめを刺された。

    新聞の伝える情報が偏っているというのは以前から言われていたことだが、テレビ局自体が新聞社の子会社であることが多く新聞社に異議を唱えるという事がなかった。それがインターネットの出現で新聞の言ってること「ちょっと違うんじゃない?、かなり偏ってるね」という情報が容易にとれるようになった。

    情報の量は所詮30-40ページ程度の紙媒体。限度がある。しかも3分の1くらいは広告。
    株式関連の情報を例にとると、東証には2000社以上が上場しているが、新聞が伝えられるのはせいぜい前日の始値、高値、安値、終値 出来高程度。
    ネットならさらにチャート(日、月、年、5年、10年)、適時開示資料、株主構成、業務内容等々。さらに知りたければ各社のホームページに跳んでIR関連の資料を見ることができる。
    しかもこれらのことが無料でできるのだ。

    吉野家
    はやい、うまい、やすい
    新聞
    おそい、ウソ、少ない、高い

    これで勝負あったね。

    • 1980年~

      『これからは、”本物の肉” を出しますm(_ _)m』
      ・・との猛省のもと、倒産から立ち直った吉野家。

      *マスコミにも見習ってほしいですね。

    • 1.新聞はタダ読みで十分
      2.文章を隠して読ませたくないなら、読まないだけだ
      3.鳴らない楽器、演奏されない楽譜と同じだ

      情報過多時代の洗礼を受けて、
      「優良情報選択眼(そのひとなりの)を獲得しちゃった」ひとたちは
      決して新聞におカネを払ったりしない。
      カネを払う値打ちを作れ。それが新聞 TV 産業が突き付けられている最期通牒なのです。

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